#1 カザマナオミ(アーティスト)

2024.05.16

山と道というこの奇妙な山道具メーカーの特徴のひとつは、「アウトドア」の文脈だけには収まりきらない、実に様々なバックグラウンドを持つ人々との関わりがあることかもしれない。

この『人・山・道 -ULを感じる生き方-』では、そんな山と道の様々な活動を通じて繋がっている大切な友人たちを訪ね、彼らのライフや思考をきいていく。一見、多種多様な彼らに共通点があるとするならば、自ら背負うものを決め、自分の道を歩くその生き方に、ULハイキングのエッセンスやフィーリングを感じること。

記念すべき第1回のゲストは、数々のアートワークやイベントでのシルクスクリーンのライブプリント、製品ページモデルなど、実に様々な形で山と道と深く関わるアーティストのカザマナオミ。現在はアシュタンガヨガにも深く傾倒する彼がたどり着いた、「手放す」ことの向こう側にある境地とは。

取材/文:渡邊卓郎 写真:三田正明

図柄がいらないと気づいたんだよね

シルクスクリーン(メッシュ状の版にインクが通過する孔をあけ手刷りする技法)を主な表現手段としているカザマナオミさん。鎌倉で生まれ育ち、現在は北海道・真狩村で暮らしながら制作活動を続けている。

カザマさんとシルクスクリーンとの出会いは20代前半で訪れたアメリカ・サンディエゴ。アーティストのOBEYことシェパード・フェアリーと出会ったことで衝撃を受け、シェパードに師事してシルクスクリーン作品を制作。帰国後の2001年に東京・中目黒にストリートアートのギャラリー「大図実験」をオープンし、ニューヨークのアート・コレクティブ「バーンストーマーズ」に参加。これまで国内外で作品を発表してきた。

「山と道との出会いは7年くらい前かな。以前、あるブランドと一緒に作った自分の絵がプリントされたテントが壊れてしまって、テント生地をアップサイクルできないかと考えている時に、鎌倉の友人に代表の夏目さんを紹介してもらったんだよね。テント生地を使ってサコッシュを作ってもらえないか、みたいなお願いをしたのがきっかけ。その後、山と道の店舗やイベントで『Big O』をやらせてもらうようになった。」

「Big O」とはカザマさんによるアップサイクルプロジェクト。「O」は循環の輪を表していて、プリントを通じてオーガニックコットンの認知度、使用率を上げるとともに、着なくなってしまった服や使わなくなってしまった物をアップサイクルすることを目的にしている。カザマさんの手によるライブ・プリンティングを通じて「直線的(=消費的)ではなく循環的で持続性のある大きな円を描く」というメッセージを共有できるのだ。

シルクスクリーンというと、デザインされた図柄があって1色ごとに版があり、色の数だけ重ねて刷るというのが一般的な理解だが、カザマさんが用意する版は、円形にかたち取られた枠があるだけのものなどの1版のみ。その版の中でインクの流れにまかせて色が自由に動き、模様が姿を現す。

取材日前日に山と道材木座で開催した『BIG O』の様子。『BIG O』では図柄を使った版も含めて用意している。

お客とのコミュニケーションから一期一会の作品が出来上がる。

シルクスクリーン用のインクたち。

「元々はグラフィカルな版を作ってたんだけど、『Big O』で日々路上で無心で刷り続けていたある時に、突然、『図柄はいらない』と気づいたんだよね。なぜそれがいいのかはわからないけど、『図柄はいらない』ってことだけは明確になった。図柄っていうのは人の考えであり、コンセプトなんだよね。例えるなら国境みたいなもので、地球上に実際には線は引かれていないけれど、人の都合でここからここは○○国となっているみたいな。」

「図柄はいらない」。その気づきを自身の中に得た時のインパクトはとても大きなものだったという。

「その瞬間は本当に時計の針も止まっていたし、木から落ちてきている葉っぱも空中で止まっていたし、地球も回転止めて、歩く人も止まっていて、『俺だけすごいことに気づいた!』みたいな感覚があったんだよね。『うわー!』と思って。自分の中ですべてが繋がって、これを大切にしようと思ったし、とにかくインパクトがものすごかった。」

図柄を取り払ったことで何かが大きく開けたのだ。思考に広がりが生まれ、自由になった。シルクスクリーンの固定観念を手放すことで、カザマさんオリジナルのスタイルが新たに生まれたのだ。

「今思えば、自分がそれまでやってきたことは結局誰かの真似でしかなかった。わかりやすく言えばシェパードの。『モチーフが違うから真似ではないよ』って言っていたけど、結局のところ、どうしてもそこは認めざるを得なくなるじゃないですか。オリジナルなものを作りたいっていう思いを常に持ちながら作ってたから、この時に自分の中にしっくりくる表現に出会えたんだよね。 無地のスクリーンを扱うようになって得たものはたくさんあって、これはULハイキングの発想に近いかもしれないけど、図柄がないから版もひとつで身軽になるし、いろんな場所で制作できるようになった。新しいデザインとか古いデザインという考え方にはならないし、その場でプリントして、その場で出会う人だから、毎回新しい図柄として捉えてもらえる。そういう、時空を超えた側面もあると思うんだよね。」

カザマさんのライブプリントを見ていると、枠に張ったスクリーンに思ったままにインクを乗せ、スキージをゆっくりと動かす。その流れるような動作から、その時だけの図柄が生まれるのだ。「インクが自由に態度を取る」とカザマさんは表現する。

「今、追求していきたいラインは、3年前の展示会のタイトルになった『ApenhaveI(アペンハヴァイ)』。それは何かというと“ I have a pen”を逆にしたものなんだけど、作品を作る上でできる限り作為を取った状態というか、自分の意思をなるべく無くして液体に委ねるという作業でありたいっていうこと。『私が』するとか、『私の』とかではなく、自分が主導権を握っていない状態。自分が主導権を持って『このペンを持っています』という意味ではなくて、実はペンの方が俺を持っているということ、みたいな感じかな。」

『ApenhaveI』で発表した作品群

手放した状態にしておく

カザマさんの思考を形成しているものにヨガの存在がある。ヨガを始めたきっかけは伝説的なサーファーでヨガ実践者でもあるジェリー・ロペスのDVDであり、長く自己流で続けていたのだが、5年ほど前にアシュタンガヨガとの出会いがあった。

「ヨガっていうとてもミステリアスなものとの出会いは、自分が無地のシルクスクリーンにたどり着いたことと繋がってるような気がしているんだよね。無の状態への追求というか。アシュタンガヨガって日々同じことをするんだけど、それ故に、同じ日が2回とない。わかりやすく言えば、昨日より身体が伸びた感じがするとか、『昨日できたのになんで今日はできないんだろう?』っていう自我があることに気付けたり、その自我を手放して、今の自分に今できることをやろうというふうに開き直れたり、素晴らしいギフトがたくさんある。アシュタンガヨガをつくったシュリ・K・パッタビ・ジョイスに『あなたの体が硬いのではなく、あなたのマインドが硬いのだ』という言葉があるんだけど、問題も何もかも、その全ては必ず自分の中にあるということ。」

カザマさんのクリエイティブは可能な限り自我を取り払い、手放した状態から作品が生み出されていく。常に手放してレスの状態にしておくと、入ってくるものが大きいのだという。自身をその状態に保つためのヨガとクリエイティブはカザマさんの中で強くリンクしている。

「制作とヨガの考え方みたいなものがやっと明確に繋がり始めているんだよね。これは5年間アシュタンガヨガに取り組んできて、最近やっと得られた感覚でもある。それ以前はやっぱり「I」がやっているだけだから、あまり深いところまではいけていなかった。アシュタンガヨガって動く瞑想って言われていて、呼吸とともに動いていくことで自分を忘れて、無に近づいていくもの。自分のスペースを広げて、脱力して、そのスペースに入り込むという行為を呼吸とともに数珠繋ぎのようにやり続ける。すべてのものは拡張して縮小してを繰り返し育ってるわけでしょ? 呼吸を吸って広がって、吐くときにその広がったスペースの中に入り込んでいく感じ。」

ヨガに出会ったことで得られた「手放す」という行為は、本当に大切な物事を見極めていく行為なのだろう。これはULの思想とも強くリンクする。「本当に必要なものは何か?」を突き詰めて装備を軽量化していくことは、ある意味で手放す行為とも言い換えられる。だからこそ、手放した先に新たな作品を生み出すカザマさんというアーティストに長く共鳴を続けているのかもしれない。

山と道材木座に飾られている作品の一部。「インクが自由に態度を取って」いる。

「先日、『Big O』をしていたら、車椅子に押されてやって来たお客さんがいたのね。その人はガンで自分の足では歩くことができない状態だったんだけど、プリントのこととか作品のこととかをすごく色々聞いてくれるんだよ。大概の人はプリントして、ありがとうございました、みたいな感じでそのわずかな時間だけを共有する。だけど、そのお客さんは、その時そこにあるすべての状態を感じて、すべてを目に留めておきたいという感じで、時間の使い方っていうか呼吸のしかたみたいなのが違った。そのお客さんが手放しているとは言いきることはできないけど、やっぱり普通とは違うポジションにいるからこそ、普通の人だったら感じられないことを感じやすくなるだろうしね。自我にしがみついてる「I」の状態だと見えないないことが、その人のようにいろんなものを手放した状態だと、新しいものや出会ったものとかに対しての感動も大きいと思うし、楽しいと思う。そのお客さんと会った時に、すごく大きなものを自分は見落としていることに気づいたし、やっぱり呼吸が大切で、ゆっくり深く呼吸ができればいいんだという気づきをもらえたんだよね。」

カザマさんの言うところの「I」を取り除いていく作業は、自身の暮らしと作品のどちらにも言えることのようだ。その作業の先に、理想としているクリエイティブへの道がある。

「図柄を取り払うっていう行為も結局コンセプトだから、作品を作る上で全く作為がない状態っていうのは無理なんだろうけれどね。最近読んだ『弓と禅』っていうドイツ人のオイゲン・ヘリゲルっていう哲学者が1940年代に書いた本があるんだけど、その人は神秘主義者で禅に興味があって、大学講師として日本にやって来たんだけど、禅を学ぶにあたって、西洋の人たちは頭ですべてを考えて哲学を作るのに対して、東洋は行いを通じてそれを知るみたいなところがあるから、なにかしらの道(どう)をやった方がいいって勧められたので、その人は弓道を始めるわけ。で、弓道を通じて、ある有名な先生についたんだけど、まず弓を引く『引分け』もできないんだって。でも、その先生は全く何の力も使ってないかのように引分ける。『絶対に強い力を入れてるはずだ!』とか考えるんだけど、本当に呼吸だけでそれが可能になると知るんだよね。その先生は『丹田を結ぶ』っていう言い方をしてるんだけど、丹田を結べば外側の筋肉に頼らなくとも弓を引分けることができると。その哲学者は1年ぐらいやって引分けられるようになるんだけど、今度は矢を放つときも先生が『狙うな!』と、『それが起こるのを待て』って言うんだよ。こうありたいなと思うんだよね。無心で日々同じことを繰り返して、手放して、自我をなくした状態で生まれるもの。それがいちばん描きたいものなのかもしれない。常に自我を忘れることができて、それが起こればいいな。深い練習に入れたら、野心やマインドがなくなるから。やっとそこに気付くことができたから、ヨガももっと深めていきたいし、その感覚を制作にもアプライしたいね。」

シルクスクリーンの作業をしながら突然訪れた「図柄を取り払う」という閃きは、まさに「それが起こった」瞬間だったのだろう。カザマさんは次にそれが起こるのを待っている。ただ待つのではなく、起こるべくなる状態に自分を整えて待っている。

カザマナオミの大切にしているモノとコト

モノ
「自然の存在なしにあらゆるミラクルは起こらないから、自分が所有しているものではないけれど、イチ所有者として捉えさせてもらったとして、この自然のシステムが大切なものかな」

コト
「なるべく早く自然に起きること。自分の場合でいうと4時半なんですけど。“1年の計は元旦にあり”じゃないけど、朝がいちばん冴えてるしね」

カザマナオミ

アーティスト。鎌倉生まれ。アメリカ留学中の1996年にシルクスクリーン作家、OBEYで知られるシェパードフェアリーと出会い、スクリーンプリントを学んだ後、作家活動を開始。帰国後、友人と中目黒に大図実験ギャラリー的サロンを始める。2012 年、路上にてその場で何にでもプリントをするBig O project をスタート。活動を通じてオーガニックコットンの事や、物をアップサイクルする事に重きを置き、パタゴニアのサポートを受け日本縦断ツアーやニューヨーク、西海岸ツアー、韓国、オーストラリア、イタリアなどにてライブプリントを行うと共に、年に1回スクリーンを通じてできる作品を全国の各地にて作品を制作し発表している。『山道祭』をはじめ、様々な場所でライブプリントを開催したり、山と道直営店のアートワークや手ぬぐいのデザインなどでも深く関わっており、多くの人を魅了し続けている。

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