日本海〜太平洋縦断ファストパッキング
#1〈親不知〜鉢ノ木岳〉

2017.12.07

これは僕が2015年に新潟県の親不知から自宅(神奈川県鎌倉市)近くの相模湾まで、日本海から太平洋まで山間部を繋げて、数回に分けてファストパッキングのスタイルで行った山行の記録です。

この山行については以前にも何度かイベント等でお話ししたこともありましたが、山行記としてはオンラインショップをリニューアルしてこの『山と道JOURNALS』を始める際に掲載したいと思い、気がつけば2年が経っていました。

ですが、ここで得られたことは多く、山と道の商品作りにおいても、大事なことを教わった山行です。

文/写真:夏目彰

「ファストパッキング」という言葉をよく耳にするようになった2015年。言葉としてはよく出るが、当時、ついぞ実践して山を駆け巡りながら長旅をしている人の話を聞いたことがなく、僕がイメージ出来るのは唯一、TJAR(トランスジャパンアルプスレース)の選手たちの活動だった。

あの、風速40mとも50mを越えたともいわれた台風の直撃のなかで行われた2014年のTJAR。そこに山と道のMINIを使用して出場する選手が何人いると聞き、僕はいても立ってもいられず、選手たちを応援するために上高地から西鎌尾根を目指し、熱いエールを送らせてもらった。「ファストパッキング」という言葉が始めてしっくりと感じられた瞬間だった。

彼ら偉大なる選手たちがMINIを使っていることを山と道のユーザーにも伝えていきたい。でも、自らが体験したことのない言葉を使うことほどウソっぽいことはない。僕は知らないことをさぞ知っているふうに喋るような嘘つきにはなりたくない。だからまず、自分がファストパッキングを体験したうえで言葉を語っていきたいと強く思った。

(Illustration;ジェリー鵜飼)

それまで、山の素晴らしさに心を奪われて瞬間的に駆け出すことはあっても、走ることを中心にハイクをしたことはなかったし、トレイルランニングに取り組んだこともなかった。そこで、まずは近所の鎌倉の山を朝や夕方に走ってみることにした。

はじめは3kmほどの距離だったが、徐々に身体が慣れてくると距離が伸びてゆき、走ることの瞑想的な気持ちよさにもはまり、いつしか距離も10kmほどになり、朝晩二度走ることも多くなっていった。

毎日走ることで、山を走ることと歩くことの違いに気がついた。なにが違うのか? 歩くとき、僕の意識のほとんどは外の世界に向かっている。でも走るときは、外の世界と同じくらい身体の内面の世界とも向き合うのだ。

また、走ることは健康に良さそうに見えて、実は内臓への負担が大きいこともわかってきた。そしてエンジンにどんな燃料を入れるかのようにどんな栄養を摂るかで、身体の燃費効率や瞬発力にも変化が起きるのではないかと考えるようになった。

こうしていつしか近所の山を30kmほど走り続けられるようになり、前から形にしたかった日本海から太平洋をファストパッキング・スタイルで駆け抜けてみようと心に決めた。その前年には北アルプス、南アルプスを縦断していたので、同じルートではなく日本海から北アルプスに入り、八ヶ岳、奥秩父、高尾、丹沢を越えて僕の住んでいる鎌倉の海の近くへと至る計画を立てた。

日本海の親不知から北アルプス、八ヶ岳、奥秩父、高尾、丹沢を通って太平洋へと至る総計約330kmの旅を数回に分けて行った

そのときは、一日30kmほど移動することができれば12日くらいで達成出来るでのはと軽く考えていた。 気持ち良いと感じられるレベルで自分が動けるためにできるかぎり荷物を軽くしようと、装備の重量をこれまでの半分程度にし、ベースウェイト(食料や燃料、水を除いた装備の重さ)を2.2kgまで一気に落とした。

この山行は当時試作中だった山と道MINI2で歩いた。中に入れている道具もその時のもの

1.山と道MINI2/2.シェルター用カーボンポール/3.Six Moon Designs Deschutes CF(シェルター)/4.山と道Minimalist Pad(スリーピングパッド)/5.山と道UL Pad 15s(スリーピングパッド)/6.Highland Designs Down Food UDD(ダウンフード)/7.ウェア類/8.トイレセット/9.Highland Designs Down Bag(寝袋)/10.食料/11.500ccペットボトルx3(水筒)/12.バンダナ/13.予備バッテリー等/14.Petzl Tikka RXP(ヘッドライト)/15.Ifyouhave Pound Cup(クッカー)+固形燃料ストーブ

季節は9月の後半に差し掛かっていて、いつ初雪が降ってもおかしくなかった。それでも、これまでの経験で、向かう山域には山小屋もあるし、自分は危険を回避して行動できる術を知っていると思い込み、インナーダウンすら持たず、インサレーションには唯一ダウンフード (頭にかぶるダウン)だけを持って行くことにした。

この「装備を削る」という行為は、僕の冒険心に火をつけた。さあ、このギリギリの装備だけで、思いのままに山を駆け巡ってみよう。

【今回の行程】

日本海に面した新潟県の親不知から北アルプスの鉢ノ木岳まで、三日間で約60kmの行程

DAY1 親不知→朝日岳小屋

誰かが、「北アルプスは日本海まで伸びて親不知で終わる」と書いていた。それはつまり、「北アルプスは親不知から始まる」ということでもある。僕は親不知から北アルプスを縦断するのは3回目で、毎年のように縦断しているような気もする。まだ試作段階だった山と道のMINI2に削りに削った装備を詰め、僕は親不知へと向かった。

夕方に親不知駅につくと、OMMのバックパックを背負った人がすれ違いに電車に乗ってきた。長旅を終えて家に帰るところなんだろう。なんだか同士と会ったような気持ちになる。駅にはホテルから迎えにきてもらい、送迎車でホテルに向かう。

日本海親不知の海

これまでは夜行バスで出発して午前中に親不知の駅に着き、その日のうちに登山口から歩き始めていたけれど、今回は親不知の登山口にある親不知観光ホテルに泊まり、万全の体制で出発することにした。

親不知観光ホテルの前には「ご予約夏目彰様」と看板が出されていて、なんだか嬉しくなった。部屋は海の見える清潔で雰囲気のよい畳の部屋で、夕方に親不知の海岸を軽く歩き、ご飯を食べて寝た。

栂海新道を満月が照らす

深夜3時に起床して、4時前に出発した。気持ちがとても昂ぶっていた。その晩は満月で、あたりを明るく照らしていたけれど、森の中は暗く、闇のなか、黙々と登っていく。

ふと気がつくと、これまでの親知不からのハイクアップでは歩いたことがない場所を歩いていた。満月に照らされた海が見渡せる場所に出て、間違いなく道を誤っていることがわかり、道を慎重に戻りながらどこで間違えたかを探った。

ある程度戻ったところで、間違えた場所を見つけた。昼間なら気がついただろうけど、暗いなか道なりに歩いていて間違えたらしい。低山では林道と電線の保全道が混在した場所が多いので注意が必要だ。仕切り直してぐんぐんと登っていく。木々の間にときどき見える満月がとても美しかった。

地元の山岳会、サワガニ会の方々がきれいに栂海新道を整備されている

白鳥小屋(無人)

陽が昇る頃に白鳥小屋についた。はじめて親不知から歩いたときはこの白鳥小屋に泊まったのだから、だいぶ速く歩けるようになったものだなと感じる。さらに黙々と登り続けて、午前10時頃に栂海山荘についた。まだこの時間は太陽が眩しかった。

栂海山荘までは海から伸びる低山のような雰囲気が続くけど、栂海山荘を越えると稜線に出て、一気に高度感が出てくる。晴れていればここで朝日岳が見渡せて、北アルプスの勇姿がどんと視界に入ってくるのだが、今回は雲に覆われていて勇姿は拝むことができなかった。

栂海山荘を越えると一気に北アルプスの空気感に変わる

美しい黒岩平の湿原

朝日岳に向かう途中では黒岩平という美しい湿原を通る。このときはガスっていたけれど、そのぶんとても幻想的だった。アヤメ平に入るあたりで雲を抜けた。今晩は朝日小屋に泊まる事にしよう。朝日小屋のご飯は美味しいと聞いていたから、テントで泊まって夕食だけ小屋で食べようと思い、夕食を頼めるタイムリミットの15時頃までの到着を目指した。

朝日岳の頂上にて

午後15時、朝日岳の山頂に到着した。親不知からのコースタイム21時間のところ、約半分の11時間しかかからなかった。ここまでとても美しい道を歩いてきたけれど、ほぼ誰も歩いていなかった。海から歩いて北アルプスにたどり着くのは、とても感慨深い体験だ。

ご飯が頼めなくなると困るので、朝日岳から小屋までの下りも急ぐ。景色は美しく、光で世界が輝いていた。夕食の予約は問題なくOKでほっとする。ここまで日本海から一気に上がってきた自分を誇らしく感じた。

朝日小屋はとても感じのいい小屋で、ご飯もとても美味しかった。山小屋なのに富山名物の昆布絞めのお刺身が出てくるのだ。美味しくお酒を呑み、満足してテントに帰って寝た。

見よ! 海の幸ある朝日小屋の小屋食を‼︎

DAY2 朝日岳小屋→五竜山荘

深夜2時頃に起きて、味噌汁に焼き玄米を入れた軽い朝食を食べて出発した。ナイトハイクは心がソリッドになる。誰もいない暗闇のなかを月明かりとヘッドライトを頼りに走って行くと、心の内面が研ぎ澄まされていく。

雪倉岳からの夜明け

朝日のオレンジ色に光る稜線を走る

雪倉岳や白馬岳から伸びる清水尾根がうっすらと見え始めてきて、 雪倉岳の頂上直下あたりで夜明けを迎えた。雪倉岳の稜線はおそらく強風だろうから、その手前で夜明けを眺めた。こんな時間にここにいる人は誰もいない。ソリッドな心が少しずつ太陽にほだされていき、それがまた心地良かった。雪倉岳の稜線は予想通り強風が吹き荒れ、かなり寒かったけれど、光り輝く世界に心は高鳴り、叫びながら駆け抜けていく。

白馬三山からの景色

午前8時に白馬岳に到着し、剱岳や遠くに槍ヶ岳が見えてきた。まだ朝なのに身体はバテバテで、もう走る気力も残っていなかった。以前、美味しいバナナブレッドを食べた天狗山荘はもう小屋終いしていて残念だった。ヘトヘトになりながらも下りは走り抜けていく。

昼頃に天狗の大下りを越えて、難所の不帰キレットを通過する。これまで怖いと思ったことはなかったけど、体力がなくなっているので、慎重に通過する。途中、疲れすぎていて危険だと感じ、人の邪魔にならない岩場で昼寝する。

不帰キレット

午後1時30分頃、唐松岳を通過する頃に、天気が崩れてきた。風も強くなり、一気に寒くなってきた。急激に身体から体温が奪われていくのを感じて、これはまずいと思い、インサレーションに唯一持ってきていたダウンフードをお腹に入れ、内蔵を温めた。

たぶん、この行動は本能的だったように思う。ここを冷やしたらダメだと身体が教えてくれたように感じる。それから五竜までの道のりは悲惨だった。疲れすぎて、心も身体も荒みまくっていた。風はどんどん強くなり、おそらく風速20m前後はあったと思う。

午後4時頃に五竜山荘に到着。僕が持ってきたシックスムーンデザインのデュセッツタープは下がすこし開いているので、強風に持ちこたえる自信がない。下まで覆えるツェルトやローカスギアのクフだったら問題なかったと思うけれど、諦めて小屋泊にした。小屋の前でタバコを吸っていると、テントを張っている人のテントが吹き飛ばされそうだったので設営を手伝った。

小屋泊なら快適だと思っていたが室内も震えるほど寒く、布団も湿気で凍っているようで、倒壊する恐れさえなければよほどテントのほうが快適だろうと思った。自炊小屋でガチガチ震えながらご飯を食べて寝た。

DAY3 五竜山荘→針ノ木小屋

深夜3時に起きて外に出てみた。温度計は確かマイナス8度くらいだった。まだ風はとても強く、体感温度が何度まで下がるのかと考えるとすぐに動き出すことは危険だと思った。五竜を越えた先の八峰キレットまでが難所で、暗いうちに通過をしたくない。すこしゆっくりしてから五竜を越えた先で夜明けを迎えられる時間帯を狙って、まだ暗闇のなか出発した。

昨日と同じように、ダウンフードをお腹に入れて行動した。風はとても強く、時おり身体ごと持っていかれそうな風が吹く。いや、「吹く」より「叩かれる」「押される」という表現が正しい。身を屈めて耐風姿勢をとり、強風が通過するのをじっと待つ。まるで冬の硫黄岳のようだ。その日は北アルプスに始めて雪が降った日で、雪がちらつき始めていた。

このような岩場をいくつも超えていく

五竜を超えると岩に霜が凍りつき、別世界のようだった

五竜を越えると、鎖場の鎖に海老のしっぽ(雪が風に吹かれて鎖や木々に海老のしっぽのように付いている様)が生えていた。斜面も霜がつき、持っているものをすべて着込んでも寒さが止まらず、このまま行動するのは危険だと感じた。

太陽が出て暖かくなるまでシュラフに包まって寝ようかとバックパックを開けたところで、山と道のミニマリストパッドの存在に気がついた。山で就寝時に寒いとき、僕はミニマリストパッドをシュラフのなかに巻いて眠ることがある。今回持ってきたミニマリストパッドはさらに巾をぎりぎりまで切り詰めたもので、これなら腹に巻いて行動することもできるだろうと思いつく。ミニマリストパッドを腰からお腹に巻いてレインジャケットを着てみると、暖まってくるのを感じた。まだ身体はガチガチと震えていたけれど、なんとか動き続けることができた。

陽が昇り、暖かさを感じたとき、ようやく危険な状況を抜け出したと思った。そのときの僕が太陽にどれだけの感謝をしたことか。どれだけ嬉しく感じたことか。それでも、この体験で僕はお腹の保温がどれだけ大事かを身を持って知ることができた。そして今後はお腹を大事にした道具を創りだしていこうと心に決めた。

太陽の光、温かみを讃えている図

キレット小屋で朝食にカップラーメンを食べた。昂り過ぎた精神状態が太陽とカップラーメンの暖かさにほだされて、少しづつ正常な状態に戻ってきた。ほっと一息をつき、鹿島槍を登っていく。途中で疲れた足をいたわるために足にお灸をして休んでいると、誰も来ないと思っていたのに人が登ってきて恥ずかしかった。さぞかし、僕を見てトレイル脇でお灸をしている変な奴と思ったことだろう。

キレット小屋で食べたカップヌードル

疲れた足にお灸をすえる

鹿島槍には人がたくさんいた。素晴らしい景色が僕の心に鞭を打ち、走って鹿島槍を下っていく。最高に気持ちいい。昼前に種池山荘に到着し、ピザがあるというからコーラも頼んで昼食にした。昨日や朝方の荒れた天気と一変して気持ちいい晴れ間が広がっていたけれど、翌日は台風が北アルプスを通過することがわかっていた。明日はほとんど行動することができないだろうから、今日中にできるかぎりの場所まで行きたい。

鹿島槍ヶ岳からの景色

ところが、体力が続いたのは黒部湖が見渡せる赤沢岳までだった。心身ともに疲れきり、もう走る体力も気力も残っていない。歩く屍のようになり心もすさみ、「何がファストパッキングだ!」「クソ!」 と心に悪態をつきながら歩いている始末。さらに針ノ木岳の手前にニセの頂上があり、登りきったところで奥に本物の針ノ木岳を見つけて心を砕かれる。でも、ボロボロのボロボロになりながら針ノ木岳を登りきると、どこか清々しい気分になった。

黒部湖を見下ろす

この旅で使用したシックスムーンデザインのデュシュッツCF。キューベンファイバー製で198g

歩くことすら厳しいと感じつつ、足を引き摺るようにして針ノ木小屋に到着した。

テントを張り、大雪渓のカップ酒を飲みながらご飯を食べ、眠ろうとしたのだけど、身体が痛くてなかなか眠れない。身体を酷使しすぎて、お尻まわりの筋肉がじんじんと痛む。この夜から毎晩痛み止めのロキソニンを飲んで眠るようになった。

一旦眠ることができたのだが、バタバタとはためくテントに目が覚める。夜中に風でテントが倒壊していた。面倒くさいのでそのまま寝ていたのだけれど、なにか風で飛ばされると困ると思い直し、なんとか立ち上がってテントを張り直し、もう一度寝た。

(#2に続く)

夏目 彰
夏目 彰
世界最軽量クラスの山道具を作る小さなアウトドアメーカー「山と道」を夫婦で営む。30代半ばまでアートや出版の世界で活動する傍ら、00年代から山とウルトラライト・ハイキングの世界に深く傾倒、2011年に「山と道」を始める。自分が歩いて感じた最高と思える軽量の道具をつくり、ウルトラライト・ハイキングを伝えていくことを「山と道」の目的にしている。
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