キンニク、ヒデキ&ボマの
台湾北一段 メロコア・ハイキング

2020.01.10

屋久島に行くか、北海道に行くか、はたまた北アルプスや南アルプスを縦走するか。今年、少し大きなハイキングを計画しているなら、台湾をその候補に入れても良いかもしれません。

詳しくは、これまで山と道JOURNALSで数多くご紹介してきた台湾関連の記事をぜひ参照していただきたいのですが、台湾は九州とほぼ同じ面積に270座以上もの3000m峰がひしめく「山の国」です。しかも、これまで外国人には煩雑だった登山パーミッション取得も山と道が現地の協力者と立ち上げたパーミッション取得代行サービスにより、グッとハードルが下がりました。

今回は、そんな台湾の山をHLC関西アンバサダーの中川裕司さん(通称キンニクン)が、プライベートで山と道HLCディレクターの豊嶋秀樹(同ヒデキ)、友人の小川裕史さん(同ボマ)と、実際に山と道のパーミッション取得代行サービスを利用して、1週間ほどのハイキング旅をした模様を寄稿してくれました。

目指すは太魯閣エリアの南湖大山と中央尖山を結ぶ「北一段線」。標高3700m以上の山々を巡る、台湾を代表する縦走路のひとつです。

いずれも豊富なアウトドア経験を持ち、気のおけない友人同士でもあるキンニクン、ヒデキ、ボマの、基本は「メロー」でときどき「コア」な、台湾ハイキングの旅の模様にどうぞお付き合いください。

山と道JOURNALSの台湾関連記事
山と道の台湾登山パーミッション取得代行サービスのご案内

*2019年1月15日 一部加筆修正しました。

文:中川裕司
写真:中川裕司、小川裕史

はじめに

歳を重ねるごとに恒例行事は増えるものだ。ここ数年カレンダーを埋めていてよく思う。今回の台湾の旅も、そのひとつである。

HLCディレクターの豊嶋秀樹さん(以後ヒデキさん)と、小川裕史さん(以後ボマちゃん)との1週間前後の旅は今回が4度目で、毎年恒例になっている。

と言うのも、ボマちゃんが勤める会社は年末年始やお盆とは違う個人的な休暇を、繁忙期ではないタイミングで各々が年に1度とれるらしく、彼はその有意義な時間を、比較的時間に自由のきく、それでいてアウトドアアクティビティの興味の近いヒデキさんと僕との時間にさいてくれている。僕たちはそれをありがたく共有させてもらっている。

この3人での旅は、初年度から突拍子もなかった。宮崎へクライミングの旅を計画していたが週間予報は雨続きで、前入りした夜の博多の酒の席で日本列島の天気図を見て、もうココしかないと屋久島の旅に変えた。結果はもちろんドンピシャで、最高の天気に恵まれた。

2年目は残雪期の北アルプスの旅だった。2日目の歩みを進める中、ロープ無しでは難しい箇所にさしあたって危険と判断し、3日目に下山。その翌日には四国の山に居た。僕たちは北アルプスの剱岳から四国の剣岳に移動したというわけだ。

2年目の北アルプス残雪期の縦走。

3年目は韓国は釜山から智異山へ登った。情報がない山へのアプローチは旅人心がくすぐられたし、隣国の複数泊の縦走文化や風習に触れたのは単純に面白かった。

そして今年、発端はヒデキさんの「台湾行こうぜ!」と声があがったこともあるが、山と道が台湾のパーミッション取得代行サービスのシステムを構築することを、その準備段階から代表の夏目さんから聞いていたこともあり、随分前から台湾の山には興味が湧いていた。それに加え、山と道HLCにアンバサダーとして関わることになった今年はなにか呼ばれている気がして、迷いなく賛同した。

台湾山行と決まってからは、主にヒデキさんが山と道のパーミッション取得代行サービス台湾に協力している現地山岳ガイドの林(リン)さんとやりとりしてくれ、宿泊にまつわる制限がなく自由にテント泊が可能で、アプローチも比較的容易で、なにより歩き応えのありそうな太魯閣エリアの「北一段」と言うロングトレイルを提案してくれた(※台湾のパーミットの詳しい情報は以下参照:https://www.yamatomichi.com/journals/9266/ )。

渡航当日、福岡空港から出発したヒデキさんより早く台北入りした関西組の僕とボマちゃんは、楽しみにしていた台湾グルメをハシゴしながら待ち合わせ場所にしていた山と道の台湾直営店であるsamplusへ向かうと、店主のヘクター・ホームさんとその実弟であり、山と道のイラストやデザインの手伝いもしているRaying Studioの洪寶弟さんが暖かく迎えてくれた。

深夜のフライトだったので朝ごはんを食べた後に公園でひと眠り。

samplusの店内。

翌日からの山行に備え、後ろ髪を引かれながら早々にsamplusを後にしたものの、出がけに、ヘクターさんが旅のお供にと台湾のハードリカー「高粱酒(カオリャン)」を差し入れしてくれた。香りよく、アルコール度数が58度もあるこのお酒が、ハードリカー好きの自分にとっては今回の旅を円滑に進める影の立役者となった。

台北駅近くの登山道具屋でガス缶と台湾製のアルファ米を調達して宜蘭駅へと移動し、宜蘭の駅前のスーパーで山中にいる予定6日分の食料と酒を物色した。着いて早々に「ホタルの光」がかかりそうな雰囲気で、生鮮食料品の冷蔵棚に薄い幕をおろしはじめていたが、ダイコンやニンジンやタマネギなど日持ちする野菜を中心に、厚揚げや乾麺、薬膳スープの素などを急いで手分けしてカゴに入れた。充分なのか不充分なのか、アバウトな目分量で少し不安が残る中、なんとか営業時間内に買い物を済まし、旅の始まりの祝杯をあげるべく宜蘭の夜市を目指してくり出した。

旅の準備を終わらせて宜蘭で旅の始まりを祝し乾杯。左よりボマちゃん、筆者、ヒデキさん。

北一段ハイキングの行程

「北一段線」は中央山脈を代表する山岳、太魯閣エリアの南湖大山(3742m)と中央尖山(3704m)を結ぶ縦走路。周囲には審馬陣山、南湖北山(東峰・南峰)などの3000m級ピークが連なる。苔むした林道、広大なカール地形、中央山脈と雪山山脈の展望など変化に飛んだダイナミックな景観を持ち、自由にテント泊が可能な点も大きな魅力。中央尖山周辺はハイカーも少なく、静かな山行を楽しめる。

*標高が高いので高山病に注意
*山中に山荘はあるものの食料は入手できない
*中央尖山を狙う際は事前に降雨情報を確認すること
*沢のセクションは長くエスケープも無いので判断は早期に
*沢沿いの石は滑るので下半身が濡れることは避けられない
*ローカルハイカーとは積極的に交流がおすすめ

総距離:約80km
累積標高:約10,000m
最低標高:2,000m(思源バス停) 
最高標高:3,742m(南湖大山主峰)
必要日数:4泊~6泊
最寄りの街:宜蘭/梨山/武陵農場

参考記事
TAIWAN HIKERS’ HANDBOOK #1 台湾ハイキングの概要
TAIWAN HIKERS’ HANDBOOK #2 代表的な山とルート

11月2日(ハイキング1日目)

4時に起きてパッキングを整え、列車で羅東駅に移動し、駅近くのバスターミナルでブッキングを始めた。便数も少ないトレイルヘッドへの公共交通機関でのアクセスは、英語さえなかなかうまく伝わらない国では余裕を持って行動するのが鉄則だ。

バスは7時ちょうど発だったので、各々好きに時間を潰してから乗車し、トレイルヘッドの思源を目指した。グネグネ道を2時間半ほど走り、クルマ酔いで気持ち悪くなり始めた頃、標高2000m前後の思源のバス停に到着した。

その日は列車移動中に朝焼けを見たのち太陽の気配を全く感じず、あたりはいつ雨が降り出してもおかしくない濃霧に覆われていた。バス停を降りたその場所が北一段のトレイルの入り口に当たり、太魯閣エリアの大まかな案内図が置かれていた。僕たちは3人でお決まりの集合写真を撮り、9時30分過ぎに沢沿いの林道を歩きはじめた。

「登山口まで6.8キロ」と表記があったが、倒木やクサリ場もあり、標高こそ上げないが立派なトレイルが続いていた。霧雨の中、秋色に染まったフカフカのトレイルを2時間程歩くと、6.8km地点の南湖大山登山口(標高2350m前後)に到着。ここから尾根道でいっきに標高を上げる。

現地ハイカーと話すヒデキさん。

途中、何度となく現地の団体ハイカーと出会った。会う人会う人、話かけてきてくれるが、ほとんど何を言っているのかわからない。なけなしの語力で「私たちは日本人です。すみませんが、あなたの言っていることはわかりません」と話すと、100%に近い確率で相手も片言の(人によれば流暢な)日本語でおもてなしや労いの言葉をかけてくれ、何度も和まされた。

標高2700mを超えると次第に陽の光を感じはじめ、多加屯山(2795m)辺りで景色がひらけると、僕たちの目下には見たこともないような範囲の雲海が広がっていた。麓では曇天だったのに南湖大山付近の天気予報が良好だったのはこういうことだったのかと、興奮しながらカメラを向けた。

どこまでも続く雲海。

14時頃、当初泊まる予定にしていた雲稜山荘に到着した。

だが、水場は雨水をタンクに溜めたものだったし、テン場にはすでに沢山のテントが張られていており、さらにテントを張る場所を見つけることは難しそうだった。湧き水の水場が約1キロ先にあったし、ひとまず先のことは考えず足を進めることにした。

雲稜山荘とひしめき合うテント群。

無補給6日分の荷に加えて、ビバーク用と翌日の行動のぶんの湧水も獲得して更にずっしり重くなったザックが堪え、ボマちゃんに疲れが見えはじめていた。雲稜山荘でいったん歩き終えたと思ったのに、また歩き始めたのも大きかったかもしれない。途中で拾った木の杖に寄っかかって、疲れを目で訴えかけてくる。

疲労が表情に漏れ出ているボマちゃん。

ヒデキさんと先行して歩いていると、見晴らしのよい笹藪の丘陵地帯に着いた。

17時を過ぎ、間もなく辺りは暗くなる。やむなく一夜を過ごすのにはここが最適ではないかという話になり、それをボマちゃんに投げる。ふたつ返事が返った数分後には台湾ビールで乾杯し、薬膳鍋を作りながら他愛もない話で盛り上っていた。

その夜はテントは張らずに笹藪の上にマットを敷き、満点の星空を見ながら眠った。

キャンプした近くのトレイルからの見晴らし。

マットを敷いて防寒着を着たらすぐに乾杯。

東の雲海は夕暮れ時も美しかった。

【ヒデキ&ボマの1日目メモ】

非英語圏でのハイキングの核心は登山口までのアプローチ。現地に入ってしまえばなんとかなるけど、プラン段階では正確な情報を手に入れるのが難しい。北一段ルートは登山地図を買うこともできず、台湾の友達から借りた。(ヒデキ)

山小屋では食料調達できないというなかなかのハード山行にもかかわらず、ダイコン・ニンジン・タマネギなどを丸ごと背負って、多少重くてもひとつの鍋を囲んで、ギアは軽く、思い出は重くするいつものスタイルで旅は始まった。(ボマ)

11月3日(ハイキング2日目)

明け方は2~3℃まで冷え込んだだろうか。夏に慣れた身体には少し寒く感じて熟睡できず、幕がなかったこともあって夜露もまともにくらっていた。おまけに二日酔いとは少し違う、頭の後側にドシっとした痛みがある。ふたりに話すと同じような痛みがこめかみにあるといい、おそらく高山病だろうということに落ち着いた。

早朝から快晴。

少し明るくなった6時に出立した。歩き始めると次第に頭の痛みも感じなくなり、足取りも軽い。昨日疲労していたボマちゃんも登りは少し遅れるものの「タマネギと大根が重すぎるから捨てさせてくれ!」だの言いながら、杖をついたお爺ちゃんキャラを確立させてマイペースで歩いている。

7時30分には南湖北山(3536m)に到着。昨日から続いている大雲海の光景にも慣れてきていたが、このあたりから台湾の山のスケールが明るみになり始め、心が踊った。日本で置き換えるならば南湖連峰は穂高連峰、数日後に行く予定の中央尖山は槍ヶ岳と言った具合で、僕たちはいままさに涸沢カールに差し掛かろうという展開なのである。

南湖連峰に囲まれたカールへ下りる。

10時20分に当初から2泊目の宿泊地に設定していた南湖山荘に到着し、各々幕を張る。ヒデキさんはファイントラックのツエルトⅡロング、ボマちゃんはシックスムーンデザインのゲイトウッドケープ、僕はローカスギアのクフタイベック。それぞれ幕の中に不要な食材等をデポして、再度準備を整える。時間に余裕のできたその日、僕たちは馬比杉山までのループ(コースタイム11.5時間)を加えることにしたのだ。

11時前に小屋近くにある沢で水を汲み、南湖大山東峰を経由して馬比杉山(3211m)を目指す。日本の北アルプスを思わす岩稜帯ではあるが、規模感はそれよりも大きい。不思議な層状になった岩質が広範囲でみられるのは僕にとって目新しく、何枚でも写真に収めたくなるようなものだった。

高山に囲まれたカール地形は歩いていて気持ち良い。

南湖大山東峰付近。

少しばかり危険な方が、わんぱく心をくすぐられるものである。急な斜度の岩場が続くので、緊張感はあるが、無我夢中でトレイルに集中できたし、こういう道は僕たちは手馴れていたので、コースタイムをサクサクと縮めることができた。

尾根道を下り樹林帯を抜けると、とんでもない隆起の仕方をした奇岩が目の前に現れた。僕たちはしばらくの間、陶塞峰(3450m)というその岩の存在を讃えるように触ったり見上げたりしていた。

陶塞峰とふたり。

南湖大山東南峰付近。

南湖大山東南峰(3462m)に到着した頃には13時30分を過ぎていた。コースタイムは縮めてはいるものの、思うより時間が掛かっていて、これから馬比杉山をとって南湖山荘に戻るには、疲労でペースが落ちることを考えると、ヘッドライトを伴う夜間山行は約束されていた。よくよく地図を見ると、テン場でラーメンをすすりながら計算したコースタイムそのものが2.5時間も下方に計算間違えしていたのだ。

ループをとる分岐点から馬比杉山を踏んで今いる場所へ戻るのにコースタイムであと115分。それぞれ思惑は少しづつ違ったように感じたが、この場は残念ながら引き返しを選択した。

谷の中はトレイルが不明瞭。

クライマー心をくすぐられる岩がごろごろしていた。

層状になったもろい岩を登る。

ループを折返して谷道を進むと、ここがまたワイルドで面白かった。尖った形状の石がごろついているので、水が流れる期間は稀なのだろうと想像はつくが、春先には雪解け水が流れるのだろうか。まだまだ人の手の入ってないわかりにくく、崩れやすい道が続くなか、ヒデキさんにも疲労が見えてきた。

スイッチが切れてしまっている印象で、登り道で遅れがちなボマちゃんより少し後を行く。大丈夫かな、と思っていた矢先、倒木をくぐるタイミングで頭を強く打って「ギャフン!」と大きい声が出た。うっすら血も出て、しばらく悶絶していたかと思うと、文字通りスイッチが入ったようにバリバリと歩きはじめた。ツッコミどころがありすぎる。この3人の旅にネタは尽きない。

ややあって、僕たちが南湖山荘に再び返ったのは、夕暮れ間近の5時前だった。それからまもなく、陽は落ちて、昨夜と同じく鍋の準備をする。今日は何の具材を使ってどの出汁で楽しむかと、盛り上がりながら高粱酒(カオリャン)を傾けた。

【ヒデキ&ボマの2日目メモ】

台湾は、「素食」と呼ばれるベジタリアン文化が浸透していてベジ天国。ベジ向けのトレイルフードも登山用品店で普通に手に入れられる。スーパーマーケットにはベジラーメンもあり、種類も豊富で味の方もなかなか良いのです。(ヒデキ)

思いのほかテン場に早く到着してしまい、まだ先も長いことだしマッタリするかと思いきや、コースタイム8hのラウンドハイク追加の刑を受けることに(涙)。結果は、この旅でも1、2を争うくらいの絶景が待っていた。しんどいけど行った自分に拍手。(ボマ)

11月4日(ハイキング3日目)

この日、これまで進めてきて、地図のコースタイムを縮めている割合いを考えた上で、ゆっくり起床した。のんびりお茶を嗜んでいると、南湖大山主峰に美しいモルゲンロートを望むことができた。

ほどなくすると、山荘から続々と山の方に向けて人が行ったり来たり騒がしくしている。きくと、前日に足を捻挫して下山できなくなった人のレスキューでヘリが来るという。

僕らもこれから旅でどんなことがあるかはわからないが、異国でこんなことになっては絶対にいかん、とふんどしを締め直した。

モルゲンロートをのぞんでのんびりと至福の時間。

救助のヘリコプター。

テン場を出たのは、8時を優に過ぎていた。南湖大山主峰(3742m)へ登り巴巴山(3449m)を経て中央尖渓山屋まで。この日は一気に谷の底まで標高を下げる。

南湖大山南峰までは昨日と同じようなプレートが突起したような層状の岩があり、絶景の中、テクニカルな道が続いて面白かった。

カールから主峰まではなだらかに登った。

途中でボルダリングを楽しむ。

巴巴山頂とボマちゃん。

この辺りの山域は標高3400mを下回ったあたりから樹林帯が現れるらしく、巴巴山からの下りは樹林帯を抜けながらも、圧倒されるような奇岩が点在しており、クライマーでもあるヒデキさんやボマちゃんは楽しそうだった。

層状の巨岩地帯。

バリエーション豊かなトレイルが続く。

標高3300mあたりから、急な尾根をぐんぐん下っていく。日本の山とは違い、つづら折れの道がないため、急勾配が非常に多い。その上、枯れた松葉と松ぼっくりがウソのように滑る。ブレーキをかけては逆に危ないので、足速に滑らしながら駆け下りた。それぞれ何度か転倒しながらも、谷の底まで下りきったときにはコースタイムをかなり縮小させていた。

滑る枯れた松葉が恐怖。

中央尖渓山屋に到着したのは15時を回った頃だった。小屋は沢から少し上がった高台に建っていたが、どんな悪天候でも、その中では絶対に泊まりたくないような廃墟といった佇まいだ。昨日までのセクションとは違い、一般登山者が入ってくる雰囲気が全くない。

それぞれ幕を立て、宴の準備に取りかかった。ハードリカーと美味しい料理を囲む。毎日が最高だった。

【ヒデキ&ボマの3日目メモ】

朝起きるとこめかみのあたりが痛い。軽い高山病にかかっているみたい。すると、トレイルのそばに頭痛薬と龍角散、高麗人参ジェル、スタバのVIAが入ったジップロックが落ちていた。どなたか知りませんが助かりました。(ヒデキ)

3日目はレストデーと言いつつも1座ピストン追加で、行く前からレストならんし〜と思いつつ、のんびり朝ラー食べてから恒例の担ぐ食材振り分けタイム開始。2日目はタマネギとダイコン担当だったが、この日は当たらずひと安心(笑)。(ボマ)

11月5日(ハイキング4日目)

中央尖渓山屋から僕たちが「トンガリヤマ」と呼んでいたこの旅のメインディッシュ、中央尖山(3705m)までは、おおよそ1400mの標高差があり、ピークの肩にあるコルまでは、ひたすら長い谷道が続く。ピークからはまたこの小屋に帰ってくるピストンなので、早く帰ることができれば、デポした荷物を回収して、沢沿いをもうひと頑張りして下ろうという話になった。ここまで調子良く進んでいるので、1日早く縦走をコンプリートすることを目指してみる。

5時そこそこに出立し、沢沿いを上流につめると、15mはあろうかという高巻きの崖道に差し当たった。ロープこそ付いているが、ひとつの間違いで命の危険もある。昨朝のヘリコプターの画が頭をよぎる。おまけにこの日は出立から天気が悪かったので、足元が滑りやすいことにも少々不安があった。

高巻きの崖。

いざ取り掛かってみると、それぞれ沢登りやクライミングなどの経験もあるので難なく乗り越えることができたが、危険箇所が多く続くようであれば、断念して引き返す提案をふたりに投げる準備もできていたし、霧雨も感じる中、支流があちこちから合流しているので、一気に増水する恐れもある。空模様も注意深く見ておく必要があった。

途中みた綺麗な滝。

道という道のない沢歩きは、あちら側を行くのか、こちら側を行くのかで、スムーズさが全く変わる。行く道定まらず、渡渉や高巻きを繰り返すのは時間もかかって疲れる上、事故のリスクが非常に高くなる。

そんな中、僕たちを何度も導いてくれたのがケルンだった。日本では道標は過剰なスプレーマーキングなど多く、不快に思うこともあるけど、ささやかに置かれたケルンは暖かい気持ちになった。

何度も後押ししてくれたケルン。

上流になると水量は減り巨岩地帯に。

雨が降るまではいかないが、相変わらず天気は悪い。「僕らは実は厚い雲の中にいて、トンガリヤマや南湖大山をはじめ3700mを越えるピークは雲海から顔を出している」そんなドラマティックな画を想像しながら、ポジティブに歩いていた。

源流で水を汲むふたり。

ザックに入れた僕のコレクションをトレイル上にデポ。

標高3000mを越える頃、沢の源流まで登り詰めた。そのあとは枯れた沢道をひたすら進むが、日本ではあまり目にしない面白い模様の入った石が非常に多く、僕はいろんな石を集めては選別し、捨てては集めていた。ふたりは、僕のザックに石が積められていくのを面白がっていた。

その頃からか、ピークの気配を感じさせる陽の光を感じはじめた。僕らの仮定は現実になるんじゃないか、と思わせる瞬間だった。

3600m辺りのコルまで登りつめ痩せた尾根の上に立っていると、ブロッケン現象とほのかに虹が立った。ふたりより少し先を行っていた僕は、それらが消える前にふたりと共有したくて「フォー!」とふたりが来る方へ雄叫びを繰り返していた。

小さな虹とブロッケンがみられた。

中央尖山のピークは雲の上で最高の青空がひらけていた。

10時30分、仮定していた画に極めて近い、「トンガリヤマ(中央尖山)」のピークまで辿り着いた。絶景を目下にしながら大人の本気「ヤッホー!」も済ませて、陽の差している暖かい岩の上でしばらくのんびりした。その日観たピークからの景色は、おそらく一生忘れない。

それから、登ってきたテクニカルな沢道を、厚い雲の中へ1400m一気に下る。ひたすら急登からの、ひたすら急降下で、それぞれに疲労が見えはじめた。とくにヒデキさんは膝に古傷があり、それが痛むようだ。これだけ長い下り道、ただでも膝にくるのは当たり前である。テン場に戻ると、「これ以後進むならばゆっくりしか進めない」とはっきり言ってくれた。

自分がやりたいことや、できそうもないことを共有できないと、持ちつの側も、持たれつの側も、長旅を気持ちよく成し遂げることができないことをヒデキさんはよく知っている。

滑った渡渉箇所がひたすら続く。

15時頃デポを回収し、予定通りさらに沢を下ることにしたが、今度は自分にピンチがやってきた。渡渉箇所で濡れるのを避けるためにジャンプした先が滑った石で、転倒して膝を打撲したのだ。致命傷ではなかったが、しばらく悶絶しタイムアウトを訴えた。

中央尖渓山屋から下流域は降雨量が多いと、入渓できないぐらいの川幅になるのだろう。苔や不安定な足場、流された大きな倒木たちが物語っている。1年を通しても、自分たちは恵まれた環境に入山しているのだと、そのとき改めて思った。

流された巨大な倒木の上を歩く。

みんなで渡渉箇所を見極めながら、恐る恐るこなしていくセクションが長く続く中、またやってしまった。滑った浮石にジャンプして、右半身ドボンしてしまったのだ。標高こそ下げているが、16時を過ぎて、山間は陽が沈む直前、気温が低くなり始めていたので、正直辛いところだった。

地形図を読みがらビバーク地を探し歩かなくてはならない時間帯で、ボマちゃんが率先して色々と思案しリードしてくれていたが、その頃、冷えないように身体を止めたくない自分は苛々していたのだと思う。ハイキング中はあまり取り乱さないが、感情的になっているのをみて、秀樹さんもボマちゃんも気を使ってくれているのを感じた。

結局、その日も高台の安心できるビバーク適地を見つけ、濡れたウエアを乾かし、安全にキャンプをすることができた。

その夜の宴で、この旅の、目まぐるしい展開の中で、ムードを作る人が代わり、自然にリーダーシップが流動していく僕らのチームワークを、ヒデキさんがうまく総括し自賛していたのが印象的で嬉しかった。

ヒデキさんからお裾分けの高粱酒をやりながら、みんなが寝に入った後、僕はひとりで小一時間薪をくべていた。

【ヒデキ&ボマの4日目メモ】

中央尖山のエリアに入った途端、どえらいグレードアップ。ものすごくかっこいい山だけど、天気悪かったら悲惨と思われる。そういうわけで、気やすくオススメとも言いがたいところがある。僕らはラッキー。台湾ハイキング奥深し。(ヒデキ)

この旅のメインディッシュである中央尖山へ。沢・ガレ場を一気に1300m登った先はもちろん絶景のご褒美。ピークハント後はテン場へ戻り、疲れた身体で渡渉を繰り返していると、きんに君まさかの2ドボンで珍しく元気なくなってたのが4日目のハイライト。(ボマ)

11月6日(ハイキング5日目)

朝から渡渉が続いた。

朝一番からしばらく沢を下らなくてはならなかったので、安全を考えて明るくなりはじめてから動き出した。

何度か渡渉も繰り返したが、まもなくして南湖渓山屋を経由した後は、すぐ沢を外れ、細い谷道を登りはじめた。滑らない道のなんと快適なことか。まだまだ先は続くが、昨日やらかしていた自分は少々臆病になっていたので、正直安堵して胸を撫で下ろした。

南湖渓山屋近くの綺麗な水面。

行程の上方修正も思惑通りに進んで昨日を終わらせていたので、この日でしっかり「北一段」の縦走を歩ききって、14時のバスで羅東の街まで移動し、麦酒とグルメを愉しむ。全員がそういうチャンネルに切り替わっていた。そのため昨晩のキャンプで共有の食料はすべて食してしまったし、お酒もしっかり空になった。後はまだだいぶ余裕のある行動食でしっかりチャージしながら、ガシガシ歩くだけだ。

時間の余裕ができてのんびりご飯。

10時を回る頃には、初日に通った多加屯山(2795m)付近のトレイルに合流した。初日にみた雲海は同じように残っていて、やはりすごい景色だと思いつつも、これから厚い雲海の中に入っていくのが文字通り目に見えているので、これからしばらく感じることができない日光を見納めておいた。

あとは、来た道を戻っていくだけだ。旅の終焉を噛みしめながらも、下り基調の気持ちよいトレイルは足早になってしまう。

気持ちのいい落ち葉のトレイル。

13時のバスの時間までには、余裕を持って歩ききることができた。近くの沢で顔や脚などを綺麗にし、街に向けて支度をした。

バス停でしばらく待ち時間があるかと思っていたが、翌週に南湖大山へ歩きにくると言うハイカーが、登山口を下見に来ており、いろいろ会話をしていると、宜蘭方面の最初の集落にあたる南山村まで送迎してくれるという。家を出て足掛け7日間も着替えていないのですこし気が引けたけど、ここは山と道のメリノウールの消臭効果に信頼を置き、即答で甘んじることにした。

南山村の集落で早くも乾杯。

僕たちは羅東の街でブッキングしたゲストハウスにチェックインし、旅の締め括るべく、夜市を目指してまたくり出す。旅を振り返えって交わす酒の格別さ、彼らと過ごす時間は本当にかけがえがない。来年の旅はなにをしてやろうか、僕たちはそんな話でまた盛り上がっている。

【ヒデキ&ボマの5日目メモ】

下山となると、早くビールを飲ませろと脳が吠える。台湾ミラクルで、登山口にいた人が最寄りの村まで車で送ってくれて、あっという間に台湾ビールにたどり着いたのでした。ホントにありがとうございました。優しい人たち。(ヒデキ)

本来はもう1泊する予定だったが、順調に歩けば下山できそうなコースタイムだったので、残りわずかな体力振り絞ってなんとか昼過ぎにゴール! 4日ぶりに飲んだビールの味はめちゃくちゃ美味かった!! (ボマ)

今回の旅では全員山と道のバックパックだった。

2019年1月15日の加筆修正につきまして

2019年1月10日の公開時、3泊目と4泊目の夜に焚火をした記述がありました。筆者の中川さんより、キャンプ指定地にすでにあった「ずっと使われている明らかな焚き火跡」で焚火を行ったとのご報告を受けましたが、その後、台湾の知人からの情報提供で台湾の国家公園内では原則的に焚火禁止であることが判明いたしました。記事中に禁止行為が記述されていることの今後の悪影響を鑑み、当該部分の本文の修正と写真の削除を行いました。

勝手のわからない国外での出来事とはいえ、結果的に台湾の国家公園のルールを破ってしまったことを中川さんも悔いており、『山と道JOURNALS』としても事実関係を確認せずに掲載してしまったことを猛省しております。不適切な情報を掲載してしまい、申し訳ありませんでした。

2019年1月15日 山と道JOURNALS編集長 三田正明

中川裕司 
中川裕司 
山と道HLC関西アンバサダー/『山道具谷ノ木舎』店主。 カメラを片手に放浪中、チベットやカラコルム、ラダック等の山岳民族の生活文化や、その圧倒的な風景に魅せられて、アウトドアカルチャーにハマっていく。 旅の経験からアジアや中東各地の手仕事と結びついたアパレルメーカーを経営しつつ、2020年4月に山道具屋、『山道具 谷ノ木舎』をオープン。 持ち前の機動力を活かして、ウルトラライトスタイルで野山を駆けめぐり、ハードリカーを飲みながら野営するのがいちばんの大好物。 ニックネームは『きんにくん』。
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