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すべては山から始まる: 山と道代表・夏目彰 インタビュー by Outsiders Store

イギリスのOutsiders Storeによるインタビュー記事日本語訳
取材:Outsiders Store
執筆:Sam Waller
2026.05.29

すべては山から始まる: 山と道代表・夏目彰 インタビュー by Outsiders Store

イギリスのOutsiders Storeによるインタビュー記事日本語訳
取材:Outsiders Store
執筆:Sam Waller
2026.05.29

2026年春、山と道はイギリスのOutsiders Storeとの取り組みを通じて、ヨーロッパでの新たな一歩を踏み出しました。今回のローンチは、単なる海外展開ではなく、山と道の思想が、国境を越えて共鳴し始めていることを表しています。取り組みがスタートすることに合わせて、Outsiders Storeのウェブサイトに代表・夏目彰のインタビューが公開されました。原点にあるハイキング体験やウルトラライトの思想、そして、山と道が見つめるこれからについて。本記事ではその日本語訳をお届けします。

2011年の創業以来、日本のハイキングブランド、山と道は、ひとつの根源的な問いに向き合い続けている。——「私たちに本当に必要なものとは何か?」

ウルトラライトハイキングの世界は、ときに軽さを競うゲームのような側面を持つことがある。だが、山と道のアプローチはそこにはない。彼らが見ているのは、もっと深く、そしてどこか精神的な領域だ。

単に装備を削ぎ落として評価を得るためではなく、実際のフィールドでの経験をもとに、自然の中に身を置く時間そのものを豊かにするためのプロダクトを生み出す。それは単なるウェアやバックパックの話ではない。自然と向き合い、自分の感覚で生きる——そんな自由なあり方の提案でもある。

Outsiders Storeでの展開を迎えるにあたり、私たちは共同創業者の夏目彰に話を聞いた。山と道が考えるアウトドアウェアの本質、そしてウルトラライトハイキングという思想が、道具を超えてどのように広がっていくのかについて。

――どのようにしてアウトドアに惹かれていったのですか? ハイキングの原体験について教えてください。

すべての始まりは、妻とブライトンで過ごしたひと月でした。ピクニックの準備をして、デビルズ・ダイクやセブン・シスターズへ出かける。そんな時間の中で、気づけば山に惹かれている自分がいました。その感覚は日本に戻ってからも消えず、尾瀬を訪れたとき、その風景が強く心に残りました。

30歳になるまでは、「外に出る」というのはクラブで踊る合間に夜風にあたることでした。でも、すべてが変わった瞬間がありました。北アルプスの稜線、標高約2,500メートル。天候は最悪で、あたり一面は灰色の雲に閉ざされていた。ところが突然、突風が吹き抜け、まるでカーテンが開くように雲が一気に流れていったんです。

世界が書き換わるその瞬間は、DJがフロアの空気を一変させる瞬間とまったく同じ感覚でした。風は音楽になり、どこまでも走っていけるような衝動に駆られました。「山は巨大なクラブだ。歩くことは踊ることだ」と思いました。それ以来、毎週のように山に通うようになりました。

――ウルトラライトハイキングに出会ったのはいつですか? 何に惹かれたのでしょうか?

2007年から2009年頃、初めてウルトラライトハイキングという言葉を知ったときは、我慢比べのように思えました。どれだけ苦しめるかを競うようなものに感じられて、正直まったく興味が持てませんでした。

転機は北アルプスでの5日間の縦走でした。景色は素晴らしかったのに、自分の身体がそれについていかない。重いバックパックがすべてのペースを決めてしまう。そのもどかしさを抱えたまま下山し、「本当のウルトラライトハイキングをやってみよう」と決めました。

タープとアルコールストーブを購入し、装備を極限まで削り、25リットルのデイパックひとつにまとめて八ヶ岳へ向かいました。

あの感覚は今でも忘れられません。タープ一枚で眠ること——自然との間に何もない状態——それは原始的で純粋な幸福でした。身体が思考に追いつき、どこまでも歩いていけるように感じました。ウルトラライトハイキングは、ずっと探していたものに形を与えてくれた。それは自分と宇宙との距離が消えていくような感覚でした。

――2011年に山と道を立ち上げました。その理由と、当時やろうとしていたことは?

当時はGASBOOKというグラフィックアートの出版プロジェクトに関わっていて、「自由」という感覚をどう広げられるか、新しい表現を模索していました。その中で、人間の創造性の源は山にあるのではないか、そしてウルトラライトハイキングはかつてソローが『森の生活』で語った自立した生き方を現代的に実践する方法ではないか、と考えるようになりました。

表現の手段は違っても、アートでやろうとしていたことと、山で探していたことは本質的に同じだったんです。

ただ、道具作りは完全に未知の領域でした。東京から鎌倉へ引越し、衣装制作をしていた妻と一緒に「自分たちが本当に使いたいものを、自分たちで作ろう」と決めました。

最高だと思えるものを作り、それを人と分かち合い、一緒に歩んでいける生活と働き方を築く。想像力と執念だけを頼りに、2011年に山と道は始まりました。

私たちにとって道具はメディアでもあります。私たちのプロダクトは単なる道具ではなく、思想や身体の動かし方、考え方を運ぶものなのです。だから製品ページや山と道JOURNALでその背景を伝え、イベントや店舗を通してコミュニティを育ててきました。

既存のメーカーとは違う道も選びました。必要なものがなければ自分たちで作る。そしてその純度を保つために、ハイカーに直接届ける形を選びました。何を作り、いつ届けるか、そのすべてを自分たちで決めるために。

時間をかけて研ぎ澄ませる。その結果、リスクが高くて他のブランドが手を出さないような、明確な目的を持った軽量な道具が生まれる。それは、自分にとってはかつてアートで世界を変えようとしていたことの延長線上にあります。

――Outsiders Storeのジョシュから、あなたがソローの著作をとても大切にしていると聞きました。アウトドアに惹かれる人たちにとって、それはどこか共通するもののようにも感じます。ソローの影響について教えてください。

『森の生活』で彼が問いかけているのはシンプルです。「この美しい世界の中で、どうすれば自立し、自由に生きられるのか?」ということ。

重要なのは、それが思想だけでなく実践に基づいていることです。『森の生活』の冒頭では生活の収支を細かく記録し、住まいという最大のコストとどう向き合うかを具体的に示している。依存から自由になるプロセスを、実際の行動として描いているんです。

理性的でありながら人間的で、同時にどこか夢のようでもある。その姿勢は、私たちが考えるウルトラライトハイキングにも重なります。山と道を始める前の数年間、いつも持ち歩いていた本でした。

――ブランドに影響を与えているものは、ほかにどんなものがありますか? アウトドアの領域だけでなく、もっと遠くを見ているように感じます。

アウトドアの枠を超えて、世界のあり方そのものを変えてきた先駆者たちから影響を受けています。アップルのスティーブ・ジョブズやジョナサン・アイブが、テクノロジーの中心にデザインを据えたこと。グーグルのラリー・ペイジやセルゲイ・ブリンが、グーグルマップやストリートビューのようなツールによって、私たちの世界の見方や移動の仕方を変えたこと。

そして、既存の価値観に挑み、「自由」という概念を押し広げてきた前衛的なアーティストたち。彼らはときに大きな代償を払いながらも、その可能性を切り拓いてきました。

分野は違っても、根底にある精神は同じだと思っています。彼らの在り方、仕事の向き合い方、そして引き受けているリスク。そのすべてに、深い敬意を抱いていますし、私の発想の源にもなっています。

――話を聞いていると、ウルトラライトハイキングという考え方は、単に軽い道具を作ることをはるかに超えているように感じます。単なる仕掛けやマーケティングの言葉ではないですよね。あなたにとってウルトラライトハイキングとは何ですか?

私たちにとってウルトラライトハイキングは、単に軽い装備を表す言葉ではありません。まず大切なのは「動いているときの快適さ」です。

装備が軽くなると、思考にも余白が生まれる。風景やその変化をそのまま受け取れる。そして、自分の足で立っているという感覚——自由の感覚を取り戻せる。

何を持ち、何を手放すか。考え、選び、磨いていくことで、不安は確信へと変わる。最小限の装備で外に出たとき、自分と世界との距離は消えていく。

それが私たちにとってのウルトラライトハイキング。もともと人が持っている「自立した自由」を取り戻すための、実践的で創造的な方法です。

――素晴らしい話です。あなたがウルトラライトハイキングに出会ってから、コミュニティはどのように広がってきたと感じていますか? そして、これからどこへ向かっていくと考えていますか?

正直に言うと、今の状況には少し危機感を感じています。日本ではウルトラライトハイキングという言葉が、一種のラベルのように、ファッション的なものとして使われ始めている。それ自体は入口としてはいいのかもしれませんが、私たちが目指しているものとは違います。

私たちが求めているのは、もっと深いもの——トレンドではなく、情熱に根ざしたものです。ここから、より深い文化が育っていくはずだと思っています。ソローが一個人の山での記録にとどまらず、多くのカウンターカルチャーの源になったように、ウルトラライトハイキングもまたハイキングの外へと広がっていくべきものです。

それは、自由に、自立して生きようとする人にとっての最初の一歩になり得る。人生や選択を自分の手に取り戻すための。単に軽い道具を買うことではなく、自分で考え、選び、自分の足で立つこと。その創造的なプロセスを共有できる人たちとともに、流行に流されない、深さのあるものを育てていきたいと思っています。これは、まだ始まったばかりの長い旅だと感じています。

――これらの思想は、あなたがつくる道具やウェアにどのように反映されているのでしょうか? プロダクトの具体的なディテールや、それがどのように実際の体験から形になっていったのかを教えてください。

私たちのもの作りは、デザインからは始まりません。すべては山から始まります。ひとつの気づきや、短い言葉、小さなコンセプトから始まる。

そこからプロトタイプをつくり、外に持ち出し、テストし、作り直す。それを何度も繰り返します。最初から見た目を追うことはありません。機能に形を委ねるんです。はじめは不格好で、時には美しくないものになることもある。でも、試行を重ねる中で余分なものは削ぎ落とされ、機能が研ぎ澄まされ、結果として形が立ち上がってくる。それが私たちのプロダクトの形です。

最初のプロダクトであるUL Padは、屋久島での冬の山行から生まれました。1メートル近い積雪に足止めされる中で、当時使っていたバックパックの背面パッドの試作品が、厳しい寒さの中で思いがけない保温性を発揮したことがきっかけです。

THREEというバックパックのウエストベルトも同じように生まれました。1週間の山行の中で、厚いパッド入りベルトとシンプルなテープベルトを何度も使い比べるうちに、「何が不要か」がはっきりと見えてきた。その結果、今の形になっています。

結局のところ、プロセスはいつも同じです。まだ存在していないものを作ろうとすること。そして、山で過ごす時間が、それを現実の形へと導いていく。新しい機能が、新しい形を生む。

私たちは形をデザインしているのではありません。ハイキングという体験そのものをデザインしている。その結果として、道具が生まれてくるのです。

――日本のハイキングは、他の国とどのように違いますか? 日本の地形に合わせて、特別に考えていることはありますか?

日本の山は急峻で、天候の変化も速く、そして何より湿度が高い。これはアメリカ西海岸の乾いたロングトレイルとは本質的に異なります。

こうした厳しく、濡れやすく、常に変化し続ける環境では、軽さだけでは不十分です。安全で快適に行動するためには、通気性、防風性、そして保温性のバランスが不可欠です。日本では、濡れと冷えが連鎖的に重なることで、あっという間に危険な状況に陥ることがある。そのため、私たちはこのバランスに徹底的に向き合っています。

スペックを鵜呑みにすることはできません。必要なのはレイヤリングというスキルです。状況に応じて、小さな調整を絶えず重ねていく。立ち止まれば冷たい風が一気に体温を奪い、動き出せば今度はシェルの内側に湿気がこもる。1日を通して、繊細なバランスを取り続けることになります。

そして、そこで培われる感覚は、日本だけにとどまりません。イギリスのムーアのような環境でも、あるいは刻々と変わる天候を読みながら進むあらゆるフィールドで、生きてきます。

――ウルトラライトハイキングの考え方は、ハイキングの外にも広がっていますか? この「少ないほど豊か」という感覚は、日常の中でどのように息づいていますか? 仕事や料理、暮らしにも通じるものなのでしょうか?

もちろんです。それ以上に、私たちはウルトラライトハイキングの本質を「ひとつのライフスキル」だと考えています。ハイキングを超えて、人生を自分の手に取り戻すための方法です。

たとえば、山と道HLCのディレクター豊嶋秀樹は、ウルトラライトハイキングに出会ったことで大きく視野が開かれました。そしてその考え方を、そのまま生活に応用していきました。不要なものを手放し、支出を見直し、「生きるために働く時間」を減らしていった。その結果として生まれた時間の中で、日本各地の人と深く関わり、もの作りや旅を楽しみ、お金では得られないコミュニティを築いています。

彼はこう言います。「自分の手で何かをする時間を持つことで、『経験の質』が高まる」と。たとえば、家を建てることを誰かに任せれば大きなコストがかかる。でも自分の手でやれば費用は抑えられる。それ以上に、誰にも奪われないもの——経験やスキル、判断力が残る。料理も同じですし、仕事も同じです。あらゆる場面に通じています。

大切なのは、自分の時間をどう使うか。そして、その時間を何に変えていきたいのか。ソローは時間を現実的な資源として捉え、意識的に使うべきものだと考えていました。私たちにとって、ウルトラライトハイキングが導く先もそこにあります。自立し、より自由に生きるための方向へと。

――山と道のウェブサイトにはレイヤリングの方法をはじめ、さまざまな情報が丁寧にまとめられています。この「伝える」という側面は、あなたたちの活動にとってどれほど重要なのでしょうか? 単に製品を売るだけでなく、その背景にある考え方や文化まで、踏み込んで共有しているように感じます。

使い方の知恵を持たないまま道具だけを手渡しても、意味はありません。文化や、その道具をどう使うかという理解がなければ、ハイキングの可能性は広がらない。

だからこそ、私たちはオンラインメディアの山と道JOURNALや山と道HLCのワークショップを通じて発信しています。より多くの人にウルトラライトハイキングを体験してほしい。そして、その体験を共有し、そこから生まれるつながりやコミュニティを育てていきたいと考えています。

私たちは、ひとつの文化的なバトンを受け取っています。それを自分たちなりの形で、次へと手渡していきたい。道具を「メディア」として、新しい価値や知識を届けていくこと。それは、最高の道具を作ることと同じくらい重要な使命です。

――最後に、なぜあなたにとってハイキングはそれほどまで大切なものになっているのでしょうか? 何を与えてくれるものですか?

ハイキングは、自分に立ち返る場所です。

かつてはクラブのフロアで何時間も踊り、音楽に身を委ねながら想像力を解き放っていました。ハイキングは、あの時と同じ「剥き出しの自分」、社会的な役割よりも前にある自分へと戻してくれる。

山を歩いていると、世界の圧倒的な美しさを、直接感じることができる。同時に、自分がその中に確かに繋がっていて、その一部として存在していることもはっきりとわかる。その感覚を、何度でも思い出させてくれます。

社会の不安や問題も、長い時間軸で見れば一時的なものかもしれない。山の中で自然と向き合いながらひとり対話を重ねる中で、変化は一人ひとりの生き方から始まり、やがて世界そのものを変えていく——そう信じるようになりました。

ハイキングには、その力があると思っています。