#7 小松ゆり子:触れる(前編)
構成/文:渡邊卓郎
編集/写真:三田正明
#7 小松ゆり子:触れる(前編)
構成/文:渡邊卓郎
編集/写真:三田正明
山と道HLCディレクターの豊嶋秀樹をホストに、身体行為としてのハイキングをリベラルアーツ(生きるための学問)として捉え、同じく身体行為である「見る」ことや「聞く」こと、「食べる」ことなどを手掛かりに、ハイキングのその先にある価値と可能性を探っていく連載『HIKING AS LIBERAL ARTS』。
連載#7の前編となる今回は、セラピストとして20年以上活動を続け、現在はアロマセラピー、ストーンメディスン、エサレン®︎ボディワーク、クリスタルヒーリング、筋膜リリースなどを統合したオリジナルメソッド「ヴァイタル・タッチセラピー」や各種講座を提供する小松ゆり子さんに、「触れる」ことの効用や意義について話を伺った。
「触れる」ことを通じて、私たちは日々、外界とつながっている。だが、その行為をより深く紐解いていくと、実はそこには想像していたよりもっと大きな地平が広がっていることに気づくはず。小松さんの話をヒントに、もっと世界と、他者と、そして自分自身と触れ合ってみよう。
取材メモ:豊嶋秀樹
『HIKING AS LIBERAL ARTS』は、「人間を自由にする生きる術=リベラルアーツ」としてのハイキングの可能性を深く掘り下げる連載です。これまでに多方面で活躍する6名の専門家から、「見る」「きく」「食べる」「呼吸する」「薬」「こもる」といった多様な切り口から、僕たちの身体と向き合うための基礎的かつ根本的な技術を教わってきました。
今回の講師は、セラピストの小松さんです。取材に先立ち、僕は小松さんがセラピスト向けに開講している講座の資料を拝見し、実際にいくつかのボディワーク(身体技法)の施術を体験させてもらいました。
身体へと直接アプローチするボディワークの本質は、本来であれば、みなさんにも実際に施術を受けていただくことでしか伝わらない感覚もあるかもしれません。
この記事では、「セラピー」と「ハイキング」の交差点、そしてその奥にある理由や仕組みをたっぷりと紐解いていきます。この対話が、みなさんのハイキングに対する解像度を、また一歩深める契機となれば幸いです。
それでは小松さんに、「生きる術」としての「触れる(ボディワーク)」について、じっくりとお話を伺いましょう。

小松ゆり子 Touch for World/身体共鳴研究室 代表。「人生の羅針盤となる身体を育む」をテーマに、音楽業界を経てソマティックからエソテリックまで扱うセラピストとして20数年活動。アロマセラピー、ストーンメディスン、エサレン®︎ボディワーク、クリスタルヒーリング、筋膜リリースなどを統合したオリジナルメソッド「ヴァイタル・タッチセラピー(禊セッション)」や各種講座を提供。2023年より、身体・空間・意識の共鳴を探究する「身体共鳴研究室」を開室し、惑星音叉やYield Embodiment®︎Orchestration(イールドワーク)を用いた施術・研究を重ねる。2025年の乳がん罹患・治療を経て12年続いた南青山を離れ鎌倉へ移住、現在は快癒し鎌倉を拠点に東京(代官山)ほか各地で活動中。
触れることは根源的なコミュニケーションの手段
——まずは読者の方へ、小松さんの自己紹介をお願いできますか。
現在は鎌倉を拠点に、セラピストとしてのセッションや講座を行っています。実は、去年1年間は乳がんの療養生活を送っておりまして、それが最終的に昨年鎌倉へ移住するきっかけになりました。鎌倉の環境に合わせて施術内容を調整し、東京と鎌倉の二拠点で本格的に活動を再開し始めたところです。
20代はレコード会社のプロモーターとして8年ほど働いていました。セラピストになってからは24年ほどになりますが、インタビューなどではよく「異色の転身ですね」と言われます。ただ、自分の中では就職先が「五感業界」だったというイメージなんです。聴覚や視覚が優位だった仕事から部署異動して、嗅覚のアロマセラピー、そして触覚のボディワークの世界へ移ってきた感覚です。最近はまた音のことも含めて聴覚を捉え直したり、クリスタルヒーリングで視覚を扱ったりと、五感を生き生きとさせる仕事が一貫して好きなのだと思っています。
セラピストというと「身体を良くする人」という印象が強いかもしれませんが、私は身体と心が生き生きとした関係性であるように「再教育」していくことに深い興味があります。それは「ソマティック(身体的)」という概念に基づいているのですが、現在はそのソマティックと、さらにそれを超えた「エソテリック(秘教的)」な領域をどう取り扱っていくかが、私の一番の関心事です。
——小松さんが具体的に提供されているセラピーのメニューについて、教えていただけますか。
一番大きいのは、オイルトリートメントのカテゴリーです。カリフォルニアにあるエサレン研究所で生まれたボディワークである「エサレン®︎ボディワーク」をベースに、これまで学んできたことを盛り込んだオリジナルな施術を行っています。「エサレン®︎ボディワーク」はオイルトリートメントなのですが、施術者と受け手が一方通行ではなく、「ともに在る」という感覚を大切にしているのが特徴です。
——昨日は事前に、僕も初めて小松さんの施術を体験させていただきました。100分ほどかけての盛りだくさんなコースでした。実際に体験したことで、自分の理解も深まったと感じています。
今回は「触れる」をテーマにしていますが、以前にお会いした時に「触れることは根源的なコミュニケーションの手段である」という言葉を教えてもらったのですが、まずはこのあたりからお話をお聞きしたいです。
例えば、お猿さんの話になるんですけど、猿山を見ていても、喧嘩をしている猿と毛繕いしている猿がいるじゃないですか。でも、その喧嘩してた猿も仲直りして、毛繕いをし合ったりする。言葉がなかったとしても、まずその触れ方ひとつで、それが敵対になるか親愛になるかっていうのが分かれるんですね。
人間は地球で唯一、言葉を獲得した生物ですが、言葉を使うからこそ思いが伝わりにくくなる場面もありますよね。一方で、言葉をかけることもできないほど落ち込んでいる人に、そっと背中に手を当ててあげるだけで「ここにいてくれるんだな」と、言葉以上に豊かに気持ちが伝わることがあります。タッチの質こそが、コミュニケーションの質を分ける原形なのだと思っています。
——私たちは皮膚を通じてタッチを感じ取っていますが、そもそも皮膚とはどういった器官なんでしょうか?
皮膚には様々な階層があります。普段は意識せずに生きていますが、自分とそれ以外(外界)との境界線が皮膚なんですよね。解剖学的には、実は食道や胃の内部も「外界」とつながる外側とされています。ちくわの穴の中が外側であるのと同じですね。
皮膚を通じて世界を感じる。ハイキングをする方も、外気を感じたくて山に行くのだと思いますが、それを最初に味わうインターフェースが、皮膚や粘膜といった身体の表面です。そして私は解剖生理学を学んで一番最初に「へー!」ってなって、未だに「へー!」ってなるのは、皮膚と脳と神経は、進化の過程で同じ「外胚葉(がいはいよう)」から分かれたということです。つまり、皮膚を優しく撫でているということは、時間をぎゅっと巻き戻せば、脳や神経に直接触れていることと同じなのです。大人になって神経に触れられる経験といえば歯医者くらいですが、それほど鋭敏な場所にタッチという手段でアプローチしているということなんですね。それは大切にした方がいいに決まっているよねという感覚になったし、それを改めて講座とかで伝えるだけでも、やっぱりセラピストさんのタッチの質が変わるので、こうした解剖学的な知識を入れておくのは大事だなと思っています。
——ハイキングも、まさに皮膚感覚の集大成のようなところがあります。自然の中で木や石に触れたり、川の水に手足を浸したりと、ひたすら皮膚を通じて世界に触れ続けている。最近では裸足に近い感覚で歩くベアフットサンダルや、実際に裸足で歩くこともありますが、皮膚感覚について知ることで、ハイキングから得られる体験をさらに最大化できそうです。
本当にそうですね。今回の取材に向けて、あらためて自分の考えをまとめ直す中で、「ハイキングはすべての皮膚感覚の要素を網羅しているな」と感じました。ハイキングで得られるタッチの効果みたいなものがあるとしたら、それは「皮膚感覚を通じて生命を豊かに感じる」ということにあると思います。同じ山を歩くのでも、修験道の修行のように自らを追い込んで、死のギリギリまでいってから生命体の感覚を取り戻すみたいなものもありますよね。私はテレビで見たことがあるだけなんですけど、山の中で掛け声をかけながら自分を追い込むように歩くのを見ていた時に「自然を感じるといっても、修行ではオキシトシンが出ないな〜」と思ったんで(笑)。私は普段そこまで頻繁にハイキングをするわけではありませんが、ハイキングに行く良さというのは、山の空気を身体にインストールすることで、都会に戻っても動物としての生命体の感覚を取り戻せる、ある種の調整のリソースになるのかなと思います。

ハイキングとオキシトシン
——まさにハイキングの大きな効能のひとつですね。先ほど「オキシトシン」というワードが出てきたんですが、「オキシトシン」ってなんですか?
オキシトシンは、脳下垂体後葉から分泌されるホルモンです。「絆ホルモン」や「愛情ホルモン」とも呼ばれており、「タッチの効用」としてこのオキシトシンの分泌が促されることは、よく知られています。20年前は一般的にはあまり知られていないホルモンでしたが、今ではメディアでも頻繁に取り上げられ、広く知られるようになりました。特にコロナ禍を経て、その重要性がさらに浮き彫りになったと感じています。コロナ禍では「感染を防ぐために触れ合わない」という選択がなされましたが、その反動で人々は別の形でオキシトシンを求めました。
実は、直接触れ合わなくてもオキシトシンを分泌させることは可能です。例えば、コロナ禍で流行した芸能人のインスタライブを観ながら一緒にご飯を食べる「共食(きょうしょく)」の、バーチャルな体験。画面越しかもしれないけど、大好きな芸能人が「一緒にご飯食べよう」「いただきます」って声をかけてくれて、共に食べてるっていう感覚になるので、あれ、めちゃくちゃオキシトシンが出る、シンプルないい話だったんですよ。
例えば、遠方に住むおばあちゃんが孫に会えなくて寂しい時、オンラインでつなぎながら、孫の代わりにモフモフしたぬいぐるみを撫でて、一緒にご飯を食べる。これだけでも「ひとりじゃない」という感覚が得られ、オキシトシンが分泌されて心が安定します。コロナ禍でビデオ通話などでつながろうとしたのは、人々が触れ合わずに「触れる」感覚を求めた結果だったのでしょうね。
——ある種のバーチャルの世界も効果があるんですね。
バーチャルだったとしても、なんです。コロナ禍のNHKの番組で、世界有数の頭脳たちが自宅からリモートでコロナを語るみたいな番組を見て、これからの社会はどうなるとか、散々堅苦しいことを語った後に、「最後に一言お願いします」って言われた学者の方が、犬を撫でながら「犬を飼え。絶対」って言ったんです(笑)。それまですごく難しい話をしてたのに、最後は「犬はいいぞ」で終わって。でも多分、あの時は犬を飼うってことが本当にすごく大事だったんですよ。犬は人間の目を見て愛情を伝えてくる、パートナーシップを持てる動物です。柔らかい毛並みに触れ、見つめ合うことで、双方にオキシトシンが出るんですね。
ここで注意が必要なのは、オキシトシンが有名になったことで「触ればつながりが深まる」と誤解され、ボディタッチばかりが推奨されることがある点です。信頼関係がない状態でのタッチは、逆にオキシトシン値を下げてしまうという実験結果もあります。「嫌だ」という気持ちがあると分泌は急激に下がります。まず声をかけ、眼差しで触れ、信頼関係という土壌があって初めて、直接的なタッチが効果を持ちます。双方の関係性ありき、というのも重要なポイントです。
——前提としての信頼関係があれば、ハグなどによって血圧などが下がって安定してくると。
そうです。日本人はラテン系の人たちほど日常的にハグやキスをしないので、もしかしたらオキシトシンの視点でいうと、満たすタイミングが少ないかもしれません。コロナ禍でもそれほど生活様式の変化に困らなかったのも、その国民性が関係しているかもしれませんね。
——面白いですね。ハイキングに話を戻すと、ある記述にあったのですが「五感にとって心地よいことはすべてオキシトシンの分泌につながる」という点において、自分が心地よくなるための資源を豊富に用意しておくことが、自己コントロールや調整につながると言えそうです。その意識を持って山に入れば、効果を自覚的に高められますね。
今まで無自覚に「リフレッシュしたい」と山に行っていた行為の理由が解剖生理学的に理解できれば、「あ、この時間は本当に自分にとっての調整時間になってるんだな」っていう自覚が得られると思うんですね。 植物や水に触れ、足裏で地面の起伏を感じ、鳥や風の声を聞き、みんなでおいしいお弁当を食べる。誰かと一緒に食べる「共食」によって、満足度はさらに高まります。人に淹れてもらったコーヒーがインスタントでもおいしく感じられたりするじゃないですか。あの感じはやっぱり、人に手をかけてもらったっていうのがオキシトシンを高めて、満足度が高いんじゃないかなと思うんです。
——なるほど。山の中で急斜面を必死に登りきった瞬間に、視界が開けて解放されるような感覚、あの「緊張と弛緩」や「抑圧と解放」のようなメカニズムも、こうした身体の仕組みと関係があるのでしょうか。
深く関係しています。「身体感覚」や「内なる身体の声」を通じて、心身の不調やトラウマを癒やす「ソマティック」を実践する“ソマティック界隈”では最近、自律神経系の新しい理論である「ポリヴェーガル理論(多重迷走神経理論)」が注目されています。ポリヴェーガル理論では、副交感神経をふたつの系統に分けて考えます。副交感神経の主体である迷走神経には、脳からの出口によって、お腹側の「腹側(ふくそく)迷走神経」と、背中側の「背側(はいそく)迷走神経」があります。
「腹側迷走神経」は生物が哺乳類に進化する過程で発達したもので、他者とのコミュニケーションやつながりによって自分を安定させる、安心・安全のためのリラックスを司ります。「背側迷走神経」は爬虫類の時代からある古い神経系で、生命の危機を感じた時に自己防衛として「死んだふり」や「凍りつき」を起こす働きがあります。例えば、サバンナでチーターに追いかけられた小動物が、「もうやられる!」ってなった時の最後の手段として、コテンッと急に倒れて死んだふりをすることがあるのを映像で見たことありませんか? あの時って、仮死状態になっているんです。チーターは基本的に自分で仕留めた動物を食べるので、生きる望みをかけての行動ですね。で、生き延びたらブルブルブルっと緊張を発散して仮死状態から戻ります。「死んだふり」や「凍りつき」の状態っていうのは、緊張が極まりに極まった状態なんですよね。
実はこの「凍りつき」が現代人にも起きてるんじゃないかって言われているんです。 昔の若者は分かりやすい暴れ方をしてましたよね。校舎の窓ガラス割るとか。暴れるっていうのはプレッシャーが高まった交感神経優位の状態を発散しようとしている行為なんです。でも、 今の子は引きこもっちゃうんですよね。 緊張しすぎてもう動けない、ただただ巣穴にこもって神経系がリカバリーするのを待つ、みたいな。動物時代からあんまり私たちの神経系ってそんなに進化してないから、それに対して世界の刺激が強すぎるんだと思うんですよ。
——それもAI社会の情報の多さがもたらしている現象というわけなんですね。
ポリヴェーガル理論をベースにした「緊張と弛緩」の話でいうと、例えば藤本靖さんという神経生理学の研究をおこなっているボディワーカーの先生がいるんですが、岐阜の郡上で藤本さんが主催しているヘルスツーリズムの合宿に参加したことがあります。自然の中でさまざまなアトラクションを楽しむ中に「腹側迷走神経」と「背側迷走神経」を行ったり来たりさせるような、神経系の自己調整力を取り戻すワークが織り込まれているんです。例えば、川遊びの冷たさには一瞬「うわっ」と緊張するけれど、その後に水に身体が慣れてきて「楽しい!」と緩んでいく。現代人は交感神経や背側迷走神経の側に行きっぱなしになりがちです。そこに1回、自然の中で心地よい弾みをつけて「陰極まって陽となる」ような揺らぎを与えることで、神経系が弾力を取り戻していくイメージです。
——興味深いですね。ハイキングで急な傾斜を登って「きつい」と感じ、それを超えて安全安心な山頂にたどり着くプロセスは、まさに神経系を安全に行ったり来たりさせるトレーニングになっているわけですね。
まさにそうです。ハイキングの素晴らしさは、危険な登山とは違い、終わらない坂道はないという安心感の上で、神経系を鍛えられることだと思います。蛇が飛び出してきて「ビクッ」とする瞬間も含めて、神経系のトレーニングになっているんです。もちろん安全な範囲の蛇ならですが(笑)
しかも、ハイキングには「いい匂いだな」「光が気持ちいいな」といったポジティブなリソースが多いですよね。生命の危機のボリュームが大きい修験道の修行とは異なり、安全に戻ってこられる土壌があるからこそ、身体を健やかに調整できるのです。
——ハイキングが終わって帰る時の「あぁ、すっきりした」という感覚は、肉体は疲れていても神経系が喜んでいる状態なんですね。次の質問ですが、皮膚感覚と心の状態の相関関係について、もう少し詳しく教えてください。
シンプルな例を挙げると、温かいお茶を差し出された時に、なんとなく心も温かくなる感じだったり、お茶を出してくれた人が、優しい人なのかも? っていう気がしちゃうみたいなことは、皆さん経験あると思うんですけど、これって、脳の中で心の状態を感じる場所と、皮膚からの情報を処理する場所が非常に近いので勘違いしやすいからなんです。例えば、ラグジュアリーなブランドなどでは、VIPのお客様に温かいお茶や甘いものを出して顧客の心理的満足度を高める、といったアプローチが行われていたりしますね。
また、動きと心の連動って絶対にあって、 背中を丸めて猫背の状態で、心だけをめちゃくちゃ明るく保つのは難しいですし、逆に胸を張って上を向いた状態で、深く落ち込むのも困難です。楽しいから笑うだけでなく、口角を上げると笑う形になりますよね。 そうすると、なんだか気持ちが弾んでくる。体をしっかり開く方に使っていくっていうのは、心の状態にもすごく関係しているんです。
——楽しく歩くこと自体が、心を前向きにするアプローチになるんですね。
「歩行」という左右交互のリズミカルな運動は、注意が一点に固定されにくいため、頭の中のネガティブな反芻がほどけ、問題を俯瞰しやすくなったり発想が広がったりするそうです。
さらに、山道のような未舗装路のハイキングでは、傾斜、木の根、石、土などによって常に複雑な重心調整が起こります。これにより、足裏の感覚だけでなく、脳の中のバランス感覚を司る「前庭(ぜんてい)感覚」や、身体の各部位の位置を把握する「固有受容覚(こゆうじゅようかく)」が激しく活性化されます。現代人は平坦な床の上で過ごすことが多いため、これらの感覚入力が不足しがちですが、ハイキングは、今ここで身体が何を感じているかという感覚を、意識せずとも自然に回復させてくれる機能を持っているのでしょうね。
——普段、街中を歩くときは勝手に自動処理して歩いてしまっていますが、一歩一歩の複雑な足裏の感覚を意識し出すと、身体がいかに緻密なことをやってのけているかに気づかされます。
「エサレン®︎ボディワーク」のトレーニングをバリ島で1ヶ月間受けた時のことなのですが、研修の最終盤、技術的にも成熟してきた頃に、「2人1組になり、ひとりは目隠しをして、もうひとりがその人をアテンドしてライステラス(棚田)を歩く」というワークを行いました。バリのライステラスはとても足場が悪いのですが、相手を信頼して手を引かれながら、様々な自然の質感に触れて歩く。その後、目隠しのまま100分のフルボディセッションを受けました。
そのとき生徒全員が「今日が人生でベストなマッサージだった!」と絶賛したんです。目隠しをして足場の悪い場所を2時間ほど歩かされたことで、触覚が極限まで鋭敏になり、目が見えなくても、自分の身体の輪郭をセラピストの手が丁寧に、注意深くなぞってくれる感覚が、とてつもない心地よさとして押し寄せました。ワークが終わった後、先生から「今日はウォーキング・メディテーション(歩行瞑想)の時間でした」とも明かされました。身体を丁寧に使い、感覚を開いた果てにあるタッチは、受け手にとっても極上の体験になるという素晴らしい学びでした。

ハイキング・アズ・セラピー
——エサレンボディワークが生まれたエサレン・インスティテュートの歴史を紐解くと、1962年にカリフォルニアのビッグサーで設立されていますよね。その時代のアメリカ、特に西海岸は、私たちが現在楽しんでいるバックパッキングやハイキング、サーフィン、バックカントリースキーといったアウトドアアクティビティの黎明期とも重なります。エサレンの「何を変えようとするのでなく、ただ、いまここで起きている体験とともに在り続ける」「身体の全体性と、ひとつ一つの部分のつながりを取り戻す」という哲学は、そのままハイキングの精神にも通底していると感じます。
オイルトリートメントや他者へのタッチは、ポリヴェーガル理論でいう「共同調整」、つまりセラピスト側の安定した神経系を使って相手の神経系を共鳴させ、調律していく作業でもあります。これは「誰かといることによるリラックス」です。
それに対してハイキングの素晴らしいところは、自分ひとりでも「自己調整」の時間を持てる点です。先ほどお話しした「背側迷走神経」は、危機を感じた時は「凍りつき」として働きますが、危険を感じていない安全な状況では「ひとりで静かにリラックスする」ための神経としても働きます。リラックスには、「誰かと一緒にいる安心のリラックス(腹側)」と、「ひとりで静かに休むリラックス(背側)」の2系統があり、例えば、子育て中のお母さんが心に余裕をなくしちゃうのは、ひとりで静かに神経系を労う時間(背側迷走神経の時間)が圧倒的に不足しているからです。ひとりの時間をつくって自己調整ができれば、また子どもと関わる心の余裕を取り戻せます。
ハイキングもそうやって2種類のリラックスに使えるんじゃないかと思うんですよね。 いつもは誰かと行ってるけど、最近はちょっとそういう気分じゃないみたいなところがあったら、ひとりで行くっていうのもすごくいい神経系の調整になってると思います。
——なるほど。まさに「ハイキング・アズ・セラピー」ですね。また新しい視点が宿りそうです。ひとりで自分のペースでじっくりリラックスして歩くからこそ、身体の調子が劇的に良くなっていく。それは他人のペースに合わせる環境では、なかなか経験できない領域かもしれませんね。
触れることで育まれる神経系
——「触れる」ことの意味についても深掘りしたいです。言葉を交わす以前の根源的なコミュニケーションとして、タッチは私たちの心身や、他者との関係性の構築にどう作用しているのでしょうか。
赤ちゃんの時は、他者とのつながりを司る「腹側迷走神経」がまだ未発達な状態です。養育者が触ってコミュニケーションしてあげることで、「腹側迷走神経」も育っていくし、それが愛着の形成とか、発育にもすごく関わりがあるといいます。
歴史のなかには、神聖ローマ皇帝のフリードリヒ2世が行った、子どもに一切触れずに育てたらどうなるかという残酷な実験の記録がありますが、結果として子どもたちはみんな死んでしまいました。外界からのタッチという刺激に対して神経系が反応し、そのプロセスのなかで様々な身体機能が発育していくため、刺激に弱い状態のままになっちゃうんです。孤児院などの環境であっても、頻繁に触れられ、抱きしめられて育った子のほうが、ガラスケースのなかに隔離されて綺麗に育てられた子よりもずっと元気に育つというケースがあるのも、まさにタッチが持つ発育への効果です。
それがゆりかご期だとしたら、老年期にも当てはまります。徘徊や暴言、不眠に悩まされていた認知症の方が、優しく触れられるケアを受けるうちに、突然「ありがとう」と穏やかな言葉を発し、周囲の家族が驚くという光景がテレビとかでも見られますけど、触れられることで、自分と外界との境界線がはっきりするんです。「ここにいる」という感覚が、頭というより体で理解できて、安心するんです。
我が家にも14歳になる老犬がいて、最近は目も見えなくなって動きも悪くなり、「要求吠え」が激しくなってきました。でも、抱っこしてあげると7〜8割はすぐに落ち着きます。最終的には私の膝の上に乗って安心したいだけなんですよね。これも犬と人間の間に働くオキシトシンの効果だなって思います。タッチは医療、介護、福祉、子育て、心理支援など、何にでも使えますよね。

——その場合のタッチというのは、やっぱり「手」で行うのが一番良いのでしょうか。
手以外というと、たとえば?
——たとえばハグのような体と体の触れ合いなのか。あるいは、この「手」自体に何か特別なマジックがあるのでしょうか。
エビデンスは一度脇に置いておきますが、手からのアプローチだと直接的すぎて緊張してしまう場合でも、背中と背中を合わせるだけで、ものすごく心地よく感じられることがあります。ですから、必ずしも手でなくても構いません。先ほどお話ししたように、温かい眼差しや声かけだけでもオキシトシンは分泌されるので、それらも広い意味での「タッチ」と言えます。
他者からの直接的な接触が苦手な人が、心理カウンセリングの現場などでよくクッションをぎゅっと抱きかかえながら話していますよね。あれもクッションを通じたセルフタッチであり、身体を安定させるための感覚なんです。
手を使ったタッチを受け入れられる状態であっても、施術の際、横になっている人にいきなり手のひらで触れていくと、相手に緊張を与えてしまうことがあります。そのため、私はまず手の甲側で相手の身体に近づき、そこで軽く触れてから、手のひらをひっくり返して密着させるというアプローチをとっています。手のひらだと「能動的に掴みにいく」という感覚が相手に伝わり、身構えさせてしまうことがありますが、手の甲であれば「敵ではないですよ」とお知らせする、能動性の弱い触り方になります。
——手だと、相手を「掴む」こともできてしまうという怖さがありますもんね。
そうなんです。手の甲であれば掴むことはできないので、「ここに触れていますよ」とソフトにお知らせするコミュニケーションになります。注射のうまいお医者さんや、腕の良い鍼師さんは、針を刺す前に「ここに刺しますよ」とトントンと優しく触れてからアプローチしますよね。いきなり刺されるのと、お知らせの段階があるのとでは、受ける側の神経系の緊張がまったく違います。
——まさにタッチそのものが丁寧なコミュニケーションですね。
握手はお互いに「よろしく」という合意のうえで行うから成立しますが、対人のタッチでは、合意のない強いアプローチは警戒心を生みます。そういう繊細なメカニズムを知っておくだけでも、触れ方は大きく変わります。
一般的に知られているところでは、緩和ケアの現場でタッチはよく使われます。あるがん患者さんで痛みが非常に強い方がいて、そのパートナーの方から「末期でもう何もしてあげられないけれど、アロマの香りで少しでも元気が出るオイルを作ってほしい」と頼まれたことがありました。私はオイルを調香し、「これは患部を治すためではなく、コミュニケーションのためのオイルなので、触れても大丈夫な場所に心を込めて塗ってあげてください」とお渡ししました。後日、患者さんが「ものすごく気持ちがいい」と喜び、痛みの感覚も明らかに軽くなったと報告を受けました。これは安心できるパートナーが、心を込めて優しく触れるからこそ、リラックスして痛みが緩和されるのです。
でも、発達障害の傾向があるお子さんのなかには、触られるのを極端に嫌う子もいます。そうした場合は、無理にこちらから触るのではなく、「相手にこちらを触らせてあげる」という手法をとります。相手がこちらに触れるということは、結果としてこちらも相手に触れている状態になる。こちらからのアプローチを嫌がって逃げてしまう子でも、自発的に触らせてあげる形をとることで、タッチの効果を共有することができます。
【後編へ続く】





















