HIKE MIYAZAKI
九州自然歩道宮崎セクションの旅(後編)

2024.01.30

「忘れられたトレイル」とも言える九州自然歩道の宮崎セクション(350km)を歩くロングトレイルハイカー清田勝さんの旅のレポートの後編です。

今回も荒れ放題のトレイルと延々と続く舗装路歩きの旅を続ける清田さん。前編に続き「そんなとこわざわざ歩いて楽しいの?」という声も聞こえてきそうですが、前編を読んでくれたならわかってもらえる通り、それでも、いや、だからこそハイキングは「旅」そのものになっていきます。そして今回は、そんな彼の元に何人ものハイカーやトレイルエンジェルたちが駆けつけます。

日本にも本場アメリカ譲りのトレイルカルチャーが少しずつ根付きつつあることを感じさせてくれると同時に、アメリカとは違う日本ならではのロングトレイルの可能性も見せてくれたこの旅。ぜひ最後まで見届けてください。きっと無性に旅に出たくなりますよ。

前編を読む

文:清田勝
写真:田安仁

気持ちいい朝、気持ちいい人

今日はここでいいか! 僕と田安君は高速道路の高架下にマットを広げ寝床を確保した。寝床が決まらないのは、山と町を通る歩き旅ならではだ。いつも夕暮れ前に寝床を探しながら歩く。

夜の帳に包まれ出すと、日中の太陽で暖められたコンクリートが、少しずつひんやりと冷まされていく。そんな中、僕たちは眠りについた。

その夜、あれは何時頃だっただろうか。20mほど上空を走る高速道路に反響したバディのいびきはいつも以上に賑やかだった。一体どんな寝方をすればこんなに大きな音が出るのだろうか。そう思い彼の方に視線を向けようと目を開けると、そこに飛び込んできたのは、満点の星空だった。

高速道路と満天の星空。

高速道路という人が作り出した巨大な人工物と、その遥か彼方に広がる宇宙。そして、そこに点在する無数の星たち。人工物と宇宙が織りなす光景は、奇妙な美しさだった。

そんな星夜に包まれながらもう一度眠りについた。いや、いびきですぐには眠れなかった気がする。

朝6時。宮崎の日の出は少し遅い。普段住んでいる大阪で感じる朝日の時間とのズレが、この場所が遠い西の地だということを教えてくれる。

高速道路の高架下で簡単な朝食を取る。

何気なくスマホを開き、SNSを眺めると1通のメッセージが届いていた。

「おはようございます! 朝ご飯の差し入れをお渡ししたいのですが可能でしょうか?」

「田安君! 朝ご飯持ってきてくれる人いるっぽいぞ!」

「まじですか!」

「大分の人っぽい!」

「何時ぐらいに来るんですかね?」

「わからんけど、急いでないし待っとこ!」

そんなやりとりをした30分後。ひとりの男性がこちらに向かって歩いてきた。こんな時間に高速道路の高架下に用事がある人はそうそういないだろうと思い、大きく手を振った。

「初めまして!」

彼はそう言うなり、マクドナルドの紙袋とコーラを手渡してくれた。まさにトレイルエンジェルだ! 数分前までダラダラと地べたで過ごしていた僕たちは、食料を目の前にして生気を取り戻し、紙袋をあさり始める。

「ありがとうございます!」

「ありがとうございます!」

この旅で大活躍の行動食だったタルタルソースを追加。

エンジェルのダイスケさんは僕らがハンバーガーを頬張る姿を見ながら、ごそごそとカバンからポストカードを取り出した。

「実は、おふたりから以前ポストカードをいただいたんです!」

彼の手元には4通のポストカード。田安君がPCTから送ったものが1通、僕に至っては3通も送らせてもらっていた。庵野秀明展に行った時に購入した、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のポストカードが彼の手元にある。僕は一体何を送っているんだ。

いつか出したポストカードを見ながら思い出話をする。

ポストカードの種類と内容はさておき、手紙を通じて繋がれた人の縁。本当に感謝しかない。

いつも僕は旅先からSNSを通じて連絡が来た人にポストカードを送っている。2019年から始めたこの遊びで、今や1,000通を超えるポストカードを送ってきた。達筆とは程遠い僕の手書きのメッセージが1,000通もどこかに旅立って行ったことの恥ずかしさを感じると同時に、こうしていつか会えるかもしれないまだ見ぬ受取人たちとの出会いに心を弾ませてしまった。

差し入れをしてくれたダイスケさん。

そんなことを思えたのは、紛れもなくダイスケさんが数時間クルマを走らせてこの場所にやってきてくれたからだ。本当にありがとう。

「まさるさーーん!!」

あ、タニーも来た!

「おはようございまーす!」

「おぉーーー!! タニーここで来たか!!」

熊本に住むタニーも、僕たちふたりが歩いている間に「行けたら顔出しますね!」と言ってくれていた。彼もまたトレイルマジックをしに来てくれた。

「一発で見つけましたよ!」

「確かにこんな時間から高架下に居てるやつなんかおらんわな。」

「はい! トレイルマジック!」

「まじかーー!」

クーラーボックスにビールとコーラ。

アメリカのロングトレイルでは、トレイルエンジェルと呼ばれるボランティアからの差し入れをトレイルマジックと呼ぶ。ついさっき朝マックとコーラをいただいたばかりの僕たちは、思わず缶ビールに手を伸ばしていた。宮崎の田舎町の高架下で、学生の登校時間前にプシュッとやってしまった。

1本のトレイルを歩くことをひとつの物語とするなら、こんな時間が多ければ多い方がいい。感動的な景色の記憶は、時間が経つにつれて色褪せていく。だが、なんでもないこんな時間の記憶はなぜかいつまでたっても鮮明に覚えていられる。

人生を大きく変えてしまうような出来事に比べれば、見落としてしまいそうな小さな出来事だ。でも、僕はいつまでたってもこんな時間を大切にできる人でありたい。

いつもいい顔してるタニー。

タニーもまたアメリカのロングトレイルを歩いてきたハイカーだ。何千kmもの長い旅をしてきたハイカーは気持ちいい人が多い。もともと気持ちいい人だったのか、歩く中でそんな人になっていったのか、未だに答えは出ていない。

そんなことはどっちだっていいのかもしれない。僕の周りにはそんな人がたくさんいてくれている。ただそのことだけがありがたい。

ここから数日間はタニーも一緒に歩くことになった。アメリカを歩いたハイカー3人で宮崎を歩く時間は楽しくないはずがない。

タニーも旅のお供に。

3人で歩いた時間は宝物だ。

ネイティブトレイル

九州自然歩道は「長距離自然歩道」というだけあって、自然の中にルートが通っていると思う人がほとんどかもしれない。だが宮崎セクションはそうではなかった。控えめに言っても8割以上が舗装路歩きだろう。しかも残り2割のトレイルは僕たちふたりの想像を絶する荒れ具合だった。

「本当にこの道であってるんですか?」

「GPS上ではドンピシャ真上にいてるんやけどな。」

「あっ!なんかトレイルっぽいのありますよ!」

「いや〜あれ獣道ちゃうか?」

舗装路からトレイルに入ると大体こんな会話をしながら歩く。

トレイルに横たわる倒木。

どこが道かはもうわからない。

宮崎セクションを歩くハイカーはほとんどいないに等しいのだろう。8割以上が舗装路歩きで、有名な山は北端の祖母山、南端の高千穂峰ぐらいしかないとなると、わざわざこのトレイル区間を歩く人はいないのだろう。

GPSを辿り、道無き道の藪をかき分け、倒木を飛び越え、進んだ先には鹿よけのネットが張り巡らされていた。

「おいおい! ネットあるぞ!」

「でも、この先にルート続いてますよ。」

「確かに…」

「どうしましょ?」

「とりあえずネット沿いに歩いてみよっか。」

ネット沿いに歩くこと数分、GPSで確認すると、僕たちはトレイルからかなり離れてしまっていた。どう考えても鹿ネットを潜り抜けるのが正しいルートだ。

動物が突き破ったネットの穴を探し、僕たちもその道をたどる。もはや人間が歩く道ではない。足元の地面はフカフカの腐葉土が広がり、動物の気配がプンプン漂っている。

「もうちょい行ったら林道とぶつかりそうですよ!」

「なるほど。そっち向かってトレイル繋げれそうやね。」

等高線を見ながら、最短で緩やかなルートを辿っていくとそこには林道が通されており、僕たちはその林道の崖の上に出てしまっていた。高さは3〜4m。こんな場所で怪我はしたくない。崖沿いを行ったり来たりしながら下れそうな場所を探すが、どこもそれなりに危険そうだ。なんとか下りられそうな場所を見つけ、慎重に下っていく。

とっかかりを見つけて林道へと下りる。

歩く人がいないと道は自然へと還っていく。誰も歩かないから整備も行き届かない。もし、歩く人がいたとしても整備がされていないとなると、なかなかもう一度歩こうとは思わない。自然歩道にはそんな悪循環があるのかもしれない。

求められているところにお金を使う。それは誰が聞いても納得の理由だ。全国に張り巡らされた長距離自然歩道だが、人々から忘れ去られてしまう未来もあるのかもしれない。

険しいトレイルを歩いた後、舗装路にたどり着いた時の安堵感や開放感はちょっと癖になってしまう。サウナでいう外気浴みたいなものかもしれない。

合間にやってくる舗装路歩き。

その日も荒れたトレイルに苦しめられた1日だった。この日の予定していた移動距離は18kmほど。時速4kmで移動すると仮定しても4時間半で、たいした距離ではない。僕たちは朝のテント場でも余裕をかまして9時過ぎに出発したのだが、昼を過ぎてもまだ半分ほどしか進めていなかった。

この日、最後の峠越えもトレイル区間はたった数km。GPSを頼りにそこまで舗装された林道を登っていく。クルマが1台も通らないこの道は一体何のために作られたのだろう。

「まさるさん、ここから入るみたいです。」

「うそやろ。絶対違うやん!」

「見てくださいGPSこうなってます。」

「ほんまや…」

「GPS間違ってるんですかね?」

「間違っててほしいよな。」

もう少し先まで歩き、他のルートがあるか確認したものの、それらしき道はなかった。

僕たちは心の準備をするために、一旦荷物を置いて休憩することにした。

「開通当初ほんとに人歩いてたんですかね?」

「地元の人は歩いてたって言ってはったもんな〜。」

「ツアーバスで歩きに来てた場所もあったって言ってましたもんね。」

「マジで信じられへん。」

藪漕ぎ倒木を幾度となく繰り返したふたりは、これから入らなければならない藪を眺めては目を逸らし、たいした内容のない会話を繰り返した。

「じゃぁそろそろ行くか!」

「ですね。行くしかないっすね!」

ここが登山口!

「ってかなんでいつも僕が先なん?」

「だってマサルさんの方が強いでしょ!」

「僕が歩いた後やったら歩きやすいやん! たまには代わってや!」

「嫌っす! 僕、写真撮らなきゃいけないんで!」

そうだ。田安君は僕よりも明らかに重たい荷物を背負って歩いているのだった。何も言い返せずに今回も僕が先頭を歩くことになった。

とはいえ先頭は大変だ。藪を漕ぎながら足元の浮石に注意を払い、同時に蜘蛛の巣にも警戒しなければならない。何度、巨大な蜘蛛の巣に顔面から飛び込んだことか。

見事なスパイダーネット。

崩落した山の中に人工的に作られた階段の名残が見え隠れする。道とは言えない山の中で、この道が正規のルートだという微かな手がかりを辿りながら歩き進めていく。

ルート上は崩落箇所が点在し、石という石は全て浮石状態。何も考えずに歩くと簡単に落石が起きてしまう。後ろを付いてくる田安君の頭上に落石が落ちていく未来が容易に想像できる。

いつも以上に慎重に足を置いていく。こんなに緊張感を持って山歩きをしたのは、シエラの残雪ぶりだろうか。

崩れてしまった木の階段。

ふとトレイルの先に目をやると、九州自然歩道の道標が目に入った。

荒れ果てた登山道に佇む道標は、静かに直立していた。この道標を見た瞬間、なぜか心が動いた。この感覚は一体なんなのだろうか。その道標は、まるで僕たちがこの場所に来るのを待ってくれていたかのような佇まいだった。道標は、4〜50年前からあり続けるのだろうか。今までどんな景色を見てきたのだろう。

不意にあわられた道標。

この場所を通り過ぎてからも、なぜか道標のことが頭から離れなかった。

峠を越え、石並川の源流付近にたどり着いた。この場所もあまり人が入っていない故の静けさと美しさが漂っている。満身創痍の僕たちは荷物を降ろし体を休めることにした。

石並川源流。

靴を脱ぎ川に足をつけ流れる水を眺めていると、つい数週間前の祝子川でのことを思い出した。祝子川は祖母山の近くにある大崩山のすぐ側を流れる渓流で、この夏、門司港の『Cafe&Bar Tent.』のシュウさんとふたりで渓流釣りと沢登りを楽しんだ場所だ。そこで、シュウさんがこんなことを言っていた。

「渓流で生きる魚には『ワイルド』と『ネイティブ』ってのがいるんよ。放流魚が自生したのが『ワイルド』で、元々その場所に生きてた魚が『ネイティブ』。同じ種類の魚でもヒレの形が違ったりするんよね。」

なぜそんな話を思い出したかはわからない。気がつけば、「ワイルド」と「ネイティブ」の話をさっきの道標と結びつけて考えている自分がいた。

あの道標は「ワイルド」なのだろうか、それとも「ネイティブ」なのだろうか? 人工物だから「ワイルド」と捉えるのが正しいような気もするが、あの場所に居続けたとするなら「ネイティブ」の方がしっくりくる。

このセクションはお世辞でも歩きやすいとは言えない。藪漕ぎ、倒木、崩落、浮き石の連続、そして蜘蛛の巣天国。そんなワードを聞いて歩きたいと思う人は、そんなに多くはないだろう。僕もできることなら、思わず走り出したくなるような気持ちいいトレイルを歩きたい。

かと言って、「自然歩道は面白くない」なんて言葉も発したくない。

地面には動物の足跡しか残っていない。

そんなことをぐるぐると考えていると、こんな考え方が思い浮かんだ。

「長距離自然歩道=ネイティブトレイル」

50年ほど前に作られた九州自然歩道は、「藪漕ぎや倒木があるなら違う道を歩いた方がいいよな」と思う瞬間もある。それは自然歩道という正規のルートがあるからこそ、その発想が出てくるわけだ。

50年前に通された荒れ果てた自然歩道をネイティブルートと捉えるなら、藪漕ぎや倒木が多発するトレイルにあえて足を踏み入れ、足元の浮き石に注意を払い蜘蛛の巣を被りながら歩き、ひっそり佇む古ぼけた道標を見つけて、「やるな! ネイティブトレイル」と呟けば、そこは50年の時を越えたロマン溢れる道に姿を変える。その感覚はハイキングを超えた冒険に近い感覚だ。

気を取り直して再び荒れ果てたトレイルを行く。

自分が出した答えになんとなく納得感が出たところで、荷物を背負い直しまた藪の中を歩き始めた。目の前にはさっきまでと同じように荒れ果てた風景が広がっていたが、僕の心はその世界を違った視点で歩けているような気がした。

野生のハイカー

歩き始めてから2週間以上が経ち、日中の暑さは歩き始めた頃よりは和らいできた。それでも日中は程よく汗をかき、夜は気持ちよく眠れる最高の気候が続いている。明日で350kmの旅が終わる。

昨日から、宮崎県と鹿児島県との県境であり、この旅の終着点でもある高千穂峰が遠くに見え始めていた。

「明日で終わっちゃうな〜」

「ですね〜。なんかあっという間ですね。」

「今日で何日目?」

「16日目です!」

そんな会話をしながらいつもと変わらないリズムで歩き進めていると、道の先からハイキングオーラ全開のハイカーがやってきた。

オーラ全開のハイカーが来た。

まずハイタッチ!

彼が身にまとう衣類は汗が染み込み、強い日差しで色が飛び、背負っているパランテのバックパックは僕が持っているものとは別物に見えるほどくたびれている。そして肌は黒ずみ、顎には立派な髭が蓄えられている。その風貌は、どう考えても宮崎の田舎道では浮きまくっていた。

「まさるさ〜ん!」

「おぉ〜! さがらく〜〜ん‼︎」

「お久しぶりです!」

「お疲れお疲れ!」

鹿児島県出身の彼の名前は相良君。2023年のPCT(パシフィック・クレスト・トレイル)ハイカーで、なんと昨日アメリカから日本へ帰国したばかりだ。実は以前から連絡を取り合い、宮崎の最終セクションで落ち合うことになっていた。彼と一緒に歩きたいと思っていた僕は、その帰国を待つようにスケジュールを調整していた。昨日帰国したばかりの彼は野生のハイカーそのものだった。

「もう歩き終わっちゃったかと思ってましたよ! 歩くの速いですよ!」

「いやいや! (宮崎セクションの)350kmなんて1日40〜50km歩いてたら10日もかからへんやろ!」

「確かにそうですね。間に合ってよかったです!」

海外のロングトレイルを歩いてきたハイカーは、最終的に1日40〜50kmを平気で歩けるようになってしまう。一般的に考えればおかしな距離かもしれないが、数千kmのトレイルを歩いていると誰もがそうなってしまう。

道の駅で休憩しながらお互いの近況報告。

高千穂峰を眺めながら最後のキャンプ地へ向かう。

「PCTどうだった?」

こんな質問されたら困るに決まっている。あんなに長い旅を一言で表せれるはずがない。でも、あえて頭の整理もできていない歩きたての彼に聞いてみたかった。

「いや〜最高でしたね!」

やっぱりその答えが返ってきた。その声のトーンと表情で彼の旅が最高だったことが伝わる。

「次どっか歩きに行ことか思う?」

「今はわかんないですけど、あの距離歩くには負のエネルギーがないと無理そうですね。」

彼のハイキング感は今まで僕が出会ったハイカーとは一味違った。面白い。

「それってどういうこと?」

「楽しいだけであんな距離歩けないですよ! また負のエネルギーが溜まったら歩きに行く気がします。」

彼独特の世界観だとは思うが、なんとなく言っていることはわかるような気がする。数千kmの旅は大半が辛いことの連続で、楽しいのは一瞬だけだ。それなのに歩いた後には最高だったと笑顔で発している自分がいる。ロングトレイルにはなにか魔力のようなものが働いているとしか思えない。

旅の話に夢中になっていると、最終日のキャンプ地、奥霧島皇子原公園に着いてしまった。受付を済ませ、とりあえず寝床を確保する。平日のキャンプ場には1組のカップルが大きなテントを張りBBQを楽しんでいた。カップルの邪魔にならないように、少し距離を取ってそれぞれテントを設営した。

帰国直後の野生のハイカー。

宮崎セクション最後のキャンプ地、奥霧島皇子原公園。

テープで補修した寝袋自慢。

設営を終えて近くの温泉でひとっ風呂浴び、夜の宴が始まった。

それぞれテントの前にグランドシートを引き、夕食を作り始める。太陽が高千穂峰に隠れてからずいぶん時間が経っていたこともあり、少し肌寒くなってきた。テントからシュラフを引っ張り出し、ヘッドライトをつける。食事も簡易的なものをサクッと準備して、体内に放り込んでいく。

宮崎セクション最終日というのに、僕たちは相変わらず歩くための食事をしている。違うことといえば、今夜は辺りに綺麗な芝生が広がっていることとビールの本数が多いことぐらいだ。

キャンプ場での最後の夜。

「宮崎セクション歩いてる人いました?」

おもむろに相良君が聞いてきた。

「誰も歩いてなかったよ。人がいたのは祖母山と高千穂峡ぐらいかな。」

「やっぱりそうなんですね。」

「鹿児島のセクションって歩いたことあるの?」

「僕、PCT歩く前に鹿児島セクションをよく歩いてたんです。ほとんど歩いてる人いないですけどね。」

彼は鹿児島に住んでいることもあって、PCTの練習も兼ねて九州自然歩道の鹿児島セクションの一部を歩いていたようだ。

話の内容は国内の話ではあるが、アメリカのトレイルを経験してきた3人の空気感がとても心地よく、アメリカを旅している時のことを思い出した。寝転べば夜空一面に星が広がっていたあの時間。

そんなことを思い、不意に寝転がってみた。そこにはまんまるの月が僕たちを見下ろしていた。星たちはあまり見えなかったが、アメリカでもこんな夜があったなと思い出した。

「テント入るのめんどくさくなってきたな。」

「今日このまま寝てもいけるんじゃないですか?」

「確かに。夜露もあんまりないですもんね。」

「全然ありやな。」

テントの前でカウボーイキャンプ。

僕たちは何のためにテントを設営したのだろうか。目の前には空っぽのテントが立てられている。旅館に泊まったのに布団は使わず、畳で寝ているような気分だ。こんなことになってしまったのも、恐らくアメリカ帰りの野生のハイカーが会いに来てくれたからだろう。

気がつけば僕たちは、そのまま眠りについていた。アメリカを旅したあの日のように。

HIKE MIYAZAKI

17日だけだったのか、17日もだったのか、宮崎の旅最終日。高千穂峰の霧島東神社登山口に辿り着いた。10月末だというのに、薄手のシャツと短パンで歩けてしまうほどの気候が続いている。まるで夏の背中を追いかけるように歩いてきた旅だった。

高千穂峰の霧島東神社登山口。

久しぶりの歩きやすい登山道。

標高が上がり植生が変わる。

17日間を振り返ると、田安君とふたりで歩く時間と、誰かが駆けつけてくれる時間が交互にやってくるような日々だった。そんな日々を思い出すとなんだか賑やかな毎日だったなと思う。そんなみんなのおかげで、宮崎という僕の住む大阪から遠く離れた場所がひとつの故郷のような感覚になってきた。

前情報を殆ど入れずに歩いた宮崎。歩くことによって知れる自然歩道ができた過去やこれからの未来のこと。そして、過去と未来の間の「今」を歩けることへの喜び。そんなことが知らず知らずのうちに僕の心の中に湧き上がっていた。

日本全国に張り巡らされた27,000kmの長距離自然歩道。現在どれだけのルートが道として残っているのだろうか。人知れず藪の中に埋もれている道標はどれだけあるのだろうか。崩落した登山道。いつの間にか舗装路に変わってしまったトレイル。ひょっとしたら、殆どがそうなってしまっているのかもしれない。

数日前からずっと見えていた高千穂峰が近づく。

この旅で初めて樹林帯を抜ける。

僕が歩いた長距離自然歩道は、みちのく潮風トレイルと今回歩いた宮崎セクションのみ。残された約25,000kmの全貌は気が遠くなるほどの広がりを見せる。だが、僕は長距離自然歩道に可能性を感じざるを得ない。

その理由は、「旅ができる」ということ。

登山とロングトレイルの違いにはたくさんの意見があるだろう。僕なりの考えをここに書いておけば、イレギュラーを起こさないように歩くのが登山であり、イレギュラーありきで歩くのがロングトレイルだと僕は考えている。

登山は人が住んでいない高所や自然界を旅することが多い。本来は人が生きていけない場所だからこそ、道具を吟味し計画を立て、その通りに旅をする。イレギュラーが死に直結することもある。だからこそ予定通り旅をしなければならない。

一方、ロングトレイルと言われる行為は、人間界と自然界を行き来するように旅をする。トレイルによっては人間界と限りなく近い道もある。人が生きていける場所だからこそ、イレギュラーが起こってもそこまで深刻になる必要がない。逆に様々な出会いによってイレギュラーが旅を彩ってくれることもある。

山頂付近からはずっと歩いてきた宮崎の景色が見渡せた。

雷雨が来たので山頂付近の小屋に避難。

高千穂峰は天尊降臨伝説の地。山頂には「三種の神器」の天の逆鉾が突き刺さる。

要するに、イレギュラーを極力起こさない旅か、イレギュラーを楽しむ旅かという違いが登山とロングトレイルの大きな違いだと認識している。

イレギュラーが起こらない旅はあまり面白くない。

気まぐれな雷雨が通り過ぎた高千穂峰の山頂。雨雲に置いていかれまいと風たちがその後を追う。そんな宮崎セクションの終わりは、まるで夏の終わりを告げているようだった。

「寒い寒い」と駆け下りた高千穂峰の西側からは遠くに鹿児島市内が現れ、桜島が存在感を放っていた。

駆け下りた高千穂峰。

350kmという距離は、とても心地いい距離感だった気がする。人の営みが垣間見える里歩きから、「ネイティブ」なトレイル、様々な出会いや駆けつけてくれた仲間たち。350kmという道のりにあらゆるものが凝縮されていた。思い返せば僕たちは最高な毎日を歩いていたことに気づかされる。

旅の始まりから終わりまで同行してくれた田安君。PCT帰り翌日に駆けつけてくれた相良君。トレイルマジックを届けてくれたダイスケさんやタニー。その他にもたくさんの人に囲まれながら歩けた宮崎の日々。関わってくれた全ての人にありがとうを伝えたい。わかりやすく歩きやすい道ではなかったが、いい旅ができた。

ただ、こんな道は全国に広がっている。九州自然歩道の宮崎セクションは歩く価値のある道だったが、宮崎でなければいけない理由もない気がする。遠く離れた北の大地にも、東京や大阪のような大都市の周辺にも、四国や中国にも、有名な山域がない場所にも実は長距離自然歩道が通っている。

これから長距離自然歩道は注目されていくだろう。全国にいるハイカーたちが身近な自然歩道を歩き出す日が、すぐそこまでやって来ているのかもしれない。

そうなれば、荒れた登山道も整備され、藪漕ぎの必要ない歩きやすい道に変わっていくだろう。里山と人里を繋ぐような長距離自然歩道の旅は、山歩きとは違う歩き旅の新しい提案かもしれない。だが、整備も行き届かない誰も歩いていない道が、個人的には意外と良かったりする。

そう、今は今しかない。

そう思うと、忘れ去られそうになっていると思っていた長距離自然歩道も、今なお生き続けている道なのかもしれない。

こうして、僕たちのHIKE MIYAZAKIが終わった。霧島神社付近にひっそりと立てられた道標には、「九州自然歩道 鹿児島県」と刻まれていた。

霧島神社付近の道標。

【完】

清田勝
清田勝
cafe & bar peg. 店主 2013年 自転車日本一周/2014年 オーストラリア・ワーキングホリデー/2015〜16年 世界一周/2017年 パシフィッククレストトレイル /2018年 アパラチアントレイル /2019年 コンチネンタルディバイドトレイル/2020年 みちのく潮風トレイル。旅や自然から学んだことをSNSやPodcastなど音声メディアを中心に発信。
JAPANESE/ENGLISH
MORE
JAPANESE/ENGLISH