山と道 夏目彰の
日本海〜太平洋縦断ファストパッキング
#3〈美ヶ原〜奥多摩〉〉

INTRODUCTION

これは僕が2015年に新潟県の親不知から自宅(神奈川県鎌倉市)近くの相模湾まで、日本海から太平洋まで山間部を繋げて、数回に分けてファストパッキングのスタイルで行った山行の記録です。

この山行については以前にも何度かイベント等でお話ししたこともありましたが、山行記としてはオンラインショップをリニューアルしてこの『山と道JOURNALS』を始める際に掲載したいと思い、気がつけば2年が経っていました。

ですが、ここで得られたことは多く、山と道の商品作りにおいても、大事なことを教わった山行です。(夏目彰)

【第1回】 
【第2回】

日本海〜太平洋ファストパッキングの概要

【今回の行程】

DAY8 扉峠→双子池

旅を中断してから2週間が過ぎた10月16日、僕は美ヶ原の扉峠に戻ってきた。ここから霧ヶ峰、八ヶ岳、奥秩父、高尾、丹沢を抜け、自宅近くの太平洋の海まで、走って、歩いて、自分の身体だけを使って帰るのだ。

旅の前半から、装備は以下を変更した。まずショーツをロングパンツに、スリーピングパッドを試作品の2m長のミニマリストパッド(製品版は長さ90cm)を40~30cmにテーパード・カットしたものに変えた。防水ソックス、メリノグローブ、ガーニー・グー(マメを防止するクリーム。小さい容器に移した)を装備に追加し、行動食はより高いカロリーと栄養価を考えスニッカーズからカロリーメイトに変更し、ジェル、塩飴を多く持った。そのぶん食料の総量を減らし、靴下の予備も持たないことにした。前半の旅でウォーターキャリーを忘れたけど問題なかったので、今回も持っていかないことにした。予報では、明日は雪が降るらしい。

美ヶ原と霧ヶ峰を結ぶ道は、『中央分水嶺トレイル』として整備されている。ちょうど僕が歩いていたときにもトレイル整備が行われていた。僕はこの山域をはじめて訪れたのだけれど、美ヶ原と霧ヶ峰の美しさには圧倒された。たくさんの人が車でやって来る「観光地」的なイメージが強かったけれど、穏やかにどこまでも広がる山の起伏は、ランにしても、ハイクにしても、とても気持ち良く楽しめそうだ。とくに霧ヶ峰は尾瀬に匹敵するほど美しく、品の良いカフェのような山小屋もある。気持ちよく歩いていると、孔雀のような緑の羽をした大きな雉と出会った。

霧ヶ峰を越えると雰囲気が変わり、いかにも寂れた観光地という雰囲気の車道を歩いた。誰もいないスキー場を登り、日が暮れて薄暗くなる山へと入っていく。人の気配はまったくなく、使われていない人工物やベンチを見ると、なんだかとても寂しい気持ちになった。ふと見上げると近くの尾尾の上に大きな山犬がいて、遠目に浮かぶシルエットがまるで狼のようだった。

八子ヶ峰を超えて蓼科山を目指す。地図には道中に山荘のマークがあったけれど、行ってみるとやはり山荘は閉まっていた。誰もいない山中で、誰もいない家を見ると無性に怖く感じる。山荘を越え、山を降りてビーナスライン(車道)に出る頃にはあたりは夜に変わろうとしていた。蓼科山を登るのはやめて、沢沿いに歩いて双子池のキャンプサイトを目指すことにした。

登山口に入る頃には、完全に日も暮れていた。足元が暗いため藪の感じがうまく掴めず、履いていたニューバランスの110(名品!)のアッパーのメッシュ生地を盛大に引き割いてしまった。糸で抜いながら旅を続けてきたけど、これでもう引退だな……。午後7時に双子池に到着。テレビを見ていた小屋の人に挨拶をして、テントを張った。

その日の行程を思い返すと、いくつかの山を越える山行はまさに「旅」そのもので、そんな旅のなかでは美しいことも、寂しいことも、道路歩きも、ナイトハイクも、全部良いなと思いながら寝た。

DAY9 双子池→清里

翌日は朝になってから出発をした。天気は悪く、今にも泣き出しそうな空だった。双子池から雨池に抜け、走ったり歩いたりしながら、息が切れない程度の気持ちの良いスピードで苔の森を進んでいく。黒百合ヒュッテで遅い朝食。天狗、根石岳のアップダウンも気持ちが良かった。

身体を動かす気持ち良さに集中しすぎたためか、箕冠山(みかぶりやま)で道を間違えてしまった。夏沢峠に行くつもりが、気がつくとだいぶ下ったオーレン小屋に着いた。体力も限界に近く、そこから硫黄岳までの急登を一気に登るのはしんどかった。疲れた身体にイヤフォンから音楽を流し込み、心を爆発させて登っていく。山頂はガスに包まれていたけれど、ガスの切れ目から時おり南八ヶ岳の雄大な景色が覗いた。

そのまま横岳を越え、赤岳に着いたところで、電話が鳴った。電話は妻からで、急用ができたのでできれば家に帰ってきて欲しいという。北アルプスからは遠く感じた鎌倉の家が、赤岳からはとても近く感じた。昨日~今日でとても気持ち良く山を歩けてなんだか気分もスッキリしていたので、赤岳から清里に降りてふたたび家に帰ることに決めた。

赤岳からは初めて歩く真教寺尾根を降った。ずっと岩場が続くなかなか険しいルートだ。途中、牛首山でテント泊している人を見かけた。賽の河原からの降り、スキー場の草地があまりにも気持ち良いものだから、トレイルから外れて走って下った。国土地理院の地図では破線ルートがあったので、それでトレイルに戻ればいいと思っていたのだけれど、考えが甘かった。波線ルートは身の丈まである笹に覆われていて、藪を漕いでトレイルに復帰する羽目になった。

登山出口の美しの森に着く頃に日が暮れた。電車に乗る前に一杯飲んで帰れないかと調べてみると、ローカルビールのレストランがあったので、そこまで最後の力を振り絞って道路を走った。正直、レストランはあまり好みではなかったけれど、隣の席のおじさんが気さくで、疲れた心が救われた。

DAY10 清里→大日小屋

家に戻ってからはOMMジャパン・レースがあったり、後に現在の鎌倉ファクトリーとなる物件の契約をしたり(当時は鎌倉市内の別の場所に事務所兼工房を構えていた)、雑誌ピークスの取材で山に行ったりと忙しく、ようやく旅を再開できたのはひと月ほど経った11月19日のことだった。

清里から奥秩父を結ぶといえば、『分水嶺トレイルレース』を思い浮かべる。4つの分水嶺と4つの百名山を衣食住の装備を持って3日間で通り抜けるファストパッキング的なレースで、僕はその逆方向を進むことになる。

始発電車に乗り、清里駅に着いたのは10時過ぎだった。清里から奥秩父に抜ける登山地図はないので、フィールドアクセス(iPhoneのアプリケーション)にダウンロードした国土地理院の地図を頼りに、まずは飯盛山を目指した。頂上からは稜線沿いに、ところどころ藪を漕ぎながらバリエーションルートを進む。横尾山を越え、午後3時に信州峠に到着し、そこからは車道を歩いて瑞牆山荘を目指す。

退屈な車道歩きを続けていると、軽トラのおじさんが「乗っていけ」と声をかえてくれた。一瞬悩むも、縁と考えてありがたく乗らせていただく。瑞牆山荘の近くまで乗せてもらい、日が暮れる直前に瑞牆山荘に着くことができた。ふたたびトレイルを歩き始め、誰もいない真っ暗な大日小屋でテントを張った。

DAY11 大日小屋→笠取山

夜明けと共に起床し、金峰山に登る。山頂にある五丈石はまるで遺跡のようで、早朝の光を浴びて佇む姿はとても威厳があり、美しかった。僕は金峰山の五丈岩と向かいに見える南アルプスの地蔵岳のオベリスクは、まるで対をなして存在しているように感じる。

金峰山を越えて、大弛峠に抜ける。この箇所だけ道路が横切っていて、大弛小屋があるのだが、小屋終いなのか、人はいなかった。小屋の裏手からトレイルに戻り、国師岳に登る。国師岳から甲武信岳までの道は倒木に苔がむす深い森のなかを歩いていく。

甲武信岳を越えてさらに進んでいくと、森の中は霧が立ち込め、幻想的で「深山幽谷」といった趣の、まさに奥秩父らしい景色が広がった。破風山、雁坂峠、雁峠を越えて、笠取小屋でテントを張った。小屋終いの季節なので、その日は誰にも会うことはなかった。これまで何度も歩いてきた道を、静かな山を楽しみながら、ひとり黙々と歩き続けた。

DAY12 笠取山→三頭山

笠取山から高尾に抜けるのに、大菩薩から行くか、飛龍から天平(でんでいろ)、丹波に降りて、鹿倉山を越えていくか迷いに迷った。天平から丹波までの道は何度も歩いたことがあったので、大菩薩からの道を歩いていこうと考えていたのだけど、丹波にある丹波山温泉に心をグッと掴まれてしまい、大菩薩の道はやめて、そのまま奥秩父の主脈縦走の道を進んでいくことにした。

飛龍からの下りはとても好きな道だ。落ち葉の気持ちのよい道を飛ばしていく。1400mほど降りて、丹波山温泉に浸かった。いつもならそこで下山となるところだが、僕はまだ旅の途中だ。気持ちを切り替えて、そこからさらに道路を歩いて鹿倉山への登山口を目指した。

鹿倉山へと登りはじめると、途中、猟師会の人たちが犬を使って、鹿の追い込み猟を行っていた。知り合いで動物と間違われて撃たれたことがある人がいるので、動物よりも怖い。彼らからすれば僕の方が邪魔なんだろうけど。里山の低山にはそこに住む人々の暮らしが、おぼろげながら反映されているように思える。そんな場所を歩く時は、「ごめんください」と挨拶しながら歩かせてもらっているような気分になる。

鹿倉山あたりは林道歩きも多い。黙々と歩いていくと、道を示す赤いテープが金色に光るテープに変わった。尾根を金色のテープに導かれて降りていくと、突如、目の前に大きな白い仏舎利が現れた。そういえば、奥多摩の山を歩いていると向かいの山に大きな白いお寺のような建物が見えることを思い出し、少し興奮しながらぐるりと見学した。仏舎利がある山は大寺山という名で、山の名前が先なのか、仏舎利があるから大寺山なのかはわからないけれど、ヒマラヤで見てきたような見事な仏舎利だった。

さらに奥多摩湖へと急な道を降った。今日はどれだけ歩いてきただろうか……。奥秩父の山中から1400mほど降りて温泉につかり、700mほど登り、また700mほど降りてきた。そして暗く日が落ちる頃に奥多摩湖に到着し、湖畔でくたびれた体にコーラを流しこみながら、奥多摩湖の向こうにそびえる暗くなろうとしている三頭山を見上げた。また1000m登り返さないといけないのだ。ああ、こんなことなら大菩薩方面に稜線沿いに進むべきだった、温泉に目を眩んで、こんな場所に来るんじゃなかった。この旅の間、夕暮れの身体が疲れる時間帯はいつも何かしら後悔していたようにも思う。

心の底から「もうここは東京で、すぐに家に帰れるんだよ」と、甘い囁きが聞こえた気がした。その囁きを必死で遠ざけつつ、三頭山への山道へ登っていく。じきに真っ暗になり、ヘッドライトを着けた。三頭橋からの登山道はなかなか険しく、両手を使って登っていく崖のような道をライトの明かりを頼りに進んでいく。イノシシが多いのか、道はところどころ土が掘り返されていた。あまり人は歩かないルートなんだろう。

心身ともに疲れ果て、ぐったりとしていたけれど、ナイトハイクという刺激が流し込まれたことにより理性が遠ざかり、僕はちょっとした興奮状態になっていた。ヌカザス山を越え、ようやく三頭山の避難小屋につくと、大集団が宴会中だった。そこにいる気分にはどうしてもなれなかったので、もう少し暗闇の中を先に進み、トレイル脇の林の中で人目につかずに眠ることにした。

【#4(最終回)に続きます】

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  • 夏目 彰

    夏目 彰

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    世界最軽量クラスの山道具を作る小さなアウトドアメーカー「山と道」を夫婦で営む。30代半ばまでアートや出版の世界で活動する傍ら、00年代から山とウルトラライト・ハイキングの世界に深く傾倒、2011年に「山と道」を始める。2016年には京都に「山食音」をPLANT Labと共同でオープン。2017年にはH/L/Cを始め、「山と道」ホームページもウェブメディア化するなど、さらなる拡大を図っていく予定。私生活では待望の第一子を授かりメロメロに。以前のように山に自由に行けなくなったことに多少の危機感を抱きつつも子育て奮闘中!

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