「歩くことは瞑想に似ている」と思ったことのあるハイカーは多いはずだ。歩きながら、瞑想状態になったことのあるハイカーもいるはずだ。でも、実は歩く瞑想というものがとっくにあり、そのメソッドも確立されていて、効能もはっきりしているとしたら? それはもう、今すぐにでも試してみようと思う人は、この山と道JOURNALの読者には多いのではないかと思う。
そんなわけでワタクシ、編集長の三田正明が歩く瞑想をリサーチすると共に身をもって実践、その体験記を全3回でシェアしていきたいと思います。
最初に断言しておきますが、この「歩行瞑想」、ハイカーならば、いや、誰でも絶対に覚えておいて損はありません! しかも、びっくりするほど単純で簡単ですので、ぜひお試しあれ。ともあれ、私の悪い癖で、話はどうにも長くなるのですが、どうか最後までお付き合いを。Peace is every step!
歩く瞑想との出会い、もしくは再会
今回、僕がこの歩行瞑想というものに注目したきっかけは、実は15年前の自分自身だった。これから山と道JOURNALで始めようと思っているある企画のため、15年ほど前に他の企画のためにまとめていたメモを見返していたところ、こんな記述を見つけたのだ。
“そんな人類にとって切っても切れない関係にある歩くことだが、たとえば紀元前インドの行者たちはすでに歩くことを修行や瞑想の手段に使っていた。あのブッダの瞑想法が起源とされる『ヴィパッサナー瞑想』では歩く瞑想が重視され、彼の生涯の大部分は歩く旅に費やされた。”
これは、ULハイキングから遡って「歩く人」の歴史を語れないかと思っていた頃にまとめていたメモの一部分なのだが(どこで仕入れた情報なのかは忘れてしまった)、「ブッダ」「歩く」「瞑想」と僕が興味のあるワードが3つも重なっているではないか!
僕も冒頭に挙げたように、歩くことは瞑想に似ていると思ったり、歩きながら瞑想状態のようになる経験があったり、なんなら以前から自分で考えた歩く瞑想的な歩き方をハイキング中にすることもあったので、俄然興味を持った。15年前の自分よ、ありがとう。すっかり忘れてたけど。
さらに、そういえば僕は、10年ほど前に雑誌『スペクテイター』で、「禅ランニング」を実践してそのルポを書いたこともあったではないか。その時は、ラリー・シャピロの『禅的ランニング』という本で紹介されていたメソッドで「禅ランニング」を実践しつつ、座禅の会に参加したり、瞑想のワークショップに参加したり、ヨガの瞑想法を学んだりして記事にまとめたのだった。
「禅ランニング」のメソッドについては後で触れたいと思うが、「禅ランニング」も効果は高く、実践して2回目でいきなりランナーズハイ状態を経験して驚かされた。だが、その後はランナーズハイ状態を欲しがってしまうあまり、その後はそれほどの状態を経験できなかったし、ランニング自体も、1年ほど毎日走ったが走力もあまり上がらず、大会を目指すような気も起きず、走るコースにも飽きてしまい、やめてしまった。

左)『禅的ランニング』ラリー・シャピロ著 坂本マリ訳 道出版
右)スペクテイター〈32号〉ボディトリップ エディトリアルデパートメント
ただ、この時に瞑想を実践してみて、瞑想とは「何も考えないようにすること」ではなく、「何も考えないことは無理なので、様々に浮かぶ考えに捕われないようにするための意識の軸を作ること」であるということはわかった(ただ、世の中には様々な瞑想法があるので一概には言えないが)。
こうしてみると、僕は一定期間に一度、瞑想と何かを紐づけたくなる癖があるらしい。それが今回は「歩く」だというわけだ。となれば、まずはグーグル検索だ。そして2025年現在なので、当然AI先生にも聞いてみた。
歩行瞑想=マインドフルネス?
ネットやAIでわかったことを総合すると、「歩行瞑想」とは、この10年ほど日本でも注目されている「マインドフルネス」の一環でもあるということがわかってきた。マインドフルネスという言葉を聞いたことはあっても、いまいち実体を把握できていないという人も多いと思うので、ここまでで自分が得た知識を共有させてもらうと、マインドフルネスとは「念」や「気づき」、「心に留めておくこと」を意味するサンスクリット語の「スムリティ」という言葉を英訳したもので、元々は前述の僕のメモにもあったように、ブッダの瞑想法を発展させた「ヴィパッサナー瞑想」から宗教的な側面を取り除き、心理学・医学的側面からメソッド化したものだという。
我々の頭は、常に未来への不安や過去の記憶、メディアやSNSから流れ込んでくる雑多な情報や感情で溢れかえっているが、そこから様々な瞑想法を使って距離を取り、「今この瞬間」に集中することで、ストレス軽減や集中力アップ、感情のコントロールといった効果が期待できるのだとか。
個人的には近年、トレンドワード的に広まっている感のあるマインドフルネスという言葉にはある種の胡散臭さを感じていたのだが、ヴィパッサナー瞑想は僕の周囲には以前から何人も実践者や経験者がいてその体験談や効力を聞き、興味や親近感を覚えてきた。
ならば、そこにルーツを持つマインドフルネスもそれ自体が胡散臭いものなわけでなく、それを安易に利用したり紹介してきた人たちに僕は胡散臭さを感じていたのかもしれない。実際、Amazonでマインドフルネス関連書籍を調べると専門書的なものからやわらかそうなものまで雑多にあり、YouTube動画やウェブ記事も山ほど見つかった(もちろん、この記事もそのひとつだ)。うーん、こんなにあると、誰のことを信じれば良いのか全くわからない。

2025年現在、Amazonで「マインドフルネス 本」で検索するとこんな結果に。子供向け、女性用、ヘミシンク、ダイエット、スタンフォード大学など、正にカオスな状況。
いきなりの五里霧中ではあったが、さらに調べを進めると、マインドフルネスにはティク・ナット・ハンとジョン・カバットジンという、ふたりの代表的な提唱者がいることがわかってきた。
ティク・ナット・ハンとジョン・カバットジン
まずひとり目のティク・ナット・ハンは、1926年ベトナム出身の禅僧で、40代でベトナム戦争を経験。仏教指導者として被災者や難民の救済を行うが、1966年に渡米し、戦争終結の和平提案を行ったことによりベトナム政府から帰国を拒否され、フランスへ亡命することになる。
その後、1982年に南フランスにプラムヴィレッジ瞑想センター(Plum Village Practice Center)を設立して多くの人々への瞑想指導を始め、仏教の実践を日常生活に取り入れられる形で教えていくことで、欧米にマインドフルネスを広めた先駆者とされている。

ティク・ナット・ハン Illustration: KOH BODY
もうひとりのジョン・カバット・ジンは、1944年アメリカ出身の医学者で、分子生物学の博士号を取得しつつ、禅やヨガを実践。ヴィパッサナー瞑想の実践経験をきっかけに、慢性痛やストレス関連疾患の患者のためのプログラムとしてMBSR(Mindfulness-Based Stress Reduction:マインドフルネスストレス低減法)を開発した人物で、ティク・ナット・ハンらが伝えてきた教えと西洋科学を結びつけることで医療現場への応用を可能にし、それによりマインドフルネスはいっそう世界中へ広まっていくことになったのだという。
その後、2000年代にはグーグルが「SIY(Search Inside Yourself)」として社員のためのマインドフルネス研修プログラムを開始、その流れはアップル、インテル、フェイスブック、ナイキ等にも広まり、2020年代にはここ日本で僕が「なんだか胡散臭い」と思ってしまうほどに一般的な存在となったというわけだ。
そこで、まずティク・ナット・ハンとジョン・カバット・ジンの著書の中から、歩行瞑想のメソッドが紹介されていそうな本を取り寄せてみることにした。
ティク・ナット・ハンのマインドフルネス
数多いティク・ナット・ハンの著書の中から、最も実践書に近そうな『ブッダの幸せの瞑想』(島田啓介、馬龍久美子訳、サンガ。現在は『ティク・ナット・ハンの幸せの瞑想』と改題された新訳版が入手可能。アマゾンで古本が非常に安い値段で出ていたのでお試しで買ってしまったのだが、新訳版を買えば良かった…)という本を読み始めてみると、まず、ティク・ナット・ハンや彼の語るマインドフルネスの、色々な意味での「やさしさ」を僕は感じた。その本の書き出しはこうだ。

“マインドフルネスは、今この瞬間に気付き目覚めているというエネルギーです。それは人生に深く触れることを、一瞬一瞬くりかえしていく実践です。そのためにどこか特別な場所に行く必要はありません。自分の部屋の中でも、どこかへ移動する途中でもできます。しかも、私たちが日常生活でいつもしているのとほぼ同じことを通して行います。歩く、座る、働く、食べる、話す……。ただし違うのは、それらをしっかりと自覚して行うことです。”(『ブッダの幸せの瞑想』P14より)
どうだろう。言葉が平易で、とてもわかりやすい。この本は、彼のプラムビレッジ瞑想センターで教本として使われているものに改訂を加えたもので、おそらく元になっているのは実際のティク・ナット・ハンの法話なのではないだろうか。なんだかティク・ナット・ハンが直接語りかけてくれているような印象を受ける。さらに「マインドフルネスはどこか特別な場所に行く必要もなく、家でも移動中でも、歩きながら、座りながら、働きながらでもできる」と言われたら、ハードルがグッと低くなる気がしないだろうか。
さらに読み進めていくと、マインドフルネスは「呼吸」が大事なファクターであるということがわかってきた。いや、もはや「マインドフルネス=呼吸」であると言っていいくらいだ。
“マインドフルネスの極意は呼吸に気づくことです。ブッダはマインドフルネスこそが幸せと喜びの源であると説きました。マインドフルネスの種は一人ひとりの中にありますが、だれもがたいてい水やりを忘れています。しかし自分の呼吸や歩みをよりどころにする方法を知れば、自分の中にある安らぎと喜びの種を拾いあげ、もっと大きな喜びに育て上げることができます。神やブッダといった抽象概念に帰依するのではなく、自分の呼吸と歩みによってこそそれらにはじめて出会えるということがわかるでしょう。”(『ブッダの幸せの瞑想』P15より)
「マインドフルネスの極意は呼吸に気づくこと」って、ものすごい重要なことを言っているのではないだろうか。何せ前述の通り、マインドフルネスはサンスクリット語の「スムリティ=気づき」という言葉の英訳だ。そして何に気づくかと言ったら、「呼吸」だということを言っている。
呼吸に関しては、先日、この山と道JOURNALの連載『HIKING AS LIBERAL ARTS』のDONI君の回で、前後編に渡って呼吸について深く深く探求し、その本質的な意味と役割について考えたばかりだったので、こちらも僕にとっては最近の関心事のひとつだった。
そしてティク・ナット・ハンは、「歩くこと」がマインドフルネスではとても重要であるということも言っている。何せ「呼吸」と「歩み」こそが大きな安らぎや喜びへの道だというのだから。僕は少なくとも歩くことはすでに好きだし、呼吸についても興味があるので、もはや「大きな安らぎや喜び」に片足を突っ込んだも同然ではないか⁉︎
『ブッダの幸せの瞑想』では、意識的に呼吸をする方法、座って瞑想する方法、歩いて瞑想する方法から、電話の瞑想、食事の瞑想、お茶の瞑想などというびっくりな瞑想法、さらにはマインドフルネス体操や、人間関係やコミュニティでマインドフルネスの実践までが紹介されているのだが、ここでは呼吸と歩く瞑想に話を絞って紹介していきたい。
マインドフルな呼吸
先ほどまではマインドフルネスの心構えを語った『ブッダの幸せの瞑想』の「はじめに」を紹介したが、続いて実践編となる「第一章 日常の実践」ではティク・ナット・ハンはこのようなことを言っている。
“私たちは日常的に呼吸しながら、呼吸していること自体を忘れています。これに対し、自分の吸う息と吐く息に意識を向けることが、マインドフルネスの瞑想の基礎になります。(中略)日常生活の中で、私たちの体と心は、まとまりを欠いてバラバラになっています。そこで、吸う息と吐く息に気持ちを集中させると、心は体に戻ってきます。にわかに自分がどこにいるかに気づき、心が「今、ここ」にしっかりと落ち着くのです。(中略)心の空もよう(思考、感情、認識)がどうであれ、呼吸だけは決して裏切ることのない親友のように、いつも私たちに寄り添っています。たとえ何かに夢中になりすぎたり、感情の深みにはまりこんだり、過去や未来への思いにとらわれたりしても、ひとたび呼吸に戻れば、心の混乱を整理し、心という海に錨を下ろして落ち着くことができるのです。”(『ブッダの幸せの瞑想』P20〜21より)
確かに今、僕はこの瞬間も呼吸しながら呼吸を忘れていた! そして確かに、この瞬間も僕の体と心はまとまりを欠いてバラバラだ! 今すぐ呼吸に意識を向けなくては! でも、どんなふうに呼吸すれば良いのだろう?
ティク・ナット・ハンによれば、マインドフルな呼吸の基本はこうだ、
- 鼻で呼吸しながら、鼻腔を出入りする空気を感じる
- 慣れてきたら、吸う息と吐く息にあわせて、次の言葉を心の中で唱えてみる
「息を吸いながら、吸っていることに気づく」
「息を吐きながら、吐いていることに気づく」
基本はたったこれだけである。さらに言葉は様々に変えても良いし、「吸う」「吐く」などと省略してもよいという。
“自分の吸う息と吐く息を最初から最後までたどっていると、それだけで思考は働かなくなります。さあ、心を休ませてあげましょう。私たちは日常生活で考えすぎています。考えることを止めて心を休ませるのは、すばらしいことです。”(『ブッダの幸せの瞑想』P22より)
そうだ。こんな原稿を書いている僕なんて、まさに今、考えすぎている。ちょっと考えることを止めて、心を休めてみよう。
目を閉じて、鼻に意識を向け、ゆっくりと深呼吸してみる。
スー、ハー、スー、ハー。
鼻に入ってくる空気を感じる。出ていく空気を感じる。
こうして意識してみると、鼻腔も呼吸のたびに微妙に収縮していることがわかる。
息を吐くたびに鼻毛も吹かれて揺れているような気がする。
「息を吸いながら、吸っていることに気づく」「息を吐きながら、吐いていることに気づく」と頭の中で唱えてみる。なんだかうまくリズムが合わない。ひとまず呼吸ごとにゆっくりと「吸って〜」「吐いて〜」と唱えることにする。
しばらく続けていると、最初は妙にぎこちなかった呼吸が、次第にゆっくりと、深くなってきた。副交感神経も刺激されるようで、なんだかゆったりとした、リラックスした気分になってくる。
もっと深く吸い、もっと深く吐いてみる。これで心と体が一体になっているかどうかは定かではないが、なかなか気持ちが良い。
だが、気だるい午後のひと時であった。思わず寝落ちしてしまった。でも、目覚めてみると居眠りのせいか呼吸のせいかはわからないけれど、なんだかとても穏やかな気分になっていた。
坐る瞑想
次にティク・ナット・ハンの「坐る瞑想」を実践してみた。ここでもティク・ナット・ハンの言葉はとても優しかった。優しいどころか、なんなら全肯定で受け入れてくれる勢いだ。
そのメソッドも「こうでなければならない」というのがほぼなく、坐り方も、あぐらでも、蓮華座でも、正座でも、椅子に座ってでも、一番楽で心地良いと思う姿勢で座ればよいのだという。
“坐ったら、吸う息と吐く息をたどることから始めます。感情が湧き起こってきたら、それを認めます。思考が生じたら、それを確認し、受け入れます。坐る瞑想をしながら、自分の心と体の変化するようすを観察すると、たくさんのことが学べます。坐ることは、「何もしない」ためのチャンスです。何もしないで、ただ座って息を吸って吐くことを楽しむのです。”(『ブッダの幸せの瞑想』P33より)
ベッドの上にあぐらをかいて座って楽な姿勢を探し、目を閉じて、呼吸に意識を向ける。とたんに様々な考えが湧き上がってきて、なかなか集中できない。「何もしない」って難しい。時間を確認すると、まだ2分も経ってない。少なくとも20分はやろうと思っていたけど、とてももたなそうだ。もう一度『ブッダの幸せの瞑想』の「坐る瞑想」のページを読む。
“ここで大事なのは、体を完全にリラックスさせることです。ブッダになろうとしないでください。ただ坐ることを楽しみ、ありのままのあなたを受け入れましょう。体のどこかに緊張を感じたり心に痛みを感じても、そうしたあなた自身を受け入れます。”(『ブッダの幸せの瞑想』P34より)
「ブッダになろうとしないでください」にはドキッとした。たしかに今、ブッダみたいに瞑想しようとしてたかも。できるわけないのに。姿勢も無理に坐禅っぽくせずに、とにかく楽な体勢にする。時間も20分じゃなくても10分でもいいじゃないか。
“うまく集中できないときは、数を数えるテクニックがとても役に立ちます。息を吸いながら「一」と数えます。息を吐きながら「一」と数えます。続けて息を吸いながら「二」と数えます。息を吐きながら「二」と数えます。「十」まで数えたら、また「一」から数え直します。”(『ブッダの幸せの瞑想』P36より)
さっそく呼吸を数えてみる。1、1、2、2、3、3、4、4。なるほど、以前「禅ランニング」を実践した時も、右足が地面に触れる度にそれを10まで数え、また1から繰り返すというのが基本的なメソッドだったけど、それと同じようなことだろう。確かに、数を数えるとまずそのことで頭の何割かが使われるので、より呼吸に集中しやすくなる。数を数えるのに飽きたら、「吸って〜」「吐いて〜」と唱えたり、より呼吸そのものに集中したり、また数えるのに戻ったり。
呼吸に集中するあまり、気がつくと頭が垂れ下がってあらぬ方向に行っていたので立て直す。ふと時計を見ると、40分が過ぎていた。ありのままの自分を受け入れられたかどうかはわからないが、ただ座って息を吸って吐くことは楽しめた気がした。

Illustration: KOH BODY
生活の中の瞑想
2025年の夏は記録的な猛暑で、この研究を始めた8月の時点ではまだまだ外で歩く瞑想をする気にはならず、僕はひとまずこのマインドフルネスの呼吸と瞑想を実践することにした。朝に10分、昼に10分、夜に3〜40分。ともあれ、習慣化するというほどでなく、気づいた時や、できる時にやるくらい。
また、マインドフルな呼吸はいつでもどこでも呼吸に意識を向ければできるので、休憩時間やバスや電車に乗っている時、風呂に入っている時など、ちょっとした隙間時間にもやってみた。新幹線での出張でも、これまではPCで作業をしたり、スマホをいじったり、音楽やポッドキャストを聞いたりしていたけれど、そこで目を閉じて呼吸に意識を向けていると意外と時間が一瞬に過ぎ、移動のストレスがかなり減った。
確かに、僕の頭は絶えずPCやスマホの外面から入ってくる情報を処理したり、未来のことや過去のことを考えたり、様々な感情に押し流されたり、まったく休む暇がない。でも、呼吸に意識を向けて「今、ここ」に集中することで、一時そこから離れられている気がした。もちろん、瞑想しても意識が千々に乱れ、一向に呼吸に集中できない時もあるのだが。
僕は新しいツールを手に入れたと思った。しかも、いつでもどこでもできるし、お金もかからないし、何の道具もいらないのだ。めっちゃULではないか。
だいぶ長くなってしまった。#1で歩行瞑想の実践まで辿り着きたかったのだけど、ティク・ナット・ハンの呼吸と瞑想を紹介するだけで終わってしまった。だが、呼吸は「歩く瞑想」にもマインドフルネスにも非常に重要な要素なので、どうかご理解いただきたい。
次回は、いよいよ歩行瞑想の実践に話を勧めていくので、どうぞお付き合いを。














