世界60ヶ国以上を旅してきた旅人、馬頭琴やカリンバを奏でる音楽家、ローフードやベジタリアン料理の研究家、パステル画家など様々な顔を持ち、現在は高知県の四万十川のほとりで自給自足やセルフビルドの暮らしを送る佐々琢哉さん。そんな彼が、旅歴25年にしてUL化。軽くなった荷物で、2024年に台湾を2ヶ月かけて歩いて旅をしました。
歩き旅だからこそ出会えた台湾の様々な人々や暮らしをめぐる彼のエピソードは大変興味深く、またそんな彼がUL化したら、一体どんなことを感じて、どんなことが起こるんだろう? それが知りたくて、この山と道JOURNALへの寄稿をお願いしました。
そして、いよいよ最終回となる今回。旅を振り返りながら、ウルトラライトになったからこそ見えてきた旅の新たなスタイルや、ものに対する考え方の変化が、深い洞察と共に綴られています。
ウルトラライト装備を背負い、地図上の空白を心の赴くままに歩いた旅は、台湾の人たちの温かさに触れる旅でもありました。そんな旅の記録の終着点を、どうぞ最後まで見届けてください。
あえて空白を残した地図を手に
「なんだか台湾って、四国に似てるかも?」
「それなら、四国お遍路のように歩いて、野宿しながらの歩き旅ができそうじゃない?」
そんな四国お遍路の楽しかった思い出と、根拠のない直感がこの旅の始まりでした。その先には「歩いて、台湾の人々とその暮らしに出会いたい」との思いが、胸に強くありました。
しかし、「どうやって歩くルートを探すのか」「本当に野宿できるのか」などなど、現地に着いてからリサーチを始めたおかげで、いざ歩き出すまでの準備の期間に2週間以上もかかってしまいました。でも現地で、肌感覚で台湾の様子を掴んで旅をしたかったのです。
「歩いて目的地を目指す」といった意味では、リサーチのために現地での大切な時間を費やしてしまうのは、もったいないことだったかもしれません。それこそ日本にいるうちに情報を集めて、ルートと行程を定めておけばよかったわけです。実際に、今回歩き切れなかった台湾縦断ルートも「あと2週間あれば踏破できていただろうに」と考えると、そう思います。
しかし、今になって振り返ってみれば、ネット上で見つけたルートをそのままに辿った旅にはない、未知の空白が大きく存在した旅でした。もしかしたら、「空白をあえて残しておきたかった」ということなのかもしれません。その空白のおかげで、歩く距離の長さの代わりに、人と知り合っていくことの深さを持てたことが、今回のぼくの台湾歩き旅の行程となったのですから。それは、今回の台湾の旅の印象をひと言でいうとするならば、迷わずに「現地の人々との出会いの旅だった」と、心の底から思っている自分がいるからです。


現地で2週間もかけてやっとルートを見つけた時は、宝の地図を見つけたようでそれは嬉しかった。「台湾を歩いて旅したいと思っています」と色々な人に話していたら、ある人が「誰かの台湾歩行縦断の軌跡を、Google Map上で見つけたわよ」と教えてくれたのです。

旅の途中、台湾の中学校での演奏会をきっかけに知り合ったルースから託された地図。
その地図には、山越え・谷越えのルートが一筆で書かれてありました。そのルートを目でなぞっていくと、「これはきっと、少数民族を含めた台湾の人々の色々な暮らしの姿に出会える予感がするぞ」と、心が踊ったのです。心が反応すること、それこそが、ぼくが進むべき道のサインでした。
では、実際のところ、どのように毎日を歩いたのかというと、地図に記されたルートを骨格の背骨のようにしながらも、面白そうな場所があれば、脇道に逸れるということをたくさんしました。Google Mapでざっくりとした概要を掴んで、必要であれば、より山歩きに特化した詳細な地図アプリも活用しながらルートを決めていきました。
そんな気ままな行程でしたが、それでも、誰かが歩いたことが証明されている地図があったことは心強かったですね。空白を残したまま気ままに歩くと言っても、山中では遭難したくないですし、危険地帯には足を踏み入れたくないからです(台湾ではそのような場所はありませんでしたが、以前に馬で旅した中米は近年まで内戦地でもあったので、危険地域を迂回するための事前情報に気を使っていました)。
また、山中で道が行き止まりになっていて引き返すことも避けたかったのですが、それでも地図情報が間違っていて、何時間も同じ道を引き返さなければということも多々ありました。そんな時、それは、それは、テンションが下がりましたね。
まとめると、地図上のルートをなんとなく頼りにしながら、その日の宿やキャンプ地を特に決めずに、歩けるところまで歩くといった感じです。それならチェックインの時間に縛られませんから、面白い出会いがあればそのままその流れに流されてもOK! そんな感じで日中を歩き、暗くなってきたらテントが張れる場所やベンチを探して寝るといった具合でした。街でその日が終わったのなら、そこで宿を探しました。
荷物が軽いって、ご機嫌だ!
さて、ここからが初UL旅の「体感」のお話となります。ここまで旅の気ままさをお話ししてきましたが、その「気ままさ」とは、荷物の軽さと比例していたのです。荷物が軽ければ軽いほど、気ままに動ける。
つまりは、「荷物が軽いって、ご機嫌だ!」ということです。
そう、「ご機嫌」というこのひと言に、すっかりぼくのULの「体感」が集約されているようです。
しかしですね、「荷物の軽さ=ご機嫌」へと至る道はなかなかに険しかった。つまりは、旅立ち前の荷造りの苦労です。というのも、はじめは、「これまでの旅の道具たちとだって、十分に楽しく、そして問題なくやってきたのに、わざわざ数gの軽さのために買い換える必要あるの?」と、旅歴25年で築き上げてきた自分の旅のスタイルを手放すことに、抗う気持ちが強かったのです。
でもその反面、お遍路での荷物の重さの苦痛から、「軽さ」への憧れも芽生えていました。「そうか、歩くのなら、軽さって大事だよね」と、これまでのバックパッカー旅と今回の歩き旅が異なる優先順位による旅であると、理解し始めていたのです。
はい、ここから沼りましたね…。ギアに対する膨大な事前リサーチに(旅先の現地リサーチはしなかったのに、ギアには熱心だったようです。男子たるもの、やはり、ギア好きなのは否めません)。高知の山奥に住んでいるものですから、ネットリサーチ&ネットショッピングからの、現物届いての「あれ、違うかも⁉︎」という失敗もたくさんしたものです。やはり、はじめて買うものは、実物を見て試してから買いたいものだと、痛感しました。特に、洋服のサイズ感が難しかったです。
こんな四苦八苦の努力の結果、お遍路時の16〜18kg の荷物が、台湾出発時には楽器も入れて6kg弱(ベースウェイト3.7kg) に!(ぼくの試行錯誤の初ULギアリストは#2の記事をご参照ください)

馬頭琴も含めた荷物を、すべてMINIにパッキング。
さて、そんな努力の結果に勝ち得た軽快な荷物から派生する副産物は、想像以上のものでありました。日常のデイパックと変わらない感覚ですから、現地の空港に着いた時点からすぐにアクティブに動けます。大きな荷物、ましてやスーツケースなんて持っていたら、とりあえずはホテルにチェックインか、荷物を預けられるロッカーを探しますよね。これは、現地でのバスや電車の移動日でも同じです。
書いてみるとなんだか当たり前の話ですが、この体感は、今までの旅にはなかった全く新しい感覚だっただけに、とても衝撃を受けたのです。言うならば、荷物の軽さでこれまでの旅のレイヤーから別のレイヤーにジャンプしたような。そう、長年旅をしてきても辿り着かなかった、次なる旅の世界を見つけたのです。
新しい旅の感覚のお話で言うと、こんなことがありました。台東の街を歩いていたらレンタルサイクル屋を見つけたので、半日だけ借りようと思ったのですが、「おっと、待てよ…テントもすべての道具を担いでいるのだから、このままテント泊の自転車旅をするのもよいかも」と思い立ち、2日間借りることにしたのでした。こんな感じで、荷物が軽ければ預ける必要もなく、ピックアップに引き返す必要もないので、突然の閃きや、出会いにもそのまま飛び込んでいけます。
こんな気ままな選択は自分の旅史上はじめてのことで、自分自身びっくりしました。この選択の自由さは心地よく、旅を一層に楽しいものにしてくれました。そう考えると、これまで、荷物の重さによって行動がずいぶんと制限されていたのです。
こうして、荷物を預ける必要性がなくなったことで、シームレスに動けるという可能性が広がりました。言い方を変えたら、「煩わしさ」が減ったということだと思います。この荷物に起因する「煩わしさ」が減った結果、旅の細部のストレスも減りました。
例えば、パッキングです。歩きテント泊旅では、パッキングは毎日の作業です。荷物の数が少ないことでのパッキングの容易さは、朝の出発のご機嫌にも直結します。荷物を全部広げてホテルに何日も滞在した後のパッキングなんて、もうひと仕事ですよね。そんな場合でも持っている荷物が少なければ、パッキングに対する憂鬱さを感じなくて済みます。なんなら「あっという間にパッキングできる俺ってカッコいい!」ぐらいのご機嫌さです。
さらに付け加えると、荷物が少ないことで、ものを管理・整理するストレスも減りました。テントと言っても、やはり、立派な住環境です。スッキリと整った空間を好ましく思います。そう、そう、過去の旅でのパッキングの大変さで思い出されるのが、ホース・キャラバンの時のことです。大人数で広げたキャンプ地の片付けや馬道具の毎朝のパッキングには、それはそれは何時間も費やしました。やっとこさ馬に全部の荷物を乗せた頃には、出発前なのに、もうぐったりです。そんな毎日に、滞在日の朝には「今朝はパッキングをしなくていいんだぁ」と、心底ホッとしたものでした。

馬のパッキングはいつも大仕事でした。
さて、ここまで書いたことを読み返してみると、荷物が軽いことのキーワードとなっている「ご機嫌さ」とは、ふたつの方向性への感覚を言葉にしたもののようです。
ひとつ目の「ご機嫌さ」とは、荷物の物理的な軽さに、羽が生えたような、スキップでもしたくなるような、どこまでも歩いて行きたくなるような、そんなアクティブな行動変容に対する「ご機嫌さ」です。
もうひとつの「ご機嫌さ」とは、煩わしさの軽減です。重さ、管理などの荷物に関するストレスから解放されたことからくる「ご機嫌さ」です。
つまりは、身も心も軽くなったような感覚ですね。
こんな感じで、2ヶ月も常に背中にバックパックを背負って、荷物の影響をダイレクトに受けながら日々を歩き、それがこれまでに体感したことのないような「ご機嫌さ・体験」であるのなら、それは、思考・考え方にまで影響を及ぼすものである、というのがさらなる深層への自己考察です。
ものに対する思考の大転換
顕著なところでは、思考にこんな変化が生まれました。これまでの旅の思考では、「担げるなら担げるだけお楽しみが多い方がいいよね」でした。つまりは、バックパックの容量を目一杯に使い切るマキシマリストだったのです(しかも、当時は60Lの大きさのバックパックでしたからね。ちなみに、今回の旅に選んだバックパックの山と道MINIは30Lです)。
しかし、今回は、「荷物を軽いままに行動をする」ということを主題にしていましたから、スタート地点からベクトルの方向が違ったわけです。その結果、今回の旅中には物欲みたいなものはほとんど出なくて、いや、出たかもしれないけど、実際に購入するまでには至らずに、一切、お土産の類を買いませんでした。
これまでの旅だったら、異国の地で常に「何か目新しい素敵なものはないかな〜」と、物色の眼差しでした。ところが今では、「何かさらに減らせるものはないかなぁ〜」と、ベクトルがプラスの増やす方向から、マイナスの減らす方向へと180°転換してしまっていたのです。それは、やはり「ものの所有欲」よりも「軽さによるご機嫌」の方が体感として優先順位が高くなったからです。「Less is More」のまったく新しい価値観のエネルギーの世界に入っていく感覚でもありましたね。
実際には、荷物を少なく削ったことによる不安と不便さもたくさんありました。例えば、テントを軽くするために、これまでのダブルウォールのテントからフロアレスのタープになったり、着替えも圧倒的に少なくなったりと。
しかし、「テントにフロアがなくて本当に大丈夫なの?」と、半信半疑と不安で始まった旅も、蚊に刺されたり、雨が多少吹き込んできたりする不便さを感じながらも、日数を重ねるごとに、「まあ、不便だけど、事は足りている」「それなら、軽くいこう」と思っている自分がいたのです。そんな「潔さ」の芯が内に芽生えていったのも、UL体験のひとつです。

他にも「もう少しクッキングギアが欲しいな」「汗をかいた時の着替えが欲しいな」「大きなタオルで体を拭きたいな」といった不便さは色々とありました。しかし、その衝動を数日も観察していると、結局、「まあ、不便だけど、事は足りている」と気持ちが収まるのです。これはもしかしたら、これまで必要と思っていた道具と身体感覚の間に余剰分が含まれていたのかもしれません。その余剰分を取り除くことを、「潔さ」と呼んでいる感覚です。
ただ、荷物を減らし軽くして、歩いて旅をした結果、副産物として思考にまで影響を及ぼし、そして、在り方が変わっていく。思考優位ではなく、実際に「背負って歩くこと」の行動による体感値から神経回路が再構築され、思考へと影響を及ぼしていく。このプロセスが、ウルトラライト・ハイキングの突出した特性だと感じました。
このような2ヶ月間のUL歩き旅を経た結果、日々の暮らしの中でも「Less is More」の世界観のエネルギーに触れ続けている感覚で、日常への意識にも変容が起きています(家の大断捨離をしました!)。旅の経験が非日常で終わることなく、日常の中にもスライドしてきています。
「潔い在り方」に繋がった衣服たち
あと、今回の旅での発見が、衣類です。ぼくは、ずーっと、天然素材の衣服にこだわっていたけど、旅に持っていく衣類はワンセットだけと決めたことで、断腸の思いで選んだ化繊。あれだけ化繊を着ることに抵抗していたのですが、その機能性を実感してからは「旅の1枚には、これだ!」と納得するまでに至りました。
特に、その速乾性には、本当に助けられました。ワンセットしか衣類を持っていかなかったので、パンツ一丁で寝ている間に洗濯して乾かす場合が多かったのですが、部屋干ししても生乾きにならず、朝にはちゃんと乾いていました。なんなら洗濯機の脱水直後から着用してしまって、着たまま乾燥させることも可能でした。旅や出張先で、無理に夜に洗濯した結果、生乾きになってしまい、何度あの匂いにげんなりとしたことか。こんな具合にいつも感じていた洗濯をするタイミングのストレスがなくなったことも、ご機嫌の一因です。
そして、もうひとつの衣類の大発見はメリノウールですね。本当にどれだけ汗をかいて歩いても、そして何日も洗わなくても臭くならないのにはびっくりでした。そのおかげで、1週間も洗濯せずに歩き続けることができたものです。メリノウールは天然素材なので、肌触りも良いですしね。
今回の旅で化繊の機能性には腹の底から納得したのですが、やはり、着心地や見た目に慣れず、おしゃれ心を満たしきれない思いがあったのも確かです。旅先でも人前で演奏などをする機会があると思うと、その時の装いも気になるなぁ〜など。おかげで、「こういう風に見られたい」といった自意識を自覚するきっかけにもなった気がしています。おしゃれも、服が持つ機能のひとつと考えて良いのかもしれません。まあ、1着で全部のTPOが叶うわけではないので、優先順位を決めたことで、それこそ「潔く在る」という姿勢にも繋がった気がします。
それでも手放せなかった相棒
荷物について、最後にもうひとつ。それは、楽器ですね。言ったら、楽器はなくても旅できるので、荷物を減らすという面では持っていかなかったら、これまたずいぶんと軽く、煩わしさも減ったことだと思います。やはり、楽器の取り扱いには一番気を遣いますからね。
しかし、それでも諦めなかったということは、もはや、これが、自身のコアにあるアイデンティティなのでしょう。UL化に伴って、ギアもずいぶんと入れ替え、衣服も天然繊維から化繊へと。しかし、それでも諦めなかった楽器。これが、ぼくが最後まで手放さずに大事にしていきたいものなのだと思います。
では、楽器があることで、旅にどんなエッセンスが生まれるのでしょう。ぼくにとっての旅先での楽器は、「留まる」手段であること。自然の中を歩いていて感じる至福は、人それぞれだと思いますが、ぼくにとっては「あぁ、ここ気持ち良さそう!」という自分だけのお気に入りスポットを見つけたら、背中から荷物を降ろし、楽器を取り出し、そこで目を瞑って音を奏でることです。

旅で出会った人へのお礼に、馬頭琴を弾く機会が何度もありました。
目を瞑り、音を介して内に潜り、内側から外の世界と繋がっていくこの感覚に、至福を覚えます。絵を描くことも同じです。その至福の瞬間のための「留まる」きっかけを与えてくれるのが、楽器や絵という手段なのです。その瞬間の恍惚感のために、楽器を持って歩いて旅しているのだと思います。

さらには、言語の通じない旅先でも、楽器のおかげでどれだけたくさんの人々と繋がれたことか。音を奏でることで、どれだけたくさんのお礼を伝えることができただろうか。今回の台湾旅の最後には、台北のとても素敵な場所で演奏会をさせてもらうことができました。そう、旅先であっても表現者でいたい。「表現の先に、そこにある自然や人々と繋がりたい」というのが、ぼくの大きなニーズとして存在しているのを自覚しています。そんなぼくのニーズを叶えてくれる楽器は、いつだってぼくの旅の相棒としていてくれます。


台北での演奏会の様子。
歩き旅だからこそ出会えた人たち
さあ、旅のまとめも終盤です。荷物のお話はここまでとして、最後に、台湾の印象とお礼を記したいと思います。
山々、先住民の文化、古き時代の面影との出会い、各地のおいしいご飯、そして、そして、台湾の人々の優しさ。現地で出会った台湾の人々の家族のあたたかさに、「家族っていいなー」と、つくづく思いました。これは、台湾に来たからこその、自分自身の心の奥にあった気持ちへの再発見となりました。台湾の人々のびっくりするぐらいの親切な国民性は、この家族の仲の良さが土台となっているのではないかと感じたものです。家族とは、やはり、人間のすべての営みの土台となる大事なものだと思います。
思い返せば、人々からの親切は、お遍路の時にもたくさん頂き、感じたものです。
そう思うと、シンプルに歩いて旅をするという行為が、人々と出会える道なのかもしれません。それは、いわゆる電車・バス旅では出会えない出会いがたくさんあったからです。つまりは、歩き旅の移動の速度がそれを可能にするのでしょうか。のんびり歩くとは、いいものです。その歩速は、地元の人々に話しかけてもらい、こちらからも話しかけられる速度なのでしょう。街から街へ、駅から駅へと、点から点への移動で飛ばされてしまっていたその間の空白を歩くことで、たくさんの物語に出会いました。
バックパックひとつ背負って、異国を歩く。我が身ひとつを世界に晒すというのは、勇気がいるものです。しかし、いつものコンフォートゾーンの殻を破って出た先の世界には、たくさんの出会いが待っていました。ニュージーランドでお世話になった、石油や電気を使わずに暮らす家族のお母さんの言葉を思い出します。
「ヒッチハイクは大好きだわ。宇宙に身を任せて、巡り合わせを楽しむのよ。ヒッチハイクでどれだけたくさんの素敵な人々と出会ったことかしら」
ぼくの旅の経験でも、勇気を出して自分を晒して、道で音楽を奏でたり、自分の作品を道に並べて売ったりしたことで、人々との思いがけない繋がりが生まれ、その出会いが入り口となって、世界がより豊かに広がっていきました。
そうですね、このような20代からの旅の経験を経ての今回の歩き旅でしたが、UL化したことによって、この「晒す」という行為がより軽やかにできるようになった感覚です。だからこそ、これだけたくさんの人々と出会えた今回の台湾歩き旅だったのかもしれません。



歩き旅終了後に、再び会いたかった人たちに会いに行きました。
台湾への感謝を胸に
さあ、ぼくのはじめてのUL歩き旅のまとめもこんなところですかね。
旅を思い出しながら書く作業は、改めての気づきがたくさんありました。「文字にする」というプロセスを通したからこそ、より意識に定着化させていくことができたように思います。意識下にあることで、日常にも活かしていける気持ちです。
そして、旅を振り返り言語化してみて改めて感じた一番のことは(もう、何度も、何度も、言っていてしつこいですが、やはり、最後にもう一度)、台湾の方々への感謝の気持ちです。台湾での時間を思い返せば「本当に親切にしていただいたなぁ」との言葉とともに、胸の内にあたたかな感触が流れていきます。
そうなのです、いくら大自然を歩いて旅したなどと言っても、時間が経ってもずっと心に残っているものは何かと問われたら、それは、人々から受けた「親切心」のあの質感なのです。人と人との触れ合いこそが、人の心を育てていく一番の滋養なのかもしれません。人間こそが、何にも代え難い豊穣の大地なのです。
旅で出会ってくれた人々に、感謝の気持ちでいっぱいです。この感謝の気持ちをこの先も育て、次に繋げていきたいです。

帰国前夜の台北での演奏会にて。
これにて、「ぼくの台湾歩き旅」完結です。1年にも及ぶ連載にお付き合いくださり、ありがとうございました。
また、いつか、次の旅のご報告もできましたら幸いです。みなさまも、佳き旅の日々を!






















