おでん君のULハイキング研修:自作タープで信越トレイル〜あまとみトレイルへ行ってみた

2023.12.21

社是としてスタッフには「ハイキングに行くこと」が課される山と道。「願ったり叶ったり!」と、あちらの山こちらの山、足繁く通うスタッフたち。この『山と道トレイルログ』は、そんな山と道スタッフの日々のハイキングの記録です。

今回は、山と道材木座の新人スタッフの「おでん君」こと横井雄飛が、社内で今年から始まった「ULハイキング研修制度」を利用して、信越トレイルとあまとみトレイルを繋いで歩いた自身初となる1週間のハイキングについて綴ります。

ともあれ、まだまだ山の経験の浅いおでん君。1週間のハイキングも初めてなら、自前のテントもストーブも無いという無い無い尽くし。そこで「無いなら作ればいいじゃないか!」と覚えたてのULスピリットを発揮し、勢い余ってタープやサコッシュを自作。山と道THREEに期待と不安をパンパンに詰めて旅立ちました。

ご覧の通り親しみやすさだけは抜群のおでん君ですので、材木座のお店で会ったらぜひ感想など聞かせてやってくださいね。

文/写真:横井雄飛

ロングトレイルの始まり

飯山線で森宮野原駅へと向かう。

2023年10月後半のよく晴れた平日。山の間の川沿いや田んぼの中をゆったりと進むワンマン運転のローカル線に揺られている。車窓から差し込む秋の透明な日光が暖かい。独特なエンジン音にノスタルジーを感じているうちに、目的地の森宮野原駅に到着した。何を隠そう、ここから僕は長野駅まで1週間をかけて歩くつもりなのだ。駅の横の踏切を渡り、林道を登り始める。少しずつ標高が上っていくにつれ、旅が始まるワクワク感と「もう戻れないところに来てしまった」という少しの不安の間を行ったり来たりしながら歩いているこの道はもうすでに信越トレイル。

しかしなぜ僕が今ここを歩いているのか、少し時間を巻き戻してみたい。

きっかけ

時は2022年の12月。鎌倉のハイキングコースを妻と散歩がてら歩いた僕は、山道を歩くことの楽しさに魅了されてしまった。それからは休みのたびに近郊の低山に登る日々を過ごす中、紆余曲折を経て、7月には山と道の一員になっていた。

山と道材木座「おでん君」こと横井雄飛です。あだ名の由来はリリー・フランキーさんの『おでんくん』にそっくりというそのままな理由です。

山と道には「ULハイキング研修制度」がある。この制度は、ULハイキングを体験することで、山と道の製品や考え方を理解し、プロダクト開発やコミュニケーションを促進し、山と道の目的をより良く実現するためのもので、ざっくりと言えば仕事として1週間程度のハイキングができるという、ハイカーにとっては夢のような制度なのだ。

ハイキングに目覚めてからも日帰りの登山ばかりだった僕は、この機会に前から行ってみたかった「あまとみトレイル」と「信越トレイル」を歩いてみようと考えた。ふたつのトレイルを繋ぐと約200kmというチャレンジングな距離だ(今回歩いたのはそのうちの150km程)。

しかし、山と道の一員になったものの、僕はハイカーとしての根本的かつ決定的な問題に直面し続けていた。

テントを持っていないのだ。

ULハイキングは元より、山初心者の僕は、前述の通り日帰りの登山には毎週のように行っていたものの、長い日数のテント泊をしたことがない。山と道に入ってから行った1泊2日の箱根外輪ハイキングと2泊3日の北アルプス縦走では、それぞれ借りたテントを使わせてもらった。

無いなら無いで作ればいい⁉︎

経験も、装備も、無い。正直に言えば、お金も無い。しかし、ロングトレイルを歩きたい。どうしようかと考えているときに、ハイカーズデポの土屋智哉さんの著書『ウルトラライトハイキング』で紹介されていた伝説的ハイカー「エマおばあさん」のことを思い出した。彼女は手製の肩掛け袋に荷物を入れ、シャワーカーテンをテントの代わりとして長い長いアメリカのトレイルを何度も歩いたという。

また、以前に読んだ山と道JOURNALSの『HIKERS’ CLASSICS #7』でジェリー鵜飼さんが書かれていた「『無い』という状態ほど贅沢なことはない。『無い』からこそ考え、工夫する喜びがある。そして『無い』ことによって得る可能性がある」という言葉もリフレインし続けていた。

「無いなら、作ればいいじゃないか」

そんなシンプルな閃きと勇気をエマおばあさんの伝説とジェリー鵜飼さんの言葉から得た僕は、材料を探しに近所のホームセンターへと向かった。建材コーナーを見ていると「透湿防水シート」なるものが50m巻で売っている。しかも、1ロール5000円もしない。これだ。

破れた時の補修用にダクトテープも購入。自宅にてカットしミシンで正方形に縫い合わせ、ダクトテープで補強。タープらしきものができた。ついでに余ったループとコードでサコッシュも作ってみた。行ける気がする。いや、行ける気しかしない。

慣れないミシンで縫い合わせる

自在結びとカラビナで伸縮と取り外しができるサコッシュ

近所の広場で試し張りも完了。アウトドアの道具というよりも建築現場感が強いビジュアルが気になるが、タイベックシート(グランドシートやタープなどの資材に用いられる防水透湿素材だが、こちらも元は建築資材)をアメリカで最初に使ってみた人も、きっと同じような気持ちだったはずだ。

なんだかそれっぽいものができた!

いざ、実践!

いきなりのレイヤリングミス

そんなわけで、信越トレイルを歩き始めた。まずはアスファルトで舗装された林道をしばらく歩き、田んぼの中の道を抜け、ようやく「里山出合」という場所からトレイルに入った。

緊張とワクワクのせいか汗がとまらない。こんなにも汗が出るほどに気持ちが高揚しているのかと思っていたが、それにしても汗が出る。おかしい。ふと温度計を見てみると、なんと25°Cと表示されていた。

今回の行動着には、最近履き始めたばかりのMerino 5-Pocket Pantsをチョイスした。秋の信越はさぞ涼しかろうとチョイスしたのだ。しかし、蓋をあけてみれば快晴無風。直射日光も結構当たっていたので、初夏のような陽気だ。気がつけばMerino 5-Pocket Pantsの腰まわりが汗で保水するほどになっていた。喉も乾き、行動開始早々に1リットルほど水分を取ってしまった。

どうにかせねばと考えていると、就寝時用にと持ってきていたLight Alpha Tightsのことを思い出した。通気性に優れたこのタイツを履こう。人目につきにくい木陰で速やかに着替えた。涼しい。嘘のように汗が引いていく中で、高揚していた気持ちから冷静さを取り戻した。

だがしかし、天気のよい日差しの下、Light Alpha Tightsから少し下着が透けてしまうため、このまま歩くのも他のハイカーに申し訳ないと思い、UL Shirtをスカートの様に腰に巻いた。快適性と他者への配慮(最小限ではありますが)を両立できた。

UL Shirtをスカート的に巻いた図

レイヤリングの初歩的なチョイスミスをなんとか工夫して持ち直し、さらに歩みを進める。

今回のスタート時点でのパックウェイトはちょうど10キロ。山と道THREEを快適に背負える最大の重さギリギリだ。9月に北アルプスを縦走した時も同じTHREEで10キロのパックウェイトだったが、なんだか今回は肩が痛い感じがする。しかも左肩だけ。なぜかと考えながら本日最初のピークである天水山の山頂を目指して登り続けるうちに原因がわかった。自作サコッシュの紐が血流を止めていたのだ。

行動開始早々にサコッシュの不具合に苛まれ、バディを解消してしまおうかと思ったが、せっかく自作したのにすぐに使うのをやめてしまってはあまりにも薄情だ。パラコードを自在結びしただけのストラップを外して、左右のループにカラビナをつけ、市販のカメラケースのような塩梅で胸元につけてみた。結果、見事にサコッシュ分の重さがTHREEのショルダーストラップに分散され、快適になった。これならばこの後も共にバディとして歩けそうだ。

肩こりは解消したがどんどん端々が破れるためダクトテープで補強

見上げれば息を呑むようなブナ林の美しさ

はじめてのタープ泊

美しいブナの木々に見惚れながら、時折見える日本海側の景色に心踊らせ、なんとか無事に初日のテント場である野々海高原テントサイトに到着。日が暮れるまでに急いでタープを張り、気持ちの高揚と無事にテントサイトに到着できた安堵感で胸がいっぱいだったので夕飯は食べず眠りにつくことにした。

昨年末にハイキングに目覚めてから、ULハイキングについて学ぶ中で、多くのULハイカーがフロアレスのテントやタープで寝起きしていることがにわかに信じ難かった。

以前住んでいた古いアパートの入居初日、鍵を受け取り初めて部屋に入った際に大きなムカデに遭遇して以来、地を這う虫たちがちょっとしたトラウマになってしまった僕には、山の中でフロアレスで眠るなんて無理だと思っていた。

雨風を凌ぐには十分だったMYOG(=自作)タープ

しかし、実際にこうして山の中でタープで寝転がってみると、夜空が綺麗で木々のざわめきや動物たちの鳴き声も、心地よく感じている自分に気がついた。

タープで眠るということに関しても、自宅でも就寝時には必ず戸締りを確認しないと眠れない僕には無理だと思っていたが、むしろ、常にオープンなぶん周りの気配がダイレクトに感じられ、逆に安心感を持って眠ることができた。こんなにも「逆に」という言葉をはっきりと使えるシチュエーションは無いと思う。戸締りができないからこそ逆に安心なのだ。

クッキングシステムも買わずに工夫

自分でも信じられないほど熟睡し、2日目の朝になった。温かいものを食べて体を暖めよう。今回、自作したわけではないが、買わずに工夫したもののひとつがクッキングシステムだ。

ハイキングに目覚めた当時、キャンプと登山の違いもいまいち分かっていなかった僕は、ソロキャンプにおすすめというバーナーを買った。それはULハイキングには少し重く大き過ぎるものであった。そのため早々に手放してしまったのだ。

欲しいバーナーもあるが、できれば今あるものでどうにかしたい。アルミ缶から自作するアルコールストーブがULでは定番だけれども、普段からよくコップやペットボトルなどを倒してしまうので、アルコールをこぼして芝生や落ち葉に延焼させ大火災を起こしそうで怖い。となると、残された道は固形燃料だ。

そんな思案をしている時に、家の分別用ゴミ箱に入っているシーチキン缶のことを思い出した。そういえば、山と道材実木座の先輩スタッフの上杉さんは、スクリュータイプのアルミ缶のフタに固形燃料を入れて使っていると言っていた。

シーチキン缶と、以前から家にあった持ち手つきボウルを組み合わせれば、湯が沸かせる。上杉さんが持っているような軽くて素敵な五徳はないが、ボウルに持ち手があるから湯が沸くまで持ち続ければいいのだ。途中で話しかけられたり、別のことに気が散っても、シーチキン缶の上にボウルを下ろせば消火できる。自宅でもうっかりヤカンやフライパンを空焚きしそうになる僕にはうってつけの安全装置にもなる。

こうして採用したシーチキン缶安全装置システムであったが、湯が沸くには、予想以上に時間がかかった。自宅で試したときの倍はかかる。腕はプルプルするし、湯が沸くまで他のことができない。やはり、五徳は必要だ。そして風防による燃焼効率の向上も必須だとわかった。

アルミホイルで蓋をしてもなかなか沸かない

2日目は光ヶ原高原キャンプ場まで歩く長めの行程だったが、途中、エイドがあり、水を補給することができた。2リットルの水を携行したが思ったより2日目も暑く、ここで追加の補給ができて本当にありがたかった。

トレイルエンジェルの方々本当にありがとうございます

豪雪地帯の暮らしと触れ合い

2日目を無事に終え、光ヶ原高原キャンプ場で先にテントを張っていたハイカーさんと話した。明日の夜の天気がかなり悪いようだから、撤退を考えているとのこと。実際に、3日目の朝からかなりの強風が吹き荒れた。トレイルを歩きつづけたいが、まだ先も長いため一旦トレイルから下りることにした。

飯山市の街へ下り、宿を探しながら3日目に歩く分の距離をロードで歩いた。一般の住宅やバス停、車庫、農機具庫のような建物が、豪雪地帯であることを物語る屋根がとんがった独特のデザインで、信越エリアの暮らしを垣間見ることができた。

豪雪地帯ならではの素敵な造形

こちらも冬の豪雪を感じさせるバス停の待合所の形

飯山駅の近くに良心的な値段の民宿を見つけ、泊まることにした。素泊まりプランの僕に「田舎の味だけど疲れただろうから食べてね」と出していただいた煮物が沁みて涙がでそうになった。案の定、夜には天気が崩れ、一時撤退して良かったと思った。だがそれ以上に、人々の暮らしや地元の方の暖かさに触れ、忘れられない1日になった。

真心が沁みた忘れられない味

大人になってから最大の心細さ

4日目は斑尾山まで一気にロードを歩いて上り、あまとみトレイルに入った。足が歩き慣れてきたことと1日ぶりにトレイルを歩ける嬉しさで意気揚々と歩みを進めていた。しかしながら今日は肩が妙に痛い。荷物も重く感じる。なぜだろうと思っていたら、THREEの両サイドにあるコンプレッションストラップを締め忘れていたせいで、荷物がブレており、結果、ショルダーストラップから余計な力がかかり痛くなっていたのだ。気を取り直して荷物を引き締め歩き始めたものの、その後、大明神岳から下る途中で道をロストし、その遅れを挽回しようと小走りしていたら、気がつけばiPhoneが無くなっていた。来た道を目を皿のようにして戻ること約30分、木漏れ日に照らされ輝くiPhoneを発見し無事ピックアップ完了。

サイドのコンプレッションストラップが実はかなり重要だと気がついた

この時はちょっとしたタイムロス程度に考えていたが、この後、予定より時間がかかったことにより、日没後の闇の中、雨も降り始め、泣きそうになりながら妙高市でガレージメーカー活動を行っているchant!さんのアトリエ件住居に急ぐ。chant!さんはあまとみトレイルを歩くハイカーのために、庭をテントサイトとして解放されているのだ(要予約)。

ようやくchant!さんの庭にたどり着き、大人になってからこんなに心細さを感じることがなかったと思った。だんだんと歩くことに慣れてきたことによる小さな油断や慢心の積み重ねが、自分に跳ね返ってきたように感じ、反省した。

道標が希望の光に見えた

「お邪魔させてもらっている」感覚

chant!さんの庭にてタープを張らせていただき、ご提供いただいている飲み物も1本いただいた後は疲れと安堵でぐっすり眠ることができた。chant!さん、ありがとうございました。

前日の教訓を活かし、5日目は早起きして余裕を持って歩くぞと決めていたものの、安堵感と溜まった疲れからぐっすりと寝てしまい、気がつけば他のテントはひとつもなかった。仕事も人生も、そしてハイキングも、早起きすることが1日の成否を分けるのかもしれないと、教訓めいたことをしみじみ感じながら出発。

ナイトハイクからの朝寝坊の図

当初はハイペースで歩けば戸隠のキャンプ場まで辿り着けるかもしれないと考えていたが、前夜の雨と落ち葉でトレイルが滑りやすくなっており、なかなか思うように進めなかった。2日連続でナイトハイクは避けたい気持ちもあり、この日は氷沢避難小屋を利用させていただいた。とても綺麗で、管理維持してくださっている方々に感謝の念しかなかった。

とても綺麗で頑丈な水沢避難小屋

6日目を歩きはじめてすぐに、シカの姿が遠くに見えた。こちらをじっと見ている。しばし見つめあった後、彼はぴょんぴょんと遠くへ消えていった。この頃から、動物たちや自然に対する自分の変化に気がつき始めた。歩き始めの初日は、熊や動物に対して恐怖心が強かったが、6日目ぐらいからは、動物たちが普段生きている場所に僕ら人間がお邪魔させてもらっているんだなと思うようになり、謙虚な気持ちで、妙に怖がることなく歩くことができた。

そんな気持ちで歩いていると、戸隠に向かう中でシカ、サル、キツネなど沢山の動物の姿を見ることができた。もちろん熊には遭遇しないよう注意を払っていたが、過剰な恐怖心はなくなっていた。

猿が悠々と歩いていた

穏やかな気持ちで歩き進み、早めの時間に戸隠のキャンプ場に到着。周りを見渡すと四駆のクルマに豪華なキャンプセットでおいしそうなバーベキューの煙を上げている人々ばかり。自作のタープがちょっと恥ずかしくなったので、テントサイトの端の方に控えめに張ったつもりだったが、やはり少々の悪目立ち感は否めなかった。

しかし、今夜がこの旅の最後のタープ泊と思うと、少し寂しくもあり、雨の日も風の日も僕を守ってくれたこの建材タープに感謝の気持ちが沸いた。

見えた! 街だ!

最終日の朝。この旅でいちばんの冷え込みを感じ起き上がると、芝生には霜が下り、タープは表面の霜と裏面の結露で全てがバリバリに凍っていた。撤収しようとタープを畳もうにも、バリバリ音を立ててうまく畳めない。結果的に、いちばん荷物が軽くコンパクトになるはずの最終日に、この旅でいちばんパンパンになったTHREEを背負って、歩き始めた。

霜が降りてタープの跡がくっきり

最終日は、ただただ、紅葉の美しさと、秋の日差しの輝きに終始感動しながら、楽しく歩くことができた。長野の街並みが見えた時には、思わず「見えたー! 街だー!」と叫んでしまった。善光寺を通過し、ゴールの長野駅に無事到着。

トレイルから望む長野の街並み

遂にたどり着いた善光寺

早く帰らねばならない用事ができてしまい、余韻に浸る間もなく帰路に着いたが、こうして僕のULハイキング研修は無事に幕を下ろした。

ULハイキング研修を振り返って

自分で作ったタープを含む最低限の装備で長い距離を歩いて帰ってくることができた経験は、今後の生活においても、生きていく上で「本当に必要なモノは何か」という問いの原点になり、活きていくのではないかと思っています。

また、旅の後半、気温が下がってからはMerino 5-Pocket Pantsを履いていたのですが、ポケットの配置や大きさなど、考え抜かれたプロダクトの便利さを改めて実感し、ハイキングを通して作られた道具はハイキングによってのみその真価がわかるのだなと感じました。

そして何より信越トレイル、あまとみトレイルともに、とてもきめ細やかに道標をはじめトレイルの整備がされており、補給のしづらいセイクションには、水をトレイルエンジェルの方々が用意してくださっていたし、chant!さんは庭をハイカーがテントを張れるように提供してくだっており、本当に助かりました。最後に善光寺の近くであまとみトレイルの整備をいつもされている方々と偶然お会いした際には、感謝の気持ちを伝えました。

今後、もっとたくさんのロングトレイルを歩きたいと思っています。そして将来は自分も、トレイルを守ることに貢献し、ハイカーのサポートができるようになりたいと強く思いました。

お世話になった皆さま、本当にありがとうございました。

道中に出会った兄弟のような方と記念写真

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横井雄飛
横井雄飛
山と道 材木座スタッフ。 岐阜県出身。ニックネームは「おでん君」。 幼少期から祖父母の田んぼ仕事や椎茸の栽培などの山仕事の手伝いを通して自然に触れ合いながら育つ。釣りが好きで川や海へは行くが、山へ行くことがないまま30代の半ばまでを過ごす。ある日、散歩がてらに鎌倉のハイキングコースを歩いてみた際に、幼少期に山で感じたワクワクが蘇りハイキングに目覚める。その後はハイキングへの初期衝動とメタボ体型の現実との狭間を行き来しつつ、装備のUL化とともに身体のUL化のため、ダイエットに挑戦中。
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