凸凹4人組の
四国山地横断 7DAYS
〜行こう山道祭2022〜

2022.12.14

今年も9月の開催を予定していたものの台風14号の直撃を受け、あえなく3度目の順延となった山道祭2022。ですが、開催の1週間以上も前から会場へと向かっていたお調子者のスタッフたちがいたのです! 

スタッフの日々のハイキングの記録を綴るこの『山と道トレイルログ』では、今回から「行こう山道祭2022」シリーズとして、歩いて山を越え、自転車で海道を越え、祭を目指したスタッフたちの旅の模様を2回に渡ってご紹介します。

その1となる今回は、開催の9日も前から四国に渡り、徳島県から愛媛県まで続く四国山地を縦走して会場となる石鎚山を目指した凸凹な4人組……山と道HLC北関東アンバサダーで『LUNNETES+山の道具屋』スタッフでもある廻谷朋行、山と道HLC担当で山道祭の進行管理役も勤める木村弘樹、山と道制作チームでスタッフ中でも最年少の下山悠未、山と道材木座スタッフで本稿の構成も務めた苑田大士の珍道中を、JOURNALS編集長三田が聞き役となり彼ら自身に語ってもらいました。

ともあれ、旅はハプニングの連続。台風の接近とトレイルの予想以上のワイルドさにルート変更を余儀なくされつつ、遭難一歩手前の果てしないヤブ漕ぎやメンバーの途中離脱や復帰や故障、果ては山道祭が中止になりと、トピックだけ抜き出すと最悪な旅にも思えますが、「最高だった!」と目を輝かせながら語る彼らの話を聞いて悔しくなったあなたは、ぜひ、来年6月に同じ石鎚山で行う山道祭2023でお会いしましょう!

談/写真:廻谷朋行 木村弘樹 下山悠未 苑田大士
構成:苑田大士 三田正明

旅のはじまりはサンライズ瀬戸

三田 まず、この4人って山と道の中でも普段からそこまで交流あるわけでもない謎のメンツだよね。なんでこの4人で行くことになったの?

下山 きっかけはそれぞれスタッフが山道祭にどう行くか? というところからでした。

大士 スタッフみんな、入り方が違う状況やったんよね。自転車組、渓流釣りしつつ沢詰める組とかいて。俺はJK(山と道スタッフ 中村純貴)と入ろうと当初は予定してたんやけど、山食音チームで行くとふられて、キム(木村)に相談した感じ。

木村 大士さんとは「一緒に長いハイキングしたことないし、行こうよ」ってなって、メグリン(廻谷)とも同じタイミングで話しましたね。

廻谷 そうですね。自分は、前回開催の山道祭2019の時は中川先輩(山と道HLC関西アンバサダー/『山道具谷ノ木舎』店主)、水戸さん(LUNETTES+山の道具屋 代表)と行ったんで、今年もどうかなと聞いたら、今回はふたりとも家族と行くってなって、「俺ひとりかぁ、どうしようかな」と思ってて…

下山 僕は以前から電車が大好きなんですけど、会社で昼休憩の時にキムさんと話になって、東京から高松まで走っている『寝台特急サンライズ瀬戸』に乗って行きたいと思ってるんですって話をしたんです。

木村 サインライズで行って四国の山を縦断するのもいいねって。

廻谷 自分はまだそんときはどうやって行くか決め切れてなくて、キムに「どうやっていくの?」って連絡したら『サンライズ』で行くって言うから、「ありだな」と。だって死ぬまでに1回は乗ってみたいじゃないですか、寝台列車。

三田 確かに。メグリンさんも鉄道の方はガチ勢なんでしたっけ?

廻谷 いや「鉄」ではないです。ただ…

一同 サンライズには乗りたい!

大士 そこから旅がはじまったんだよね。サンライズのチケットは取ることが難しいらしくて…

下山 クリック合戦になっちゃうんですよ。乗車日の1ヶ月前の午前10時に予約がオープンするんですけど、今回は9月9日に乗車予定だったので 8月9日にスタンバイして、ギリギリでしたがみんな無事取れたんですよね。

三田 山道祭は9月18日開催予定だったから9日前に出発したんだ。かなり前のめりだよね(笑)。

大士 まだ行程もざっくりしか決めてないのにやる気満々で。


掲示板の「サンライズ」の表示に大盛上がりする廻谷、木村、下山

下山 僕はサンライズがホームに入るときの音が好きなんですよね。

三田 どんな音がするの?

下山 気になる方はユーチューブとかで見てほしいんですけど、すぐ着くぞって感じじゃなく、エレガントにゆっくりとホームに到着して、「これから長い旅が始まるよ」っていう音がするんですよね。

▼下山お気に入りのサンライズ瀬戸の東京ー高松間を全撮影した動画

大士 ホームではわくわくした顔の乗客のみなさんが写真を撮るスタンバイしてたね。

木村 前の電車は、仕事帰りの人たちで重たい雰囲気だったんですけど、サンライズが到着した時間帯だけ、みんないい顔してましたね。

三田 それはいいね。そんなに盛り上がる乗り物って他にないかもしれないね。

下山 だって、もうこれしか走ってないんですよ! 日本に寝台って‼︎

三田 (笑)。寝台列車って実際どんな感じなの? カーテンとか仕切りはあるの?


サンライズ瀬戸の「ノビノビ座席」にご満悦の下山、木村

下山 僕らが乗ったのは、普通車指定席の「ノビノビ座席」で、いちばん安い席です。上下各14席で窓側に頭が隠れるくらいの間仕切りがあって、カーテンは通路側だけであとはオープンです。シーツと枕カバーが座席に置かれていました。

木村 座席に荷物を置いて、少し自分の寝床で落ち着いた後に、ラウンジがあるからそこで飲もうってなって、乗車前に買った酒とかつまみとかを持って行ったら、もう既に満席だったんですよね。

大士 ラウンジって言ってもめちゃ狭くてね。窓側に向いた椅子が左右に4席あって、ぎゅうぎゅうに詰めても12人ぐらいしか入れない。

廻谷 新幹線の喫煙室のもうちょっと大きいぐらいですよね。だからはじめはシャワー券が売り切れてたから、その販売機が置かれている所でぎゅうぎゅうになって立ち飲みしてたよね(笑)。


やっと席にありついた一同

大士 で、この辺でキムからカミングアウトがあったね。

下山 そうですね。「まだ山道祭の仕事が残ってるから、最初の何日かは旅館とかで仕事して、山は後から合流する」って。

廻谷 だから、「キムは山道祭の実務やってるメインスタッフなのに、そんなに前乗りしても大丈夫なのか?」と言い続けてたけど。

木村 しかも当日にカミングアウト(笑)。結局、午前2時ぐらいまで飲んでましたけど、他の乗客の皆さんも、みんないい感じで浮かれてましたね。朝の車窓も、瀬戸大橋から望む瀬戸内海の景色は最高でした。いよいよ四国だな、みたいな。

三田 登山口に着くまでも長いね〜(笑)。


朝の車窓。瀬戸大橋を渡り四国へと入る

木村、いきなり離脱

当初予定していた今回のハイキングルート

東部の三嶺から四国山地を縦走して西部の四国最高峰・石鎚山を目指す8日間の旅を計画していた。

大士 本当は高松下車予定やったけど、みんな「うどんが食べたい!」 ってなり、高松駅ではなく、その手前の坂出駅で降りたよね。

下山 香川に着いたのにうどんを食べずに山に入ってしまうのはもったいないって、朝から開いているうどん屋さんを探しました。

木村 二日酔いだったから出汁が五臓六腑に染みわたりましたね。


午前5時〜午後8時まで営業の『いきいきうどん

大士 坂出からはキムと一旦お別れで、僕ら3人が次に乗る電車が来るまで身支度してる間に、キムは隣のおばちゃんに聞いた近くの健康ランドに行くことになっていた。

木村 ここでみんなとは一度お別れして、ホールで歌や劇があるローカルな健康ランドへ僕は山道祭の仕事をしにいったんですよね。

見送る木村

三田 他の皆は山にはどこから入ったの?

大士 3人はここから一路、三嶺(みうね)の名頃登山口を目指しました。坂出駅から電車で阿波池田駅まで行ってバスに乗り継ぐんですけど、次のバスの出発まで約2時間あったんでバスターミナルに併設している大きな商業施設で各々時間潰しました。シモ(下山)は髪切りに行ってたし(笑)。

下山 8月、本当に仕事が忙しくて、髪ボサボサで鬱陶しくて、ちょうどそのタイミングで床屋を見つけたんで切りました。もう、めちゃくちゃさっぱりしましたよ〜。

下山BEFORE

下山AFTER

三田 阿波池田駅からのバスはどのくらい時間かかったの?

大士 2時間ちょっとです。しかも普通の路線バスでシートが長時間乗る仕様じゃないから色んな意味で辛い。

谷 崖ぎりぎりを走る場所があったり、横揺れもすごかったり。

大士 途中から路線バスも入れない道幅になるので最後にマイクロバスに乗り換えたね。

三田 四国は長野とか北関東とかと同じだと思ってたら、全然違うぞっていう感じのローカル感だよね。 東北の奥のほうにも近いような。

廻谷 山が遠いし、道も狭いし、駅から離れると人もいないし、店も自販機とかも全くない。

大士 ここの限界集落は人がいないから人形が町のあちらこちらに置かれてた。そんな秘境からのスタート。ちょうど午後2時に名頃登山口からお亀岩避難小屋を目指して登山開始したね。

木村 その頃、僕は健康ランドの横にうどん屋があって、また食べてました(笑)。

大士 うどん好きやなー。


名頃登山口からハイキング開始


三嶺へのトレイル

廻谷 正直、僕はまだ前日の二日酔いとバスの移動疲れで登りが辛かったですね。

大士 確かに疲れてたね。シモはぐんぐん登ってたから若いなぁーって思った。

下山 三嶺までは割と整備されてて、歩きやすい感じでした。だんだん雲行き怪しくなってきましたけど。天気予報はこの日は雨になるって感じでしたっけ。

大士 あんなに崩れる予報ではなかった。


三嶺山頂付近

下山 山頂付近から割とすぐに雨が降ってきて。

大士 もう辺りはガスって何も見えなかった。

下山 三嶺の山頂からお亀岩避難小屋に行くまでに、だんだんササが登場してきてっていう感じですね。でもまだ膝下の背の低いササで歩きやすかった。

三田 でも、濡れたササ薮とか歩いてたら、レインパンツ履いててもびしょびしょになるよね。

大士 もう靴の中までぐっしょぐしょ。風が強く、横なぶりの雨のせいで声も聞こえずらいから誰も喋らなくなった。

お亀岩避難小屋付近

下山 止まると寒かったし。

廻谷 土砂降りでしたね。

大士 でも、ほぼ予定通りのコースタイムで避難小屋に到着だったね。

下山 薪ストーブがあって濡れた物を乾かしたいのと、自分らの体を暖めたいので、つけようとするけど、つかないい。

大士 薪ストーブがあった! って時はテンション上がって救われた気がしたけど、またテンション下がって全然しゃべらなかったね。

木村 その頃、僕は健康ランドでサウナに入って温まってました(笑)。


薪ストーブに火が着くのを心待ちにする下山

大士 僕らは次の日が今回の行程でいちばん長いトレイルやった。

廻谷 約30km。コースタイム17時間くらいでしたね。

三田 コースタイム17時間! 嫌だな〜(笑)。

大士 だから4時半出発ぐらい。小屋を出たらもう霧がすごくてね。

下山 ヘッドライトで照らしても、先が見えない。


地蔵ノ頭からの急坂

大士 おまけに前日の大雨の影響で綱附森まで道が悪くて、ロストも何回かしたね。

下山 道は滑るし、見えないし、崖下りそうにもなるし。

大士 崖をそのまま行こうとしたけど、これ、違うよねって。何度かそういうことがあった。


綱附森

下山 この辺りからもう道がなくて。

大士 辺りを見渡す限りササで覆い尽くされていて、ササが寝ている箇所があっても、獣が歩いた道なのか、トレイルなのかまったく分かんない。

三田 道標とかはあるの?

廻谷 ピークや分岐にはありましたね。綱附森の頂上へ行くまでの道が、僕の胸ぐらいのササ薮で。

大士 シモは埋もれてた。


ササ藪に埋もれる廻谷、下山

下山 そう。ふたりは胸から上は出てるんだけど、僕はもうササに溺れてましたよ(編注:下山は身長152cm)。しかも前日からの雨で朝露もあるし、歩いてるときもたまに降ってたりするし、ササも濡れてるし、もうびしょびしょで乾かないんですよね。

大士 でも綱附森についてやっと四国の山々の景色が見れたのは救われたね。

綱附森からの高知県方面の眺望

廻谷 最後の矢筈峠への下りの道もやばかったっすよね。

大士 綱附森1643mから矢筈峠1250mまで下げるんやけど、ササを掴みながらでないと下りれないくらい急斜面でね。

廻谷 後ろを歩いてたシモの悲鳴が何回も聞こえるっていう(笑)。

下山 トレイルはぬかるんでるし、ササを持って下るんだけど、たまに手の切れる草とかがあって持てなくて、滑る。もうお尻ぼろぼろ、みたいな。

廻谷 でも矢筈峠に行く途中、緩やかなアップダウンの稜線があって眺望が良く、気持ちいい所もありましたね。


遠目からは気持ち良さそうに見えたササ山

三田 山で遠目に気持ち良さそうな草原が見えても、近づいたらササ薮だったみたいなこと、よくあるよね。

大士 まさにそうでしたよ。矢筈峠に下りると年配のハイカーたちが数人いて、僕らが来た道を登りに来ていた。「どこからどこへ行くの?」と聞かれて「三嶺から石鎚山です」って答えたら「石鎚山って、どこの石鎚?」って言われて、「石鎚山って他にありましたっけ?」なんて、この時は調子に乗って返事していたね。

下山 そう。地元の人は歩かないらしいですよね。三嶺から石鎚山までなんか、繋げられないと思ってるって。


土佐矢筈山への登りの廻谷


京柱峠までの稜線

大士 地元の人も、そんなルートあるの? みたいな感じやったね。その後、京柱峠に着いて1mぐらいの段差を下りたときにシモが足を…

下山 これまでも下りてきた高さだったんですど、ぴょーんって跳ねた瞬間に足をつったんです。すぐに大士さんに処置してもらったんですけど、全然痛み引かなくて、地図見てもこの先まだ5、6時間あるし…。僕はここで一旦リタイアすることを選んだんですよ。


京柱峠で下山が負傷

大士 そうこうしているうちに時刻は12時半ぐらいだったよね。早朝4時半から歩いて、8時間経過して、残り6時間くらい。コースタイムは約17時間だったので随分と早く来ていた。

下山 この日の目的地が、土佐岩原駅の近くにあるハッピーラフトっていう宿だったんですよね。そこでキムさんと合流する予定だったんで、取りあえず宿へ行こうってなってたんです。まず僕はそこからいちばん近い公共交通機関だった豊永という駅をロードを4時間くらい歩いて目指して、メグリンさんと大士さんは当初の予定通りトレイルを歩いてハッピーラフトへ向かうことにしたんですよね。

大士 そこからその宿まで、僕たちはコースタイムで約6時間。ここからが今回の山行でいちばん厳しいトレイルだった。まず登山口が見当たらなかった。ルートは「山と高原地図」には破線ルートではなく赤線で載っている(編注:通常の登山道だということ)んですよ。地図には載ってるけど道はない。でも、「もう行くしかないよね」って、薮を掻き分けて進んで行ったらやばかったね(笑)。

廻谷 トレイルがない、ずっと!

大士 そう。地形図によると県境の杭を目印に歩いて行くんだけど、県境は有刺鉄線で区切られてたんですよ。しかも薮のせいで歩き辛いから、その県境イコール有刺鉄線を跨いだり、くぐっていかないといけない状況で、「これはまさにトレイルデスマッチが始まったぞ!」って。

廻谷 ササ薮も身長以上ありましたしね。

大士 2人ともアドレナリンが出てすごかったんすよ。「これ、やばいね」って言いながら、引き返すことも考えずに、休みなくとにかく前に前に進んだから写真がないんよね。

廻谷 そう。三方山の頂上で撮影した写真までの4時間くらいの間の写真を撮ってない(笑)。


三方山の山頂で4時間ぶりに写真を撮られた大士

大士 ここでやっと気持ちが落ち着いた。「ここまできたらもう安心、行けるぞ!」って言ってね。

廻谷 だんだん藪漕ぎトレイルにも慣れてきたというか、薮過ぎて県境も見えない箇所も多かったから苦戦はしてたけど、植生を理解したらトレイルが見えてきたんすよね。

大士 そう。元々整備されたトレイルだった所が僕らの背丈以上の薮になっていて、その脇が林になっている。

廻谷 その場所は上が開けていて明るいんですよね。

大士 そう。それを進もうとなった。薮を漕ぎに漕ぎまくり。ピークに来てもササだらけで、頂上標も見つからない。そんな過酷なトレイルやったね。

廻谷 その日、風呂に入るには宿の方に温泉まで送迎してもらう必要があって、そのタイムリミットが18時まで、だからなんとしてでも目的地に到着しないといけなかった。ずっと歩いてきて、最後のロード歩きも疲れが溜まって思うように進まない。あともう少しってところでグーグルマップを見たら「このままだと10分、いや20分オーバーしちゃうぞ」って、地形図を見て「大士さん、ここに近道あります。賭けで行きますか?」って。

大士 その道は見た感じ、もう普段は使われていないだろう私道で見るからに薮だったけど、今のふたりだったらどんな道でも突破できるだろうという思いもあったし、行かないともう温泉に入れなかったから、行ったんだよね。

谷 そしたらまさかのこれまで歩いてきたトレイル以上のえげつない薮だった(笑)。

大士 遮るのは木の枝、つるバラ、クモの巣のエンドレスで、手のひらサイズのクモが顔に張り付き「ぶわあ」ってなりながら(笑)。

廻谷 でも、なんとかギリギリ到着できましたよね。

大士 うん。キムは30分くらい前に到着していると連絡があったから、お疲れビールでも用意して待っていてくれてるんだろうなぁーって楽しみに到着したら、ひとりで先に飲んでた(笑)。

木村 みんながそんな大変な状況になっているとは知らなかったんです(笑)。


ギリギリで温泉に間に合った大士、廻谷

三田 一方、下山くんの方はどんな感じだったの?

下山 最寄りの豊永駅までロードで4時間だったんですけど、僕の負傷の足だと、実際は7時間くらいかかりました。電車の本数も少ないんで、早く電車に乗って土佐岩原駅に向かいたかったんですけど、土佐岩原方面行きと高知方面行きの上りと下りがちょうど1、2分ぐらいの違いだったんですよね。なんとかギリギリ間に合ったと思って電車に駆け込んだら、その電車が反対側の高知行きの電車だったんですよ。負傷した時点で精神的にも落ち込んでるのに、もうダブルパンチで、土佐岩原の宿はキャンセルしてもらって、この日は高知のビジネスホテルに泊まることにしました。

三田 間違えて高知まで行っちゃったんだ。

下山 温泉でマッサージしてもらって、とりあえず足を回復させることに専念して、今後どうやってみんなと合流しようかなって、ずっと考えてました。

大士 こっちはこっちで、キムは翌日から登る気満々だし。前日の山行のこともあり、メグリンと俺はこれからの行程に半信半疑の所があって、道なき道のこと、水場のこと、体力のこと、もしものこと、あーだこーだ話をしたり、ネットでルートの再調査したりしていた。


民宿で地図を読む廻谷

廻谷 で、次の日の朝、登山口まで送迎してもらうことになってたんだけど、キムの山道祭関連のオンラインミーティングが終わらないみたいなことになって。

大士 送迎の時間を大幅に遅らせてもらったんだよね。ハッピーラフトの方々は本当に親切でホスピタリティ溢れるお宿やった。

木村 みんなを巻き込んじゃって申し訳なかったです。

大士 でも、その待ち時間のお陰で、台風のことや、もし中止になったときは現地入りが早まることや、この先のルートからはエスケープが難しいことなど、諸々考えた上でルートを変更する決断ができた。

下山 僕はそのルート変更の電話を受けたのが、高知駅の喫茶店でどこで合流できるか地図と睨めっこしてた時です。大士さんから電話がかかってきて伊予三島駅で落ち合うことになった。

変更したルート

当初は三嶺〜石鎚山までの縦走を予定していたが、山道祭の中止やトレイルの状況を鑑み、野鹿池山〜工石山〜大野山をスキップして東赤石山〜笹ヶ森〜瓶ヶ森〜石鎚山と縦走するルートに変更した。

木村、復帰⁉︎

木村 この時点で四国山地横断トレイルをやめて、テツさん(山と道HLC四国アンバサダー/T-mountain代表)お薦めの筏津登山口から赤石山系(石鎚山脈東部)を歩いて石鎚山を目指すルートに変更したんですよね。伊予三島駅から筏津登山口までは駅からタクシーで50分。出発から4日目にしてやっとみんなと歩けるのが嬉しくて、「みなさん、お待たせしました! 今度こそ木村は行けます!」 って言ったの覚えてます(笑)。


筏津登山口にて、木村復帰記念の1枚

大士 俺らもキムと登れることがうれしかったし、みんなうきうきしてたね。

廻谷 1ミリも一緒に山を歩いてなかったからね。

下山 キムさん、山を歩ける喜びを噛み締めながら登ってましたね(笑)。

木村 めっちゃ嬉しかった!


山へと走り出す木村

木村 筏津からは登山道がちゃんと整備されてて、確かこの辺のめちゃめちゃ気持ちいい稜線を歩いてて、「なんかなんかいい!」っていう言葉が生まれたよね(笑)。 

廻谷 「やっぱりメジャールートは違う!」って思ったよ。みんなハイテンションになって「なんかなんかいい!」って連呼してたね。

木村 この次の前赤石山もまた良かったですね。四国ではあまりない岩稜帯の山でピークをトラバースできて、岩壁を這っていくスリルを味わえた。


前赤石山の岸壁

木村 でも、そうこうしてたら豊嶋さん(山道祭/山と道HLCプロジェクトディレクター)から「台風14号が四国に接近することが濃厚だからオンラインミーティングしよう」と連絡があったんです。今日の行程もあと2時間くらいの所だったから、みんなに先に行ってもらって、木村は後から追いかけて合流することになって、またちょっと離脱したんですよ。

下山 キムさんと別れてからビバークする場所までの道のりが歴史を感じる別子銅山跡で、これまたやばかったですね。その昔は鉱山の町があったらしく、谷の崖っぷちに役場や、病院や、学校なんかも建ってて、それらしい跡があちこちに残ってて「なんかなんかいい!」っていう感じでした。


別子銅山跡

大士 めちゃくちゃ良かったね。ゆっくり銅山跡を見て歩き、地図にあった「ダイヤモンド水」って場所に行ってみたら、びっくり!

廻谷 「ダイヤモンド水」すごいんですよ! 「どぅるん」って勢い良すぎて手が持ってかれる程で、500mlのペットボトルなんか2秒で満タンになった。


ダイヤモンド水

三田 写真を見たら確かにすごい水量だ。

廻谷 この水の名前の由来は、ボーリング探査をしてたら水脈にぶち当たり、その影響で掘削機の先端部分が壊れ、散りばめられた先端が今も底に残っていて「ダイヤモンド水」と呼ばれるようになったそうです。

三田 それだったら「ドリル水」じゃん!

一同 ですよねー(笑)!

大士 めちゃくちゃおいしい水だったね。この時点でもう日暮れ前だったということもあり、ここでビバークすることに満場一致だったね。

下山 すぐ近くにきれいなバイオトイレもあって快適な幕営でした。でも、ここに着いてからすぐに土砂降りの雨になっちゃって、雷もすごかった。


ダイヤモンド水の水場近くでビバーク

大士 キムが1時間、2時間経っても合流しなくて、稜線まで出ないと電波も入らないから、雷に撃たれたんじゃないかとか、みんなで心配しながら待ってた。雷も鳴り止み、雨も小降りになったけど、その頃にはもう辺りは真っ暗だった。

下山 いろんな推測をしたんですよね。雨が強いから小屋に行ったか、もしくは別の場所へ下りたかどっちかだろう。

廻谷 今からキムを探しに行くにはリスクがあるし、心配だったけど、キムは無事だと信じて、次の日に電波の入る場所まで行ってから確認しようってみんなで話し合ってその日は寝ましたね。

木村 ちょうどその頃、僕は山道祭関連のオンラインミーティングしてて、台風が深刻な状況になることが予想されたんで、それに備えて対応するために山を下ることが決まったんです。本当は3人の所に行って、この事を伝えて下りるべきだったんですけど、雨と雷が強くなってきて電波も繋がらなかったんで、みんなには「下りる」ということだけメッセージを入れて山を下りました。

思いがけないプレゼント

下山 翌朝起きても、キムさんはいませんでした。けど朝日が木々の間から光のシャワーとなって降り注ぐような最高に気持ちいい朝でしたね。

大士 うん。「ダイヤモンド水」が太陽に照らされて18カラットに輝いてた(笑)。


朝の光芒

廻谷 みんなで「ダイヤモンド水」の写真を撮りまくって、名残惜しみながらこの場を離れましたね。それぐらい最高な水だった。この日のスタートは前日のルートの登り返しだったけど、来た道と違うルートの銅山跡を楽しみながら登りましたね。

下山 やっと電波繋がりそうな稜線に出て、キムさんからのメッセージを確認できた。「無事でいてくれて良かったー!」ってみんなでほっとしたのを思い出します。


電波のある稜線に出て木村からのメッセージを確認

木村 みなさんに心配をお掛けしたんですけど、これにて僕の「行こう山道祭」は終了です(笑)。

大士 キムと一緒に山を歩いたのは6時間くらいやね。

木村 しかもテン泊もしてないんで日帰りハイキングでした。

大士 この後もトレイル上にササはあったけど、前々日みたいなササ薮じゃないから最高に歩きやすかったな。

廻谷 そうなんですよ。もはやちょっとやそっとのササ薮ではもう全然気にならない。「膝下じゃん! 」みたいな。ちゃんと地面が見えてましたもん。

三田 シモちゃんも埋もれてないもんね。


低いササ薮に喜ぶ下山

下山 そういえば、この日でしたよね? 僕と大士さんのインスタグラムのストーリーをスタート時から見てくれていた人が応援に駆けつけてくださったんですよね。

三田 歩いて山の上まで? それはすごいね。

大士 そうそう。ちち山のピークをとらずにトラバースを選んで「紅葉谷分岐」へ向かっていたんですよ。スタートからここまでハイカーとはほとんどすれ違っていなくて、自分たち以外が山に入っているとは思っていなかった。そうしたらどこからか人の声がして、声のする方向に顔を向けるとふたり組が山道祭の手ぬぐい(編注:参加者のみに事前販売していたオリジナル手ぬぐい)を振って山頂から下りて来てたんです。なのでこっちも手ぬぐいを振って「おーい! おーい!」って返事してね。

下山 話を聞くと、伊予三島から来られた地元のご夫妻(増田浩さん・千春さん)で、僕たちのインスタグラムのストーリーズを見て、会えるかどうかも分からないのにそこまで来てくださったらしく、さらに保冷バッグを渡されて開けてみると、なんと! ビールが入っていた。「 こんな山奥で冷えたビールが飲めるなんて超最高ー!」って、みんなその場で冷たいビールをグッと、喉の奥に流し込みましたね。僕、実はちょうどアップダウン続きで少し気が滅入っていた所だったんで、ご夫妻の応援のお陰でめちゃくちゃ元気もらえて超嬉しかったんです。


トレイルエンジェルをしてくれた増田浩さん・千春さんと記念撮影


さっそくビールを喉の奥に流し込む下山

大士 僕らに会うために日帰りでここまで来てくださっていたので、山道祭の会場での再会を約束してこの場を後にしたね。お互いが米粒みたいに見えなくなるまで手を振ってお別れした。

三田 うれしい限りだね。

廻谷 この後すぐに笹ヶ峰だったんですけど、ここから伊予富士までの稜線は気持ちよかったですね。

笹ケ峰〜伊予富士付近

大士 気持ち良かったね。急に視界が開けて目の前に稜線が広がったり、はたまた幻想的にガスったり、眺望が目まぐるしく変化して最高だった。あと伊予富士手前の桑瀬峠で休憩中にシモが「山道祭関連で緊急に対応をしないといけない事があるんで先に行っててください」と俺らに告げてね。キムのこともあったし、「これってまさかデジャブか?」って冗談を言いながらシモは一旦離脱したよね。

下山 そうでした。何とか仕事を早く終わらせることができて、気持ちいい稜線だったから「なんかなんかいい!」って叫びながら、ふたりを走って追っかけましたよ。


追いついた下山

廻谷 そろそろ時間的にもビバークする場所を探さないといけないので、「UFOライン(編注:UFOがよく出没すると言われる町道瓶ヶ森線のこと)に下りてその辺の車道の脇でビバークしたね。「明日こそは石鎚山を拝みたい」と願って寝ましたよ。


UFOラインの路傍でビバーク

木村 その頃、木村はテツさんの自宅でお世話になりながら、会場の石鎚スキー場を行き来し山道祭の台風対策のため走り回ってました。

HLC四国アンバサダー/T-mountain店主の菅野哲さんのご自宅で手料理をいただく木村

大士 UFOを見たかったから夜中も何度か起きたけど、朝方まで視界は濃い霧に覆われて何にも見えなかった。

下山 予報では晴れるってなってたのに出発するころには雨が降ったり止んだりしてました。石鎚山が拝めるはずもない天候だったけど瓶ヶ森(女山・男山)に行きましたよね。

廻谷 瓶ヶ森の稜線はめちゃくちゃ風が強かった。ピークに行ってもただただ真っ白(笑)。

瓶ヶ森山頂にて

廻谷 この後、雨足が激しくなってきて、急いで瓶ヶ森から少し下った山荘しらさに駆け込みましたね。もうゲリラ豪雨でした。

大士 この日はコースタイムが短いから雨宿りついでにお昼も食べて行こうってなって、雨足が弱まるまでゆっくりしてたらスタッフ速報が流れてきて「山道祭中止」って…⁉︎

廻谷・下山・大士 「まじかーーー!!!」って

木村 僕は台風の様子を見ながら、会場で開催する方法を模索してたんですけど、いよいよ台風が近づいてきたからロープウェイが山道祭2日目の月曜日は運休になることが濃厚になって、それが中止の大きな理由になったんです。そして既に現地入りしているスタッフはロープウェイが動いている間に撤収作業をする必要があったため、当初の予定より会場の石鎚スキー場に1日早く集まることになったんですよ。

下山 僕らはその報告を聞いて意気消沈したまま、その日の宿の国民宿舎へ向かいました。雨の中、無意識で歩いてたからあっという間にUFOラインが終了しました。

UFOラインと下山

廻谷 国民宿舎も良い宿でしたね。洗濯機も、乾燥室も使っていいと言ってもらえて、着ていた衣類も含めて持っているものは全部洗濯できた。宿舎の人がめちゃくちゃ親切で助かりました。

下山 ここで2日前から渓流釣りをしながら向かっていた別の山と道チームと合流できたんですよね。けど、僕らは次の日も早朝から石鎚山を目指すために別行動でした。

廻谷 石鎚山に登る最終日。予報では晴れだったんで、朝日が拝めるかもしれないと意気揚々と寝たけど、朝起きたら雨だった。

大士 で、だんだん辺りが明るくなってきていたくらいで石鎚山公衆トイレ休憩所に到着したら、男性登山者がひとり休憩していて、よく見ると手に山道祭の手ぬぐいを持っていた。「山道祭中止になったんですけどご存じですか?」と声をかけて、話をよくよく聞くと「ポン太 」こと本田淳一さんというハイカーで、岩手で開催した2019年の山道祭の時にワラーチワークショップで出店して下さった方でした。「山道祭は中止になりましたけど、石鎚山まで登りましょう!」となって、山頂まで一緒に上がることになったんです。

ポン太さんと記念撮影

廻谷 そこから「二の鎖」。前日に『国民宿舎』の食堂で石鎚山特集のテレビ番組の録画がエンドレスに流されていて、もう見てるだけで「鎖場はめちゃくちゃ怖いな」と思ってた。でも、せっかくだから「二の鎖」だけは登ろうってなったんです。嫌だったけど…頑張った。

大士 メグリン、高所恐怖症やからね(笑)。


石鎚山名物の二の鎖を登る大士


同じく三の鎖

三田 「二の鎖」「三の鎖」ってそんな怖い感じだったっけ? 

下山 雨で鎖は冷たいし滑るしで怖かったですけど、まだ「二の鎖」はましでした。それより大士さんだけが登った「三の鎖」は途中からオーバーハングしていて鎖が浮いててめちゃくちゃ怖そうでした。

ついに石鎚山登頂を果たした3人

廻谷 そしてやっと一度も拝むことのなかった石鎚山の山頂に着いたんですよね。やっぱり山頂はガスって何も見えなかったけど…

大士 さぁここからは石鎚スキー場まで最後の下りだね。

下山 僕、ゴールに近づくにつれて、これまでの道のりを思い出して目頭が熱くなりましたよ。

廻谷・大士 俺も。

大士 山の中腹にある成就社という神社でこの旅のお礼をすませて、3人で山に向かって一礼した時はぐっときた。感慨深いものがあったね。

廻谷・下山 はい。

ゴールした3人

三田 無事に成就できたんだね。

木村 僕自身はみんなと一緒に山を歩いたのは6時間と短かったんですけど、自分の中ではこの4人チームの一体感がすごくあって、僕も最後まで一緒に歩いていたような感覚があります。

下山 僕は旅の写真を見た山と道スタッフから言われた「いちばんいい笑顔してるよね」って言葉が印象に残っています。実はこの旅に出る前の7月、8月はとても仕事が忙しくて、山にも行けてなかったし、休みもなかなか取れてなかったこともあって、解放されたんだろうなと思います。3泊以上の山の行程もはじめてだったし、当初のルートから全く違うルートになったり、本当に面白い8日間で、すごくいい旅になりました。あと個人的には『サンライズ瀬戸』に乗れたことも最高でしたー!

廻谷 僕も1週間ぐらい長く歩くのは4、5年ぶりだったし、今年は山へ行かず渓流釣りばかりしてたんで、正直、体力的に歩けるか不安でした。けど2日目の道なき道に張り巡らされた有刺鉄線とのデスマッチ…

大士 トレイルデスマッチね(笑)。

廻谷 …トレイルデスマッチを越えた辺りから「もう大丈夫だ」と思って、筋肉痛にはなりましたけど、身心一如となって、もうそこからは楽しく歩けましたね。ずっと山にいるだけではなく、街に下りたりとかできたのも楽しかった。予定通りいかなかったのが、逆に思い出深い山行になりましたね。

大士 自分は最初にこの旅の話になった時、良い意味で違和感があったんです。だってこのメンバーで山に行くって異色じゃないですか?

三田 はじめて聞いた時はそう思ったよ。

大士 でも、このメンバーで行ったらきっと面白い旅になるだろうって予感はしてました。スタートから予想外の展開だったけど、1週間くらい山で苦楽を共にするとだんだんと共同体になっていくのがわかるんですよ。メグリンとは2日目の過酷なトレイルデスマッチを踏破して信頼関係が生まれたし、シモは負傷しつつも最後まで笑顔で明るいムードを作ってくれた。キムは相変わらず最初から最後までキムらしかったね(笑)。最終的には想像をはるかに上回る面白い旅でした。

三田 ほんと凸凹4人組だね〜。

山道祭サテライト会場になる筈だったキャンプ場で撤収作業に参加したスタッフ・関係者のみで行ったBBQでの凸凹4人組

おまけ

木村 最後、山から下りてきて疲れ切ってる皆さんに山道祭の撤収作業をお願いしました。本当にお疲れ様でした!


山道祭は中止となったが、すでに会場の石鎚スキー場やふれあいの里に送っていた備品や荷物の返送作業を行うスタッフたち

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