HIKE / LIFE / COMMUNITY TOUR 2017 REMINISCENCE #19 松村亮平

INTRODUCTION

2017年の6月から10月にかけて、山と道は現代美術のフィールドを中心に幅広い活動を行う豊嶋秀樹と共に、トークイベントとポップアップショップを組み合わせて日本中を駆け巡るツアー『HIKE / LIFE / COMMUNITY』を行いました。

北は北海道から南は鹿児島まで、毎回その土地に所縁のあるゲストスピーカーをお迎えしてお話しを伺い、地元のハイカーやお客様と交流した『HIKE / LIFE / COMMUNITY』とは、いったい何だったのか? この『HIKE / LIFE / COMMUNITY TOUR 2017 REMINISCENCE(=回想録)』で、各会場のゲストスピーカーの方々に豊嶋秀樹が収録していたインタビューを通じて振り返っていきます。

#19のゲストは、高松で『へちま文庫』『こんぶ製作所』『田中風呂製作所』、それに自分自身のプロジェクトのための『ANTIPOEME』といくつも屋号、名義を持ち、高松市の小さな山の麓で活動する家具職人 松村亮平さんです。

松村さんが語る、自分らしさを出すこと、家族と仕事のバランスのこと、ローカルを密に見つめること。

 取材/文:豊嶋秀樹

お世話になった山

瀬戸大橋を渡り、僕たちはふたたび四国へ向かった。あまりにも巨大な吊橋は、それが橋ということを超えた別の意味を持った創造物のように見えた。どんよりとした曇り空のせいもあって、天に突きあげるような橋脚は不穏な世界への門のようだった。

僕の父親が香川県の出身なので、子供の頃から夏休みにはよく四国へ連れてきてもらっていた。まだその頃には橋はかかっていなかったので、瀬戸内海はフェリーで渡るものだった。フェリーの中で食べる讃岐うどんがおいしくて、その味が四国への入り口だった。僕にとって香川は、そんな幼い頃の夏の思い出につながっている土地だった。

今日の目的地は、高松から30分ほどのところにある仏生山という町で、ゲストトークをお願いしている松村亮平さんが仲間と運営している『へちま文庫』が会場だ。

『へちま文庫』は、木造の古い建物をリノベーションした本と雑貨とカフェの店で、店の前の「へちま棚」からは大きなへちまがいくつもぶら下がっていて不思議な光景をつくっている。

松村さんと合流すると、僕たちは、滞在させてもらう『彫刻家の家』に案内された。松村さんは、『こんぶ製作所』という名義で地元、仏生山在住の建築家である岡昇平さんと一緒に建築要素の多い仕事をされている。『彫刻家の家』は『こんぶ製作所』の仕事として、仏生山と東京の二拠点生活をしている彫刻家のために古い住宅をリノベーションしたものだ。
板塀でぐるりと囲まれた家は中に入ると、床板の一枚一枚から全ての家具にいたるまで手作りされたこだわりの塊のような空間となっていた。

松村さんは、いくつも屋号を持つ家具職人だ。すでに出た、『へちま文庫』『こんぶ製作所』の他に、義理の父親の仕事を受け継いだ『田中風呂製作所』、それに自分自身のプロジェクトのための『ANTIPOEME』という名義もある。

HLC高松のイベントでの松村さんのプレゼンテーションがとてもおもしろかった。ぜひ、Youtubeにアップされている動画をご覧になっていただきたい。その中で、松村さんが口にした「お世話になった山」という表現がとても良かった。

松村さんには、小学生の時から現在まで、その時々によく行った山の話をしてくれた。そのどれもが、通学路の途中だったり、友達の家の近くだったり、職場の横だったりする、ごく近所の標高にすると100m程度だったりする山々だ。ハイキングに行くとういうよりは、友達との遊び場だったり、休憩時間を過ごす場だったり、本を読みに行く場所としての山だった。松村さんは、このHLCの旅のゲストスピーカーの中では、もっとも地元の山と自身の生活を結びつけて語ってくれたひとりである。

普通を超える「アンチ」

僕は、峰山という高松市内にある小さな山の麓にある松村さんの作業場を訪ね、プレゼンテーションのときには聞くことができなかった、松村さんの家具職人としての話を聞かせてもらった。

「いくつかの家具工房で家具製作の経験をしながら自分の家具を作るようになって、そうすると、人に説明するために名前が必要になってきたんです。そこで『ANTIPOEME』って名前にしたんです。これは北園克衛さんという、僕が好きな詩人がいて、その方が自身の詩のことを『アンチポエム』って言ってたんですよね。それは否定的なアンチではなくて、超越するとか、詩を違うところに持っていくみたいな感じで使っていたんです。その言葉が気に入って、勝手に拝借させてもらっています。」

ほんわかとした松村さんの雰囲気と「アンチ」という言葉のギャップがおもしろかった。これ以上はないというくらいにシンプルで、研ぎ澄まされたデザインの『ANTIPOEME』の家具からもそのギャップは感じられるというと失礼だろうか。

「作るのがいちばん簡単な家具がテーブル……つまり「台」ですよね。食事したり、物を書いたり、作業したりするときの台で。人が、木や石を切り出してきてを台にするということは、もう何千年も前からやっていること。そういう普遍的なものだけど、そこに何か自分らしさを出すことっをずっとやっていたんですね。普通の形のテーブルだけど、その普通さを超えて自分らしいものができるのかっていうことを、ずっと実験してきた感じです。」

僕は、昔、大阪で『graf』という会社を仲間と一緒にやっていたときのことを思い出して懐かしくなった。その頃は、毎晩、毎晩、みんなでずっと家具のことを話していた。

「独立して10年くらい(2017年の取材当時)、会社で勤めていた頃から考えると、家具製作歴が16年になりました。まだ、こうだっていうのは言えないけど、『へちま文庫』にある、真ん中にウォールナットを使った四角いテーブルを見ていると、昔からそんなにテイストが変わらないって思います。『彫刻家の家』は、僕が10数年間家具を作ってきた中でのまとめみたいな感じで作ったものなんですよ。そのあたりに、今の僕の感じが出ているかなって思っていますね。」

松村さんは少し照れた感じでそう話した。具体的でわかりやすい特徴があります、というより、全体のたたずまいとバランスみたいなことだろうか。

「ものとしての美しさが大切だと思っています、それでいて、家具としては機能するというところだと思います。」

松村さんはきっぱりと言った。家具の形をしているが、彫刻的要素の強いアプローチでの製作なのだろう。
極端な話、見ているだけで満足するような美しい椅子もあるだろう。『用の美』とはいうが、壺を飾ったりもすることを考えると、椅子を飾っていても良いのかもしれないなどと、僕は松村さんの話を聞きながら思った。

しばらくはこのままで

松村さんの作業場では、弟さんが仕事を手伝っていて、作業の音が僕たちの話の邪魔をしないように控えめに木槌を打つトントンという優しい音が聞こえた。僕は、『田中風呂製作所』の仕事についても聞いた。

「風呂づくりは、義理の父親の仕事だったんですが、誰も後を継ぐ人がいなかったので、そのうちに僕が引き継がせてもらおうと思っていたんです。でも、お義父さんが、急に病気になって亡くなっちゃたんですよ。」

松村さんは、少し悲しそうな表情で言った。まさか、そういう話だとは思っていなかったので僕は驚いた。

「病気がわかってからの3ヶ月間くらいは本当に真剣に教えてもらい、四角い風呂は作れるようになりました。お義父さんが、亡くなった後も、2、3ヶ月分の注文が受けたままで置いてあったので、お客さんに事情を知らせたうえで、僕が作らせてもらいました。その後も問い合わせや注文が来るので、このタイミングで会社を引き継がせてもらうことにしました。今は、月に1週間から10日程度、高知に行って風呂の製作をしています。」

全てを家の周りで済ませている松村さんにとって高知は遠すぎるように思えた。

「丸い桶風呂は、作り方を途中までしか習ってなくて、まだ完全にはできないんです。それを作るための治具だったり、道具だったりが全部向こうの工場にある。もう、桶風呂の作り方を教えてはもらえないけど、その治具を頼りに自分で少しづつ探していこうと思っています。そういうことを含めて、高知でやったほうが良いんじゃないかなって気持ちがあって。仕事的にいうと、絶対まとめてやったほうが効率が良いんですけど、しばらくはこのままやってみようと思って高知へ通っています。」

このあたりの、間合いの取り方というか、自分の中でのバランス感覚が松村さんならではの感じがした。松村さんにはお子さんが3人いて、家族と仕事とのバランスというのも、彼独特のやり方の上に成り立っているのだと思う。

半径5kmの宇宙

「家族は仲良く楽しく暮らしていければ良いと思ってます。僕自身はほとんどそういうのがなくて。目標だったり、将来的な願望みたいなのが、本当にないですね。」

とは言え、家族も養わないといけないし、そのためには仕事で利益を上げていかなければならない。それなりにノルマはあるだろう。

「受注系の仕事やから結構、入ったら大きいかもしれないですけど。ない時は本当になかったりしますからね。」

松村さんは、そう言って笑った。

「最初はもちろん不安でした。最近は、自分が満足というか、楽しくできる仕事が増えてきたので、それはすごく嬉しいんですけど。やっぱり振り返ると、よくやってこれたなって自分でも思います。ビジネス的な計画性もないし。ちゃんとブランディングして、家具もカタログ化してやっていくやり方も、いろんな人にアドバイスをもらったけど、自分としてはやりたくなくて。僕は、同じものをたくさん作るよりも、ひとつひとつを考えながら作りたいって思っています。売れてお金が稼げるのはもちろん嬉しいけど、そのために独立したわけじゃない。ものをつくるってこと自体に歓びを見いだしたいなって思っています。」

これもまたバランスの話だろう。ふと、松村さんは自分の家の家具は作るのか気になって、僕は尋ねた。

「間に合わせが多いけど、作りますよ。子どものデスクとかも、上のふたりの分を最近作りましたからね。」

松村さんは、楽しそうに笑った。切羽詰まった感じのない、松村さんの雰囲気の中に秘訣があるような気がした。保証はないかもしれないけど、それで思いつめるようなこともない。それは、言葉にするより難しいことだろう。綱渡りみたいな人生だろって言う人もいるかもしれないが、綱渡りがすごくうまいサーカスの人もいる。綱渡りを一生懸命練習すれば、綱が綱じゃなくなる可能性もあるだろう。逆に、道をただ歩いていて転んで大怪我する人もいる。

最後に僕は、今いるところ以外に行ってみたいところはあるのか聞いてみた。

「ないですね。」

ニコニコとしながら松村さんは言った。

「昔はよく引っ越しをしました。と言っても、高松市内です。引っ越して住む場所が変わって、新しい家の周りを散歩したら新しい視点を得たことに気がつく。近くだって、道一本入ったら知らないところがたくさんあって。山もそんな感じで、この辺の山で満足できちゃう自分がいる。この裏にある、峰山だって、まだ行けてないところもあるので、そこに行くのを楽しみにしています。」

半径5km以内で完結していそうな、松村さんの極端にローカルなあり方が心地よかった。

「ずっとこの辺に住んでいて、讃岐がどうこうってことはないんですけど、良いところだと思ってます。」

顕微鏡のミクロの世界と望遠鏡のマクロな世界、どちらにも等しく新しい発見がある。讃岐のローカルを密に見つめることで世界を知ることもできるだろう。松村さんの話やあり方は、仕事の仕方や生き方とも整合性があって、腑に落ちる。僕は聞いていてとても気持ちよかった。

話を聞かせてもらったあと、松村さんは裏の峰山にある古墳へ案内してくれた。木漏れ日の中に崩れた石積みがキラキラときれいに照らされていた。

僕たちは最後にもう1杯うどんを食べて旅立つことにした。讃岐うどんに関しては僕の持論があるのだけれど、これはまた別の機会に。

【#20に続く】

「お世話になった山の話」松村亮平

子供の頃から時代ごとにある松村さんの「お世話になった山」と、小説に出てくる山で、特に気に入っているヘッセの山のことについて。

松村 亮平(まつむら りょうへい)

1977年生まれ。香川県在住。「ANTIPOEME」として家具の設計から製作までを手がける。他に「田中風呂製作所」として木風呂を製作。また、空間などの設計、製作を行う「こんぶ製作所」、古書店「へちま文庫」の運営などの活動をしている。
子供のころから、近くの山や池に行き、本を読んだり意味もなく過ごすのが好き。今の仕事場も山の中腹。真横に池もある。
ANTIPOEME URL:http://www.antipoeme.jp/

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  • 豊嶋秀樹

    豊嶋秀樹

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    作品制作、空間構成、キュレーション、イベント企画などジャンル横断的な表現活動を行いつつ、現在はgm projectsのメンバーとして活動中。 山と道とは共同プロジェクトである『ハイクローグ』を制作し、九州の仲間と活動する『ハッピーハイカーズ』の発起人でもある。 ハイクのほか、テレマークスキーやクライミングにも夢中になっている。 ベジタリアンゆえ南インド料理にハマり、ミールス皿になるバナナの葉の栽培を趣味にしている。 妻と二人で福岡在住(あまりいませんが)。 『HIKE / LIFE / COMMUNITY』プロジェクトリーダー。

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