#7 小松ゆり子:触れる(後編)
構成/文:渡邊卓郎
編集/写真:三田正明
#7 小松ゆり子:触れる(後編)
構成/文:渡邊卓郎
編集/写真:三田正明
山と道HLCディレクターの豊嶋秀樹をホストに、身体行為としてのハイキングをリベラルアーツ(生きるための学問)として捉え、同じく身体行為である「見る」ことや「聞く」こと、「食べる」ことなどを手掛かりに、ハイキングのその先にある価値と可能性を探っていく連載『HIKING AS LIBERAL ARTS』。
#7後編となる今回も、セラピストの小松ゆり子さんに「触れる」ことについてより深く話を聞いていく。「ファシア(筋膜)」「テンセグリティ」「イールド」「経絡」「背面意識」など、興味深いトピックが次々と現れる一方、今すぐできるワークも紹介。あなたのハイキングやライフにも、きっと新しい視座が加わるはずだ。
ファシアとテンセグリティ
――ここ(前編)まで「タッチ」についてお話いただきました。次に、一昨日受けた施術の時に教えてくれた「ファシア」についてお聞きしたいと思っています。ファシアとは、身体の中の「膜」という理解をしているのですが、合ってますか?
豊嶋さん、ファシアに興味津々でしたよね。ファシアは「膜」っていう理解で基本的に大丈夫です。でも実際はもう少し複雑です。「筋膜」という言葉はよく聞くと思いますが、筋膜もファシアです。もっと言うと、臓器、骨、筋肉、脂肪、靭帯、血管、神経などの組織を覆う膜の総称ということになります。
ファシアを視覚的に理解するために、ジャン=クロード・ギンベルトーというフランスの医師による『人の生きた筋膜の構造』(医道の日本社刊)という素晴らしい本があります。生きた人間の組織のなかに内視鏡カメラを入れて撮影した写真が掲載されているのですが、例えるならば「蜘蛛の巣に朝露がびっしりとついているような世界」で、ものすごくみずみずしいんです。

AI生成によるファシアの概念画像
「筋膜」というと、私たちはどうしても筋肉を包むピチッとした1枚のシートのようなものをイメージしがちですが、実際は微細なネット構造(網目状の結合組織)が全身でつながり合っている、美しいフラクタル構造(※一部を取り出して拡大すると、全体とよく似た形が現れる構造)をしています。
――皮膚のすぐ下にそんな世界が広がっているんですね。
以前、アメリカで、冷凍保存されたご献体を5日間かけてひたすら解剖していく実習に参加したことで、本で見た写真のそのリアルな構造が腑に落ちました。
解剖の初日は、皮膚と脂肪層を切り分ける作業から始まります。メスを入れ、鉗子(かんし)で引っ張りながら進めていくのですが、まさに鶏肉の皮の裏にあるあの白い薄膜のようなファシアを、ひたすら切り開いていくんです。5日間、全身の組織を切り分け続けると、「身体のなかで、つながっていないものは何もない」という圧倒的な事実に気づかされます。すべてがつながっているからこそ、解剖のときにはそれらをわざわざ「切り離す」作業が必要になるわけです。
――筋膜剥がしとか筋膜リリースってよく言われていますが、そう簡単に剥がれるもんじゃないんですね。
そうなんです。剥がれるわけがないんですよ。 まあ言葉の“あや”だっていうのはわかるけど、実際剥がれたらやばいですね。 筋膜が骨や筋肉からペラリと剥がれるわけがありません。実際は、ファシアとファシアの間の滑りが悪くなって固着してしまったコリに対して、その滑りを良くしてあげるのが正しいアプローチです。
ファシアは筋肉のためだけのものではありません。骨に付着するものも、内臓と内臓の隙間をつないでいるものも、すべてファシアです。ですから「結合組織」と呼ぶほうが、より本質に近いですね。この全身の結合組織にヨレや固着があると、身体はスムーズに動かなくなっちゃいます。
ここで身体の「テンセグリティ構造」の話につながります。テンセグリティとは、アメリカの発明家であり思想家であったバックミンスター・フラーが提唱した、硬い圧縮材(棒など)が互いに接触せず、連続した張力材のバランスによって形を維持する建築概念です。
――「Tension(張力)」と「Integrity(統合)」を組み合わせた造語ですね。
これは私が以前、構造家の方のワークショップで作った「ベクトル平衡体」というテンセグリティの模型です。木製の棒に、三角と四角の複雑なネットワークになるよう糸を1本ずつかけ続けていくのですが、途中まではぐにゃぐにゃして形になりません。しかし、最後の数本をかけた瞬間に、全体の張力がパーンと完成して、カチッと自立した立体構造になるんです。どこか1箇所の糸がプチッと切れると、全体が一瞬でぺしゃんこに潰れてしまいます。

人間の身体も、まさにこのテンセグリティ構造そのものです。どこかが潰れた状態で固着してしまうと、それが身体の「歪み」や不調として現れます。しかし、適切なタッチを施したり、ファシアの固着を解いてあげると、身体全体のバランスがハマり、理想的なテンセグリティの弾力が戻ってきます。
豊嶋さんに体験していただいた「イールド」という、直接身体に触れない空間的なボディワークだけでも、この張力は不思議と戻ってくるのです。テンセグリティの張力が正しく働けば、身体は驚くほど軽くなり、自立します。
以前、イールドのワークショップを終えて、身体が仕上がった状態で電車に乗ったとき、電車がどれだけ揺れても自分の軸が全くブレず、まるで自分が1本の強固なポールのようになった感覚がありました。一緒に参加した友人も「私も! 今日の私たち、完全にポールだよね」と言い合うくらい、身体の中心線がスコンと通ったような体験でした。
――それは本来あるべき人間の状態なのですか? それとも、ワークによってもたらされた特殊な状態なのでしょうか。
その状態が維持できていたらすごい幸せだよねって感じの状態でしょうか。でも、人間が一番それを維持できないんじゃないかと思ったりします。なぜなら、人間は二足歩行を選び、そして「頭(脳)」を使いすぎる生き物だからです。
犬や猫は、高いところから飛び降りても力みがなく、天然の見事な受け身をとって9割方は何事もなかったように着地しますよね。四足歩行でバランスが整っている彼らは常に優れたテンセグリティを維持しています。一方の人間は、社会生活のなかで不自然な体勢のままパソコンの前に座り続けたり、スマホを凝視したり、頭のなかで常に何かを考え続けたりしています。意識が頭にばかり過剰に行きすぎることで、足元の感覚がおろそかになり、全身の張力バランスがどんどん崩れていってしまうのです。
東洋医学の「経絡」とファシアの融合
以前、イールドのセッションに、少しふくよかな体型のお客様がいらっしゃいました。カウンセリングで「強いて言えば少し腰が重いかな」とおっしゃるので、私は触れずに、ただ彼女の身体を見守り、安心できる場を作っていきました。すると、彼女の身体が自然と波打つように動き出し、セッションが終わったときには「いまだかつてないほど腰が楽になった」と深く感動されていました。
これは、どんな体型や身体的な歴史を背負った人であっても、今のその身体のままで「その人にとって一番良いテンセグリティのライン」が通れば、身体は一瞬で楽になるという例だと思います。筋肉を激しく鍛えるなどの身体改造をしなくても、重力に対して一番いいバランスにハマれたら、身体は整うのです。
――確かにどんなものでもバランスが取れるポイントって絶対ありますよね。
石積みとかもそうですね。どんなに歪んで見える石であっても、絶妙なバランスでピタッと積み上げられるラインが必ずあるのと同じです。地球の重力とどう調和するかなんでしょうね。
ファシアとテンセグリティがこうして解明されてきたことで、これまで西洋医学の文脈では「不可思議なもの」「スピリチュアルなもの」として片付けられがちだった東洋医学の現象も、「なんだ、最先端の生理学と同じじゃないか」と科学の言葉で説明がつくようになってきたんです。
――東洋医学でいうツボ(経穴)や経絡のネットワークが、生理学的なファシアの構造と重なり合いつつある、ということですね。
先ほどお話しした人体解剖実習は、世界の筋膜研究を牽引するトーマス・マイヤーズという方の主催でした。彼は著書『アナトミー・トレイン』のなかで、ファシアが全身を貫くいくつかの具体的なラインとしてつながっていることを提唱しています。そのラインが、東洋医学の経絡図と驚くほど一致しているのです。
世界中のボディワーカーから「これ、経絡と同じじゃないですか?」と何百回も聞かれたと思うんですけど、私がトーマス本人に直接尋ねたときも、「僕は東洋医学や経絡を一度も学んだことがないんだ。でも、僕が解剖メスを入れてファシアのつながりを追っていくと、自然とこのラインとしてつながったままきれいに切り出せてしまう。本当に不思議な一致だよね」と言っていました。

――ツボを押すと特定の臓器に効くというのも、ファシアのネットワークを伝うからなのですね。
鍼灸師でもない私ごときがする話じゃないかもしれませんが、最近の研究では、ツボとは内臓の不具合や炎症が、ファシアや神経系の経路を伝って表面に現れた「炎症の反応点(うっ血や痛み)」である、という捉え方もされています。そこに鍼や、私のように音叉を使って適切な振動刺激を入れることで、経路が逆算されて内臓へとアプローチが届くのです。なぜこれほどファシアへのアプローチが心身に効くのかというと、ファシアの組織のなかには、神経系のセンサーである「感覚受容器」が筋肉の何倍も、信じられないほど高密度に埋め込まれているからです。つまり、ファシアの話をしているということは、同時に神経系の話をしていることと同義なのです。
鍼灸師が手足のツボに1本の鍼を打つだけで、遠く離れた背中や内臓の不調にアプローチできるのも、ファシアという全身の伝達ネットワークを介していると考えれば、西洋医学的にも筋が通ります。
――東洋医学が大切にしてきた曖昧な全体性が、西洋のファシアというアプローチによって、共通言語化されつつあるのですね。以前この連載に登場してくれた、チベット医学のアムチ(医師)である小川康さんも、「チベット医学の脈診でおばあちゃんとじっくり対話して薬草を渡す。そこに近代科学的なエビデンスはいらない、お互いに効果があると信頼できていればそれでいい」というお話をされていました。それとも深くつながるものを感じます。
脈診(触れる)と、じっくり対話するというやり方は、前回お話ししたオキシトシン分泌にもつながりますね。これまでの現代医学は、臓器は臓器、筋肉は筋肉と、身体をバラバラに細分化して考える「分けすぎる医学」でした。「ここが悪いから切っちゃえ」みたいな話だったわけですよね。 しかし、ファシアにスポットライトが当たったことで、「全体がつながっているのだから、分けちゃダメじゃないか」という流れになってきている感じです。
ここで、「ファシア」を感じるための簡単なワークをしてみましょう。
ファシアのつながりを感じるワーク
- その場で立って前屈をし、今の身体の硬さや、床と手の距離を確認する。
- おでこの生え際(帽状腱膜)に指の腹を当て、頭皮を前後左右に揺らすようにして、1分ほどしっかりとほぐす。
- または、足の裏にゴルフボールやテニスボールを置き、体重をかけながら足裏全体でボールを1分ほどゴロゴロと転がしてリリースする。
- ほぐし終えたら、もう一度その場で前屈をしてみる。最初に比べて、スムーズに身体が前に倒れ、手が床に近づく変化(ファシアの背面ラインのつながり)を体感できる。
――ほぐす前と後では、あきらかに前屈の深度が変わりますね。
おでこから頭頂、背中、太ももの裏、そして足裏まで、身体の背面を1本でつなぐファシアの路線「スーパーフィシャル・バック・ライン」が存在しているからです。足裏やおでこを緩めると、その長大なネット構造全体が弛緩するため、全く触れていない腰や腿裏まで柔らかくなるんです。
トラウマ治療と身体
――少し話が変わりますが、トラウマに対するタッチの有効性についてお聞きしたいなと思うんです。僕自身の普段の実感としては、メンタルを触るより、フィジカルを触った方が早いという感覚があります。
その実感は、現在の世界の心理療法・トラウマ治療の最先端のトレンドと一致しています。これまでのトラウマ治療は、カウンセリングなど言語を用いた心理面からのアプローチが主軸でしたが、近年は「身体側からアプローチしたほうが効率が良い」ということに世界が気づき始めています。
その代表格が「ソマティック・エクスペリエンシング」というトラウマ療法ですが、そのベースにあるのが、先ほどお話ししたポリヴェーガル理論なんです。「ソマティック・エクスペリエンシング」だと、トラウマは心の問題ではなくて、身体の問題であるみたいな捉え方をしているんです。身体、さらに言うと神経系の問題ですね。神経系に働きかけることでトラウマが自ずとリリースされていくっていうやり方で、体からのトラウマアプローチっていうのが今すごく注目されています。
――頭でああだこうだと心理的なケアを試みるより、マッサージやハイキングで身体側のケアをしっかりやってあげるほうが、結果として心も自然と整い、クリアになるように思えます。
「筋肉は裏切らない」とか言う人がいるじゃないですか。 あれはあれで、別のアドレナリンを出しすぎの、ちょっと中毒みたいな気配も感じるんですけど(笑)。それでも 体を動かせるなら、散歩レベルのゆるやかな運動でも良いので動かしちゃった方がいいと思うんです。だけど、体を動かせないほどの人は、「背側迷走神経」が凍りついた状態っていうのになっていると思うので、そのときは、誰にも邪魔されないひとりの時間で、心ゆくまで神経系を休ませてあげることが最優先です。
――可能なら、日々の暮らしのなかで実践できる「触れることで身体が緩まるセルフケア」を読者に紹介したいのですが、小松さんが大切にされている視点を教えてください。
「緩む」「緩まる」「緩める」っていう言葉の違いについてよく考えたりするんですけど、なんとなく私は、自ずと「緩まる」がいいなと。 なんか「緩まる」っていうのは勝手になっていく感じがしていて。 じゃあどんな手段があるのかと言うときに、そのひとつが「触れる」なのかなと思っています。
――「触れる」が「緩まる」につながるんですね。
そうですね。前編でもお話ししましたが、触れることでオキシトシンが分泌されてストレスホルモンが軽減し、ファシアの受容器が反応して全身のテンセグリティが自ずと調整されていく。という理由はあるんですけれど、そういうことを知らなくても、触ればそういうことは勝手に起きているから、誰もができることだし、お金もいらないことだし、まずはそこから始めるといいんじゃないかなと思うんです。
でも、現代人は真面目ですから、「よし、身体に触れて緩めるぞ!」と意気込んで、力んだ手で身体を触ってしまいがちです。これでは逆効果になってしまいます。正解を求めて意気込んだ時点で自律神経は交感神経優位(緊張)に切り替わってしまうため、リラックスから一番遠ざかってしまう。だからこそ、私のクラスではいつも口を酸っぱくして「とにかく適当に、なんとなく、ただ身体にスッと手を置くだけにしてください」と伝えています。今日聞いた話も全部一旦忘れていいです、みたいな。 愛犬をなでるような緊張のない手で、ただ身体に「手を置く」。その感覚が何より大切です。
その場でできるセルフタッチのワークをやってみましょうか。
呼吸の受け取りワーク
- 楽な姿勢で座り、普通に何度か呼吸をして、今の自分の呼吸の深さや「入り具合」をチェックする(鼻から吸って、口から吐いて、頑張らずに眺めるだけ)。
- どちらの手でもいいので、片側の「鎖骨の下」の胸のあたりに、手のひらを優しく置く。
- 手のひらの下には、「肺」の端っこがみっちりと存在している。呼吸を通常モードに戻し、息を吸ったときに、内側から肺が膨らんで手のひらを押し上げてくる感覚を、ただ優しく手で「受け止めて」みる。
- 手のひらから伝わってくる、自分の身体の温もりに意識を向ける。触れている手の意識になってもいいし、触れられている胸の皮膚の意識になってもいい。やがて、その「触れている・触れられている」の境界線が溶け合っていく真ん中の感覚を、柔らかく感じてみる。
- 満足したら、そっと手を離す。そのまま何の意識もせずに自然に入ってくる呼吸をただ眺め、右胸と左胸での「呼吸の入りの差」を感じてみる。

――少しやっただけなのに、明らかに手を当てていた側の胸のほうが呼吸が深く入るし、不思議と右の鼻の通りまで良くなりました。
触れたことでそちら側の組織の感覚受容器が反応し、血流や水分の循環、ファシアの滑走性が上がった証拠です。肺の膨らみによって内側からマッサージされたようなイメージをするのもわかりやすいかもしれません。手のひらでベタッと「押し付ける」のではなく、向こうから膨らんでくるのを「受け止める」という意識のタッチだからこそ、ファシアが緊張せずに大きく動き出し、全身のテンセグリティへとリラックスが広がっていくのです。
ハイキングに行く前日の、夜寝る前などに、その日自分が「ここに手を当てたいな」と感じる好きな場所に、ただスッと手を置いて、内側からの呼吸の膨らみを受け取りながらそのまま眠りについてしまうのが、最高のセルフケアになります。

さらに一手間加えるなら、自分の好きなアロマを1滴ティッシュに垂らして枕元に置いておくのもおすすめです。人間は「良い匂い」がそこにあると、本能的にそれをたくさん嗅ぎたくなるので、意識しなくても勝手に深い吸気が起こり、吸ったら必ず深く吐くため、理想的な呼吸のリズムが自然に引き出されます。
――瞑想では呼吸に意識を集中させるものが多いですが、ただ呼吸だけを見つめようとすると、「正しく呼吸しなければ」と囚われて硬い集中になってしまいがちです。こうして身体に手を置くことで、圧倒的に「柔らかい集中」へと意識を持っていくことができますね。
そうなんです。もうひとつ、私のクラスでよくお伝えしている、その柔らかい集中を作るための「背面意識」のワークがあります。
私たちは普段、パソコンを見たり人と話したりするとき、意識の多くを身体の「前側」に突き出しています。これを、あえて自分の「頭の後ろ、背中、手の甲、二の腕の後ろ側」といった、身体の「背面」へと意識の半分をそっと回してみるのです。文字を読むときも、一生懸命目力を入れて見るのではなく、「後頭部で文字を見る」ような感覚で、ほんの少し意識を後ろに引いてみる。
これだけで、自律神経がふっと緩み、呼吸が深く入るようになるのを感じられるはずです。さらに身体に触れるとき、心の中で「ギュー」と思うと前側に意識がいって手が硬くなりますが、「パー」と呟いてみると、力が抜けていくんですよね。 この「背面意識」と「パー」というオノマトペを組み合わせて触れると、極上の柔らかいタッチになります。
――ハイキングなどの運動や、他の大事なシーンでも使えそうですね。
意識を半分後ろに置くことで、少し引いた視点からほんのちょっと俯瞰になる感じにつながるんですよね。 程よい緊張感を残したまま、最も実力が発揮されやすいゾーン状態に入ることができるのです。
――この感覚でスキーを滑ってみようかな。他に、ハイキングにも応用できそうなワークはありますか?
「空間のなかの居心地の良さを探すワーク」をやってみましょうか。触れないボディワークであるイールドのエッセンスを落とし込んだものです。誰かが決めたパワースポットではなく、犬が散歩の途中で「なぜか分からないけれど、絶対にここで立ち止まりたい!」と、その場にじっとしているのを見たことありますよね。あの状態に近い、右脳的な身体の欲求に従うワークです。
ハイキング版・空間探しのワーク
- ハイキングの途中、見晴らしの良いスポットなど、自分が「心地よいな」と感じる空間に出会ったら、荷物を下ろしてそのエリアを静かにゆっくりと歩き回ってみる。
- 左脳的な「ここが絶景だから」「ここにベンチがあるから」という判断は一度捨てて、自分の身体感覚(特にお腹のあたり)が「一番落ち着く、ずっとここに立っていられそう、収まりが良い」と感じる、自分だけのピンポイントなベストポジションを探す。
- 位置が決まったら、お腹をどちらの方向に向けると一番しっくりくるか、身体の「向き」も数センチ単位で微調整する。
- 「ここだ」と腑に落ちる場所と向きが見つかったら、そこでただ力みを抜いて、空間と調和する感覚を味わう。
この空間センサーを高めておくと、自らの身体がO-リングテストのセンサーのようになり、日常生活のなかでも「自分にとって良くない場所、ノイズの多い空間」に、本能的に近づかなくなっていきます。
通常だと尾根は気持ちいいなあとか、谷はちょっと空気が止まっていてあまり気持ちよくないなとかを感じて場所を選びますよね。この「尾根が気持ちいい」とかっていうのも、ある種左脳の判断になっている可能性もあるので、左脳の意識を一度抜いて、ただ身体の声を聴き、一番いいところを探してみてください。
――話を聞きながらふと思いついたんですが、一般的な瞑想のときは視界をぼんやりさせて集中することが多いですよね。でも、ハイキングのときは逆のアプローチもあるなと。あっちを向いたり、こっちを見たり、上や下を見たりと、意識的にいろんなものをキョロキョロとたくさん「見る」という行為も、身体にとって何か良い効果があるんじゃないかなと思ったんです。
ソマティックなワークのなかに、「目が自然と見たがっているものを、ただ見させてあげる」というアプローチがあります。先ほど実践した空間探しのワークと感覚が似ているのですが、パッと目を開いたときに、頭で「あそこの紫陽花を見よう」と決めるのではなく、「今、私の目がなんとなくあの辺りを見たいと言っているな」という感覚に身を任せて、そこでぼーっとするというものです。
このようにゆっくり目が見たいものを見せてあげるのも良いですし、視覚は神経系や身体の様々な機能と深く結びついているので、ハイキング中にキョロキョロといろんなものを見るのも、また別の効果があると思います。
――自分の中から湧き上がることに素直になると、良いことがありそうですね。
もうひとつ、「遠くの景色を見渡す」ことの効果もありますね。ハイキングに行くと、みなさん遠くのパノラマの景色を見渡しますよね。実はあれだけで、首の後ろにある「後頭下筋群」という筋肉が緩むんです。
現代人はパソコンやスマホを凝視して、目の焦点を近い距離に「固定」する時間が非常に長いのです。目が固定されているということは、首の後ろの筋肉もずっと固定され、緊張し続けているということです。それに対して、ハイキングに行ってキョロキョロといろんな距離のものを見たり、遠くの景色を眺めたりするのは、目の焦点を解放し、結果として後頭下筋群を物理的にほぐしていることに直結します。遠くの景色を見渡すことは、首の後ろのファシアが緩む素晴らしいワークになっていると思います。
――これは実践してみるハイカーが多そうです。今日はありがとうございました。

小松さんの話を聞いて
1990年代初頭、バブル崩壊や湾岸戦争といった不穏なニュースが世界を覆う中、僕は美大生としてカリフォルニアで過ごしていた。現地で肌に感じた空気は、世間が抱く陽気なイメージとは真逆の、色濃く陰鬱な閉塞感だった。しかし同時にその裏では、1960年代から脈々と続くカウンターカルチャーが、大きな結実の時を迎えていたように思う。
小松さんとの対談にも登場した「エサレン研究所」を中心に、多種多様なボディワークが模索された時代。それとシンクロするように、僕たちが傾倒しているハイキングをはじめとするアウトドア・アクティビティが勃興したことは、決して単なる偶然ではないはずだ。そこには、既成の価値観という「押し付けられた当たり前」から脱却し、真の自由を求める精神が萌芽するための土壌が整っていたのだと思う。
どこに行くにもビルケンシュトックのサンダルを履いていた、イスラエル人のルームメートが、バイトで貯めたお金を握りしめてエサレンに通っていた光景が、懐かしく思い出される。
今回、小松さんに聞かせていただいた数々のお話は、僕の意識を何度もあの90年代のカリフォルニアへとタイムスリップさせた。様々なボディワークやセラピーがハイキングに有用であるという気づき以上に、驚かされたのは「ハイキングという行為そのものが、ひとつの優れたボディワークであり、セラピーなのだ」という事実だ。ストレスに満ちた社会生活において、山を歩くことで心身が健やかに解放されていく感覚は誰もが経験していることだろう。その感覚には、しかるべき確かな理由があったのだ。
小松さん、まだまだ聞きたいことが山ほどあります。「ハイキング・アズ・セラピー」は、これからの僕自身の大きなテーマにもなりそうです。今度はぜひ、一緒に山を歩きながらその続きを聞かせてください。素晴らしいお話を、本当にありがとうございました。





















