HIKE / LIFE / COMMUNITY
TOUR 2017 REMINISCENCE
#02 清瀬惠子(オトプケニット)

INTRODUCTION

2017年の6月から10月にかけて、山と道は現代美術のフィールドを中心に幅広い活動を行う豊嶋秀樹と共に、トークイベントとポップアップショップを組み合わせて日本中を駆け巡るツアー『HIKE / LIFE / COMMUNITY』を行いました。

北は北海道から南は鹿児島まで、毎回その土地に所縁のあるゲストスピーカーをお迎えしてお話しを伺い、地元のハイカーやお客様と交流した『HIKE / LIFE / COMMUNITY』とは、いったい何だったのか? この『HIKE / LIFE / COMMUNITY TOUR 2017 REMINISCENCE(=回想録)』で、各会場のゲストスピーカーの方々に豊嶋秀樹が収録していたインタビューを通じて振り返っていきます。

第2回目は、帯広のHOTEL NUPKAで前回の岳さんと一緒にゲストスピーカーを勤めていただいた清瀬惠子さん。北海道音更町でハンドメイドのニットブランド『オトプケニット』として活動されている彼女の「ライフ」とは?

目の届く仕事と暮らし

ルアーロッドを振りながら、沢の上流へとのぼっていった岳さんを見届けた僕は、オトプケニットの清瀬惠子さんの自宅へ向かった。明るい新緑に挟まれた道を日高方面から帯広市街へと戻り、街の中心部を流れる十勝川に架かる橋を渡った。橋の上からは遠くに日高山脈が並んでいるのが見えて、それだけでスッキリと気持ちが良かった。

惠子さんの家は、橋を渡ってすぐの住宅街の一角にあった。教えてもらった住所を頼りに目星をつけた家の前に僕はクルマをとめた。築4、50年は経っているだろうか、雰囲気のある小ぶりで住みやすそうな家だ。僕のクルマの音に気づいた惠子さんが出てきて迎えてくれた。2年前 (取材時)、結婚を機に東京から十勝へやってきて、ここで羊の糸を紡ぎ、編んで生活している惠子さんの暮らしのことを聞いてみたいと思っていた。

「普段の生活ですか? 毎日、ホントに普通の生活ですよ。」

惠子さんはそう言って、少し恥ずかしそうに笑った。

オトプケニットは2015年12月に惠子さんがここで立ち上げたブランドだ。

惠子さんはここで、基本的にひとりでフェルトハットやニットキャップ、手袋や靴下などを作っている。

子供の頃から編み物を母親から教わっていた惠子さんは、小学生の高学年の頃には自分で編んだものを着て学校に行くようになっていたという。大人になって東京で仕事をするようになってからも編み物が好きなことに変わりなく、職場で自分の帽子を編んでいるうちに、それを見た友達にも頼まれるようになったのがオトプケニットのはじまりだった。

オトプケニットの話は、惠子さん自身が、『HIKE/LIFE/COMMUNITY』でのプレゼンテーションの中で、羊の毛を刈ってからニットキャップになるまでの工程について、紡ぎの実演を交えて詳しく説明してくれている。『紡ぎをしだすと羊の毛を刈りたくなってきた』という話がとても良かった。この記事の最後にある動画をぜひご覧になっていただきたい。

「夫が7時15分とか30分に仕事に出て行くので、6時くらいに起きるんです。私は夫が支度する音を寝ぼけたまま聞いていて。7時くらいに起きて夫を送り出して、それから自分の仕事に取り掛かります。私は、紡ぎは自然光のもとでやろうって決めていて、日中、家に光が入るところに移動してやってます。」

惠子さんは「普通の生活」って言ったけど、のっけから普通じゃない気がして、少しおかしかった。光を追いかけて家の中を移動するというのは、陽だまりを見つけて丸まっている猫のようだ。僕はそのことは言わないで、トツトツと話す恵子さんの言葉に耳を傾けた。

「朝からずっと休憩も取らずやってますね。お日様があるうちに紡ぎをやりたいので、途中でお茶したりするくらいです。お昼ごはんってあまり食べなくて、山登りの行動食みたいにちょこちょこ食べてエネルギー補給をするっていう感じです。まだ紡ぎの年季が入ってないので、すごく集中力が必要なんです。7時間くらいすると、突然、ポッと手がおかしくなってくるので、そこでやめます。」

なんでもないことのように言うけど、僕にはかなりタフな労働のように聞こえた。惠子さんは、カスリのモンペも履いていないし、手ぬぐいを頭に巻いたりもしてないけど、お昼も取らずに7時間も糸を紡ぎ続ける作業は大変なことに違いない。僕にはできそうもなかった。

「それから、夕食と翌日のお弁当の支度をします。そうしているうちに、夫が帰ってくるので 一緒に食事をします。ご飯が終わってひと段落したら、編み物を始めます。忙しい時は、ほぼ毎日寝るまで編んでいる感じです。せっかく素敵な土地に来たのに、ずっと家に篭っている生活が続いてます。」

惠子さんの話が、僕にはどこかの郷土資料館の写真パネルの横にある説明書きのように聞こえた。

『村の女性たちは、食事が終わると外の雪の様子を気にかけながら夜更けまで編み物をして過ごした。』

もちろん、それは僕の勝手な偏見と想像で、惠子さんたちの暮らしに辛い北国の雰囲気はなさそうだ。 以前、惠子さんは、『仕事についても、暮らしについてもできるだけ目の届く範囲、小さくて手に触れることができて、感じることのできる程度の狭い範囲だけど、そのぶん自分が責任を取れる暮らしをしたいと思った』と、十勝に移住するにあたっての気持ちを振り返って話してくれたことがある。きっと、そんな暮らしを実践しているのだろうと思った。

「新作を地元の音更で発表したいなと思ってるんです。それまでに、去年の冬に東京でやった展示会でいただいたオーダーを全部お届けしなきゃいけないなって思って、1日12時間くらい仕事してます。東京にいるときより働いてますよね。」

惠子さんは、うん、うんと頷きながら言った。

消えつつある物語

「こっちって車がないと生活できないんですけど、私は車の運転がダメなんですよ。免許は持ってるんですけど、ペーパードライバーなんです。だから、日々の買い物は、夫が帰ってきてからスーパーに行ったり、日曜日に採れたて野菜の直売所に行って買ったりしてますね。運転も練習はしてるんですけどね。」

惠子さんは、少し申し訳なさそうに話した。

僕は毎年、冬の間はスキーをするために北海道にいるのだが、根菜類以外はほとんど道外のものばっかりになってしまう冬の北海道のスーパーの野菜コーナーにはいささかがっかりしてしまう。僕はベジタリアンなので野菜コーナーの乏しさのダメージはおそらく普通の人よりも 大きい。

「冬は野菜がないので、夏に干した野菜なんかも大事に食べてます。そのぶん夏の食卓がすごく楽しみになるんです。みんな本当に楽しみにしていて、『わー、トマトだ!』『ズッキーニ出た!』みたいな感じで。夏と冬ですごく極端な季節感があるんですよね。夏も一瞬で終わっちゃうからすごくありがたみがあります。お日様のおかげで野菜もぐんぐん育つし、何もかもが生き生きしていていいですね、夏は。」

移り変わりの振れ幅の大きい季節の中で、オトプケニットは、ここ十勝でどういう風に育っていくのだろうか。十勝や音更という土地や伝統、暮らしと密接な関係の上に成り立っているブランドなので、その方向性は惠子さんたちの「ライフ」と共にあると言っても過言ではないだろう。

「そこが始めたときからの課題ですね。フェルトハットなんてそんなに反響があるとは思ってなかったですが、展示会をやってオーダーをたくさんいただきました。とても嬉しいことですが、これ以上になると作るのはひとりだと厳しい状態ですね。地域の人とも羊仕事がきっかけで 繋がれたらいいなっていう気持ちも強くあるので、一緒にお仕事させてもらえるような縁を探しています。それから、私たちの母の世代は、編み物は抵抗なくされるんだけど、私たちくらいの子ども世代になると、『お母さんが編んでた』『ばあちゃんが紡いでた』という具合で、 やっている人はほとんどいないようです。編むこと、紡ぐことにまつわるたくさんの感動的な物語も一緒に消えつつある気がして、それもすごく切ないです。そういうこともあって、ますます、私は編み物と紡ぎをやっていこうと思っています。」

僕は、以前、惠子さんが、『十勝には、家庭で2、3頭の羊を育てながら毛を刈って糸を紡ぐ暮らしがあったと知って、ここでは家族のために手間暇かけたことをやっていて、それが生活のひとコマになっているということに心を打たれた』と話してくれたことを思い出した。惠子さんが紡いで編んでいる物語には、十勝の羊たちと惠子さんたち夫婦やそのほかにもたくさんの登場人物が出てくるのだろう。それが、帽子や手袋のようなカタチになって届けられる。僕は、そんな風に惠子さんの話を聞いていた。

「夫が紡いでみたいって言ってくれて、本職の合間に手伝ってもらっています。同じ紡ぎ車を2台持っているので、夫と一緒に紡いだりすることもあります。一生懸命にやってくれていて、フェルトハットのフィニッシュの方法や感覚も覚えてくれたのですごく助かっています。今で は私も夫の手伝いを少し期待しちゃっていて、休みの日に夫が友人と釣りに出かけるって言うと、『ちょっと待って〜』ってなりますね。」

惠子さんは楽しそうに言って笑った。

僕は、惠子さん夫婦が、ふたりで日差しのある明るい場所に寄り添って、カラカラと紡ぎ車を回している姿を想像した。でもきっと、楽しく会話しながらという感じではなくて、ふたりとも無言になって一心に作業に没頭しているのだろう。ふたりが集中して紡いでいる姿は、無垢な小動物のつがいが巣作りに夢中になっている様子を思い起こさせてかわいらしく思えたというと失礼だろうか。

随処に主となれば、立処みな真なり

「行商の旅にも出てみたいです。タイトルだけはもう決まっていて、『オトプケサーカス』って名前にしようと思っています。サーカスみたいにあちこちを旅して、いろんな人にも会いたい。そんな感じですね。楽しく続けていきたいです。」

惠子さんは、そのあともしばらくこれからやりたいことの話を楽しそうにしてくれた。 僕は、オトプケサーカスが僕の住む街にもやってきてくれたらいいなと思った。

「何もわからないこの土地で、この土地の物語を私なりに受け止めてみたい。それが、『私はここでやっていくんだ』という覚悟の表明のようなものです。」

惠子さんの言葉は力強く僕に響いた。

僕のようにフラフラとあちこちを漂いながら生きていると、『ここでやっていく』という、自分の将来を引き受けているような生き方に強く憧れるときがある。 風景や環境が人や暮らしに与える影響というのは計り知れない。

『随処に主となれば、立処みな真なり』

惠子さんはこんな言葉を「HIKE/LIFE/COMMUNITY」のプレゼンテーションの最後に紹介してくれた。これは禅の言葉ということだが、説明を聞いて納得がいった。 「いつどんなところにいても、自分が精一杯に生きていれば、そこからの広がりは真実につながる」という意味なのだそうだ。今の惠子さんの気持ちと決意が同時に表されている言葉なんだなと思って聞いた。そしてそれは、惠子さんがオトプケニットに宿す気持ちでもあるのだろう。


「私は移住して、ものづくりして、丁寧な暮らしをしているっていうわけではないんです。豊かな暮らしは、東京にいてもどこにいてもできる。そういうことも感じてもらえるような手仕事をここでしていきたいと思ってます。」

実際に、家を訪ねたときに試しにかぶらせてもらったのだけど、なんとなく、今の僕にはまだ似合わないというか、時期尚早というか、勝手にそんな風に思ってそのときは帽子を脱いだ。もっと先に、僕がもう少し「モノ」という「コト」に向き合うことができるようになって、しっくり自分に入ってくるようになったときには必ずお願いしようと思う。そのときには、僕にも『ここでやっていこう』という場所と覚悟が少しはあるのかもしれない。

惠子さんとそのあともしばらく、十勝ではあまり雪が降らないから除雪はほとんどしなくていいということや、カーペットの上でゴロゴロしている愛猫のこと、こっちに来てから始めたスキーのことなど、他愛もないことを色々と話した。ここでは、時間はゆっくりと紡がれているようだった。

惠子さんの家を後にする頃には、初夏の太陽は傾き始めていた。来るときに通った橋の上から、ゆるくカーブを描きながら延びる十勝川の先に再び日高山脈が見えた。山はほんのり青みがかったグレーのシルエットになって連なっていた。

今夜は帯広に一泊して明日は東川へ向かう。 次に十勝にやってくるときは、岳さんや惠子さんたちとスキーができる季節がいいなと、僕は思った。

【#3に続く】

2017年6月30日 帯広HOTEL NUPUKA

清瀬惠子「トンネルを抜けるとそこは紡ぎのふるさとであった」

人生なかばにして移住した北海道十勝では、かつて家族のために羊毛を紡ぎ編み、厳しい冬を越すという風景があった。新天地ではじめたニットブランド otopukeknitを通して、ものづくりの源流に向かいながら思う生活と仕事についてお話しします。

清瀬惠子(オトプケニット)

2015 年に北海道は十勝、音更町(おとふけちょう)に移住。
むかし北海道の農家では、1、2 頭の羊を飼っていて、農業ができなくなる厳しい冬の間に、刈り取った毛を紡ぎ、毛糸にし、家族のために防寒着を編んでいたという、紡ぎや編みが暮らしのひとコマであったこの地の物語を届けたいと、ニットブランドotopukeknitを立ち上げる。
http://www.otopukeknit.com/

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  • 豊嶋秀樹

    豊嶋秀樹

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    作品制作、空間構成、キュレーション、イベント企画などジャンル横断的な表現活動を行いつつ、現在はgm projectsのメンバーとして活動中。 山と道とは共同プロジェクトである『ハイクローグ』を制作し、九州の仲間と活動する『ハッピーハイカーズ』の発起人でもある。 ハイクのほか、テレマークスキーやクライミングにも夢中になっている。 ベジタリアンゆえ南インド料理にハマり、ミールス皿になるバナナの葉の栽培を趣味にしている。 妻と二人で福岡在住(あまりいませんが)。 『HIKE / LIFE / COMMUNITY』プロジェクトリーダー。

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