HIKE MIYAZAKI
九州自然歩道宮崎セクションの旅(前編)

2024.01.25

「長距離自然歩道」を知っていますか? 環境省が計画し、国や各都道府県が整備を進めている「長距離自然歩道」は、東海自然歩道、東北太平洋岸自然歩道(みちのく潮風トレイル)、近畿自然歩道など、日本全国の10か所で整備が進み、その総延長はなんと20,000km以上にものぼります。ただ、実際には整備が行き届いていないセクションも多く、代表格の東京と大阪を繋ぐ東海自然歩道ですら、スルーハイキングの体験談はそう多くありません。

そんな長距離自然歩道を、日本ならではのロングトレイルとして見直そう! それにはまず歩いてみよう! と、山と道JOURNALSでもこれまでに何本も日本でのロングトレイルの旅の記事を書いてくれているトリプルクラウンハイカー*、清田勝さんが旅立ちました。

行き先は、総延長2,932kmの九州自然歩道の宮崎セクション(約350km)。「自然歩道」とはいえその多くが舗装されており、少ないトレイル区間もほぼ人が入っておらず荒れ放題で、「そんなとこわざわざ歩いて楽しいの?」という声も聞こえてきそうですが、まあ、ひとまず本文を読んでみてください。

何も山を歩くばかりがハイキングではありません。そのくびきを外した時に、また新たな歩き旅の可能性が見えてきます。

*アメリカの3大ロングトレイルをすべて踏破したハイカーに与えられる称号

文:清田勝
写真:田安仁

旅支度

自宅で目覚めたのは午前8時。昨夜は僕が大阪で営む『cafe&bar peg.』の営業日で、帰宅したのは午前2時を過ぎていた。まだ眠たい。今日の11時には新幹線で九州入りし、3週間の宮崎旅が始まるというのに、何ひとつ用意をしていない。

まだまだ寝たがっている体をベッドからむりやり引き剥がしバックパックを選ぶ。春にアリゾナトレイルを共にしたパランテのV2か、最近旅に連れて行っていない山と道のMINI2か。なんとなくMINI2にしよう。その他の道具は大体いつも同じだ。ひとまず必要そうな道具を順にリビングに放り投げていく。

10月の宮崎はまだまだ暖かいらしい。天気予報で日中の気温を見てみると20℃後半が続いている。そういえば、3月に渡米しアリゾナトレイルを歩いたあたりから半袖短パンの生活が続いている。今年の夏はまだまだ続きそうだ。

テントは愛用しているビッグスカイのウィスプムーンビュー、マットは山と道のUL Pad、寝袋はモンベルのダウンハガー#3とスタティックのアドリフトライナー、それ以外は選ぶほど道具を持っているわけでもない。いつも通りの調理器具、衣類、ボトル、トレッキングポール、バッテリー類、フードバッグなどなど、僕の道具選びはいつも大体こんなもんだ。

シューズはペンタペタラのパピリオと自作したワラーチ。宮崎はまだまだ暑い日が続くことを想定して、快適性を考慮しつつ履き分けることにした。

ほぼ夏仕様のパッキング。結局いつもと同じような道具。

「旅って計画立ててる時からワクワクするよね」

そんな言葉をよく耳にするが、僕はそんな気持ちになったことがない。準備段階からワクワクできる人間になりたかったが、僕にとって準備は面倒臭いことでしかない。

そんなことだから細々した忘れ物をすることも少なくない。今回もしっかり充電コンセントを枕元に挿したまま家を出てしまった。まぁどこかで手に入れればいいか。

そして、今回の旅も数百kmのロングトレイルと言われる部類の歩き旅なのだが、今までと少しだけ毛色が違う。

「長距離自然歩道」という言葉を聞いたことがある人はどれぐらいいるのだろう? 僕が知っていた自然歩道は、東京の高尾山から大阪の箕面までを繋ぐ東海自然歩道だけだった。

長距離自然歩道?

長距離自然歩道の九州自然歩道。九州全県をループする自然歩道が約2,000km(支線も含めた総距離は2,932km)張り巡らされている。今回はその一部、宮崎セクションを約350km歩くこととなった。

この旅のはじまりは2年以上前に遡る。

「まさる! 宮崎のセクション歩いてきてよ!」

トレイルブレイズハイキング研究所(略してトレ研)の長谷川晋さんからそんな声をかけてもらったのが事の発端だ。

トレ研は日本のハイキング文化・トレイル文化の醸成に取り組む活動をしており、トレイルの敷設や運営支援、ハイカーへの情報提供など、謂わばトレイルを作る上でのコンサルのようなことを行っている。僕なりの解釈では、「日本にもちゃんと歩けるロングトレイルを根付かせようぜ! みんな歩けば今よりもちょっと幸せな未来になりそうじゃん!」そんな風に認識している。要は、トレ研からの依頼があって歩くことになったわけだ。

「僕でよかったらぜひ歩かせてください!」

と答えたのは2021年だった。ただ、整備が行き届かなかったり、台風の被害でトレイルが崩れてしまったりと2年間歩くことができなかった。そして、ようやく2023年の秋にようやく状況が整ったので、「待ってました!」と言わんばかりに宮崎行きが決まった。

ここで少し、長距離自然歩道についても触れておきたい。環境省のホームページによると「四季を通じて手軽に、楽しく、安全に自らの足で歩くことを通じて、豊かな自然や歴史・文化とふれあい、心身ともにリフレッシュし、自然保護に対する理解を深めることを目的とした歩道です」と書かれており、全国の自然歩道の総延長は約27,000kmにもなるという。

27,000km! とてつもないサイズ感のトレイルじゃないか! 僕がロングトレイルを歩き始めてから現在までの移動距離は16,000kmほど。それなりに歩いてきたと思っていたが、そんな距離をあざ笑うかのようにモンスタートレイルが全国に張り巡らされていることを知ることとなった。

全国の長距離自然歩道 出典:環境省(地理院地図を元に作成)

長距離自然歩道が作られた経緯に僕はグッときた。

計画が厚生省の施策として発表されたのは1969年(昭和44年)。50年以上前、僕の両親が10歳ぐらいの頃だっただろう。当時の日本は各地方のインフラ整備や都市の過密化が進む、高度経済成長の真っ只中。その裏側には4大公害病のような背景があった時代。憩いの場としての自然を見直そうという動きから長距離自然歩道の構想が始まったらしい。

長距離自然歩道の整備に取り掛かる上で、「アメリカ3大トレイルのひとつでもあるアパラチアン・トレイルをヒントに、日本初の自然歩道である東海自然歩道が企画され実現した」と書かれている記事を見つけた。日本の長距離自然歩道にもアメリカのロングトレイルの血が通っていると思うとロマンを感じる。

そして、長距離自然歩道が通る高原や湿原、渓谷等が次々に国定公園と指定されていった背景があるそうだ。観光地でも僻地でもない自然の生態系が存在している区域を国定公園に指定することで森林保護の役割を持たせ、その後の国定公園のあり方について示唆を与えることとなったという。

難しい言葉が並んだが、要は長距離自然歩道によって日本の豊かな自然を守りつつそこに人が入りやすくなったわけだ。当時、日本中に張り巡らされた自然歩道がどのように活用されていたかはわからないが、近年はどうだろう?

僕の周りにも自然を愛しそこで遊ぶ人たちがたくさんいる。だが、長距離自然歩道を歩いたという人は殆どいない。僕も自然歩道の道標は時おり見かけはするが、その道を歩いたことはない。おそらく、メジャーな山域以外の利用者が少ないトレイルは、自然に還ろうとしているのだろう。

「その道をもう1回歩けるようにしようよ!」

という流れで、九州自然歩道の宮崎セクションを歩くこととなったわけだ。なんだか楽しい旅になりそうだ。

九州の玄関口

九州に行くときは必ずと言っていいほど訪れる街がある。それは九州の玄関口でもある福岡県の門司港。ここ数年よく訪れているし、そういえば2週間ほど前にも来ていた。そんなことを思いながら門司港駅の改札に向かうと、今回の旅のカメラマンとして同行してくれるバディが迎えてくれた。

「うぃ〜! 久しぶり!」

「お久しぶりです!」

いつものように元気に挨拶をしてくれる彼の名前は田安仁君。2022年にアメリカ西部を貫くロングトレイル、パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)を歩いたハイカーだ。

『cafe&bar peg.』を立ち上げる時にも、日帰り夜行バスで東京から手伝いに来てくれるほどの機動力があり、そして、1枚の写真から心を動かされる物語を感じる彼の写真に僕はいつも魅了されている。

PCTを歩いた時の田安君。

宮崎を歩きに行くのに、なぜ田安君と北九州の門司港で合流したかというと、九州に来たら必ず会いたい人がいるからだ。その気持ちは田安君も同じだったに違いない。

門司港駅前の観光地を抜けて15分ほど歩くと、その人が営むお店がある。木調の店内からは暖色の柔らかい光が溢れていて、いつ来ても良いお店だなと思う。僕はそこの店主、『cafe&bar tent.』のシュウさんに会いに来た。店内に入ると、「お〜! 来た来た!」と、いつも通りのシュウさんがカウンターの中でニッコリ微笑んでいる。

門司港にある『cafe&bar tent.』のシュウさん。山と道JOURNALSでは先日の『あやなんのULハイキング研修:街と山を繋ぐ 旅のようなロングトレイル (九州自然歩道)』にも登場したばかり。

彼もまた長い歩き旅を経験してきたハイカーのひとりだ。2018年にPCT、2022年にはPCTと同じく大陸を縦断するコンチネンタル・ディバイド・トレイルを歩いている。僕はシュウさんのことを、兄貴でもあり友人でもあり同士でもあるような、そんな感覚で接している。20歳ぐらい年が離れているにも関わらず、心地いい関係でいてくれて、「俺は単純に年上扱いされるのが苦手なだけなんよ」と、照れながらいつもそう答えてくれる。本当にありがたい。

シュウさんが営む門司港のtent.と僕が営む大阪のpeg.は姉妹店のような関係で、長い距離を歩いたハイカーが営むバーは恐らく日本にこの2ヶ所しかない。僕たちが経験し、感じてきたハイキングカルチャーを少しでもみんなに伝えていけたら。ハイキングに関わらず、自然を愛し遊ぶみんなが繋がれる場所になれば。そんな想いで店をやっている。

この場所に立ち寄らないと、九州に来た気がしなくなってきた。シュウさんがいる門司港は僕にとって九州の故郷のような場所になりつつある。門司港での滞在期間中は、tent.の常連であり僕の友人でもある友達のお宅でお世話になりながら、忙しく流れる都会の時間から遠ざかるように、ゆっくりと旅の最終準備を進めていった。

出発前に食料をパッキング。

宮崎セクションの全貌は頭に入っているものの、細かいところまでは頭に入れていない。今回は南下ルートを歩くことにしていたので、大分県と宮崎県の県境である祖母山がスタートで、鹿児島県の県境にある高千穂峰がゴールということになる。

頭に入っているのはトレイルの起点となんとなくの気温ぐらいだ。食料がどれぐらいのスパンで補給できるかはしっかりと調べていない。今までの経験上、日本での長い歩き旅は2泊3日ぐらいの食料があれば、次の補給ポイントにはたどり着けるような感覚になっていた。

グランドシートを忘れたことに気付き厚手のゴミ袋で代用。

この旅は険しい山岳エリアを歩くわけではない。あくまで自然歩道。自販機や個人の商店、定食屋から銭湯、そんなものが時おり僕たちの前に現れてくれるに違いない。

「祖母山までどうやって行きます?」

「電車で近くまで行って登山口までバスかな?」

田安君はスマホで地図データを見ながら旅のイメージを膨らませている。

「バスあるんですけど、朝7時とかにコミュニティーバスがあるぐらいですよ。」

「そーなんや。最悪、登山口まで歩いていけばいいんちゃう?」

ろくに旅の行程も考えていない僕の意見は参考にしないほうがいい。そんなことは彼も薄々感じていたような気がする。先を調べ過ぎるのは面白くない。次の補給ポイントだけを意識して旅をする。まずは次の目的地である高千穂峡までの食料を買い込み、旅の支度が整った。

Day 0

豊後竹田駅で記念撮影。

門司港を後にした僕と田安君は、祖母山の神原登山口の最寄り駅である豊後竹田駅に辿り着いた。到着したのは15時30分。

「今日どこで寝ましょうかね?」

「ゲストハウス? それかその辺?」

豊後竹田駅から神原登山口までの距離は20km弱。ロード歩きでその距離を歩くとなると4時間ほどかかり、到着は20時頃になってしまう。豊後竹田駅で宿を取れば早い話なのだが、ここ連日ずっと屋根の下で寝ていたこともあり、寝るためだけに宿に泊まる気にもなれなかった。とはいえ、ヘッドライトをつけて夜道を歩く気にもならない。

「もうちょっと早く判断できたでしょ!」と言われたら本当にその通りだ。でも、旅の始まりはいつもこうなってしまう。

「観光案内所で寝れそうなとこ聞いてくるよ。」

田安君にそう言い残し、駅前にある観光案内所のお姉さんに事情を伝えに行くと「宿を取って明日の朝コミュニティバスで登山口までいけばいい」との提案がされた。確かにそれが正解なのだ。それはわかっている。でも、他の最善策を探したい。その僕の思いが観光案内所のお姉さんを困らせたのは言うまでもない。

「この近くにテント張って寝れそうなところあったりしませんかね?」

なぜ宿を取らない? お姉さんはそう言いたかったに違いない。その言葉を飲み込むように、「ちょっと聞いてみますね」と言い受話器を持ち上げた。

電話をかけてくれた先は一体どこなのか。遅れて観光案内所にやってきた田安くんと僕はお姉さんの電話が終わるのを待っていた。

「はい。わかりました。そうお伝えしますね。」

受話器を置いて案内カウンターに戻ってきたお姉さんの手には、周辺の案内図が書かれたパンフレットが見える。

「中島公園河川プールなら許可もらいました!」

ありがとうお姉さん。僕たちのわがままに付き合ってくれた彼女には感謝しかない。

今日の宿泊地へ向かう。

豊後竹田駅から中島公園河川プールまでは5kmほど。1時間ほど歩けばたどり着くだろう。旅の初日の宿泊地が決まり、近くのスーパーで買い出しをして寝床へ向かった。

日本の山歩きでは、テント場や山小屋で寝ることを前提として行程が組まれていく。だが、自然歩道のような歩き旅では毎日どこで寝ることになるかは行ってみないとわからない。このスタイルが山歩きではなく、歩き旅の醍醐味だと思いたい。

こうして、ふたりのHIKE MIYAZAKIが幕を開けた。

天然の川を利用して作られた中島公園河川プール。

いちばん遅かった人に賞を与える

「祖母山の神原ルートは険しいよ!」祖母山の登山口に向かう道中、街行く人が口を揃えて僕たちにそう話しかけてくれた。声をかけてくれたのは皆ご年配の方々。

正直なところ、あなたたちには険しいルートかもしれないが、数千kmに及ぶ旅をしてきた僕たちを侮ってもらっては困る。これまでにどれだけの悪天候の中、急登や急降下を繰り返してきたと思っているんだ。

内心そんなことを思いながら、神原登山口にたどり着いた。

祖母山の神原登山口に到着。

いよいよ見え始めた九州自然の道標。

「そんなにきついんですかね?」

「ゆうても年配の人たちが歩くならってことやろ!」

「ですよね。」

「そんなにきついんやったら確認しに行ってやろうじゃないか!」

僕たちはそんな冗談を言いながら、登山口から山頂へ向かって歩き始めた。

登山口すぐに現れた滝。

今僕たちが歩いている場所は大分県。祖母山を境に大分県と宮崎県の県境が引かれている。そして、この道はすでに九州自然歩道のルート上。九州をループしているこの道はもちろん大分県にも通っている。

宮崎セクションを歩きに来た僕たちが歩く祖母山までのアクセスは、九州自然歩道の糊代のような場所なのだろう。

九州自然歩道を歩いていると思うだけで、すでに旅の中に入っていることを感じさせてくれた。

神原ルートは流れる沢に沿って標高を上げていく。時折、雲の切れ間から射す太陽の光が青々と茂る緑の間からこぼれ落ちている。いい旅の初日を迎えられたふたりの心は軽く、足取りも心なしか軽快に思えた。

祖母山神原の登山道。

五合目小屋にたどり着き小休憩。

「全然きつくないですね」

「そりゃそうやろ! 僕たちが今までどんだけ歩いてきたと思ってるんよ!」

「まぁそうですよね」

「ちょっと休んだらサクッと上まで行っちゃうか!」

「ですね! 宮崎入っちゃいましょ!」

バックパックを背負い直し、山頂へ向けて歩き始めた。じわじわ厳しくなる傾斜。山頂に近づくほど斜度は厳しくなる。山とはそういうもんだ。徐々にペースは落ちていくが予定範囲内のペースで標高を上げていく。

そういえば、後ろを歩く田安くんの足音が聞こえない。そう思い後ろを振り返るとギリギリ見える範囲で彼の黄色いバックパックがチラチラと見え隠れする。

「おーい田安くーん! 鈍ってるんちゃうかーー!」

「すいませーーん!」

誰もいない登山口でそんなやりとりをしながら歩みを進める。テント泊装備に加えカメラ機材も背負っている田安君のペースが僕より落ちるのは仕方ない。僕も少しペースを落とし、お互いが見える範囲で歩くことにしよう。

目線をトレイルの進む方に戻し歩みを続ける。みるみる厳しくなる斜度に徐々に疲労が蓄積されていく。意識的に落としたペースのはずが、気がつけば目一杯の速度になっている。き、きつい。

なにが「何千kmも歩いてきた」だ。

ついさっきまで余裕をぶっこいていた自分が恥ずかしくなってきた。もう、田安君を気にかける余裕などなく、自分のことしか考えられなかった。僕よりも重たい荷物を担いでくれている田安君に何て声をかけてしまったんだ。

なにが、トリプルクラウナーだ。

急斜面をよじ登る僕はとても小さくなってしまった。どれだけの距離を歩いてこようが、いつまでたっても山登りは楽なものではないと教えてくれる。何も変わらずそこにあり続ける山はなにも喋らず、そんな道を歩く人間は惨めで健気だなと思う。

国観峠から祖母山のピークを見上げる。

全身から汗を吹き出しながらたどり着いた国観峠。まだ祖母山のピークではないこの場所が大分セクションと宮崎セクションの起点となるが、「ここから宮崎セクション!」というようなわかりやすい道標すらない。それがまた良くも悪くも多くの人が歩いていないトレイルだという証なのかもしれない。

何かわかりやすい起点のようなものはないかと歩き回ってみると、九州自然歩道の道標が目に入った。この道標を辿りながらこれから約350kmを旅することになる。

九州自然歩道のシンボルマークはカタツムリ。荷物を背負ってゆっくりゆっくり移動する旅のスタイルは、まさにカタツムリのようなものなのだろう。

九州自然歩道の道標。カタツムリを描いたプレートがついている。

ようやく宮崎セクションが始まった。

九州自然歩道の起点となっている福岡県の皿倉山の石碑には、こんな言葉があるという。

「「自然歩道の効用は、体力をつくること、もう一つは自然に親しむことである。将来自然歩道で体力増強のための競技が行われることがあれば、大変不幸なことだが、そのときはちゅうちょなく自分は、一番遅かった人に賞を与える。」」長距離自然歩道提唱者 ベントン・マッケイ

ベントン・マッケイはアメリカのアパラチアントレイルの計画を立ち上げた人だ。僕は彼がどんな人だったかは全くわからないが、おそらく柔らかい笑顔で話す人だったのではないかなと思う。

そんな言葉を思い返すと祖母山をヘロヘロになって登ったことも、なんだか肯定してあげたくなってきた。今回は急ぐ旅でもない。自分たちの心地良いリズムで旅をするとしよう。

祖母山を下山して五ヶ所村を歩く。

黄金の宮崎

10月の宮崎県北部はハイキングにはもってこいの気候だった。祖母山から歩き始めた僕たちは高千穂峡を目指して歩いていた。

五ヶ所村から高千穂峡へ。

高千穂峡という場所は写真で見た観光名所という認識しかしていなかった。水によって削られた渓谷の間にボートが浮かぶあの場所。訪れたことがある人も少なくないと思う。

そんな宮崎屈指の観光地にも、実は自然歩道が通っている。

観光地へのアクセスは、「◯◯インターから車で◯◯分」などと、電車とバスを乗り継ぐ案内がされることがほとんどだろう。そんな場所へ自分の足だけでたどり着く感覚が、観光地の見え方を変えてくれる。

集落を抜けて里山を越え、また集落を通る。観光地への旅行を否定するわけではないが、僕は観光名所だけを訪れることをあまり面白いと思えない。言葉にするなら、その土地の上澄みだけをすくっているような感覚になってしまう。

「自然歩道」とはいえ舗装路の多い宮崎セクション。

トレイルは倒木や崩落が目立つ。

だが、そこへ歩いてアクセスすることで、目的地までのストーリーと相まって目的としていた観光地がより深みを帯びる。ただ歩いて移動するだけなのに、地元に住む人との交流が生まれ、その土地の地形や風土、歴史や文化を知ることができる。

高千穂という場所が神話だらけの土地で、1年中、玄関にしめ縄をかける風習があるということもこの地に来て初めて知ったことだった。人里と里山を渡り歩くように通っているこのルートは、宮崎という土地を知るには丁度いい場所に通されているような気がする。

休憩中になんとなく日記をつける。

高千穂の街を通過する。

朝10時頃に高千穂峡へ到着。平日の午前中というのに、観光客はもう活動を開始している。最高の1枚を撮影しようとタイミングを見計らい、SNS映えしそうなポージングで何度もシャッターを切っている。少しだけせわしなく感じる光景だったが、それもまた旅の1ページだと思い高千穂峡を後にした。

高千穂峡の写真で良く見るあの場所。

高千穂峡から30分も歩けば、いつも通りの宮崎の姿が戻ってきた。

10月の宮崎は稲刈りが始まろうとしていた。ルートから見える田んぼでは、米の重さで稲穂が地についてしまいそうだ。早く収穫してくれと言わんばかりに収穫を待っている。そんな田園風景が歩みを進めるにつれどんどん広がっていく。

収穫直前の田園風景。

すれ違うクルマは軽トラとトラクターが9割を占める。作業着の農家さんの姿と慌ただしく収穫準備を進める人々の動きには美しさを感じた。

この場所で暮らす人にとっては、毎年やってくる当たり前の光景なのかもしれないが、春に植えた数cmの稲が、夏の太陽を浴び穂を育て、秋になると実りの時期になる。自然と共に歩みを進めていく人々の営みも含めたこの光景が「豊かさ」そのもののような気がしてきた。

黄金に輝く稲穂の合間を歩いていく。

大都市の大阪で暮らす僕のような人間からすれば、そんな光景が心を癒し温めてくれる。「宮崎県」と言われて連想するものといえば、海、サーフィン、マンゴー、チキン南蛮。それも本当の顔ではあるが、少しよそ行きの顔なのかもしれない。

今回の旅を始める前に、「宮崎セクションは見所はたくさんあるけど、とてもわかりにくい」と聞いていた。最初は何がわかりにくいのかと疑問に思っていたが、旅を進めていくにつれ、その言葉の意味がわかり始めた。

里山を繋いで人里へ向かう。

確かに、高千穂峡のようなわかりやすい見所は少ない。他には起点となる祖母山や高千穂峰ぐらいかもしれない。が、実際に歩いていると、ふとした瞬間目に入ってくる景色や、農作業の手を止めて話しかけてくれる地元の人とのコミュニケーション。そんなものが楽しかったり嬉しかったりする。

宮崎の魅力は、そんなところにあるのかもしれない。その魅力は巡る季節や出会う人が違うと印象を変える。正に一期一会な旅が宮崎セクションの魅力になってくるのだろう。

作業の途中にちょっとお話させてもらう。

通りすがらに話しかけてくれたお父さん。

人との出会いが嬉しい。正に一期一会な宮崎セクション。

今回の旅はまだ半分も終わっていないが、今は遠くに感じている旅の終わりも、気がつけばすぐそこに現れる日がくるのだろう。

終わりに向かって歩いているのだが、どこかを目指して歩いている感覚があまりない。人里を歩いていることもあって、食糧補給の為に街を目指す必要もない。日々流れ込んでくる景色や偶然の出会いを味わいながら旅が進んでいる。

先を見ずに、今を見るように旅をする。

そんな歩き方がこの道を歩くにはちょうどいいのかもしれない。

【後編に続く】

清田勝
清田勝
cafe & bar peg. 店主 2013年 自転車日本一周/2014年 オーストラリア・ワーキングホリデー/2015〜16年 世界一周/2017年 パシフィッククレストトレイル /2018年 アパラチアントレイル /2019年 コンチネンタルディバイドトレイル/2020年 みちのく潮風トレイル。旅や自然から学んだことをSNSやPodcastなど音声メディアを中心に発信。
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