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HIKING AS LIBERAL ARTS

#6 坂本大三郎:山にこもり、日常に還る(前編)

ハイカーの知らない山伏の世界と、「こもる」ことの重要性
企画/取材:豊嶋秀樹
構成/文:渡邊卓郎
編集/写真:三田正明
2026.02.24
HIKING AS LIBERAL ARTS

#6 坂本大三郎:山にこもり、日常に還る(前編)

ハイカーの知らない山伏の世界と、「こもる」ことの重要性
企画/取材:豊嶋秀樹
構成/文:渡邊卓郎
編集/写真:三田正明
2026.02.24

山と道HLCディレクターの豊嶋秀樹をホストに、身体行為としてのハイキングをリベラルアーツ(生きるための学問)として捉え、同じく身体行為である「見る」ことや「聞く」こと、「食べる」ことなどを手掛かりに、ハイキングのその先にある価値と可能性を探っていく連載『HIKING AS LIBERAL ARTS』。

連載#6の前編となる今回は、山伏であり、芸術家としても活動する坂本大三郎さんを訪ねた。山形県の出羽三山を拠点に修行を実践しながら、様々な芸術祭にも参加し、芸術や芸能の発生や民間信仰、生活技術や祭りに関する執筆活動を行う坂本さんに、私たちハイカーが知らない山伏の世界について話を伺った。

古来、表現や信仰と密接に関わってきた山という場所で、坂本さんが「芸術の起源」を求めて見出したものとは。そして、世界各地の文化に共通して見られる「こもる」という行為の重要性を探っていく。

取材メモ:豊嶋秀樹

『HIKING AS LIBERAL ARTS』は、ハイキングを「自由に生きるための術」として捉えてみようという連載です。

経験と知識をすり合わせて、必要最低限の装備を取捨選択された道具でハイキングに行くことで、より自然への没入度を高めることが、ウルトラライトハイキングの大きな目的のひとつだと思います。シンプルであること。これはハイキングだけでなく、私たちが日々を生きていく上でも共通する真理ではないでしょうか。

これまでに、キュレーターのロジャー・マクドナルドさんには「見る」、働き方研究家の西村佳哲さんに「きく(聴く/聞く)」、料理家の三原寛子さんは「食べる」、ヨーガ実践者のDONIさんには「呼吸する」、チベット医の小川康さんには「薬」について教えてもらいました。

今回は、山伏であり、芸術家でもある坂本大三郎さんに話を伺います。

山を歩いていると、白装束に頭襟(ときん)と呼ばれる小さな帽子を頭にのせ、時には法螺貝を帯同している一行と出会うことがあります。一般的に山伏と呼ばれる彼らは、山をどう捉え、そこでどう過ごしているのでしょうか。同じ山を歩いていても、山伏と私たちの山での過ごし方は随分と異なるのではないでしょうか。

それでは、坂本さんに案内をお願いし、私たちの知らない山の風景の中を歩いてみたいと思います。

坂本大三郎 20年以上にわたり修験道・山伏文化を実践し、現在は山形県を拠点に活動。洞窟や山、川、森を制作と思索の場とし、身体行為や儀礼、フィールドワークを通じて神話・民俗・信仰と現代社会の関係を問い直す「生き方そのものを媒介とする芸術実践」を展開してきた。近年は韓国、タイ、欧州など国内外で発表し、芸術・儀礼・経済・共同体の関係を横断的に探究している。山間部に伝わる生活の知恵を伝える自身の店「十三時」を運営する。著作に『山伏と僕』(リトルモア)、『山伏ノート』(技術評論社)がある。

「芸術の起源」を知りたかった青年が山伏になった理由

——はじめに、坂本さんが山伏になろうと思ったきっかけから聞かせてもらってよいですか?

子供の頃から絵を描くのが好きだったんです。喘息がちの子供だったので、学校を休んでいる時とかによく絵を描いていたんですけど、その時から、「人間はなんで絵を描くんだろう」っていう気持ちがずっとあって、それがだんだんと、「芸術はどこから生まれてきたのか?」っていう疑問に変わっていったんです。10代の終わり頃から東京の現代美術のギャラリーでスタッフをしていたんですが、村上隆さんとか、漫画家の岡崎京子さんとかが出入りしているようなギャラリーだったので、すごく刺激的な作品に触れる機会がありました。そういうものを見ている時にも、「こういう作品の原点は一体どこにあるんだろう?」と考えていました。とにかく、小さな頃から「芸術の起源」を知りたいっていう思いがずっと心の中にあったんです。

——僕が坂本さんに初めて会ったのはその頃ですね。まだ山伏になる前でした。

そうですね、その後、自分でもイラストを描いたり、デザインの仕事に携わっていたのですが、30歳の頃、山形で山伏の修行に誰でも参加できるらしいっていう話を聞いて、面白そうだなと思って参加してみたんです。参加してみたら、正直意味は分かりませんでしたが、なんだか面白い世界でした。その後、山伏のことをいろいろ調べてみると、日本の芸術や芸能とすごく深い関わりがある人たちだったということがわかってきて、あ、これは自分がずっと知りたかった「芸術の起源」と関係がある人たちなのかもしれないと思い、山形に通うようになりました。

今は山伏を始めて20年ほどになり、2012年からは山伏のことはもちろん、山で暮らす人たちの知識や技術を学びたくて、山形に住むようになりました。

——月山の麓で『十三時』という店も経営しているんですよね。店ではどんなものを売っているんですか?

Tシャツを作ったり、食品加工品を販売したりしています。山で採ってきた山菜などを加工し、道の駅などに卸しているんです。山でクロモジを採ってきて、加工場の蒸留器でオイルを作っていますが、その際に出る香りの良い蒸留水も販売しています。あとは、クラフトコーラや山ぶどうのジュース、フキのとう味噌など、その時々ですね。あと、コーヒーも焙煎しています。

十三時 山形県西村山郡西川町睦合丙218-1 info@13ji.jp(写真提供:坂本大三郎)

——ウェブでも販売しているし、ふるさと納税の返礼品にもなっていますよね。ある意味で普通の商売に見えるんですが、坂本さんのそういう生活のあり方も含めて、薬を作って売ったり、山の案内人をやったり、宿坊をするなどして、山と共に生業を立てていた、昔の山伏のようだなと思いました。

山伏は宗教者っぽいけれども、昔から普通の人っぽさも残している存在といえます。現代では、サラリーマンなど別の職業を持っている山伏がほとんどで、家がお寺や神社というわけではない限り、フルタイムの宗教者ではない人の方が多いと思います。

——普段はスーツを着て、電車に乗って通勤していて、修行の時に山に来るという人も多いんですね。

山伏という存在

——現代の山伏事情について教えてほしいです。

山伏は、昔から半僧半俗、半聖半俗と言われ、半分は聖なる世界(僧侶や神主)に属し、半分は俗世間にいる存在です。僕が拠点にする山形の出羽三山の他に、紀伊半島の大峰山、四国の石鎚山、九州の英彦山など、日本各地の山で山伏たちは今も活動をしています。

——山伏になるには、資格のようなものはあるんですか?

山によって少し違います。例えば自分がいる出羽三山では、羽黒山で行われる「秋の峰入り修行」が最も大事な修行とされ、この修行に参加することで山伏の末席に加えてもらい、山伏の名前が与えられます。山の中では俗世間の名前を捨てて、生まれ直すという意味があるんです。

——ちなみに坂本さんの山伏名は何というんですか?

山の名前は俗世間と切り離された他界である山の中だけで使われるものなので、普段はあまり口にしてはいけないものなんです。同様に「秋の峰入り」のような修行のことについても山伏の掟で語ってはいけないことになっています。

——一度山伏になると修行は毎年継続しないといけないのですか? 継続してないと、除名されるとか?

排除されることはありません。昔は継続して入るものとされていましたが、今は強制ではなく自由です。

山伏装束の坂本さん。(写真提供:坂本大三郎)

——山伏の宗教は、仏教でも神道でもないのですか。

修験道というもので、神仏混淆です。神様も仏様も拝みます。また、大きな宗教では扱われないような、その辺にいる精霊的な存在にも手を合わせます。岩や川や木などに精霊が宿ると感じ、自然を崇拝する信仰を持っていました。いわゆるアニミズムですね。日本古来の土着の宗教に、神道、仏教、陰陽道、道教などが混ざり合ったものです。平安時代末までに、山伏の文化、修験道が成立しました。彼らは、仏になって民衆を救うことや、験力(げんりき)という一種の超能力の獲得を目指して修行しました。現代では馴染みのないものになってしまいましたが、山伏の文化は、市井の人々の生活に深く入り込んでいたのです。例えば、自然の知識を豊富に持っていた山伏は、薬草にも詳しかったので、人々は病気になると山伏を呼んだそうです。山伏は、その験力で悪いものを追い払い、自然の植物などから薬を調合しました。現代のように医学が発達するまで、彼らは医者でもあったのです。

——ちなみに、山伏と天狗には重なるイメージがあるのですが関係があるのですか。

天狗はもともと中国の妖怪でしたが、日本に輸入され、山にいる恐ろしい存在とされていた山伏と合わさって、次第に天狗の姿が山伏的なものになっていったんです。これも同じように、後々に融合していったものですね。

——ちょっと脱線してしまうかもしれませんが、山伏と忍者は、つながりがあるのでしょうか。

忍者のことはそこまで詳しくないですけど、忍者という存在のあり方も、山伏同様に地域によって異なるみたいですね。例えば伊賀とか甲賀とか、ああいうところの忍者は地侍だったんじゃないかっていうのは聞いたことあります。東北にいた、黒脛巾(くろはばき)衆っていう、伊達家に仕えていた忍者は、もしかすると、東北の山伏とも重なっているかもしれないと言われていますね。でも、資料がほとんど残ってないので、確かなことはわかりません。ただ、昔の武将たちが、忍者と同様に、スパイ活動をする諜報部員として山伏を利用するってことは普通にあったみたいなんで、そういう人たちを忍者と呼んでもいいような気はします。

——マタギも忍者と同じような仕事をしていたと本で読んだことがあります。

マタギのような古い狩猟採集民っていうのが、成り立ちを見てみると山伏と重なっているんです。マタギも古い時代は山立(やまだち)って呼ばれていたらしいのですが、宗教的な側面が強くなってくると山伏になるし、生活の面とか、狩猟っていう側面が強く出てくると山立になっていくんだと思いますね。

——修験道や山伏が、排除というか、禁じられたという歴史もありますよね。

明治時代ですね。日本が欧米列強からのプレッシャーを感じていた時代に、自分たちをどういうものでひとつにしていこうかっていう時に、国家神道というものが作り出されて、天皇を中心に日本人の心をひとつにしようとしたんですね。で、その時に外来のものと考えられていた仏教的な要素や、土着の様々な信仰を混合させている修験道や山伏の存在が邪魔になったんです。神仏習合を特徴とする修験道は、もちろん禁止されました。「修験道廃止令」が発布され、山伏としてはいられなくなった人たちは、神社の神主になったり、それまで山伏がやっていた仕事を薬屋や、医者、運送会社や旅館業など、現代的な職業に変えたりして、生業を立てていきました。

——九州*は修験道がすごく盛んだった土地だと思います。福岡県と大分県の県境にある英彦山には、山頂付近に、おそらく修験者のものと思える彫り物のある石の塊が、鳥居だったようなものと一緒に打ち捨てられているのを見たことがあります。

英彦山のそれがどういったものか分からないのですが、先ほど言った明治の「神仏分離」「廃仏毀釈」「修験道廃止令」の時に、打ち捨てられたものが日本中にたくさんあるんです。例えば、羽黒山の鳥居は「権現」の文字が消されていたりします。「権現」っていうのは仏教の世界での神様のことなんで、その文字が鳥居に入っていると相応しくないってことで、鳥居から消されたんですね。

——単なる文化的な意味での変化だけじゃなくって、政治的な圧力による変化も大きく受けているっていうことですね。

*取材は2025年12月に九重連山の法華院温泉山荘で、坂本さんも登壇した『ハッピーハイカーズ法華院ギャザリング2025』で行った。『法華院ギャザリング』については過去2度山と道JOURNALでもレポートを掲載。

「こもる」ということ

——それでは、坂本さんにとって、山伏の活動と芸術活動がどのようにつながっているのかを聞かせてください。

山伏としての活動と芸術活動は、僕の中で重なり合っています。芸術の起源を知りたいと思ったとき、人類最古級の芸術である洞窟壁画に興味を持ちました。世界中で見られる洞窟壁画は、洞窟の中で何らかの儀式が行われ、壁に絵を描いたものです。そういうところに、芸術の起源みたいなものがあるのかもしれないと思っていたんですけれど、山伏も洞窟のような場所に「こもる」っていうことをずっと昔からやってきた人たちなんです。

人類として最も古い時代から、芸術として今に残っているっていうことにすごく興味があります。ヨーロッパだとフランスやスペイン、アジアでもインドネシアとかに洞窟壁画が残っています。日本でも北海道に、フゴッペ遺跡という2000〜1500年ぐらい前の洞窟壁画がありますね。

——とても興味深い話です。坂本さんたち山伏が行う修行にも、「こもる」要素があるんですか?

山伏は、山の中のお堂や洞窟にこもって修行をするんです。その中がお母さんのお腹の中と考えていて、母胎である山の中で修行して、また外界に降りてくることを「生まれ直す」という風に考えるんです。現在に残る最古の芸術が洞窟に「こもる」ことと関係していると自分は考えていますが、世界各地の成人儀礼の文化と山伏の文化を観察していて、自分が大切な要素だと感じられたことが「こもる」という行為でした。そして「こもり」を、自分なりに深めていきたいなと思ったのです。それで私自身も、月山の森の中に穴を掘ってみて、その穴の中に籠って、自分の体の中にどんなことが起きるのかっていう実験をするようになりました。今でも夏至や冬至の日にこもるっていうことを続けています。

——実験結果として、穴に「こもる」ことでどんな身体変化が起きましたか?

穴に入って修行していると、まず視覚に変化が起きるんです。暗闇の中でろうそくを立てていると、暗いところに目の露出を合わせようとするので、小さい火なのに周りが炎に包まれているような感覚がしてくるんです。そして、月山の森の中の穴に入った時は、完全な暗闇で、ものすごい真っ暗なんですけど、空間がチカチカと光ってくるんですよ。見えてないはずなのに。そうしていると、だんだんと頭上に風が吹いて、木の葉が揺れる音が聞こえるんです。その時、感覚みたいなものがビューって伸びていくような感じがして、聴覚なのに、自分の手で触ってるみたいな気がしたのです。トランス状態におけるシャーマンの身体変化みたいなものを本で読んでいた時に、シャーマンもトランスする時に自分の体が伸びるみたいな感覚がするらしいと知って、同じような体験をしたんだなと思いました。私はその時トランスはしませんでしたけど、多分。

——2022年に開催されたドイツの芸術祭「ドクメンタ15」でも穴にこもるというパフォーマンスをやっていましたよね。

縁があって、ドクメンタ15で何かやりたいことはないかと聞かれた時に、「こもる」という行為をやってみたいと伝えました。会場であるドイツのカッセルで、地元の方の庭に穴を掘って、穴の上に干し草を積んで、3日間こもり、出てきた時に山伏の芸能の舞を舞いました。

ドクメンタ15で坂本さんがこもった穴。

——「こもる」っていうのは世界中で見られる行為なのでしょうかね。

山にこもるとか、お堂や部屋の中にこもるとか、そういう文化って、日本だけじゃなくて世界中にありますよね。日本だと、能楽の始祖に、聖徳太子に仕えた「秦河勝(はたのかわかつ)」っていう人物がいたとされているんですけど、その人が聖徳太子のところで仕事を終えて、どこかに行く時に、「うつぼ舟」という、カプセル状の形状と伝えられる船にくるまれるようにして川を流れていき、兵庫の辺りに漂着して、神様になったっていう伝承があるんです。能楽の舞に、聖徳太子から秦河勝に伝えられたといわれている「翁の舞」というのがあるのですが、今でもこの「翁の舞」を舞う前には、舞台袖にある「鏡の間」にこもったりします。あとは「大嘗祭」っていう天皇が即位後に一生に一度だけ行われる宮中祭祀があるのですが、儀式の時に「真床覆衾(まとこおうふすま)」という布に包まれるんです。民俗学者の折口信夫は、「真床覆衾」に包まれることによって、それまでずっと脈々と続いてきた天皇霊というものが、新しい天皇に付着すると表現しています。やはりそこでも「こもる」ということが大事にされているといえると思います。

——確かに「こもる」イメージは宗教、文化、風俗などあらゆるところに現れていますね。とても面白いですね。

【後編へ続く】

連載「HIKING AS LIBERAL ARTS」