【蔵出しインタビュー】
2011年の山と道

『山と道JOURNALS』を本格始動するにあたって、JOURNALSの編集を務める三田正明が、2011年に山と道の夏目夫妻に行いながら、これまでお蔵入りになっていた山と道にとって初めてとなるロングインタビューの模様をお届けします。

このインタビューは、当時創業から1年たらずで、まだすべての業務を夫婦で自宅で行う「コテージインダストリー」であった山と道の姿を記録したものであり、また『山と道JOURNALSの始まり』の所信挨拶でも触れたように、夏目夫妻と三田との出会いの場でもありました。

2011年のインタビューであり、すでに当時と現在ではシーンの現状も、山と道を取り巻く環境にも、大きな変化があります。ですが、山と道がどのような経緯で始まり、そこにどのような思いがあったのか? それから6年の月日が経った現在、何が達成され、何が未だ道半ばなのか? その原点を記録するものとして、この『山と道JOURNALS』始動のタイミングでの掲載が最適と判断しました。

久々に読み返してみて、ここで語られていた山と道の理想や目標が、今でもまったく変化がなく、そして確実に現実になっていたり、なりつつあることに、改めて驚きを禁じえません。ものづくりの仕事に限らず、これから独立を考えている方、新しく何かを始めようとしている方々に、このインタビューが何らかのヒントになれば幸いです。

山との遭遇

ーー夏目さんは山と道を始められる以前、『ガスブック』というアートやデザインを様々な形で紹介する会社にいらしたわけなんですが、そこからULハイキングのガレージメーカーを始めるというのは、結構大胆な人生の変化だとおもいます。今日は、なぜ夏目さんたちがその決断に至ったのか、その経緯からお聞きしたいのですが。

夏目 それにはいくつかポイントがあるんですけれど、ひとつはまず、山が好きだった。できるだけ山に触れていたいし、山を歩きたかった。その当時、僕は会社員だったんですけれど、それだと時間は拘束されるし、自由には山に行けない。だから、できる限り仕事を山に近づけていって、自由に山に行けるような生活をしたかった。あと、自分はそれまで『ガスブック』で世界中のアートやデザインに触れる仕事をしてきたんですが、山にはまればはまるほど、山で使う道具の美しさやわかりやすさ……「使えるか使えないか」しかない、シンプルな世界に魅かれていったんですね。山の道具って、「自分がなぜこの道具を使うのか」ということを突きつけられている気がするんですよ。

ーーそうですね。いい道具って、メッセージを発してますよね。

夏目 「おまえは軽さを求めるのか、それとも丈夫さや利便性を求めるのか」とかね。そうすると、街で今まで触れていたデザインが、ひどく凡庸なものに思えてきたんです。表層的というか、何がいいか悪いのかということが、誰にでも説明できる一言でいえないというか。でも山の道具には、それが一言でいえるような潔さがある。そこにすごく魅かれたんです。

ーーそれは、たとえば夏目さんがガスブックで扱っていたようなアートやデザインの作品を見るのと同じような感覚で魅かれていったということですか?

夏目 そうです。あと、僕は音楽もすごく好きなんですけれど、山では音は聞こえてこないじゃないですか。でも、稜線でまったく何も見えないグレーの世界にいるときに、グワッと風が吹いて、いきなりものすごい青空とものすごい景色が広がる瞬間とかに、頭のなかでクラシックが爆音で鳴っているような感覚があるんですね。あと、子供のときに映画やアニメで見ていたような世界が……まさに宮崎駿的な世界が(山の上には)現実にあって、そこを自分が歩いている、冒険しているということの真実であるとか楽しさ、そういったこと全部ひっくるめて、本当にはまりました。

ーーそれはいつぐらいのことですか?

夏目 ちょうど雑誌の『スペクテイター』が、あの山特集号を出した前後ですよね。だから5~6年前?

ーーあの特集は2006年ですね。僕も山にはまっていったのは、まさに同じ時期です。僕もその号の制作に携わっていたんですが、あの時期は編集部周辺の人間がみんな山に登り始めて、一時期は編集部に顔出すとお互いが新しく買った山道具自慢ばかりしてるときがありました(笑)。山に登り始めた直接的なきっかけは何かあったんですか?

夏目 その前は海が好きで、ダイビングしに沖縄にはよく行っていたんですけれど、あるとき石垣島でカヤックツアーに参加して、無人のビーチでキャンプしたんですね。それがすごく良くて、「今度はこれを山でやってみたいな」と思ったんです。

由美子 単純にテントで寝たりするのが面白かったよね。

夏目 その前から山はずっと気になっていたんですけれど、それをきっかけにして、「やっぱり行かなくてはならない」と思ったんです。それで、最初は尾瀬に行ったんですけれど、「日本にもこんなに美しい場所があるのか!」って、本当にびっくりして。

ーー僕も山に登るようになって、日本が好きになりました。それまでは外国に行くと、いかに日本の国が変わっているか、奇妙なのか現地の人に熱弁をふるうみたいな感じだったんですけど、山に登るようになってから、「でも、日本の自然はすごく美しい」ということがよくわかって、やっと外国の人にも日本のよいところを語れるようになりました(笑)。

夏目 (指をパチンと鳴らしながら)そう、そこなんですよ! それが二番目で、僕も日本の自然に触れるようになってから、改めて日本の魅力を感じたんです。でも、その当時日本の魅力を海外にプレゼンテーションするなら、アニメやゲームか、あとはちょっとしたカルチャーしかないという感じで。

ーー僕も山に登るようになって、日本のこと知っているような気になっていたけれど、ぜんぜん知らなかったなって思わされました。それまでは「雄大な自然やすごい景色を見たかったら外国へ行かなくちゃならない」みたいな、変な先入観があったんですけど、それはただの思い込みだということがよくわかった。外国の山にもそれぞれの素晴らしさがあるし、日本の山にも日本にしかない独特の素晴らしさがある。

夏目 日本の自然って、充分お国自慢してもいいんじゃないかと思うんですよ。海外と比べてどっちが上か下かとかはないけど「オラが国の自然は素晴らしいぞ!」と。

ーー「愛国心」というのは僕はピンとこないんですけれど、「郷土愛」みたいなものはすごく感じるようになりましたね。日本という国の行政や社会システムにはいまだに違和感を感じる部分もあるけど、「日本の風土は大好き」って、素直に言えるようになりました。

夏目 そうですよね。だから、できるだけその良さを伝えていけるような仕事をしたいと思ったんです。で、田部重治の『山と渓谷』であるとか、戦前に書かれた山の本を読んでいると、いまみたいにアルパイン一辺倒じゃなくて、「山って面白い!」ということを発見している人たちの躍動感に溢れているんですね。べつに頂上を踏むことだけを目指しているわけじゃなく、渓谷や樹林帯も含めたいろんな山の面白さが等価値に描かれていて、僕はそれが山を自由に楽しむってことなんじゃないかと思うんですよ。それがいまは「縦走が偉い」とか「ピーク目指して」みたいな感じばかりが注目されている気がして、ちょっと違う気がするんですよ。

ーーメディアでの語られ方が追いついてない気がしますね。

夏目 たとえば山でキャンプするにしても、たくさん荷物持ってきて、重くて泣いている女の子なんかもたまに見たりするけど、なにしに来るのか、何を求めて山に来るのかっていうことが、違うんですかね。山歩きそのものを楽しみに来ている人は少ないんじゃないかな?

由美子 違っててもいいじゃないかと思うけどな(笑)。

夏目 ぶっちゃけて言うと、たとえばULの道具や、うちの道具にしても、「壊れそうで心配だ」とかよく言われるんですけど、「壊れてもいいじゃん!」って思うんですよ。むしろ「壊れるくらいの方が魅力的だろ!」「壊れるかもしれないけれど、軽いことによって得られる自由を選択する」っていうか。作っている本人が「壊れてもいい」って、本当は言っちゃいけないことなのかもしれないですけど(笑)。でも、僕はそういう選択肢があってもいいんじゃないかと思うんですよ。さらに言えば、たとえばこの道具は失敗だったとするじゃないですか。でも、失敗を知ることって、すごくいいことだと思うんです。それって自分の限界を知るということでもあるし、自分を知るということでもあると思うんですね。山に限らず、何かを突き詰めることってぼくはすごく重要なことだと思うし、生活のなかでそれをやろうとするとすごく大変だけど、山だと日常生活よりそれが体験しやすいような気がするんです。(由美子さんに)どう思う?

由美子 話がよくわからなくなってきた(笑)。

夏目 あれ、そう? ゴメン(笑)。

ーー(笑)。たしかに、実生活においてもみんな家を買ったり車を買ったり、学校に入ったり会社に入ったり、「何かを選ぶ」ことは常にしている気がするんですけど、山ではそれがもっと短い期間……例えば2泊3日とか一週間とかいうスパンで自分の選択が正しかったか間違っていたかがわかる気はしますね。

夏目 そうそう! そうなんですよ!

ウルトラライト・ハイキングとの遭遇

ーーでは、もう少し翻ってお話を伺いたいんですが、山登りやバックパッキングのカルチャーのなかで、特にULハイキングに夏目さんたちが傾倒していったのは、どのへんがポイントだったんでしょうか?

夏目 それはもうわかりやすく、まず、歩くとき軽いほうが圧倒的にいいんですよ。あるとき、ヘビーウェイトな装備で4泊5日で北アルプスの雲ノ平に行ったんですけど、その時に小屋泊で軽装なおじいちゃんおばあちゃんに抜かれていったりして(笑)。荷物のせいで目の前の景色を100%楽しめない自分がいて、「もっと気持ちよく歩けるはずなのに」って思いが、ずっと頭の中にあったんですね。その頃はもうウルトラライト・ハイキング(UL)は知っていたんですけど、「なんであんなストイックなことするの?」ていう印象があって、楽しそうに思えなかった」

ーーたしかに、ULって端から見たらマゾっぽく見える部分もありますよね(笑)

夏目 でもその時、「荷物を軽くしたい!」と思って。で、とりあえずタープとアルコール・ストーブを買って、ブラックダイアモンドのRPMという日帰り用のバックパックにどうにか外付けして全部入れて、ベースウェイトを4キロくらいにおさえて、八ヶ岳に行ったわけですよ。そうすると、当たり前ですけどものすごく軽くて、ものすごく自由だったんですよ。気持ちが素晴らしい景色に対して自由に(没入して)行けるし、気持ちよければ走ることもできる。で、タープを張ったときに、まわりが覆われていないから当たり前ですけど景色が見える。だから、太陽が沈んだら自分も寝て、朝まだ真っ暗なうちに起きだして、ガサゴソ荷物を畳んで出発してっていう、その間自然との一体感が途切れることなく続いているんですね。

ーー「ずーっと外にいる」感覚ですよね。

夏目 荷物の重さによる疎外感もなくて、自然との一体感、対話感が途切れることなく続いている。すべてがシンプルで、すごく楽しかったんですよ。「山歩きにとって、軽いことはこんなにアドバンテージなのか」と。それからはもう、重い装備には帰れないですね。「なんであんなに装備をたくさん持っていってたんだろう」って、恥ずかしさを感じるくらいで(笑)。

ーーたしかに装備の重さは、煩悩の重さみたいに感じるときがありますね。自分の不安とか欲望がつまってあの重さになっている。

夏目 それを一回断ち切った方がいいんですよ。でも実生活でそれをするのはなかなか大変なんで、山で一回断ち切ってみる。シンプルな暮らしというものを山で体験してみると、自信にも繋がると思うし。

ーーそうした経験がハイキングのスタイルだけでなく、夏目さんご夫婦のライフスタイルにも影響を及ぼした部分はありますか?

夏目 ありますね。まだそれを完全に実践できているわけではないし、頭でっかちな部分もあるけれど、やっぱりシンプルさってのはすごく大事だなと思うようになりましたね。何よりも小さいザック一個で、「あ、これだけで暮らしていけるんだな」って思うようになったというか。「小さなザックひとつで暮らしていける自信」って、僕はかけがえのない大きさだと思う。「こうじゃないといけない」って思いこんでいる人って、すごく多い気がするんですよ。それは山であろうと生活であろうと。大きい家じゃないといけないとか、いい車乗らなきゃとか、いい服着なきゃとか。でも、「そんなの誰が決めたんだ? それが本当に楽しいの?」って。

由美子 影響といえば、ある意味ここ(鎌倉)に引っ越したってのもそうかもしれないし、会社を辞めたってのもそうかもしれないですよね。それまではサラリーマンでお給料をもらってたわけですし。それに独立しても、たぶんデザインの仕事とかやってたよね?

夏目 まあ、何らかシンプルにするということはあったかもしれないですけど、ここまで自信満々に(笑)……シンプルにするというところまでは、行かなかったかも。

由美子 まさか、ここまではねぇ(笑)。

夏目 「シンプルで軽い方がいいよ!」って、ここまで確信を持って言えなかったと思います。もちろん、「軽い」って装備だけのことじゃないですよ。生活とかものの考え方とか全般で。でも、軽量化って何もかも軽くするということじゃなく、僕は選びとる行為だと思うんですよ。

ーー選びとる?

夏目 大事なことを選びとる。だから僕は借金もあるし、背負うものは背負ってます。でも、ハイキングの装備も「なぜそれを背負うのか」「それが自分に背負える重さなのかどうか」を考えることって、すごく大事なことじゃないですか? そしてハイキングで重要なのはその過程を楽しむことであり、ゴールじゃない。僕は、「みんなそこに一回戻ったほうがいいよ」って思うんですよ。

ーーそれが「BACK TO HIKE」(山と道初期に掲げられていたスローガン。現在もバックパックの郵送用袋に描かれている)であると。

夏目 そうです。

レイ・ウェイのバックパックでJMTを歩く

ーーそれまで夏目さんは『ガスブック』にいらして、まったく畑違いの世界に飛び込んだわけなんですけど、それまで針仕事とか、MYOG(=Make Your Own Gear。ギアの自作のこと)の経験はあったんですか?

夏目 僕はないですけど由美子は…

由美子 私は仕事でやってました。

ーーああ、そうなんですね! 

由美子 会社にも6年間ほど勤めていたんですけれど、それからはフリーでイベントやコンサート用の衣装を縫う仕事をしていました。でも山の道具を作ったのは、ふたりでジョン・ミューア・トレイル(JMT)に行く前に夏目がレイ=ウェイをネットで見つけて、「せっかくアメリカに行くんだし、こういうの持って行きたいね」って、バックパックとタープのキット(*)を取り寄せて作ったのが最初です。

ーーJMTに行かれたのはガスブックをやめられたタイミングですか?

夏目 ちょっと前ですね。

ーーじゃあ、JMTは山と道を始めるために行かれたわけじゃないんですね。

由美子 彼はその3年前くらいから色々調べてはいたみたいですけれど。

夏目 決断には至ってなかっただけで、独立はずっと考えていました。やっぱり日本の自然の良さを伝えられるような仕事に携わりたいとは考えていましたし、また調べれば調べるほど、海外のアウトドア・メーカーもみんなガレージメーカーから始めていることを知ってきて、 「みんなガレージメーカーから始まっているんなら、僕たちにもできるかも」みたいな気分もありましたけど。 

由美子 そんな!? そんな軽いノリだったの(笑)?

ーー(笑)。JMT歩いたときはどうでした?

由美子 あそこはちょっと違うっていうか、特別ですよね。なんか変なかんじなんですよ。人にも会わないし。朝早く起きて、何時に出てって生活リズムもできてくるし。山のなかにはいるんだけど、ちょっと違う。

夏目 日本の山と違うってこと?

由美子 ぜんぜん違う。疲れたら「じゃあ今日ここで寝ちゃおうか」ってかんじだし。

ーー違うっていうのは、「自由」ってことなんですかね?

夏目 どこで寝てもいいってのは、すごく自由ですよね。

由美子 環境的にはすごく厳しく管理されているんだけど、来ている人の意識も違う気がする。

ーー日本のメジャーな山域だと、どこかお客さん気分が抜けない気もしますね。「その場を自分たちが守る」という意識も希薄な気がします。JMTでレイ・ウェイのバックパックを作って使ってみて、率直にどんな感想をお持ちになりましたか?

由美子 あれは使わないと良さはわからないですよね。だってカッコ悪いもん(笑)。

ーー(笑)。由美子さんならキットを作るのは簡単でしたか?

由美子 意外と面倒くさかった(笑)。マニュアルも型紙とか図解じゃなく、言葉でダーッと説明しているだけじゃないですか。まずその英語を訳すのも大変だし。でも、素人でもあそこまで作らせてしまうのはすごいと思う。細かい部分の設計も、意外と気が利いているんですよ。

夏目 生地も普通の70デニールのナイロンだしね。「あ、これでいいんだ」って思わせてくれた。DIYのカルチャーなんだとすごく感じたんです。「じゃあ、DIYが基礎にあるカルチャーなんだったら、僕にも何かできるかもしれない」と思った。それでJMTに行って、僕が好きだったULの道具たちがアメリカのトレイルに合わせて作られたものなんだっていうのが、すごく実感できたんです。「この場所からこの道具たちが生まれてきたんだな」ということが。

ーーJMTで使うULの道具は、やっぱり快適だったわけですか?

夏目 快適だったし、腑に落ちたんですよ。もちろん「ここはもっとこうならいいのに」という部分もあるんですけど、すごく腑に落ちた。

ーー日本で使っていたらよくわからなかったけれど、アメリカのトレイルで使ったら「なるほど」という部分がたくさんあったわけですね。

夏目 たくさんありました。でも、日本のトレイルとアメリカのトレイルって違うわけですよ。「じゃあ日本のトレイルに合わせたULのザックって何だろう?」と考えた時に、どこにもなかったんですね。そのとき自分たちのやるべきことやできることが、明確にそこにあるんじゃないかなと思ったし、山と道を始める意義があるんじゃないかと思ったんです。

ONEのできるまで

ーーJMTから帰ってきて、最初にオリジナルのバックパックを作る段階で、「これは商品化のための試作なんだ」と思って作っていたんですか?

夏目 それはもちろん…

由美子 そうだったよね。

ーー最初から確信があったというか……

夏目 アウトドアの世界って、すごく公平だと思うんですよ。「いい道具はいい」という。でも、アートやデザインって、そこらへんすごく微妙じゃないですか。だからいい道具が作れれば、きっと人は振り向いてくれるはずだと。

ーー「自分には作れるはずだ」と?

夏目 もちろん、それはないとやっていけないですよね。

ーー由美子さんは端から見ててどうでしたか?

由美子 すごく自信満々でしたね(笑)。私は他に仕事もしてましたし、「まさかこんなものだけで食べていくなんて本当に言ってるの?」って思ってましたけど(笑)。

ーー「自分の理想のバックパックを作りたい」とか「アウトドアメーカーをやってみたい」って、いま山を歩いている男の子たちなら普通に妄想することのひとつだと思うんですけど、夏目さんがそれを実現化するにあたって やっぱり由美子さんの存在は大きかったですか?

夏目 むちゃくちゃでかいですね。

ーーそれを実現するためにまずミシンを習得しなくてはならないというのと、最も身近にプロでやっている人がいるというのでは、大きな違いですよね。おふたりの関係があったからこそ山と道が始まったというか。バックパックの試作は、具体的にはどういう作業から始めました?

夏目 それはまあアイデアをもとに試作を作って、それを元にまた改良を重ねてっていう繰り返しでしたけど。

ーー試作ひとつ作るのに時間はどのくらいかかったんですか?

由美子 本気出せば縫うのは一日でできますけど、最初のひとつを作るときはちょっと時間がかかりましたね。やりたくなかったんで(笑)。

夏目 でもパターン(型紙)を引いたらもっと時間はかかるよね。なんだかんだ一週間くらいかかったかも。

ーー(最初の試作品を見ながら)すでに最初の試作の段階からザック前面の二段組みポケットがあったり、山と道のバックパックの基本型はできていますね。

夏目 ULザックによくあるメッシュの大きな前面ポケットもいいんですけど、調べていくとメッシュも割と重いことがわかったり、JMTでもここにもうひとつポケットがあったら便利なのになあとよく思っていたんですね。で、これが次のふたつめ。

ーーあ、フレームが付きましたね。

夏目 この頃はまだいまのONEに使っているカーボンXフレームじゃないんですけど、横面のデザインなんかはもうほぼできてますね。

ーーフレームはどうやって作ったんですか?

夏目 それはアルミの問屋さんから棒の状態で取り寄せたのを曲げてもらいました。

ーー最初からフレームはうまく行きましたか?

夏目 わりと良かったですよ。これで屋久島に行きましたけど、「ぜんぜん背負えるじゃん」というかんじで。そんなふうにどんどん「これでいけるんじゃないか」となっていった。だから、最初はこれで行こうかとも思ったんですけど、でもこれだと独創性に欠けている気がして。もっとウチならではのオリジナルで突き詰めて考えたいなって思ったんです。

ーーたしかにいまZパックスなんかもフレームザックを作ってますね。

夏目 その頃Zパックスのはまだなかったけど、ULAはすでにやっていましたね。でも、最初に僕の考えていたのは背負子みたいなフレームにいろんなモジュールを付けられるような形なんですけど。

ーー素材はどう集めましたか?

夏目 最初はローカスギアのアウトドア・マテリアル・マートから買ったのかな? でも、海外のサイトからも買い集めました。この三つめのザックではヨットのセイルなんかに使われるスピンネーカーという生地を試してみようと思って、葉山のヨットのメーカーに行って生地をわけてもらったんですよ。それはすごく勉強なったよね。

由美子 勉強になった!

夏目 ヨットのメーカーもみんなガレージメーカーなんですよ。

由美子 セイルのガレージメーカーだよね。

夏目 で、この3つめでXフレームになりました。

ーーこれはもうほぼ完成ですか?

夏目 細かいとこ意外はそうですね。

由美子 でも、この頃はまだフレームが外に出てたんだよね。中に入れるというアイデアがまったく思いつかなかった…。

夏目 フレームの基部がヒップベルトの上に来ないとダメだと思っていたんですけど、いろいろ試すうちにそうでもないということがわかってきた。でも、最初はわからないですからね。バックパックの構造が最初はまったく理解できていなかった。それを何度も何度も細かい部分を直して調整してってやっていくうちに、だんだん見えてくる。

ーー夏目さんなりに見えてきたバックパックの構造の肝ってどこなんでしょうか?

夏目
 やっぱりフレームですね。フレームがもとから付いているザックもあれば付いていないザックもあるけれど、なくてもスリーピングマットを巻いて入れてやったりすればフレームになる。食料だって大きな袋に入れて背中側に板みたいに置いてやれば、立派なフレームになるわけです。何にせよいかに快適なフレームを作り出すか。それと、パッドの硬さもすごく重要で、本当は硬ければ硬いほどいいと僕は思うんですけど、硬すぎると体は柔らかいんで痛くなる。そのへんのバランスをフィッティングも含めてどうとるか。バックパックの歴史を三段階に分けると、最初はボッカさんの背負子みたいに肩甲骨の上に荷物を置いて、なるべく重心を高くして持ってたんですね。それだと荷物が重くなると安定しないし、長く歩くには快適性がない。じゃあ背骨のラインにしっかりフィットさせてあげて、腰骨で荷重を受けるようにしてあげれば20キロくらいの重さであっても安定して、長く比較的快適に歩くことができる。そういう快適性で腰骨に移ったんだと思うんですよ。それが3段階目に入ってULが出てくると、荷物がこれだけ軽くなればまた肩甲骨で持ってもいいんじゃないかという風になってきた。そういう状況のなかでまたオリジンを見直したりという状況だと思うんですね。

ーーそうですね。 レイウェイってほんとパンクみたいなもので、あそこで一度振り出しに戻って、また新たなスタイルを模索しているというか。

夏目 だからうちのONEは「そうは言っても肩甲骨だけだと疲れるでしょ?」と。だから背中全体をもっと使うようにして、レイウェイが最初のオリジンに戻ったとしたら、うちは2段階目のUL盤というか。Xフレームで背中全体の剛性を出してあげて、腰骨を中心にしながらも背中全体で持てるようにしてるんですよ。

ーー素材やパーツを探すのも大変ですよね

夏目 大変。だから、仕事をやめてからは「こんなパーツはないか?」って毎晩ネットの海をさまよっていましたね(笑)。でもまあ今は海外の便利なサイトがあって、クエストアウトフィッターズやスルーハイカードットコムで大概は揃えられます。スルーハイカードットコムではゴッサマーギアG4のパターンもダウンロードできるんで勉強になります。で、このザックを作っているときに山と道を正式に会社化したんですけど、ザックはまだ出せないけどマット(UL Pad15)の方はいけると思ったんですね。あれは最初は冬山での補助用マットとして考えていたものなんで、冬山シーズンの終わるゴールデンウイークまでにはなんとか出したいと思って。それで思い切ってバーンと発注したんですけど。でもユミちゃんは「本当にこんなマット売るの?」って言ってたよね。

由美子 ほんと冗談だと思ったんですよ。あんなただのグレーの飾りもないマット(笑)。リッジレストという素晴らしいマットもあるし、「こんなもん絶対に売れないから!」って(笑)

ーーでも、けっこう話題になりました。

由美子 なりましたね。で、ちょっと売れたね(笑)。

夏目 だから、そこには意味があったわけですよ! 冬山で寒くて泣いている人がたくさんいて、まだ誰もそこに解決方法を与えていなかったわけですよ。あのマットなら、冬山に2枚目のマットとして持って行っても苦にならない重さでしょ? そういうふうに、自分から見れば山の世界にはまだまだ足りない道具がたくさんあって、だからこそ真摯に勉強して、足りないものを作っていけばいいと思ったんですね。それだけで自分にとっては充分始める意味があったというか。

ーーたしか僕も山と道のお名前は『山より道具』(当時ULシーンの中心的存在であった寺澤英明氏による超人気ブログ)でマットが紹介されているのを見たのが最初だったような…。

夏目 だから寺澤さんのおかげなんですよ。ほんと。

独立の方法

ーー独立の際の資金はどうされたんですか?

夏目 お金はなかったですね。(会社を)辞めてからもしばらくはなんとかなるだろうと思ってたんですけど、あれよあれよという間に消えていきました(笑)。

由美子 早かったよね~。

ーー退職金はあったんですか?

夏目 退職金は僕は役員だったからないんですよ。だから少しの手持ちのお金と、あとは借金です。だから、どうにか早く商品化しなくちゃと必死でしたね。マットはどうにか商品化できましたけど、バックパックの方は完成ってなかなかないんですね。突き詰めていくと果てしないですから。そうしたら「どんどん出しながらステップアップしていけばいいんだよ」「アウトドアメーカーもみんなそうやって、お客さんからのフィードバックがあって成長してるんだからってことを何人かの人に言ってもらえて、だったらいまのひと区切りで、ひとまず自分が納得するとこまで行ったんで、じゃあこれで世に問おうかと。そんなこんなのうちにユミちゃんも「ほんとにこれでやってくんだ」ってなってったね」

ーー由美子さんは衣装制作のお仕事も続けていこうとはされてたんですか?

由美子 続けていこうとは思ってたんですけど…

夏目 辞めてもらいました(笑) そもそも僕の稼ぎで回ってた家なんで、そのお金が断たれた以上は早くこっちを軌道に乗せないとって(笑)。

ーーたしかにそれはそうですけど、大きな決断ですね。

夏目 最初は僕も何かしら前の仕事と並行してやって行こうかとも思っていたんですけど、まわりがそれを許してくれなかった(笑)。

由美子 「やるならやめろ」っていう感じだったよね。

夏目 そうそう。「やるならがっつりやらないとうまくいかないよ」って言ってくれて。それにお金を借りて事業をやっていくとなると事業計画書も書かなきゃならないし、やっぱり何かと並行してやるとなると融資もしてくれないですから。

ーーお金はどこから借りられたんですか?

夏目 保証協会付きで銀行から借りました。その制度を使えば無担保で保証人無しで借りられるんですよ。僕は神奈川県の保証協会を利用しましたけど。この制度だと銀行も損しないし、金利も安いんですよ。

ーー色々調べてその制度が良いと思ったんですか?

夏目 いや、あまり調べてないです(笑)。「こういうのあるよ」って言われて、それにしただけ。でも、僕らにしてみたら小さいとはいえこの家を持てていたことも大きかったかもしれないですね」

由美子 とりあえず住む所はあるというね。

夏目 何かあったら売ったり、誰かに貸したら何とかやっていけるんじゃないかとかね。あと生活としてウルトラライトというものにそもそも憧れていたから、「お金は少なければ少ないほどいい」っていう美意識があったんですよ。ユミちゃんはどう思ってるか知らないけど。(笑)

ビジネスは敵ではない

ーー山と道はウェブやフェイスブックで自分たちから情報を発信していくやり方であったり、ギャラリーや山小屋で受注会を行うやり方(2017年現在は行われていない)であったり、販売戦略も他のメーカーとは異質なものを感じるんですが、始めからこの形でやっていこうと思っていたんですか?

夏目 卸しをやって拡大していくことは考えてなくて、うちは山にいろいろと教えてもらって感動してこういうことを始めたから、その感動を僕たちなりのフィルターを通して、お客さんとわかち合いながら大きくなっていけたらいいなと思っているんです。だから僕たちがいろんな人にいろんなことを教えてもらったように、情報発信しつつやっていけたらいいなと思っています。お客さんと歩調を合わせて共有しつつ、僕たちが一歩踏み出したらお客さんも踏み出すみたいに、いっしょにステップアップしていけたらいいなって。できればショップを作ったりして、ハイカーズデポみたいに山の情報発信をしていく場を持てたらいいなと思っていますけど。

ーー販売戦略は考えましたか?

夏目 もちろん。僕、ビジネス・スクールにも行きましたからね。いちおう事業計画書を作ってやってますよ。

ーーああ、なるほど。そこらへんが端から見ると、山と道はあか抜けているというか、「他とは違うぞ!」みたいな感じを受けるんですかね? うまく言えないんですけど。

夏目 普通はメーカー作るなら事業計画書くらい作ると思いますけど。それに、昔いっぱい失敗しましたからね(笑)。

由美子 してる、してる。

夏目 ショップ潰したりだとか、結構な金額の赤字出したりとかしてね(笑)。ビジネスがわからないから、しょうがなくビジネス・スクールにも行ったんですけど、そこで「ビジネスは実はクリエイティブだったんだ」ということを発見できて。それでビジネスが怖くなくなりました。

ーークリエイティブの世界にいると、ビジネスなんか完全に「向こう側」ってかんじですもんね。僕なんかも完全そうですけど。「ビジネスは敵!」みたいな(笑)

夏目 敵ではなかった。普通に単純にクリエイティビティで、そこに関わる人はみんなクリエイティブだったっていう。

ーーまあ、たとえば紙媒体やパッケージなんかのデザイナーのやっている作業も、八割は「いかに情報をわかりやすく伝えるか」っていう、ビジネス的な作業ですもんね。

夏目 コミュニケーションってことですよね。ビジネスもいかに人の妄想を形にして、それを伝えるかっていう作業だから。まあ、デザインと一緒ですよね。だから自分が作りたいものを考えて、作る現場のことを考えて、受け取る人のことを考えるという。

ーー1年たってみて、お客さんからのフィードバックはどうですか?

夏目 これ言っていいかわからないんですけど、お客さんに限らずいろんな人に「もっとこうした方がいいんじゃない?」って言われても、基本的に全部無視してます(笑)。もちろん自分が腑に落ちたことは勉強させてもらうし、当然参考にさせてもらいますけど、だけど自分自身の理想があるから、いまはそれを優先させてもらっています。

ーーパーツごとの色や素材やその組み合わせを自由に選べるというのも他にはないアイデアですね。

夏目 自宅で作っているからカスタムで作っても手間は変わらないので、他のメーカーができないことをやろうっていうだけですけど。だってせっかくひとつずつ作っているのに、同じものしかなかったらつまらないじゃないですか(笑)。それに、最初にお客さんに感動を与えたかった。自分の体にピッタリ合った自分だけの色のバックパックができたら嬉しいじゃないですか? それでやってみて駄目だったら徐々に縮小していけばいいんで(笑)。

ーー現在は背面部分は工場に発注されているんですよね? その後は…

夏目 自宅で生地を裁断して、テープなんかの細かい付属品をカットしたりしていきます。でもいまは工場でやることも徐々に増やしてもらっているんですけど。ザックのボトム部分とか、背面のフレームを入れる部分も付けてもらえるようになりました。でも、いまは1年に1回か2回、お客さんから受注を受けて生産して終わりなんですよ。でも、それだと試作してテストをとる時間がないんですね。今後はお客さんの声を聞く体制を取りながらスタンダードとカスタムとうまくわけていって、あと試作のテストをしてっていうバランスをどう取っていくのかっていうのが次の課題ですね。で、ゆくゆくは自社工場が欲しいですけど(笑)。

ーー生地の裁断も大変そうですね。

由美子 大変ですけど、何日間かで一度にばっとやっちゃうんで。

ーー縫っていく手順は?

由美子 まず同じ色の場所から縫っていきます。糸の色も変わるんで。

ーー難しい部分は?

由美子 やっぱり素材の厚さが違うので、糸調子は気を使いますね。ミシンを使う人ならわかると思うんですけど。あと、サンプルではなく、商品として売るレベルのものを作るのは気を使います。

ーー時間はどのくらいかかるんですか?

由美子 いちばん大変なのは背面なんですけど、そこは工場に頼んじゃっているんで、生地の裁断さえ終わっていればそんなに時間はかからないです。あとはひたすら縫うだけ(笑)。細かい部品が多いんでそこはちょっと大変ですけど。テープが何千本とかになっちゃうんで(笑)。

夏目 僕はいつも頭を使う仕事ばかりやっているんで、何も考えないでひたすら手を動かしている時間っていうのは、かなり幸せな時間ですね。

受けた影響を還元していきたい

ーー働いている実感は、ガスブックといまでは変わりましたか?

夏目 僕はもともと絵を描いていたんですね。でも、当時その絵を発表できる場所がなかった。というか、その価値観を共有できる場所がなかった。だから『自分たちのメディアを作ろう!』と思ってガスブックを始めたんです。頭でっかちなアカデミックな表現じゃなくて、もっとリアルな表現で世界とガチンコ勝負したいと思った。作品そのものをパッケージングして世界中に流して、新しいアートをみんなに知ってもらいたいと思っていた。だから、始めは自分も作っていたんですよ。デザインもしていたしプログラムも書いていたし。でも、ガスブックの規模が大きくなればなるほど、自分がそれにかかわることはプロ意識としていけないことだと思って、離れていったんですね。でも、離れてみると、やっぱり寂しいもので(笑)

ーーガスブックを大きくして軌道に乗せていくという意味では、その時点では正しい判断だったでしょうけどね。でも、だんだん何故それをやっているのかがわからなくなってきたというか?

夏目 やっぱり仕事をやる以上は、責任感ってものがあるじゃないですか。でも、だんだん責任感ばかりが大きくなって、それが空回りし始めちゃって、嘘つきみたいになっちゃって。で、そうこうしているうちに山と出会ったんですけど。

ーー数年前には夢だったことがいまは現実となって、実際に活動されているわけですよね。その実感というか、フィーリングはどんな感じなんでしょうか?

夏目 実感はありますよね。生きている実感。社会のためとか、誰かと繋がっている実感。だって、自分が生まれた以上は誰かと繋がっていきたいじゃないですか。買ってくれる人がいることはすごく嬉しいことだし、山に行けば行くほど『次はこういう道具を作りたい』というアイデアも出てくるから、まずはそれをフィードバックさせたいい道具を作っていきたい。それと、いまの問題は生産体制が脆弱なんで、いろんな人に(製品を)送り届けるという作業ができないから、そういうことも含めてどんどん改善していきたい。あとは、日本の山の良さであったりハイキング・カルチャーを伝えていきたいですね。僕はいままで、古今東西のいろいろなものに影響を受けているわけですよ。で、影響を受けた以上はアウトプットしたいというか、社会に還元したい。戻したい。それこそギブ&テイクというか。山にしても、僕はいろんな人やモノから多大な影響を受けているから、同じように戻していきたいなと思うんです。だから、いまはいい状態ですよね。決して食べていけるような状況ではないですけど(笑)。

ーーでも希望はあるというか……

夏目 やるべきことがある。

由美子 私も同じような感じかな。それでまた自分たちもどっか歩きにいけたら……いまは(生産に追われて)そういう時間が、なかなか持てないでいるから。そういう機会をもっと持てたらいいなあ。

夏目 そうだね。たとえお客さんに待ってもらったとしても、自分たちももっと山に行くべきだね。

由美子 自分たちで使ってみないとね。

ーーそれで〈山と道〉からも影響を受けて、こうして自分でメーカーを始める人がどんどん増えていけばいいですよね。こういうメーカーが日本にもいくつもあって、お互いにシーンを盛り上がっていけたら。

夏目 そうですね。お互い食い合うんじゃなく、もっとカルチャー全般とか、マーケット全体を見据えて大きくなっていくような、そういう繋がりができたらいいなと思います。

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まとめに変えて、この長い長いインタビューを最後まで読んでくれた危篤な方だけに、ちょっとぶっちゃけた話をさせてください。

僕、三田正明が夏目さんと出会ったのは前述の通り、このインタビューが最初でした。

一見、物静かで理知的そうに見える夏目さんですが、話が盛り上がってくると眼鏡の奥の大きな目がギランと光り、言いたいことを速射砲のようにまくしたてたかと思うと、そもそも言いたかったことを忘れてしまっていたりする、パッションが先走った人だなぁ、というのが、僕の第一印象でした。

同時に、当時の夏目さんは少々酒乱の気もあり、ハイカーが集まるイベントの打ち上げの席などで酒が回ると、ハイテンションで人を褒めまくったかと思うと絡みまくり、それを由美子さんにたしなめられてシュンとなり、翌日は何も覚えてないけど、「とりあえず昨日はすみませんでした…」と謝って回るのが常でもありました(酒乱については現在は少々改善しています)。

そのハイテンションは山に行った時も発動され、例によって眼鏡の奥の大きな目がギランと光り、いつもは敬語が基本の口調がタメ口・べらんめえ調となり、チャレンジングなルートをニヤニヤしながら突進していくのです。

はっきり言って、ちょっとうざい。でも、僕には夏目さんのそんな部分こそが面白くて、山や酒席で夏目さんの目がギランと光ると、「MAD夏目、来た!」と、嬉しくなってしまうのです(なので、最近の酒乱がちょっと治った夏目さんには寂しさも感じてます)。

つまり、僕が何を言いたいかというと、夏目さんは決して世間一般で思われているような、急成長を続ける新進気鋭のアウトドアメーカーを率いる、スマートで理知的で才気走った経営者やデザイナーではない、ということです。

むしろ夏目さんは膨大なトライアル&エラーを繰り返しながらその失敗にへこたれず、目標を達成する執着心だけを頼りに一歩一歩前に進んできた、むしろ泥臭く不器用なタイプなのではないか、と思うのです。

山と道を始める以前、ガスブック時代の夏目さんを知る何人かに当時の話を聞いたことがありますが、皆、口を揃えて「決して仕事のできるタイプではなかった」と言います。そして、当時の夏目さんといまの夏目さんは、根本的な面では変わっていないのではないかと、僕自身もここ数年、山と道をウェブ制作や写真の面などでサポートする中で、感じる部分もあります(上から目線ですみません。僕自身も決してスマートに仕事をこなせるタイプではありません)。

ではなぜ、山と道は現在のところ、ある一定の成功を収めているのか?

それは一にも二にも、夏目さんの「夢見たことを現実化する突進力」にあると思うのです。あの、眼鏡の奥の目がギランと光る「MAD夏目」状態の時に発動される、うざいほどのパッション。

山を初めて数年の素人がバックパックを作ってメーカーを立ち上げてしまうなんて、普通なら「自分には無理」と思うはずです。去年から今年にかけても、京都に山食音を作ったり、HIKE/LIFE/COMMUNITYの旅に出たり、この『山と道JOURNALS』を立ち上げてみたり、周囲を巻き込みながら、とにかくやってしまう。周囲の人間も夏目さんの情熱にほだされて、ついつい協力してしまう。そしてなんとか実現してしまう。その繰り返しが山と道のこの7年間であり、夏目彰という人のこれまでの歩みではなかったか、と、現在巻き込まれ中の人間のひとりとして思うのです。

夏目さん自身、久しぶりにこのインタビューを読んで、「何もできない男も信じるだけで前に進めるんだと思って、感動した(笑)」と言っています。この当時はとにかくお金がなかったし、24時間働きづめだったとも。

なので、このインタビューを決して「成功者のありがたいお話」としては受け取って欲しくないのです。現在進行形でもがき続ける、僕やあなたと同じような人間の話だから。

そして、そのような人間が作っている山と道と、この『山と道JOURNALS』を、よろしくお願いいたします!

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  • Masaaki Mita

    Masaaki Mita

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    フォトグラファーとしてカルチャー誌や音楽誌で活動する傍、旅に傾倒。 多くの国を放浪するなかで自然の雄大さに惹かれ、自然と触れ合う方法として山に登り始める。 気がつけばアウトドア誌で仕事をするようになり、ライター仕事も増え、現在では本業がわからない状態に。 アウトドア・ライターとしてはULハイキングをライフワークとして追い続けている。 取材活動のなかで出会った山と道・夏目彰氏と何度も山に行ったり、インタビュー取材を行ったり、酒を酌み交わしたりするうちに、いつの間にかこのようなポジションに。 山と道JOURNALSを通じて日本のハイキング・カルチャーの発展に微力ながら貢献したいと考えている。

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