角田裕子のULハイキング研修:開通したての「ふくしま浜街道トレイル」をロンリー★スルーハイキング

2024.02.06

社是としてスタッフには「ハイキングに行くこと」が課される山と道。「願ったり叶ったり!」と、あちらの山こちらの山、足繁く通うスタッフたち。この『山と道トレイルログ』は、そんなスタッフの日々のハイキングの記録です。今回は、山と道材木座スタッフ角田裕子が、社内で昨年から始まった「ULハイキング研修制度」を利用して、2023年の9月に開通したばかりのふくしま浜街道トレイルを8日間かけて歩いたストーリー。

「あまりプランを立てずに、もっと自由な旅がしてみたい!」と、あえてまだ情報の少ないふくしま浜街道トレイルに飛び込んでみた角田ですが、福島の予想以上のクルマ社会っぷりに誰とも出会わないどころかすれ違いもせず、さらに11月末の南東北の寒さにもすっかり身も心も冷やされ、あわや「寂し死」寸前にまで追い込まれます。でも、そんな道中にもキラキラした瞬間は確かにあったりして。

ただ楽しかっただけの旅よりも、大変なことばっかりだった旅の方が思い出深いもの。どうぞ角田の旅にお付き合いを!

はじめに

ひとりで歩くのが好きだ。気ままに動けたり、歩きながら悶々と考えてみたり、自然と1対1で向き合えたりできるのが気に入って、山にはひとりで行くことが多くなっていた。寂しさを感じることもあるけれど、その時々で偶然に会った人たちと話をしたり、一緒にお酒を飲んだり、ちょっとした一期一会な出会いが寂しさを埋めてくれて、後々真っ先に思い出すのはその人たちのことばかりだ。けれど、山と道で働くようになってからは、山にスタッフと一緒に行く機会が増えて、ひとりで長く歩くことの楽しみ方を少し忘れてしまっていたみたいだ。

山と道材木座スタッフと行った常念岳にて。

そんな私が山と道の社内制度「ULハイキング研修(スタッフは研修、つまり仕事として1週間以上のハイキングに行くことが課され、こうして発表もしなくてはならない)」に選んだのは、福島の太平洋沿いを縦断する全長約220kmの「ふくしま浜街道トレイル」。昨年9月末に開通したばかりで、通称はFCT(Fukushima Coastal Trail)という。

今まで歩いてきた山やロングトレイルは必要な情報が簡単に手に入った。心配性で慎重派すぎる私は、全てを調べ上げる勢いで情報を集めて出発することが多い。ひとりで行っても安心できるようにするための保険みたいなものだ。でも、頭の片隅では、それってちょっとつまらないなとも思っていた。FCTなら街も通るし、電車もある。調べることは最低限にして、あとは歩きながら決めてもどうにかなりそう。

実は、私は震災後に猪苗代町の安達太良山麓のロッジで働いていた。山が近くて、好きな東北で、温泉が最高だったことが理由だけど、それまでがっつり働いていた自分へのご褒美的な気持ちと、住むことで福島の復興に少しでも役に立てたらと思っていた。会津地方は震災や原発事故の被害の大きかった浜街道からは離れているのであまり影響はないと思っていたけれど、除染廃棄物を詰めたフレコンバッグもあったし、仮設住宅もあったし、大きめの余震もたびたびあって、すぐ近くで起きたことなのだと思い知らされたことを覚えている。

その当時は帰宅困難区域になっていた浜街道の今を見てみたかったこともあり、必然的にふくしま浜街道トレイルに行くことを決めた。

旅立ちから前途多難⁉︎

11月20日。まだまだ認知度の低い新しいトレイルを地元の方にも知ってもらいたい。FCTで出会う人たちに少しでも広めていくんだ! という謎の使命感を持って辿り着いた北の起点・新地町の磯山展望緑地には何もなかった。トレイルの起点がわかるものを探してみたけど、見つからなかった。たまたま自分の誕生日と同じ海抜表記を見つけて、これでいいやと写真を撮って歩きはじめた。

磯山展望緑地からの太平洋。

自分の誕生日と同じ海抜表記と記念撮影をして歩きだす。

ルートは海に近い新しい舗装路と、内陸側へ入って懐かしさを感じる田舎道を行ったり来たりして歩いていく。ソーラーパネルや畑の間を進んでいく海沿いの道と、畑や田んぼを通りすぎる内陸側の道。クルマは通り過ぎるけど、歩いている人は本当に見かけない。すっかり忘れてたけど、福島ってクルマ社会だった。嫌な予感しかない。大丈夫かなぁ。

これから目指す山を見ながら進む。

歩いている人に出会うことなく、FCTで唯一の山・鹿狼山に入る。紅葉の時期だったこともあって、平日でも多くの人に出会った。すれ違いざまにする挨拶だけで、なんだこの安心感。山の挨拶って精神安定剤みたいだったんだ。山頂近くで休憩中に福島県内から来ていたご夫婦と話をすることができた。

私がふくしま浜街道トレイルを歩いてると言うと、「最近できたところだよね、知ってるよ」とすでに開通していたこともご存じで、浜街道や近郊の山などの写真を見せてくれながら、色々と教えてくださった。嬉しくなって時間を忘れて話してしまった。

鹿狼山の山頂からの景色。

山を下りてから再び単調なロードを進んでいると、浜街道北部の大きな街・相馬に着いた。街に入ると歩いている人は増えたけど、かえって声をかけにくい。時間も早く流れているように感じて居心地が悪い。前から来た優しそうなお母さんに「こんにちは」と声をかけてみるも、怪訝そうな顔をされてしまった。「あ、違ったな」と思い、軽く会釈をして通り過ぎる。それ以来、街なかで声をかけられなくなってしまった。買い物を済ませて、そそくさと相馬を後にした。

いたる所にあるソーラーパネル。

永遠に受け続けるボディブロー

桃内駅から浪江駅に向かうトレイルから30分程離れた場所に古民家キャンプ場があることを見つけたが、あいにくその日は担当者が不在で断られてしまった。泊まる場所どうしよう。脳内が寝床の心配に侵されて、それだけしか考えられなくなってきた。目の前のトレイルを全く楽しめてない。かといって、「家に泊まっていいよ」的な出会いもなければ、そもそも人に会わない。

のどかなトレイルをのんびりと歩いているようで、悩みすぎている頃。

悶々と悩みながら歩いていたら、以前に読んだ加藤則芳さんの『メインの森をめざして-アパラチアン・トレイル3500キロを歩く』の中に「スラックパック」というハイキング方法が書かれていたことを思い出した。宿泊地に荷物を置いて軽荷でセクションを歩く方法だったと思う。それならFCTは割と近くに電車が通っているし、数日後に泊まる予定にしていたキャンプ場に連泊をしちゃえばできる!

「それって私がやりたかったこと?」一瞬頭によぎったけれど、これも経験だし、トレイルを楽しむことが優先だ。やってみようと思ったことに素直に従ってみよう。こうしてスラックパックという名のFCTへの電車通勤が始まった。

連泊していた天神岬スポーツ公園キャンプ場。

電車は1時間に1本。時刻表とその日歩く距離を考えて、効率的なスケジュールを組む。FCTは帰宅困難区域の双葉町、大熊町の一部を横切るため、その区間だけ電車で移動するようにルートが設定されていて(2024年現在)、それも考えながら、前日終了した駅まで戻って歩いたり、途中でまた電車に乗って2駅先に進んで歩いたり。

翌日歩いていないトレイルの駅まで戻って歩いて、また電車で少し移動する。時間が許す限り歩けるように地図を見ては時刻表を確認する。2時間サスペンスの電車のトリックを考えているようでわくわくする。いつか本当にトリックができそうな気さえしてくる。

一筆のように通して歩くことへのこだわりはないし、どんな方法であれ全部歩ければいいじゃん。なんなら、全部歩かなくても自分が納得できればそれでいい。

「スラックパック」という名のFCTへの電車通勤。

駅で迎えた日の出。

少し無理矢理感は否めないけれど寝床問題は解決した。けれど相変わらず人と会わないロード歩きが続き、「FCTを知ってもらいたい」という思いもだんだん薄れてきている。伝えられないもどかしさ。「旅にハプニングはつきもの」って言ったやつ誰だよ。なんもねーよ。スペインのカミーノ(サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路)を歩いてた時もそんな感じだったし。仕事に行くのが歩くことに変わっただけで、ただの日常だよ。

半ば自暴自棄になっている自分にこれでもいいんだと言い聞かせてみるけど、やっぱり寂しさはなくならない。思い返してみたら、初日に鹿狼山でお会いしたご夫婦以来、まともに会話をしていないかも。

こんなに人と会わないとかある?

もしかして市町村単位で避けられてる?

山の中ならともかく、ロード歩きで会わない寂しさは、ボディブローのように地味に、そして確実に私の心にダメージとして効いてきていた。話したい。酒飲みながらくだらないことで笑いたい。

震災の影響がまだ色濃く残っている双葉町や富岡町の夜ノ森駅周辺に入る。震災遺構の小学校や原子力災害伝承館など、東日本大震災で福島に起こったことを伝えるための施設が新しくできている反面、荒れ果てた工場、銀行、美容院、民家などを至る所で目にする。人が通らずに草が生えて、でこぼこになってしまった歩道が歩きにくい。クルマで通り過ぎてしまったらわからなかった。歩いているからこそ気がつけた。

日常が一瞬にしてなくなってしまったのは、どんなに辛かっただろう。帰宅困難区域に設定されていた期間が長かったこのエリアの復興は、これから進んでいくんだろうな。

震災遺構として保存されている浪江町立請戸小学校。

雑草に覆われてしまった双葉町の家屋。

放置されたままの夜ノ森駅前のゲームセンター理想郷。

こんな偶然あるんだ!

楢葉町の細い道を歩いていたら、横を通り過ぎたクルマが前で停まった。「え、なに?」たじろぐ私に、クルマから降りてきた4人。山を歩いてる人っぽい感じがするけど、見覚えはない。誰?

緊張感のある間の後に「ふくしま浜街道トレイルを歩かれてるんですか?」と話しかけられる。「そうです。ご存じなんですか?」とFCTを知っている人に会えた嬉しさで緊張はすぐになくなった。4人は、ふくしま浜街道トレイルのルート作成にも関わられた写真家の中島悠二さんと以前にPCTを歩かれたハイカー3人。楢葉町に在住の中島さんが3人に近くのトレイルを案内するところだったそうで、数分違ったら会わないような奇跡的な出会いだった。

こんな偶然あるんだ! しかもFCTの全てを知ってる人とか最高。色々聞きたいし、PCTの話もしたい。話したい気持ちが前に出ちゃって、うまく言葉が出てこない。舞い上がりすぎて、何を話したのかあんまり覚えていないけど、名前を聞かれて「山と道材木座スタッフの角田です。よろしくお願いします」とインスタグラムのライブ配信の『山と道オンライン相談室』でいつも言っている自己紹介をしてしまったことは、恥ずかしすぎてはっきりと覚えている。「歩いてみてどう?」と聞かれたので、歩いていて感じたことや、これがあったら嬉しいなとか、思いを伝えることもできた。

嬉しすぎる出会い。右端が中島さん。

4人とバイバイして再び歩き始める。「元気をもらったなぁ!」って思ってたけど、またひとりになってしまった寂しさと、それまで受けていたボディブローが完璧に効いて、それまで以上に落ち込んでしまった。いよいよ情緒も不安定になってきたのか。もやもやしても仕方がないので、取り急ぎ、工事現場入口の警備員のおじさんと軽く話して寂しさを紛らわす。たくさん工事現場を通った今回の旅で、いちばん話をしたのは警備員さんかもしれない。

ブタクサ畑のようになってしまった放置されたままの工場。

その日の夜は寒波の影響で風が強く、気温も一気に下がった。昨日は賑やかだったキャンパーも焚き火をせずにテントの中にいる。静かすぎる。私は、風が強すぎて火がつかない固形燃料と戦っていた。全然つかない。「寒いしあったかいごはん食べたーい!」とか思わなければお湯なんて必要なかったのに。どうしても火をつけたい。

キャンプ場の炊事場に行き、風の影響が少ない場所を必死で探す。風は全方向から吹いてくる。死角は無い。もう無理! でもここまできたら負けられない! あったかいご飯も食べたい! かまどの隅っこでライターの着火レバーを回し続けて、やっとついた。でも気温が低いのと強風で全然お湯が温まらないので、2個目の固形燃料を投入。風防でカバーできない方向からの風を手で避けながら必死でお湯を沸かす。

2個目の固形燃料が終わりかけた時には、沸騰はしなかったけどなんとか温かいお湯になっていた。もうこれでいいや。それなりに温かいご飯を食べられたけど、長時間外にいて冷え切った体と寂しさは回復せず、ついに思ってしまった。私、何やってんだろ? とりあえず寝て忘れよう。

シュラフに潜り込んでみたが、氷点下まで落ちてそうな気温に夏用シュラフで寒すぎる。ダウンジャケットと最強のカイロ・マグマで応戦するも勝てなかった。その夜はほとんど眠れなかった。

またキャンプ場で朝を迎えた。

求む! ぬくもり‼︎

6日目、私は朝から限界を迎えていた。この装備じゃ寒波に勝てない! 寒い! あったかい布団で寝たい!  ひとり寂しい! 人に会いたい! 

天気予報ではこの日も寒波で、昨日と同じくらいの寒さが予想された。朝から折れっぱなしの気持ちは戻らず、早々にテント泊を諦めた。スマホで宿を探したら、ちょうどいい場所に古民家ゲストハウスを見つけた。トレイルから30分ほど離れているけど、アットホームな予感しかない宿の写真はいま私が求めているものが全て詰まっているようで、すぐにそこに決めた。

広野町に入るとサッカーでお馴染みのナショナルトレーニングセンター『Jヴィレッジ』の中を通り過ぎる。朝からたくさん人がプレーをしている。全体的に爽やかすぎる。明らかに場違いな姿をした私は気配を消して足早に通り過ぎた。

全体的に爽やかすぎたJヴィレッジ。

FCT最後の市町村になるいわき市にやっと入った!

その後、トレイルは『いわき七浜海道』という海沿いのサイクリングロードに入っていく。全長約53kmの内、体感で9割くらいは歩いたと思う。海を横目に歩くトレイルは心地いい風が吹いて、最高に気持ちが良かった。最初は。

とにかくまっすぐだったいわき七浜海道。

しっかりと整備されたサイクリングロードはとにかく真っ直ぐだった。ずっとこんな感じなの? どんなに進んでも、曲がらない道。自転車が2時間に1台くらいだけ通り過ぎるサイクリングロードを黙々と進む。「はい、もう真っ直ぐはお腹いっぱいです!」と投げやりになった頃にゲストハウスに向かう分岐に着いた。

予想通り、ゲストハウスは居心地の良い古民家で、宿泊者のみんなで囲炉裏を囲んで遅くまで飲んだ。私の他には、クルマで5分くらいのところから来た親子や、福島県内から来られた方、ご実家が近くの方、神奈川から息子さんの野球の試合を見に来られたご夫婦、薪を使ったお風呂の営業をされている若い青年など、いつの間にか親戚の集まりみたいな感じになっていた。文字通りのアットホーム! 周囲から聞こえてくる会話が冷え切った心を心地よく満たしてくれて、もう歩きたくない、明日ものんびりしたいと思ってしまう。

みんなFCTのことは知らなかったけれど、私の話を興味深く聞いてくれた。もちろん暖かい布団でぐっすり眠れて体も気持ちも満たされた。

おばあちゃんち感たっぷりの古民家ゲストハウス。

ゲストハウスの囲炉裏。圧倒的な居心地の良さ!

翌日はみんなに見送られて歩き始めた。本当に親戚みたい。すっかりリセットされて初日のような晴れやかな気持ちになっていた。残り2日間は全力で楽しもう! この日はFCTを歩き始める前から連絡を取り合っていたHLC福島(を勝手に名乗っている馴染みのお客さん)のメンバーと久々に会えることになっている。さぁ、さっさと歩いて今日も飲むよ!

30分かけてトレイルに復帰したあとは、昨日と同じサイクリングコースを歩いて行く。ずっと海沿いの同じ景色で、どんなに素晴らしい景色であっても退屈してくる。気分転換に砂浜を歩いてみたり、のんびりしてみたり。でも、だんたんと考えることもなくなってきて、気がつけば無心で歩いていた。頼む、早く着いてくれ!

釣り人にも声をかけてみるけど、波音に負けて全然届かない。

まだまだ続く相変わらず真っ直ぐなサイクリングロード。

連日のロード歩きの疲れでペースが上がらない。足重っ! 進みたいのに進まない。気持ちだけが焦る。

予定より2時間近く遅れて、「その日はここにいるよ〜」って教えてくれた小名浜で行われていたイベント『満月ワインバー』に到着。「お久しぶりです!」と声をかけると「うわ〜、よく来たね!」とHLC福島のメンバーが温かく迎えてくれた。私が来ることを知らなくて「え? なんでいるの?」って驚かれたり。知らない土地で知っている人に会える嬉しさと心強さって、本当にすごい! みんなの温かさを吸い取るようにして元気になっていく私は、HLC福島メンバーや、数日前に会った中島さんのお友達(私が歩いていることを聞いていたそう)たちとたくさん話して、おいしいワインを飲み続けた。

その日は、連絡をさせてもらっていたHLC福島のシンさんのお家にお世話になって、翌朝はかおりさんのおいしい朝ご飯をいただいて、さらに前日歩いたところまで送り届けてもらった。

満月ワインバーでHLC福島メンバーと。

お世話になったシンさんとかおりさん。シンさんは『となりのハイカーさん』にも登場している。

最終日は工場地帯をひたすら進んでいく。頻繁に通り過ぎるトラックの排気ガスが臭い。この場を早く抜けよう。あとひと山越えればFCTの南の起点、勿来海岸に到着する所まで来た。終了のカウントダウンを感じながら、FCTを振り返ってみたり、今日この後どうしようかなぁとか考えてみたり。

工場に向かって進む道。

最後の地下道を抜けると、ゴールの鳥居が見えてきた。終わっちゃったな。ビールを飲みながらしみじみと思い出に浸るつもりでいたら、鳥居の奥の島で若い男の子のグループが上裸で踊って騒いでいる。感動したいこの気持ちをどこに持っていったらいいのよ。最後まで思うようにいかなかったな。

南のターミナス・勿来海岸の鳥居に到着。

おわりに

開通したてのトレイルは手強かった。トレイルの道標も全く無いので毎日道を間違え、自由になりきれないつまらない自分に嫌気がさし、人に出会えず孤独にロードを歩く日々。

つらくなったことも多かったけど、震災の影響が大きかった浜街道が復興していく様子と、まだまだ道半ばなところも見れて、浜街道もふくしま浜街道トレイルも数年後にどう変化していくのか、また来てみたくもなった。

ハプニングも何も起きなく、どうすれば私らしく自由に楽しく歩けるんだろうと悩み続けた毎日。生活をするように歩いた私の8日間はほろ苦い思い出として忘れられないものになった。でもこうして書きながら思い返してみると、キラキラした瞬間も意外にあったな。

この原稿を書いている最中に山と道JOURNALS編集長の三田から「もっと感情を出して書いてみて」と言われて、「書いてるつもりなんだけどなぁ」と考えていたら、自分には置かれた状況をある程度スポンジのように吸収し、受け入れてしまう性質があることに気づいた。

それは多分、幼き頃の私が処世術として身につけたものだったのだけれど、そのおかげでつらいことも嬉しいこともまずスポンジが吸い取ってしまい、吸いきれなかった感情だけが自分の感情として表に出てくる。つまり、まわりからは淡白な性格に見えるらしい。

この研修後、歩いている最中に酷くなった皮膚炎が原因で入院するしないの騒ぎになり、全身が痒い地獄のような1ヶ月を過ごした。おかげで旅の余韻に浸ることもできなかったが、その痒い話をしても、みんなからいまいち大変さが伝わらないと言われていたのは、それが原因だったのだろう。

私は淡白。間違いなく今回の研修でいちばんの発見だったと思う。

淡白だったんだ……私。

GEAR LIST

BASE WEIGHT* = 3.078kg

*水・食料・燃料等の消耗品を除いたハイキング装備を詰めたバックパックの総重量

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角田裕子
角田裕子
山と道 材木座スタッフ。 神奈川県小田原市出身。アウトドアとは無縁だった20代から一転、同僚に誘われるがままに山を登りはじめる。初めて登った北アルプスの景色に魅了され、ここで生活をしたいという気持ちが強くなり、山小屋で働きはじめる。その後、登山道具を扱う専門店での勤務を経て山と道のスタッフに。エベレスト街道とカミーノを歩き、ロングトレイルの楽しさの一片を知ったことで、より長く自然の中を歩きたいと思うようになる。夢は日本のどこかでトレイルエンジェルをしつつ、永遠のバックパッカーを自称する夫と世界中を旅をしながら歩くこと。
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