山と道 夏目彰の
日本海〜太平洋縦断ファストパッキング
#2〈鉢ノ木岳〜美ヶ原〉

INTRODUCTION

これは僕が2015年に新潟県の親不知から自宅(神奈川県鎌倉市)近くの相模湾まで、日本海から太平洋まで山間部を繋げて、数回に分けてファストパッキングのスタイルで行った山行の記録です。

この山行については以前にも何度かイベント等でお話ししたこともありましたが、山行記としてはオンラインショップをリニューアルしてこの『山と道JOURNALS』を始める際に掲載したいと思い、気がつけば2年が経っていました。

ですが、ここで得られたことは多く、山と道の商品作りにおいても、大事なことを教わった山行です。(夏目彰)

【第1回はこちら

日本海〜太平洋ファストパッキングの概要

【今回の行程】

DAY4  鉢ノ木小屋→船窪小屋

翌日は台風が直撃するという予報が出ていたので、どうせ行動できる時間は少ないだろうとゆっくりと起きてみると天気は悪くなく、これならもっと早く起きて予定よりもっと先を目指すべきだったかと少し後悔した。撤収して、小屋の人に挨拶して出発した。

朝は天気が良かったが、やはり陽が昇るにつれ崩れてきた。よくある秋の天気。北葛乗越の崖のような坂を下って登り返し、七倉岳にきてもまだ天気はギリギリ持っていて、台風直撃前にこのまま烏帽子小屋を目指そうと欲が出た。ところが船窪岳を越えたところで、とうとう雨が降り出した。ここからその日の目的地までコースタイムは7時間、もし半分で行けたとしても3.5時間かかる。天候が悪くなればより時間がかかるだろう。行くか戻るかすごく迷ったけれど、より近い船窪小屋に戻ることにした。

雨のなか船窪小屋に戻ると、小屋スタッフの人が「山と道の人ですか?」と声をかけてくれた。インスタグラムの投稿を見ていてくださったらしい。なんだかとても嬉しい。それも北アルプスで一番好きな小屋のスタッフの方から言われればなおさらだ。当初はスルーして先を急ごうとしていたのにこう書くのもなんだか恥ずかしいが、船窪小屋は素晴らしい小屋だ。以前、北アルプスを縦断した際も、友達に勧められてここだけは小屋泊にしたのだった。雨のなか戻ってきたのも船窪小屋の魅力あってこそだったかもしれない。

僕は魅力ある小屋かどうかはボランティアスタッフがいることがひとつの目安になっていると思う。その小屋に惚れて、その小屋を一緒に大事にしていきたいと思うお客さんがいる小屋は、大抵どこも個性的だ。船窪小屋はこの小屋だけを目指して登ってくるお客さんも多い小屋で、小さいけどとても居心地がいい。料理もベジのフルコースというくらいしっかりとした料理が出てきて、街で食べても感激する味だ。そしてその後はお茶会という名の飲み会が待っていて、ストーブにあたりながら夜が更けていった。

夜風はどんどん強くなり、寝ていると「ドン!」と小屋が揺れることもあった。いったい風速何メートルまで達していたのだろうか。2014年のTJARの選手たちはこの信じられないような強風のなかを進んでいったのだと考えると、とても感慨深かった。

DAY5 船窪小屋→三俣山荘

朝起きると、小屋のいろいろな場所が水浸しになっていた。朝食を食べながらグズグズとしていても雨は降りやまず、意を決して雨のなかを進むことにした。

船窪岳を越えると雨脚が弱まり、不動岳を越えたあたりで青空が広がった。不動岳から烏帽子岳を越えて裏銀座縦走に入る道はとても美しい。ところどころ昨日の台風の影響で道沿いの池の水が溢れてトレイルを水浸しにしていたけれど、気温も高くなっていたのでよい水浴びになった。北アルプスの核心部の山々が見えてきて、気分はさらに上がってくる。烏帽子小屋でカレーライスやパイナップル缶を食べようと期待をしてたが、ちょうど小屋締めの最中だった。残念。

午後を回ったところで一組のパーティに出会った。強風が辛そうで、「まだ続きますか?」聞かれたので、強風はまだ続くし、 この先の小屋はどこも閉まっていることを伝えた。烏帽子小屋に予約をしていると答えていたように思うのだけど、烏帽子小屋はその時点で小屋終いしている。問題なく下山できただろうか…。

野口五郎岳を越えると、いよいよ槍ヶ岳が目の前に見えてきて、馴染みの山域に足を踏み入れたこと感じた。小屋はどこもしまっていて少し寂しかったけれど、晴れ間が広がり、黒部源流が綺麗に見えた。身体はとても疲れていたけど、鷲羽岳から槍ヶ岳や山々を見渡したかったので登ることにした。

ここで鷲羽岳から三俣山荘を見て、槍ヶ岳や雲ノ平を見て、そのときの気持ちをどう書こうか、上手く思い出せない。ああ、ようやく帰ってきたという気持ちだったと思う。

夕方前に三俣山荘に着いて、名物のシチューがまだ食べれるというからお願いした。とても美味しかった。小屋番の女性が小さい子供をあやしながら料理を作る風景を見ていて、とても暖かい気持ちになった。

DAY6 三俣山荘→松本

いつも通り深夜におきて出発した。台風一過だから、最高の夜明けを西鎌尾根で見られるはずだと思う。まだ寝静まっている双六小屋を通過すると、少しずつ宇宙が明るくなってくる。西鎌尾根は本当に好きな道だ。誰もいない西鎌尾根で夜明けを見ながらコーヒーを入れ、ゆっくりと夜明けを味わった。

槍ヶ岳が大きくなってくると、これまでの歩みを思い出し、心がいっぱいになった。槍ヶ岳山荘に到着して、こんな言葉を僕はインスタグラムに投稿した。

「数日前はあんなに小さかったのによー。指先もない位の大きさだったのに、もうこんなに大きくなりやがって。目の中に収まりきれねーや。おじさん涙が出てくるよ。嵐の日もあったな。雨の日も風の日も遠くにお前が見えていたよ。ありがとう。」

僕をずっと見守っててくれた槍ヶ岳。昂ぶった気持ちのまま、槍沢を駆け下りた。よくまだ身体が動くものだと我ながら感心した。

徳沢ロッジで美味しいカレーを食べ、初めて歩く徳本峠へと続く道に入った。 途中ですれ違ったおじさんに、グレートトラバースの田中陽希さんに会わなかったかと聞かれた。いま霞沢岳を登っているらしい。どこでも大人気で追っかけも多いらしく、さぞ大変なお気持ちだろうと察する。徳本峠小屋ですこし休憩して、徳本峠を降りようとしたところで、島々谷からMINIを背負って登ってくる方とすれ違った。この渋い道で北アルプスに入る人が山と道のお客さんであることが嬉しくて、思わず声をかけてしまった。

少し元気を貰って島々谷を駆け下りる。明るいうちはすれ違うハイカーも数組いたが、 陽が落ちると誰ともすれ違わなくなった。道はワイルドでいい感じに荒れていて、休業中の岩魚留小屋の前には大きな巨木があった。今回の旅で見たなかでもいちばん大きな巨木だった。暗くなると、島々谷はすこし薄気味悪い雰囲気で、ここで寝るのは嫌だと思った。身体の疲れも限界を越え、もう走ることもできない。屍のようにトボトボ歩き、どうにか林道まで辿り着いた。

北アルプスを歩き終えた喜びと疲れが入り混じり、なんだか変なテンションになっていった。林道歩きは退屈だからとイヤフォンで好きな音楽を聴きながら歩いていると、もう本当にクタクタで満足に動くことができなかった身体に、ひとつの司令が音楽を通して発せられた。

「走れ!!」

身体に再び火が灯り、気がつくと、僕は夢中で駆けていた。自分が走っていることに気がついた瞬間、訳も分からず涙が溢れ、いつの間にかひとり、誰もいない林道で大泣きしていた。もう身体は無理だと思っていても、精神が身体の奥底にある力を引っ張り上げてくれたのだ。

そうして林道から車道まで駆け抜けて、 北アルプスは本当に終わった。地図では温泉がすぐ近くにあると思っていたけれど、歩いてみると思ったよりも遠かった。地元の人がメインの温泉らしく、薄汚い山の格好をした自分が恥ずかしくなった。お風呂から上がるともう真っ暗で、トボトボと夜の道を歩いて新島駅についた。 さすがにもう歩きたくない…。新島駅で泊まって明日松本まで歩くことも考えたけど、もうここは電車に乗って松本まで行ってしまうことした。

松本のホテルに入り、洗い物を洗濯して、ここから先のハイキングのために局止めで送っていた荷物を松本郵便局まで取りに行く。松本郵便局などの大型郵便局では24時間受け取れるので本当に便利だ。ホテルの部屋はきれいでベッドも柔らかかったけど、山との違いに少し落ち着かなかった。

DAY7  松本→美ヶ原

ホテルで朝食を食べ、松本の街を山に向けて歩き始めた。日曜日だけど部活があるのか、登校する学生たちに混じりながら1時間ほど歩くと、街を抜けて田園風景が広がった。古い地図を見ていると林道もありそうだったけれど、へんに迷うのも嫌なので、美ヶ原の登山口まで道路を歩いて向かった。

美ヶ原は日曜日ということもあり観光客が多かったけれど、すこし歩くと美しい草原が広がった。いつもならこんな美しい景色をみれば心が昂ぶって身体も動き出しそうなものだけど、まったく動かない。ガス欠のような状態で、走りだすことができなかった。

草原を抜けて山道に入り、その日泊まろうと思っていた扉峠山荘に向かうもすでに廃屋になっていて、心がポキリと折れてしまった。ああ、もう限界だ。ここから先、歩きながらのハイクはできるだろうけれど、今回の旅の目的であるファストパッキングを続けるには休息が必要だった。ちょうど日本海から太平洋の真中、扉峠で下山して、一度家に戻ることに決めた。

バスは夏季しか走っていないことがわかっていたので、麓にある温泉まで廃道を通って歩いていくことにした。廃道には光が木々を抜けて路面をかすかに照らしていて、とても気持ちいい下山道だった。入ろうとしていた温泉は日帰り入浴お断りだったので、近くの温泉までさらに歩いた。雰囲気の良い温泉にゆっくりとつかり、タクシーで松本駅まで戻った。

TJARの選手は一週間で日本海から太平洋まで行くけど、僕は一週間で真ん中までしか行けなかった。色々なことがわかり、色々なことに疑問が湧いた。自分の外側と内側、両方の世界を旅しているような一週間だった。

#3につづく

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  • 夏目 彰

    夏目 彰

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    世界最軽量クラスの山道具を作る小さなアウトドアメーカー「山と道」を夫婦で営む。30代半ばまでアートや出版の世界で活動する傍ら、00年代から山とウルトラライト・ハイキングの世界に深く傾倒、2011年に「山と道」を始める。2016年には京都に「山食音」をPLANT Labと共同でオープン。2017年にはH/L/Cを始め、「山と道」ホームページもウェブメディア化するなど、さらなる拡大を図っていく予定。私生活では待望の第一子を授かりメロメロに。以前のように山に自由に行けなくなったことに多少の危機感を抱きつつも子育て奮闘中!