#4 最終回 奥多摩~太平洋

2018.02.09

これは僕が2015年に新潟県の親不知から自宅(神奈川県鎌倉市)近くの相模湾まで、日本海から太平洋まで山間部を繋げて、数回に分けてファストパッキングのスタイルで行った山行の記録です。

この山行については以前にも何度かイベント等でお話ししたこともありましたが、山行記としてはオンラインショップをリニューアルしてこの『山と道JOURNALS』を始める際に掲載したいと思い、気がつけば2年が経っていました。

ですが、ここで得られたことは多く、山と道の商品作りにおいても、大事なことを教わった山行です。

【第1回】 
【第2回】
【第3回】

【日本海〜太平洋ファストパッキングの概要】

2015年の9月から12月にかけて、日本海の親不知から北アルプス、八ヶ岳、奥秩父、高尾、丹沢を通って太平洋へと至る総計約330kmの旅を数回に分けて行った

【今回の行程】

三頭山から相模湖に下り、焼山口から丹沢へ。丹沢の主領を縦走し、大倉から松田までは里山を歩き、最後は曽我丘陵を伝って国府津海岸の太平洋に到達した

DAY13 三頭山→相模湖

小雨に濡れる笹尾根

まだ暗いうちに起き、三頭山から笹尾根を陣馬山を目指して歩き始めた。ハセツネ(日本山岳耐久レース長谷川恒男カップ)のルートの一部で、以前ひとりでハセツネを目指してナイトハイクで歩いたことがある道だ。朝方から小雨が降るなか、いくつもの峠を越えた。生藤山のあたりで道を間違え、すぐに気がついたけど、戻るのも面倒に思い、そのまま陣馬山近くの和田の里に降りることにした。

和田の里はとても美しく、里を歩くことも楽しかったので陣馬山へ登り返すのはやめ、道路を歩いて陣谷温泉を目指すことにした。そのほうが高尾の次の山域の丹沢の入り口にあたる相模湖には早く着きそうだし、なにより温泉に浸かってすっきりしたかった。

ひと風呂浴び、奈良本峠に向かう登山道を探すのだが、なかなか入り口がみつからない。ここだと思った箇所は柔らかい土壁のようで、手や足を滑らしたら危険だった。そんな場所が登山道のはずはなく、うろうろと地図を見ながら登山口を探した。

ようやく登山道が見つかり、奈良本峠から破線ルートで矢ノ音を目指す。矢ノ音を抜けると、明王峠から相模湖へと抜ける人もよく通る道にようやく出た。結局迷ったり、歩きづらかったりで、素直に陣馬山を通って歩いてきた方が早かっただろう。でも、コースを外れることで思いのほか面白い山歩きができた。

  • 落ち葉でフカフカの下り道

  • 寄瀬神社

  • 相模湖駅前商店街のアーチ

    • 落ち葉でフカフカの下り道

    • 寄瀬神社

    • 相模湖駅前商店街のアーチ

      寄瀬神社を抜けると中央自動車道とJRの線路に出て、すぐに相模湖駅に着く。相模湖駅の前にはかど屋という定食屋がある。いつも相模湖に来るとこのかど屋で食べて飲みたいなと思っていたのだけど、なかなかその機会に恵まれなかった。本当はそのまま、相模湖を抜けて丹沢に向かうべきなのに、かど屋の誘惑には勝てなかった。吸い込まれるように入店し、定食につまみにビールを頼み、日本酒まで飲んでしまった。予報は翌日も雨で、それを思うと、どこかで寂しく野宿する気も失せてしまい、もう神奈川県だし、家もすぐそこなのだからと、そのまま電車で帰ることにした。

      DAY14 相模湖~堀山の家

      石砂山からみる丹沢の山々と富士山

      かど屋での中断から1週間ほど経ち、11月28日に相模湖に戻ってきた。日本海から太平洋を目指す旅も、もうゴールは目と鼻の先だ。相模湖から丹沢まで歩くのは初めてだ。相模湖を抜けて、余裕があれば石老山にも登りたいところだが、長い旅で、ただ登って降るという行為がなかなかしづらい。石老山を巻き、石砂山の山脈に取り付くと、静かな里山ハイクを楽しむハイカーが数組いた。この山は丹沢を歩いているときに、いつも見えていた山域だと思うと感慨深かった。

      石砂山を越えると、綺麗な蝶が数多く舞っていて、道ゆくハイカーにギフチョウという神奈川県指定の天然記念物だということを教えてもらう。分岐を右に折れて、山を下り道志川を越えて、丹沢山域に入る焼山登山口に入った。焼山口から蛭ヶ岳、丹沢山、塔ノ岳を超える道は、丹沢主脈縦走として知られて、何度も歩いてきた。一度上まで登ってしまえば高低差も少なく、気持ち良いシングルトラックが続く僕のとても好きな道だ。

      • 蛭ヶ岳から丹沢山、塔ノ岳へと続く美しい稜線

      • 焼岳から姫次に抜ける気持ち良いシングルトラック

      • ひとり登山部LOGの丹野くん

      • 塔ノ岳頂上、丹沢は今でも修験の場でもある

        • 蛭ヶ岳から丹沢山、塔ノ岳へと続く美しい稜線

        • 焼岳から姫次に抜ける気持ち良いシングルトラック

        • ひとり登山部LOGの丹野くん

        • 塔ノ岳頂上、丹沢は今でも修験の場でもある

          蛭ヶ岳を越えて、富士山がよく見える稜線歩きをしていると、誰かが撮影をしている。近づいてみると「ひとり登山部LOG」という山歩きの動画をyoutubeにアップし続けている知人の丹野くんで、日も落ち始めていたので稜線での撮影はとても寒そうだった。少し世間話をして先に進む。

          塔ノ岳からみるゴールの太平洋

          塔ノ岳に着くころにはきれいな夕焼けになり、ゴールの太平洋の海が目の前に見えた。日本海から歩き始め、北アルプスを越えて八ヶ岳、奥秩父、高尾、丹沢を歩き、ようやく旅も終わるのだ。

          • 薪ストーブを囲んで遅くまで呑んだ

          • おでんが身体を温める

          • お客さんの自作したスピーカーとエゾシカ

          • いつも堀山の家でヒゲさんの昔話をきくのがとても好きでした

            • 薪ストーブを囲んで遅くまで呑んだ

            • おでんが身体を温める

            • お客さんの自作したスピーカーとエゾシカ

            • いつも堀山の家でヒゲさんの昔話をきくのがとても好きでした

              その日は山歩きを始めたころに通っていた山小屋、大倉尾根の「堀山の家」にご挨拶がてら泊まった。もうご主人のヒゲさんはいないけど、奥さんのなっちゃんを中心に小屋の常連さんたちみんなで山小屋を切り盛りしていて、ちょうど小屋の改装工事をお客さん中心に行っていた。久しぶりということもあって、その日は飲みすぎてしまった。

              DAY15堀山の家~上大井駅

              昨晩の痛飲で、予定していた出発時間を大幅に遅れてしまった。丹沢からできるかぎり山を歩いて太平洋を目指すなら、鍋割山から高松山を抜けていくという方法もあるし、もっと余裕があるなら丹沢から箱根の山々に抜けて太平洋を目指すのもいいかもしれない。でも、僕はできればその日のうちにゴールしたかったので、堀山の家から最短ルートで太平洋を目指すことにした。

              • 松田山からみる歩いてきた丹沢と寄の里

              • 地元の登山会が整備しているのだろう

              • 川添いに寄の里を抜ける

              • この先でイノシシに出会う

                • 松田山からみる歩いてきた丹沢と寄の里

                • 地元の登山会が整備しているのだろう

                • 川添いに寄の里を抜ける

                • この先でイノシシに出会う

                  破線ルートで二俣まで降りて鍋割山へ向かう道に入り、途中の分岐で寄の登山口を目指して歩く。週末ということもあって、丹沢は登山者で溢れていた。寄からのルートはマイナーで人も少ないと思っていたのだが、思ったよりも歩いている人も多かった。大倉からの退屈な林道歩きを考えると鍋割山に向かうのは寄から入るのが良いのかもしれない。寄の里に降りて川添いの道路を歩き、松田の里山に入ると、突如、大きなイノシシがものすごい勢いで山の斜面を駆け下りてきて目の前を横切っていった。すごく驚いた。

                  • 松田山からみる富士山。遠くに見えていたのにもう目の前

                  • 峠を越えていく旅感が良い

                  • 由美子と合流して少しハイキング

                  • 低山は道がわかりにくいのでヤマレコのみんなの足跡が役に立つ

                  • 曽我丘陵のハイキングコースの案内

                    • 松田山からみる富士山。遠くに見えていたのにもう目の前

                    • 峠を越えていく旅感が良い

                    • 由美子と合流して少しハイキング

                    • 低山は道がわかりにくいのでヤマレコのみんなの足跡が役に立つ

                    • 曽我丘陵のハイキングコースの案内

                      大きな山よりも、里山の方が歩いている人も少なく、道もわかり難いことも多い。西明寺史跡公園に出て、農道を通り松田駅に向かう。最後は妻の由美子と一緒にゴールしたかったので松田駅で待ち合わせをし、曽我丘陵を目指す。けれど、歩くうちに日が明るい時間に太平洋まで着くことは難しいことがわかった。せっかくのゴールが真っ暗なのは何か寂しい。ゴールはお預けということにして上大井駅に降り、家に帰ることにした。

                      DAY16 上大井駅~国府津海岸(太平洋)

                      • 曽我丘陵里山の景色

                      • 気持ち良い山道

                      • 山道を抜けるとみかん畑

                      • ゴールはもう目の前

                        • 曽我丘陵里山の景色

                        • 気持ち良い山道

                        • 山道を抜けるとみかん畑

                        • ゴールはもう目の前

                          12月12日に、上大井駅に戻ってきた。よく晴れた気持ちの良い日だった。トレイルランの軽装備で、気分は海までのちょっとしたランニングだ。住宅街を抜けて山道に入り、山を走り抜けると海はもう目の前で、眼下にはみかん畑が広がっていた。海を見ながら下り、最後の道路を渡り、太平洋の国府津海岸に到着し、この旅を終えた。

                          国府津海岸にゴール

                          2年たった今も、この旅をして本当に良かっと思っている。日本海から太平洋を繋げて歩くことで日本の大きさを肌感覚で理解することができたし、自分の「感覚のテリトリー」が大きくなったように思う。もし明日、大地震があって、(自宅のある)神奈川県鎌倉市から長野県まで避難することになったとしても、何日かかるか今の僕にはイメージが湧く。

                          他にも、この旅で気がついたことがいくつもあった。ギリギリまで装備を削った北アルプスの旅では自分の限界を知ることができたし、おかげで、人体のことや、過酷な環境でどのような装備が必要になるかについて、より理解を深めることができた。

                          いくつもの山域を繋いで歩くことで、山域を越えるたびに違う自然の魅力が広がっていくことも知った。登山地図を何枚も繋げ、時には昭文社の地図にはない山を歩く。ある山域から里や町に抜けて、温泉に浸かり、また違う山域に入っていく。北アルプスの岩の稜線、霧ヶ峰の湿原、八ヶ岳のシラビソの森や苔や池の美しさ、奥秩父の深山。北アルプスでは槍ヶ岳がシンボルになり、途中からは富士山がシンボルとなった。山域を超えるたびに旅をしていると実感した。

                          なかでも特に印象的だったのが高尾や丹沢など、近所の山々だった。高尾や丹沢から太平洋に抜けるまで、普段歩いてこなかった道を通り、峠を超えていった。なんども歩いてきた山域だけど、普段歩いていない山を繋いでいくことで、新鮮な感動があった。

                          僕は今回、これまで綴ってきたルートで日本海から太平洋まで旅をしたけど、歩く人それぞれに自分なりのルートや旅の仕方があるのだと思う。いつも見る登山地図から離れて、国土地理院の地形図やグーグルマップで日本中を見てみるのはどうだろうか? 「この山からこの山まで登山道はないけど、人は歩いていないだろうか?」ということを知りたいときは、日本中の色々なルートを誰かが歩いていることを発見できる『ヤマレコ』のみんなの足跡+地形図の機能が役に立つ。

                          これを読んでくれた方が、自分の「感覚のテリトリー」が広がるような旅をしてくれたらとても嬉しい。僕自身もいつかこの旅の続きとして、箱根から富士山を超え、南アルプスから中央アルプスを超えて北アルプスに入り、大きな輪を繋げるようにまた日本海に戻る旅がしたいと思っている。

                          【了】

                          夏目 彰
                          夏目 彰
                          世界最軽量クラスの山道具を作る小さなアウトドアメーカー「山と道」を夫婦で営む。30代半ばまでアートや出版の世界で活動する傍ら、00年代から山とウルトラライト・ハイキングの世界に深く傾倒、2011年に「山と道」を始める。自分が歩いて感じた最高と思える軽量の道具をつくり、ウルトラライト・ハイキングを伝えていくことを「山と道」の目的にしている。
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