12月の熊野古道の6日間

2022.02.27

社是としてスタッフには「ハイキングに行くこと」が課され、山休暇制度のある山と道。願ったり叶ったり! と、あちらの山こちらの山、足繁く通うスタッフたち。この『山と道トレイルログ』は、そんな山と道スタッフの日々のハイキングの記録です。

今回は、この山と道JOURNALS編集長であるこのワタクシ、三田が昨年(2021年)の12月に紀伊半島の熊野古道の小辺路と中辺路を1週間かけて旧友と旅したトレイルログを掲載させてもらいます。

実は自分は元々フォトグラファーでもありまして、今回は1眼レフカメラにマニュアルフォーカスの標準レンズを装着し、久しぶりに仕事を離れて気の向くままに写真を撮影してきました。なので、トレイルログですが、今回はほとんどギャラリーのような気分で構成しています。

紀伊山地の深山幽谷と谷間の集落を繋いで伸びる熊野古道は日本最古のハイキング・トレイルであり、歩き旅の原点ともいえる道ですが、我々の旅した12月はまったくハイカーがおらず、ほぼ貸切状態で歩くことができました。

冬になるとつい雪山ばかりに目が行きがちですが、誰もいない低山を長く歩くのにも最高な季節です。そんな季節を行き先もスケジュールも決めずにブラブラと歩いて旅した気分を、少しでも味わってもらえたら嬉しいです!

文/写真:三田正明(山と道JOURNALS)

TRAIL LOG

僕が旅に出る理由はだいたい100個くらいあって、ひとつめはここじゃどうも息も詰まりそうになった。

ふたつめは最近は長い旅に出ても自転車に跨ってばかりだったので、久々に長い距離を歩きたくなったこと。みっつめは12月は山と道が長い冬季休業期間に入るので、そのタイミングで是が非でも長い旅に出ておきたかったこと。よっつめはコロナ禍以降疎遠になりがちな友人とまた会う機会を持っていこうと思ったこと。それらを総合すると、思いつく行き先は熊野しかなかった。

季節は12月だけどそんなに寒い思いはしたくないし、とにかくのんびり遠くまで歩きたいだけでスリルや絶景は求めていないし、数年前、三重(熊野の一部分をしめる)の松坂に引っ越した古い友人から、久々に山を歩きたくなったと連絡が来ていた。

ともあれ、ひと口に熊野と言っても道はたくさんある。奈良の高野山から熊野本宮までを繋ぐ小辺路か、紀伊田辺から熊野本宮〜那智大社まで続く中辺路か、吉野から熊野本宮まで険しい山ルートを行く大峯奥駈道か。

大峯はむかし歩いたことがあること、久しぶりの山行である友人の体力、補給ができて荷物が軽くできることなどを考慮し、今回は小辺路を選んだ。通常3泊4日の行程だけど、何がなんでも1週間は休暇を取るつもりなので、何なら小辺路から中辺路に繋いで那智大社や速玉大社まで歩いてもいい。

なので、今回はあえて下調べをあまりせず、計画も事前に詰め過ぎないことにした。宿泊にしてもキャンプ場か、野宿か、民宿やホテルに泊まるのか、人里に近い場所を旅する小辺路は選択肢が多すぎて決めきれない。ならば先に予定を立ててもたいして意味がない。むしろ次々と起こる出来事に即興で最適解を繰り出せるかどうかが旅の醍醐味だ。何、いつものハイキング装備があれば、どこに行こうが何とかはなる。

行き先も帰る日も決めないまま旅に出ることにワクワクした。これから自分はどこに行き、何を見るのだろう?

新大阪で新幹線から降り、和歌山県橋本市で友人と待ち合わせ、2021年の12月11日の早朝、電車とケーブルカーを乗り継いで高野山を目指した。

高野山は初めて訪れたが、ケーブルカーで登るような険しい山の上に消防署や郵便局や町役場もある立派な町が広がっていることに驚いた。しばし高野山を観光気分で徘徊していると、住宅地の脇の道にひっそりと佇む小辺路の道標を見つけ、あっけないほど地味に熊野古道の旅が始まった。

高野山から小辺路へ入ると人っ子ひとりいなくなり、登山道とは言えないような幅の広い未舗装路を1時間半ほど歩くと大滝の集落に出た。集落とはいえ数軒の小さな家が集まっただけの山間の集落で、僕はネパールのヒマラヤの麓の村や集落を思い出した。道路が舗装されているかいないかの違いだけで、雰囲気も地形もまったく変わらない。熊野古道はこういった大小様々な集落を通り抜けていく道であるということを、のちのち身を持って知った。

なだらかなトレイルを1時間半ほど行くと山間に小さな家が数軒より集まっているだけの集落に出た。雰囲気はまるでヒマラヤの麓の峠の村のようで、違いと言えばここまで登山道だけでなく舗装路も繋がっていることくらいだ。

今回実際に歩いてみてわかったことが、熊野古道の旅はヒマラヤのトレッキングと同じく、村と村、集落と集落を繋いで歩く旅なのだ。集落と集落の間は峠を越えるものの、山旅、山歩きというよりは、「歩く旅」という方がしっくりくる。

なので舗装路のセクションも多くあり、舗装路を2時間以上歩きっぱなしなんてこともよくある。さらに言えば見れる景色も植林の杉林ばかりで絶景など全く拝めないし、熊野詣全盛期の江戸時代と現在では人と森との付き合い方がまったく変わっているので、世界遺産とは言え景色も生態系も当時とはまったく違うはずだ(植林の杉林はなかったし、木材は燃料としても使われていたので里近くの山はもっと禿山が多かっただろう)。

では、熊野古道の旅は何が楽しいのか。正直、まったく楽しくないのかもしれない。絶景もなく、タイムスリップしたような景色が見れるわけでもなく、家の近所と変わらないような地味な低山をただひたすら歩くだけ。はたして僕も楽しかったのだろうか、自問自答してみる。

小辺路には登山道、林道、舗装路があり、峠をいくつもいくつも越える。峠を越えて新しい集落に降りると、さっきの集落とは少しだけ雰囲気が変わり、そして次の集落、また次の集落と峠をいくつも越えるうちに、気がつけば昨日からはずいぶんと遠い場所まで来ていることに気づく。

昼頃にはその日の宿泊地を決める。今夜の寝床は屋根の下か外か? できれば焚き火できる場所が理想だが、温泉という選択肢も捨てがたい。

景色はほんとに地味で、5割が植林の杉林、2割が舗装路の上だけど、朝や夕方、光が綺麗な時間帯には、ハッとするほど美しい瞬間を目にすることがある。骨伝導イヤフォンでブライアン・イーノのアンビエントミュージックやキース・ジャレットのピアノソロを聴きながら歩いていると、音楽と環境音が完璧にミックスされて自分が景色の一部になったような気分になり、胸が震えるほど感動したりしてる。

日が暮れる夕方5時前にはその日の目的地に着く。テントを立てるか、避難小屋に寝ぐらを整えるか。フリーズドライやアルファ米を焼酎のお湯割りで胃袋に押し込んで寝る。今日もいい1日だった。

果無峠を越えて展望台に登ると、どこまでも連なる紀伊山地の山なみと熊野川、そして熊野本宮のある一帯が見渡せた。熊野川の蛇行が作った広い峡谷になっている一帯は、それまで深く狭い谷ばかりだった紀伊山地においては珍しい眺めで、この地に本宮がある理由がわかった気がした。

本宮に近づくと、森がそれまでの植林の杉林から、きちんと手入れされた豊かな生態系のある森に変わった。さすが熊野本宮近くでは植林はご法度になのかどうかはわからないが、その生き生きとした木々の生命力に、本宮が近づいてきたことをひしひしと感じた。

そうして歩き始めて4日目の昼、ついに熊野本宮に到達した。かつて小辺路や中辺路を経て本宮に到達した参拝者の多くが感激のあまり涙したというが、自分が感じたのは異国の寺院や教会に行った時に感じるどこか場違いな気分とそう変わらず、ちょっと残念だった。もっと信心深ければ、もっと感動できたのかもしれない。でも、これまで歩いてきた道やそこで味わった体験から、熊野という土地への畏敬の念は十分に培ってきたつもりだった。本宮に来るかどうかは、実はどうでも良かったのだと思う。

そうしてひとまず小辺路を歩き終え、ひとまずの目的地に着いた僕は岐路にいた。すなわち、この道を歩き続けるのかどうか、旅を続けるのかどうか。

すでに満身創痍となっていた友人は、仕事の都合もあって旅を切り上げるという。ここまでも雪の峠道があったり、囲炉裏と薪が完備された避難小屋で焚き火したり、十津川では温泉宿に泊まったり、なんだかんだ充実した旅である程度満足した気持ちもあり、ここから先ひとりになってもう数日間の旅を続けることに、ちょっとした疲弊感も感じないではなかった。

もう、帰ってしまおうか。地元の美味しいものを食べて、伊勢神宮で観光したり、名古屋に寄り道して帰ったりしてもいいかもしれない……。でも、まだ体の痛む場所はないし、持っている服を昨日全部洗濯したとこだし、この近辺で食料も酒も補給できる。3泊4日の旅はちょこちょこできても1週間の旅はそうそうできない。ここで終わらせるのはあまりにもったいなさすぎる。

中辺路に乗り換えて、ひとまず那智の滝で有名な熊野三山のひとつ、那智大社まで行こう。気が向けば、そのまま海まで歩いてもいい。海にたどり着いてもう行く先にトレイルがなくなれば、とにかく遠くまで歩きたかった気持ちを満足させることができるかもしれない。

また旅に出る約束をして友人と別れ、日和そうになる気持ちと体を奮い立たせて歩き始めた。その夜は行く先にいくつかある古い茶屋跡で野宿をする予定だったが、本宮に着いた時点でカタルシスを感じてしまったせいか体が重く、しかも中辺路のトレイルの入り口までは1時間半ほどクルマ通りの激しい国道を歩かなくてはならず、民宿やゲストハウスを見つけるたびにもうここで泊まってしまおうか、心が折れそうになった。

国道歩きに心身共にたっぷりと削られたのち、午後3時にようやく中辺路へと足を踏み入れた。たったの数時間ぶりではあったが、またトレイルに戻れたことに心からホッとした。さっきまでの国道の喧騒が嘘のように山の中は静まり、相変わらずひとっ子ひとり歩いていない。

疲労困憊していたが、なだらかで歩きやすい道と日没前の光の美しさに癒されたか、気持ちよく2時間ほど歩き、当初の予定通り茶屋の跡地に整地されたキャンプ適地を見つけた。テントを張るとすぐに真っ暗闇になり、あまりの静けさに、この旅ではじめて本当にひとりぼっちになったことを感じた。

舟見茶屋跡の休憩所まで来ると、はじめて那智の海が見えた。コースタイムでは海までそこから2時間半ほど。嬉しくもあったが、いよいよ旅の終わりが近づいていることを感じて寂しくなった。

グーグルマップで現在地を久々に見ると、7日前は和歌山の大阪寄りにいたのに、いまは紀伊半島のかなり先の方にいることに、あらためて驚きを感じた。

中辺路に入って3日目。歩きはじめて6日がたっていた。さわやかな風が吹く雨上がり朝の森は、その日も自分の他は誰もいない貸切状態で、最高な気分で快調に歩みを進めた。めずらしくデイハイカーのグループとすれ違い、「今日初めて人と会った」と言われたので、「僕も高野山から歩いてきたけど、登山道で人に会うのははじめてです」と返した。

僕は那智大社では日本3大名爆のひとつでパワースポットとしても有名な那智の滝を楽しみにしていた。というより、滝が見れればそれで良かった。果たして、ついに眼前に現れた那智の滝は熊野で目にしたすべてのもののなかでもっとも雄大だった。そこに流れる水はまさに熊野の山と森の方々から集まった水であり、熊野の生命力を象徴しているように感じた。

那智大社と那智の街を繋ぐ苔むした石畳の階段が杉の巨木の中にのびる大門坂は、それまでのどの道より熊野古道らしく、最高のフィナーレだと思った。思い返すと、あんな道、こんな道、いろんな道があった。那智の市街へと降りると高野山よりも空気や雰囲気が暖かい気がして、季節感が変わるくらい南に歩いて来たことを感じた。

やれ地味だ、植林の杉林ばかりだと散々なことばかり書いてきたけれど、とはいえ道そのものがこれだけの存在感を持っているトレイルもそうはない。それはひとえに、このトレイルが1000年以上の昔から人々に連綿と歩き続けられてきたその歴史の重さにあるように僕は感じた。この道を歩いた多くの先人の末席に加わることができて光栄だった。

ついに那智の浜まで辿り着き、熊野の山を振り返ったとき、自分があの稜線のはるか向こうの向こうのずっと向こうから歩いてきたのだと思うと、恥ずかしいほど誇らしさと充足感が胸に込み上げた。そうか。僕が旅に出た理由は、ここでこんな気分になるためだったんだ。

GEAR LIST

果無集落にて

NOTICE

  • 小辺路、中辺路のトレイルは基本的にそれほど急峻でなく整備もされ歩きやすい。人里に降りることも何度もあるが、商店があることは稀。
  • 地元の有志の方が管理されている萱小屋跡避難小屋には囲炉裏と薪が用意され、小屋前のファイヤーサークルで焚火も可能。水場もあり、時期によっては冷たい飲み物を購入できることも。ぜひ募金箱に気持ちを入れ、来た時よりもきれいになるように掃除して利用させてもらおう。
  • 食料調達は十津川温泉と熊野本宮附近と小和瀬の集落で可能。
  • 小辺路から中辺路に移っても宿泊適地やトイレや水場の有無など、トレイルの環境はほぼ変わらない。熊野古道のハイキングというと小辺路ばかり有名で中辺路が語られないのが謎だった。
  • 船見茶屋跡休憩所にはトイレ、水道、自販機があり。休憩所横で幕営可能。
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三田 正明
三田 正明
フォトグラファーとしてカルチャー誌や音楽誌で活動する傍、旅に傾倒。 多くの国を放浪するなかで自然の雄大さに惹かれ、自然と触れ合う方法として山に登り始める。 気がつけばアウトドア誌で仕事をするようになり、ライター仕事も増え、現在では本業がわからない状態に。 アウトドア・ライターとしてはULハイキングをライフワークとして追い続けている。 取材活動のなかで出会った山と道・夏目彰氏と何度も山に行ったり、インタビュー取材を行ったり、酒を酌み交わしたりするうちに、いつの間にかこのようなポジションに。 山と道JOURNALSを通じて日本のハイキング・カルチャーの発展に微力ながら貢献したいと考えている。
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