現在、日本各地に台湾を加えた8つの拠点で活動する山と道HLCでは、ウルトラライトハイキングが繋ぐコミュニティ作りを目指して、日々、様々なプログラムを行っています。今回は「歩くこと」を通して自然と人の関わりをひも解き、この土地ならではの文化がいかにして生まれてきたのかを知る、「LOCAL STUDY HIKING」プログラムの模様をお届けします。
プログラムのテーマは、福島県の「磐梯・吾妻・安達太良ボルケーノトレイル®」の火山地形と、そこに自生する「吾妻五葉松(あづまごようまつ)」。厳しい風雪にさらされる過酷な環境下で独自の樹形に育つ五葉松は、古くから盆栽の素材として重宝され、麓の福島は五葉松盆栽の代表的産地となりました。この地で確立された、種から松を育てる実生(みしょう)盆栽のルーツも、この火山の風土と深く結びついています。
HLC東北では、過去にもこの山域でプログラムを開催してきた経緯があります。そこで今回は、「磐梯・吾妻・安達太良ボルケーノトレイル®(以下、VOLCANO TRAIL)」のプロデューサーであり、麓の岳(だけ)温泉で安達太良・吾妻 自然センターを運営する一瀬圭介さんにプログラム企画への助言とガイドをお願いし、参加者の皆さんと2日間じっくりとトレイルを味わってきました。

火山地形を象徴する、吾妻小富士の大きな噴火口。

プログラムの企画サポートとガイドをしてくれた一瀬圭介さん(右)と、安達太良・吾妻 自然センターの入る「お宿 花かんざし」7代目女将の二瓶明子さん(左)夫妻。取材はここを拠点に行った。
霧の中で感じた吾妻五葉松の生命力
今回の行程
【1日目】つばくろ谷駐車場(8:00/集合)〜 シモフリ新道〜駱駝山〜一切経山〜鎌沼〜浄土平キャンプ場(行動約6時間)
【2日目】浄土平キャンプ場〜吾妻小富士(希望者のみ)〜浄土平キャンプ場〜一切経山〜慶應吾妻山荘前〜つばくろ谷駐車場(13:00/解散)(行動約8時間)

分岐や歩き始めで、各自地図アプリなどで地図を確認。
7月4日、朝8時。吾妻連峰を走るパノラマコース「磐梯吾妻スカイライン」内のつばくろ谷駐車場に東北各地から11名のハイカーが集まりました。
今回のルートは、登山口からシモフリ新道に入り、一切経山や「魔女の瞳」と呼ばれる五色沼、鎌沼を通って浄土平キャンプ場へと向かう1日目。そして2日目は、吾妻小富士でご来光を見てから再び一切経山を経由しスタート地点へと戻る周回コースです。
歩くこと約3時間半。ガイドの一瀬圭介さんと駱駝山の山頂で合流しました。あたりは真っ白な霧で、眺望はほとんどないタイミング。ですが、足元には火山帯特有のごつごつした岩と赤い土と、地を這うようにしがみつく植物たち。東北、そしてこの標高ゆえの厳しい風雪を、何百年何千年と受け止めてきた姿なのでしょう。一瀬さんを囲み、山頂でのレクチャーが始まりました。

「実は、今や世界共通語であるアルファベットの『BONSAI』。その海外伝播の大きなきっかけとなったのが、まさにこの吾妻の地なんです。『ONSEN』や『SAKE』のように世界で通じる文化となった背景には、福島の『ぼんさいや あべ』による指南書が海外へ渡った歴史があります」
もともと中国から伝わり日本で独自発展した盆栽ですが、種一粒から育てる「実生(みしょう)」の五葉松盆栽の作り方の技術を体系化し、世界へ発信したのが初代・阿部倉吉さんです。彼が50年前に書き残した本『五葉松盆栽の作り方』がイタリア語、スペイン語、フランス語、英語へと次々に翻訳され、教科書として海を渡ったことで、「BONSAI」の名とともに世界中へ広まっていきました。
このあたりに自生するのが「吾妻五葉松」。那須、四国とともに日本三大五葉松のひとつに数えられる木で、本来はまっすぐ大きく育つ樹木です。でも、吹き荒れる寒風と雪にさらされ続けるこの火山帯では、地表を這うように、力強くねじれた樹形を刻んでいく。このダイナミックな自然の造形美に魅せられ、未来へと持続可能な礎を作ったのが、この地で3代続く「ぼんさいや あべ」の初代・阿部倉吉さんでした。
「100年以上前、盆栽界で主流だったのは、山に自生する木を掘り起こす『山取り(盗掘)』でした。国有林では当時から違法だったため、営林署の目を盗んで掘り出して販売され、査察が来れば山に捨てたり隠したり。そんな時代だったようです。そんな様子を見ていた倉吉さんは、20歳のとき、『これほど素晴らしい芸術なのに、隠れて盗んだもので商売なんてしていると、この文化は途絶えてしまう』と考え、山取りを一切やめて、種一粒から育てる『実生』へと舵を切りました」
実生で仕立てる盆栽は、自分の代では完成せず、100年後、孫の世代でようやく出せるものになる。そんな途方もない時間軸を、阿部家は代々背負い、私たちが歩いてきたシモフリ新道も幾度となく歩いてきました。通り過ぎていた景色の中に、そんな物語が隠れていたなんて。そこからの景色は、急に奥行きを持って迫ってきて、目に映る情報処理と感情が追いつきませんでした。

阿部家の作風は「空間有美(くうかんゆうび)」。木の形を整えるだけでなく、枝と枝の間、置かれた空間、そして吾妻の山々の景色と馴染んでいるか。阿部家は、「この盆栽を吾妻山に持っていって恥ずかしくないか」と問い続けている。

岩の間に根を張る推定樹齢10年の五葉松。松は2枚で1組の葉がつくことが多いが、五葉松はその名の通り、5枚でひとつの葉がついている。
「ここに松ぼっくりが見えるでしょ。五葉松の種って松ぼっくりの中にあるんだけど、ここにあるのは自然に落ちた種から生えた木だけじゃないんです。ホシガラスが秋に種を取って、岩の隙間や土に埋めて貯食する。8割は自分たちで回収して食べるけど、残った2割が発芽して木になる。こんなところに誰が植えたんだ、と思われる五葉松は、全部ホシガラスが種を埋めたものなんです」

片側だけに枝が伸びた「吹き流し」と呼ばれる樹形。風になびいているのではなくて、風下だけが生き残った結果としての姿。
進んだ先には、さらに驚きの光景が。土に隠れているはずの五葉松の根が、まるで彫刻みたいに空中に露出して、大きな塊になっていました。「過酷な環境だな」「強すぎる」と参加者もつぶやきます。「こういうのを知ってると、自然の中から何百年っていう単位の造形を見つけられる面白さもあるんだよね」と一瀬さん。
通常、樹木は土の中に根を張り、地面の上に幹を立て、枝葉を広げます。しかしここでは、幹や枝葉よりも上に根が覆いかぶさり、根が空中へ持ち上がった姿の五葉松の「根上がり」に遭遇しました。
「これ、見えてるのは全部根っこ。この形の根っこが、空中に生えてきたわけじゃないからね。幹は見えないけど下方向に伸びてます。粘土質の土壌は固くて、根っこも深く入っていけない。元々この木の土台の土はもっと高くにあり、雨や雪や風で侵食され、下がって根が露出してる。そうすると木全体を支えられる力が少なくなるから、木の先端の方が重くなり、自重を支えきれず倒れちゃって、根っこが持ち上がり、そのまま死なずに生き延びてる。これを『根上がり』と言って、吾妻はこれが見られる日本唯一の場所。世界でもここしかないと言われています」

立派な「酸ヶ平の根上がり」を前に。「松の絵をこう描く人はいないよね。こういう景色は元々ここにあって、鉢でどうやって作るかを考えて盆栽ができます」

草を分けて進んだ先に現れる、巨大な根上がりがモンスターのような「臥龍の松」。

樹齢数百年は経っている五葉松。五葉松は1本1本葉の形に個性があり、端っこ同士の葉っぱが同じ形ゆえ、これも1本の木だと言えるそう。

風雪に耐え、100年以上生きる五葉松は、上に乗って寝れそうなくらい頑丈。

TJARやNHKの『グレートレース』など、アスリートの並走撮影を行うプロの山岳カメラマンでもある一瀬さんは、現場で培った歩き方のコツも教えてくれた。「身体への負荷を下げ、コースタイムを短くして、その分周りの景色を楽しみ、“コースタイム100%”で安全に長く歩くため」の技術。参加者の皆さんも真剣にその場で実践していた。

一切経山の「魔女の瞳」と呼ばれる五色沼で。湖の中には硫化水素や火山ガス、金属成分が含まれていて、太陽の当たり方によって色が変化する。
キャンプ場の対話でほぐれた心
夕方、浄土平キャンプ場に到着。各自テントを張ったら、大きなタープの下に集合です。プロジェクターの光が灯り、参加者のほか、居合わせたトレイルランナーの皆さんも輪になって座り、一瀬さんのスライドトークが始まりました。テーマは、VOLCANO TRAILと、盆栽という芸術について。歴史や暮らし、世界の中の「BONSAI」など多様な角度からお話いただきました。
「実生の盆栽というのは、種一粒から植えて、それが完成した姿を自分の人生の中で見ることがない、ということをわかって始める芸術なんです」
中でも印象的だったのがこの言葉。阿部倉吉さんの『五葉松盆栽の作り方』にも、「盆栽は、二代か三代に渡らなければ、老樹の姿が出て来ません」と書かれています。書いた本人すら、自分が植えた種が100年後にどうなるか分からない。常に更新していく生き物ゆえ、完成という概念すらない芸術。昼間に聞いた「実生」の話が、心の深くへ落ちてきた感じがしました。


一瀬さんは、安達太良・吾妻 自然センターとして、安達太良山での登山道整備も日々行う。登山者の数、靴やトレッキングポール、気候などの影響で、各地で登山道が削れて壊れ続けている現状があるのだそう。
一瀬さんとはこの夜でお別れ。スライドが終わり、最後に一人ひとりが感想を回していくことになりました。始めは「ここで話すの…?」と、多少戸惑った空気もありましたが、「100年先を見据えて種を植える話を聞いた時、グッときて泣きそうになった」「今までだったら五葉松を見ても絶対に通り過ぎていた。歴史や背景を知って、山を見る目線が完全に変わった」など、素直な思いがあふれます。徐々に、場が熱を帯びていくようでした。
そして、岩手からの参加者・としきさんの番。感想を述べ、神妙な面持ちで口を開きました。「ここで一瀬さんにお伝えしたいんですけど、実は最近地元の大船渡で、旧道や里道を整備する団体を立ち上げました。訪れたくなるようなトレイル作りを、僕たちも一瀬さんのようにがんばっていきます」
その場にいた全員が思わず拍手。「山やトレイルのために、自分にもできることをしたい」「種ひとつから盆栽作りを始めた阿部さんの存在を伝えたい」という思いが、この夜、それぞれの胸中に芽生えていたようでした。

一瀬さんに宣言したとしきさん(手前)が代表、奥の村上さんが副代表を務める団体は「SAKARI TRAIL TRACKS」。

吾妻山の伏流水で作っているクラフトビール「みちのくふくしま路ビール」もキャッシュオンで提供された。粒子が非常に細かい火山灰の土壌の下をすり抜けた伏流水は、不純物が少なくおいしい。
「今まで何度も素通りしてた」
初日の宴会もほどほどに、2日目はご来光を見るため早朝3時集合。アンバサダー栗波を中心に、希望者で吾妻小富士の火口へ向かいます。一瀬さんの助言通り、登りの途中から空が深い青〜オレンジのグラデーションに。麓は太平洋から福島盆地まで一面の雲海でした。思い思いの場所で日の出を迎え、「昨日はガスってて残念だったけど、やっぱり晴れてここならではの景色が見えると嬉しいね」と喜びを分かち合いながら、キャンプ場へ戻りました。

麓の福島盆地を一面の雲海が隔てていた。
朝食を済ませ、2日目の歩きがスタート。一切経山を経て、1日目とは違うルートで下山します。歩いていて驚いたのが、参加者の皆さんの変化でした。五色沼を望む、立派な根上がりのある場所で自然と足が止まります。
「これもじゃない? 立派な根上がり!」「根っこがここまで続いてる!」
昨日一瀬さんに教えてもらったことを、誰かに促されたわけでもなく、それぞれが自分の言葉で口々に話していました。五色沼の色や、土と五葉松の関係、あらゆることを。「今まで何度も素通りしてました」という参加者もいて、知識が増えたというより、「視点がインストールされて、景色の見方がアップデートした」という感覚でした。


五色沼西側の松。細い根っこが手前まで何メートルも伸びている。

厳しい気候のため、先端が枯れている松を発見した参加者のキヨシさん。
100年続く「ぼんさいや あべ」で触れた覚悟
プログラム翌日、私と一瀬さんが向かったのは「ぼんさいや あべ」。山で見た吾妻五葉松が、人の手によってどう作られ、受け継がれているのか。どうしてもその姿を一目見て、皆さんにも伝えたくて、特別に訪ねさせてもらいました。
ご自宅兼作業場に足を踏み入れた瞬間、圧倒されました。イキイキと力強く、美しい盆栽たちがずらりと並んでいます。3代目・大樹さんが出てきて、畑で育てられている実生の苗を見せてくれました。
「葉から性質を見抜いて、1本1本に合った育て方をします。これを“葉性(はしょう)”と呼びますが、同じ山でも場所によって全く異なるんですよ。ここまでこだわる盆栽屋は全国的にもほとんどないと言ってもいいですね。実際に山に入って木を観察している業者自体、今は少ないのです」
1年目の苗と2年目の苗を並べても、背丈は数センチしか変わりません。果てしない時間の蓄積。「五葉松は成長がすごくゆっくりなんです。でも、1日でも水やりをやめちゃったら、80年、100年の積み重ねが一瞬で失われる」と大樹さん。2代目の健一さん・慶子さん夫妻も、海外に招待された時以外は国内旅行すら一切していないそうです。盆栽の命を100年以上、人間の数世代にわたって継ぐというのは、そうやって日常を捧げることなのだと教えられました。

3代目・阿部大樹さんが見せてくれた、畑で種から大切に育てている苗。

初代の阿部倉吉さんが植え、2028年に樹齢100年になる吾妻五葉松。盆栽に無知な自分にもその立派さや美しさが伝わり、のけぞってしまった。

客人を分け隔てなくもてなすのも初代倉吉さんの教え。右から2代目の健一さんと妻・慶子さん。

Tシャツの『やるっきゃない』は、「何事も、やるならとことんやろう」「命ある限り半端なことはできない」という思い。
大樹さんの言葉が、胸に強く残っています。
「みんなは『山の自然が盆栽のお手本だ』と言うけれど、そんなことない。俺たちみたいに盆栽をちゃんと作れる人間が、自分たちの作ってきた仕事が間違っていないかを証明するために、山に確認しに行くんです。山に行くと『ああ、やっぱり俺らの作ってる盆栽って、山の景色を作ってるよね。空間有美だよね』と山が教えてくれる」
模倣ではなく、過酷な大自然に敬意を払って、向き合い、その生命力の結晶を鉢の上で表現してきたという、淡々とした覚悟と自負。だからこそ彼らは山へ行き、自らの仕事と山の景色を見て、「確認」するのでしょう。

阿部家の棚場を見守るように佇む、「空間有美」の言葉。
しかし、これほどの伝統と技術を持ちながらも、大樹さんはまた危機感も感じています。
「過去、大きな盆栽の大会や美術館の展示で、うちのおじいさんが修業した親方の名前に触れてもらえていなかったり、その方が作った名木が別の人の名前で紹介されていたりするのを目にしました。直系の人間が言っても、簡単に違うものとして扱われてしまう。『今の時代、自分たちで発信していかないと、黙っちゃうと、なかったことにされることもあるんだ』と思って」
それがきっかけとなり、大樹さんはYouTubeやInstagramで毎日のように発信を続けています。「当事者が自分たちの言葉と歴史を発信し続けることが、文化を守る唯一の道」と。
そして、なぜ一瀬さんは、阿部家の思いをこれほど熱く語り、自らも吾妻の魅力を世界へ発信し続けるのでしょう。その理由を明かしてくれました。
「岳温泉もそうだけど、この土地に根を張り、歴史を繋いできた先人たちがいる。1世代前、2世代前がやってきてくれたから今がある、って思いがある。“明日この仕事辞めます”ができない、逃げ場のない当事者たちが、本気を出して発信したらこれだけのことができるんだ、という本物の価値を世の中に見せないと、偽物に呑まれてしまうから」
ローカルの当事者が「なかったことにさせない」と懸命に守り、発信し続ける静かで強い熱量。それをハイカーが「歩く」というアプローチで全身で受け止め、自分自身の言葉や体験として捉え直すという有機的な繋がり。この言葉を聞いた時、それこそが「LOCAL STUDY HIKING」の本来の目的なのかも、とゾクっとしました。
最後に余談をひとつ。私は三大五葉松の産地・四国石鎚で育ちましたが、これまで全くと言っていいほどこの世界のことを知りませんでした。何度も素通りした「四国五葉松・原産地」と書かれた国道沿いの看板、祖父が実家で大量の盆栽を育てていたこと、石鎚山系で目にした松の姿、全て断片的な記憶です。ですが、そんな自分がここへ来て、いきなり盆栽屋さんを前に吾妻五葉松の最高峰を目にしていることに、ただならぬ縁を感じました。
山を歩くスピードを少し落とし、目の前の1本の松に、何百年という時間と人の営みを見出してみる。それだけで、いつもの山でも、たった1日の間でも、まったく違う顔を見せてくれるとわかりました。今回私たちが受け取ったのは、これからの人生を豊かにする山との向き合い方そのものだったのかもしれません。

取材後、阿部ファミリーと一瀬さん。

最終日に車窓から見た吾妻小富士と山々。歩いて、話を聞いて、愛おしい場所に変わっていた。














