山と道

【みちのく潮風トレイルのスルーハイク】

みちのく潮風トレイルの
スルーハイク(後編)

青森県八戸市から福島県相馬市までの太平洋沿岸に沿って、東北の里や海、森や山を繋いで1000kmに渡って延びる「みちのく潮風トレイル(MCT)」は、2019年に開通したばかりのいちばん新しいロングトレイルです。2020年、そんなMCTをアメリカの3大ロングトレイルをすべて踏破したスーパーハイカー、清田勝さんが歩きました。

「特別なことは何も起こらない」と語るロングトレイルの旅に、なぜ魅了されてしまうのか? その答えを探すように歩き始めた清田さんの1000km、37日間の旅。最後にたどり着いたのは、至極当たり前の、とても普遍的な境地でした。

けれど、こんなふうに「当たり前」だけど「普遍的」な何かこそが、ハイキングやロングトレイルの魅力の本質ではないだろうか? そんなことに思いを巡らせてくれるような、素敵なロングトレイルの旅のジャーナルを書いてくれた清田さん、こちらこそありがとうございました(本編末尾参照)。

【みちのく潮風トレイルのスルーハイク 前編】

文/写真提供:清田勝

リセット

とても静かな夜だった。風もなく、夜に漂う空気も寒さで縮んでいるようだ。いつも21時頃には眠りに入っているので、どうしても深夜に一度、目が覚めてしまう。この日は尿意で目が覚めた。暖かな寝袋の中から冷え切った外の世界に出るのは億劫だが、まぁ仕方ない。

テントから出て空を見上げると、降ってきそうなほどの星空が広がっていた。

スタートからこの日までで一番美しい星空。数日前に新月を迎えたこともあってか、夜の空は色を奪われたように暗くて深い。その暗闇に無数の星たちが引き立てられ、いつもよりも美しく輝いていた。

何も考えずにただその光景を眺めていた。どれくらいの時間そうして夜空を眺めていたかわからない。

ふっと我に帰りテントから出た意味を思い出し、草むらにかけて行った。

10月21日。宮城県に入り5日ほどが経っていた。あと2週間も歩けばゴールの松川浦についてしまうだろう。

長いトレイルを歩くとき、1日の行程や日数を細かく考えてしまう瞬間がある。

「今日は何時までに◯◯まで歩かないと」「何日後にあの街につくには今日ここまでいかないといけない」「1日平均◯kmで歩けば◯月◯日にゴールに着ける」こういった内容が頭の中でぐるぐると回り出す。

もちろん旅の行程を計算をするのは大切なことだとは思うが、僕の場合この思考が頭から離れなくなったときは「サインが出ている」と言い聞かすようにしている。「旅を楽しめているか?」という、もうひとりの自分からのメッセージだと。

日程や行程を考えるとどうしてもWantではなくMustで考えてしまう。そんな思考になっているときは歩くことを楽しめていないことが大半だ。

ロングトレイルは誰かに言われて歩いているものではなく、誰かと競い合っているものでもない。順位もなく、観客もいない。要するに好きに歩けばいいわけだ。目的の場所まで行くのに1日や2日遅れたところで大した違いはない。そんなことは頭でわかっていても、どうしてそう思えない時期がやってくる。

神割崎で昼食を食べ石巻市に入り、日が傾きかけた頃、北上川沿いの車道の脇を歩いていた。クルマやトラックがたまに通るぐらいで、こんなところを歩いている人は僕以外、誰もいない。置き去りにされたような景色の中、ひとり歩く行為は、目標達成の為に単純作業を繰り返しているような気分になってしまう。左手に見える北上川の大きさと自分の小ささのギャップがそんな気分を増幅させた。歩くことの意味や理由がわからなくなってくると、いつもあの人のあの言葉が僕の脳裏に浮かぶ。

「なんでロングトレイル歩いてるんですか?って聞かれるじゃん! そんなことに答えたくないから歩きに行ってるのにね。あの質問本当に困っちゃうよね。別になんでもいいよねそんなこと。」

彼の少しクセは強いが本質を突くような考えは、前のめりな僕をいつも立ち止まらせてくれる。

同じ道を歩くハイカーでも、その歩き方は千差万別。自由気ままに歩く人、早く歩いてゴールまで駆け抜ける人、重たい荷物でゆっくり味わう人、街での滞在に重きを置く人、1日の行程をきっちり決める人からあまり考えない人まで、同じ歩き方をしているハイカーはどこにもいない。

その違いはその人の個性なんだと思う。髪の色や目の色、声質から思考まで同じ人はいない。みんな違ってみんないいわけだ。

みちのく潮風トレイル(MCT)を歩く上でも同じことが言えると思う。すべてのことを自分で決めて旅を進めていく。そんな自由な旅のスタイルが僕は好きだった。

彼のそんな言葉がMCTの歩き方を考え直すきっかけを与えてくれた。

リスタート

ひとりでのんびりと歩く日々が始まった。朝6時頃には鳥の鳴き声で目が覚め、7時にはパッキングを終えて歩き始める。太陽と同じリズムで活動するトレイルでの生活は実に規則正しい。南へ下れば下るほど、自然の中を歩くトレイルは減り、小さな集落や街中を歩くことが多くなってくる。太陽が沈んでも活動し続ける町の音をテントの中から聞いていると、「動物もこんな感じかな?」なんて思ったりもしていた。

前編の冒頭にも書いたが、ロングトレイルの道中は特別なことは何も起こらない。自分の価値観を書き換えるような出来事は滅多に起こらないし、自然は自然のままでいつもそこにあるだけだ。

頭を空っぽにしてゆっくりと一歩一歩流れていく光景を眺めていると、何気ない光景に目が向いていく。恐らくそれは僕が本能的に惹かれるものなんだろう。

759km地点の石投山に差し掛かる頃、雨が降り出してきた。徐々に霧に視界が閉ざされ道標も見落とす始末。何度も道に迷い、森の中をさまよっていた時間も、それまでなら少し不安になっていたかもしれないが、この時はなぜかそんな気分にはならなかった。

道に迷ったことに嘆いても仕方ない。今この瞬間には僕と山しかない。来た道を戻る以外にやることがないのは自分が一番よくわかっている。

もしかしたら、目の前に起こる出来事にはなんの意味もないのかもしれない。道に迷ったことも、雨が降ったことも、天気がいいことも、動物と出会ったことも。全てのことに自分が意味をつけているだけだと言われたらなんだかスッキリしてくる。

不安に思う気持ちは、不安なことが目の前で起こったのではなく、その出来事に「不安」というという意味をつけているに過ぎないないのかもしれない。例えば景色に美しさを感じるのは、美しさを感じる心があるからであって、その景色が美しいわけではない。不安だと思える心を持っていることも、またその瞬間を味わうために必要なことなのだろう。

その出来事に意味をつけているのが自分ならば、その意味に笑いやユーモアを添えてあげたい。

誰もいない雨の森の中、道に迷いながらそんなことを考えている自分が、なんだがおかしくなって笑ってしまった。

こんなことを考えていたから道に迷ったんだろう。

2度目の鮎川浜

宮城県も中間ほどまで歩いてきた頃、女川町に到着し牡鹿半島の先端に向かって歩いていた。先端の鮎川浜からはフェリーが出ており、そこからMCTのコースになっているその先の小さな島に渡ることになる。

女川町から鮎川浜までは30kmほどあり、鉄道は通っていない。MCTを歩くハイカーはフェリーの発着場所として必ず通る場所になるが、僕にとって鮎川浜はそれ以上の意味を持つ場所だった。

7年前の2013年6月上旬、僕は鮎川浜にいた。自転車で日本を旅している最中に震災のボランティアをしていたのだ。とはいっても、滞在したのは1週間ほど。やったことといえば知り合いに紹介してもらった人にくっついて手伝えることを片っ端からやっていたので、何をしたかをひと言で言うのは難しい。

そんな思い出のある場所がMCTのルートに入っていることがなんだかとても不思議だった。まさかここに帰ってくることになるなんて、当時の僕は考えてもいなかった。

7年前に訪れた震災3年目の鮎川浜には何もなかった。その中で人が助け合い生活していた。そんな場所は7年経ってどう変わっているんだろう?

そんな思いで舗装路を歩いていた。

ようやく到着した鮎川浜。場所を間違えたのか?と錯覚してしまうほど7年前とは別の姿に変わっていた。家が流されたとこには新しく家が建てられ、港には大きな防潮堤と立派なフェリーターミナルができ、ビジターセンターまでも併設されている。いつもお昼ご飯を食べていた「牡鹿のれん街」も令和2年3月で閉店してしまったらしい。

当時僕が寝泊まりさせてもらっていたのが、鮎川浜の高台にある「熊野神社」だった。流石にそこは無くなっていないだろうと思い、フェリーターミナルの従業員に場所を聞き、あの時の自分が確かにここにいたという確認をするために神社を目指した。

神社の鳥居が見えはじめると、僕の脳裏に当時の光景が蘇ってきた。この鳥居をくぐり石段を登って行くと、短い参道があり正面に本殿が見える。本殿の後ろは背の高い木々が生えている。そんな光景が頭の中で完全にイメージができた。

そのイメージをひとつひとつ確認するように石段を1段1段上がっていく。石段を上がりきったところで見えた景色は思い描いていたものそのものだった。ひとつ足りないものをあげるとするなら、当時育てていたヒマワリがなくなっていたことぐらいだ。

本殿の前まで進み参拝をしておいた。手を合わせて目を閉じ「ただいま戻りました」と心の中で挨拶をした。こんな思いで神社の参拝をしたのは生まれて初めてだ。

参拝を終えて当時寝泊まりさせてもらった社務所を覗いてみた。鍵がかかっていて人の気配はない。まぁそれはそうだろう。誰かいればという淡い期待を込めて「こんにちはー!」と訪ねてみたけど、その声は神社を通り抜けて消えていった。

「あなたは7年ごとに生まれ変わる」という本を見かけたことがある。7年とは限らず全てのものは常に変化しているんだと感じる。僕も7年前と比べて荷物もずいぶん小さくなって、歩いて旅をするという選択肢を得た。当時は歩いて旅をすることの果てしなさに、旅の選択肢のひとつとして捉えることはできなかった。

それと同じように町も人も景色も瞬間瞬間で少しずつ変化している。そのことに気づけるのは長い年月が経ってからだけだ。「今」という現実が「今」しかないと知った時、初めて「今」を生きることができるのだろう。

ひとりで歩く時間が増えるとそれに比例して自分と向き合う時間が増える。誰かと歩くことが多かった旅の前半はその時間があまり取れていなかったのかもしれない。

ゴールの前に

牡鹿半島から島巡りを終え塩釜にたどり着いた。ここはもう都会だ。電車やバスが行き交い、日が沈んでも街の明かりでヘッドライトをつけなくても歩けてしまう。都会の当たり前がとても新鮮に感じられる。

久々に宿を予約しシャワーで体の隅々まで洗い、汚れた服を全て洗濯機に放り込んだ。ベッドと暖房があり歩いて数分でコンビニに行けてしまう。そんな普通のことがこの上なく満たされた感覚にさせてくれた。

10日間ほどひとりで歩く時間はとても有意義だった。歩きたいだけ歩き、休みたい時に休む。塩釜からゴールまでは200kmほどだ。もうゴールは目の前まで迫っている。牡鹿半島を歩き終えると残りの200kmはどれだけ歩いても景色が変わらない防潮堤をひたすら歩くことが多くなる。

歩いてこの防潮堤の終わりまで行くというよりは、防潮堤の端が来るまで待っているといった方が正しい表現だ。800kmも歩いてくると、足の疲れや鞄の重さは感じなくなってくる。時速4kmの乗り物に乗っているようなものだ。

ひとりで歩いていたら、頭がおかしくなりそうだ。電波も繋がり誰とでも電話できる環境ではあるが、もちろんそんな気にはなれない。これまでアメリカのトレイルを歩く中でも頭がおかしくなりそうな瞬間は幾度となくやってきた。

とにかく頭の暇つぶしを考えるわけだが、これまでありとあらゆる暇つぶしをしてきたので、もうレパートリーが無くなってしまっている。だが今回はそのネタ探しはしなくて済んだ。

数日前、後ろを歩くシゲさんから「まさくん今どの辺歩いてる? 11月以降は船が出ないところがあるみたいだから、そのセクションだけ一緒に歩いてもいいかな?」と連絡が入った。地元の漁師さんが島と島を船で渡らせてくれるのだが、11月以降の奥松島は寒さも増し風が強くなるため一般人を乗せるのは難しいということだった。

実は、僕がMCTを歩くと決めたのは、シゲさんがこのトレイルを歩くということも大きな理由のひとつだった。

シゲさんとは2017年のパシフィッククレストトレイル(PCT)を歩いている最中、オレゴン州とワシントン州の州境のカスケードロックスで出会ったハイカー。年齢も10歳ほど違うが僕は昔からの友人だったように慕っている。そんなシゲさんがMCTを歩くと言っていたので、僕も時期を合わせて歩いていた。

僕はシゲさんが出発する数日前にMCTを歩き始めたが、気がつけば随分距離が離れてしまっていて、道中タイミングを合わせて会ってはいたが、一緒に歩けてはいなかった。そんな中の「一緒に歩いていい?」という連絡は素直に嬉しかった。

シゲさんと一緒に歩くのはいつぶりだろう。確かアパラチアントレイル終盤のメイン州が最後だったはずだ。

一緒にゴールのマウントカタディンに行こうとしていたのだが、シゲさんは体調不良で1週間ほど町で療養することになり、その町で別れ僕が先にゴールした。

その後、シゲさんとは日本で何度か会っていたが、大阪か東京で会う程度、一緒に歩きテントを並べて夕食をするのは2年ぶりだ。

同じ道を歩いたハイカーはたくさんいるけれど、同じ時期に同じ場所を歩いたハイカーは限られる。例えるなら、同じ学校出身でも卒業年度が違う人と、同じクラスの同級生ぐらい大きく違う。クラスメイトのように気の知れた友人とのハイキングは気を使う必要もなくとても気が楽だ。

話す内容といえば、MCTでの出来事やこれまでの思い出話程度で、同級生と登下校中に話すような本当になんでもない話をしながら歩いていた。

名取市に到着したのは10月27日。ゴールの松川浦までは100kmほどしかない。名取市にはMCTの本拠地となっているトレイルセンターがある。センターの横にトレイルが通っていることもあってMCTを歩くハイカーなら必ず立ち寄る場所で、情報取集や旅を終えた報告に来るハイカーも数多くいる。

僕とシゲさんはそのセンターに知人を訪ねに行った。

知人とはこのセンターで働く板谷さんという男性。彼は昨年の冬MCTをスルーハイクしたハイカーだ。本来なら、今年2020年にPCTを歩くはずだったのだが、新型コロナウイルスの影響でアメリカに行くことができなくなってしまっていた。

そんな彼と直接会ったのは、2月に東京で開催されたロングトレイルのイベント会場での1度だけ。あまりにも素敵な笑顔の男性がいたので、ついつい「めっちゃいい笑顔ですね!」と話しかけてしまった。トレイルセンターで再会した彼は以前と同じように、素敵な笑顔で迎えてくれた。

その翌日、板谷さんも仕事が休みだったこともあり、名取から岩沼までの20kmを3人で歩くことになった。

30代の僕と40代のシゲさんと50代の板谷さん。旅の中での出会いは歳の差を感じさせない。トレイルの話、これからの話、今まで話、人に伝えるまでもないなんでもない会話だったかもしれないが、お互いのことを知るには十分な会話だった。堤防の上や舗装路しか歩かなかったハイキングだったが、ロングトレイルを愛する2人のお陰で実りある1日を過ごさせてもらえた。

もちろんトレイルは自然の中、土の上を歩いた方が気持ちいい。だが、それだけが全てだとはどうしても思えない。長い旅の中ではただそこに「道がある」ということだけでもいいのかもしれない。そこに歩く道があって人が歩きに来て、年齢や性別を飛び越えてゆっくりと流れる時間を共有し、一緒に食事をして1日が静かに終わっていく。

人と人を結びつけるにはそんななんでもない時間が必要な時もあるのだろう。

こうして2人のハイカーと歩けたのは、あと数日で旅が終わろうとしている僕にとっては最高のタイミングだった。

旅の終わりに

自販機の前に座り休憩していると、靴が破れていることに気がついた。かれこれ1ヶ月以上、1000km近く歩いてきたわけだ。とっくに靴本来の役目を果たしていたのだろう。残りは50kmほどだろうか。このタイミングで靴を履き替える気にもならず、いつもと同じようにバックパックを背負い歩き始めた。

2日後にはトレイルの南端・相馬市松川浦に着いてしまう。歩き終えた時に何を思うのだろう。いつもゴール寸前になるとそんなことを考える。達成感を感じるのだろうか、嬉しいのだろうか、悲しいのだろうか、楽しいのだろうか、寂しいのだろうか、涙を流しているのだろうか。

どれだけ考えてもその答えはゴールまで歩かないと湧き上がってこない。どれだけ歩いてもいつもと変わらない毎日が繰り返されているだけのように感じる。

行き交うクルマのナンバープレートは宮城ナンバーから福島ナンバーが多くなり、福島県新地町と書かれた道路標識を横目に福島県に足を踏み入れた。

福島県に入りMCT最後の夜を過ごす鹿狼山へ向かった。標高は430mほどしかない山登りはこれまでのことを思うとほんの一瞬の出来事になってしまうだろう。

「MCT最後の山登りか。」なんて思ったりもしたが、いつも通りのペースで歩いていく。木々の間からは太平洋がチラチラと見える。鈴宇峠を越えてからは稜線を歩く。展望がすっきり広がる稜線ではなく、木々の間をトレイルが続いている。左手には太平洋が見え隠れし右手には蔵王連山が遠くに見えた。

低山ではあるが、鹿狼神社のある山頂は景観がよく、年間を通してたくさんの登山者が足を運ぶこともあってトレイルも整備が行き届いていてとても歩きやすい。

山頂についたのは15時50分。目の前に広がる景色の中にはMCTのゴールが見えているんだろう。その場所はなんとなくしかわからないが、ゴールが意識できたのはこの瞬間だったに違いない。

鳥居の横に休憩所があったので、最後の夜はここで寝かせてもらうことにした。屋根があり風が凌げるだけで、宿に泊まっているような気分だ。

歩き終えた時間が少し早かったこともあり、なんとなくこれまで書き綴ってきた日記を読み返してみた。今日で37日目。たった1ヶ月ちょっとしか経っていないのに、青森県の八戸を歩き始めたのが遠い昔のように感じた。

実はMCTを歩き始める前、1000kmという距離について気になっていることがあった。それは、「はたして1000kmで満足できるのだろうか」ということ。やはりこれまで歩いて来たアメリカのトレイルの距離から比べると短い距離に感じてしまっていた。さらにここは日本。言葉は通じ、食べ物も不自由なく、ネットも繋がり続ける。そんなことが、ロングトレイルの魅力を薄めてしまうのではないかと気になっていたのだ。

だが、ここまで歩いてきた上でそのことを考えると、いらない心配をしていたなと思う。1000kmの旅が他のものに劣っていたかというと全くそうは思わない。距離が長い、時間がかかるということもロングトレイルにおいては重要な要素ではあるが、それだけがロングトレイルではない。長い間心に残る旅ができれば、その旅路の距離や時間はあまり関係ない。

そもそも、トレイルを比べる必要もない。人によって好みはあるとは思うが、比べられる為にトレイルが存在する訳ではなく、歩き楽しむ為にトレイルは存在している。それなら歩きたいだけ歩いて楽しむだけ楽しめばいい。その後のトレイルの評価や比較はお門違いではないだろうか。

できることなら歩き始める前の自分に伝えてやりたい。

翌日、鹿狼山を下ると新地町の街中を通って相馬市へ向かう。トレイルの道標を探すのは困難になってきた。そもそも道標が建てられていないのか、見つけづらくなっているのかさえわからない。

そんな中ひっそりと道標が現れた。この街で生活している人の中でこの道標のことを知っている人は、いったい何人いるのだろう。恐らくかなり少数だと思うが、街の人が知らない世界を知っているような気分になって嬉しくなった。

その瞬間、目の前で通り過ぎていく街の人たちと自分がまるで別の世界を生きているような不思議な感覚にさせられた。

後はゴールの松川浦まで歩くだけだ。何も考えず一歩一歩。10km、5km、2kmとゴールに近づいていく。感情が高ぶることもなく、いつも通り景色がゆっくりと流れている。いつも通り散歩をしている人に挨拶をして、いつも通りボトルに詰めた柿の種を頬張る。

「そういえば、今まで歩いてきたトレイルのゴールもこんな感じだったな」なんてことを思い出していた。僕が思うに、ロングトレイルを歩いていると喜怒哀楽だけでは表せないほどたくさんの感情が湧き上がってくる。そんなたくさんの感情に出会えたからこそ、ゴールの瞬間どんな感情を選べばいいか戸惑ってしまうのだと思う。そんな時は何も考えずいつも通りであることが最善の策だ。

松川浦環境公園の入口が見えてきた。小さな公園内には人は誰もいないようだ。公園内に入り中央に目をやると、37日前に見たMCTのモニュメントと同じものが目に入った。

一歩一歩モニュメントに近づきMCTの南端に到達した。コンビニで買っておいた缶ビールをプシュっと開けて心の中で「お疲れ様」とつぶやいた。

10月31日12時18分。バックパックを放り投げて僕のMCTは静かに幕を閉じた。

これが僕のMCTの全てで、そしてほんのごく一部だ。

「なぜ僕がロングトレイルを歩くのか?」そんな話はよしてほしい。強いて言うなら「歩けばわかるよ」とでも言っておこう。

あとがき

MCTを歩き終え、僕は友人と神奈川県の逗子でテントサウナを楽しんでいた。数日間の逗子滞在の間に、旅の報告をしに逗子の隣町の鎌倉にある山と道研究所へ足を運んだ。その帰り際、山と道代表の夏目さんと山と道JOURNALS編集長の三田さんからMCTのジャーナルを書いて欲しいと話をもらった。

そのこと自体は素直に嬉しかった。その理由は、たくさんの人にMCTの旅の素晴らしさを伝えたかったからだ。とはいえ、ロングトレイルの魅力はどれだけ時間をかけて語ったところで、全てを伝えることはできない。ましてや文字にするとなると、ロングトレイルのかけらを見せることすらできないのではないかと不安な部分があった。

伝えたいことを伝えれない歯がゆさがとても悔しく思う瞬間をなんども経験してきた。何千kmという距離は初めて聞く人からすれば想像を越えてしまうようだ。そんな時、僕はいつも「僕で行けたんだから誰でも行けますよ!」と伝えるが、その言葉はほとんどが空振りに終わってしまう。早い話、歩かないとわからないし、歩けばわかる。

そして、歩いたからといって同じ経験をするわけではない。同じ道を歩いたとしても、そのハイカーの物語は世界中どこを探しても同じものはない。逆に言えば自分だけの物語が広がっていく。その物語を作る方法はただ「歩く」だけだ。そんな遊び場を教えてくれた宇部くん(前編参照)と出会えた僕はラッキーだ。

このジャーナルを読んで、ひとりでもMCTを歩きに行くハイカーがいてくれたら僕は嬉しく思う。MCTがハイカーで賑わう未来、今度は松川浦から八戸を目指してもう一度歩きに行きたい。

最後に、こうしてジャーナルを書かせてもらった山と道の夏目さん、三田さんには感謝を伝えたい。