山と道

山と道トレイルログ

日本海〜太平洋
本州横断8デイズ

社是としてスタッフには「ハイキングに行くこと」が課され、山休暇制度のある山と道。願ったり叶ったり! と、あちらの山こちらの山、足繁く通うスタッフたち。この『山と道トレイルログ』は、そんな山と道スタッフの日々のハイキングの記録です。

今回のスタッフはリサーチャー/山と道ラボ研究員を務める渡部隆宏。彼の過去のトレイルログ『11月の奥秩父主脈縦走0泊2日』『TTOT(高尾-丹沢-奥多摩)草100マイル』を読まれた方ならご存知の通り、自らの限界に挑戦する変態的な旅を好む渡部(褒めてます!)ですが、今回はその集大成ともいえるような富山県の日本海から静岡県の太平洋までを8日間で歩いた壮絶な旅の模様をお届けします。

日本海から太平洋まで数多のトレイル、林道、一般道、廃道を繋いだ旅は、渡部に「道」に対して様々な気づきと感慨を与えたといいます。誰にでもおすすめできる旅ではありませんが、このトレイルログが、自分もいつかこんな旅をしてみたいと考えてしまう変態さんへの、良き道標となりますように!

文/写真:渡部隆宏

旅のきっかけ

かねてから1週間くらいかけてテントを背負い、日本海から太平洋まで、本州を横断するロングハイキングをしたいと思っていた。私はアメリカのトレイルを歩いたことはないが、代表格のひとつJMT*が340kmほど。ルートにもよるが新潟あたりから関東地方まで本州の太い部分を横断すると概ねこの程度の距離となり、ハイカーとしても山と道リサーチャーとしても、このくらいの距離を一気に歩き通す経験をしておきたいと思っていたからである。

*John Muir Trailの略。アメリカ、カリフォルニア州のロングトレイル。Pacific Crest Trail(略称PCT)の一部区間、ヨセミテ峡谷とアメリカ最高峰マウント・ホイットニーの間約340kmをさす。

そしてTJAR*への憧れもあった。以前TJARのコースをなぞるプランを検討したこともあったが、どんなに頑張っても10日以上はかかりそうであった。アルプスのピークをいくつかパスして舗装路にすれば難易度はぐっと下がるが、市街地やその近くでテント泊が可能な場所を探すのも意外に難しいと感じた。悪天候であればさらに日数もかかるだろう。

*Trans Japan Alps Raceの略。富山湾をスタートし北アルプス・中央アルプス・南アルプスを超えて駿河湾をゴールとする長距離山岳レース。期間は8日以内、総距離およそ415Km、登りの距離を合計した累積標高は約27,000mに達する。

自分の中でロングハイキングとは、衣食住の装備をすべて背負い、露営しながらできるだけ不整地のみをつないで進むものというイメージがあった。しかし正直言って私はあまりテント泊が好きではない。宿営地で時間を持て余してしまうことが多く、シャワーも浴びたいし洗濯もしたいと思ってしまう。

そんな逡巡の折、ハイカーズデポ土屋さんの発言を読み、目からうろこが落ちた気がした。

海外のロングトレイルって、ずっと登山道なわけではないんですよ。(中略)日本の場合はアメリカと気候も違うし、数ヶ月かけて歩くような長いトレイルがいくつもあるわけではありません。だったら自分でルートを設定してしまえばいいんですよ。登山道だけを繋ごうとすると確かに選択肢は少なくなるけれど、自然歩道や未舗装林道、舗装路までをもひっくるめて全て道だと考えれば、その分、選択肢も広がりますよね。

Yamap Magazine「ウルトラライトの達人に聞く、手軽に『本格山旅』を楽しむコツ|UL入門(後編)」

なるほど、山と山の間は露営にこだわらず普通に街のホテルに泊まればいいのではないか? いっそ山も全て小屋泊にすれば荷物も軽くなる。今年は新型コロナウイルス対策の観点から宿泊客のみにしか食事を提供しないという山小屋もあり、補給の面でも有利だ。ハイキングではなくてただの徒歩旅行じゃないかという気もしたが、どちらでも大した違いはないように思えてきた。ここ数年いろいろ山に行ってみてわかったことは、私の関心は長く歩くことに偏重しているということだ。貧乏症なのか、小屋だろうがテントだろうが、宿泊で停滞する時間そのものをもったいないと思ってしまう。それならば、とことんどっぷりと歩く旅をしてみたいと思った。

そこで今年に入ってから、山と道代表の夏目が以前辿ったルート*も参考に、仕事の都合も考え、1週間程度で踏破できそうな計画を具体的に練りはじめた。その結果決めたのが、日本海の滑川をスタートし早月尾根を通って剱岳を登り、五色ヶ原に下りて黒部湖を渡り七倉尾根から信濃大町へ下り、市街地を南下して八ヶ岳を越え赤岳をから山梨側に向かい、富士山を経由して駿河湾・田子の浦でゴールするという、300kmあまりのコースだ。

*山と道の代表夏目が2015年に実施した日本海から太平洋までのファストパッキング。

剱から七倉尾根はかねて行きたいと思っていた未経験のルートで、五色ヶ原までは概ねTJARと共通している。赤岳と富士山は単に好きな山ということで選んだ。ざっくり言うと、TJARのコースから北アルプスの後半を削り、中央アルプスを八ヶ岳に、南アルプスを富士山に置き換えたというイメージである。

距離はTJARのおよそ8割、累積標高は半分ほどだが、それでも約340km、累積12000m程度と、ほぼJMTに匹敵する規模となる。地図をにらめっこしながら一日当たりで進めそうな距離を検討するうちに、これならなんとか一週間くらいで歩き通せそうな気がした。もっとハードにアレンジすることもできるが、あくまで旅の延長として、悲壮感なく余裕を持ってゴールをしたいと思った。それでもこれだけ長く歩くことは初めてになるので、達成感はあるだろうし、何か新しい気づきが得られるかもしれない。

北アルプス、八ヶ岳、富士山の天気予報を日々チェックし、少なくとも1週間は天気が崩れないであろう時期をねらって決行することにした。

本計画の実行にあたっては、出発日を筆者の新型コロナウイルス2回目接種から約1ヵ月後とし、3日前にPCR検査を受け陰性を確認するなどの感染対策をとりました。

Day 1:富山湾〜馬場島

とやま鉄道を滑川駅で降り、歩いて鉛色の富山湾へ向かった。日本海沿岸で育った私にとっては見慣れた色だ。ソックスを脱いで海に足を漬ける。1週間後、同じように裸足を駿河湾に浸すことができるだろうか。

これからたったひとり、自分の足だけではるかな太平洋を目指すと考えると何か現実感がわかず、スマホでランチの場所を検索してしまう。すぐ近くに見つかった地元の回転ずし店を最初の休憩場所(エイド)とすることにした。曇りの予報は外れ、スタートしてすぐに小雨が降り出す。遠くに山並みが見えるが、剱ではなくその前衛の山々だろう。これから歩き通す距離を思うと気が遠くなった。GPSウォッチをセットし、意を決して走り出した。

  • とやま鉄道・滑川駅

  • 富山湾

わずか2kmたらずで目的の回転ずし店に着いてしまった…。さっきまで鉄道の車内で数時間のんびり座っていたくせに開始から10分も経たずに大休憩をとるという展開に自分でもやる気を疑い、GPSウォッチをリセットしてたった今からスタートということにしようかとも考えた。しかしこれはレースではなく、タイムを争っているわけでもない。そもそもスタートがすし屋というのは訳が分からない。やはり日本海を起点としたく、このくらいのロスは許容することにした

すし屋を出て本日の目的地、馬場島山荘を目指す。もともとは滑川からノンストップで剱を越え、室堂付近で泊まる予定であった。しかしその場合、室堂から北アルプスを抜けた長野県・信濃大町まで1日で歩き通すことが難しく、途中の船窪あたりで宿泊が必要になる。ノンストップではなく剱の手前で前泊した方が日程的にも安全面でも無理がないと考え、いわば0日目として馬場島に泊まることにしていた。滑川から馬場島まではおよそ30km、雨は終始降り続け、30度近い気温の中を移動したためにレインウェアの中も外もびしょびしょになり、のっけから体力を消耗した。

馬場島山荘は旅館並の設備を備えており、お風呂や乾燥室のみならずコインランドリーもあってすっかりリフレッシュできた。ここでウェアを乾かすことができずノンストップで剱に向かっていたら、体力的にもメンタル面でも厳しい状況になっていたかもしれない。

登山口まで散歩する。「試練と憧れ」の碑や慰霊碑を見ると背筋が伸びた。明日はさすがに晴れてほしい。控えた方がいいのだがなんだか寝付けず、ビール500缶を数本飲んでしまった。

  • 国内有数の急流、早月川

  • 「試練と憧れ」の碑

Day 2:馬場島〜剱岳〜五色ヶ原

洗濯などいろいろ雑用をしていたら就寝時間が遅くなってしまい、結局3時間ほどしか眠れなかった。午前0時頃、すばやく身支度を調えて登山口へ向かう。

岩の殿堂と称される剱岳だが、早月尾根は巨木がそびえる生命力に満ち満ちたルートだった。ヘッドライトに浮かぶトレイルは胎内巡りのようで、ナイトハイクの凛とした緊張感がたまらない。

馬場島から始まる早月尾根は北アルプス3大急登のひとつに挙げられているが、他の2ルートよりもはるかにハードだと感じた。なにしろ約7.5kmの間に2300mも登らされるのだ。まるで小さな崖が連続するような登りだった。

  • 見事な大木

  • 夜が明ける

  • 険しい岩場

  • 山頂には先客の女性がひとりいた。雨でiPhoneの本体は動いているもののカメラが壊れたとのことで、私のiPhoneを貸してあげた(好きに撮影してもらい画像をまだ動いている本体に転送した)

明け方が近づき地平線が幻想的に色づいてきた頃、このルート唯一の休憩場所である早月小屋を通過した。さらに淡々と登り、険しい岩場を抜ける。

午前6時前に山頂へとたどり着いた。以前、明治時代に剱岳を初登した測量隊が、山頂で平安時代後期の錫杖を発掘したというエピソードを読んだことがあり、自分も登ったら発見現場となった石室を捜そうと思っていたのだが、景色を見ているうちに忘れてしまった。

ガラスのようにクリアな空の遙か向こうに、特徴的な円錐形の山影が見えた。富士山に違いない。地の果てにあるくらい遠く感じた。

  • 中央にある三角形が富士山

結局剱の山頂で過ごした時間は10分弱。もっとゆっくりとしていたかったが、早月尾根は水場がなく水筒も空になりかけていたため、陽が高くなり暑くなる前に先を急ぐことにした。別山尾根から室堂方面に下りる。一般に剱で難所とされるのはこのルートで、高度感のある岩場が続く。平安時代に登った先人達に敬意を払い、ここまで鎖やボルトに頼らず進んできたが、有名な難所「カニのヨコバイ」はボルトに頼らないと下りることができなかった。

空は澄みわたり絵に描いたようなハイキング日和で、別山尾根からは山頂に向かうヘハイカーが列をなすほどだった。前剱近くの下りをぼーっと歩いていたら左足首を強めにひねってしまい、集中力を取り戻す。

色とりどりのテントが並ぶ雷鳥沢へ下りる。TJARでは立山(大汝山)に向かうが、私は補給の都合から雷鳥沢を経由することにしていた。実際この時点でほぼ水を消費し尽くしており、称名川で冷たい水を汲み生き返った気持ちになる。

  • カニのヨコバイ

  • 称名川の清水で生き返る

午前10時頃に室堂着。山荘の食堂で朝食のカレーをとり、立山三山のひとつである浄土山に向かう。龍王岳を越え、獅子岳の長い下りを抜けるとザラ峠である。さすがに立山霊山と呼ばれるだけあり、浄土・龍王・獅子と山の名前も曰くありげだ。当時はザラ峠が富山と長野をつなぐ道だったというのだが、こんな急峻なエリアが抜け道とはいえ一般的に利用されていたとは、にわかに信じられなかった。

ザラ峠を抜け、予定よりもやや早め、14時頃に本日の目的地である五色ヶ原に着いた。「天空の花園」「雲上の楽園」などと称される五色ヶ原を訪れたのは初めてである。あいにく私が到着した頃、空は灰色に変わり強い風が吹き始め、霧で視界もきかなくなってきていた。スマホのピンポイント天気予報を見ると五色ヶ原は現在も晴れているはずであり、雨雲レーダーにも影ひとつない。どうやらこの上空のみ局所的に雲が渦巻いているようであった。

  • 室堂のミクリガ池

  • 五色ヶ原。空が急速に灰色の雲で覆われる

今夜の宿となる五色ヶ原山荘は個室とお風呂をそなえており、快適に過ごすことができた。日が暮れるにしたがって窓を激しく風が叩き、外を見ると濃い霧で何も見えない。翌日は今日以上の難路を控えており、正直まいったなと思った。

仮に夜が明けても天候が回復しない場合は、当初のルート案……平ノ渡場から針ノ木谷を越え、七倉尾根から下山し信濃大町へ行く……を修正しなければならないと感じた。多くの徒渉を強いられる針ノ木谷は雨が降ると増水し、通行が難しいと聞いていた。

エスケープルートとしては平ノ渡場から黒部湖東岸を北上し、黒部ダムから扇沢に抜けて信濃大町に向かう案がある。しかしダムから扇沢に出るには専用の電気バスに乗る必要があり、人力での踏破という大前提が崩れてしまうため極力避けたい*。五色ヶ原から下りず薬師岳に向かうという手もあるが(まさにTJARのコース)、この場合全体の行程が長くなってしまい1週間では旅が終わらない。

迷った挙げ句に腹をくくり、悪天候であっても平ノ渡場まで行くことと、そこでとても針ノ木谷を越えられないと感じたら扇沢に行くことを決めて寝た。この日はビールなし。

*平ノ渡場から黒部湖の対岸まで渡し船を使うため、厳密には当初の計画も100%人力とはいえない。しかしこの船はアドベンチャーレーサーの田中陽希さんも「百名山一筆書き」の際に使ったことがあり、特例として利用することにしていた。

Day 3:五色ヶ原〜針ノ木谷〜信濃大町

午前4時頃に山荘を出発。まだ夜は明けず、濃霧と強風で視界は悪い。進路の判断がつかないまま暗いトレイルをたどり、平ノ渡場へと下りる。標高が下がるにつれて次第に風もおさまり、雨も小降りになってきた。五色ヶ原の予報が実際とは異なり終始快晴であったことを考えると、高所だけピンポイントで雲が渦巻いていたようだ。

  • 夜霧に浮かび上がるテント

  • 夜が明ける

  • 平乃小屋

  • 渡し船

渡し場に着いた頃もときおり小雨は降っていたが、レインウェアを着るほどでもなく、当初の予定通り針ノ木谷に向かうことにした。黒部湖の渡し場は1日に4往復で、いったん渡ってしまうと簡単には引き引き返せない。ルビコン川を渡るとはこのことかと感じた。

船で黒部湖の対岸に渡り、針ノ木谷に向かう。下調べで見た五色ヶ原山荘のサイトには恐ろしげな説明文が載っていた。

実際におじけづいたので、事前にYouTubeで予習しておいた(これを観て余計にびびった感もなくはない)。

谷に入ると、当初は恐ろしげな印象に反し、意外なほどフラットで歩きやすい道が続いた。要所に目立つピンクのリボンがあり、ルートもまあまあわかりやすい。沢の対岸にピンクのリボンが現れ、いよいよ徒渉が始まる。前日に雨が降ったようで水量は多い。サンダルに履き替え、やや上流に身体を向けて沢を渡った。水はヒザの上まで押し寄せるほどで、とにかく、超冷たい! 10秒も経つと下半身から冷気が脳天まで達し、渡り終わった後に呼吸をととのえて震えを止めないといけないほどだった。前日ひねった足首をアイシングできたことだけは良かったかもしれない。

  • フラットなトレイル

  • 水量は多かった

徐々に道が不明瞭となってきた。このルートは今年あまり人が歩いていないようで踏み跡もわかりにくく、ピンクのリボンがなければ相当に迷ったと思う。針ノ木谷ルートは、船窪小屋の先代ご主人が中心となって復活させた古道とのことで、リボンに加えところどころに刈り込みなど人の手が入っている。しかしながら沢沿いでは凍えるような徒渉を強いられ、沢から離れればアップダウンの多い巻き道と、それなりに消耗を強いられた。足場の悪い傾斜地を通りかかった際にiPhoneを落としてしまう。画面にしっかりヒビが入り、防水機能が損なわれたと感じた。すぐに修理しなければ残りの旅に支障がでそうだ。

度重なる徒渉にさすがにウンザリしてきた頃、ようやく七倉岳への入り口である船窪谷に到着。結局9回どころか17回も沢を渡るはめになった。渡し船を下りて以降、誰にも会わなかった。

  • 予習通りのワイルドなルート

  • 水はものすごく冷たかった

  • 足場の悪い場所でiPhoneを落としてしまった

  • 船窪谷

船窪谷からの登山道はなかなかの急登だったが、針ノ木谷を超えた安心感の方が大きく、稜線に出てからは絶景を眺めながらの快適な登山となった。船窪小屋でカップヌードルをいただき、今回の北アルプスパート最後の難所である七倉尾根を下りる。高度が下がるに従ってハシゴの連続するハードな急斜面となり、登りであれば相当消耗するだろうなと感じた。

  • 稜線に出て眺望がひらける

  • 標高2461mにある船窪小屋

  • ダム湖が見えた。ゴールが近い

  • ワイルドな七倉尾根

トレイルを抜け車道を目にしたとたん、巨大な安心感が訪れる。13時頃、予定よりも早く七倉山荘に到着。無事に着いてみれば、扇沢にエスケープしなくて本当によかったと思った。食堂で名物のダムカレーを食べる。

山荘には女性のハイカーが数グループおり、パンツやザック、サコッシュなど、皆何かしら山と道のアイテムを身につけていた。ブランドの浸透力にあらためて驚くと同時に、同じく山と道のアイテムで身を固めつつも薄汚れた私はなんだか気恥ずかしくなり、そそくさとカレーを食べ、信濃大町近くの宿を予約して食堂を出た。

七倉山荘から信濃大町までは約16km。下り基調の硬いアスファルトが足にダメージを与えていく。大町の市街地に着いた時にはかなり消耗しており、疲労回復に悪影響があることは知りつつもついビールを買ってしまった。

  • 七倉山荘のダムカレー

  • 下山の安心感で飲んでしまう

予約した宿にチェックインする。風呂で足をマッサージしたが、疲れていて足を揉む気力が続かない。重い足をひきずって宿から1km離れたコインランドリーにたどり着き、汚れものを洗った。洗濯が終わるとすっかり夜になっており、食堂のラストオーダー時間が過ぎてしまっていた。仕方なくスーパーで惣菜とビールを買い、明日にそなえて眠った。後から振り返っても、この日が身体的には最もハードだったと思う。ビールは350缶6本くらい……。

Day 4:信濃大町〜松本〜岡谷

朝3時には出発の予定だったが5時頃まで寝てしまった。前日までのダメージは私なら通常状態に回復するまで1週間くらいかかるレベルという印象で、足が重い。

今日の目的地は諏訪湖の北側に位置する岡谷、約60kmの道のりだ。信濃大町から岡谷までの間には、松本や塩尻といった大きな街があり本来はどこに泊まってもいいのだが、この日は岡谷にたどり着かなければならない理由があった。旅の後半に必要と思われる替えの装備や着替えを、あらかじめ岡谷のホテルに送付しておいたのである。4日目には余裕で岡谷に着けるだろうと思っていた見通しの甘さにため息が出た。

まずは松本市に向かう。松本にはアップルの正規サービスプロバイダがあり、そこで画面の割れたiPhoneを修理する必要があった。信濃大町から松本まで約35km。

信濃大町から殺風景な国道147号を南に進むが、足の痛みのせいで走ることができたのは最初の2時間ほど、以降は徐々に歩きまじりとなり、コンビニやスーパーでつい休憩をしてしまう。少なくともiPhone修理の間は休憩できると考え、とにかく松本まではとがんばって進む。

国道147号は典型的な地方の幹線道といった感じであったが、ところどころに歴史を感じさせる道標や碑があった。調べてみるとかつて塩の道、あるいは千国街道(ちくにかいどう)と呼ばれた古い道らしい。さらに休憩中のコンビニでスマホ片手に調べてみると、昨日通った針ノ木谷はかつて立山新道と呼ばれ、千国街道の起点である糸魚川と富山を結ぶ「塩の交易路」だったという(!)。

昨日の荒れたワイルドな道と今歩いている国道は似ても似つかない。この場所を通過する人と暮らす人が長い間にわたって道を維持してきたおかげで、現在自分のような来訪者も旅ができる。適当に選んだ自分のルートが意外な縁で結ばれていることを知り、岡谷までのルートをただ次の山域・八ヶ岳までの途中経過にしかすぎないと思っていたことが申し訳なく思われ、この歩き旅を楽しもうと思った。

  • 歴史を感じさせる碑

  • 国道147号と並行する大糸線

正午前に松本市に到着。グーグルマップで調べた評判のいいウナギ屋に入る。いかにも観光地にありそうな店であったが、接客もたいへん気持ちよかった。続いてイオンモール内にあるアップルの正規ショップに向かう。2時間ほどで修理が可能とのことで、ウナギ屋と合わせて4時間半ほど休憩がとれることになった。

ここで告白すると、松本到着時は非常に足裏が痛く、少し自転車(シェアサイクル)に乗って進もうという悪魔的な誘惑が100回くらい浮かび上がった。だが1秒でもサドルに尻をついたら人力踏破ではなくなってしまう。所詮はひとりの酔狂な企画、ここで自転車に乗ってもバレやしない…。いや、バレはしないって、いったい私は誰を気にしているのか? 少なくとも私自身には隠せないのだ。

意を決して歩き出すと、長い休憩のおかげで多少足がラクになっていた。松本から15kmほど先、塩尻くらいまでは順調に進む。塩尻で国道20号(甲州街道)に入ったあたりから緩やかな登り坂となり、足の痛みと疲労感が蘇ってきた。変化に乏しい景観に集中力が切れたこともあるが、道も歩きにくかった。路側帯は雑草で覆われ、トラックがすれすれを通過する。古い歴史をもつ甲州街道だが歩行者のことは想定していないようであった。長野自動車道沿い、みどり湖PAに至る長い長い側道をたどっているとき「旧中山道」の看板に出くわす。以前都内の中山道(現国道17号)沿いに住んでいたことがあるが、その当時は旧道が木曽街道と呼ばれ、長野を経て京都に通じていることは知らなかった。入ってみると都内を通るあの国道17号と同じ道とは思えない徒歩旅行にぴったりのひっそりした雰囲気で、何か安心した。

夕暮れの中、峠道を抜けると眼前に諏訪湖が現れた。ようやく岡谷だ。今日は地味で、長く、やはりツラかった。予約した宿に着いた頃にはすっかり暗くなっており、またしても食堂のオーダー時間に間に合わず、部屋でテイクアウトの弁当を頬ばる。部屋は禁煙を予約したはずが手違いで喫煙ルームとなっており、かなり年季の入ったスモーク具合だった。

  • 旧中山道

  • 峠道を越えると諏訪湖が現れた

宿には自分が送った段ボール箱と、追加で家族に頼んでおいたウェア類が届いていた。替えの衣類やシューズなどを箱から取り出し、一方でもう必要ないと判断したトレッキングポールやヘルメットなどの装備を自宅に返送すべく再び梱包する。

明日は八ヶ岳、桜平まで歩き山小屋に泊まる予定だ。足をマッサージしながら天気予報を見ると、雨と強風の荒れ模様になるとのことだった。風速は20km/hに達するという。

迷った。この風速はあくまで時間ごとの平均で、瞬間ではもっと強い場合もありうる。横岳の細尾根を歩いているときに例えば30km/hの風が吹いたら…耐えきれないかもしれない。残念ではあるが今の疲労をひきずったまま暴風雨の八ヶ岳を越えるのは危険と感じ、計画を変更することにした。ビールは350缶2本。

Day 5:岡谷〜韮崎

朝コンビニで自宅に宅急便を返送し、諏訪湖の南側、県道16号を茅野方面に向かう。諏訪湖の周辺は一周16kmのランニングコースが整備されており、湖の南端までは気持ちよく走れたが、湖を過ぎてからは徒歩モードになった。足裏は相変わらず痛い。ある尊敬するウルトラランナーが言っていた、超長距離走とは、つまるところ足の痛みガマン競争だと。それは重々分かっていたつもりだが、分かったからといって痛みが和らぐわけではない。

  • 諏訪湖

  • 諏訪市に入った

この日は当初の山行予定を変更し、ロードを南下することにした。八ヶ岳の方面を眺めると、灰色の雲に覆われ山並みどころか裾野さえ見えない。後ろ髪引かれる思いだが、やはりパスしておいて無難だった。これがまだ元気な旅の2日目・3日目なら強行していたかもしれないが、このコンディションで雨や霧はうんざりという心境だった。

県道16号沿いには諏訪大社があり見学していこうかともおもったが、ちょうど修学旅行の団体がいてなんとなくスルーしてしまった。今日は明確な目的地がないが、明後日くらいには富士吉田に着いておく必要があると考えると、中間の韮崎か甲府あたりまでは進んでおきたい。茅野市に入り、再び甲州街道を黙々と歩く。東を見やると空は依然として暗く、八ヶ岳は完全に諦めがついた。道が釜無川と交差する。山梨県に入ったのだ。空は基本的に灰色一色だったが、ときおり甲斐駒の稜線が見えた。

  • 諏訪大社上社のとてつもなく長い石段

  • 宿場町(蔦木宿)

「白州・尾白の森名水公園べるが」の看板を通過する。ここは6月にトレイルレースのボランティアで訪れた場所だ。一帯では道路工事が行われていた。かつて都内からクルマで数時間かけ訪れた場所に、日本海から歩いてたどり着いたことに一瞬だけ感慨を覚えるが、多くの人が道の整備に汗を流している側をただただ通り過ぎることがなぜか後ろめたい気持になった。

釜無川沿いの浸食した河岸を眺めながら歩いていると、実家から着信があった。こういう電話がいいニュースだったことはあまりない。今何をしているのと聞かれ、歩いていると答えた。それ以外に答えようがなかった。

東京まで100マイル(約160km)の標識が見えた。東京が目的地ではないが、日本海からここまでずいぶん歩いてきた。歩幅が50センチとして、2歩で1m、2000歩で1km、20万歩で100km…。この一歩も、積み重ねれば長い距離になる。

  • べるがと甲斐駒の入り口

  • 東京まで100マイル

八ヶ岳をパスしたため、昨日からずっと舗装路を歩いている。市街を歩くことは退屈だと思っていたがそうでもなかった。考えてみると、山にいるときは実は結構忙しい。一般的に日本の山はどこにでも自由にテントを張って泊まれるような状況ではないため、宿営地なり下山日なりの予定があって、それに遅れないよう逃さないように動いている。美しい景色の中にあっても、どこかで次の段取りを考えている気がする。

その点、街は違う。疲れるまで歩いて、歩けなくなったら仮眠するなり宿を探して泊まればいい。特定の用事がないのであれば、山よりも街の方が純粋に歩くことに集中しているかもしれない。自分がハイキングをする理由は、自然と親しむことだけではない。歩くというシンプルな行為を通じて内省できることが魅力的だからだ。トレイルを歩いたりピークを踏んだりしなくても、それは成り立つのでないか…。

この旅の途中から沸いてきたイメージがあった。昔は一般道も登山道もなく、すべて未舗装路だったはずだ。登山道というのは現代人から見た感覚であって、昔は平地の道も山中の道も区別はなかった。土屋さんが「自然歩道や未舗装林道、舗装路までをもひっくるめて全て道」と言ったのは、全部がつながっているからルート設計に利用できるという意味だけではなく、文字通り全く同じものということだったのではないか…。

日が暮れてきた。足の裏が痛み、もうペースを維持できない。韮崎を今日のゴールと決め、iPhoneで宿を探しすべり込んだ。ビールは350ml小瓶1本、350缶3本。

  • 韮崎をゴールに決めたら安心してしまい、つい飲んでしまった

  • 浸食された河岸

Day 6 :韮崎〜河口湖

この日はいよいよゴールの手前、河口湖・富士吉田方面を目指す。空は厚い雲がたちこめ、今にも雨が降り出しそうだ。富士山は全く見えない。出発して以来、剱岳以外全く天候に恵まれていないが、涼しさのためむしろ体力を温存できたのかもしれない。ひたすら甲州街道を南下し、住宅街を通り、笛吹市に入る。笛吹川を越えたあたりから果樹園の看板が増えてきた。河口湖を示す標識がある。とうとうこんなところまで来たのだ。

市街地を抜けると徐々に人家が少なくなり、道の傾斜が強くなってきた。これから御坂山地の峠越えが待っている。標高が上がるにつれて霧が濃くなり、ときおり小雨が降り出す。クルマも滅多に通らず、誰も歩いていない。下調べでは、峠の標高は1100m程度。ふだんならなんということのない高低差だが、すぐに休憩をとってしまうためなかなか進まない。心拍数も上がらないため身体が冷え、レインウェアを着ていても足を止めると震えが来る。疲れているが、とにかく歩かなければならない。

  • 標識に河口湖が現れる

  • 霧と小雨の峠道

  • 新鳥坂トンネル

  • 長かった若彦トンネル

新鳥坂トンネルが現れた。このあたりが登りのピークで、500m近いトンネルを抜けると緩やかな下りとなり歩みが速くなる。再度少し登った後、若彦トンネルに入った。このトンネルは全長2.6kmもあるが下り基調で、重力の助けを借りて走り抜けることができた。

トンネルを抜けしばらく歩くと、河口湖が見えた。やっと今日のノルマが終わった。わずか1000m程度の峠越えだが、全く余裕がなかった。今日は6日目。TJARのトップ級選手は今の私よりも100km以上長く歩き、10000m以上も登り、もう太平洋にたどり着いている。しかも露営しながらだ。やはり超人だ。

下りのロードで足に刺すような痛みを感じ、チェックしてみるとマメができかけていた。普段は雨天のマメ対策としてソックスを二重にしているのだが、この日の朝は雨が降っていなかったために対策を怠っていた。路上で足を拭い新しいソックスに履き替え、再び歩き出す。

河口湖大橋の向こうに大池公園が見える。一昨年のUTMF*ではたどり着けなかった大池公園に戻ってきたとたん、足から力が抜けた。今日はもうロクに進めそうにない。十分にダメージを抜かないと、明日富士山を越えることはできないだろう。

*ウルトラトレイル・マウントフジ (ULTRA-TRAIL Mt.FUJI)。富士山周辺をコースとした100マイルのトレイルレース。筆者は2019年に参加。この年のコースはスタート地点が静岡県富士市の富士山こどもの国、ゴールが大池公園だった。

  • 大池公園ではUTMFのテーマソングが脳内にひびいた

  • 富士急ハイランドを抜ける

スマホで宿を検索すると、雨のせいかオフシーズンのせいか、ある高級ホテルがとんでもないバーゲン価格になっており、速攻で予約を入れる。宿には温泉もあり、交代浴とセルフマッサージ、さらにはロキソニンのシップでふくらはぎをぐるぐる巻きにするなどして、できる限りの回復を試みた。

ベッドに横たわり富士山の天気をチェックする。山頂は雨まじりの強風という最悪の予報だった。風速20km/h弱、気温は3度から4度。コンディションは悪いが、八ヶ岳もパスしているのに最後の最後で富士山を避けることはできない。悪天候だが手持ちの装備でギリギリなんとかなると考え、予定通り山頂を目指すことにした。この日のビールは350缶4本。

Day 7:河口湖〜吉田古道〜富士山

当初の計画では、夜のうちに宿を出て当日中に富士山から下りている予定だったが、起きることができず出発が遅れた。泥のように眠ったが回復が不十分と感じ、宿をチェックアウトした後、ダメ元でマッサージ店を検索した。2軒見つかったうちのひとつは予約で埋まっており、やむを得ずもう1軒の方に向かったが、一見さんお断りの強いオーラが漂っており扉を開くのに躊躇した。

1時間後、生まれ変わったかのような足取りで治療院を出た。施術者は盲人の凄腕で、的確かつ全く痛みのない指圧はゴットハンドと称したいほど。軽い足取りで、吉田口登山道の起点、北口本宮の冨士浅間神社へと向かう。

  • ゴットハンドの富岳養生所。昼食までいただいてしまった

  • 北口本宮・冨士浅間神社

吉田口はこれまで何度も歩いているが、今回は5年ぶり、かつ昼間に通るのは初めてだったので新鮮だった。以前の記憶よりも道や標識の整備が進んでおり、夜は少し無気味な石碑や茶屋の廃屋にも趣を感じる。雨は降り続いているが、水はけもよく歩きやすい。

18時に佐藤小屋に到着。マッサージの効果は絶大で、昨日よりも歩みが軽い気がする。神社から佐藤小屋までは誰にも会わなかったが、五合目を超えてからはぼちぼちと登山者(多くは外国人)を見かけるようになった。昨年富士山の登山道は閉鎖されており、登りたくても登れなかった人がいる。今年は何人登ったんだろう。

  • 吉田道の碑。明るい時間に見たのは初めて

  • 標高を上げる

  • 富士山でカモシカを見たのは初めて

  • 佐藤小屋に着いたのは夕方だった

六合目を越え、七合目からは斜度の強い溶岩流の登りとなり、濡れた岩場に慎重に足を置きながら進んだ。八合目を超えると、ときおり強風が襲ってくる。こんな悪天候で富士山に登るのは初めてだ。

山頂まであと1時間程度。ヘッドライトに照らされた砂れきの傾斜道を黙々と登る。今回の旅で歩いてきた道が回想されてきた。早月尾根、立山ルート、針ノ木谷、千国街道、旧中山道、旧甲州街道、吉田口登山道…、トレイルも舗装路も区別なく、すべての道が絡み合い、ここまでつながっている。同時にこれまで出会った人々の顔も浮かんできた。いろいろな人との出会いがなければこのハイキングは始まっていない。同じような旅をしてきた先人、この旅に送り出してくれた人、道を維持し整備する人…、ひとつひとつの因果がマンダラのようにつながって今がある、そんなことが、なぜかこの八合目の登りで、突然かつ鮮明なイメージとして、頭に入ってくる。自分は山に行く際、おおむねひとり旅だった。これまでも、今回も、ずっとひとりで歩いてきたと思っていた。でも、ひとりではなかった。

何か熱いものが胸の奥からひたすら押し寄せてきて、とどめることができない。タイミングがおかしい。こういうのは、せめて山頂とかゴールとか、そういう場面で来るものじゃないのか? これまでどんなレースを完走した時も、どんな山を越えた時も、こんな感情になったことはなかった。

濃い霧の中、ヘッドライトの灯りに久須志神社の狛犬と鳥居がぼんやりと浮かび上がる。鳥居をくぐって山頂に出たとたん、身体をもっていかれるほどの強風を受ける。濃い霧と雨の微粒子でヘッドライトの光が拡散し、大げさではなく1メートル先すら見えない。そもそも強風でまともに前を向いていられない。風が濡れた衣服を身体に押しつけ、体温をみるみる奪っていく。

  • 夜でも小屋の灯りが消えることはない

  • 吉田口のゴール、久須志神社

ここからは剣が峰に行って下山するだけの計画だった。この先の富士山お鉢ルートで迷うことはほぼ考えられないが、これだけ視界が悪ければ足を踏み外すこともありうる。残念だが意を決し、剣が峰はパスして最も近い下山口である富士宮口に向かうことにした。ぼんやりとトイレの灯りが見え、あわててすべり込む。強風で歩くのも厳しく、一息つきたかった。

トイレでありったけの服を着て外に出るが依然として寒く、雨はみぞれ混じりにさえ思えた。向かい風を受けているということは、今から向かう富士宮方面から風が吹いているということになり、下山路でも強風に晒され続けるリスクがある。これは強気になっている場合ではなく本当に危険なのではないか…? 非常に迷ったが、お鉢をこれ以上進むことはできない、留まることすらできないと判断し、いったんエスケープすることにした。

再び久須志神社の鳥居をくぐり、ついさっき通ったルートを下る。山頂はさえぎるものなく強風が吹き荒れていたが、少し高度を下げるだけで穏やかな状況となった。しかし身体は冷え切っており、この山頂直下で風と霧がおさまるのを待ち続けるのも厳しいと感じ、さらに高度を下げてどこかの小屋まで引き返すことにした。今年の富士山は多くの小屋が予約制をとっており、飛び込みは基本的にお断りである。仕方ないこととはいえ、八号目より上の小屋は門前払いであった。七合目まで下りると、ようやく受け入れてくれる小屋が見つかった。入り口でお湯をもらいカップ麺を啜って横になる。この日はビールなし。

Day 8:富士山〜村山古道〜駿河湾

午前4時、小屋から外に出ると霧雨が晴れていた。昨日は望むべくもなかった朝焼けが見える。コーヒーを飲んで再び山頂に向け出発した。

  • 朝焼け

  • 燃えるようなご来光

七合目は標高約3000m。また700m以上登るのかと思うとうんざりするが、これが本当に最後の登りだ。天候が落ち着いたこともあり、人数は少ないもののご来光目当てのハイカーも目につく。淡々と登って久須志神社の鳥居をくぐり、山頂に到達。

気温は昨晩とあまり変わらない感じだが、風が弱まっており、何よりも霧が晴れて視界が効くのがありがたい。小屋を出てから1時間45分、昨日断念した剣が峰へ到着。やはりここを踏むかどうかで達成感が全然違う。あの時七合目に退避する判断をしてよかったと思った。

  • 再び久須志神社へ

  • 剣が峰

富士宮口に向かい下山を開始する。浅間大社奥宮は今年の営業を終えていた。静岡方面は分厚い雲海に覆われていたが、宝永山を横目に下っている途中で雲が晴れ、太平洋が見えた。頭の中で管楽器のような高い音が鳴る。日本海からとうとうここまで来たのだ。

富士宮口五合目に到着。足裏に痛みがあり、富士山スカイラインの長い長い舗装路を下りる気にならなかったため、トレイルを御殿庭方面に進もうと思い地図アプリを開く。画面を見るとまっすぐ山麓に伸びる道がある。吉田古道と対をなす富士山の静岡側参詣路、村山古道だった。吉田古道から始まったこの富士登山、最後も歴史あるルートで締めくくるのがいい気がした。

村山古道は村山浅間神社を起点とする参詣道で、山梨の吉田口に登山者が集まることで廃れていたルートが平成になって整備されたものだという。自分は本で読んだだけで足を踏み入れたのは初めてだった。当初は適度に人の手が入った痕跡があり、目印のリボンもわかりやすく、下り一辺倒で歩きやすかった。

  • 村山古道

  • 古道の途中にある富士宮中宮八幡跡。吉田口の馬返しにあたるという

地図によると古道沿いには「富士山麓山の村」というキャンプ場があるらしく、自販機で補給ができないかと期待したが、行ってみると何の痕跡もない更地になっていた。調べると数年前に閉鎖されたという。そしてこのあたりから道は歩きにくくなっていった。えぐれた谷に残された古いリボンに幻惑され、あるいはリボンが途絶えて踏み跡すら見つけられないようなヤブに迷い、工事や崩落箇所、崖に遮られ、ここまで来てこんなに苦労するのかとロードを下りなかったことを後悔した。このルートは登山者も非常に少ないらしく、五合目からは誰にも会わなかった。

  • 何もないキャンプ場跡地

  • 崩壊した道

しかしクネクネと舗装路を下る富士山スカイラインよりは時間を短縮できたようで、なんとか予定よりも早く一般道にたどり着いた。まだまだゴールの田子の浦まで20km近くあるが、人の気配が感じられる世界に出て心からほっとした。最初は歩きやすかった村山古道だが、途中からは厳しかった。人が歩かないと道はすぐに廃れてしまうのだ。

舗装路を淡々と下る。ゴールまではすぐ近くと分かっているけど、精根尽きてもう走ることができない。セブンイレブンがあった。昨日から行動食のスナックとカップ麺ばかりだったので、何かマシなものを食べたかった。弁当をかきこみ、最後の歩きパートに入った。

吉原の市街地を抜け、東海道新幹線の線路を越え、国道1号を越えると田子の浦港の大きな看板が見えた。ゴールの「田子の浦みなと公園」まで最後の力をふりしぼって走る。限界と思ってもまだ走れるものだ。しかし公園の入り口が上り坂になっており、ラストは歩いてしまった。

以前に、海抜0mの田子の浦から山頂に向かうべく富士登山をしたことがある。その時は護岸工事の最中で、海の水に触れることはできなかった。今回も公園の海に面したエリアは消波ブロックで覆われ、直接海に出ることはできなかった。これ以上進むことはできない。ここで終わりにすることにした。

  • 宿場町の雰囲気を残す吉原商店街

  • 田子の浦港

15時50分、田子の浦みなと公園着。スタートから8日間と7時間。富士山を登り返さなければ8日を切れたと思うが、そもそも今回の行程では八ヶ岳をパスしている。好天だったとしても、やはり自分の体力ではこのくらいの日数が必要となったろう。この旅に悲壮感はなかったが、余裕もなかった。

スタート時に期待していたのは晴れ渡ったスカイブルーの太平洋だったけれど、富山湾と同じくゴールの海も灰色だった。

ここからJRの新富士駅までは数kmしかない。今日中に新幹線で自宅に戻ることもできるが、その余裕がなく、とにかく横になりたかった。適当に予約した安宿に向かうものの、気持が切れてしまい、宿までのわずか数kmがとても遠く感じた。ベッドに倒れ込む前に死ぬ気でシャワーを浴びて洗濯をし、ようやく横になったが、なかなか寝付くことができず、宿から1kmほど離れたスーパーでビールを調達してようやく眠ることができた。限界と思ってもまだ歩けるものだ。

ビールは剣が峰で1本飲んで、宿でもたくさん飲んだ。

おわりに

当初の計画時点では、この旅は日本海から太平洋までを、シンボリックな山々をつないで歩くことが目的であり、その途中で立ち寄る街や舗装路は、いわば私に許された日数と体力とをふまえた妥協の産物であった。しかしながら実際に歩いてみると、山はもちろんすばらしかったが、街や人里にもそれぞれの魅力があった。早月尾根のナイトハイク、剱岳と立山エリアの大展望、澄み切った称名川、霧の五色ヶ原、ファンタジーゲーム気分になれた黒部湖の渡し船、ワイルドな針ノ木谷、信濃大町の安心感、諏訪湖のエイド感、街道沿いの宿場町、河口湖のゴール感、富士山頂の暴風、富士宮口から見えた太平洋、どれも忘れられない。しかし最も印象に残ったのは、特定の景色や目的地以上に、場所と場所とをつないでいる連続した「道」そのものだった。

多くの人の一歩一歩が積み重なり、途方もない時間をかけてできあがってきた道。それが山も平地もなく全国津々浦々を網目のように結んでおり、絶えずメンテナンスされている。その尊さを実感として知ることができたことができたのは大きな発見だった。歩くことの厳しさと楽しさも身にしみてわかったと思う。数百kmというスケールの距離を歩くことについて、具体的なイメージを持つことができたことも収穫だ。

スタート後に天気予報が変わり、悪天候のため当初の計画通りにはいかなかったが、大きなトラブルやケガなく終えられたのは幸運だった。また装備や人の身体、自分の限界についてもさまざまな気づきがあり、微力ながら今後のモノ・コトづくりに反映させていければと思う。

最後に、家族、旅のきっかけをくれた人々、そして甲信越のトレイル・エンジェルことハッピードリンクショップには心から感謝します。皆さんもよい旅を。

GEAR LIST

Base weight: 3,388g

*ベースウェイトは食事・水・燃料などの消耗品を除く装備の重量です。

NOTICE

  • 山と道のAlpha Vestは超軽量かつコンパクトに携帯でき、日射しの強い北アルプスから凍えそうな富士山頂まで、シチュエーションを問わず活躍した。
  • ふだんは使わないが、北アルプスではミッドカットのシューズにゲイターを装着した。シューズに全く落ち葉や小石が入らず快適だった。
  • 常に足裏のケアを怠らなかった。毎朝出発前には足裏と指の間に潤滑剤(テングバーム、ガーニーグー、Protect Jなど)を塗り、ソックスを二重(インナーはウール混の5本指、アウターもウール)にした。シューズは浮腫の対策と二重ソックスに対応すべく余裕のあるサイズを選んだ。どんなに疲れていても、毎晩寝る前に100均のマッサージボールで足底をほぐした。
  • 行動食は調理の必要がなく痛まないお菓子類が中心。亀田製菓の柿の種、無印良品の不揃いバウム、‎アサヒグループ食品のプロテインバー、セブンイレブンのバナナチップスチョコとわらび餅、コンビニ各社のミックスナッツなど。

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