コミュニティの作り方とその維持管理方法について
ハッピーハイカーズ法華院ギャザリング2023レポート

2024.01.09

去る2023年の12月2日、九州の九重連山の法華院温泉山荘で実に5年ぶりの開催となった『ハッピーハイカーズ法華院ギャザリング』。それを主催するハッピーハイカーズとは、実は山と道HLCでもプロジェクトディレクターを務める豊嶋秀樹が立ち上げ、現在も主要メンバーとして関わっている九州のハイカーコミュニティです。

山と道は過去の2回の法華院ギャザリングにも参加しており、ハッピーハイカーズには豊嶋以外にも多くの友人知人がスタッフとして関わっていることもあり、5年を経て、いま九州のハイカー事情がどうなっているのか、ハッピーハイカーズがいま、どうなっているのか、目撃せんといかん! というわけで、山と道としての出店がてら編集長三田が現地に飛びました。

結論から言うとその名の通りのハッピーなハイカー集会となり、九州のハイカーの、いや日本のULハイキングを取り巻く状況の発展と広がりを大いに感じさせてもらいましたが、三田としてはそれ以上に、このハッピーハイカーズという非営利のコミュニティが形を変えつつも、発足から8年に渡ってどのようにして活動を続けられているのか、その維持管理の方法に興味がありました。

今回は法華院ギャザリング2023をレポートすると共に、豊嶋とハッピーハイカーズのメインスタッフにもその舞台裏をインタビューしてきましたので、全国各地で「ウチの地元でもこんなことをやりたい!」と思っている人、絶対読んでください。

取材/文:三田正明
写真(会場):馬場祐吏 渡邉祐介 三田正明
写真提供:ハッピーハイカーズ

法華院ギャザリング2023レポート

遂に5年ぶりの開催となった法華院ギャザリング。僕自身2016年の第1回から参加しており、登壇させてもらったこともあるので、また開催されるなら絶対に来たいと思っていたが、それからコロナ禍もあり、気づけば5年ぶりの開催になってしまったという。ともあれ、三たびの開催が実現したことがどこか懐かしい友人に会うように嬉しかった。

法華院から見上げる九重連山の大船山と平治岳

今回は前回までよりも規模を縮小し、2日間だったものを1日だけの開催に変更。12月の開催ということで、屋外でのコンテンツは天候次第で厳しいだろうということもあり、「トーク」「ギアマルシェ」「懇親会」などのすべてを山荘内で行うことにしたという。ギアマルシェはオープンするのが3時間だけとなり、前回までは多くの登壇者のいたトークもロングトレイルハイカーで山と道JOURNALSでもお馴染みの清田勝さん、ムーンライトギアなどを運営するノマディクス代表の千代田高史さんのふたりだけに絞り、今回のテーマである「ライフスタイル」についてそれぞれ語るという構成に改めたのだという。

会場のくじゅう連山の中腹にある法華院温泉山荘は大広間や食堂、さらに温泉もある大きな山小屋で、近くには無料でいくらでもテントが張れる坊がつるキャンプ場もある。正に九州の山の中で数百人も集めるイベントをやるならここしかないという場所だ。

当日の朝は氷点下を下回った

会場前に三々五々集合してきた出店者たち

参加者も徐々に集まり始める

会場となった法華院温泉山荘外観

9時になると会場となる法華院温泉山荘の大広間が開き、売り物を麓の長者原から2時間かけて歩荷してきた各出店者が準備を始める(今回は法華院温泉山荘への負担を抑えるためクルマでの荷上げは行わず、出店者はそれぞれ売り物を歩荷して運んだ)。出店は主に国内のガレージメーカーで、このシーンは横のつながりが非常に強いので、ほとんどが見知った顔ばかり。皆、もう何年もこうしてイベントに出店したり、時には一緒にイベントを企画したりもしているので、お互いライバルでありつつもシーンを共に作る盟友のような関係だ。そして打ち上げでは痛飲する人が多いのもこのシーンの特徴だ。今回は地元九州から参加のライトソーイングマシーンやフラットアースイクイップメント、気鋭のカンパイギアワークスなど、5年前にはいなかった面子も加わった。

EYLのブース

一二の洋品店のブース

準備中からビールを開けるソラチタニウムギア

アトリエブルーボトルとライトソーイングマシーンのブース

ギアマルシェが開場となる10時になると参加者の方々も一斉に入ってきて、各ブースに黒山の人だかりができた。ありがたいことに山と道ブースの前にもたくさんのお客さんが来てくれて、スタッフの中川・木村・久保田が3つの山と道ONEにパンパンに詰めて歩荷した(僕は2日前から九重連山を歩いて会場まで来た)売り物も順調に捌けていった。

会場と同時に参加者がギアマルシェに

山と道のブースも大盛況だった

最近福岡にも出店したムーンライトギアのブース

富山の新鋭、カンパイギアワークスのブース

お客さんを見ると、この5年間でULオリエンテッドな国内メーカーや海外メーカーのウェアを思い思いに自分らしく着こなしている人が増え、すごくお洒落になったことを感じた。実際、5年前と比べたらシーンをとりまくメーカーの数もアイテム点数も格段に増えたのだから当たり前といえば当たり前だけど、日本へのULハイキングの伝来に端を発した文化が確かに根付き、拡大し、発展していることを感じた。

午後1時でギアマルシェの時間が終わり、外に出ると皆めいめいにストーブを出してご飯を作っていた。僕も適当な知人や、初めて出会った人と話したが、中でも宮崎から来ていたタカシロさんという方は、「九州自然歩道みやざきハイキングクラブ」を主宰して、九州自然歩道の宮崎セクションを整備したり、利活用するための活動をされているとか。彼のように地方に住みながらトレイルに関わる活動をされている方も、この5年であちらこちらに登場をしてきていることを感じる。この文化がさらに定着して広がっていくことを願うばかりだ。

外に出るとあちこちに人の輪が

皆、持ち寄った食料を調理してお昼ご飯

お昼ご飯をかき込み、午後のトークを聞きにふたたび大広間に向かった。トップバッターの清田勝君のトークは、彼が現在のように旅を中心とするライフスタイルを送るようになるまでのストーリーを語るものだった。

JOURNALSでの国内ロングトレイル記事でもお馴染みの清田勝さん

大学卒業後に一旦は就職したものの違和感を感じ、「社会から逃げるように」日本一周の自転車旅や世界一周のバックパッカー旅に出た彼は、旅先でアメリカのトレイルの世界を知り、そこからトリプルクラウンと呼ばれる3大ロングトレイルを踏破することにのめり込んでいく。そんな彼の人生をここで要約するのは不可能なので、特に印象的だった彼の言葉をここで引用させてもらいたい。

「地球の直径ほどの距離を歩いて感じたことは、屋根があるだけでいいじゃん、暖かく寝れるだけでいいじゃん、そもそもこの2本の足があって歩けるだけでいいじゃんとか、元々自分の持っていたものだけで満足できるようになったんですね。すごく普通なんですけど。でも僕はそれを歩かないと気づけなかった。」

続いてノマディクスの千代田さん……もとい、いつものように「千代ちゃん」と呼ばせてもらおう…のトーク。そもそもはネットショップだったムーンライトギアがどうやって始まったのか、そこから実店舗を出店したり、OMMやビボベアフットの代理店を始めたり、オリジナルアイテムを作ったりとどんどんと成長し拡大していく中で、そこにどんな葛藤があったのかがこれまでになく生半しく語られ、割と知っているつもりでいた僕にも驚かされる内容だった。

ムーンライトギア/ノマディクスの千代田高史さん

そもそもムーンライトギアは千代ちゃんや相棒の小峯君がその時々で夢中になっている遊びを紹介しながらそこで使われるギアを売っていることが新鮮だったし、尖っていたし、格好良かったんだと思う。でもそれが組織がだんだんと大きくなる中で人も増え、昔とは様々なことが変わってくる中で、迷ったり悩んだりした時期もあったのだという。

でも、そこから抜け出したきっかけは、やっぱり「遊ぶことはむちゃくちゃ大事」という原点に立ち返ることだった。トークの最後に「スノートイ」といういま夢中になっている雪板のようなギアを「これをこんなふうに山で使ったらむちゃくちゃ面白くないですか?」と語る彼を見て「ずっと変わんないな」と思う一方で、昔とはまた一段上の覚悟なり、責任なり、迫力を自然に醸し出すようになった姿に、「千代ちゃん、大人になったんだね」と謎の上から目線で思わずにはいられなかった。これからもその背中を見せ続けてほしい仲間のひとりだ。

ふたりのトーク後には豊嶋も交えたクロストークの時間も設けられた

千代ちゃんのトークが終わって会は一旦終了したが、規模の縮小はそれほど問題ではないと感じた。出店時間も短いので売る方も買う方も集中できたし、トークも少ない分、参加者皆がそこに集う一体感があった気がした。

夜に予定されてた懇親会の前に、今回のメインスタッフを務めた豊嶋秀樹、石川博己さん、高田英幸さん、豊嶋きよらさんにハッピーハイカーズの立ち上げから法華院ギャザリングの舞台裏、そしてコミュニティを維持し、続けていくやり方について、根掘り葉掘り聞いてみることにした。

Interview with Happy Hikers

「コミュニティの作り方とその維持管理方法について」

左より石川博己さん、高田英幸さん(通称パイセン)、豊嶋きよらさん(山と道専用のプレイリスト作成や撮影のモデルとしてもお馴染み)、そして山と道HLCのプロジェクトディレクターでもある豊嶋秀樹

最初は個人的なことから

ーー今日はまず、九州のこのハッピーハイカーズというコミュニティがどのようにして生まれてきたのかというとこから教えてもらえますか。

豊嶋 それは自分の個人的なことから出発してて。10年前に九州に移住してきたんやけど、こっちには山の仲間がいなかったし、単純に山友達が欲しいなって。その前は東京にいて、ハイカーズデポみたいなお店とかハイカー系のイベントが出会いの場になってたけどこっちでは一切なかったし、皆が繋がってる雰囲気でもないなって。その時にたまたま山と道の夏目(彰)君が福岡に遊びに来たときにふたりでちっちゃいトークイベントをやったら、石川さんが来てくれたんだよね。パイセン(高田)とはどこで会ったんだっけ?

高田 沢登り。

豊嶋 そうそう。友達に誘ってもらった沢登りで知り合ったりとかした。そういうタイミングで「九州のハイカーとか登山者が繋がっていけるような場所やコミュニティ作りをする活動をやるといいんじゃないかと思ってるんだけどどう?」って言ったら「面白そうだからやろうよ」って言ってくれて。石川さんも冊子作ったり山の写真を撮ったりしてたから、なんか合いそうだなと思って「どうですか」って言ったら「やりたい」ってなり。そのとき行ってたクライミングジムでもたまたまウェブ制作できる人がいたから「じゃあウェブ作ってよ」って言ったら「いいですよ」みたいになったり。そんな感じで、もう今は抜けちゃったメンバーもいるけど、多いときは10人ぐらいいたよね。

石川 そうですね。

2016年に開催したフリーマーケットでの集合写真

豊嶋 それぞれに皆できることが違ったから、それを持ち寄って実現可能だったのがウェブサイトを作ることやったり、定期的なイベントとして『ハッピーハイカーズバー』というのをやったりとか、2年に1回ぐらいこういう形のギャザリングをやろうという形に発展していった。だから、ハッピーハイカーズはハイキングに一緒に行く仲間ではなくて、ハイカーのコミュニティを作っていく、そういう場作りプロジェクトチームみたいな感じ。そこからハッピーハイカーズのスタッフのコミュニティと、今日来てた参加者の人たちみたいなコミュニティが、いろいろ入り混じってる状態になっていった。

2015年に開催された第1回目のハッピーハイカーズバーの模様

ーーコロナ前のその時期ってハッピーハイカーズ第1期というか、活動もアクティブだった時期だと思うんですけど、石川さんから見ると当時の雰囲気はどんなでした?

石川 『ハッピーハイカーズバー』は活気があったんじゃないかな。毎回トークゲストをふたり呼んで、その方の話を集まって皆でワイワイ聞くっていう感じだったんで、そこで知り合った人から小さなコミュニティが生まれていって、今わりと大きな認知度を誇るぐらいのチームになっていった。なのでバーがいいハブになってましたね。僕らも予算が無いところでやっているんで、バーで活動資金として若干の入場料をもらうとか、自分たちで手刷りしたTシャツを売るとか、本当に自分たちでやってた実感がありました。

2016年の第2回目のハッパーハイカーズバーの模様

ーーまたハッピーハイカーズではウェブマガジンも本当にずっとやってますよね。あれはいつぐらいから始められてるんですか?

豊嶋 あれも2016年からだから、もう8年やってるのかな。

ーーどなたが主導してるんですか?

石川 記事を集めるのは、もちろん豊嶋さんがやられてて。僕はデザインの仕事してるんで制作に必要なときはいろいろ作ったりするけど、ウェブはウェブの担当がまたいます。

ハッピーハイカーズのウェブマガジン

豊嶋 編集までは僕がやってて、ウェブはさっきも話したエンジニアの人にパスして組み立ててもらって、石川さんはロゴとか画像とかを作ってもらって。テキストは僕が書いてるものもあるし、僕が他の人に依頼して書いてもらったやつをまとめたり校正したりとかして。で、「今月号はこれだけです」って渡すみたいな。

石川 あれがあったからコロナ禍で活動自体が完全に無くなってても、「まだハッピーハイカーズっていうコミュニティはあるんだ」っていうことがずっと皆に意識づけられてたんで、だから5年ぶりに法華院でギャザリングやりますよって言ってもこれだけ集まってくれたんじゃないかな。あそこで粛々と豊嶋さんが月イチで更新していくっていうのが、「まだ生きてるんだ」「辞めてないんだ」みたいな感じで。

ーー豊嶋さんの執念深さというか、持ち前のしつこさですよね(笑)。それもなかなか並大抵じゃないよなっていうのはよく思いますけど。ウェブマガジンはこれからも続けて行こうと?

豊嶋 でもウェブ担当が、彼もコロナで色々あったりして「自分も生活環境変わって山も全然行けてないから、そろそろ卒業したい」ってことになって。これはもうウェブマガジンも潮時かなとか思ってたら、僕の昔の仕事の仲間が内容をバーって見てくれて、「これだったら豊嶋さんにやり方を教えるよりも僕が更新した方が速いんでやりますよ」って言ってくれて。そういう感じでまた続けていける環境ができちゃった。

ーー長いことやってると、そういう変化もやっぱり色々ありますよね。

豊嶋 いろいろあったね。転勤になったり、結婚したり、8年やってたらみんなライフステージが変わるからね。そういうこともあって今回のギャザリングはやれることに限りがあったから規模縮小してみたら、当日だけ手伝ってもらったら意外とこの4人でもなんとかなるなって。当日の手伝いに、関西からきてくれた元スタッフがいたり、写真撮りにきてくれる人がいたり、運営に必要な受付や誘導のスタッフとしてボランティアで関わって楽しんでくれてる人もいる。今の構成メンバーはそんな感じ。

ただハイカーが集まってるだけ

ーーハッピーハイカーズの始まりから最初のギャザリングまでってどれぐらいでした?

豊嶋 始まって1年半ぐらいだったよね。最初は街中の方が人が集まりやすいんじゃないっていう声もあったけど、いやいや、やっぱりハイカーっていうぐらいだから山の中でやろう、それでも来てくれる人が集まった方がいいんじゃないかっていう話になり。でも九州で山の中で何百人も集まれるのってこの法華院温泉山荘くらいしかないから、山荘の社長に1回話してみようって皆で来て。

高田 山荘で働いている知り合いがいたので繋いでもらいましたね。

豊嶋 そしたら社長も「今後もっと若い人たちに来てもらいたいし、何か新しいことをやっていきたいと思ってるんだよね」って言ってくれて。なので全面協力してもらい、ほぼ共催に近い感じでやってくれることになって。

2016年の1回目の法華院ギャザリングの模様

ワークショップを行うハイカーズデポの土屋智哉さん

2018年の2回目の法華院ギャザリングの模様

懇親会で豊嶋と並ぶスカイハイマウンテンワークスの北野拓也さん

ーー法華院の大部屋とか食堂も会場で使ってますけど、それはすごいですね。

豊嶋 僕らも営利ではやってないからね。1回目と2回目の時は逆に山荘さんにすごい手伝ってもらって。荷上げをお願いしたり、出店もしてもらったり、山荘さんにとっても負荷が大きいイベントだったと思う。それは反省点。過去2回はそんな感じだったけど、次はちょっとその辺整理してなるべく山荘さんに負担がかからない形で組み立てようと話していたので、今回は荷上げをやめて、皆さん歩荷で運べる範囲でやってもらって、フードの出店もやめて。

ーー今回は5年ぶりの開催ですけど、なんで今年またやれることになったんですか?

豊嶋 それはもう山荘さん次第ってところもあって。20年と21年はコロナでまず無理みたいな感じやったけど、去年も社長にいちおう話をさせてもらったら、「もうみんなが気にせず来れるようになったときにやろうよ」って言われたのね。微妙な時期じゃなくて。

ーー去年だったらまだマスクも必要でしたしね。

豊嶋 そうそう。「制限付きとかじゃない時になってからやろうよ」って言われてて。で、今年の春ぐらいに「そろそろやれるんじゃないかと思ってるんですけどどうですか?」ってきいたら「いいんじゃない」ってなって。「でもなぁやる日がなぁ、予約でいっぱい埋まってるからな」って。で、「この日しかないわ」って言われたのが今日12月2日だけだった。

法華院温泉山荘社長の弘蔵さん

石川 最初のギャザリングの時に、登山口の長者原からここの山荘に来るまでに案内係を置こうかみたいな話が出たんですけど、「いや、そこまでしだしたらきりがなくなる」「それはもう自分で来てもらおう」って。その判断は良かったなとすごく思ってて。そういうのをやりだすとイベントがどんどんでかくなるっていうか、どんどん手間がかかっていくので。

ーー山と道でも山道祭をやってますけど、それは本当にそうですよね。なので山道祭も今はできるだけ簡素化を目指してます。

石川 ギャザリングのウェブもどのワークショップに申し込むかっていうことで複雑になって、それを仕切ったり、集金することも大変になっていって。人手がこの倍以上いたのに、皆いっぱいいっぱいで当日も誰とも話せなくて。それから比べたら今はたった4人なのにずっと喋れてるし、来てくれた人たちも不満になってないし、こんな寒い時期でも昨日からテント張ってくれてたりとかするし。だからハードルを高くしても全然問題ないんだなっていうか、むしろそういうことは気にしないで、ただ音頭取るだけでいいんだって思いましたよね。

豊嶋 だからほんとに「ギャザリング」よね。別にコンテンツもいっぱいあるわけじゃないし、単なる集会。

高田 ただハイカーが集まるだけ。今回は役割分担が明確だったから良かったですね。前回までは担当が複数いたので、どうしても他のメンバーががやるんじゃないかと思ってちょっと怠けがちなところがあるんですけど、今回はその仕事はひとりで絶対やらなきゃいけないっていう状況だったから、それが良かった。

豊嶋 パイセンはマルシェと山荘さんとのやりとりを担当とか、きよらはチケットセールスと受付担当とか、石川さんはデザイン全部とか、僕は総合的なとこ全部やるとか。でもそれでなんとか回ったもんね。その代わりやめたことも多いけど。でも、たぶん来てくれた人はそんなに規模が縮小されたとネガティブには感じなかったんじゃないかな。

ーーそうですね。

石川 今回はギアマルシェが終わってからトークやけん、みんな参加できたし。

豊嶋 前はね、トークの間も外で出店やってたから、トークの参加者が少なかった。

石川 いろんな会場があったけんね。ワークショップもあったり、ギア売ってたり。

高田 今回は1ヶ所に集中させてるのが利点でしたね。

ーー確かに前回と前々回はコンテンツが多いだけに人がばらけてる印象があったけど、今回は少ないぶん、皆がそこに集まる一体感がありましたね。

トーク前、大広間に参加者が大集合した

コミュニティ作りは場作り

ーーいま、ハッピーハイカーズみたいなコミュニティを作りたいなとか、さらにこういうイベントを自分たちもやってみたいと思ってる人って結構いると思うんですけど。

豊嶋 今日もいたよ。さっき来てくれた。

きよら 湯布院に住んでるって言ってたね。

豊嶋 湯布院でショップやってるみたいなんやけど、三鷹のハイカーズデポのツッチー(土屋智哉氏)に相談しに行ったんだって。「大分でハイカーのコミュニティを作っていきたいんです」って言ったら、「それはもうハッピーハイカーズの豊嶋さんに会うのが早いわ」って言われて、今日来てくれたらしい。あと下でも会った「みやざきハイキングクラブ」の人たちも、宮崎で九州自然歩道の再整備をやりながらハイキングと街作りを絡めた何かやっていきたいって。そういうことを模索してる人も今回は結構来てくれて。「絡んでやっていこうよ」って言ったら「ぜひお願いします」って。だからコロナを挟んで、撒いてきた種が各地で芽吹いてきてる感じもある。

ーーそうですね。ハッピーハイカーズが始まった頃は九州にハイカーなんてどこにもいないから俺たちがやるんだみたいな感じもあったけど、なんか今日の雰囲気は、もうそれとは全然違ってましたね。服装も皆すごくこなれた雰囲気で、所謂今どきのハイカーっぽい人がたくさんいて、文化として定着してきたというか。

高田 そうですね。もう次の段階に行ってますね。

豊嶋 それで皆、格好だけでなくて、ちゃんと山にも行ってるしね。

ーーそれでこういうことをやりたい人に何かアドバイスあるとしたら、どこから始めたらいいと思います?

豊嶋 コミュニティを作るってさ、僕らもコミュニティの場は作るけど、コミュニティを無理やり作るってのはできないから。

ーーまず場を作れと。

豊嶋 そう。だからコミュニティ作りって場を作ることでしかない気がする。それ以上は、そこで出会った人たち同士が作っていくことだと思うのね。でもその状況設定とか、どういうところの人に届くものとして作るのかが明確じゃないと、なんかモヤンとしちゃうような気はする。

ーー自分で「こういうのやってみたい!」ってだけだと、よくわかんない感じになっちゃうかもしれない。

豊嶋 かもしれない。そういう場合はお店とかやった方がいいよね。

「幕の内弁当」でいい

ーーまたそれを始めて、やっぱこうやって続けていくのもまた違うエネルギーだと思うんですけど、どの辺が続いてる秘訣だと思いますか?

高田 単純に好きだからですよね。今回もいろんな人に「こんなん呼んでくれてありがとうございます」ってよく言われたけど、それを聞くと大変だったけど、疲れがふっ飛ぶっていう。単純に嬉しいし、それが結構糧になってる。

談笑する高田さん

ーーなかなか無償で続けるっていうのも大変だし、それが続いてるのもすごいことだなと思うんです。

石川 仕事は納期とかクオリティを求められるとかあるじゃないですか。そこが絡んでくると難しくなると思うんですよ。結局、僕がやってることってデザインワークとカメラワークとか、普段の仕事と全く同じことをやってるわけですよ。それを例えば「いつまでにやってくださいね」とか、「これもうちょっとこうなりませんか」とかいうふうなことを言われだすと、やっぱりきつくなってくるし、楽しめるっていう範囲を超えてくる。たぶん、それが超えてないから続いてると思うんですよね。これが例えばもっと会が大きくなって、これも作らないといけない、あれも作らないといけない、いつまでに作らないといけないってなったら、きっと超えてくると思いますね。

ーーデザインもっとこうしてよ、ああしてよって言われるとか。

石川 それが例えば営利にも傾くと、これだけお金もらったからそれに対してまたクオリティ上げていかないといけないじゃないですか。そうなったらやっぱまた違っていくんじゃないかなと思います。今は非営利で、この規模でっていうので超えないように豊嶋さんが調整してて、だから保ってるのかなという気はします。

豊嶋 石川さんOKなら僕は全部OKですから。

石川 それは自分の仕事においては大きいです。そうでないともう趣味と仕事のバランスが崩れてくるから。

ーー確かに。豊嶋さんもそういうとこを意識したりしてるんですか?

豊嶋 いや僕はね、いつも「幕の内弁当」でいいと思ってるから。

ーー豊嶋さん言うところの「幕の内弁当式*」ですね(笑)。

*幕の内弁当にはとんかつ弁当や焼肉弁当のように明確な主役はいないが、それぞれのおかずすべてが主役でもある。そこから、誰かが強力なリーダーシップで引っ張るのではなく、そこに集まった人でできることをやれば良いというブリコラージュ的な方法論の豊嶋的名称。

豊嶋 そう。石川さんがやりたいことをこの中でやってくれたらいいと思ってるので、石川さんが「いい」ものがハッピーハイカーズにおいては僕の「いい」なんで。「こんなんどう?」って言われたら「それでお願いします」としか言わない。今回はギアマルシェもパイセンにやってもらうってなったら、僕からは何もリクエストしない。今回のテーマが「ライフスタイルを語ろう」なんで、それでピンとくる出店者でお願いしますって言っただけ。

高田 全部お任せで。

石川 そこは絶妙だなって思うんですよ。2回目やった時でものすごくこの会は大きくなったんで、順当に言えばどんどん大きくなって、外からの資本も入って来れる状態だったのに。

ーーまあスポンサーとか協賛とか付けようと思えば付けられたかもしれないですね。

石川 できたのにそういうふうにしてないし、結局はそれよりも縮小してるじゃないですか。やっぱそこのさじ加減はやっぱりうまかったんじゃないかな。「200万円も貰っちゃったから」とかなってくると、豊嶋さんもその後もっとやらなくちゃいけないことも増えてくるじゃないですか。

右側が石川さん

公園を維持管理してる人

ーー何かやったことの対価としてお金をもらえるってのはよくあることで、みんな基本的にそうやって暮らしてると思うんですけど、ハッピーハイカーズの場合はやったことの対価がお金ではないじゃないですか。でもやっぱここから何かを得ているから、やり続けられてるのかなと思うんですけど。

きよら やっぱりハッピーハイカーズのおかげでだいぶ人の繋がりというか、福岡に越してきてからの人脈は広がりましたね。私はクライミングをやってるから、クライマー周りでしかあんまり知り合いがいなかったんですけど、それがハッピーハイカーズのおかげでまた広がって、それが楽しいかな。今回のギャザリングでも「久しぶりです」みたいに会える人がいっぱい増えた。3回目になって、ますます増えてきたなっていうのがあって、それが楽しみでそのためにやってるかなっていうのは思います。

高田 僕は元々UL関連のギアが大好きで、ギア好きの人たちとは山登りとかで繋がってたんですよ。そういう人たちが集まるところが何か欲しいなってずっと思ってて。それで飲み会とかしてたんですけど、当時の仲間は今もうみんな自分でメーカーとか始めて忙しくなっちゃって、そういう人たちが1ヶ所に集まるマルシェを九州でもやれたら面白いよねっていう話から始まって。ひとりじゃできないけど、僕はそういうモチベーションでやってます。

石川 僕は出版とかデザイン関係の仕事をしてるんですけど、ハッピーハイカーズも僕から見たらひとつのメディアなんですよね。自分はお金をもらって何かを作るっていうことをずっと職業としてやってきたのと同じことをやってるんだけど、ハッピーハイカーズは非営利じゃないですか。同じことやってるんだけど全然目的が違う。このメディアがどういうふうに変わっていくのかなっていうのは見ていて単純に楽しいし興味があるんですね。勉強にもなるし。「なるほどこういうふうに判断するんだ」って思うんですよ。例えば「こういうふうな資本が入るっていう話もあるんだけど」みたいなことを言ったら「え、それ断るんだ!」みたいな。

全員(笑)

石川 「それ断るんだ!」って思うの、純粋に(笑)。もっとプレゼンしてもっとこうしたらこのぐらいになるのになとか思うんだけど、違う判断をするから「へー」とか思ったりとかしてて。そういうのが割と近くにいると興味があるので、今後またどういうふうに変わるのかなっていう。それを見てるのは面白いかな。

プライベートでは夫婦であるきよらさんと豊嶋

ーーそうやって続けられてるのは豊嶋さんはどの辺がモチベーションなんですか?

豊嶋 単純に言うと、コミュニティを作るとか、自分もそれに関わることで自分の広がりとか居場所を作るとかさ、もはやハッピーハイカーズを始めた当初の目的は達成したと思う。それは終わったんだけど、もうそれ自体がひとりの人格を持ってるっていうか。すでに「ハッピーハイカーズさん」みたいなのがいる感じがあるから、僕はそれをメンテナンスしてる人みたいなイメージ?

ーー「ハッピーハイカーズさん」がいるのに、自分がやる気がなくなったからってやめにしちゃうのはよくないと。

豊嶋 なんか公園とか作ってみたらさ、皆がそこへ遊びに来るようになって、楽しく遊んでるから公園のゴミの収集ルール作ったりとか、草刈りしたりトイレ掃除の当番表作ったりとか、そんなことをしてるイメージ。

ーー維持管理をしてると。

豊嶋 それはそこを楽しんでくれてる人がやっぱりいるから、自分にとっても喜びになるというか。むかし、自分のチームで作ったレコードレーベルがAKICHI RECORDSっていうんだけど、ドラえもんに出てくる空き地みたいに、人気のある空き地を作りたいって思ってたから。だからその頃から同じことやってる(笑)。

ーー山と道HLCの活動にしても、長年北海道に通ってスキーをやり続けていることにしても、豊嶋さんはやっぱりそれが性(さが)ですよね。何かを始めたら粛々と淡々としつこくやり続ける(笑)。じゃあ今後もそんな感じで。

豊嶋 そやね。いつまでやるかとかも何にも約束できないんだけど、しばらくやってるんじゃないかっていう気はする。

ーーまあ「ハッピーハイカーズさん」が健在なうちは。

豊嶋 ハッピーハイカーズがアンハッピーハイカーズにならないうちは(笑)。

ーーそれは多分、この4人がハッピーハイカーズってわけじゃなく、もっといろいろなスタッフや関係者やお客さんも含めての「ハッピーハイカーズさん」なんですよね。

豊嶋 そうそう。みんなが「ハッピーハイカーズさん」。でも、「ハッピーはシンプルだけどイージーじゃない」って自分たちで言っているけど、本当にそう思う。でも、そっちを向いて歩いて行きたい。後で相談しようと思ってたんだけど、今日の懇親会でまた活動を一緒にやってくれる人を募集してもいいんじゃないかなと思ってるんだけど。ちょっとニュージェネレーションになるかもしれないし。

石川 いいんじゃないですか?

高田 そうですね。ニュージェネレーションに僕は期待してます!

懇親会の冒頭で挨拶するメインスタッフの4人

終わりに

トークショーが終わり、このインタビューも終わり、夜の7時からは法華院温泉山荘の食堂で、参加者、出店者、スタッフも含めた懇親会が開かれた。おそらく全参加者の8割は参加していたのではないかという盛況ぶりで、広い食堂とはいえそこに300人近くが集まり、そこかしこでワイワイと喋っている様子は、確かにコロナ禍であったらヤバすぎる光景で、正に法華院温泉山荘の社長さんが言っていた「もうみんなが気にせず来れるようになったときにやろうよ」という、それが今日だったのだと感じた。今年はギャザリング参加者で山荘に宿泊してくれる人も多く、パイセンは社長に「高田には今度、福岡で接待しないといけないな」と言われたと喜んでいた。

正に懇親!

乾杯!

正に「歓談」を絵に描いて額縁に入れたような盛り上がりの中、恒例のチャリティーオークションが始まった。ギアマルシェの出店者がそれぞれ製品やサンプルを出品するのだが、出品のセンスとプレゼン能力と場の雰囲気がどう転ぶかの運が非常に問われる場で、良いものを出しても値が上がらない場合もあるし、逆にたいしたものでなくとも値が上がる場合もある。

ただ、基本的な傾向としてオークションの最初のうちは定価5,000円のものを3,000円で落札できてラッキーだった、みたいな形で盛り上がるのだが、そのうち「いやまてよ、これはチャリティなのだから、安く落札しても意味がないのでは? むしろ、5,000円のものを10,000円で落札するのがカッコいいのでは?」という場の空気が醸成されてくると、入札競争の名勝負、珍勝負が繰り広げられ、場のテンションは狂気じみた盛り上がりと一体感を見せてくる。

グレートコッシーマウンテンは人気のDCF製トートバッグを出品

Okaraの新田あいさん

フラットアースイクイップメントの平野さんは元法華院山荘スタッフでハッピーハイカーズでもある

入札に手を挙げるローローマウンテンワークスの谷口さん

出品は出店者名のアルファベット順で行われているため、我々山と道は最後の出品となる。正直、この業界の盟主であることは否定しようのない山と道であるから、ここで変なものを出すわけにはいかない! 焦りがスタッフ間に生まれてきた。やばい! どうする? ここはもう行っちゃうしかねえ‼︎ 発売直前(当時)のAll-weather Alpha Jacketを投入して、とんでもない額のチャリティ金をせしめ、ドーンと横綱相撲を見せつけちゃおう! しかも、スタッフ木村が他のアイテムを出品する中にスタッフ久保田が割り込み、All-weather Alpha Jacketを出品する小芝居を挟むという磐石な体制を取った。

プレゼンをする山と道スタッフの木村と久保田

……が、結果はまさかの定価割れ! 当たり前である。チャリティーオークションは現金払い、この場にそんな大金を持ってきてる人いるわけないだろ!

これにて会はお開きになったが、参加者同士の距離感がグッと縮まり、みんなニコニコと、充実した顔をして山荘やテント場へと帰っていく姿が印象的だった。まさか法華院ギャザリングのメインコンテンツがウェブサイトのどこにも書いてないチャリティオークションだとは思ってもみなかったが、そういえば前回、前々回もこうだった気がする。全員が参加者になれるオークションは一体感が半端なく、これこそが「場作り」であるということをあらためて見せつけられた気がした。

そうだ。人と人が集まって、何かでひとつになれたら、きっとなんでもいいんだ。もちろんその「何か」がハイキングであることが山と道としては理想であるが、そこに生まれるコミュニティは、きっと我々の生活を豊かにしてくれる。こんなコミュニティがもっと日本中で生まれたらいいなと思うし、生まれていくだろうし、次の「ハッピーハイカーズさん」は、もしかしたらあなたかもしれない。

興味のある方は、ぜひハッピーハイカーズにご連絡を。

三田 正明
三田 正明
フォトグラファーとしてカルチャー誌や音楽誌で活動する傍、旅に傾倒。 多くの国を放浪するなかで自然の雄大さに惹かれ、自然と触れ合う方法として山に登り始める。 気がつけばアウトドア誌で仕事をするようになり、ライター仕事も増え、現在では本業がわからない状態に。 アウトドア・ライターとしてはULハイキングをライフワークとして追い続けている。 取材活動のなかで出会った山と道・夏目彰氏と何度も山に行ったり、インタビュー取材を行ったり、酒を酌み交わしたりするうちに、いつの間にかこのようなポジションに。 山と道JOURNALSを通じて日本のハイキング・カルチャーの発展に微力ながら貢献したいと考えている。
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