0123456789 ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZ abcdefghijklmnopqrstuvwxyz あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわをん アイウエオカキクケコサシスセソタチツテトナニヌネノハヒフヘホマミムメモヤユヨラリルレロワヲン
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HIKING AS LIBERAL ARTS

#4 DONI:呼吸〜この不可欠で不思議な行為について〜(後編)

呼吸とは「受け取り」「与える」こと。その循環に先にあるものとは
企画/取材:豊嶋秀樹
構成/文:渡邊卓郎
編集/写真:三田正明
2025.06.20
HIKING AS LIBERAL ARTS

#4 DONI:呼吸〜この不可欠で不思議な行為について〜(後編)

呼吸とは「受け取り」「与える」こと。その循環に先にあるものとは
企画/取材:豊嶋秀樹
構成/文:渡邊卓郎
編集/写真:三田正明
2025.06.20

山と道HLCディレクターの豊嶋秀樹をホストに、身体行為としてのハイキングをリベラルアーツ(固定概念や常識から解放され、自らの価値基準で自由に行動できるようになるための学問)として捉え、同じく身体行為である「見る」ことや「聞く」こと、「食べる」ことなどを手掛かりに、ハイキングのその先にある価値と可能性を探っていく連載『HIKING AS LIBERAL ARTS』。

#4後編の今回は、引き続きヨーガ実践者であり、徳島県海陽町でリトリートビレッジ「KUO GREEN VILLAGE」を運営するDONIさんに「呼吸」についてさらに深く話を聞いていく。呼吸とは「受け取り、与える」ことであり、世界との「つながり」…? 

たった今もあなたがしている行為、「呼吸」について、ここでゆっくり深呼吸して、あらためて感じて、考えてみよう。

空気を取り入れることと出すこと

――呼吸っていうのは、エネルギーを巡らせる方法としてすごく有効であり、むしろ、必須なことだとよくわかりました。巡らせることによって、固まっていたものや詰まっていたものが動き始めて、ちゃんと流れ出す、ということなのでしょうか?

そうですね。たとえば、この目の前に流れている川は水が飲める川と話しましたけれど、ちょっとした堰や石があって、流れが止まって水が動かない場所は、だんだんと淀み、虫がわいたりもします。そうすると、その部分は飲めなくなりますよね。それと同じで、水やエネルギーが滞った瞬間に、どんなにクリアなものでも、どんどん違う性質のエネルギーに変わってしまうのです。動きが止まることで腐敗が始まる。逆に流れがあれば、そこに呼吸が生まれ、生命が動き始める。これは自然の摂理です。呼吸も同じで、空気を「取り入れる」ことと同じくらい、「出す」こと、つまり吐き出すことが重要なんです。吸ってばかりではうまく巡らないし、吐いてばかりでも不完全。吸うことと吐くこと、その両方がバランスよく働いてこそ、体内のエネルギーはスムーズに循環します。川の流れも同じです。石の配置を少し変えるだけで、詰まっていた落ち葉が流れ出し、また清らかな水が戻ってくる。人の体も、それとまったく同じ。呼吸を整えることで、滞っていた感情や思考が流れ始めるんです。

――なるほど。吸う・吐くが一対で機能しているということですね。どちらも同じくらい大事。

そうです。入口と出口、両方が等しく大事です。

――呼吸の方法の話も聞いてみたいんですけど。ヨーガの呼吸法で、僕が少し知っている範囲だと、鼻をメインに使う呼吸法が多いですよね。口ではなく鼻を使うのには、何か理由があるんですか?

いわゆる「ヨーガではこうです」とか「体の機能的にこうです」といった説明は、調べればいくらでも出てくると思うんですが、僕はそういう理屈だけにはあまり頼っていないんです。やっぱり大切なのは、自分が何を感じているか。聞いた情報に合わせて体を動かすのではなく、自然と共に暮らしながら、自分自身の体験を通じて見えてくる感覚が大切なんです。そんな自分として思うのは、口での呼吸が悪いわけではないということ。鼻にも口にもそれぞれに役割があって、鼻の呼吸は、空気の量を繊細にコントロールできて、呼吸そのものをよりていねいに扱える。僕はそう感じています。

――分かります。今、自分で聞きながら試してみましたけど、口のほうが管が太い感じがしますよね。鼻と比べると、明らかに違う。

そうなんです。鼻は管が細い。だから、「はーっ」と一気に吐き出したい時には、やっぱりその時の気持ちや状況に応じて、口で吐く方が向いていると思います。ため息なんかも、体の中に溜まったものを出す大事な行為ですよね。でも、口だけでは処理しきれないものもある。鼻には鼻の役割があって、右の鼻、左の鼻、それぞれに異なる働きがあります。そのバランスが整っていないと、感情にも身体の機能にも影響が出てくる。片鼻呼吸のようなヨーガの技法もありますが、僕自身は名前にとらわれず、呼吸を全体に巡らせる感覚を大切にしています。呼吸を見つめることで、まず自分を知る。それが大切な第一歩です。その使い方を知らない人は、意外と多いかもしれません。

――記事では伝わりづらいかもしれないんですけど、「こういう呼吸法があるよ」って教えてもらいたいなと思うんです。

色々ありますけど、朝一番の呼吸はひとつの方法だと思います。吸って吐いてという呼吸のリズムと同じように、満月と新月、夜明けと夕暮れというように、この世界には波があります。そのリズムに合わせて体は維持されている。1日の中で最もピュアなのが、やはり明け方です。夜に一度リセットされて、目覚めた瞬間の時間帯のエネルギーって、本当に特別なんです。子どもが生まれる前、僕ら夫婦は朝の2時過ぎに起きてヨーガの練習をしていたんです。なぜなら、その時間帯のクリアなエネルギーに触れてしまうと、もう取り憑かれたように早起きしたくなる。虫も鳥もまだ眠っていて、本当に静寂の時間がそこにある。まるで宇宙が目覚めるような時間なんですね。その「一番風呂」みたいな時間に、ていねいに静かに吸って、静かに吐く。それって簡単なようで、実はとても難しい。でも、その最も良い状態のエネルギーを体に取り込むと、その日1日がまったく別物になります。

――ていねいな呼吸のやり方ってあるんですか?

口を閉じて、体中を満たしていく。吸う時にはまず下腹部から満たしていき、そこが満ちたら胸、さらに鎖骨、肩と上へ満たしていく。逆に吐く時は、肩、鎖骨、胸、下腹部と、意識を持ってていねいに全部を使って吐き出していく。

――今のプロセスを一回の呼吸の中で意識して、それを繰り返すということですね。

ヨーガ的な言葉にすれば「完全呼吸」とかになるんでしょうけど、大事なのは、呼吸を体全体に巡らせていくこと。そして、呼吸をしなければ、本来の呼吸ができなくなってしまう。普段の呼吸は、身体の上の方だけでしていることが多いです。下手すると、胸どころか首から上だけで呼吸しているような感覚かもしれません。でも、本来の呼吸とは、頭頂のその先から、指先、足の先まで、全身を通して行われるものだと僕は思っています。

医学的なことは分かりませんが、実感として、意識的な深い呼吸によってエネルギーは全身に行き渡る。そして、そこに意識を向けることで、身体の中がどんどん「通っていく」ようになる。それは、「見れるから、そこに届く」という感覚ですね。

【完全呼吸の方法】

  1. 楽な姿勢で座って背筋を伸ばし、ゆっくり鼻から息を最後まで吐ききりながら、お腹をへこませていく。
  2. 鼻から息を吸いながら、自然にお腹をふくらませていく(腹式呼吸)。
  3. そのまま鼻から息を胸に行き渡るように吸って開いていく(胸式呼吸)。
  4. 胸を開いたまま、鳥が翼を広げるようなイメージで肩や鎖骨や少し持ち上がる程度にさらに深く息を吸い込んでいく(鎖骨式呼吸)。息を吸いきったら2〜3秒息を止める。
  5. 鼻からゆっくり吐きながら、肩や鎖骨から息を抜いていく。
  6. そのまま息を吐き続け、胸と肋骨を閉じていく。
  7. 最後まで鼻からゆっくりとお腹の息を吐き切る。

――その場合の「見れる」とは、どういうことなんでしょう?

感覚として、たとえば、頭頂にちゃんと意識を向けられるか、手や足の指先に感覚を向けられるか。そこに意識が向くと、エネルギーもそこに届こうとするんです。感覚って、内臓も含めて、呼吸や瞑想を通して、少しずつ細部まで「見れる」ようになってくると思います。

変な話ですが、麻酔をしていない状態で内臓に針を刺されたら痛いですよね。つまり、そこに感覚はちゃんとある。でも普段は、その感覚にアクセスできていないだけなんです。

――なるほどなるほど。「見る」は意識を向けて感じられるようになるということですね。

やっぱり「見る」ことで、そこにアクセスできるようになるんですよね。でも、日常の中ではそれが本当に難しい。最初の呼吸が浅いのと同じで、せっかくこの体があるのに、僕たちはそれを十分に扱えていない。つまり、自分の身体に対して「見ていない」から、そこに意識が届かず、結果的にその部位や感覚にアクセスできていないということです。それには、きっといろんな理由があります。感情的にも身体的にも、何かが滞っていて、意識を向けようとしても感覚が遮断されている。「見る」という行為にも練習が必要で、見ようとしても、それまでの習慣や慣れによって制限されてしまうんですよね。

でも、たとえばスポーツをしている人であれば、使う筋肉や指先の感覚まで意識が行き届いていることがあります。それと同じで、使っている部分には意識が通いやすい。でも、それが常に全身に向けられているかといえば、そうではなくて、結果として「見えている部分しか使っていない」状態が多いんです。そうなると、呼吸もエネルギーも、届く範囲が限定されてしまう。その結果、「心地よい」と感じられる体験の範囲も狭くなってしまう。でも、呼吸や姿勢、気の巡りといった基本的なことを少しずつ整えることで、それが自然に開かれていく。まるで川が自然と落ち葉を流してくれるように、滞っていたものが流れ始める。これは自然界の原理と同じです。

――自然界全体が呼吸している。

そうです。本当に同じことが起きています。土の中だって、コンクリートで覆ってしまえば水も空気も流れなくなる。そうすると、植物も根を張れなくなってしまう。自然の中では、植物と僕たち人間が、二酸化炭素と酸素を交換しながら共に生きている。僕たちが吐いた息を植物が吸い、植物が出した酸素を僕たちが吸う。これは単なる一方通行ではなく、明確な「交換」なんですよね。だから、「いい呼吸とは何か」と考えたとき、僕はため息を含め、全ての呼吸が自然とのつながりの中での大切な行為だと思うんです。それがやさしく穏やかな気持ちで、クリアな状態で行われていたなら、それは自然にとって、宇宙にとって、ものすごく貢献になっているんじゃないかと感じています。

つまり、呼吸というものを「自分の健康のためだけの行為」として考えるのではなく、「自然との循環の中で自分が担っている役割」として捉える視点があると、感じ方が大きく変わってくると思います。「自分を整えたい」「健康になりたい」という思いは大切ですし、それが出発点になるのもいい。でも、それだけで終わってしまうと、自分と自然のつながりが見えなくなってしまう。閉じた、自分だけの小さな世界で完結してしまうんです。自然があってこその僕たちです。山に癒されるのも、そのつながりを受け取っているからこそ。自然の中で呼吸することで、僕たちは「もらっている」し、「与えている」。その双方向性に意識を向けると、呼吸のあり方自体が変わってくると思います。

DONIさんが手を入れている自然農の畑(取材時は休耕中だった)。自然農では耕さず、雑草も土壌の栄養素と考え抜かないため、一見、雑然とした草むらにも見えるが、そこにある植物たちが互いに補完しあうことで科学肥料や農薬に頼らない野菜作りができる。

「持たないこと」で見えてくるもの

――生命維持のための呼吸というところから始めたけれど、自分を取り巻く環境と呼吸を通してフェアな交換活動ができれば、それが自分自身の救いにもなるということが、よく理解できました。

自然がより輝ける状態であってほしいという活動も、結局は自分自身に向けた活動と同じなんですよね。それがより良い循環につながっていく。自分が「もらっている」ということも、きちんと理解しないといけません。

――吸い続けるだけの人は、循環しない。吸って、吐いて。それを繰り返さないと、誰も生きていけないということですね。

そうなんですよ。吐くことも必要です。みんな、もらっているんですよ。僕らが出した二酸化炭素でさえ、別の生き物が吸ってくれている。

――少し観念的な話だけど、すべての生命活動って、ある意味で呼吸そのもの。呼吸と同じような関係性で成り立っているって言える気がする。呼吸は生命そのものなんだなと思いました。

その通りだと思います。さっき話した波形にもつながりますが、僕たちもいずれ老いて、死を迎える。人間は自分の人生が特別に感じられるかもしれませんが、自然界から見たら特別なことではなく、結局はエネルギーの循環の一部。土から生まれたものが、命を使ってまた土に還る。ただそれだけのことなんです。呼吸も同じで、外から取り入れて、命を使って、そしてまた出していく。地球をひとつの命とするならば、僕たちはその中に一瞬現れては、また消えていく存在なんですよね。それはヨーガの考え方でもあります。

――「吸う」と「吐く」。「生きる」と「死ぬ」。それらはひとつなんですね。人間はどうしても「生きること」ばかりに注目しがちだけど、質量的には「死」も同じくらいのボリュームがあるということですね。

そう。死があるから生がある。破壊があるから創造がある。それはひとつのセットなんです。

――思ったのは、呼吸ってすごく軽んじられてるってことですね。生きていく上で一番大切なことなのに、ちゃんと教えられていない。食べることについてはよく「そんなもの食べたら健康によくないよ」とか言われるけど、呼吸に対して「そんな呼吸ばっかりしてちゃダメだよ!」とは言われない(笑)。

僕らはヨーガの現場で長く人を見ているので、この人は呼吸が浅いなとか、今こういう状態なんだろうなって、なんとなくわかるようになってきます。若い頃、山に登っていた時はまだヨーガはしていませんでしたが、重い荷物を背負って前かがみになると苦しくなって、そこから姿勢を正して呼吸を通す方法を自然と見つけていました。呼吸が浅くなると、視野が狭くなる。だからこそ、胸に息を入れる。それだけで見える世界が広がるんです。光が見えてくる。エネルギーですからね。胸を張っている人で、暗い人ってなかなかいなさそうじゃないですか。

――呼吸に意識を向けると、自然に姿勢もよくなるんですね。呼吸を常に思い出すこと、大切ですね。いろんな方法はあるけれど、まずは呼吸を意識することから、ですね。

そうなんです。呼吸が巡っていない状態にも、ある種の「慣れた居心地の良さ」ってあるんですよね。でも、そこに甘んじず、ちゃんと「呼吸を見る」ことが大事。いつもより5分早く起きて、呼吸をていねいに観察する。それだけで世界の見え方が変わります。それがヨーガなんです。ヨーガは、ただの健康体操じゃなく、自分を見つめる時間であり、そのための手法であり、それが本質なんです。

――今日は深いところまでダイブできて、すごく楽しいです。呼吸は大事だと思っていたけど、それが「すべて」でもあるんですね。

まさにそうですね。呼吸は人が世界とつながる最初の行為とも言えます。赤ちゃんはへその緒で母体とつながっていたけれど、それが外れて、この世界とつながる最初の瞬間が「呼吸」ですものね。

――つながりなんですよね。僕らがやっているハイキングも、山とのつながりなんですよね。それは、山との「呼吸の交換」なんだなと、あらためて気づきました。

やっぱり、つながれるからこそ、なんです。僕らは何かを足して自分を固めるのではなく、つながりの中で生きている。そのつながりがなければ、生きていけない。すべての生き物がそうなんです。インドの方が話していたことですが、巡礼に出るとき「お金を持って行くな」と言われたそうです。お金があれば、ホテルに泊まり、物を買って終わってしまう。でも、お金がなければ、誰かと話す、助けを求める。そこに、つながりが生まれるんですよね。

「持たない」という体験を通して、自然を観察するようになるし、「どこで寝よう?」と風の音や草の揺れに耳を澄ますようになる。そういう感覚が呼び覚まされるんです。

――それって、まさにULハイキングに繋がる」世界観ですね。

そうですね。物を持つことで見えなくなるものもある。でも、持たないからこそ見えてくる世界もあるんです。インドの文化や学びの中に「私はこの体ではない」という教えがあるんですが、これは「体に自分を限定しない」という視点なんです。体だと思ってしまうと、死が怖くなるし、「終わり」が訪れるように感じてしまう。でも、「私は全体である」と腑に落ちると、その先に広がる視野がある。だからといって、体の存在を軽んじていいわけではありません。この体には、この体の役割がある。全体の一部として、果たすべき働きがあるんです。何をしてもいい、ということではなく、すべての存在にはそれぞれの役割がある。その役割を果たすことが、全体としてのつながりとなっていく。とても大切なことだと思います。

――「自分」というのは一体何なのかという問いかけですね。

そうですね。「自分の体」「自分の心」と認識してはいるけれど、それが「本質的な自分」ではない、ということ。多くの人は、その「見られている側」である心を「自分そのもの」だと誤解しています。でも、よく考えてみると、心を認識している「誰か」がいる。つまり、それが「私」なんです。感情が起こること自体は、否定する必要はない。それは草がそこに生えているように、「事実」です。でも、その事実に巻き込まれて「こんな自分はダメだ」と思い悩むのは、自分を見失っている証拠です。怒りも嫉妬も、悪い感情ではなく、「出てきたこと」自体に意味がある。見つめ続ければ、自然と変化していく。たとえば、畑の草も、最初はツンツンしていても、時間が経てば柔らかくなる。心もまた、同じように変化していくものです。

言葉はあくまで補足的なもの。本当に大切なのは、「今、自分がどんな状態にあるか」をちゃんと見れているかどうか。そのほうが、物事の本質や真実に近づけるような気がします。

DONIさんの話を聞いて:豊嶋秀樹

「呼吸」というテーマは、実はこの企画を始めるきっかけである。これまでに、「見る」「きく」「食べる」「呼吸する」と、それぞれについて学ぶことの多い話を聞かせてもらっている。こういった事柄に興味を持つようになって、あれこれと本を読んでみたり、ワークショップに参加するようになったりもした。

学ぶうちに気づいたのが、「これって、本当に大切なことで、生きていくための必須科目じゃないか!」ということだ。「なんで子供のときに呼吸の仕方を教えてくれなかったの?」と。この連載を追いかけてくれている読者の方であれば共感してくれるであろう。

 『Hiking as Liberal Arts』と題したこの連載は、そんなところから始まった。#4のDONIさんの今回も、深く濃密なものとなった。

DONIさんの「好き」を追求するという点で、現在多様な活動全てに共通しているという説明は納得のできるものだった。そして、それがDONIさんの「役割」なのだろうということも。
「呼吸は『自分がしている』と思っているけれど、よくよく考えるとそうじゃなくて、自分だけで成り立っているものではなく、世界とつながっているもの。自分の外にある自然と、自分の内にある自然、それらをいちばんつないでいるのが呼吸なのだと思います」という、DONIさんの呼吸への最初の説明は、僕の呼吸への認識からは到達できない衝撃的な解釈だった。でもそれは、不思議にすんなりと受け入れられるものでもあった。

話はそこからどんどん深まっていったが、意識的な深い呼吸によって体の細部を「見る」のあたりでは#1のロジャーさんの「ディープ・ルッキング」との交差に興奮を覚えずにはいられなかった。そして、呼吸は目的ではなく、自然の中における我々の役割であり、つながりであるという捉え方は、確実に僕のこれからの呼吸を変えていくに十分すぎる話だった。

この続きは「KUO GREEN VILLAGE」でまたゆっくりと聞かせてください。DONIさん、今回はありがとうございました。

連載「HIKING AS LIBERAL ARTS」