講義1:バックパックから見るULハイキングの歴史
1限目:ULの起源とロングディスタンストレイル

2024.06.13

ULハイキング大学、ここに開校〜! というと大袈裟だけど、結構真面目です。

ハイカーズデポの土屋智哉さんといえば、山と道としても何度もお世話になっているのはもちろん、日本にULハイキングの道を切り開いてくれた大恩人。さらに「もっと日本にUL文化を広め、継承していきたい」という想いを共通させてもらっていることもあり、それが今回ひとつの実を結ぶこととなりました。

具体的には数ヶ月に一度、山と道の大仏研究所でスタッフたちにバックパックやテント、シューズや寝袋など、ULハイキングの基本装備ごとにその来歴や現在の状況などについて語ってもらうことになったのですが、実際にやってみると「これって大学の講義じゃん」という濃ゆい内容に。それをスタッフだけに留めておくのはもったいない! ということで、山と道のお客様やJOURNALS読者の皆さんにも広く共有することとしました。

さまざまなULバックパックが壇上にずらりと並べられた講義の1限目では、ULハイキングの歴史を紐解きながらULバックパックの誕生まで迫りますので、皆様ノートとペンのご用意をお忘れなく。それでは1限目のはじまりはじまり。

講義:土屋智哉
構成/文:李生美
構成/写真:三田正明

講義は神奈川県鎌倉市の山と道大仏研究所で行われ、多くのスタッフが集まりました。「なんかいつものトークより緊張するなあ」と土屋さん。

はじめに

おはようございます。東京三鷹でハイカーズデポというお店をやってます、土屋といいます。よろしくお願いします。実は2年ぐらい前から(山と道代表の)夏目さんともうちょっと会社同士でも、何かウルトラライトハイキングで一緒にできないかっていうのは言っていて、今日はこういう機会を作ってもらいました。

山と道のスタッフは山と道の製品にめちゃくちゃ詳しいと思います。ただやっぱりどうしてもメーカーさんって、自分たちの店の商品が中心になってくるので、周りの商品をチェックはしてるんだろうけども、アップデートが追いついてない場合もあると思います。あとは全体の中でも山と道のバックパックの立ち位置みたいなものを明確にしていくと、ブランドとしての強みであったり、ブランドとして山と道として、自分たちが何をユーザーさんに届けるべきなのかっていうものが見えてくると思います。

その中で今日話したいことっていうのは、ウルトラライト・ハイキングがどういう形で始まり、そのきっかけとなったロングディスタンス・ハイキングがどのように変遷をして、その中でバックパックのトレンドがどう移り変わってきたのか、その流れをまずは一旦整理します。

その上で、典型的なフレームやヒップベルトもないような狭義のULバックパックと、今あるようなフレームが入っていたり、腰加重もできるような広義のULバックパックの違いを1回整理していく。今日はそんな形にしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

土屋智哉:東京都三鷹市のULハイキングの専門店Hiker’s Depot店主。日本にULハイキングの文化や方法論を紹介した先駆者的存在で、メディア出演も多数。著書に『ウルトラライトハイキング(山と渓谷社)』。

ULの基礎となったバックパッキング

ULの話になると、レイ・ジャーディンの『PCT Hiker’s Handbook』(1991年)と、改訂版の『Beyond Backpacking』(1998年。現在はさらに『Trail Life』として改訂されている)の中で書かれてる、彼の方法論「レイ・ウェイ」が原点とされていることが多いです。

『Beyond Backpacking』を掲げる土屋さん。

なんでレイ・ウェイが生まれたのかというと、その前に「バックパッキング」という言葉がありました。アメリカで、コリン・フレッチャーという人が『遊歩大全』という本を1968年に出版します。バックパッキングのバイブルになっている本で、この中で書かれたことが1970年代にアメリカの中で大きく広がり、80年代に日本に入ってきます。当時の山と渓谷社の雑誌『アウトドア』や、小林泰彦*さんみたいな人たちが文化として取り入れた形になります。

*1935年生まれ。画家、イラストレーター。山やハイキングに関する創作活動も数多く行ない、特に70年代〜80年代にかけてはアメリカの風俗やアウトドア文化を数多く日本に紹介する役目を担った。主な著作に『ヘビーデューティーの本』『イラストルポの時代』『日本百低山』など

土屋さん私物の『ハイアドベンチャー』と『遊歩大全』。『遊歩大全』は現在は一冊にまとめた文庫版が手に入る。

そして『遊歩大全』が出た後の1971年に、エリック・ライバックという若者が、初めてPCT*(パシフィック・クレスト・トレイル)のスルーハイク*に成功するんですね。彼が出版した『ハイアドベンチャー』の表紙を見ると、フレームザックを背負っていて、オールドスクールなバックパッキングスタイルで歩いています。

*アメリカのメキシコ国境からカナダ国境まで、アメリカの西海岸を南北に縦走する4,265kmのロングトレイル。AT(アパラチアン・トレイル)、CDT(コンチネンタル・ディバイド・トレイル)と並ぶ、アメリカの3大ロングトレイルのひとつ
*ロングトレイルの全区間を1シーズンで完全踏破すること

コリン・フレッチャーは『遊歩大全』の中で「歩くこと」と「生活すること」の両方を大事にしています。当時のバックパッキングのスタイルは基本的には家の中にあるもので、「台所のシンク以外は全部持っていく」みたいな感じです。当然キャンプサイトでの生活のための道具も、そんなに排除しないで持っていってるんだよね。なので、バックパックがデカいし重い。当時30kgのバックパックを普通に背負うスタイルになったのは、原野での生活の部分にも重きを置いていたからです。コリン・フレッチャーが歩いていた時代はトレイル自体も少なく、整備も進んでいませんでした。だから本当に道もない原野でも野外生活ができるための道具をもっていっていたというイメージですね。

ロングディスタンストレイルとULハイキング

70年代と80年代はずっとこういうスタイルでした。1980年代にPCTを歩く人間なんてごくわずかで、その頃のPCTハイクの成功率はいろんな書籍を見ていると大体5%ぐらいなんですよ。レイ・ジャーディンが最初にPCTをスルーハイクしたのは1987年です。当時の彼も、かなりデカいザックを背負ってました。

写真左が当時のレイ・ジャーディンのスタイル。その様子は彼のウェブサイトでも確認することができる。

そもそもトレイルがそんなに整備されてる状況じゃない、PCTもルートとしては存在してるけども、全部が繋がってたわけではない。歩く人も少ないとなってくると、当時のPCTハイカーは比較的トレイルのない原野で生活するってことも踏まえて装備を用意するのが当然だったということですね。

当時のレイも従来のバックパッキングの方法論で、PCTを奥さんのジェニーさんとスルーハイクするんだよね。だけど、やっぱりいろんなダメージで悩まされるわけです。その結果、「4,000kmの旅をするときに30kgの荷物は果たして必要なのか?」と疑問を抱くことになります。要は、30kgの荷物を持つから成功率が下がっているのではないかとレイは考えたんですね。

日本にロングトレイルやアメリカの国立公園のことを紹介した第一人者である加藤則芳*さんも、1994年に初めてJMT(ジョン・ミューア・トレイル)を旅したときは45kgを背負ってるんだよね。でも、トゥオルミー・メドウで断念するんです。今のULの装備だったら、仮にハッピー・アイルズでスタートしたら1日で行ける距離です。加藤さんも荷物の重さがダメージになったと判断して、翌1995年に減量した30kgのザックで再チャレンジしました。

*作家としてジョン・ミューアの研究や、アメリカのロングディスタンストレイル文化を日本に紹介した先駆者で、信越トレイルの開通にも尽力したが2013年に死去。著書に『森の聖者 自然保護の父ジョン・ミューア』『ジョン・ミューア・トレイルを行く』『メインの森を目指して』など多数。

もちろん日米問わず、今もこうしたバックパッキングスタイルの装備で歩くハイカーは少なくはありません。しかし二人の事例からもわかるように、この重さを持ってずっと歩くと怪我をするリスクが高くなります。だからレイ・ジャーディンは自分なりの軽量化の方法を実践していきます。そこには彼の「こんなにモノはいらないんじゃないか。メーカーやアウトドアマーケットが言う必要なものとは、商業主義にまみれてはいないか」というラディカルな思想も入ってくるんで、ややこしくはなるんだけれども(笑)、PCTの成功率をあげるために、装備をどう軽量化するかっていうのが、それ以降のレイ・ジャーディンのトライアルになっていくんですね。

その軽量化の実践がまとめられたのが『PCT Hiker’s Handbook』です。つまり、これはPCTを踏破するための軽量化を実践している本なんだよね。だからULの原点であるレイ・ウェイの方法論は、PCTなどのロングディスタンストレイルをスルーハイクする成功率を上げるための方法論として生まれました。

当時、ULを紹介する記事やブログに多く掲載されたPCTを歩くレイ・ジャーディンのポートレート。上半身裸でスパッツを穿き、レイウェイのバックパックを肩掛けして歩く彼の姿はULの象徴として黎明期のULハイカーの胸に刻み込まれた。※画像は『Trail Life』より引用

レイは「歩くこと」をすごく重視しているので、トレイルでの生活の部分を必要最低限なシンプルなものに変えていきます。だから、テントじゃなくてタープ、ガソリンストーブじゃなくてアルコールストーブでいいんじゃないか。寝袋に関しても、彼の場合は奥さんと一緒に行動をしてたので、寝袋をふたつ持っていくよりは、ひとつの寝袋を布団のようにかけた方が、パートナーのぬくもりで保温力も担保できるから、寝袋自体のグレードを落とせるんではないのかと考えました。

レイとジェニー・ジャーディンのキャンプ風景。レイウェイの自作バックパックとタープが確認できる。※画像は『Trail Life』より引用

そういうふうに従来の既成概念にとらわれない発想をしていった。これは生活の部分を軽視したり諦めたりするのではなくて、生活をシンプルにすることで装備を軽くして「歩くこと」にどんどん特化させていくことです。怪我をせずに歩けるようになるための方法論だと考えてもらうと、なぜULのキャンプではタープが多いのかとか、いろんな部分が整理できると思います。

レイウェイをプロダクト化した
ゴーライト・ブリーズ

長距離ハイキングのための方法論として「レイウェイ」が生まれて、彼はその方法論を実践するために自分が設計したバックパックやタープやキルトの自作キットを販売しました。ここにはそのレイウェイの自作キットでバックパックを作ったことがある人もいると思いますが、それをプロダクトとして形にしたのがゴーライト*のブリーズというザックです。

*1998年に誕生したULのパイオニア的なブランド。ブリーズを始めUL初期を支えた様々なプロダクトをリリースしたが、2014年に倒産。数年後に経営陣が変わりアウトドアアパレルブランドとして再出発したが、今年2024年にジャムやシャングリラなど過去のバックパックやテントがリニューアルされて発売されるとか。

これを見ると山と道の皆さんにはすごく親しみやすいと思います。フロントポケットとサイドポケットがメッシュで、雨蓋がない。フレームもパットもヒップベルトもなくてショルダーのみです。山と道のMINIとかMINI2もパッドや補助的なヒップベルトはあるけど、基本構造は同じだよね。要はこれが狭義の意味での典型的なULのバックパックだと考えてもらっていいと思います。このスタイルが多様化していく現在のUL系譜のバックパックの起源なんですね。

GoLite: Breeze フロントとサイドのメッシュポケット、雨蓋なしのメイン気室開口部など現在に繋がるULバックパックの特徴がすべて入っている。1998年発売。

背面はフレームもパッドもなく、ヒップベルトもスターナムストラップもつかない簡素な作り。

ハイカーが背負っているのは生活するための道具ですから、それをシンプルにしていくと、荷物も軽くなってベースウェイト*が4.5kg以下になってくるんだよね。そうすると水食料を加えても、トータルウエイトで10kg以下に抑えることが苦でなくなります。そうすれば怪我のリスクも大きく軽減される。自分の体力や能力を最大限に活かせるようになる。歩くことに集中してスルーハイクの成功率も上がるはず。それを叶えるのがレイの考えたバックパックなんですね。

*食料・水・燃料などの消耗品を除いた装備の重量

2000年に入ると、ライアン・ジョーダンが立ち上げたバックパッキング・ライト(BPL)というサイトのフォーラムがウェブ上ですごく活性化します。ここで大きく変わってくるのが、ロングディスタンスハイキングの方法論として始まったレイ・ウェイだけど、これはウィークエンドでも有効だとBPLで議論されていくんです。当時の数少ない長距離ハイカーのためじゃなくて、ハイキングをウィークエンドや5日くらいの休暇で楽しむ人間にとっても、軽量化の方法論はめちゃくちゃ役立つでしょうということです。

そんな議論がBPL上で活性化していくと、オタクが出てくるんですよ。どの世界でもそうだけど、オタクが「俺はもっと軽くできるぞ」「いやそんなの俺はもっとできるぜ」と張り合ってどんどん軽量化していくうちに、今、みなさんが知ってる「ウルトラライト」という言い方が自然発生的に出てきました。ULはさまざまなハイカーによる集合知として育まれていくんですね。

自分はやっぱそのライトウェイトじゃなくて、ウルトラライトなんだっていうところにすごくインパクトを受けました。そのウルトラっていうところに、あのレイ・ジャーディンが言っていた自然とのコネクションみたいなものを改めて重視する思想的な部分だったり、ベースウエイトっていうものを考えるロジカルな方法論っていうところに、今までの装備の軽量化とは違う何かを感じて、ウルトラっていう言葉を使うことに自分はすごくこだわりも持ったし、いわゆるカルチャーとしての面白さを当時から感じてたんだと思います。

ULのイメージを決定づけた
ゴッサマーギア・マーマー

で、当時の日本でULというと、ゴッサマーギアのマーマーというバックパックの初代モデルの印象がすごく強かったんですよ。

ゴッサマーギアはゴーライトと同じ1998年に誕生したメーカーです。創業者のグレン・ヴァン・ペスキは子どものためにミシンでバックパックを縫うところからスタートして、ハイカーたちにも売るようになって、型紙も公開していました。

ゴッサマーギアはこのマーマーに先駆けるG5というバックパックからの流れでとにかく軽くて容量も少ないモデルを精力的につくっていました。そして先ほど言ったようにこうしたULバックパックは長距離トレイルのスルーハイクは想定していないんですよね。あくまで3ー4日程度の行程。当時質問したら実際にそう言ってました(笑)。ヒップベルトこそついているけど、生地はブリーズよりもペラペラな極薄生地になっていきます。

なので、ULに懐疑的な層からは「極端な軽量化」と批判され揶揄されるようになるんだよね。「あんなんで山に行けるの?」「山行ってないやつがなんかいろいろ言ってるぜ」みたいな。僕が前職のアウトドアショップに勤めていた2000年代前半は「ふざけんなよ」って思ってたんで、「こういうので日本の山歩いてやるぜ」っていうのをやってた血気盛んな時代ですね(笑)。実際にはその過程でいろいろ失敗もしてきましたけれどね。

Gossamer Gear: Murmur 現在もアップデートして販売されているマーマーのファーストモデル。2010年にグレン・ヴァン・ぺスキ氏が来日して日本のハイカーと歩いた際にこれを使用していたこともあり、UL=マーマーの印象が強まった。

ブリーズと同じくフレームのないシンプルな背面。ゴッサマーギア独自のディティールとして、マットを差し込んで背面パッドとして使えるポケットがついている。

でも、こういうある意味極端な例があったから、ウルトラライトっていうのはインパクトが与えられた。そこが多くの人が「これって今までの普通の山登りとは何か違うんじゃないの?」っていうのを感じた部分だと思うんだよね。日本では当時、ロングディスタンス・ハイキングなんてそんなのやってる人も知ってる人もほとんどいない状態だったけど、ウィークエンドのハイキングでも有効なんだってなると、多くのハイカーにとって自分ごとになるじゃない?

なのでこの時代、2000年代の中盤から後半にかけて、日本でも徐々にULオタク的な人が出始める状況になってきました。

というわけで、ここまではULハイキングやULバックパックの誕生の話をしてきましたが、2限目ではそんなULバックパックがどんなふうに変化していったのかをお話しします。

【2限目に続く】

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