山と道の香港行2019〜来るべき東アジアのハイキングカルチャーの光と道

2019.05.28

2019年の3月の終わり、山と道は香港の取扱店である『The Cave by Mother Outdoor Lifestyle』でイベント『HIKE LIFE COMMUNITY / HLC(*)』開催のため香港を訪れました。

わずか5日間の滞在でしたが、現地の多くのハイカーと出会い、文化や環境、人々を知ることのできた非常に有意義な旅となり、同行した山と道JOURNALS編集長・三田正明もすっかり興奮。単なるイベントレポートというより日本と香港、ひいては東アジアのハイキング・カルチャーの未来を占うような原稿をしたためたいと考え、筆を取りました。

都市と海と山が複雑に入り組んだ香港は、世界にふたつとない個性を持つ街です。しかも、その歴史や政治情勢も地形同様に複雑に入り組み、それがこの街の独特な個性をさらに際立たせています。

山と道としてもまだ知らないこと、わからないことだらけの土地ですが、今回の訪問をきっかけに、ぜひこれからより関係や交流を深めていきたいと考えています。そのファースト・インプレッションとなった今回の旅の模様に、お付き合いいただければ幸いです。

*山と道の『HIKE LIFE COMMUNITY / HLC』プロジェクトに関しては以下のリンクをご参照ください。

https://www.yamatomichi.com/tags/hike-life-community/

構成/写真/文:三田正明
動画:中村純貴

HIKE LIFE COMMUNITY TOUR 2019 in 香港レポート

世界にこんな街はふたつとない

この3月に僕のパースペクティブはまったく変わった。それはまったく予想もしていなかったことだけど、人生でいちばん楽しいのは、そんなふうに知らなかったことを知って、自分のものの見方や考え方が変わることだと思っている。だから、今回はそのことを書こうと思う。

そして3月に僕に起こったことといえば、上旬に台湾に、下旬に香港を訪れたことである。上旬の台湾は山と道の夏目彰がメイン特集のナビゲーターを勤めた雑誌『PAPERSKY』の取材のために、下旬の香港は山と道が香港の取扱店である『The Cave by Mother Outdoor Lifestyle』でイベント『HIKE LIFE COMMUNITY / HLC』を開催するために訪れた。

このふたつの旅はそれぞれ独立した旅ではあるけれど、連続して同じ東アジアの国と地域をまわったことで、僕にとっては非常に有意義なものとなった。台湾での出来事はその『PAPERSKY no.59 台湾 HIKE & BIKE』に詳しく綴っているので、ここでは香港で見て、聞いて、体験してきたことについて綴っていきたい。

香港国際空港のバスターミナル。

山と道にとっての今回の香港への旅は、イベントを開催するという目的はもちろん、未だ訪れたことのない彼の地を訪ねて現地のハイカーと触れ合うことで、どのような人々がどのように山と道やウルトラライト・ハイキング(以下UL)を受容しているのかを知ることも、大きな理由のひとつだった。

旅の仲間は代表の夏目彰と夏目由美子と2歳の長男、『HLC』プロジェクトリーダーの豊嶋秀樹さん、『山と道とBig O』としてライブシルクプリントを行うカザマナオミさん、スタッフの黒澤、中川、中村、木村と自分の計10人。さながら、ちょっとした社員旅行である。

僕個人は香港は初訪問で、中華圏としては過去3回台湾を訪れているものの中国を訪れたことはなく、「初めての中国本土上陸!」的な気分であったが、すぐにそれは間違いであることに気付かされた。詳しくは後述するが香港は香港であり、中国ではないのである(もちろん制度上、香港は中国の一部ではあるが、香港に住む多くの人々の意識の中で中国と香港は明確に区別されている印象を受けた)。

香港はどこもかしこも高層ビルが立ち並んでいる。

宿へと向かう山と道チーム。

ともあれ、香港はひどくエキゾチックな街だった。世界にこんな街はふたつとないであろうことを、香港を訪れる人はすぐに誰しも感じるだろう。

その理由のひとつ目は地形である。九龍半島、香港島、大嶼島とその周辺に浮かぶ200以上の島からなる香港は、海と山が入り組んで不可分になったような地形をしており、わずかな平地はびっしりと高層マンション群で埋め尽くされている。通常、都市とは周辺部に拡大していくものだが、土地の狭い香港は上へ上へと拡大しているのである。

立錐の余地なく立ち並ぶマンション群はまさに巨大な壁であり、その壁の小さく区切られたひとつひとつの窓の向こうに無数の人生があることを思うと、香港の人には非常に失礼ではあるが、ディストピアSFの世界を想起せずにはいられなかった。

中国からの移民と投機マネーの流入で近年香港の高層化はますます進んでいるという。

さらに家賃も非常に高く、6畳一間ほどの小さな部屋で15万ほどすることもザラだとか。

モンコック地区の夕暮れ。

スタッフ全員で宿泊したエアB&Bの部屋。

ふたつ目の理由はその歴史である。19世紀のアヘン戦争の結果イギリスに壌土され、紆余曲折を経つつも1997年までその統治下にあり、現在は一国二制度の特別行政区として中国に返還されたという込み入った物語は、いまもこの地の文化や人々の心に拭いがたい大きな影響を与え続けている。わずかな滞在ではあったが、この旅でそれを意識させられる瞬間は数限りなくあった。

中国が来てから何もかもが変わった

それを最初に体験したのは、旅の2日目にセッティングされた『The Cave by Mother Outdoor Lifestyle』オーナーのフィリップ・チュンさんとの会食だった。訪問前から香港の人々の中国に対する複雑な感情を聞いてはいたが、そのことに話が及ぶとフィリップさんの表情はたちまち曇り、「中国が来てから何もかもが変わった」という。

完璧にセットされたヘアスタイルとくっきりとした目鼻立ちが香港映画のスターを思わせるフィリップさんは現在50代で、1997年の返還以前の香港で少年時代と青年時代を過ごした世代に当たる。

HLCイベント時のフィリップさん。

そんな彼にとって、かつての香港は自由都市であり、様々なカルチャーやバックグラウンドを持つ人々の集う坩堝のような街だったという。だが、中国に返還されてからの香港は高度な自治権を有する特別自治区ということにはなっているが、そのトップである行政長官には事実上中国の息のかかった者しか就けないシステムになっており、香港の一般庶民の意思は政治に反映されづらい状況が続いている。

さらに中国からの移民と投資が流入したことにより不動産価格が暴騰し、弁護士や医師のようなエリートでさえも不動産購入は難しく、若い世代は親元を出れず、結婚もままならない。なので、香港の一般の人々の嫌中感情は凄まじいものがある。そういった様々な鬱憤が爆発したのが2014年に起こった「雨傘革命」だったのだ。

モンコックの朝市。

香港は高層ビルと裏通りの屋台のコントラストが鮮烈な街でもある。Photography : Yusuke Kurosawa

そんなふうに「変わりゆく香港」は、まさに『The Cave by Mother Outdoor Lifestyle』の立地にも表れていた。グーグルマップ頼りに到着してみるとそこはどうみても倉庫であり、なかにセレクトショップが入っているようにはとても見えない。半信半疑で荷物運搬用のエレベーターに乗り、指定の階で降りると、がらんとした殺風景なフロアに木材でデコレーションされた一角があり、そこがまさに『The Cave~』なのだ。

店内に足を踏み入れると途端に雰囲気はセレクトショップ的なものに変わり、先ほどまでとの落差に頭がクラクラした。日本人の感覚としてはとてもこんな場所にこんな店があるとは信じられず、果たしてここまでお客さんが来るのか心配になるほどだった。

工業用雑居ビルの10階にある『The Cave by Mother Outdoor Lifestyle』。

そんなこちらの当惑を察したか、フィリップさんが説明してくれた所によると、『The Cave~』の前身の店はそこから電車で20分ほどの香港の中心部にあったが、店はとても狭く、家賃も法外に高かったという。

「もう九龍など香港中心部は普通のビジネスができる場所ではなくなった」とフィリップさんは語り、街の中心部から商圏が周辺部へと広がる、というより逃げ出しているような状況がいまの香港にはあるのだとか。たとえばマンハッタンの家賃が高騰したせいで周辺のブルックリンやクイーンズが発展したようなものだろうか。

なので、一見商業施設には見えない場所にセレクトショップがあることはいまの香港では珍しいことではなく、むしろ流行のスタイルだとフィリップさんは言っていた。

香港ハイカーたちとのキャンプ

その午後は『The Cave~』周辺の香港のハイカーに集まってもらい、近郊の山でキャンプすることになっていた(当初は数時間ほど山歩きしてからキャンプする予定だったが、天気が優れなかったのでキャンプのみとなった)。

チャーターしたバンで郊外へと向かうとすぐに家はまばらになり、青々としたジャングルに埋め尽くされた丘陵地帯になった。この辺りまで来れば家賃は下がるのかフィリップさんにたずねると、「NO! 香港の家賃は『高い』か『すごく高い』だけ」という。

1時間も経たないうちに郊外のサイクン地区にあるキャンプ場に着いた。ここは公共のキャンプ場で無料なうえ、市内からバスでも来れるのだという。こんなキャンプ場で週末ごとに集まってはライトウェイトなキャンプをするのが香港のハイカーたちのひとつのスタイルのようだ。

バンを2台チャーターして出発。

車道から10分ほど歩いた場所にある水浪キャンプサイトに向かう。

キャンプ場には様々なULテントが並んだ。Photography : Mike Chang

キャンプにはフィリップさん以下、『The Cav~e』のマネージャーを務めるジムと彼と共にNo More HeavyというULオリエンテッドなスモールメーカーを立ち上げたばかりのマイク、その友人のレオ、日本好きで7年前の『ギアループマーケット』で夏目夫妻に会ったことがあるというTKとジョジョのカップル、以前から日本とも交流の深い香港のスモールメーカーTara Pokyのタラなどが参加してくれた。ここに山と道チームの10人が加わり、大異文化交流パーティが始まった。

宴はFree Spirit Tentの巨大タープの下で行われた。

キャンプではくだらない話や真面目な話、山やトレイルの話、音楽や映画の話、日本や香港の話をたくさんしたけれど、なかでも印象的だったことが、彼らがみな日本文化を、なかでも90年代以降のポップカルチャーをとてもよく知っていたことだった。

皆、子供の頃から日本のマンガやアニメや映画や音楽が当たり前のようにそこにある環境で育ち、日本にも何度も来たことがあるという。そんな彼らがいま注目しているのが日本のULカルチャーやそこから現れてきたオルタナティブなスモールメーカーであり、その代表的存在である山と道なのだ。

香港はイギリスの植民地だった時代が長いので、もっと欧米の影響が強い街なのだと思っていたけれど、違った。まさか日本のポップカルチャーがここまで香港の人々に受容されていたとは、僕はまったく知らなかった。90年代の渋谷系以降の日本のポップミュージックや裏原宿系ファッション、トレンディドラマや映画、雑誌『リラックス』や様々なファッション誌、『機動戦士ガンダム』や『スラムダンク』や『ONE PIECE』は、「クールジャパン」などと喧伝される遥か以前からとっくに海を越え、東アジア一帯に拭い去り難い影響を与えていたのだ。

香港での最初の山と道のカスタマー、TKと握手する夏目彰。

宴は深夜まで及んだ。

まだ若いジムやマイクは酔うと下ネタと女の子の話ばかりになる。なんでも香港ではポルノが法律的に作れないので、男たちは誰もが日本のAVのお世話になっているという。なかでも「ミカミ・ユアは俺の女神」だと23歳バツ1のレオは言っていた。

その夜は遅くまで飲むことになったけれど、ひときわ印象的だったのは夜の12時頃、ほとんどの人が寝てしまったあとにやってきたドナルドとルビーというカップルとの会話だった。それぞれ文学館のキュレーターとウェブデザイナーをしているというふたりはとてもフレンドリーでクレバーで、結局そのあと2時間以上も話込むことになった。

かなり酔っ払っていたし、そもそも僕の英語はお粗末なので話のディティールは詳細には覚えていないけれど、僕たちは香港や日本の社会の構造や問題点、違いや共通点、あるべき理想とそこには程遠い現実などの話をしたと思う。そして国籍や住む場所は違えど、僕たちは同じような文化に触れて育ち、この現代社会に生きる者が感じるプレッシャーやストレス、フィーリングをシェアしていると感じた。

香港×日本キャンプ参加者で記念撮影。 Photography :Mike Chang

キャンプ場から下った食堂で朝食を食べる一同。手前左側がドナルド、奥の金髪の女性がルビー、手前右側がレオ。 Photography : Yusuke Kurosawa

あらためて、香港のみならずソウルにも、おそらく上海や北京にも、もしかしたらバンコクやシンガポールやジャカルタにも、そんなふうに感覚や理想をシェアできる誰かがいるはずだと思った。実際、山と道とも縁が深く、これまで何度も訪れている台北にはそんなふうに感じられる友人が何人かいる。ならば台北や香港以外にも絶対にいるだろう。

考えてみれば、そんなの当たり前のことだ。けれどこうして実際に来て、会ってみなければ、僕はそんなこと考えたこともなかったのだ。

HIKE LIFE COMMUNITY in 香港

翌朝、街へと戻り、ホテルでシャワーを浴びてから『The Cave by Mother Outdoor Lifestyle』に集合し、いよいよ『HIKE LIFE COMMUNITY in 香港』の開催となった。

会場には多くの人に集まっていただき、昨夜のキャンプに集まった面々も顔を出してくれた。

今回のイベントのためフィリップさんが巨大ボードを用意してくれた。山と道の自主イベントでも用意したことがないので一同驚嘆。

まずフィリップさんに山と道の紹介をしていただき、豊嶋さんと夏目さんがそれぞれプレゼンテーションを行い、質疑応答となった(プレゼンテーションの内容はこれまで行ってきた『HLC』のものと基本は同じなので過去のレポートを参考にしてほしい)。通訳を通してのトークだったので、正直どこまで内容が伝わっているか未知数ではあるけれど、トークにじっと聞き入る香港の皆さんの集中力の高さは印象的だった。

イベントでは夏目彰のULハイキング装備一式が入ったバックパックが回された。

最後に質疑応答の時間になるといくつもの質問が飛んだ。製品の再販スケジュールや新製品についてなど簡単なものから、もの作りの姿勢や向き合い方のような込み入ったものまで様々な質問があったけれど、なかでも興味深かったのは豊嶋さんのプレゼンテーションに対する質問だった。

その前に、豊嶋さんの『HLC』でのプレゼンテーションをかいつまんで説明すると、大筋では、豊嶋さんがいかに現在のようなライフスタイル……支出を抑えることで仕事量を減らし、自由な時間を確保することで毎年冬は北海道で3ヶ月スキー三昧の日々を送ったり、毎年夏は青森でねぶた祭りの連に参加していたり、現在の本拠である福岡では「ハッピーハイカーズ」というコミュニティ活動を行なっていたり、日本各地で本業である美術展関連の仕事をしたり、こうして山と道と『HLC』の活動をしながら、オンとオフの区別なく移動を続けるライフスタイル……にたどり着いたかが語られる。

その生活の肝はいかに支出を抑えるかであり、豊嶋さんはそれを東京から福岡に引っ越して安い中古の部屋を買うことで、支出の最大要素である住居費という縛りから解放されたことをベースに実現させている。現代人にとっての最大の呪いは家賃や住宅ローンであることは言うまでもない。

登壇する豊嶋秀樹

だが、その質問の大意はこうだった。

「香港でも住居費の高騰は大きな問題ですが、香港の場合はもっと安い住居費の場所に引っ越すという選択肢がありません。この香港でそのようなライフスタイルを送るには、どうしたら良いですか?」

この質問は香港が抱える問題の本質すぎて、すぐに答えを出せるようなものではなかった。香港は魅力的な街だ。だが同時に、中国という巨大な影にいまにも覆い尽くされそうな、息苦しさがそこかしこに溢れる街だった。

結局、夏目さんと豊嶋さんの回答は、「だからこそウルトラライト・ハイキングの方法論を知り、実践してみてほしい」ということに落ち着いた。ものの本質を見極め、いるものといらないもいのを吟味した最低限のものだけで、自然の中でより豊かな時間を過ごすため方法論は、この街をサバイブするためにも有効はないのか?

山と道は「スタイリッシュ」?

翌日はプレゼンテーションは行わなかったもの、ふたたび『The Cave by Mother Outdoor Lifestyle』では山と道スタッフからの挨拶と質疑応答、ポップアップショップとカザマナオミ君によるライブシルクプリントが行われた。

この日はイベント参加費がかからなかったためか、前日より多くの人に訪ねていただき、ポップアップショップもナオミ君のライブシルクも大盛況だった。なかでも7~8人ほどの大所帯で訪れてくれたハイカーのグループ(日本の『Off The Grid』や『OMM』に集まる人と同じような格好をしていた)は相当の山と道ファンで、12時の開店から18時の閉店までずっといて、ナオミ君のプリントをひとり何枚もしていた。

2日目のオープンからクーズまでいてくれた香港のハイカーグループ。

彼らにハイキングの写真を見せてもらうと、海辺や山や草原など、実に様々な場所を歩いたりキャンプしたりしていて、あらためて香港の地形のバラエティの豊かさを感じた。僕たちはまた香港のベストシーズンだという11月〜12月に訪れて、今回はできなかったハイキングをしようと誓った。

彼らや参加者の方々に山と道のどこに魅力を感じているかを訊くと、多くの場合「スタイリッシュで機能的なところ」という言葉が返ってきて、それはフィリップさんやマイクやジムについても同じだった。

No More Heavyというコテージメーカーを始めたばかりのマイクとジム。ジムは『The Cave』の店長でもある。

日本では山と道は「軽くて機能的」とは言われても、あまり「カッコいい」とは評されたことがないのではないだろうか? 

もし山と道の製品やブランドイメージが「カッコいい」としたら、それは製品そのものにはっきりとわかる機能性があったり、道具の本質を探求しようという姿勢が見えるからクールに見えるのであって、デザインそのものが「カッコいい」わけではないと僕は思っている。

実際、現在の僕は山と道のもの作りの現場を間近で見ているけれど、いかに機能的で使いやすいか、軽さや強度や耐久性はどれほどかということは意識されても、見た目の部分はほぼ意識しないで作られているように感じる。それが意識されるのは、基本的な設計が完成した後の細部のディティールや色の選定くらいのものだろう。

ポップアップショップも大盛況だった。

これはあくまでたった5日間訪れただけの無知な旅行者の意見であるけれど、僕の目には香港の人々は、ややモノの表層に目が行きがちな傾向にあるように映った。ただ新しくクールなものが好きで、そのクールさが内包する文脈や構造にはそれほど興味がないのではないかと(あくまで無知な旅行者のたわ言です)。

No More Heavy兼『The Cave』店長のジムに、No More Heavyでどんなもの作りをしていきたいか尋ねた時も、まず「スタイリッシュでファンクショナブルなもの」という答えが返ってきた。

僕が「でも山と道はスタイリッシュさはほとんど意識しないで作っているよ」というと、彼は「香港ではスタイリッシュであることをまず意識しないと、いくら機能性が高くても売れない」という。

ともあれ、それはどちらが正しいという話ではない。日本には日本の風土と文化があり、香港には香港の風土と文化があるのだから、日本の環境で機能するものがそのまま香港で機能するとは限らないし、その逆もまた然りだろう。

実際、沖縄県とほぼ同じ面積の香港は最高峰の大帽山でさえ標高957mしかなく、ハイキングは長くても2泊3日だという。だが街と山の距離は近いので、前述のようにクルマを使わないライトウェイトなキャンプは非常に盛んだ。そのような環境でファンクショナブルな道具は、日本とは当然変わってくる。

一方で僕は、彼らが山と道やウルトラライト・ハイキングの道具の内包する文脈や構造に気づくのは時間の問題だとも思っている。いや、すでに気づいている人はとっくに気づいているはずだ。実際、彼らと僕らは住んでいる場所や国籍が少し違うだけで、ずっと以前から同じような文化や感覚をシェアしているのだから。

2日目のHLC香港を終えて記念撮影。

東アジアのハイキングカルチャー!?

そろそろまとめに入りたい。長々と綴ってきたけれど、結局このレポートで僕が何を言いたいのかといえば、「東アジアはもっとひとつになれるし、その方が楽しくなるよ」ということだ。

それを僕が感じるようになったのは、香港と同じくこの3月に訪れた台湾での経験も大きかった。その旅については前述の通り発売中の『PAPAR SKY no.59 台湾 HIKE & BIKE』(山と道の夏目彰がメイン特集のナビゲーターを勤めている)に詳しく綴っているのでそちらを参照して欲しいのだけれど、そのとき一緒に旅をした台北samplusのヘクターも僕も共に音楽好きということもあって、旅の間、よくお互いのiPhoneから音楽や動画を流してはおすすめの音楽を教えあっていた。そのとき、彼から台湾のインディーロックを教えてもらい、素晴らしいアーティストがたくさんいて、正直驚いた。

たとえば、すでに解散しているが透明雑誌(Toumee Magazine)というバンドの「性的地獄」という曲などを聞くと、バンド名といい、曲名といい、、サウンドといい、どこからどう聞いてもNUMBER GIRLだ。90年代を代表する日本のインディーロックはとっくに世界に飛び出して、フォロワーバンドさえ生むほど大きな影響与えていたのだ。

そして目下の僕のいちばんのお気に入りは落日飛車(Sunset Rollercoaster)である。AORや日本のシティポップの影響を受けつつも、それをサイケデリックに味付けしたサウンドは、世界的に見ても先鋭的なサウンドを鳴らしている。彼らはすでに日本にも何度も来日していて、日本のYogee New Wavesやシャムキャッツらとも共に東アジアをジョイントツアーしているという。

さらに例を挙げれば、タイの気鋭のシンガー・ソングライター、プム・ヴィプリットは日本のトラックメーカーのSTUTSと共作曲を発表しているし、一聴して山下達郎に非常に強い影響を受けたインドネシアのイックバルというバンドは数々の日本のアーティストと共演したり、楽曲提供を行なっている。音楽シーンの先端では、日本と東アジアの交流はとっくに始まっているのだ。

そういったシーンがあることを知って、僕が感じることは、もはや「日本の音楽シーン」などという括りはナンセンスなのではないか、ということだ。「東アジアの音楽シーン」と捉えた方がより広がりや可能性を感じられるし、ワクワクする。事実、その流れはもう始まっていて、今後も拡大する一方だろう。そして、それと同じことが、ハイキングのシーンでも起こりうると僕は思うのだ。

たしかに、香港の人々のULの理解はまだそれほど深くないかもしれない。ただ、それは日本の大多数の人々も同じだし、台湾でもULに興味を抱いている人はまだほんのわずかだ。

けれど、アメリカで生まれたULが日本に伝わり、ハイカーズデポが開店し、ローカスギアやフリーライトや山と道が生まれ、その後もたくさんのスモールメーカーが登場し、山に行けばULスタイルのハイカーに出会うことも珍しくなくなり、「Off The Grid」のようなイベントに数千人もの人が集まるようになったことを考えれば、香港や台湾でもそんなことが起こってもまったく不思議ではないと、僕は思う。

そして彼らにULが内包する文脈や構造を伝えられる者がいるとしたら、それはアメリカのハイカーではなく、日本のハイカーかもしれない。彼らと物理的にも精神的にも近いのは、やはり同じ東アジアにすむ僕たちだからだ。そしてブランドとしての山と道の役割も、実はここにあるのではないかとさえ僕は感じた。

僕は夢想する。北海道や九州や四国の山を歩くように、香港や台湾や韓国の山を歩く日本人ハイカーがいて、香港や台湾や韓国の山を歩くように、日本の山を歩く東アジアのハイカーがいる未来を。

国境を越えた友人がいて、お互いがお互いの住む場所を行き来して、その土地土地のおすすめの山やトレイルを教えあったり、ハイキングしたり、キャンプしたりする未来を。そして気がつけば「日本のハイキングカルチャー」や「香港のハイキングカルチャー」や「台湾のハイキングカルチャー」を越え、「東アジアのハイキングカルチャー」とでもいうべきものがある、そんな未来を。

もちろん、時間はまだまだかかる。けれど、可能性はゼロではない。だからこれからもアジアの国々に足を運んでハイキングをして、出会った人々との交流を続けたいと思う。そう。まずは実際にそこに行き、歩くことだ。

「いずれ東と西は一つになるよ。考えてもみ給え。東と西が遂に一つになったならばどんなに偉大な世界革命が起こるだろう。しかもその口火を切ることが出来るのは結局僕らのような人間なんだぜ」

ジャック・ケルアック著・小原広忠訳『禅ヒッピー』より

対談:豊嶋秀樹 × 夏目彰

構成:三田正明

ーーいま、香港での日程をほぼすべて終えた旅の最終日です。今回の旅やHLCについて、振り返っていきたいと思います。

豊嶋 全体としては良いはじまりにできた気がしています。今回がパーフェクトだったわけではないけれど、何かがはじまったなって。それは『The Cave』のフィリップさんとの関係もそうだし、キャンプに来てくれたみんなともそうだし。今朝もTKに案内してもらって、彼らと一緒に走ったりしたしね。

夏目 TKは香港でのいちばん初めの山と道のカスタマーなんだよね。

豊嶋 香港に来たときは一瞬「どうなるのかな?」ってのがあったけど、現時点での感想でいうと、何かはじまったし、はじめれそうだなっていう感触はある。まだまだ詰めなきゃいけない部分もたくさんあるし、もっと関係性も深めていかなくてはならないけど。

ーーとりあえず「より深めていきたいな」とは思いましたよね。

豊嶋 実際、「次はハイキングイベントを作りたいね」って話を彼らとしてて。「ドラゴンズバック」っていう4~50kmくらいあるトレイルがおすすめだっていうから、そこを1泊2日とかで歩くハイキングイベントとかできたらいいよね。言葉の問題もあるし、やっぱりこちらの思いや山と道のメッセージを伝えようと思ったら、やっぱり一緒に歩くしかないかって。

夏目 僕もはじめての香港だったから、「どうなるんだろう?」っていう思いは当初あった。でも、話しているとやっぱりみんな山が好きだし、やっぱり出会って話してみて、山に行って過ごすことで発見できたというか、お互いに歩み寄れたんじゃないかなって。山と道に対しても僕たちがカルチャーを発信していたり、山が好きな姿勢であったり、そういう部分に共鳴してくれていることを感じた。だから次に何をやっていくにしろ面白い歩みになるだろうなという感じはしている。

ーーそうですね。イベントに来てくれた人たちの熱心さは日本や台北以上だったかも。香港自体のインプレッションはどうでしたか?

夏目 正直、まだまったく掴めていない(笑)。ただ、今回は全然歩けてないけれど、思った以上に山はいいなあって。何日か香港の山をうろちょろしてみたいよね。

豊嶋 香港には島が何千とあるけど、島にもキャンプ場がいっぱいあるんだって。ちょっと渡った島にもいいキャンプ場あるらしい。なら「アイランドホッピング・ハイキング」なんていうのもありかなとか思ったり。

夏目 地図見ると海岸線にもトレイルがいろいろあるみたいだしね。お客さんと話しててもローカルマウンテンをすごく楽しんでいる感じがあって。自分たちの山はこのサイズで、こういう遊び方だから山と道のバックパックだとMINIがフィットするんだって言われて、やっぱりローカルな山ありきの道具なんだなっていうのを改めて感じたし。彼らのローカルならではの遊び方を感じられてよかったよね。

ーー個人的には、やっぱり香港って独特な街だなって。こんな街は世界にふたつとないですよね。それはこの地形と歴史が形作っているものだとは思いますけど。

豊嶋 ハイキングはただ歩くだけだから歴史や文化を知らなくてもできるけど、僕らは「HIKE LIFE COMMUNITY」を謳っていて、そこには「ライフ」と「コミュニティ」が関わってくるわけだから、そこも自分たちがどんどん理解を深めていくなかで、より意味のあるものになっていくよね。僕も香港はじめてだけど、「文化とか歴史のレイヤーがめっちゃ複雑!」って思った。それを紐解くのはそんなに簡単じゃない。しかもいま激動の時代を迎えてるから、「レイヤーがもうバームクーヘンみたいだな」って(笑)。 

ーーどんどん重なっていますよね。香港は街も周囲に広がっていくのではなくて、上に上に積み重なって伸びていってますから。

豊嶋 地形も複雑で狭いから、上にしか行かれないからね。

ーーほんと独特さですよね。そのストレスもかなりある街だと思うけど。

豊嶋 その独特な住宅事情から家賃が高いせいで、香港にはひとり暮らしってものがほぼ存在しないという話とか、はじめて聞いてびっくりしたよね。お国柄とかお国事情とか、やっぱりあるんだなって。でも、そこにみんなどうにかフィットさせて暮らしたり、遊んでいるわけで、そこから「そっか」と思うこともすごくあるんだろうし。あとはみんな日本にもちょくちょく来てるみたいだから、日本でも一緒に山行けたらいいなって思った。

夏目 日本で雪山ハイキングのツアーをやってくれっていう人もいたね。

豊嶋 雪山は香港じゃできないもんね。だから自分たちがまた香港に行くっていうのももちろんだけど、彼らを日本にホスティングするっていうのもありだよね。

ーーそうですね。「今度は日本で会おうよ」っていう機会がすごく多かったし、ほんとこれが始まりで、より交流を深めていけたらいいなって思う人がいっぱいいた。来る前は自分も偏見をもっていて、香港のブランドに関しても「まだまだこれからだな〜」とか謎の上から目線で思っていた部分も正直あったんですけど、「この環境でこういう遊び方なら、作る道具もこうなるのかも」って思うようになりました。日本から見た尺度だけで良し悪しは言えないなって。山と道は日本の環境に即した道具を作っているし、香港の人は香港の環境や社会に即したものを作っているっていうことしかないのかなって。

夏目 だからこうして実際に来て、山に行って一緒にキャンプすることでことでわかることがいっぱいあるし、広がるよね。

豊嶋 ULってそもそもアメリカ発信のものが日本に来て独特の成長を遂げて、それがまた香港や台湾に広がっている感じも面白いよね。やっぱり訪ねて行って、実際に会わなきゃね。歩いて、話して、時間を共有して。

夏目 お酒を一緒に飲むだけじゃね。去年のHLCも、イベントだけではなくハイキングを入れることによってより深いものになったから。

豊嶋 なので、香港でもなるべく早くハイキングのイベントを作りたいよね。それでこっちでも山と道HLCのアンバサダー候補になる人たちとももっと関係性を深め合って育んでいかないと、今回できた繋がりなんてすぐにふっとなくなるから。

ーーこれで終わったら「そういえばそういうこともあったね」で終わりですからね。

豊嶋 でも、飛行機のチケット自体は安いからね。普通に香港からでも「日本の山に登りに行こうぜ」て来れるし、逆に日本からも行ける。

ーーこれから山と道HLCを全国でやっていって、実は秋に少し大きなイベントをやる予定なんですよね。そこにHLCに参加してくれる人はもちろん、台湾や香港からも人が来てくれて交流が生まれたりしたら最高だな。それこそ東アジアのハイカーコミュニティーみたいなものができていったら。

夏目 これを始まりにしたいよね!

【おまけ】スタッフ中村&木村の香港レポート

とりあえず本編はこれにて終了ですが、おまけとして山と道の新人スタッフ、中村と木村による香港ツアー感想文を収録します。

ふたりは鎌倉の山と道研究所ショップやイベント出店、オンラインでの対応などでお客様と直接触れることも多いスタッフです。ご紹介がてら、ご笑覧いただければ幸いです!

①中村純貴の香港行

映像制作会社に5年間勤務後、2018年にアメリカを縦断する「パシフィッククレストトレイル」4250kmを踏破。その後、山と道に参加してお客様や取扱店様との対応、その他雑用など日々勉強中。香港ツアーのムービーも制作した。

今回初となった香港でのHLC。そもそも、僕自身が足を踏み入れるのも初めてで、香港の文化にどんな特徴があって、どんな人たちが暮らしているのかは全く知らなかったが、昨年歩いた「パシフィック・クレスト・トレイル」で友達になった香港ハイカーは気持ちの良い人たちがばかりで、今回のHLC香港は心の中でとても楽しみにしていた。

香港へ到着後、すぐに気温と湿度の高さに気づいた。東京以上に感じる人の多さ。映像などで見覚えがある真っ直ぐ上に伸びる高層階の住宅ビル。同じアジアで近い国なのにこんなにも驚くことが沢山あるのかと、凄くワクワクした気持ちとなった。

2日目にHLC香港開催場所の『The Cave by Mother Outdoor LifeStyle』さんのお店へ行くと、最高の笑顔で迎え入れてくれたフィリップさん。天気の雲行きが怪しいなか、皆でショートハイキングしてから宴会キャンプ。

続々と集まるフィリップさんの仲間達。やはり会話が弾むのは『どんなハイキングをしているのか』だ。

香港の国は3000m級の山はなく、最高峰でも1000m以下。低山が多いがそのぶんトレイルは山から入り海沿いを繋げたりと、風景の変化を楽しめるスタイルらしい。だいたいが1泊2日程度で歩けるそうで背負っているパックも、大きくて45Lくらいまで。長く歩きたい時は近くの台湾や日本の山へ行き3泊4日以上のハイキングを楽しむそうだ。

日本は沢山の山があり四季折々のハイキングを楽しめることから、特に僕の周りに他国へハイキングに行ってる友達はあまり見かけない。山が少ない香港にとって海外ハイキングが身近になっていることに凄く興味をひかれた。

その後に始まったHLCに来てくれたお客様との会話でも聞けば日本へハイキングに行ったことがある人は多く、こんなにも日本の山を楽しんでくれている香港の人たちがいることに嬉しくなった。それと同時に僕が香港のハイキングをあまりに知らなかったことを勿体なく思った。

そして誰と話しても、「案内するから香港へハイキングしに戻っておいでよ!」と、他国の人に対してウェルカムでフレンドリーな文化であることも知れた。

聞いて知った気にならず、触れてみて味わうことの大切さを改めて教えてくれた香港の人たち。今年の10月以降に時間を作って香港スタイルのハイキングを楽しみに行こうと思う。

②木村弘樹の香港行

幼少期の父との旅を原点に、海外の僻地への旅や、砂漠マラソンなどのクレイジーレースに傾倒。その後、鎌倉逗子の身近な自然に魅了され移住し、山と道に参加。地元コミュニティでもこども達のアドベンチャーレースの主催や廃プラをアップサイクルしてものづくりする海の図工室の立ち上げ中。

初めて訪れた香港。空港に到着して街に向かうバスの車内からの景色に圧倒された。

どこまでの伸びる高層ビルの群れや、コンテナの数々は東京が田舎に見えるほどだった。一方で街を囲うジャングルや奇抜な形をした山々……人間と自然のエネルギーがミックスされた独特な雰囲気に心躍り、これからの旅がとても楽しみになった。

旅の中で多くの香港のハイカーたちに出逢い、話を交わした。週末になるとバックパックを背負い、街からすぐアクセスできる山にハイキングやキャンプに積極的に出かけていて、香港という都市のスピードに必死についていきながらも、一方で自然での遊びを目一杯楽しんでいるようだった。「ここがプライベート感あって、とても素敵なんだよー!」と、自分たちのお気に入りの場所を、とても気持ちよい顔で語っていた。

滞在中、朝わざわざ時間をつくってくれて、近場のトレイルを案内してくれる方もいた。もてなし上手で楽しみ上手な人が、香港には多いと感じた。今度来るときは、彼らから聞いたお気に入りの場所を繋いで、長い時間をかけて香港の山旅を楽しみたいと思った。

香港のハイカーとの話で印象的なできごとがあった。香港のハイカーが、日本の山のルートや文化にとても関心があることだ。実際に北アルプスや富士山を登ったことのあるハイカーや、香港にはない雪山に魅せられ何度もリピートしているハイカーも多くいた。

一方で、僕たちは香港の山や文化については、ほとんど無知だった。今回の滞在で実際に香港の山を歩いたり走ったりしてみて、本格的なジャングルトレイルに気軽にアクセスできる香港に魅了された。

今後も定期的に近場のアジアのトレイルに足を運ぶことと同時に、自分の地元の山や自然での遊びを追及したい。また、他の国の仲間が自分の住んでいる地域を訪れたときは、この土地ならではの面白い遊びを、もっと提供できるようになりたいと思う。国を超えてお互いをリスペクトし合える関係を築いていけたら嬉しい。

三田 正明
三田 正明
フォトグラファーとしてカルチャー誌や音楽誌で活動する傍、旅に傾倒。 多くの国を放浪するなかで自然の雄大さに惹かれ、自然と触れ合う方法として山に登り始める。 気がつけばアウトドア誌で仕事をするようになり、ライター仕事も増え、現在では本業がわからない状態に。 アウトドア・ライターとしてはULハイキングをライフワークとして追い続けている。 取材活動のなかで出会った山と道・夏目彰氏と何度も山に行ったり、インタビュー取材を行ったり、酒を酌み交わしたりするうちに、いつの間にかこのようなポジションに。 山と道JOURNALSを通じて日本のハイキング・カルチャーの発展に微力ながら貢献したいと考えている。
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