TTOT(高尾-丹沢-奥多摩)
草100マイル・レポート

2021.08.30

社是としてスタッフには「ハイキングに行くこと」が課され、山休暇制度のある山と道。願ったり叶ったり! と、あちらの山こちらの山、足繁く通うスタッフたち。この『山と道トレイルログ』は、そんな山と道スタッフの日々のハイキングの記録です。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、昨年から今年にかけては様々なレースや大会が延期や中止に追い込まれたことは記憶に新しいところですが、その裏で、各地で有志や個人による小規模な記録会やトライアルが行われていたことはご存知でしょうか? 今回は、山と道ラボ研究員の渡部隆宏が自身で企画立案して行なった東京都と神奈川県に跨がる高尾〜丹沢〜奥多摩エリアのトレイルやロードを繋ぐ草100マイル(=160km)トライアルの模様を綴ってくれました。

誰に強制されたわけでも、何らかの記録が残るわけでも、賞品や賞金が出るわけでもないのに貴重な休日を費やしてボロボロになり、それでもゴールを目指す人々の記録は、走り終えたあとの渡部の感想「草100マイルってすごいな」と同じ感慨をあなたに与えるかもしれません。

文/写真:渡部隆宏

SLOW DAYS 2020

2020年2月17日、その月末に予定されていた東京マラソンが新型コロナウイルス(当時は「新型肺炎」などとも呼ばれていた)の影響により、一般参加の市民ランナーを制限しエリート選手のみで行うという発表があった。10倍以上の抽選関門を超えてきた出走ランナー達はさぞお気の毒と同情していたところ、それを皮切りに規模を問わず多数のランニングイベントが中止となり、ほどなくして私のエントリーしていた本命のレースもふっとんだ。それ以降、レースをハレの場ととらえモチベーションを維持してきたランナーには厳しい状況となってしまった。

私は2019年に初めて100マイル(≒160km)のトレイルランニング・レースを完走することができ、それ以降「年に1度くらいは100マイルを走りたい」と考え、いくつかのレースに照準を絞っていた。しかしそうした長い距離のイベントはエイド(休憩・補給所)を運営するボランティアの安全確保や、広範囲にわたるフィールドにおける自治体や地権者との調整も難しいためか、通常の舗装路を走るマラソンレース以上に開催の難易度が高いようで、知る限り2020年に国内で開催された100マイルレースはひとつ(OSJ Koumi100)のみであった。

しかし何もレースに頼る必要はない。以前から「草100マイル」「勝手100マイル」「自主100マイル」などと呼ばれる、個人/有志が任意にコースを設定し100マイルを走るというイベントの存在を知っていた。この連載「トレイルログ」で別途レポートされているTDTも、もともとはプロ100マイルレーサーの井原知一さんが自主イベントとして開催したものが発祥となっている。

これまでにいくつか見聞きした草100マイルの話は、周回コースをえんえんとループするとか2晩3晩動きっぱなとかクレイジーなものも多く、何かかき立てられるものがあった。どうせレースも当分開催されそうにないし、自分もやってみたい。

そこで、初夏も近づいたとある夜、自宅から直線でわずか2kmの高円寺駅までわざわざ都内をぐるりと超遠回りして走るという100マイルコースを設定し、スタートした。結果は60kmくらいで足が止まり、ルートを短縮し途中で高円寺にエスケープするという無念の結果となった。その後に再びチャレンジしたが、やはり力不足で走りきれなかった。

結局、2020年は1本も100マイルを走ることができずに終わった。

GO GO ROUND

年が明けて2021年に入っても大規模なランニングイベント復活の兆しは一向になく、引き続き自分なりの草100マイルコースをぼんやり模索していた。私は暑さが苦手なので、やるとしたら3月から4月頃、馴染みの高尾をスタート地点にしたいと考えた。いろんなツッコミを無視して告白すると、私は高尾を拠点とするトレイルランニングブランドAnswer4のランニングクラブ(LDA-RC = Living Dead Aid Running Club)に所属しているからである。

最初に考えたのは高尾と丹沢を結ぶコースだ。高尾から相模湖を超えて丹沢主脈を縦走するルートで、一部の人にはTTT(Takao to Tanzawa、あるいはTanzawa to Takao)と呼ばれているらしい。距離は50kmほど。2020年の半ばから知人が走ったという話をちらほら耳にするようになった。TTTを片道3回行けばだいたい100マイルになるが、何かしっくりこない。自分は飽きっぽいので、何周もループしたりピストンしたりするコースはあまり気が進ます、走り終えた後の交通の便なども考えると、スタートとゴールが離れているワンウェイコースも面倒に思えた。スタート地点に戻ってくる大きな周回コースが理想的だ。

GPSウォッチ(Garmin)のアプリで描いたTTTのコース。高尾発の場合、城山から相模湖に降りて南下し平丸から丹沢山域に入る。登りの距離を合算した累積標高は3000mほど

そんな折、2月の半ばに丹沢(秦野)から奥多摩までのロングハイキングを行う機会があった。この時は、いつもソロ行の私には珍しくLDA-RCのコムさんが同行した。

この丹沢-奥多摩ハイクは事前の予想よりも厳しいものだった。コースは秦野駅-ヤビツ峠-丹沢主脈(塔ノ岳・丹沢山・蛭ヶ岳)-陣馬山-醍醐丸-市道山-臼杵山-檜原-大岳山-奥多摩駅と、ほぼ秦野から真北に向かう約85km。早朝に秦野駅をスタートし、丹沢主脈を抜け蛭ヶ岳に達するまでは順調だったものの、その後の残雪と凍結の下山路でジワジワ足を痛めつけられ、集落に降りる長いロードの下りでダメージが蓄積、終盤の大岳山の入り口に向かう檜原集落は歯がガチガチと鳴り止まないほど寒く、ようやく24時間かけて奥多摩に着いた時にはふたりとも消耗しきっていた。

蛭ヶ岳から先はまだ残雪が多く、一部は凍結していた。ちなみにコムさんとのハイクはこれが初めて。

お湯に浸かった後、奥多摩のほこるビアバーVATEREでコムさんと盛り上がったのは、疲労がたまった状態で陣馬山から北に抜ける行程のハードさである。特に市道山から臼杵山に抜けるルート*は2人とも未経験で、地図で見ると標高差もほとんどないためになだらかなトレイルと思いこんでいた。なんなら私は陣馬を越えたらあとは適当に下って大岳山に挑むだけくらいの気持でいたのである。しかし実際には砂れき気味の歩きにくい急傾斜が連続し、かつ陣馬エリアの水場の少なさも相まって、深夜の最も眠くなる時間帯に通過するには厳しいものがあった。

そしてすぐに思った。「こんなヤバいルート、みんなに走ってもらいたい!」

*現時点(記事執筆時点)でハセツネ30kルートとなっているらしい。ハセツネは臼杵山から市道山に南下するが、我々は逆の北上ルートをたどった

市道山と臼杵山を結ぶ急斜面(写真は後日撮影したもの)

木の根と砂れきで歩きにくい(写真は後日撮影したもの)

100マイルちょっとの

このハイクからほどなく、高尾から丹沢に向かい、奥多摩に抜けてから再び高尾に戻る大きな輪を描いてみた。地図アプリなどでざっくり距離をはかると、高尾-丹沢と高尾-奥多摩を舗装路(ロード)の最多距離で結び、中間の丹沢から奥多摩に抜けるトレイルを加えるとだいたい100マイルになった。

試しにロードの部分をできるだけ未舗装路に置き換えてルートをつくってみたところ、登りの距離を合算した累積標高が軽く10000mを超えてしまった(多くの100マイルレースは累積標高が6000~8000m程度)。この設定だと私には厳しすぎて、もっとゆるふわでないとそもそも完走できない。やはり当初描いた輪の通り、丹沢-奥多摩間以外をばっさりロードにした方が現実的な気がした。

こうして東京都民にとって最も身近な山岳エリア、高尾・丹沢・奥多摩を結ぶゴールデントライアングル、TTOT(Takao to Tanzawa to Okutama to Takao)をルートアプリに描いてみると、なんだかリアリティが沸いてきた。これで去年走れなかった100マイルを実現したい。

GPSウォッチ(Garmin)のアプリで描いたTTOTのコース。トライアングルというよりも涙型である

そこで早速、高尾から丹沢までのロード区間約40kmを試走してみたところ、これがまた思いのほかキツかった(笑)。そもそもロードランニングは同じ動きを繰り返すことで同じ部位の筋肉を酷使し、硬いアスファルトの着地衝撃が蓄積する。そのため、登りや下りの負荷こそあるものの身体のいろいろな箇所を使うことのできるトレイルランよりも別の意味でダメージが大きい。加えてグーグルマップが示したその試走ルートは、特徴のない住宅街や工業団地を気が滅入るほど延々と走る極めて殺風景なコースで、郊外で育った幼少期の嫌な記憶がフラッシュバックしてくるほどメンタル的な負荷も大きかった。

しかし、すっかりルート設計者兼レースディレクター(RD)のモードになっていた私は、これでオリジナルの草100マイルコースを描くことができたという手応えがあった。丹沢から奥多摩まではトレイル主体で、前後をロードではさむ。累積標高はそれほど高くないが、最初に長く硬い舗装路を走らせて足にダメージの時限爆弾をセットし、トレイルで足を酷使させ、最後のロードで爆弾が炸裂、という3連コンボは意外にタフなはず(自分が走ることは忘れている)。

高尾-丹沢の試走の直後、ダメ元でコムさんをTTOTに誘ってみたが、他の長いランニングイベントをふまえて*渋っている様子であった。仕方なくソロでの実行を計画していたところ、コムさんが未練がましく候補日を聞いてきた。期日が自由なのが草100のいいところで、天気が良さそうな週末なら正直いつでも良かったのであるが、タイミング的にあまり先延ばししても気温が上がるだけでいいことがないため、4月のとある週末に実施すると返答した。

するとほどなくしてコムさんが参加を申し出、さらにどこから話が広がったのか、LDA-RCのメンバーであるおっくん*、サノさん(トレイルネーム:コーネル)も走りたいという。さらに途中区間までの参加や、逆に途中からの合流希望もあり、ソロかコムさんと2名でと想定していたイベントが、ささやかながらも予想外の規模になってしまった。

*この当時コムさんとおっくんは別の100マイルイベントを翌月に控えていたため、慎重になっていたらしい。

申し出てくれたのはいずれも高い走力と豊富な経験をほこる猛者ばかりで、クラブの末席を汚すだけの私としては気後れするところがあったが、企画者の立場としては嬉しかった。TTOTを企画した動機のひとつは、このコースを多くの人に走ってもらい、酒の肴にしたいということだったためである。

こうして開催日と出走者が決まった。

①高尾 NIGHT CRUISING

4月某日夜、八王子に出走者が集合した。完走後に飲むためのビールを置いておく場所が高尾に見つからず、八王子在住のコムさん宅にデポできたためである。ビールなんかなんでもいいと言ってしまえばそれまでだが、儀式にはこういうこだわりが大事なのだ。

この時点での出走者は以下の4名。全員100マイルの完走経験があり、私以外はLDA-RCの中でも速いチームに属する実力者ばかりである。

      おっくん(オクムラ):LDA-RCトップクラスの走力で皆を引っ張る、映画版ジャイアンのような頼もしい存在。見た目は半グレ風。
      コーネル(サノ):高い走力と爆発力を持ち、エイドやペーサーとしての手厚いサポートで信頼を集める人格者。見た目は若頭風。
      コムさん(コムロ):山もロードも強く、八王子界隈の地理と歴史に精通した影のレースディレクター。見た目は鉄砲玉風。
      SKさん(途中地点、高尾から丹沢を超え藤野駅までの併走予定):二郎系ラーメンを愛飲、皆の敬愛を集めるギフテッド。見た目はラッパー風。

自宅を提供してくれたコムさんに敬意を表し、TTOTをKOMURO100の別名で呼ぶことにした。

22時過ぎ、八王子のとある路上でおもむろにTTOTがスタートした。これから少なくとも30時間にわたる旅が続く。最初はTakao to Tanzawa、高尾を経て町田街道に入り、相模川沿いを南下して秦野に至る約40kmのロードパート。到着予定は午前5時くらいである。開始早々にコムさんの妹さんが駆けつけてくれ、併走してくれた。

高尾に向かう途中、おっくんがコバさんの家に寄ろうと言いだした。Answer4のブランドオーナー/創始者であるコバさん(小林大允さん)宅を第1エイドとするという。時刻は既に深夜にさしかかっており大丈夫かなと思ったが、コバさん宅の前で撮った集合写真を送りつけたところゆっくりと家の扉が開いた。この時間の訪問はほとんど嫌がらせであったがコバさんは計画を終始面白がって聞いてくれ、なぜか自宅に常備しているらしい甘酒(1リットルパック)やコーラを差し入れてくれた。

第1エイドを通過した後は、人気のない住宅街や田園、殺伐とした工業地帯を抜けていく間に皆の口数も少なくなり、うつむいて作業ランモードに入った。コーネルはどうにも処分しきれない甘酒のパックをウザそうに持ちながら走っていた。

平坦な市街地を抜け、鶴巻温泉エリアに入り秦野が近づいてきた。この辺りから国道246号の地味な登りが疲労をまねき、メンバーの間隔が開き始める。私も多少疲れが残っており指先がパンパンにむくんでいたが、集団で走っているためか気も紛れ、前回の試走時よりも消耗の度合いは低かった。

スタート直後、八王子から高尾へと向かう(写真:コーネル)

鶴巻温泉付近の幹線道をひたすら進む

②丹沢 IN THE AIR

スタートから約6時間、午前4時半に秦野市名古木のセブンイレブンに到着した。ここまでの距離は約45km。タイム的にはきっかり影のRDことコムさんの予言通りである。ここはヤビツ峠クライムの起点として、トレイルランナーやサイクリストに知られた場所だ。

丹沢山域に入るとしばらくは小屋しか補給場所がなく、まだ早朝で小屋の営業状況も不明であることから、このセブンで十分に補給と休息をとっておく必要があった。30分ほどたっぷり休憩し、食事や行動食の調達を終えてTanzawa to Okutamaパートが始まった。

名古木から舗装路を上り蓑毛に到着。スタートから50kmあまり硬い舗装路を走って、ここからようやくトレイルになる。おっくんが先頭を歩き、他のメンバーは着いていく展開。おっくんの歩きスピードはまるで空港にある動く歩道のようで、走りを交えても追いつくのがやっと。なんなのこの人。

蓑毛からトレイルを経て、予定を上回る速度でヤビツ峠へ。ここからは勝手知ったる丹沢の主脈路である。空は恐ろしく晴れ渡り、富士山がくっきりと見える。霊峰を見ながらの絶景100マイル・トレイル、これはまさにこの年も中止になってしまった某富士山一周レースのようではないか!

三ノ塔、塔ノ岳と高度を上げる度に大きくなる富士山を見渡していると、深夜の陰鬱なロード走の疲れもふっとび、雄大な稜線歩きに皆の歩みも軽くなる。

ソーシャル・ディスタンスを保ちながらの補給

ひとまずヤビツ峠(左から上おっくん、下SKさん、私、コムさん:撮影コーネル)

天候に恵まれた

富士山を眺めながらの稜線歩き(撮影;SKさん)

ときおりSKさんが遅れる場面が出てきた。胃腸のトラブルが発生し、足にもダメージが出ているという。ラーメンばっか食ってるからだよ!

塔ノ岳を経て丹沢山、蛭ヶ岳へ。山荘では名物の蛭カレーでエネルギーチャージした。この日の丹沢は好天でトレイルランナーも多かったが、おっくんはほぼ全員を歩きでぶち抜いていった。

蛭ヶ岳からは木段の急斜面を下り、黍殻山方面のゆるやかなトレイルを経て沢沿いのワイルドな路を下る。しばらくすると集落に到着し、長いトレイルパートが終わった。ここまでの距離は約78km、到着は予定を約1時間上回る午後2時頃。ここから道志ダムを超えて藤野駅を目指す。前回の丹沢-奥多摩ハイクは残雪混じりの路を下ってきたためかこのあたりで足が疲労していたが、今回はまだそれほどダメージがない。

林道を下る(撮影:おっくん)

胃腸のトラブルが回復しないSKさん。もともと藤野駅で離脱予定だったが既に相当ダメージがたまってきたらしく、道志付近の峠道でこれ以上進むのが難しい状態となっていた。一帯はバスが1日に数本という絶望的なエリアでタクシーでも呼ぶしかないと思ったが、なんと奇跡的に近辺に来ていたコバさんがクルマでピックアップしてくれるという。TTOTは第1回からサポートカーが付くという贅沢な展開となり、ほどなく颯爽と現れたコバさんがSKさんを収容していった。

丹沢の核心部を通過

神がかり的なタイミングで現れたコバさん(写真左からSKさん、私、コーネル、おっくん、コバさん:撮影コムさん)。SKさんはここで離脱

TTOT攻略のカギとなるのは補給計画だ。トレイルパートの丹沢には山小屋しかなく、陣馬山以降の集落(檜原)と奥多摩にはほとんど終日営業の商店がない。丹沢を小屋が開いている昼間に通過しようとすると、檜原と奥多摩の通過は夜になってしまい、自販機くらいしか補給の手段がない。逆に丹沢を夜通過するプランとすれば、檜原で昼間に補給ができるものの、そもそも夜の丹沢超えには危険がともなう。そのためいつスタートし、コンビニや小屋、商店をどの時間に通過するかがポイントになる。

藤野駅の近くにはこのルートでは貴重なコンビニがあり、大エイドに設定していた。その後のコンビニエイドは遙か先、奥多摩を超えた古里のセブンイレブンとなる。

そしてこの先の藤野では強力なサポートメンバーが待っていた。

③KING MASTER 藤野

午後4時前、藤野駅近くの大エイドであるローソン着。ここまでの距離は約90km。

ローソンにはコバさんとSKさん、そしてここから合流する2名のレジェンドが控えていた。

      ノブカさん:シーンの黎明期から活躍し、この時点で挑戦した20本以上の100マイルをすべて完走しているというトレラン界のレジェンド。
      マサコさん:上りも下りもロードも強い、数々の年代別入賞経験を持つトレラン界のレジェンド。

藤野のローソン(撮影:おっくん)

私にとってはおふたりは新人プロレスラーにとっての馬場と猪木のようなもので、参加いただけるのは恐れ多いものがあったが、ここからフレッシュな足の人に引っ張ってもらえるのはありがたかった。藤野エイドで十分に補給し、コバさん・SKさんと分かれ、6名パックとなって陣馬山に向かった。

前回の丹沢-奥多摩ハイクの際は、陣馬山を登る時既に真っ暗だったが、今回はまだ日没前。おっくんはここでも鬼のペースで先導し、なんと明るいうちに山頂に着いてしまった。

元気にラストの木段を登る(撮影:おっくん)

日暮れ前に陣馬山頂を通過。左からコムさん、ノブカさん、おっくん、マサコさん、コーネル

山頂でトイレなどを済ませ和田峠へ向かう。スタートから約21時間、100kmほど経過した。以前の丹沢-奥多摩ハイクの際はここから醍醐丸を経て市道山-臼杵山へと至るルートが最も厳しかったが、メンバーの顔を見ていると皆思いのほか元気であった。レジェンドおふたりは置いておいて私以外の3名はもっとボロボロになっていると思ったがさすがの百戦錬磨、歩き中心で足が温存できていることと、補給をしっかり取っていることが奏功したようだ。

なぜか私も20時間以上行動しているとは思えないほど好調で、疲れはそれなりにあるものの痛みや眠気はほとんどなかった。前回のハイクは深夜行動で、残雪の丹沢通過で足をやられていた。それと比べると条件がよく、こりゃ余裕かもと思ったほど。

市道山を通過する頃に日が沈み、ナイトパートへ入る

だがこのルートはやはり甘くなかった。市道山を越え、臼杵山に至るルートはノコギリのようなアップダウンの連発。登りで体力を削り取られ、ザレた下りで一歩ごとに足が死んでいく。登っても登っても地図アプリ上の現在位置は遅々として進まなかった。

しかしこの辺りでさすがのメンバー達にも疲労が色濃く見えてきたのを見て、密かな喜びがわき上がってきた。100マイルという象徴的な体験にくっつけることで、この地味な区間のツラ楽しさを昇華させ、語り草として成仏させることができる。臼杵山の山頂に達したときは、思い通り皆がガッツリ消耗していることに手応えを感じた。

ここまで先導してきたおっくんもさすがにダメージがたまってきた模様。無理もない、ここまでハイペースで皆をひっぱり、ナイトパートでは神経をフル回転させて足の置き場ひとつひとつに気を配りながらルートを開拓してきたのだ。

臼杵山から檜原までの下りもとても長く感じたが、ここでなぜかコムさんが復活、「覚醒した」と謎のメッセージを発しながら先導している。なんなのこの人。

オクムラは足が壊れ、コーネルは「眠い、やめたい」と放送禁止用語混じりに悪態を連発、コムはどうせすぐに潰れる…いいぞいいぞと思う私も、どこかメンタルがぶっ壊れていた。

④WALKING IN 奥多摩

24時間経過、檜原着。ここまで約110km。

前回の丹沢-奥多摩ハイクでは寒さで体力を剥ぎ取られ、臼杵山とはまた別の意味でツラかった場所である。沢沿いの集落は山よりも格段に冷え込みが厳しく、当時はインサレーションにレイン上下を着込んでも歯がガチガチ鳴り止まないほどであった。

この季節(4月)になってもやはり檜原は寒く、グローブを付けた指先がかじかみ、保温着を重ねても歩みを止めたとたんに冷えが襲ってくる。商店は軒並み閉まっていたが、自販機の充実した酒屋があり、そこで暖かい缶スープやカロリーメイトを補給した。

ここからラスボスである大岳山へ。登山口の白倉から標高差約1000mを一気に登る。登り一辺倒ではあったがアップダウンの連続する陣馬北部よりもはるかにラクで、午前1時頃に登頂。ここまで約117km、私もだいぶ消耗しており呼吸をするための筋肉(横隔膜?)が疲れていることに気づくが、足はなんとか動いている。ここから奥多摩に下ればもう最後のロード区間しか残っていない。

自販機で補給を済ませる

24時間以上かけてようやく大岳山を通過(撮影:おっくん)

鋸山の稜線を経て、愛宕神社の地獄のように長い階段をたどって奥多摩へ。ここまで約125km、累積標高はおよそ5800m。この下りパートでおっくんの足が完全にイカレたらしく、コーネルはゾンビ状態、コムさんは徒歩モード。私もこの時点で初100マイルレースを完走した時以上の疲労を感じていたが、なんとかゴールまで走り切れそうな感覚はあった。

そう思って最後の大エイド古里のセブンイレブンに向かうと、なぜかコーネルが復活し、レジェンド達をも置き去りにして猛ダッシュ。セブンで離脱する気になって飛ばしているのかトイレなのか、あるいは狂ったのか、わけがわからずついていく。古里駅通過時は4分/kmペースで、ここまで130km以上を走ってきた人間の速度とは思えなかった。

午前5時に古里のセブンイレブン到着。セブンに着いてコーネルに謎ダッシュの理由を聞いてみたところ、「タイムを測りたかった」とのこと。どいつもこいつもなんなの。

このセブンは都内の奥多摩エリアで最も西にあり、地元のクラフトビールVATEREが置いてあることで一部の人に知られている。冷蔵庫に並んだVATEREには心動くものがあったが、正直飲みたい気持ちどころか食欲もあまりなく、少しの補給食を買って店を出た。店の外ではおっくんがカップ焼きそばを啜っており、これだけ動いてよくあんなコッテリしたもの食えるなと感心する。

古里のセブンイレブンのビールコーナー

エイドのセブンを出て、ここから八王子までは全体からみれば僅かに思えるロード区間のみ。もうこの日の午前中にゴールできることは間違いない。この区間は私が試走していなかったが、峠を幾つも超えるなど最後まで一筋縄ではいかなかった。ほどなくして、おっくんもコムさんも徒歩モードになった。コーネルは足こそ平気そうだが疲労が色濃い様子。この時点でゴールまで走りきれそうなのはレジェンドとコーネル、そして私だけ…。そう、なぜか私は深刻な痛みもなく、疲労もエイド休憩でそれなりに回復していた。

「みんなほんと鍛錬が足りないんじゃないの?」と思いながらロードの峠道を下っていると、ほどなく尻の付け根で爆弾が炸裂し足が動かなくなった。

昔、ランニングを始めた当初は2-3kmほどで息があがっていたのに、ヒトの適応力ってすごいもの。ほどなく10km、20kmと距離が伸び、いつしかフルマラソンくらいの距離なら朝飯前に走れるようになり、走行距離を伸ばしていくうちに周囲の交友関係は100マイルや200マイルも余裕というモンスターばかりに…。そんなハイパーインフレ状況の中で、たった1回しか100マイルを走ったことがなかったくせに自分も耳年増となり、感覚が麻痺していたのかもしれない。やっぱり160km走るって大変なんだよ!

そして、コーネルもほどなく徒歩モードになり、全員見事にぶっ壊れた。

もう走れません(撮影:コムさん)

⑤高尾 DAYDREAM

目論見通りに全員潰れ、子供の遠足後半のような速度でダラダラ歩くおっさん4名(+淑女2名)。日射しが暑い。

距離150kmを超えて八王子市に入ると、ゴールをどこにするか問題が浮上してきた。スタート地点の八王子をゴールにしようと思っていたが、高尾のコバさん宅に立ち寄ってから行くとなるとやや遠回りになり、総距離が165kmほどになる。しかし限界ギリギリのおっさん達にとってはその5kmが厳しい。160km時点キッカリで即終わりにしたいという厭戦気分がメンバーにありありと満ちており、ちょうどコバさん宅が160kmくらいであった。そして、ここまでサポートしてくれたコバさん宅を経由せず直接八王子を目指すことも考えられなかった。

当初、私は八王子ゴールを主張したが、とあるトンネルを通過する際に眠気で意識がとび、そろそろ限界かなと感じた。何よりこのダラダラ歩きにレジェンド達を突き合わせるのも申し訳ない。高尾街道に入り、武蔵野陵沿いの坂を登る。GPSウォッチが160km・100マイル通過を告げた。新緑の中を歩いているうちに、コバさん宅ゴールでいいかという気がしてきた。ここまで来たら5kmなんて誤差みたいなものだ。

全員ダラ歩き

大台を超えた

誰に強制されたわけでもないこの自主企画。このいささか人相の悪いおっさん達は、客観的には何の得もないのに貴重な休日を費やしてボロボロになっている。協力してくれたサポートのSKさん、ノブカさん、マサコさん、コバさんも同様だ。何かの記録が残るわけでもないし、ITRAのポイント*がもらえるわけでもない。それなのにゴールを見据えて全員満足そうだ。なんなのこの人たち。草100ってすごいな。

*国際トレイルランニング協会(International Trail Running Association):レースのコース評価や参加者のリザルトを記録する団体。レースを完走すると距離や累積標高などの難易度に応じてポイントが付与され、このポイント条件を満たさないと出走できないレースもある。

スタートから36時間31分、午前11時頃に高尾ゴール。161.4km、累積標高6283m。

奥多摩に降りた時点で累積は5800mくらいだったので、それからロードの登りが500m近くあったことになる。終わってみれば、エイドの少なさ、走らされるロード区間の長さ(ラストは走りきれなかったけど)、約85kmで6000m近く登らされる山岳パートのツラさなど、数値では計りきれない手応えがあった。

ゴールして喜ぶ超いい顔のおっさん達。スマホのレンズに蒸気がついていたらしく謎のフィルター効果がかかってしまった模様(撮影:ノブカさん)

コバさんは事前に各自が希望する飲み物を用意しておいてくれた。冷えたビールをノドに流し込むと達成感がわきあがってくる。庭先でゆったりとくつろがせていただき、コバさんの運転でスタートのビールデポ地点に戻り、ほぼまるまる2日間にわたる旅が終わった。

ドリンクとビール

たたずむおっさん達

自分はどこかで「草100マイル」「自主100マイル」「勝手100マイル」を、正規のどこかのちゃんとした団体が実施するレースの代り的な存在、練習的な存在と思っていたが、とんでもない間違いだった。もちろんレース独特の祝祭感、真剣さと緊張感、目標を達成する喜びは素晴らしいものだ。でも、こうした勝手イベントは決して何かの代替ではなく、自主的にやるからこその価値がある。もしかしてみんなそんなこととっくに承知で、私だけ知らなかったのかもしれない。とにかく、100マイル走ろうと声をかけたら躊躇なく物好きが集まってくる、このコミュニティはイカれてて尊くて最高だ。

そして、今回完走できたかはともかく、ソロで実施しなくてよかったと心底思った。こんな面白いコトをひとりでやるのはもったいないし、次回はもっと多くの人このコースを走ってほしいと考えている。次に自分が走るとしたら、古里のセブンでVATEREを飲めるくらいの余裕を持っておきたい。

こんな酔狂な企画にお付き合いいただいた出走者の皆さん、コバさん、コムロマリコさん、SKさん、ノブカさん、マサコさん、ありがとう。

そして寄稿を促してくれた山と道の夏目さん、ありがとうございました。

後日、何か完走の記念になるものがほしいと思い、調子にのってフィニッシャーTシャツを制作(世界に4枚だけ!)

GEAR LIST

Base weight: 1,907g

*ベースウェイトは食事・水・燃料などの消耗品を除く装備の重量です。

渡部 隆宏
渡部 隆宏
山と道ラボ研究員。メインリサーチャーとして素材やアウトドア市場など各種のリサーチを担当。デザイン会社などを経て、マーケティング会社の設立に参画。現在も大手企業を中心としてデータ解析などを手がける。総合旅行業務取扱管理者の資格をもち、情報サイトの運営やガイド記事の執筆など、旅に関する仕事も手がける。 山は0泊2日くらいで長く歩くのが好き。たまにロードレースやトレイルランニングレースにも参加している。
JAPANESE/ENGLISH
MORE
JAPANESE/ENGLISH