山と道

23日間日本横断 ~地図の外側の旅~

23日間日本横断
~地図の外側の旅~(後編)

アメリカの3大トレイルを踏破したトリプルクラウン・ハイカーにして、この山と道JOURNALSでも、みちのく潮風トレイルのスルーハイク記や、あまとみトレイル〜信越トレイルのスルーハイク記でもお馴染みの清田勝さんが、今年挑戦した23日間に及んだ太平洋から日本海へのハイキングのレポート、その後編です。

前回、無事に富士山登頂を果たし、今回はいよいよ南アルプスから八ヶ岳〜北アルプスと日本の屋根を越え、ゴールの日本海を目指す清田さん。夜、テントで地図を広げて次の日にどう歩くかを考えるような今回の旅は、1本のラインを追い続けるロングトレイルの旅とは違い、「地図の外側の旅」のようだったといいます。そしてそれは、彼の考える旅の本質により近いものだったとも。

スピードよりも出会いを、計画よりも偶発的な何かを求める清田さんの旅。どうぞ最後までお付き合いください!

【#1はこちら】

文/写真:清田勝

日本の横幅

「多分19日には小淵沢いけると思います!」

「尾白川渓谷の駐車場とかに迎えいこっか?」

「ロード歩いちゃいたいので、小淵沢駅の方が助かるかも!」

「全然大丈夫よ〜!」

ガレージブランドUJMT.を営む氏家夫婦とそんな連絡をしたのは3日前。小淵沢に辿り着いたら彼らの家で1泊させてもらうことになっていた。夜叉神ヒュッテから携帯は機内モードにしていた為、なんとか約束通り19日の夕方に間に合いそうでホッとしていた。

それにしても、今日はとても気持ちのいい日だ。下界には所々雲がかかり、鳳凰三山・北岳もすっきりと見え、背後には富士山も雲から頭を出している。北を向けば右手に八ヶ岳が、正面には北アルプスが存在感を放っている。

「富士山の上にいたのが5日前か」標高2967mの風に吹かれて吹き出した汗が火照った体を冷ましてくれる。甲斐駒ケ岳の賑わった山頂に着いたのは9時40分。久々の晴天ということもあり、気持ちいい山頂の風景に変わりはないのだが、今まで見てきた山の上からの景色とは違う見え方がする。

  • 甲斐駒ケ岳山頂からの展望

その理由は、ここまで自分が歩いてきた道が大地に線を引くようになぞることができるということだった。そして、その線上にはその時の光景や出会いが色濃く残っている。

眠気と共に歩いた富士登山、山頂から見えた街の光、そして太平洋の広がり……。

「そうか! あの向こうは太平洋があるんだ」

そんな当たり前のことが、誰も知らなかった大発見のように僕自身を高揚させた。南アルプスを歩き終えると次に八ヶ岳、そして北アルプスを歩けば日本海に着くわけだが、なんとなく日本の横幅が感覚的にわかるような気がした。

それがわかったからといって何があるわけでもないが、旅というものは旅人に新しいモノの捉え方を与えてくれる。今回の旅でもこうした感覚になれたのは嬉しかった。

そんな山頂の景色にお別れをし、氏家夫婦が待つ小淵沢駅へ向けて、黒戸尾根の急登を駆け下りていった。

駆け下りた下界は相変わらず灼熱のロード歩きが待っていた。来た道を振り向くと数時間前に心地いい風に吹かれていた甲斐駒ケ岳の山頂が見える。それにしても、黒戸尾根はとてつもなく長い急斜面だった。黒戸尾根を登る登山者とすれ違ったが、足取りは重く辛そうな表情を浮かべていた。

「あの登りマジできつそう」

そんなことを思いながら太陽に肌を焼かれ小淵沢駅へと向かう。11kmの道中、途中コンビニへ寄り缶ビールを流し込む。キンキンに冷えたビールが喉を通過し、炭酸のシュワシュワした感覚と共に胃に流れ落ちていく。

「うんめぇぇぇ‼︎」

こんな暑い中なんで歩いているの? と聞かれたらこの瞬間のためだと言ってしまいそうになる程、至福のひと時だ。

ビールをほぼほぼ飲み干し、ひと息ついて眺めた風景には八ヶ岳が見える。

山好きは長野に移住したがるという意味がよくわかった。特に八ヶ岳山麓からは、八ヶ岳はもちろん、南アルプス、北アルプス、そして天気がいいと富士山までも見えてしまう。日本の名峰に囲まれた楽園のような場所なのだ。小淵沢駅で合流する氏家夫婦もまた、その楽園に移住した一員でもある。

旅の中で、友人や知人と再会できるのは、キンキンのビールに匹敵するほど幸せな瞬間だ。そんな2人に会いたい気持ち一心で歩き続けた。

小淵沢駅に到着したのは16時。

「おぉ〜〜! いたいた!」

「お久しぶりです! 着きましたよ〜!」

「ちょうどここで半分ぐらいだね!」

「そんなもんですかね!」

そう言って氏家夫婦と再会することができた。彼らは僕よりも兄さん姉さん。それなのに平成生まれの僕と遊んでくれるありがたい存在だ。

「今晩、ご飯どうしよっか?」

「なんでも食べますよ‼︎」

「焼肉とかどう?」

僕は言われるがまま、餌を待つ柴犬が尻尾を振るように彼らのクルマに飛び込んだ。

氏家夫婦と僕に加えて他に地元に住む4人がサプライズで合流してくれた…。そんな7人での夕食は、それはそれは楽しい楽しい時間だった。楽しすぎて何を喋ったかも覚えていないし、1枚の写真も残っていない。

それでいいと思う。そうやってなんでもない時間を少しずつ積み重ねて、お互いを知りゆっくりと関係を築いていくのが、僕は心地がいい。

太平洋と日本海のちょうど真ん中あたりで、友人たちとキンキンのビール。これ以上のものは世界中を探してもそう簡単には見つからないだろう。

翌朝、そんな友人たちとお別れをして次のステージ八ヶ岳へと歩みを進めた。

旅に彩りを

夜通し降り続いた雨で森が濡れている。まるで洗濯終わりの衣服のように湿った草木が広がり、1歩行くたびに僕の両足を湿らせる。

そんな暗く面倒くさい森も、太陽が上がるとその世界は姿を変える。

東の空から太陽の光が細く長く森の奥深くまで差し込んでくる。草木についた雨粒はその光を取り込みまた小さな光を放ち、その連鎖によって雨上がりの森は輝き始める。

顔にまとわりつく蜘蛛の巣が、この森にはまだ誰も足を踏み入れていないことを教えてくれる。僕はそんな時間が大好きだ。

今朝、八ヶ岳の高見石小屋を出発して、北八ヶ岳を歩き蓼科山に向かっていた。今まで八ヶ岳には4回ほど足を運んだことがあるが、高見石小屋よりも北には行ったことがなかった。

蓼科山からのルートは、白樺湖へ抜け、車山、霧ヶ峰と歩き、三峰山、鉢伏山を経由し、松本へ向かうことにしていた。

蓼科山の登山口の大河原ヒュッテについたのは10時を少し回った頃。荷物を置き休んでいると、ジャージを着た中学生が、先生に連れられてぞろぞろと蓼科山に登っていく。この団体が通り過ぎたら登り始めようと思い、その列を眺めていたが行列は一向に切れる気配がない。恐らく地元の中学校恒例の登山なのだろう。

朝の北八ヶ岳の静けさが遠い昔のことのように、蓼科の登山道はがやがやと賑やかになり始めた。

その後を追うように登り始めると、「後ろから人きてるから止まれ〜!」 と、先生が生徒に道を譲るように促してくれた。総勢100人ほどの中学生に見守られながら、岩々した道を登っていく。

「こんにちは!」

「こんちは〜!」

「ちわっす!」

こんな挨拶を何十回しただろうか。これだけの人に見守られながら歩くことはなんだか恥ずかしい。山頂についたのは10時30分。たくさんの登山客がいる中、その中のひとりが笑顔でこちらを眺めている。

「え! なんでいてるんですか‼︎」

「今日ここくるかなって思って」

「まじですか!」

そこには、短パン半袖に自作のバックパックを背負ったとちこさんが待っていてくれた。

「いつから待っててくれたんですか?」

「1時間前ぐらいですかね」

「僕ここ通ってなかったら会えなかったですよ!」

「まぁその時はその時かなって」

嬉しすぎる。彼はこの時、クルマで日本各地の山やトレイルを歩く旅をしていた。そんな中、今日蓼科に来るんじゃないかと予想してここで待っていてくれたのだ。こんなに嬉しいことがあるだろうか。

その後、ふたりで蓼科山荘へ向かいビールまでご馳走になってしまった。お互いに旅の道中というのに、旅人からビールを奢ってもらうことは、過去の旅の中でも初めてのことだった気がする。サプライズ慣れしていない僕はどんな表情でどんなことを話せば、この喜びを伝えられるのかわからず戸惑ってしまった。

「カンパーイ!」

中学生の団体が蓼科山荘の横をゾロゾロと登ってくる頃、僕たちはグラスを重ねた。月曜日の午前中から学生を横目に流し込んだアルコールは、スペシャルな風味だった。

次第に雲がかかり始める蓼科山。景色なんてどうでもよくほろ酔いで過ごしたこの場所は、これからここに来るたびに今日のことを思い出すだろう。

旅やロングトレイルでフォーカスされやすい「出会い」というワード。僕は出会いを求めて旅をしているわけではない。長い時間ひとりで旅をする中で出会いという要素があると思っている。とはいえ旅を終え思い出にふけっていると、あの場所やあの人との出会いがよく湧き上がってくる。

どうやら旅の要素の大部分が出会いになっているようだ。

こうして、旅をすればするほど、その土地やその場所に物語が生まれる。太平洋から日本海までの1本のラインに、今日もまたひとつの彩りを加えてもらえた。

ありがとう、とちこさん。

Hike with コバ

「開店おめでとうございます!」

2022年4月。四角い大きな箱を抱えて、コバがこの1月にオープンしたばかりの、僕がたくさんの人に手伝ってもらって作り上げたお店、『cafe&bar peg.』にやって来た。

「おぉ! 久しぶり!! わざわざありがとうね!」

「本当は内装工事手伝いに来たかったんですけど…」

「そんなんいいよいいよ!!」

コバとは2021年11月中旬、比良山を歩いている時にばったり出会った。

「これ開店祝いです!!」

どでかい四角い箱に一片にだけ丸く穴が空いている。

「えっ!これなに?」

「俺が10年間使ってたカホンです」

バンドマンだった彼は、最近バンドをやめたらしい。

「いやいや! もらえへんやろ! 10年って…」

彼が名古屋からわざわざこのカホンを持ってきてくれた光景を想像してみたが、10年間の想いが詰まった楽器を、山の中で一瞬すれ違っただけの僕がもらえるはずがない。それに、僕は音楽を聴く専門。楽器でリズムやメロディを奏でられるほど器用な人ではない。

「楽器は人が集まる場所にあるべきだと思うんです」

そんな彼のひと言に心を打たれて、そのカホンは今もお店に置かれている。

そんな彼が、今回の旅の途中で合流したいと連絡をくれていた。

今回の旅で数日間誰かと一緒に歩くのは、これが最初で最後だった。コバと歩く行程は、鉢伏山合流ー松本ー三股登山口ー蝶ヶ岳ー槍沢ー槍ヶ岳ー双六小屋までの3泊4日。恐らく下山後は適当なところでお別れすることになりそうだ。

松本から三股登山口までのロード26kmを歩き終え、登山口付近の東屋までたどり着いていた。

「東屋あってよかったな〜!」

「ここやったらテント貼らんでいいっすね!」

本来、この日のうちに蝶ヶ岳のテント場まで行こうとしていたが、松本の宿で僕がグズグズしていたので出発が遅くなってしまった。三股登山口に着く頃には日が暮れようとしている。

「なんか明日天気悪そうやな」

「まぁなんとかなるでしょ!」

そんなフレッシュなコバの言葉が僕の心のもやもやを少しだけ晴らしてくれた。

翌朝、6時に蝶ヶ岳を目指して三股登山口を登り始めた。ポツポツと雨が降ったり止んだりしている。登山道を歩き始める瞬間は、体育の授業でマラソンを走る前の心境に似ている。登っている時のしんどい気持ちは山頂に着いた頃にはすっかり忘れて、案外すぐ着いちゃったな、なんて思っているのだろう。

標高を上げるにつれガスが出はじめ、次第に視界はなくなりひたすらトレイルに視線が固定される。

「そろそろあると思うんやけどな〜」

「何がですか?」

トレイルの脇に生えている植物の葉をジロジロ見ている僕を見て、コバは不思議そうに聞いてきた。

「ほら! あった!」

標高が高い山の楽しみといえばこれだ。ベリーや野いちごの名前は詳しくないが、食べれるか食べれないか、美味しいか美味しくないかの判別だけはある程度できるようになってきた。

景色が見えないトレイル歩きが続くと、いつもこうして食べれる物を自然に探してしまう。食べれるキノコもわかればよりハイキングが楽しくなるんだろうな。

「これオシャレ女子の朝ごはんに出てきそうやね!」

男ふたりでそんな他愛もない会話をしていると蝶ヶ岳の山頂付近についた。山頂は一面ガスがかかり、顔を上げていられないほどの突風が吹き荒れていた。荒れ狂う風から逃れるように、稜線を小走りで通り抜け横尾へ下っていった。

蝶ヶ岳から横尾山荘で休憩し、槍沢登山道を北へ北へ向かい僕たちは再びガスの中を歩いていた。コバとの距離は10mほどだろうか。それでもギリギリ姿が見えるか見えないかぐらい視界が悪くなってきた。

ヒュッテ大槍までの距離が100m単位で岩に記されている。ここまできたら先に小屋まで行っても大丈夫か。「先行ってるで!」とコバに声をかけたが、僕の声は吹き荒れる風でどこか遠くに飛ばされていった。

ヒュッテ大槍に休憩できるスポットを見つけ、雨で濡れた荷物を降ろしタバコに火をつける。天気が良ければ槍ヶ岳がすぐそばに見えるんだろう。
少しするとコバが上がってきた。

「すいません。遅れちゃいました。完全にエネルギー切れです」

「全然大丈夫やで! なんか食べたら?」

「ちょっとだけ時間もらっていいですか?」

「もちろん! もちろん!」

コバはガサゴソと食料とバーナーを取り出してお湯を沸かし、チキンラーメンをお湯の中にダイブさせた。チキンラーメンの匂いは、なぜあそこまで食欲を掻き立てるのだろうか。そこまで空腹感はなかった僕もタバコの吸い殻を灰皿へ入れ、柿の種を流し込んだ。

今日1日の行程はもう少し続く。ヒュッテ大槍から双六小屋までが予定していた行程だった。ここから双六小屋までコースタイムで4時間かからないぐらい。エネルギー補給が完了したコバもパッキングを終え「いつでもいけます!」とバックパックを背負い直した。

「よし! ほんならもうちょっとがんばろか!」

ふたりは西鎌尾根を双六方面へ歩き始めた。

稜線に登山道がついている西鎌尾根も相変わらず景色はなく風が吹き荒れている。標高も2600mを越える中、横殴りの雨も加わり、ただ歩いているだけでは体温が持っていかれてしまう。

稜線の西側からの風が特別強烈で、東側はところどころハイマツ帯が点在し風から身を守ってくれる。ハイマツ帯ではゆっくり歩き西側に出る時に「よし!行くぞ!」とふたりして駆け抜けるように歩いた。いや…走った。

不思議とそのリズムがなんだか気持ちよくなってしまった。ガスが抜ける気配はなく、雨もひたすらに降り続けているというのに、リズムよく足を一歩一歩置いていく作業が、僕を何かのゾーンに引き込んでいった。

早く双六小屋に着きたい気持ちと、このリズムの心地よさ、吹き荒れる雨風の緊張感。そんな中、次の一歩に神経を集中させる感覚、そんなものがなぜか気持ちよく、時折現れる雷鳥にも目もくれずひたすら走っている自分がいた。トレイルランニングをやっている人の気持ちはこんな感じなのかな。なんて思っていると、双六小屋が見えてきた。

ヒュッテ大槍から2時間ほど経ったはずだが、双六小屋に着くまでの時間は本当に一瞬の出来事のようだった。コバはどう思っていたのだろう。

何かが足りない稜線歩き

誰かに小石を投げられ続けているような雨がひと晩中降り続いた。

2022年の夏のアルプスは天候が不安定だ。晴れの予報だと思えばガスの中を歩き夜中は土砂降り。雨の予報だと思えばぴーかんの穏やかな稜線歩きをさせてくれる。

朝5時頃、目を覚ますと雨音は止んでいたがテント内はしっかり浸水していた。僕が愛用しているビッグスカイのテント。かれこれ何百回の夜を共にしたのだろう。浸水ぐらいはいつものことだ。

外の世界はどうなっているんだろう。まぁどうせガスの中だろう。

隣のテントでごそごそと音が聞こえてきた。

「コバ! おはよ〜!」

「おはようございます!」

「昨日、雨やばかったな!」

「ほんまっすよね! なかなか寝れなかったっすよ!」

お互いにまだ寝袋の中でぬくぬくしながら幕越しに言葉を交わした。そして、コバも外の状況を確認していなかったようだ。それもそうだろう、心地いいぬくもりの中から体を起こして、水が滴るテントの幕を開けるのはめんどくさいに決まっている。

とはいえ奇跡的に朝日が拝めるなら、そのチャンスは逃したくない。そんな気持ちから、駄目元で無理やり体を起こし、テントの幕を少しだけ開き外の状況を確認した。

幕の隙間から外の世界を覗くと、双六小屋の裏に置かれている貯水タンクのようなものから、オレンジ色の光が放たれて僕の目に飛び込んできた。

「コバ、起きろー! 朝日見えるかもやで!」

「まじですか!」

ダウンジャケットを羽織ってふたりして駆けて行った双六小屋の前は、雨上がりの澄み切った空の向こうからオレンジ色の太陽が力強く、そして優しく包み込むように顔を出してきた。

「きれいっすね」

コバが柔らかい表情でぽつりと一言。そういえば、コバは北アルプスでのテント泊が初めてだった。何ひとつ景色が見えなかった西鎌尾根の爆風から、夜中の大粒の雨の後にこの世界を見ているわけだ。どんな気持ちで彼はこの世界を見ていたのだろう。僕が見るこの世界と彼が見るこの世界は同じでいてどこか大きな違いがあったのかもしれない。

「おはよ〜!」

朝日を眺める僕たちの後ろから声がかかった。

実は、双六小屋に泊まった理由はこの人にある。僕が大阪でオープンしたcafe & bar peg.に一度だけ来てくれたのが、双六小屋で働いているダイキさん。大阪で生活していた彼が数年前に山を歩き始め、山の世界に魅了され仕事を辞めここで働いている。

彼がお店に来てくれた時にそんな話をしてくれたので、「今年の夏会いに行きますよ」と言っていた約束を果たしに来たのだ。3回しか会ったことのないコバとアルプスを歩き、1回しか会ったことのないダイキさんに会いに来ている。

30歳を過ぎてもこうして友人の輪が広がっていくのが本当に嬉しくて、そうやって一緒に遊んでくれる人がいてくれることに感謝しかない。いつまでもそんな生き方がしたいな、と思うわけだ。

午前8時頃。3人で写真を撮って小屋を後にした。「またpeg.で会おうね〜!」と手を振ってくれるダイキさんを見て、またいつか会えるんだなと嬉しくなった。

双六小屋から双六岳を通って三俣蓮華岳方面へ向かい、三俣山荘ー黒部源流ー水晶小屋ー野口五郎ー烏帽子小屋のルートを歩く予定だ。

  • 双六岳への穏やかでなだらかな道のり

「まさるくん! 俺そろそろ帰ります!」

双六岳のピークを越えて中道ルートとの分岐あたりでコバとお別れのタイミングになった。

「そろそろやね! ありがとうね! 帰り気付けてや!」

「こちらこそありがとうございました! ほんま楽しかったです!」

「また遊ぼーぜ!」

3泊4日間同じ道を歩いてきたふたりはそれぞれ違う道を歩き始めた。声が聞こえるギリギリの所で「See you soon!」とコバが別れの挨拶をしてくれた。粋なお別れじゃないか。

久しぶりのひとり歩きが再開した。たった3泊4日だったとはいえ、さっきまでワイワイ話しながら歩いていた相手がいなくなるとちょっぴり寂しくなってしまう。

この日は一日天気がよく水晶小屋からの裏銀座ルートは美しい山々の連なりを見せている。天候が不安定な今年の夏は、週末でも登山者があまりいない。コバと別れてからもすれ違った人は数えるぐらいだった。

裏銀座を独り占めしている喜びはあるものの、なんだか寂しい気持ちも湧き上がってくる。それは、普段なら登山者で賑わう場所に人がいないことと、コバと別れて歩いていることがそうさせたのだろう。「祭りの後の静けさ」という言葉がよく似合う状況だ。

  • ひとり歩く裏銀座の稜線

稜線を淡々と歩き15時を少し過ぎた頃、烏帽子小屋のテント場に到着した。テント場には一針だけテントが張られている。本来なら明日食料補給で一旦大町に降りる予定だったが、天候の悪さと黙々と歩く稜線歩きに疲れていた。「もう北アルプス歩かなくてもいいんじゃない?」と心の中でつぶやいている自分がいる。

翌朝、烏帽子小屋から七倉ダムを経由し信濃大町に向かった。北アルプス全山縦走はそう簡単にできるものではないみたいだ。さようなら北アルプス。またいつか帰ってこよう。

地図の外側にあるもの

信濃大町から糸魚川までのルートは塩の道を通って歩くことにした。塩の道とは、別名千国街道と呼ばれ、日本海の海産物を松本に運んだ道といわれている。糸魚川から松本までの120kmをつないだ道のり。

僕はインフォメーションセンターで手に入れたイラストマップを片手に歩いていた。どんな道を歩くかもわからず、どこで寝れるのかもわからない、そんな歩き方が旅らしいなと歩みを進めていた。大町から糸魚川までは80kmほど。3日もあれば糸魚川に着くだろう。

左手に見える北アルプスの山々は雲で覆われている。北アルプスの縦走を断念したことに後悔はしていない。とは言い切れないまま歩いていた僕の気持ちを肯定してくれるかのように、下界は夏の太陽が肌を焼いている。

「まさる! いまどこいるの?」

1通のメッセージが届いた。

「今、塩の道歩いてますよ!」

「それって会いに行けるの?」

「今日は国道を歩くから会えると思うよ!」

「おっけ!じゃぁ探しに行くよ!」

そんな連絡をくれたのは、かれこれ付き合い始めて10年ほど経つ小笠原諸島母島に住むカンさんからだった。彼は友人家族とキャンピングカーで日本を旅している最中だった!

この再会もアルプス縦走をしていたらなかったんだなと思うと、自分のすべての選択が間違っていなかったと思わせてくれる。

彼らが生活する島には、線路もなくバス停もない。そんな彼らが内地に来てキャンピングカーで旅していると、すべてのことが新鮮なんだろう。ただの1本の線路なのに大人も子供も大はしゃぎで遊べてしまう。僕が大阪を飛び出して日本を自転車で旅をしていた頃は、毎日が新鮮な日々だったことを思い出させてくれた。

彼らとハグでお別れをし北へ歩みを進めた。塩の道もまた、僕にとっては初めての場所だよな、と旅を始めた時のことを思い出すように、1歩ずつゴールの糸魚川へと向かう。

塩の道は大きく分けて東の道と西の道の2本がある。どっちがどんな道かなんて何ひとつわからない。なんとなく東の道を通れば北アルプスが見えたりするのかな。そんな理由だけで東ルートを歩くことにした。

結局、そんな理想的なことが起こるわけではなく、道に迷いまくりながらひたすら樹林帯の中をウロウロすることになった。

時たま現れる古い道標をみつけては、自分が歩いていた道の答え合わせをする。2日間歩き続けた塩の道では誰ひとり登山者に会うこともなく、よくわからない虫や動物の気配を感じながら歩く日々だった。

そんな2日目の夕方、峠を越えてふっと顔を上げると次の峠の向こう側に町が見えた。その奥には何やら青く広がる空のようなものが見える。海か。

太平洋から歩いてきた22日間。もうすぐ旅が終わろうとしている。太陽は西の空に傾き始めている。このトレイルの状況では、テントを張る場所を探すのは難しそうだ。

それなら、いっそのことナイトハイクで海まで歩いてしまってもいいのかもしれない。このまま歩き続けると21時頃には日本海にたどり着くだろう。

山道から林道へ、林道から舗装路へ、ゴツゴツと力強い駒ヶ岳を右手に見ながら北へ北へ歩みを進める。集落を抜けひとつ目の商店で最後の休憩。

時刻は17時56分。日本海まで15km。日照時間が長い夏の太陽といえど、1時間半もすれば夜がやってくる。

「国道でもかなり暗いから気をつけるんだよ!」

商店のおばちゃんにそんな言葉を貰い、舗装路を歩き始めた。

あたりが暗くなり始めると、ヘッドライトなしでは歩けないほど、国道の街灯は間隔が長い。おまけに大型のトラックが大きな音を立てて僕のすぐ側を通り抜けていく。

ガードレールにへばりつくように歩いていると、1通のメッセージが入った。

「今日美山キャンプ場で寝てるんで、明日ゴールしたら会いましょうよ!」

連絡してくれたのは、大学生のゆうくん。彼もまた1日違いで僕と同じようなルートを通って太平洋から日本海までの歩き旅をしていた。彼はヒッチハイクも織り交ぜながら歩いていたこともあって、僕よりも数日早く日本海へたどり着いていた。

美山キャンプ場の位置を確認すると、日本海から5kmほど内陸にあることがわかった。そんな連絡が来ると、今晩中に日本海まで歩く気など微塵も残らなかった。

「おっけ! ほんなら20時ぐらいに着けると思う!」

そういって落ち合ったゆうくんとハグで再会を喜び、他に誰ひとりテントを張っていないキャンプ場のピクニックテーブルに座り、今回の旅を振り返った。旅の最後の夜に静かな良い時間を過ごさせてもらった。

そんな時間を楽しんでいると、駐車場からふたつのヘッドライトがこちらに向かって歩いてくる。

「おーい!」

光の正体は、長野でリンゴ農家を営んでいる宮下さんと、同じく長野でアウトドアショップをされているゆうさんだ。

「来てくれたんですか!」

「まさるくん歩くの早すぎ!」

宮下さんはいつもどおりハイテンションでパワフル。その横でゆうさんがニコニコしてくれている。いつもと変わらないふたを見ていると、誰もいなかったキャンプ場がまるで、友人宅の庭に思えるほどアットホーム感に包まれた。この夜、ビールを片手に足首を蚊に刺されながら語った内容は、ここに書く必要はないかな。

みんな、ほんとうにいつもありがとう。

翌朝、3人を乗せたクルマを見送り、日本海を目指して歩き出した。

もし、北アルプスの天候が安定していたら、僕は今この場所にはいなかったのだろうか。天気が良くてもこの道を歩いていたのだろうか。コバと歩いていなかったらアルプスの稜線に寂しさはなかったのだろうか。それならば、北アルプスを歩き続けていたのだろうか。もし、そうなっていればカンさんやさっき見送った3人にも会えなかったのだろうか。

天候やルート、再会や出会い、そんな偶然性の連鎖の中で僕は旅をしてきた。ひとつのボタンのかけ違いで物語は姿を変える。それでも、人は今この瞬間しか味わうことしかできない。あったかもしれないボタンをかけ違った世界が目の前にやってくることはない。

それなら、僕は今この瞬間に広がる世界を愛したい。

そう思えたのは、今回の旅のルートの多くが登山地図の外側を通っていたからなのかもしれない。

登山ルートが書かれた地図の外側に旅の本質が詰まっている気がしてならない。食料計画をし、天気を把握し、寝る場所、行動時間を想定した上で歩く山の歩き方と、その外側の旅は、似て非なるものが感じられた。

地図の外側の旅は、偶然性に身を委ね、その結果が必然だったことを知る。そんなものだと思う。

8月30日11時34分。糸魚川駅から西に1.5kmほど離れた須沢臨海公園にたどり着いた。旅の終わりだ。目の前に広がる日本海は穏やかで、どこか夏の終わりを告げるような静けさと、少しの物悲しさを漂わしていた。

今回の旅はそんな登山地図の内側と外側を行き来する旅だった。ハイキングやロングトレイルは山の中だけを歩く必要はない。むしろ登山地図の外側を歩くべきなのかもしれない。

欲を言えば、僕は地図にない道をどこまでも歩いていきたい。

おしまい。

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