みちのく潮風トレイルの
スルーハイク(前編)

2021.01.05

青森県八戸市から福島県相馬市までの太平洋沿岸に沿って、東北の里や海、森や山を繋いで1000kmに渡って延びる「みちのく潮風トレイル(MCT)」は、2019年に開通したばかりのいちばん新しいロングトレイルです。2020年、そんなMCTをアメリカの3大ロングトレイルをすべて踏破したスーパーハイカー、清田勝さんが歩きました。

ハイカーならば大なり小なりロングトレイルへの憧れは持っているはずですし、一度はどこまでも遠くまで歩いてみたいと願うもの。けれど、清田さんは「ロングトレイルの道中は特別なことは何も起こらない」と言います。なのに、どうにも惹き付けられ、魅了されてしまうと。

特別なことが何も起こらないはずのロングトレイルやハイキングに、どうしてこんなにも夢中になってしまうのか。その答えを探すように、9月の終わりに歩き始めた清田さん。たくさんの景色や人々と出会いながらのハイキングは、いつしか自分自身を見つめる旅になっていきます。

結果、ロングトレイルを歩くハイカーにしか見えないことや感じられないことが書かれたジャーナルが完成しました。ロングトレイルに憧れの気持ちを持つ人、かつて歩いた経験のある人にぜひ読んでもらいたいです。

文/写真提供:清田勝

トレイルの入り口

ロングトレイルの道中は特別なことは何も起こらない。なのに、なぜ、僕はまた歩いているんだろう。

僕が初めてロングトレイルと出会ったのは、ブラジルのミランドポリスというロングトレイルとは無縁の村だった。

そこで出会ったの旅人が僕をロングトレイルの世界へと誘ったわけだ。

ブラジルの弓場農場で出会った宇部くん。日中は農業をし夜はお互いの旅の話に花を咲かせた。

PCTの話を僕にしてくれている時の彼の表情は今でも忘れない。

子供のように楽しかった思い出を無邪気に話しているかと思うと、辛く厳しかったことを思い出し苦虫を噛むような表情にもなり、シャボン玉が弾けるようにまた笑いだしたかと思うと、もう戻れない遠い過去を見つめる老人のような表情も見せた。

彼が見た世界を僕も見てみたい。そして歩き終わった時に酒でも飲みながら彼と話がしたい。

その後、僕は取り憑かれたようにトレイルを歩くことになる。

2016年 カミーノ巡礼 606km(リスボンーサンティアゴ・デ・コンポステーラ)
2017年 パシフィッククレストトレイル 4260km
2018年 アパラチアントレイル 3500km
2019年 コンチネンタルディバイドトレイル 5000km

気がつけば4年間で地球の直径に相当する距離を歩いていた。

パシフィッククレストトレイル:同じ日にスタートしたギーグルとファイヤーフット。3ヶ月にトレイルで再会したワシントン州。

アパラチアントレイル:長い森歩きが終わり展望が広がり始めたニューハンプシャー州。

コンチネンタルディバイドトレイル:トレイルを探すのが困難な中、CDTサインを探すように歩いたニューメキシコ州。

アメリカを代表する3大トレイルを歩くことができたのは良かったが、「次に何をするのか?」という虚無感のような空白の2020年が始まってしまった。

考えた挙句、「今年は日本を満喫しよう」と気持ちを切り替え、7年ぶりに家を借りて一人暮らしなんかを始めてみたり春には四国遍路の計画も立て、さらには正月・花見・夏祭り・花火大会・紅葉・温泉などなど、ここ数年一年中日本にいなかったこともあり、日本での生活に心を弾ませていたわけだ。

そんな最中、コロナ、コロナ、コロナ……。

日本にいようと考えていたから不幸中の幸いではあるが、まさか日本はおろか大阪からも出ることができなくなるとは思ってもみなかった。

コロナが落ち着き、山と道でもお馴染みのスタッフJKこと中村純貴と信越トレイルに出かけ

信越トレイル:木のぬくもりを全身で感じるJK。

お盆には灼熱の大嶺奥駆道をソロハイクに出かけ

大嶺奥駆道:真夏の日差しの中、吉野から熊野まで歩いている人は誰もいなかった。

旅の欲求を満たしてみようと試みたが、どれも僕の欲求を満たすほどのものではなかった。

やはり、旅の欲求を満たすには距離や時間が必要なのかもしれない。そんな時ふっと周りを見渡してみると、1000kmを越えるトレイルが東北沿岸に伸びていたのだ。

長くなったがこれがみちのく潮風トレイルを歩くことになった経緯だ。

冒頭にも書いたが、ロングトレイルの道中は特別なことは何も起こらない…。そもそも、ロングトレイルというものはそういう性質を持っているんだと思う。それなのに、なぜこんなにも僕を惹き付け、魅了し、離さないのか。

その答えがわからないまま、気がつけば僕は八戸から歩き始めてしまっていた。その答えは歩いていればいつか見えてくるものなのか。それとも答えなど求める必要もないのだろうか。まぁ今はそんなことを考えても仕方ない。僕には歩くことしかできないのだから。

みちのく潮風トレイルについて

ここでみちのく潮風トレイルについて少し触れておこう。

青森県・岩手県・宮城県・福島県を跨ぐ1000kmを越えるみちのく潮風トレイル(MCT)は、2019年6月9日に全線開通し産声をあげたばかりの道で、北端は青森県蕪島、南端は福島県松川浦となっている。

ロングトレイルと聞けば、山歩きのイメージを持つ人も多いかもしれないが、MCTは海を見ながら太平洋沿岸の海岸線を歩くことが多く、最高地点も標高700mほどしかない。

それ以外にも集落や里山、街中を通るトレイルは人の暮らしの中に溶け込み、東北の自然の恵みと震災の記憶、地域の暮らしや文化に触れることのできる、復興の「今」を伝えるトレイルとして期待されている。

実は、僕は2013年にこの地域を自転車で旅したことがある。この道を歩く理由のひとつに「震災3年目に自転車で見た景色と今の景色はどう変わっているのだろうか?」という思いも持ち合わせていた。

MCTを歩く上で気になっていたことはふたつ。ひとつ目はテント場のことだった。

アメリカのロングトレイルでは、基本的にどこでキャンプをしてもいいが、日本はそうではない。それに人里を歩くことも多く、どのように夜を過ごせばいいのかが疑問点だった。

MCTのデータブックを手に入れ読み込んでみたものの、キャンプ場や野営場の記載はあるが、数は少なく1日でたどり着けるような間隔で存在していない。

もうひとつは燃料についてだ。普段のハイキングではOD缶を使っているが、手に入れる場所があまりなさそうだった。その結果、ドラッグストアでも手に入るアルコール燃料を使用するアルコールストーブとSOTOのミニ焚き火台ヘキサを持っていくことにした。

スーパーやコンビニは所々にあるようだったので、暖かい食事がしたいとき、焚き火ができそうな場所では焚き火台を使用し、それ以外でアルコールストーブを使用するという具合だ。

ふたつの不安要素を抱えながら、バックパック(山と道MINI2)にパッキングをはじめた。

これに加えて細々したものをパッキングしベースウエイトは7kg程。

寝袋(モンベル・ダウンハガー#3とSOLエスケープビビィ)、テント(ビッグスカイ・ウィスプ1Pムーンビュー)、マット(山と道 ミニマリストパッド)、ダウンジャケット(パタゴニア・ナノパフ)、レインウェア(山と道UL レインフーディ・UL レインパンツ)、自作アルコールストーブ、その他もろもろを詰め込み、A&F カントリーで買ったサボテンのシャツと山と道の5ポケットショーツを着て、パタゴニアのキャップを被り、シューズ(アルトラ・ローンピーク4.5)の紐を縛り、「みちのくトレイルクラブ」のホームページから「GAIA GPS」アプリにダウンロードしておいたMCTのマップを開き、2020年9月21日にトレイルの北端である青森県八戸市の蕪島を歩き始めた。

ロングトレイルを歩く前に不安要素を全て取り払うことは不可能に近い。というよりも不安要素があってこそ旅がより深みを帯びていくものだ。調べられるだけ調べ、後は歩いてみる以外方法はない。1,000kmを越えるトレイルの不安要素を拭いされるのは歩き終わったときだと思う。

そんな不安も歩き出してしまえば大したことではないことに気づくものだ。そしてここは日本。人間のいない自然の中を歩くわけではない。わからないことは人に聞けばいい。

結局の所、人里に下りてもテントを張れる場所はどこにでもあった。地元の人に「MCT歩いてるんですけど、ここテント張っていいですかね?」と聞くと、「誰もなんも言わねぇがら大丈夫だ!」といって食料をくれたり、道の駅やビジターセンターの軒下で寝かせてもらうこともあった。MCTの夜の過ごし方はキャンプスキルよりも地元の人との信頼関係を作るコミュニケーションスキルの方が大切なことを学んだ。

漁港で建物の軒下で寝ていいかと尋ねると、「寒いから中で寝な。」と言われ牡蠣小屋で寝かせてもらうことになった。

燃料問題については、実際に歩いてみるとやはりOD缶を買える場所は限られていた。アルコールストーブという選択肢は間違っていなかった。とはいえ、最長でも50kmほど歩けば必ず小さな商店にはたどり着く。そう考えるとストーブを持たずに歩くこともできたのかもしれない。

ヒロコに抱きついた日

あれは歩き始めて2日目のことだ。

種差キャンプ場から階上岳の山頂を目指すため太平洋に一旦お別れをし、僕とタケさんは階上駅付近から西へ歩みを進めていた。

タケさんとは去年MCTをスルーハイクした青森に住むハイカーだ。「どっかで一緒に歩いていいかな〜?」とSNSで連絡があり、スタートのタイミングが重なり初日から2日間共に歩くことになったのだ。

小さなカバンに、短パン・柄シャツ・キャップ。タケさんのスタイルはアメリカのハイカーそのものだった。

彼とはこの時が初対面。

「会ったことない人といきなりハイキングなんてできるんですか? しかも泊まりで」

そんな質問はよしてほしい。なぜならお互いハイカーだからだ。もうそれ以上説明する方法がない。

JR八戸線の踏切をわたり階上岳を目指す。3時間ほどで着くだろうか。

アメリカのトレイルタウンを思い起こさせる建物が現れたのは、踏切を越えた次の曲がり角だったはずだ。

木造の2階建ての壁や屋根には蔓植物がまとわりつき、建物の正面にはアメリカのナンバープレートが30枚ほど打ち付けられている入り口らしき場所には、美容室のシンボルである赤・白・青の三色のレジメンタルストライプがくるくると回っている。

「タケさん! ここめっちゃいい味出してますね!」

「ほんとだね。アメリカ好きな人がやってるお店なのかな?」

「このナンバープレートめっちゃ古いやつちゃいます?」

「ほんとだ!どんな人がお店やってるんだろうね。」

僕はもちろん、幼少期をアメリカで過ごしたタケさんもここの店主が気になって仕方なかった。

すると、僕たちの声が店主の耳に届いたらしい。「ハロー・ハウアーユー!」と店内から声が聞こえた…。1時間に1本電車が来るか来ないかというような駅前の理容室から「ハウアーユー」はやばい。やばすぎる。「人との出会いが最高だ!」なんて言っていいのは旅が終わってからだと僕は思う。

恐る恐るレジメンタルストレイプが回る入り口に目をやると、ひとりのおばあちゃんが立っていた。

カラフルなスニーカーを便所スリッパのように履きこなし、頭には花柄のバンダナ。見たことのないメガネをかけ、水色のトレーナーにはハイビスカスのイラストと“I know the wind and going to summer with love soul”という文字が書かれている。想像をはるかに越える登場にハイカー2人は言葉を失った

ここは日本なのか? ここは本当に東北なのか? アメリカじゃないか! アメリカに違いない‼︎ そう思った方がすんなりこの状況を受け入れられる気がした。

「アンダラドッガラギダノ?」

彼女は下の歯をすべて失い、おまけに東北訛りもかなりきつい。こうなると英語を聞き取るよりも難易度が上がってしまう。

店の前で、話し続ける店主と東北訛りを必死に理解しようとするタケさん。

彼女の名前は「ヒロコさん」ということだけはわかった。それ以外はほとんどわからないが、彼女との会話が進むにつれて、いくつかのワードを拾うことに成功した。

「あんだら福島まで何日がげでいぐんだ?」

ここで濁点をとって耳を済ませていれば大体の意味がわかることに気づいた。

「1ヶ月半ぐらいですかね。」

「みずげぇみずげぇ! わだじは9年間アメリカを旅しだんだ!」

彼女は首と手を大きく振りながら僕たちに9年分の思いをぶつけ始めた。出会って10分。ようやく彼女がなぜここまでアメリカ人なのかが浮き彫りになってきた。9年間アメリカを旅した彼女の前では、僕がアメリカを歩いた話は引き合いに出せなかった。

アメリカの思い出をひたすら話してくれるヒロコさん。

もう30分は経っただろうか。ヒロコ姉の話は終わる気配がない。このままでは冗談抜きで日が沈んでしまう。

青森の田舎に流れる緩やかなスピードと彼女の狂気的なスピードのギャップのせいか、なんだか疲れてきてしまった。この愛くるしいヒロコ姉には悪いが、先に進むことを切り出そうかと悩んでいた矢先、

「でも旅はええよ。」

と優しい声と笑顔で語りかけてくれた。

今までの狂気的なスピードが一気に速度を落とし、本来この町に流れているスピードと合流した。

「あんだらまだ若いだろうげど、いづまでも心は年どっちゃだめだぞ。心が元気なのが一番‼︎」

旅をしているとこうして心に刺さって抜けない言葉をもらうことがある。今までの旅の中でどれだけの言葉をもらってきたんだろう。

なんだか急にヒロコ姉が愛おしくなり、彼女に飛びついてハグをしている自分がいた。

「わだじはハグが大好きなのよ。」

とまるで息子に話しかけるように優しくささやいてくれた。

MCTが始まって2日目にして40歳以上も年上の女性とハグをすることになるとは思ってもみなかった。

ヒロコ姉は僕たちのことを覚えてくれているだろうか?

別れ際に記念撮影。

越喜来の天使

451kmを歩いた18日目。鍬台峠をくだった集落の近くの森の中、テントに水滴がポツポツと当たる音で目が覚めた。

「はぁ 今日は雨か。」

昨日スーパーで買ったどら焼きとプロテインバーをとりあえず口に放りこんで、テントから顔を出し外の様子を伺ってみると、空にはずっしりと切れ目のない雨雲が覆いかぶさっていた。

なぜ人は雨に濡れるのを嫌がるのだろう。それなのにシャワーを浴びるのは気持ちいいらしい。全く不思議な生き物だ。そんな答えの無いことを考えているのは、雨の中歩かなければならない現実から目を逸らすためだ。とはいえテントの中で特にやることはない。プロテインバーが口からなくなった頃、しぶしぶパッキングを始めた。

前日の夜は雲ひとつない静かな夜だった。

パッキングを終え集落に降りると、今日も工事のトラックが三陸の狭い道路を幅を利かせて走っている。トラックが走っているということは、今日は平日だ。曜日感覚は工事現場を見ればわかるようになっていた。とは言っても平日か休日かぐらいしわからない。まぁでもそれで十分だ。

吉浜駅前を通り過ぎ、羅生峠に向かう。たった300mほどの峠なのだが、いつまでたっても登りは辛い。止みそうにない雨と、後にも先にもハイカーが歩いていないような孤独感が、足取りをより重たいものにした。

やっとの思いで峠を越えた途端、自然界に不自然なものが現れた。

山の中に突然現れたサインに胸を躍らせた。

そこには”OKIRAI MORE 5km WELCOME”と書かれている

「越喜来」と書いてOKIRAIと呼ぶらしいこの名前は、羅生峠を越えたところにある小さな集落の名前だ。MCTの認知度は地元の人にとっても、まだそこまで高いものではない。それなのに、ハイカーしか通らないような、ハイカーしか見ないような場所にこんな仕掛けをしてくれるのは、間違いなく「トレイルエンジェル」の仕業だ。

アメリカのロングトレイルには、「トレイルエンジェル」と呼ばれる人たちがいる。食料補給などで立ち寄る街の人が、ハイカーをサポートしてくれる。エンジェルと言っても皆それぞれスタイルが違う。水や食料をトレイルにおいてくれる人や登山口と街の送迎をしてくれる人、中には家の敷地内で夕食から寝泊まりまでさせてくれる人もいる。彼らは、ロングトレイルを歩くハイカーにとってまるで天使のような存在なのだ。

ワイオミング州で声をかけてくれたトレイルエンジェルのアン一家とその友人。食事から寝床、何から何まで家族の一員のように接してくれた。

ハイカーの気持ちを全て分かっているような、僕を息子のように受け入れてくれるような、そんなエンジェルに違いないと思いながらOKIRAIを目指した。午前7時から歩き始めて4時間、羅生峠を下り集落に抜けた。

目的地に着いたとはいえ、エンジェルに出会えるかはまた別の問題である。エンジェルの連絡先も知るはずもなく、小さい集落とはいえ「WELCOME OKIRAI」を仕掛けてくれた人がどこにいるかもわからない。

10月上旬の岩手県の太平洋沿岸はそこまで寒くないとはいえ、降りしきる雨の中歩き続けると体温は奪われていく。

「もしかしたらエンジェルには会えないかもしれない」と肩を落とし、この集落にひとつしかない商店でカップラーメンを食べることにした。これだけ小さな集落ならば誰かがエンジェルの存在を知っているかもしれない。もしかするとエンジェルがふらっとやってきてくれるかもしれない。そんな淡い期待を胸に「ラ王」をすすっていた。

1時間ほど休んだだろうか、時間は12時を回ろうとしていた。イートインスペースで休憩していた1時間で商店にやってきた人はたったの2人。これ以上待っても何も起こりそうない。仕方ない。エンジェルとは会えなそうだ。ラ王で暖まった体が冷めないうちに歩き始めよう。」ずぶ濡れのバックパックを背負うと、ひんやり冷たいレインウェアが体の熱を再び奪おうと迫ってくる。ラ王の抜け殻をゴミ箱に投げ入れ、僕は再び歩き始めた。

歩き始めて数分。もうすぐ集落から抜けてしまう。僕はエンジェルとは縁がなかったのかもしれない。旅は一期一会だ。会いたい人に会えないこともあれば、ひょんなことが素敵な出会いを生むことだってある。そう言い聞かし、綾里半島へ歩みを進める決意をした。

エンジェルがいるであろうこの集落から抜けるのは、まさに後ろ髪を引かれる思いだ。先へ進む決意をしたとは言え、やはり「エンジェルに会いたい」という気持ちは消えることがなく、どこかにエンジェルの手がかりがないかとあたりをキョロキョロ見渡しながら、一歩また一歩と集落の中心部から遠ざかっていく。

まさに集落から抜け切ろうという時に……見つけてしまった。

たくさんのペイントがされているプレハブの外観。

プレハブのドアには「気軽に御利用ください」の文字。入り口の黒板には「歓迎 トレイル来訪者」と書かれている。

ついに見つけることができた‼︎

まるで旅のゴールかのように、僕は寒さや孤独感から解放された。

プレハブの中に入ると、ストーブ・布団・そして冷蔵庫にはビールが冷やされ、その横には「誰でも自由に食べていいよ」と書かれたダンボールの中に食料が入っていた。

今日の寝床が決まった安心感からか冷え切っていたはずの体は、冷蔵庫のビールを欲してしまっていた。缶ビールを開けるといつもと変わらずプシュっと幸せの音色がプレハブ内に響き渡った。200円も出せばどこでも手に入る1本の缶ビールが、なぜこんなにも満たされるのだろう。

ビールを片手に室内を見渡すと、壁には今まで訪れたハイカーの写真が所狭しと貼り付けられていた。

ハイカーたちがここを去る時に撮ったであろう写真。

MCTの全線が開通したのは去年(2019年)。それなのにたくさんのハイカーがここに立ち寄っているようだ。

入り口を見ると「宿泊される方はご連絡ください。◯◯◯ー◯◯◯◯ー◯◯◯◯」と書かれていた。

その電話番号に電話をかけると、「ハイガーざんね。今いぐっから」と電話越しに声が聞こえたかと思うと、道路を挟んだ向かいのプレハブからひとりのおじさまがこちらに向かって歩いてきた。

白髪の髪をピンクのゴムで少しだけ結び、その表情は今までたくさん笑ってきたんだろうなと思わせる笑い皺に覆われていた。彼の名前は「わいちさん」。MCTでは有名なトレイルエンジェルだ。

「今日泊まるのね。」

「あどで風呂づれでくっがらね。」

「Wi-Fiはここ繋がりにぐいがら表でつがいな。」

「夜はしょっごねえんどごで飯食えばいいさ。」

ハイカーが欲している情報は、風呂・WiFi・飯なんだ。それをわかってくれているわいちさんは、アメリカのハイカーホステルやエンジェルの対応そのものだった。

わいちさんがアメリカのトレイルを歩きエンジェルに触れたわけでもないのに、なぜここまで同じ対応をすることができるだろうか?

「連れて行きたいところがあるから!」と言われわいちさんと訪れた夏虫山。

このプレハブは、震災直後、大船渡で仮設店舗の理容室として活躍していが、復興が進むにつれて仮設店舗から場所を移すことになってしまった。ボランティアの方々がペイントをし、恐らくたくさんの出会いや笑顔が生まれたであろうこのプレハブを無くしてしまいたいという人はひとりもいなかっただろう。

とはいえ、維持し続けるには維持費も土地も必要になってしまう。そこで手を挙げたのが、わいちさんだったということらしい。プレハブ内を改装して、越喜来に立ち寄った旅人に声をかけ寝泊まりさせているのだという。

わいちさんに声をかけられた旅人が1泊でこの地を去る事ことは難しく、越喜来という場所をMCTの「沼」という人もいる。兎にも角にもMCTが開通する前からこの場所は旅人の憩いの場になっていたようだ。

アメリカのエンジェルたちも含め、彼らはどこから来たかわからない旅人になぜこんなにも優しくしてくれるのだろうか?

そういえば以前、海外を旅している時こんな声をかけられたことがある。

「私たちは世界を自由に旅することができない。だから外の世界からやってきた旅人は新しいものを持ってきてくれる天使のような存在なんだよ。」

越喜来唯一の居酒屋「しょっこねえ」で撮った一枚

僕が今まで旅をしてきた中で、こうしてその土地その土地で優しさをくれた人達にはいくつか共通点があるように思えてならない。

その人達はとにかく人が好きで、そこにお金のやり取りを持ち出したがらない。何かを貰う喜びよりも何かを与える喜びを知っていて、とびきりの笑顔で僕たちを迎えてくれ、息子のように僕たちを送り出してくれる。

わいちさんは読み方もわからなかったこの土地を、僕がMCTを語る上で欠かすことのできない大切な場所に変えてくれた。

最後に、「また帰ってこいよ。」と見送ってくれた。

その一言が例えようもなくとても嬉しかった。僕はこの気持ちに触れるためにMCTを歩いてきたのかもしれない。

MCTをこんなに愛している人がいてくれていること
ハイカーや旅人を待ってくれている人がいるということ
この土地でハイカーという言葉が飛び交っているということ
そして「また帰ってこいよ。」と見送ってくれること


そんな気持ちが例えようもなくとても嬉しかった。僕はこの気持ちに触れるためにMCTを歩いてきたのかもしれない。

翌日、大船渡へ向けて歩き始めることを伝えると、「大船渡着いたら迎えにいぐっから、電話しな」と言われてしまった。

越喜来から大船渡までは半島をぐるっと回り40kmほど歩くことになる。直線距離にすれば車だと30分ほどで着いてしまうなのだ。それだったら迎えに行くから、今晩もここに帰ってきて泊まればいいじゃないか。というわいちさんからの提案だった。

やはりここから抜けるのは簡単ではなさそうだ。では遠慮なく迎えに来てもらおう。

雨の中、寒さと孤独感でいっぱいだった心は、暖かい布団と人の温もりのおかげでぽかぽかしていた。

この文章を書いていたら、またわいちさんの声が聞きたくなってきた。また必ず会いに行こう。

「歩きながら食べな!」とMCTリンゴを持たせてくれた。

僕は歩けているだろうか

10月20日。宮城県気仙沼市の岩井崎の芝生で野営をしていた朝。時計を見ると5時35分を表示していた。テントの外がうっすら明るくなり今日という日がまた始まろうとしている。そろそろ太平洋の水平線から太陽が顔を出そうとしている頃だろう。聞こえてくる緩やかな波の音が心地よく、暖かい寝袋にくるまっているその奇跡のような時間に浸っていた。

「できることならいつまでもこうしていたい。」

とにかく気持ちいい時間だった。あの日世界で一番幸せな朝を迎えたのは僕だったに違いない。

岩井崎から見た朝日。

犬に吠えられるまでは。

出発から26日が経っていた。現在630km。僕はここで1000kmの道のりを歩く上で大きく見落としていることがあることに気づいてしまった。

「気がつけば残り半分もない」ということを。

今まで歩いてきたアメリカの何千kmものロングトレイルでは、スタートから600kmという距離はまだ歩き始めたばかり。これから広がる未知の世界がどこまでも広がっているような感覚を持ちながら歩いている時期だ。

だが、頭ではわかっていたつもりの1000kmという道のりは、思ったよりも短いのかもしれない。歩いてきた道のりとは比べ物にならないほど、僕の心にはかなりの余白が残っていた。

「残り400kmでその余白を埋めれるのだろうか?」

「僕は本当にMCTを歩けているのだろうか?」

そんな疑問が湧き上がり、例えようのない焦りがテントの中に漂っていた。

岩手県を歩き終え宮城県に入る頃、山では紅葉が始まり出していた。

思い返せば、これまでひとりきりの時間が少なかったのかもしれない。

スタートから2日間タケさんと歩き、台風を避けるために盛岡までハイカーの友人に会いに行き、翌週もタケさんと共に歩き、階上岳まで後続のハイカーに会いに行き、逗子から来た友人2人と歩き、気仙沼で友人の家にお世話になりと、人に囲まれて進めてきた旅だった。

それはそれで充実した大切な時間ではあったが、ロングトレイルとは本来こんなに賑やかなものではないような気がしてならない。僕が思う本来のロングトレイルとは、旅の中で新しい出会いが小さく丁寧に紡がれていくような、緩やかで穏やかなものだ。

それでいうと、友人と連絡を取り合って会いながらの旅は、どこか決められた旅をしているように感じていたのかもしれない。

ひとりで歩ける時間ができたと自覚した瞬間に、強烈な寂しさが込み上げてきた。

その感情がやけに心地よく、そして懐かしくも感じた。

【後編へ続く】

清田勝
清田勝
cafe & bar peg. 店主 2013年 自転車日本一周/2014年 オーストラリア・ワーキングホリデー/2015〜16年 世界一周/2017年 パシフィッククレストトレイル /2018年 アパラチアントレイル /2019年 コンチネンタルディバイドトレイル/2020年 みちのく潮風トレイル。旅や自然から学んだことをSNSやPodcastなど音声メディアを中心に発信。
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