社是としてスタッフには「ハイキングに行くこと」が課される山と道。「願ったり叶ったり!」と、あちらの山こちらの山、足繁く通うスタッフたち。この『山と道トレイルログ』は、そんなスタッフの日々のハイキングの記録です。今回は、山と道制作スタッフの大竹が山と道社内の「ULハイキング研修制度」を利用して、2024年の真夏に鹿児島県奄美群島の「世界自然遺産 奄美トレイル」を10日間歩いた記録をお届けします。
大竹にとって、初めてのソロロングハイク&ひさびさのハイキング。真夏のロード歩きの洗礼を受けつつも、困っていると必ず誰かしらが声をかけてくれる島の人たちの温かさと、雄大な自然のパワーに助けられながら、歩みを進めていきます。
さらにフォトグラファーでもある彼女は、旅の相棒としてフィルムカメラを選択。心を動かされた風景や人びととの出会いをフィルムに焼き付けながら旅していきます。そんなフィルム写真もたっぷり載せた今回のトレイルログ。フォトエッセイのように、どうぞ楽しんでください。
はじめに
本当はULハイキング研修には、もう少し涼しい時期に行くはずであった。だがしかし、長期のハイキング日程を取るのは至難の業。私は撮影の業務に当たっているため、次々と撮影が押し寄せて、目まぐるしく月日が経ってしまった。やっとハイキングの日程が取れて行けそうだ、となったのは夏真っ只中! どこへ行っても暑いじゃないか…。涼しい所は人が多いし。
ひとりで歩くんだったら、人が少ない方がいい。メジャーではなくマイナーなルートを希望。ちょっと遠出したい。そんなこんな考えをめぐらせていたら、「世界自然遺産 奄美トレイル」を見つけた。
奄美トレイルとは、九州島と沖縄島との間に連なる奄美群島の8つの有人島をつなぐ長距離の自然歩道だ。総延長は約550km。予定している10日間という期間では全ルートは網羅できないので、歩く距離や島の情報を調べてルートを厳選した。
鹿児島最南端で沖縄にも近く、美しいビーチが広がる与論島、闘牛が盛んで、子宝・長寿の島と言われている、生命力が強そうな徳之島、奄美群島の中ではいちばん大きく沖縄と鹿児島の影響を受けながらも独自の文化がある奄美大島、この3つに決めた。
ルートは南からだんだん北上するようにした。小さい島から大きな島へ移り変わっていくスケール感を楽しもうと思った。ルートをざっくり決めつつ、トレイルの情報が少ないので、ドキドキワクワクしながら出発した。

与論島から歩き始め、徳之島に渡り、最後は奄美大島のトレイルの一部を歩いてゴールするという計画を立てた。
また、この旅ではフィルムカメラで写真を撮ろうと思った。今の時代は携帯で手軽に写真を撮れるが、1枚の写真に対してあまり思い入れがない気がしてる。旅で撮った写真でも少し味気なく、エモーショナルな部分が少なく感じてしまう。
そのため、今回はマニュアル撮影で撮れるフィルムカメラを用意した。これで自分の感覚や感情が、より印象深く心に刻まれるだろう。現像しないと出来上がりは分からないが、この旅の想い出がもっと味わい深くなるだろうと思っている。

中古で購入したRollei 35。コンパクトだが、レンズがいいのです。露出計は付いているが全部マニュアルで設定する。可愛いカメラ。
与論島、真夏のハイキングスタート
8月5日、与論島に降り立った時、海水浴や観光目的と見られるお客さんは多かったが、ハイキングの客は自分だけ。真夏の南の島で海に入らず歩く。なんて邪道だろう。 だが、暴力的に生い茂る緑と、これでもかという青く耀く海を感じながら歩きたいんだと思い、奄美トレイルを選んだ。
歩いてる人は誰もいない。通り過ぎるクルマやバイクには、不思議な目で見られる。

東京から4時間半。飛行機を乗り継ぎ、鹿児島からコミューターで与論空港に到着。小さい空港なので、セルフで空港の中まで歩くスタイル。思っていたより可愛らしいサイズ感だ。与論島では2日間歩く。1日目は与論空港から大金久海岸を目指し、2日目は大金久海岸から与論港へ。その後フェリーで徳之島に渡る予定だ。

与論島で歩くルート

奄美トレイルの標識。さりげなく現れた。標識があったことに少しほっとする。

人より、黒い牛たちとの遭遇率が高かった。牛にも私が歩いているのをめずらしがられる。

突然現れるヤンバルクイナのオブジェ。沖縄と与論島の友好の証らしい。

ほぼさとうきび畑が広がる。緑の暴力。

歩いても歩いてもまだ今日のゴールに近づかない…。思ってたより歩くなあと頭の中で呟く。飽きてきた頃、海が見える道が出てきた時は嬉しかった。
この日の宿泊地は、島を半周くらい歩いた大金久海岸あたりの宿だが、地図の縮尺が大きいため思ってたより遠いなあと感じた。Googleマップと照らし合わせながら歩く。やっとの思いでさとうきび畑の中にポツンとある宿に着いた時、女将さんから、「え〜‼︎ 歩いてきたの⁉︎」と驚かれた。それもそうだ。こんな暑い日に歩くなんて、どうかしてると思う。
久々のハイキング、そしてほぼロード歩きでクタクタになってたので、宿は少し渋さがある雰囲気だったが、天国のようだった。

ひとり、身体を休めるのには十分な宿。クーラーがあって最高だ。ビールケースの上に置かれたテレビが部屋の渋さを助長させている。

朗らかな女将さんから到着後、冷たい緑茶とあんみつをもらった。暑さでバテ気味だったのでありがたい。

歩いて10分くらいの海岸で天然記念物のオオヤドカリに出会えたから、嬉しい。
2日目、次の目的地である徳之島へ行くフェリーの出港がお昼頃だったので、それに合わせて7時ごろから歩き始めた。朝早めに動けば暑さはマシだろうと思っていたが、この日は砂浜を歩く機会が多く、照り返し地獄だった。結局のところ朝早くても、日が昇って天気が良ければ、照り返しにより暑さは変わらないという結論に至った。

朝早くても照り返しは強烈だった。眩しい!

暑い砂浜歩きのなか、ここはオアシスか? という感じの一角を発見。

ビーチを歩いていたら、突如現れたおやすみ処のような場所。少し休憩していきたかったが、先を急ぐ。

砂浜には白い砂に混じり、たくさんのサンゴが落ちている。
与論港に着いてフェリーに乗る頃には、雨が降り始めた。歩いている時はあんなに天気が良かったのに。ラッキーだった。
夕方ごろ徳之島の亀徳港に着いた。降り立つと与論島より街だなあと感動を覚えた。この日に泊まったゲストハウスは、オーナーもいなくセルフチェックインだったので、島にいまどきのスタイルの宿があってびっくりした。宿泊客も誰もいなかったので、悠々と過ごし英気を養った。

与論島を出る頃に空が曇り、雨が降った。海は相変わらず青かった。

フェリーの旅といえば、2等和室だろう。旅をしていると実感させてくれる。

徳之島に着いたら晴れてた。与論島での雨が嘘のようだ。

オーナーは常駐してなく、宿泊者もこの日は奇跡的に居なくて貸切状態だった。快適〜。
過酷なロード歩きが待ち受ける徳之島
徳之島は4日間で一周ぐるっと歩く予定を立ててた。1日目は「徳之島町エリア」の亀徳港から畦プリンスビーチキャンプ場まで歩き、2日目はキャンプ場から「天城町エリア」の平土野港へ。3日目は、平土野港から「伊仙町エリア」の瀬田海海浜公園までつないで歩く。4日目は瀬田海海浜公園から喜念浜まで歩いたら、バスでスタート地点の亀徳港に戻り、フェリーで奄美大島に入る。

徳之島で歩くルート
だが、歩き始めの初日から自分の計画の甘さに心が打ち砕かれそうになる。思っていたより島が大きかったのだ。そして、思っていたより道のアップダウンが激しかったのだ。さらに追い討ちをかけたのが、猛暑。徳之島に入った日を境に、天気予報の最高気温が35℃になる日が続いた。ロード歩きが主で、久々のハイキングだったため、足が少しずつ疲れのサインを見せ始める。途中から足に痛みが出てきたのでテーピングをほどこし、なんとか歩かせる。

亀徳港の近く。改めてみると信号もあるし建物も多いし、街だ!

暑いからと、畑には朝から水が撒かれている。私も水を浴びたい‼︎

珊瑚礁が隆起してできた崖の断面。島が生き物のようだ。

島バナナが畑の端っこに植えられているところが多い。ザ・南国。帰るまでに食べたいな。

青い空にまっすぐ伸びた白い煙突がとても目立ってて気になった。

ロード歩きの途中、ポツンとあった八百屋で涼ませてもらう。「どこから来たのか? 何しに来たのか?」などと質問攻めに遭いながらも、バナナをくれたり、扇風機の近くに座らせてくれたり。おばあ・おじいたちの優しさがしみた。

海の方に向かう道がたくさんあって気持ちがいい。

キラキラテープの七夕飾りが各家の軒先で飾られ揺れていた。奄美諸島ではなんの意味が込められているのだろうかと思いながら歩いた。

海岸沿いを歩いてると、浜によって様相が違うなと感じた。

海沿いを歩いてたら、ビーチクリーン後に休憩中のご夫婦に話しかけられた。今年は飛び抜けて島の天気が暑いらしい。去り際に、「頑張ってね」と応援され飴をたくさんくれた。

浜歩きが1時間以上続き、まるで灼熱の砂漠の中を歩いているかのよう。徐々に少なくなる手持ちの水分に不安を覚える。だが、干からびる前に奇跡的にオアシス(自販機)を見つけ安堵する。

ちょいちょい出会う無人販売所に置いてあるものを見て楽しむ。ここはバナナのみ。それよりも奥の昭和な雰囲気のポスターと鏡が気になってしかたなかった。

生い茂るシュロを背に、押しつぶされてしまったようなカーブミラー。こんなに低くて機能してるんだろうか…。
20kmくらい歩き、夕方頃、畦プリンスビーチキャンプ場に到着したら、誰ひとりキャンプしている人はいなかった。貸切状態。
今回、テント泊と宿のミックスで、なるべく荷物を軽くするためにネット付きタープを選んだ。また、奄美諸島はハブが生息している島もあるので、四方を塞げることは必須であった。ネットが付いているおかげで、風通しをあまり邪魔せずに、グランドシートをうまく使って隙間を埋めることができる。
久々のテント泊、誰もこの場所にはいないので逆に不安を覚えた夜。海の音がその分響くように感じられ、蒸し暑さが残るなか、なんとか身体を休めることに集中した。

夜にハブがきませんようにと祈りながら、四方の隙間をうまく塞ぐ。

ドアを開けたら海に続く。まるでプライベートビーチのようだ。疲れが癒される。

海の音を聴きながら夕暮れを待つ。贅沢な場所だなあ。
折れそうな心を助けてくれた人の暖かさ
徳之島2日目(全4日目)。この日の目的地である平土野港までは24kmと距離が長いので、気合いを入れて朝早い時間から歩いた。相変わらずロード歩きで、なおかつアップダウンが激しい。前日に痛くてテーピングした足は、夜に湿布を貼ったおかげで少しマシになっているが、油断は禁物だ。様子を見ながら歩みを進めた。アスファルトから立ち上る陽炎がしっかり見えるほど気温が高かった。

朝からずっとロード歩きで、なおかつ何もない区間が長いので退屈である。集中ハイキングモードになって無心で歩く。

本日の第一村人発見…! 暑いから休憩を挟みながら農作業されているとのこと。「暑いけど頑張って」とエールを送ってくれた。おじいちゃんも頑張って。

こんなに長いサボテンを見たことがない。自分の背より遥かに高い。

高台に上がる道。歩いてきた方向をみて、結構頑張ってるじゃん!と、声を大にして自分を励ます。

誰もいない&何もない。永遠にこのまっすぐな道が続きそうに感じた。のどかな風景とは裏腹に、体の疲労が積もってきて今日を歩き切れるのかという不安と焦りで心がざわつき始める。

久々に人を見たと思ったら、おばあちゃんが日陰でうなだれてた。それほど暑い。
ひとまず「徳之島町エリア」を歩き終えたが、次のセクションである「天城町エリア」の始点までは離れている。当初はそこまで歩こうと考えていたが、真昼間の暑さ(35℃)にヘタリ始めている自分がいた。
とりあえず自販機で買った冷たい飲み物を飲んで、クールダウンしてから考えよう。この状況に少し焦り始める気持ちを落ち着かせようとしていた。その時、後ろから「クルマに乗ってきませんか〜?」と偶然にも声をかけてくれた女性がいた。
ありがたい! だけども、ULハイキング研修だから、全部自分の足で歩かなければいけないのでは? でも、もう今の時点で自分の体力が怪しい。乗せてもらいたい…!
と、数秒心の中で葛藤したのち、素直に甘えて乗せてもらうことにした。女性の名前はアリサさん。ちょうど、ピックアップしてくれた場所の近くの実家にお盆帰省していたとのこと。私がロードをひたすら歩いているところを一度追い越し、しばらくして実家の前を通ったから、急いでクルマできてくれたようだ。こんなミラクルあるだろうか!
そして、「天城町エリア」の始点であるムシロ瀬まで送ってくれたことが、なんとありがたかったか。自分が思うより、気力も体力もかなり消耗してたようだった。クルマの冷房が天国のようで、アリサさんがくれたバナナとらっきょうが体に染み渡った。

ムシロ瀬の荘厳な岩の群れ。いろんな岩の形があり面白く、見ていて飽きないところだった。

彫刻を見てるような気分になった。
ムシロ瀬に着き、本当はここから歩きを再開するはずだったが、「ヨナマビーチまで来ないとなんもないから、乗っていきな!」と、もう少し駒を進めたヨナマビーチまでクルマに乗せてくれた。歩かなくていいのかな…と思いつつも、身体の消耗が激しかったので甘えさせていただく。

ヨナマビーチ。

声をかけてくれて、クルマに乗せてくれたアリサさん。まさにトレイルエンジェル!

時刻は昼過ぎ。とてもお腹が空いてたので、ヨナマビーチのお食事処で冷やし中華と南国のフルーツジュース。うまい! 身体が回復してきた!
あと1時間くらい歩けば、今日の目的地である平土野港…というところで、ずっと陽に晒されてた足と腕が日焼けで痛み始める。私の肌は赤くなって炎症を起こしてしまうタイプだ。そのため、日焼け止めは定期的にたっぷり塗っていたのに、こんなことになるとは…。
思わぬ肌の痛みで、歩みが遅くなる。定期的に手持ちの水を手拭いに掛け、痛い部分を冷やすように巻く。こんなことを道の端で続けていたら、「大丈夫か?」と声を掛けてくれたおじさんがいた。
「宿まで送ろうか? 孫たちを迎えに行こうとしてたけど、遅れるみたいだから時間あるし、乗っていってよ」と言われ、足と腕が痛過ぎて歩こうにも足が進まなかったので、この日は2度目の天の助けだと思ってクルマに乗せてもらった。そのまま町の薬局にも寄ってもらって、日焼けの炎症を抑える薬も手に入れることができた。

なんとか平土野の宿に辿り着いたものの、精神的にも肉体的にも疲労困憊でガタガタになっていた。この日はキャンプじゃなくて良かったと心の底から思った。
まだまだ歩く日程は残ってるし、距離もある。このままハイキング研修を続けられるのか。今日はクルマに乗ってしまったりしたけど、いいのかな。こんな調子で全部歩き切る自信がない。などとぐるぐると考えを巡らし、意気消沈してしまった。誰かに相談したいと思い、同僚のスーパーハイカー・ヒデちゃん(山と道鎌倉店長の前原)に、自分で組んだ行程を全部歩けるか不安で心が折れそうだとメッセージした。そうしたら、いいことを教えてくれた。
「ハイキングはハプニングが付きもの。ロングハイクあるあるで、つい歩くことに集中しすぎてしまうけど、(研修だけど)楽しむって気持ちが大事。」と、自分が忘れていた大事なことを思い出させてくれた。
ついつい頑張りすぎていた。楽しむことが大事だということだ。そうだ、研修だけど、自分が楽しいと思えるところでやろう。「全部歩かなきゃ」とか、「ルート通りにいかなきゃいけない」とか、歩くことに集中し過ぎてガチガチに凝り固まった考え方になっていた。ということに気付かされた。この瞬間、思考のUL化を少しできたようで、身も心も軽くなるような心地がした。
島を身近に感じる地元の職業体験の巻
徳之島3日目(全5日目)。前日の疲労が残ってたこともあり、少しゆっくりめに平土野を出発することにした。日焼けが痛過ぎたので(それから謎の湿疹もあって)、肌を守るためにこの日からLight 5-Pocket ShortsからLight 5-Pocket Wide Pantsにチェンジした。
23kmくらい歩く予定だったが、ルートも少し変更した。宿からスタート地点の犬の門蓋まで行き、大津川まで歩く。そこからはバスに乗って一部のルートをスキップし、犬田布岬の近くまで移動する。その後、瀬田海海浜公園まで歩くという計画だ。8kmほど距離を短くしたことで、多少心に余裕ができた。楽しめるところで楽しむ、これが大事。

歩き始めてすぐ、犬の門蓋から見えたモリモリとした緑と海の青とワイルドな海岸線から、自然のパワーをもらえるような気がした。

心に少し余裕ができた分、気分も晴れやか。景色も少しクリアに見えるような。足取りは昨日より軽い。

暑いなか、さとうきび畑で作業中のおっちゃんたちに応援された。

ちょっと余裕こいてたら、バスの時間にギリギリ間に合わないかもと焦り、途中から猛ダッシュし…なんとか間に合って乗れた。運転手のおじさんは昨日もバス運転中に私が歩いてたところを見たらしい。

この日楽しみにしてた、犬田布岬。青々と広がる草原と目の前に広がる海。天国のような場所だな。少し休憩していく。

徳之島は自販機の数が多い。人があまりいなさそうなところにも置いてあったり。歩いてる時に何度救われたことか。自販機に出会うたび、砂漠にポツンとあるオアシスに出会った気分になる。

休憩のために見晴らしがいい高台にある公園でひと休み。
休憩のために寄った公園の東屋で、農作業を休憩中の人たちに話しかけられる。人に会うたび言われるのは、「こんな暑いのに歩いてるの⁉︎ 大変なこった!」例にも違わず、この4人にも言われた。

話しているうちに、その中のおじさんの別宅が空いているからと「夜も暑いし泊まったら?」という提案をしてくれた。この日は瀬田海海浜公園でキャンプする予定だし、なおかつ知らない人の家に泊まるのはちょっとなあと少し気が引けた。
突然の提案の返事を考えている間に、おじさんが島の見どころを紹介すると言ってくれた。気のいいおじさんの名はカメヤマさん。軽トラで、展望のいいところや、街のあちこちを丁寧に説明しながら走ってくれた。地元の人の説明を聞かなければ分からないことも多かったので、徳之島のことを少しでも知るきっかけになったと思う。
地元の人との交流もしたいと思い、カメヤマさんのご厚意に甘え、空いている別宅にひと晩泊めさせてもらうことにした。

地元の人が知っている景色のいい展望台に連れていってもらう。

闘牛がいる牛舎を案内してくれた。自分より体が大きく、圧倒的存在感。

翌日のルートで通り過ぎる予定だった闘牛場。中に入らせてもらう。私が徳之島を出た2日後に闘牛の大会が開催されたという。見たかったな。と悔しさがあったが、徳之島にまた行く目的ができた。

泊まらせてもらった別宅は、カメヤマさんの家からクルマで5分もかからないところで、快適に過ごさせてもらった。
夕方、カメヤマさんが育てている黒牛たちがいる牛舎へ向かった。掃除と餌やりのお手伝いをすることに。牛舎に入るのも、そのお手伝いも、初めてのことだった。そして手伝ってみて、結構体力のいる仕事だと感じた。気温が下がった夕方と言えど、暑いので汗だくだ。だけど地元の職業体験を少しでもできたことで、徳之島をより近く感じられたと思う。

顆粒の餌以外に、牧草も牛にあげる。牧草が結構重かった。

お手伝いのクライマックスは、刈り取った草を集めて軽トラに載せる作業。けっこうな重労働!
徳之島4日目(全6日目)。快適な環境で身体を休ませてもらい、残ってた疲労感が解消されたので、昨日歩けなかったルートを歩くことに。スタート地点を、瀬田海海浜公園より少し北に戻った阿権の300年ガジュマルにした。朝、カメヤマさんにそこまで送ってもらい、徳之島最後の日がスタートした。振り返ると、この日が奄美トレイルを歩いてたなかで、いちばん身体の調子が良かった気がする。

歩き始めた場所は、大きなガジュマルの枝が天を張り巡らされているところだった。

つくりと色が独特の神社。ハイキング中に神社に出会ったら、必ずお参りして、「お邪魔します」と挨拶する。

ゴールの喜念浜。海水浴場だが、誰も泳いでおらず。なんとか徳之島を歩き終えて胸を撫で下ろす。
徳之島最終日なので、以前クルマに乗せてもらったアリサさんと連絡を取り合い、ゴールした後にちょっとした観光をすることになった。
お昼頃にゴール地点である喜念浜に到着。アリサさんと落ち合い、勤めている病院の屋上が素敵だということでお邪魔させてもらった。病院は海のそばにあり、屋上は海と繋がっているかのような気持ちいい場所だった。

病院の婦長さんにも会い、ベランダから見える朝日の話や鯨の姿のお話を聞いた。自然を常にダイレクトに感じられる職場が素敵だなあと思った。

アリサさんのご友人のお子さんたちが育てている闘牛を見せてもらった。体高が自分の背丈ほどあったので、かなりデカい。

小学生の弟くんも自分の牛の世話をするというので、びっくりした。体格差あるのに凄いなあ。
夕方には徳之島を離れ、奄美大島に向かう。徳之島では色々な人に助けられたので、心があったかくなった島だった。とても離れがたい気持ちになり、船が出る時は少し涙がでた。

最後の島、奄美大島へ
奄美大島は、名瀬港から北に向かって進んでいく。4日間歩く予定だ。1日目は「名瀬エリア」の名瀬港から大熊展望広場まで歩き、「龍郷町エリア」の始点である秋名までバス移動して、安木屋場まで歩く。2日目は安木屋場からルートをアレンジして手広海岸へ。3日目は手広海岸から「笠利エリア」の奄美空港を目指し、4日目は奄美空港から佐仁まで歩いてゴール。その後、佐仁からバスで奄美空港に戻り、東京に帰る予定だ。

奄美大島で歩くルート。
まず名瀬港の近くから出発する。歩き始めて30分も経たないうちに、足に痛みが出てきた。まだまだ序盤で、これからたくさん歩くのにどうしようかと焦りが出てきた。とりあえずドラッグストアに寄るべく、足を引きずりながら歩みを進める。
休み休みしばらく歩いていると、軽トラのおじちゃんが「大丈夫か?」と声をかけてくれて、ドラッグストアまでクルマに乗せてくれた。また、ルートの途中までクルマで送ってくれた。おかげで、足の痛みも割と引き、安木屋場のキャンプ場までなんとか歩き切ることができた。

名瀬は都会だった。建物も大きいし、店もたくさんあるし、コンビニも何店舗かある。観光地に来た気分だ。これまでの自然がたくさんあったところが恋しくなり、ソワソワしてしまった。

足のトラブルで焦ってた時、助けてくれた軽トラのおじちゃん。夜釣り帰りでお疲れのところありがとうございました。

久々に発見した奄美トレイルの標識

ひたすら海沿いの道路を歩く。歩いていくうちにだんだんのどかな景色になっていったので、穏やかな気持ちになる。

安木屋場のキャンプ場に宿泊。私以外誰も宿泊客がいなかった。夕暮れ時に悠々と夜ご飯を支度する。
楽しみを見つけながら歩く
奄美大島2日目(全8日目)。目的地は手広海岸。朝から黙々と変わり映えしないロードをずっと歩いていく。道が他の島より整っている印象があるからなのか、ずっと海沿いで変わり映えしない景色だからなのか、奄美に入ってから歩くのが退屈に感じてしまっていた。だが、その中でも面白いものを見つけようと探しながら歩く。

海沿いによく生えているアダンの実が朝日に照らされ、きれいだった。

護岸ブロックの上で魚を捌いている人がいた。ワイルド…。

軽トラのおじちゃんに突然話しかけられる。「どこ行くんだ〜」って。歩いている人がめずらしいみたいだ。

突然現れたさとうきびジュース屋さん。汗をたくさんかいて乾いた体に優しく染み渡った。

デカデカとザ・理想的な生活の標語が目の前に出てきた。見習いたい。
この日の終点の龍郷町役場前までモクモクと歩き切り、宿まではバスで向かった。手広海岸近くのゲストハウスにお邪魔したが、誰もいなくてのびのびと過ごさせてもらった。

宿の近くの手広海岸は、サーファーの聖地らしい。どおりでサーファーが多いわけだ。
奄美大島3日目(全9日目)。奄美空港に向かって歩いていく。この日は宿泊場所を決めてなかったので、どこに泊まろうかと考えながら歩く。空港が近づくにつれて、クルマと人の気配も増えてくる。歩く距離も残り少ない。明日で終わりかぁと思ったら、感傷的な気持ちになった。

海岸の岩に小さな木が。強い生命力だ。

朝早めに出発する。

空港が近づいてくると、奄美大島を歩く距離は残り3分の1となる。もう少しで終わってしまうのかと思い、寂しさが出てくる。

無人販売所は気になってつい覗いてみたくなってしまう。

奄美大島を作ったとされる神様がいる阿麻弥姑神社。そんなパワースポットで奄美トレイルの残りを歩き切るパワーをいただく。

奄美諸島はお盆に七夕飾りを掲げるようだ。お盆に先祖の霊が迷わず帰ってこられるように目印を立てるとのこと。徳之島で出会ったアリサさんから教えてもらった。

水面に映る空が気持ちいいほど青い。
まだ歩ける体力は残ってたので、この日の目的地の奄美空港を通り過ぎ、泊まるところを考えながら、土盛海岸の方に向かっていく。土盛海岸の海沿いに泊まろうかなぁと海近くの自販機で飲み物を飲み休憩しながら考えてた。
すると近所のおじいちゃんに話しかけられて色々話してたら、海沿いよりおすすめの宿泊場所を教えてもらった。土盛海岸よりもう少し先にあるあやまる岬公園だ。次の日の歩く距離を縮められるというメリットもあるので、行かないという選択肢はなかった。この旅も、いよいよ明日が最終日だ。

この土盛海岸の海沿いで寝るかどうか考えあぐねていた。だが、人が多いし、海風が気になる。少し不安。
人と自然のおおらかさを受け取った10日間
奄美大島4日目(全10日目)。最終日も天気が良かった。全日程、歩いてる時は天候が崩れることはなく、晴天だったのは、とてもラッキーだったと言える。相変わらず気温は猛暑日だが、連日この気温の中で歩いてきたためか、多少暑さ慣れもしてきたような。最終日ということもあってか、歩みは軽やかだったと思う。

最終日まで晴れていてラッキー。相変わらず太陽に灼かれつつ、最後のロード歩きを味わう。

カラフルな浮きが畑に吊り下がっていて可愛かった。

用海岸は人も少なく、海が本当にきれいで、入りたかった。

歩いている途中、旅行中のご家族から話しかけられ、パッションフルーツをいただいた。ちょうど疲れてきた頃だったので、甘酸っぱさが気分をリフレッシュさせてくれた。

この日歩いたエリアは人が少なく、静かだった。黙々と進んで、昼過ぎには終点の佐仁に着くことができた。佐仁は、人っ子ひとりいなく、すごく静かな場所だった。「え、終わり?」と思うほど、穏やかな終わり。
帰りは佐仁からバスで奄美空港の方に移動し、1泊したのちに飛行機で東京に戻る予定だったが、関東方面の台風の影響で飛行機が飛ばず、2日後に東京に戻ることができた。帰れなくなって奄美に泊まった日は、歩きっぱなしでお預けになってた海を堪能させてもらった。
ひとりで10日間もかけてハイキングをしたことがなかったので、ちょっとした挑戦だった。 その挑戦が、奄美トレイルで良かったと思う。計画だったり、歩く距離だったり、気象条件だったり、身体の不調が出たり、心が折れそうになったことが何回かあったけど、毎度、自然や人に助けられた。
最初は「歩き切らないと」「予定通り行かないと」という、義務感に駆られて歩いていたところがあった。そのため心の中が少なからず重く、苦しくなってしまっていた。歩いているなかで、トラブルや人との関わりを通じて、だんだんそれが和らいできて、「ただ楽しもう」というふうに変化していった。心が軽くなり、苦しさはいつの間にか消えていた。
本州では見れない自然がたくさんあった。めずしい植物たちや生き物、風景が、歩いてる時に目を楽しませてくれ、ワクワクし、癒された。
島の人々の温かさ。見ず知らずの私を助けてくれたり、声をかけてくれたりして、ひとりで奮い立たせていた気持ちをほぐしてもらった。おおらかな自然の中で生きる人々に元気をもらったり励まされたりした。少しおおらかさを分けてもらった気がする。
自分ひとりだけでは歩き切ることができなかっただろう。ハイキングを通じて、人と自然との関わりを体感し、それが日常を生きることに通じてくると感じた。 「楽しもう。なんとかなる」って。
日々を生きることにもそう思えるようになりたいと心に決めた、ULハイキング研修だった。
GEAR LIST
BASE WEIGHT* : 4.47kg
*水・食料・燃料以外の装備を詰めたバックパックの総重量





