山と道の台湾旅游2018【後編】

2018.05.26

この3月、山と道とその仲間たちが訪れた台湾の旅の模様をリレー日記形式で振り返る『台湾旅游2018』。

大盛況だった台北samplusでの『HIKE / LIFE / COMMUNITY』を終え、ついに台湾第2の高峰(3886m)、雪山(シュエシャン)へと登る後編は、山と道JOURNALSの三田正明、山と道の夏目彰と黒澤雄介によるリレーでお送りします。

このレポートを通じて山と道と台湾との繋がりについて、samplusについて、そして何よりも台湾の人々や山の魅力を少しでも紹介できたらと考えています。台北の飲茶屋でビールを飲んでいるときみたいに、リラックスして読んでくれたら嬉しいです!

文:夏目彰 三田正明 豊嶋秀樹 カザマナオミ 黒澤雄介
写真:三田正明 黒澤雄介

【前編はこちら】

DAY4-DAY5/三田正明

■3月19日 台北〜雪山

samplesでの『HIKE / LIFE / COMMUNITY』が無事終了し、僕たちはこの旅のもうひとつのメインイベントである台湾第二の高峰(3886m)、雪山(シュエシャン)でのハイキングへと向かった。

ともあれ最初にお断りしておくと、その旅はまったく出たとこ勝負の、当初の予定からは大幅に逸脱したものとなり、山行としてはここに堂々と発表できるような立派なものではまったくなかった。でも、とにかく楽しい山であることは間違いないし、そもそもハイキングとは、旅とは、予想外のハプニングが起きるからこそ面白いのだ! ということにしておこう。

右端の眼鏡の男性がチョウさん。左端は山と道JOURNALSのアートワークを手がけ、今回の記事にも素晴らしいアートワークを提供してくれたRaying StudioのKOH BODYくん。

だいたい、最初に計画を説明されたときから何か嫌な予感はしていた。samplusでの『HIKE / LIFE / COMMUNITY』で、今回のハイキングのガイド役をしてくれたヘクターさんの友人、チョウ(小張)さんが説明してくれた当初の計画はこうだ。

初日、午後3時頃クルマで出発し、移動した先の宣蘭の街で夕食を食べ、さらに数時間移動して登山口まで行き、1時間ほどハイクアップして山小屋に泊まる。2日目、早朝3時に出発して途中で上にあるもう一軒の山小屋に荷物をデポして雪山登頂し、下って先ほどの小屋に泊まる。コースタイムでは13時間ほどの行動時間。3日目、山と道の製品写真の撮影をしつつ4時間ほど歩いて再び登山口に下る。

せっかく台湾でのハイキングのために3日間も空けたのに、初日がほぼ移動なのはもったいない気がした。ならば午後3時と言わず、朝イチで出発してもよいではないか。ところが、チョウさんやヘクターさんに計画の細かい部分を聞こうとしても、微妙な英語力のコミュニケーションでどうにも要領を得ない。

だが、出発の朝に計画は変更となった。チョウさんのクルマが故障したので、出発を午後7時に変更するというのだ。3時でも遅いと思っていたのに、7時とは! もう、野となれ山となれだ。だいたい、僕にはこれから行く場所の知識などまったくないのだ。そんな自分があれこれ考えてもしょうがないではないか。

突然に時間が空いたので、午前中は今回、エアB&Bで借りた部屋でそれぞれ思い思いに過ごした。豊島さんは近所を走りに行き、山と道のスタッフのクロちゃんは山と道の仕事を片付け、僕とナオミ君は近所のセブンイレブンにコーヒーを買いに行った。ナオミ君はコーヒーを頼むとき、常に「アメリカンコーヒーにエスプレッソをダブルで追加」という面倒臭いオーダーをとてもエモーショナルなジャパニーズ・イングリッシュでするので、常に購入までに5分以上かかる。でも絶対にやめない、そういう人だ。

台北の街に立つナオミ君。

僕もせっかくなのでどこかへ出かけようかとも思ったけど、やめた。台北に来るまでその帳尻合わせで忙し過ぎたのに、台北に来てまで忙しくしなくてもよいではないか。そんなわけで、僕は部屋の前庭のベンチに座ってずっとビールを飲んでいた。というより、台北にいる間はずっとビールを飲んでいた気がする。

台北にいる間はずっとこうして過ごしていた気がする。

豊島さんが帰ってきたので一同で地下鉄で出かけ、登山用品店がいくつか並ぶ「台北のプチ神田」のような場所で、家族と別のホテルに滞在している夏目さんと合流した。「プチ神田」には5軒ほどの店が軒を並べ、ほど近くにパタゴニア・ストアもあった。それぞれの店ごとに多少特色の違いはあるものの、品揃えは中国経由の製品がやや多いくらいで日本の一般的な登山用品店と大して変わりはなく、値段も日本の方がやや安いかもしれない。夏目さんとクロちゃんは一部で話題になっている中華製の超軽量クランポンを購入した。

『山と高原地図』そっくりの登山地図があった。紙に破れない「ユポ」を使っていることも一緒。背表紙を見てるといろんな山に行きたくなることも一緒。

トレイルフードはあまり充実していないが、台湾版アルファ米があった。フレーバーは豊富だけど、味はまあまあ。

もう部屋はチェックアウトしてしまっていたので、COW RECORDSに荷物を預けて、台湾版「コストコ」のようなスーパーに食料を買い出しに行った。トレイルフードに最適なインスタント麺やドライフルーツ、ビーフジャーキーなどの台湾版が山ほどあり、一同大いに興奮。食べきれないほどの食料を買う。

インスタント麺の種類の豊富さには感激。特にトレイル用食料など用意しなくても十分なんとかなりそう。

夕方、COW RECORDSの近所の広場で豊島さんとビールを飲んだ。公園に座って、まったくの異邦人として見知らぬ街を行き交う人々を眺めるのは楽しい。豊島さんは、結婚前に奥さんとの初めてのデートで訪れて以来の台北だという。初デートでいきなり台北とは、さすがである。

COW RECORDSのバックヤードでパッキング。

暗くなってからチョウさんが到着し、ヘクターさんのクルマと2台に分乗して、いよいよ雪山へと出発した。高速道路で夜の台北を走り抜け、長い長いトンネルを走り抜けると、日本でいえば熱海的な存在である(?)宣蘭の街の郊外に着いた。時間はすでに午後8時過ぎ。ここから登山口まではさらに3時間ほどかかるという。道はすぐに真っ暗な峠道になり、自分がいまどんな場所にいるのか、全くわからなかった。

午後10時頃、宿場町のコンビニで休憩した際、今日は山小屋まで行くことは諦め、この先の寺の軒下で泊まろうという話になった。なんと、台湾では旅人は寺の軒下で泊まることができるのだ(もちろん数十元ほどのお布施は収めること)。

僕もこれからナイトハイクして小屋まで行くのがかなり億劫になっていたので、内心ほっとした。けれど、これでは当初の予定通り明日の朝3時に起きて雪山の頂上まで登るなんて、とても無理だろう。この時点で当初の予定は崩れ去り、山行計画は「出たとこ勝負で行けるところまで行く」に変更されたのだった。

台湾にはどこに行っても日本の「ファミリーマート」と「セブンイレブン」があって非常にコンビニエンス。

日本と違って極彩色に彩られた寺の入り口の広い軒下に寝袋を広げ、コンビニで買ったビールを飲み、つまみを回した。やがて雨が降りだし、僕たちは「今夜はここで泊まれてラッキーだった」と話し合った。こんな雨の中をナイトハイクなんて、誰もしたくないだろう。

寝袋に入って目を閉じ、1日を振り返ると、何かをずっとしていた気も、何もしなかった気もした。「でも、それが旅の1日ってもんだよな」と独り言ちて、トタン屋根にあたる雨音を聞きながら僕は寝た。

お寺の軒下に寝袋を広げる。

■3月20日 雪山1日目

そんなわけで、当初2泊3日で計画していた雪山登山は前夜泊の1泊2日になったのだった。

午前7時に寺を後にした。朝になり、やっと車窓の景色が見えるようになり、初めて見る台湾の山岳エリアの景色に僕は興奮した。国立公園である雪山の麓は上高地のように整備され、キャンプ場やリゾート施設がたくさんある。登山口の「雪山登山口服務站」で入山届を提出し(この入山許可証の取得が日本からは難しいのだが、今回はヘクターさんやチョウさんに頼りきりだった)、装備品のチェックも受ける(1月から3月までは雪山登山にはアックス、クランポン、ヘルメットの携行が義務付けられている)。

台湾では標高3000mを超えても樹林帯が続く。

午前9時にようやく歩き始めた。標高はすでに2000mを越えていたけれど景色は日本の低山とあまり変わらず、緯度が低いことを感じた。歩き始めからポツポツと降っていた雨はすぐに本降りになり、一同傘をさして歩く。

七卡山荘のキッチンスペースはかなり広かった。

つづら折りのトレイルを40分ほど行くと、1軒目の山小屋「七卡山荘」に着いた。大きな非難小屋といった作りなものの、水場には水道もあり、トイレも広かった。

屋根に当たる雨音の猛烈さに躊躇しつつも出発。樹林帯を抜けると傘の意味がなくなったが、ほどなく雨は小降りになった。

雨は小降りになったものの風が強く、立ち止まっていられなかった。

ともあれ、行く手には雲がかかり、これから自分がどんな場所に行くのか、ここまで来てもよくわからなかった。風が強く、休んでいるとすぐに体が冷えてしまうので歩き続けた。

上から降りてきてすれ違う人に台湾人にしては浅黒い人が多かったのでヘクターさんに聞くと、おそらくフィリピン人だという。雪山にはフィリピンに限らず、中国やシンガポールや韓国など、東アジア全域からハイカーが訪れるのだという。

やっと雨がやんで周囲が見渡せるようになってきた。

いつしか雨がやみ、光が差して、一同歓声をあげた。前衛の雪山東峰の山頂までくると景色が開け、少し下った鞍部に今夜の宿になる三六九山荘が見えた。山々を見渡すと、やはりひとつひとつが大きい。日本やアメリカともまた少し違うスケール感がある。

三六九山荘。

途中で合計1時間ほどの休憩を挟みつつ、午後2時に三六九山荘に着いた。三六九山荘も大きな小屋で、2段になった寝室は100名ほどは眠れそうだった。離れには水道も流しもあるキッチンスペースがあり、香港やシンガポールから来たパーティですでに賑わっていた。

かなり広い三六九山荘の寝室。日本の山小屋ともそう変わらない作り。

一度やんだ雨がまた降り始め、キッチンでの酒盛りとなり、それは深夜までずっと続いた。雨の中、ネズミが走り回る標高3100mのキッチンに東アジア各国から集まった人々が15人ほど集まっている雰囲気は悪くなかった。いろんなことを話したのだけど、残念ながら全部忘れてしまった。とにかく楽しかったことだけは覚えている。

翌日は3時起きの予定だったのに、結局0時まで飲んでいた。なんとか3時に起きれたものの、当然のようにひどい二日酔いだった。

ヘクターさんとナオミ君。

DAY6/黒澤雄介

■5月21日 雪山2日目

3/21日はAM3:00に目覚めた。と言っても、前日の夜はほとんど眠れなかった。 僕は初めての環境だとなかなかうまく眠ることができない。
外はとても強い風が吹いていたし、小屋の中ではカサカサと何かが走り回っていたし、 少しだけ頭痛がしていた。うとうとしたり時計を見たりで、熟睡は出来なかった。

予定していたAM3:00に皆きちんと起床して、自炊場に移動して各々朝食を食べた。 僕は普段から朝食は食べないのでホットコーヒーとお菓子を口に入れただけで、準備を整え5時前には出発した。 ヘッドランプを点けて歩き始めると、あたりはまだ真っ暗で、空には星が見えていた。

歩き始めると夜が明けてきた。

台湾の登山道はきちんと整備されていて、日本のトレイルと大差はなく、歩きやすかった。 歩き始めて20分ほど、遠くの空が薄っすらと明るくなってきたころ、頭痛が酷くなりペースを落とした。

トレイルにも徐々に雪がついてきた。

僕は高い山に登ると頭が痛くなることがある。とくにそれは寝不足時に多く、 2016年のJMTではは初日に頭が痛くなり歩けなくなりそのままテン泊する結果になったし、2017年の南アルプスでは初日から 3日間、頭痛と吐き気に悩まされて3日目にリタイヤすることになった。今回も同じ様な症状で、 1時間ほど歩いたところで先を行く皆になんとか合流。風邪気味だった夏目さん、前日お酒を飲みすぎて二日酔いだった三田さんも少し辛そうだったけれど、他のメンバーは特に問題ないみたいだった。

休憩しても頭痛は治まらず、目の前の視界もなんだかはっきりしない。皆に先に小屋まで下りて休んでいるよう提案されたが、夏目さんにアミノ酸パウダーとナオミ君に干し梅をもらい、休んでいたら頭痛が少し治まった。 高山病は怖かったけれど、せっかくここまで来て皆と一緒に登れないのがとても悔しかったので、行けるところまでついていくことに決めた。

木立の隙間から雪渓のついた山が覗き、歓声をあげた。

森の中を歩く。標高3000mは越えてるであろうにとても大きな樹々が生い茂っていたけれど、写真を撮っている余裕はなかった。進むにつれトレイルには次第に雪が現れてきた。滑るのでチェーンスパイクを装着する。頭痛のピーク時のところから1時間ほど歩いただろうか。標高を上げているのに徐々に頭痛は和らいでいた。 森を抜けると、目の前に真っ白なカールが姿を現せた。 そこから一気にテンションが上がり、頭痛のことはよく覚えていない。

樹林帯を抜けると突然大カールが現れた。

カールに登る手前でチェーンスパイクから12本爪のクランポンに履き替え、ピッケル、ヘルメットを装備。少し緊張感が増す。ここまで一緒に登ってきたヘクターはチェーンスパイクしか持ってきていなかったので、安全のために残ることに。この冬もニセコで毎日バックカントリーを滑っている豊島さんが先頭となり、足場を形成。グイグイとカールを攻めていく。

チェーンスパイクをクランポンに履き変えて大カールを登る。

すでに標高3600mを越え、かなり息が切れる。

ここまで来るとさすがの高度感。空が青い!

3000m級の稜線がどこまでも続いていた。

頂上直下にステップを刻む豊島さん。

クランポンに履き替えて1時間ほど、ついに雪山の山頂まで登頂することができた。山頂からは台南の山々を見渡せたけど、雪山以外にはほとんど雪がついていなかった。 尾根は遥か遠くまで繋がっていて、尾根を伝ってどこまでも歩いていけるようだった。

無事登頂!

最高の天気だったけれど、山頂は風が強く、みんなで記念写真を撮ったあと素早く下山を開始した。直後、山頂付近からカールを一気にシリセードで下っていく夏目さん。距離にして200mくらいだろうか。何の躊躇もなく一気に滑り降りていく姿に、「やっぱキレてる」と心の中で思った。あきらめずに登頂できた喜びを噛み締めながら下山する。

振り返って仰ぎ見た雪山。

あとは下山するだけだと油断していたら、小屋に近づくにつれてまた頭痛に襲われた。今度は弱い吐き気もする。 小屋に到着しても食欲はなく、行動食を何とか食べ、アスピリンを飲んでみたけれどあまり効果はなかった。その後、標高を下げても頭痛は治まらず、 何とか登山口までたどり着いたけれど、皆で撮った記念写真の僕の顔はこわばっていたと思う。

登山口に降りてきて再び記念撮影。チョウさん、ヘクターさん、ありがとうございました!

登山口から台北の街までの車中ではクルマ酔いのような症状も重なり、さらに気分が悪くなった。 登山口から台北までの3時間ほどのドライブを必死で耐えた。 途中の町で休憩して、皆が楽しそうに何かを食べていた声は覚えている。

そんなこんなで台北の街までやってくると面白いように頭痛と吐き気は消え、夜は皆で台北で打ち上げをした。 初めて食べた臭豆腐の強烈な臭いは今でもしっかりと覚えている。

DAY7〜終わりに/夏目彰

こうして山と道と仲間たちの台湾の旅は無事終わった。

由美子と息子の照は先に日本に帰っていたので、山から帰ってきた晩はみんなでエアB&Bで借りた2LDKの部屋に泊まった。ヘクターさんとチョウさんと街に打ち上げに繰り出したあとも、コンビニでお酒を買い足して遅くまで呑んだ。翌日の朝、豊嶋さんと三田さん、ナオミ君を空港に送り出したあと、山と道でお世話になっている生地工場とのミーティングのため、僕と黒澤は台中に向かった。

今回の旅を振り返ると、僕は風邪気味で体調がひどかったし、黒澤は高山病になったり、チョウさんのクルマも故障したりと、トラブルは旅の醍醐味とはいうけれど、そんななかで無事雪山の頂上に立って戻ってこれたことをとても嬉しく感じている。

雪山を思い返す。盆栽のような寂感のある杉の巨木や、木々の間から見えた巨大な岩肌。美しいカール地形…。頂上からは3000mを越える山々が山脈として広がっていて、目の前には以前登った南湖大山を含む全長340kmの中央山脈が遠くまで伸びていた。日本の山よりも少しスケールが大きくて、過去に自分が歩いた山だと、JMTのシエラ山脈の大きさに似ている気がした。

僕らが今回歩いたルートは雪山山脈のほんの一部で、例えるなら、北アルプスの槍ヶ岳にピストンで登って降りてきたようなものだ。ただ、僕がいま槍ヶ岳に登って降りるだけのハイキングをするかと考えるとまず考えられなくて、そこから穂高に抜けるか、双六を超えて立山、裏銀座へ向かうのか、笠ヶ岳に抜けるかというハイキングを考える。槍ヶ岳は入り口に過ぎないわけで、そういう意味では雪山も同じだろう。

現地の人と話していても、台湾では山から山へ抜けていくという縦走、ロングハイクというスタイルはまだあまり認知されていないようだ。有人小屋のない台湾で、山をいくつも繋いでロングハイクをするのは、まず、誰もやっていない遊びなんだと感じた。長く歩くとしても、谷川岳の馬蹄形ルートのようにぐるっと周回コースをとって4~5日かけて戻ってくることが多いらしい。僕はできるなら山から山をつないで、スタート地点とは違う遠くの場所まで歩いていきたい。台湾の山好きも知らないロングハイクの遊びを、台湾で始めていけたら面白いと感じた。それを考えられるのもウルトラライト・ハイキングという考え方や装備の軽量化の恩恵が大きい。

samplusでの『HIKE/ LIFE/ COMMUNITY』では沢山のお客さんと交流ができた。デザイナーや建築家、映画、音楽関係などクリエイティブな仕事をされている人が多く、皆さんとても感じが良くてて、気持ち良かった。過去に山と道のONEを背負って仲間とPCTを歩き、今年もONEを背負ってJMTに行くと話してくれた人もいた。元A.C.S.のチンミンさんも駆けつけてくれた。

これからsamplusがお客さんと一緒に台湾の山を面白くしていくのがとても楽しみだ。ヘクターさんは、これから毎月休みを作ってお客さんやスタッフさんと一緒に山を歩くという。そしてsamplusでは、僕たちのような外国人が台湾の山を歩けるよう、パーミットサービスの提供を行う準備も進めている。そうなれば、台湾の山々をみんながもっと自由に歩けるようになる。

僕が山に行く目的のひとつには、まだ見ぬ山の向こうまで歩いていきたい、という気持ちがある。新鮮な驚きと体験、つまり「未知との遭遇」をしたいのだ。日本の隣にある台湾の山と人は、そんな体験を形にしてくれる。

samplusが世界中のハイカーの台湾の山への入り口になるのも、そう遠くない話だと思っている。

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