#4 奪われたオアシス

2024.05.25

メキシコ国境からカナダ国境まで、アメリカ西海岸の山々や砂漠を越え4,265kmに渡って伸びるパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)。「トリプルクラウン」と呼ばれるアメリカ3大トレイルのひとつであり、さらにウルトラライト・ハイキングそのものも、そこを歩くハイカーの中から生まれてきた正にULの故郷とも言えるトレイルです。

そんな「ロングトレイルの中のロングトレイル」PCTを、山と道京都に今年加わった新スタッフ、伊東大輔が2022年にスルーハイクした模様を綴る全10回の連載の#4。

今回も灼熱のカリフォルニアセクションを行く伊東ですが、ただでさえ少ない水場に水質汚染も加わり、ハイキングの絶対必需品である水の不足に悩まされます。ですが、そんな中でこそ出会うことのできた無償の愛と、スルーハイカーたちの絆とは。

【これまでの連載】

文/写真:伊東大輔

Thru is thru.

「700マイルだー!」

PCTに100マイル(160km)ごとにあるマイルストーンにぼくたちは両手をあげてハイタッチを交わした。このところ一緒に旅をしているターザンとウォーターボーイは「記念撮影してくれよ」と、まるで遠足に浮かれる学生のようなポーズをきめている。

この先のケネディメドウズは、アメリカでも有数の景勝地であるシエラネバダ山脈(以下、シエラ)の玄関口であり、同時に灼熱の南カリフォルニアセクションが終わりを告げる場所。日本でも名が知れ渡る、ジョン・ミューア・トレイル(JMT)もこの山脈に通されたトレイルである。シエラは多くのハイカーにとって憧れの場所なのだが、ここに辿り着くまでの灼熱の1,120kmは、大きな試練として立ちはだかり、PCTハイカーのおよそ1/3をここまでの過程でリタイアに追い込むそうだ。

もちろんそんな特別な場所にたどり着いた達成感もあったのだが、トレイルへ足を踏み入れることを躊躇させるような、ある恐怖から解放された安堵が高揚感を膨らませたのは間違いないだろう。

700マイルのストーンを前にポーズを決めるウォーターボーイ。

ケネディメドウズへと続くトレイル。

——さかのぼること1週間。50マイルチャレンジを終えて、テハチャピにあるモーテルで、ダラダラと休日を過ごしている時のことだった。先を歩く友人のハイカーから、身震いするような知らせがぼくたちの元に届けられた。

テハチャピから次の街のケネディメドウズまでの約250kmのエリアで、有害藻類ブルームという人体に有害な藻が水場に繁殖し、汲み水を飲んだハイカーたちが吐き気や腹痛の症状で病院送りになっているそうだ。「浄水や煮沸をしたらいけるでしょ」と、簡単に考えていたが、どうやらそれも効果がないそうだ。もちろんすべての水場がそれに該当する訳ではないだろうが、どこの水場が汚染されているかさえもはっきりとしていなかった。

「水溜まりはヤバいよね?」

「沢なら流れてるしいけるんじゃない?」

「大丈夫だなんて情報信じちゃダメだ。根拠がない!」

PCTハイカー御用達の地図アプリはマークポイント(地図上の水場やテント場などのアイコン)にコメントを打ち込めるのだが、そこには様々な情報が入り乱れていた。そんな水場問題を懸念し、そのエリアをスキップすることを決めて、ヒッチハイクでケネディメドウズに向かったハイカーも少なくない。

「まぁ今回ばかりは仕方ないか。それに考え方を変えれば、歩かなくても先に進めるなんてラッキーだな。」

そんな怠慢な自分が顔を表し、安全で楽な道へと逃げこむようにスキップという選択を受け入れようとしていたのだが、仲間のターザンのあるひとことにハッとさせられた。

「Thru is thru. Right? (スルーハイクはスルーハイクだろ?)」

山火事などでトレイルが閉鎖されている状況であればどうしようもないが、歩ける場所をむやみにスキップして、それはスルーハイクと言えるのか? PCTを歩き切ったと言えるのか? 彼の本質を突くひと言が、逃げていくぼくの心をグッと引き止めてくれた。

たしかによほど危険な事態となれば、PCTの管理団体からスキップの要請がでるだろうが、今回は注意アラートが出されただけ。それでもスキップが利口な選択なのだろうが、すべてを歩き終えた未来のぼくはそれに納得してくれるだろうか?
 
水が手に入らないならば持てばいいだろうと、担げる限りの水をバックパックに詰め込んだぼくたちは、明るい未来を信じて、人けの少ないトレイルへと足を踏み入れた。

ターザンのひと言がなければ間違いなく安易な選択をしていただろう。

奪われた水場

トレイルに戻ったぼくの肩に、20kgをゆうに越えるバックパックがずっしりとのしかかってくる。8Lの水に7日分の食料、食事は水を必要とするラーメンやパスタではなく、ナッツやトレイルバーを多めに用意したので、普段より荷物の重量が増している。そして当たり前だがこのエリアは水場の選別が何よりも重要になってくる。

とりあえずの作戦はこうだ。

水が流れていない水溜まりはすべてパス。わずかでも流れのある沢で持てるだけ給水し、先へと繋いでいく。最初の水が取れそうな沢までは登山口から約60km先、2日かからないくらいの距離なので手持ちの8Lでどうにかしのげるだろう。

作戦と言えるような立派なものではないが……ぼくたちにはこれ以上どうしようもない。

この日のトレイルは非常に風が強く、膨れ上がったバックパックを背負ったぼくは、ときおり大きく体を揺らされていた。喜ばしい状況ではないのだが、水を飲む量をなるべく抑えたいので、体感温度を下げる風はぼくたちの手助けをしてくれているようにさえ感じた。さらにはこれまでの南カリフォルニアセクションと比べると、木々が多く、日差しを遮ってくれているので、いくらか歩きやすい。

まるで別の惑星のような乾燥地帯の景色。

その日の15時頃、登山口から25kmの地点にある最初の水場に辿り着いたぼくは、一緒に歩いていたウォーターボーイと思わず目を合わせた。

「うわっ、これはやばいな……。」

ここは例の藻があるとされている水場だ。そこを覗き込むと、そうでなくても飲むのを躊躇させるような緑色のドロドロとした藻が、不気味に水面を覆っている。気のせいなのかもしれないが、少し生臭いにおいがあたりに漂っており、なんだか気分が悪い。
 
「ゴート! その藻には触れちゃダメだぜ!」

まじまじと藻を観察しているとウォーターボーイがそう警告してきた。

「そうなの? まぁ触らないけど、なんでダメなんだい?」

「理由はよく分からないけど……とにかくダメなんだよ! ネットにそう書いてあった。」

PCTでも毎年発生するようなイレギュラーであれば、なんらかの対策をとれたであろうが、トレイルでの水源汚染なんて聞いたことがないので、みんなが確証のない情報の中で踊らされていた。

こんな水は南カリフォルニアでは綺麗と分類されるだろう。

無駄に汗をかかないように、暑い日中は昼寝にあてた。

翌日、日中の灼熱地獄を歩き切った汗だくのぼくは、ペットボトルを大きく傾けて、最後の一滴をゴクリと飲み込んだ。ついに街から担いできた水が底を尽きてしまった。数十メートル先の水場は弱くとも流れのある沢なので、おそらく問題なく給水できるが、飲むのがこわくないと言えば嘘になる。しかし、そこで給水しないとなると、明日には干からびてしまうだろう。

耳を澄ますとちょろちょろと水が流れる音が聞こえ、そちらへ目をやるとターザンが勢いよく水を飲んでおり、その姿にぼくはツバを飲み込んだ。
 
「この沢は大丈夫……だよな?」

「たぶんな。もうガッツリ飲んでしまっているし、あとは神に祈るしかないな。」

「そうだな。手持ちの水もちょうどなくなったし……何よりもう我慢できないよ。」

日差しが強く、とにかく暑い南カリフォルニアでは、水場で思い切り水を飲むのがひとつのご褒美となっていたが、このエリアではもちろんそうはいかなかった。本当に大丈夫かと思う反面、喉を潤わせてひと息つくターザンの姿は、ぼくの目には羨ましく映っていた。

足元に流れる沢の水をボトルいっぱいに溜め込むと、早速、浄水器を通し、別のペットボトルへ移し替えた。念のため鼻を近づけるが嫌なにおいはせず、底が見えるほど透き通っているその水は、ぼくの鼓動を少し落ち着かせた。ここで給水しないという選択肢はないし……まぁなるようになるだろう。半分諦めるかのような気持ちで、ぼくはペットボトルの水を体に思い切り流し込んだ。

ほとんど流れのない沢での給水は少しためらった。

しっかり水が取れる場所では粉ジュースを溶かしてガブ飲みする。

無償の愛が気づかせてくれたもの

あれから3日がたった。

このエリアの沢水を初めて飲んだ夜、すこしお腹をくだした時は「ヤバくないか?」と、ヒヤリとしたが、その後体調を崩すことも、病院にお世話になることもなく、なんとか歩き続けることができている。どうやら汚染されている水場は限定的なようで、このところは問題なく給水できており、真っ暗だったゴールが徐々に鮮明に見えてきた。

「意外と大したことないかもな。これなら最後まで行けそうだな!」

仲間たちとは余裕なそぶりでそんな会話を交わしていたが、それは不安な自分に言い聞かせるおまじないのようなものだった。本心は「頼むから何事もなく歩かせてくれ」と、思い切り神頼みのぼくがいた。もしかしたら仲間たちも口には出さないだけで、胸の奥には不安を隠し持っていたのかもしれない。

ケネディメドウズまでは残り2日ほどで到着するのだが、その道中でぼくたちは大きな規模のウォーターキャッシュを見つけた。この場所は水の確保が非常に難しい枯渇したエリアで、トレイルエンジェル(PCTの旅を多方面からサポートしてくれるボランティアの人たち)がPCTハイカーのために大量の水を用意してくれていた。そして今回、どこの水場が原因でハイカーたちが体調を崩しているか不透明なままだったので、なんとここにあるすべての水を新しいものに取り替えてくれたそうだ。

見ず知らずのぼくたちハイカーに救いの手を差し伸べてくれる彼らには、ほんとうに頭が上がらない。彼らのサポートなしではぼくたちの旅が成立しないことは言うまでもないだろう。

大量のウォーターキャッシュ。サポートをしてくれるトレイルエンジェルには感謝してもしきれない。

そんなありがたい施しを受けている時のことだ。

10L以上ある巨大なウォータータンクから直接ペットボトルへ水を注ぐのは困難で、そんなことをすれば大量に水がこぼしてしまう。そのため給水用に蛇口つきのタンクを用意してくれており、そこに水を移し替え、さらにペットボトルに注ぐというシステムだった。ぼくがペットボトルに十分に給水した後、その蛇口つきのタンクを覗き込むと、まだ半分以上の水が残っていた。

「まだ水を移し替えなくて大丈夫そうだな。重そうなタンクだしラッキー。」

疲労もかなり溜まってきていたので、倒れ込むように地べたに寝転がると、なにやら仲間たちがバタバタと動きはじめた。自分の水を確保して満足していたぼくとは対照的に、姿の見えない次のハイカーへの気遣いを忘れずにいた彼らは、蛇口つきのタンクに水を満タンに移し替えていた。

……ラッキーだなんて思ってしまった自分を恥じた。

これまでのPCTの旅は、仲間のハイカーはもちろん、トレイルエンジェルや街の方々、他にも挙げればキリがないほどの人たちの手助けに支えられて歩かせてもらった。それなのにぼくは毎日旅することに必死で、「気遣う」という思考すら停止しているのではないだろうか。仲間たちに、そしてまわりの人たちに、なにひとつ返すことができていないことに気づかされ、自分がなにも成長できていないことにひどく落胆した。 

「スーパー行くけど何かいる?」

「洗濯するけど一緒に洗うかい?」

「テント場いいとこ見つけたぜ! そこ使っていいよ!」

些細なことではあるが、思い返すと仲間たちはいつでも他人のぼくを気遣い、そして手を差し伸べてくれていた。

ぼくはというと、「ちゃんと英語伝わるかな? おせっかいじゃないかな?」、そんなしょうもないことがいつも頭によぎり、何の行動もできずにまわりに甘えて、そして助けられるばかりだった。

やり方が分からないとか、言葉が分からないとか、そんなことを考える前にすべきことがあるのではないだろうか。ほんのちょっとの気持ちでもいい。ぼくが受けてきたたくさんの愛を、今度は誰かに返していこう。

浮き足立ってまわりが見えなくなっていたぼくを、無償の愛が目を覚まさせてくれた瞬間だった。

シエラの玄関口、セコイア国立公園の看板前で仲間たちと記念撮影。

「最後はみんなで歩かないか?」

700マイル地点を過ぎ、ケネディメドウズまで残り3kmを切ったところで、ターザンがぼくたちにそう提案した。普段はそれぞれひとりで歩くことが多いのだが、南カリフォルニアを歩き終えた達成感と、恐怖のエリアを無事に抜けられた安堵感に、最後は肩を組むようにして歩きたかったのは、どうやらぼくだけでなかったようだ。ちょっぴり大げさなネガティブな情報を信じ、自分の目で判断せず、簡単にスキップを決めていたら、きっと後悔をしてただろう。あの時、ぼくを前へと引っ張ってくれたターザンと仲間たちには感謝しかない。

「おぉー! よくやったなー!」

ケネディメドウズに辿り着いたぼくたちは、大勢のハイカーたちの拍手と歓声に迎え入れられた。予想していなかった歓迎に、少し照れながら小さく手を振るぼくを横目に、隣ではターザンとウォーターボーイが両手をあげてその声援を浴びている。この場所では試練の南カリフォルニアセクションを歩き切ったハイカーたちに称賛を送っているようだ。

ケネディメドウズはポツンと食料品店とレストランがあるだけの小さな集落なのだが、そこに寂しげな様子はまったくなく、これから始まるPCTのハイライトとも言えるシエラの旅を想う、はつらつとしたハイカーたちの熱気で溢れかえっていた。

南カリフォルニアのゴールテープを切ったぼくたち3人は、お互いを称え合うかのようにガッチリとハグを交わした。50マイルチャレンジ、そして今回の水質汚染エリアを協力し合い、共に旅したターザンとウォーターボーイは、お互いを信じ合える、まさに「バディ」というに相応しい存在となっていた。

最高のバディと憧れのシエラ。

物語のような理想の旅を思い描いていたお気楽なぼくは、すぐそばに自然の脅威が迫っていることなんて、この時はまだ知る由もなかった。

ケネディメドウズにあるゼネラルストア

多くのハイカーはこの場所にベアキャニスターを郵送する。いよいよシエラの旅がはじまる。

#5に続く

伊東大輔
伊東大輔
山と道京都スタッフ。 もともと海外に憧れを持っており、旅中の出会いにより海外のアウトドア文化に傾倒。カナダへのカヌーツーリングやアラスカでのトレッキングを経験する。もっと長い旅を求めて2022年に北米のロングトレイル、パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)、2023年にコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)、スペインのカミーノ巡礼を旅する。旅で出会ったULやハイキングカルチャーを多くの人と共感したいと考え、山と道へ入社。「自分らしい旅」を求めてこれからも様々なスタイルの旅を模索していこうと目論んでいる。
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