Amatomi – Shinetsu
200km Journey #1
あまとみトレイル〜信越トレイル 200kmの旅(前編)
2021.12.21

2008年の開通以来、日本にロングトレイル文化を広げるための重要なフィールドとなってきた信越トレイルが、今年2021年、30km延伸し全長110kmとなったことはご存知でしょうか? さらに同じく今年、「あまとみトレイル」と名付けられた長野駅から斑尾山まで86kmに渡って伸びる新たなトレイルが開通したことは? しかも、「あまとみ」と「信越」は斑尾山を起点に繋がっており、続けて歩けば、200km近いロングトレイルとなるのです。

そんな「日本でいちばん新しいロングトレイル」に、昨年JOURNALSにみちのく潮風トレイルのスルーハイクレポートを寄稿していただいたトリプルクラウン・ハイカー*清田勝さんが挑みました。

*アメリカ3大ロングトレイル(アパラチアン・トレイル、パシフィック・クレスト・トレイル、コンチネンタル・ディバイド・トレイル)を制覇したハイカーのこと

「日本でいちばんロングトレイルを歩いている男」と言っても過言ではない彼が、200kmの旅の先に見るものとは…⁉︎ 今回もトレイルと旅の匂いをたっぷりと詰め込んで、前後編でお届けします。

文/写真:清田勝
写真:福本玲央

はじめに

「あまとみトレイル…?」

「なんだそれ?」

そう思う人も少なくはないだろう。その道を歩く僕ですら同じことを思っていたのだから、2021年現在、日本中でこのトレイルを知る人は極わずかに違いない。

あまとみトレイルは、妙高戸隠連山国立公園を中心として、あ-雨飾山(あまかざり)ま-斑尾山(まだらおさん)と-戸隠山(とがくしやま)み-妙高山(みょうこうさん)の頭文字をとって名付けられた長野駅、戸隠、黒姫、妙高、笹ヶ峰や野尻湖、斑尾山などを通る86kmのトレイルだ。2021年の10月23日に一部開通したばかりで、今後は妙高笹ヶ峰から小谷村、糸魚川方面を繋ぐルートも検討されているらしい。

ロングトレイルといえば聞けば、アメリカのPCT(Pacific Crest Trail)やAT(Appalachian Trail)、国内でいえば青森県八戸から福島県相馬までの1000km続くみちのく潮風トレイルや、日本のロングトレイルの土台になったとも言われる信越トレイルなどを連想する人が多いはずだ。

僕自身、数年前からアメリカのロングトレイルを歩くようになり、その後、国内の代表的なトレイルはそれなりに歩いてきた。

2020年JKと歩いた信越トレイル斑尾山山頂付近

日帰りや2泊3日の登山よりも長い時間、長い距離を旅するのが好きなこともあって、「ロングトレイル」と聞けば興味が出てくるわけだが、どのぐらい長ければ「ロング」になるかというのはいまいちよくわかっていない。今のところ、「食糧補給を要するか否か」というのが僕の認識だ。

あまとみトレイルは総距離86km。僕の感覚ではお世辞にも長いとは言えない。2020年に「JK」こと山と道の中村純貴と歩いた信越トレイルも80km。どちらも食糧補給を必要としない距離感で、僕個人の意見としては「ロング」とは言えずにいた。

一方、昨年の秋に歩いたみちのく潮風トレイルは1000kmを越える。旅の中に浸かっていられる時間と距離を充分に感じることができた。

2020年青森県から福島県まで歩いたみちのく潮風トレイル

そんな中、信越トレイルのHPに

「信越トレイルが開通から13年後の2021年9月25日、苗場山まで延伸し、全長80㎞から、全長110kmのロングトレイルへと生まれ変わる」

との情報が流れた。

苗場山がどんな山なのか、どんな道を通るのか、そんなことはあまり気に留めず距離が伸びたこと自体に興味が湧いた。僕が旅する理由は場所よりも時間や距離の方が大切なようだ。

「…ん? ちょっと待てよ」

あまとみトレイルの起点は長野駅と斑尾山、信越トレイルの起点は斑尾山と苗場だ。

「…繋がってる!」

そう、あまとみトレイルと信越トレイルは、実は斑尾山で接続されているわけだ。その総距離は約200km。このトレイルがどんな場所を通っているかよりも、「200km」という距離に心を躍らせ、僕は旅の準備を始めることにした。

トレイルについて

ここで「あまとみトレイル」と「信越トレイル延伸」について少し触れておきたい。

まずは、「あまとみトレイル」。

先ほど説明したように、妙高戸隠連山国立公園を中心として長野駅、戸隠、黒姫、妙高、笹ヶ峰や野尻湖、斑尾山などを通る86kmのトレイルで、とにかく歩きやすいのが特徴だ。その理由は大きくふたつ挙げられる。

設置されたトレイルの道標

ひとつは、既存の道を繋いでいるところ。

あまとみトレイルが通るルートには、中部北陸自然歩道や戸隠神社奥社まで続く戸隠古道が通っている。急登急降下のようなアップダウンはほとんどなく、長野駅から集落や林道を繋ぎゆるゆると標高を上げ、気がつけば標高1000mを越えているという、お得感を感じてしまう行程になっている。

トレイルの脇に建てられた戸隠古道の道標

もうひとつの理由は、寝床の心配がないところ。

長野駅周辺はもちろん、戸隠神社周辺や野尻湖は観光地として旅行客が訪れるエリアなため、宿やキャンプ場がいい距離感に点在している。今回は、実際に3泊4日であまとみトレイルを歩いたのだが、テントを張ったのは一晩だけだった。もしかしたら、テントを持たずにスルーハイクができてしまうのではないかと思ってしまう。いや、いける。

唯一テント泊した飯綱高原キャンプ場

「ロングトレイルは歩いてみたいけどハードルが高い!」と思っている人にはもってこいのトレイルだと声を大にして言いたい。そして、何よりも観光地のおいしい食事が山小屋価格ではなく普通の値段で食べれてしまうというのが、このトレイルの最大の魅力だ! と僕は思う。

次に、信越トレイル延伸。

以前までは斑尾山〜天水山までの80kmのトレイルだったのだが、2021年9月末より正式な延伸が発表された。天水山〜苗場山までの約30kmの延伸で、信越トレイルの総距離は110kmとなった。

この苗場山までの信越トレイル延伸において、加藤則芳氏の話抜きでは語れない。

氏は作家としてロングトレイルや自然保護などをテーマに執筆し、海外のロングトレイルも歩き、日本におけるロングトレイルの第一人者として、信越トレイルやみちのく潮風トレイルなど、日本のロングトレイルの普及に貢献されていた。しかし、信越トレイル(当初の80km)が開通した2年後の2010年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症。2013年に64年の生涯に幕を下ろした。

生前、加藤氏は信越トレイルへの思いをこう語っていたという。

「信越トレイルは関田山脈から東西に距離を伸ばし、信越国境全てを貫く壮大なトレイルを夢見ている」

今回の信越トレイル延伸を見てわかるように、彼が亡くなってからもその思いが受け継がれていることは言うまでもない。そして、あまとみトレイルと信越トレイルのルートを接続して見てみれば、信越国境ほとんどを貫いていることがわかる。

そんな背景を知ると、長野駅から苗場山までの200kmの旅は、ひとりの男が夢見たとてもロマンあふれるトレイルに思えてきたわけだ。そんな200kmに心を躍らせ、パッキング(山と道MINI2)をはじめた。

寝袋(モンベル・バロウバッグサーマルシーツとSOLエスケープビビィ)、テント(ビッグスカイ・ウィプス1Pムーンビュー)、ダウンジャケット(モンベル・スペリオダウンパーカ)、レインウェア(山と道のULオールウェザーフーディULオールウェザーパンツ)、その他諸々を詰め込み、マット(モンベル・フォームパッド)を外付けし、バックパックのトップには愛用のアルトラ・ローンピーク5.0を縛り付け、アイスブレーカーのメリノシャツと山と道のライト5ポケットショーツを着てルナサンダルを履き、最後に2020年の信越トレイルタグをバックパックにつけてトレイルの起点である長野駅に降り立った。

国内旅の相棒となった山と道MINI2。今回の旅ではテストを兼ねて2022年モデル使わせてもらった

世界一アクセスの良いトレイルヘッド

長野駅に降り立ったのは13時を過ぎた頃。秋の気配が漂いつつある長野駅には、大きなバックパックを背負った登山者がちらほら見える。これから山に向かおうとしているのか、それとも家路に帰る途中なのだろうか。この夏4度目の長野県。北アルプスに八ヶ岳、南アルプス、そして今回。今年はやけに長野県に縁があるようだ。

長野駅や松本駅のように大きな駅に、登山者がいるのはなんだか面白い。これから標高3000m付近まで歩こうとしている人と、デートの待ち合わせをしているカップル、お昼休憩のサラリーマンが同じ空間にいる。日常と非日常が上手い具合に入り乱れている。

今回はあまとみトレイルの3泊4日を共に歩くバディがいる。彼の名前は福本玲央(レオくん)。「旅」を軸に世界に溢れる日常を切り取り写真や映像を用いて活動するフォトグラファーだ。

彼と旅をするのは今回が初めて。普段ひとりで歩くことが多い僕の旅の写真は、ほとんど自分が写ることはない。だが今回フォトグラファーと歩けるということで、自分のいい感じの写真も撮ってもらえるだろうという期待も高まっていた。

とはいえそれとは別に、気の知れた友人と一緒に旅ができることが何より楽しみだった。そろそろ彼がやってくる頃だろう。

「レオく〜ん久しぶり〜〜‼︎」

「まさるくん久しぶりだね〜っていうかこの前会ったばっかだよね?」

実は今年の夏、山と道のキムさんこと木村弘樹くんと、レオくんと一緒に北アルプスを旅したばかりだった。

夏に北アルプスを一緒に旅した時の1枚 (左:キムさん 中央:レオくん)

「天気良くて最高だね! ロングトレイルって初めて歩くから結構楽しみなんだよね!」

彼は山歩きはするものの、ロングトレイルというものは初めての経験らしい。確かに山歩きとロングトレイルは同じハイキングのジャンルには属していそうだが似て非なるものがある。

「ロングトレイルって気ままに歩く旅だから楽しくなると思うよ!」

そんな会話をしながら改札の目の前の広場でバックパックを下ろして一息ついていた。

長野駅の改札前

荷物を背負い歩き出してしまえば今回の旅が始まる。頭ではわかっていることだが、やけに違和感を感じる。

なぜかというと、ロングトレイルの起点が駅というパターンは今まで経験したことがない。アメリカを歩いていたときはトレイルヘッドに着くまでが相当面倒で、ヒッチハイクをするか、シャトルを手配するのが一般的。今回のトレイルヘッドまでのアクセスの良さといったら比べ物にならないほどノンストレスなわけだ。

恐らく世界で最もアクセスの良いトレイルヘッドではないだろうか。まるで家の玄関から散歩に出かけるように、200kmの旅が始まった。

長野駅前の交差点。ここから既にあなとみトレイルは始まっている

「山の装備で街中歩くのってなんか楽しいね! しかも、もうトレイルの上にいるんだよね」

レオくんが隣でニコニコしながら話している。確かにこんな都会がトレイルの起点になっているのは僕も驚きを隠せないでいた。長野駅からは北に2kmほど歩き善光寺を目指す。平日とはいえ日本屈指のパワースポットとも言われている善光寺の参道にはちらほら観光目的の人が歩いている。

善光寺の参道

参道には土産屋が立ち並ぶ。僕はポストカードを探しに土産屋を転々としていたのだが、なかなか手に入らない。

「もう誰も買わないから置いてないのよね〜」

「そうですか。他のお店行ってみますね」

どこに入ってもこの調子だ。次が最後のお店になりそうだ。ここに無かったら次はどこで手に入るのだろう。

店内には、店主と思われるおばさまと、椅子に腰掛け店主に世間話をしている白髪のおじさまがひとり。なんともアットホームな空気が流れている。バックパックを背負った僕が店内に入ったのに気付いたおばさまが探し物を尋ねてくれた。

「あぁそれはうちも置いてないね〜」

「ですよね〜。」

ここも空振り。もう諦めて土産屋を後にしようと思っていると、白髪のおじさまが「わしが案内してあげるよ」とゆっくりと椅子から立ち上がり、僕をどこかへ案内してくれようとしている。

「ゆっくりされてたんだから、大丈夫ですよ」と声をかけるも、「一日一善って決めてるんですよ」と優しい声で返してくれた。

歩いてきた道をおじさまと引き返す

ここ数年、旅に行くときはいつも現地からポストカードを誰かに書いている。SNSで受け取ってくれる人を募り、何を書くわけでもないが旅の日記を書き写し旅先から手紙を出す。

ひとりで歩くことが多いロングトレイルの夜は暇な時間が多い。その暇つぶしに付き合ってもらっているといったところだ。今回も25人ほどの人が受け取ってくれることになっていたので、ポストカードを探していた。

白髪のおじさまは郵便局へ連れて行ってくれるようだ。だが、郵便局に置いているポストカードに僕の求めるものがあるとは思えない。とはいえ、「一日一善ですよ」と快く受け入れてくれたおじさまの好意を無下にするのも失礼だ。まぁこれも旅の出会いだと切り替えて、おじさまの世間話を聞かせてもらうとしよう。

10分ほど歩くと郵便局が見えてきた。中に入りダメ元で窓口の人にポストカードが置いてあるか尋ねてみると、数は少ないが置いているようだ。そこにはドンピシャないい感じのポストカードがところ狭しと並べられていた。

ザ・長野のポストカード

おじさまにお礼を言い郵便局を後にした。時間は14時30分。長野駅を出発してから1時間半が経とうとしている。移動距離1.5km。今日の目的地飯綱高原キャンプ場まであと15km。

「全然進まないね」

レオくんが苦笑いでそう話しかけてきた。

「まぁ旅ってそんなもんでしょ!」

ロングトレイルはレースではなく、勝ち負けがあるわけではない。と人に伝えることが多いが、今回ばかりはあまりにも遅すぎる。15km先のキャンプ場まであと3時間以上はかかってしまう。なんとか日が沈む前に寝床に着きたい。

急ぎ足で善光寺参道に戻り、簡単なお参りを済ませ、北西へ足を進めキャンプ場を目指した。

長野市内の商店には食べごろのりんごが並べられていた

長野駅から遠ざかり、ようやく林道に入ったのが15時。振り向くと木々の間から長野駅が遠くに見える。トレイルのスタートでもあった街から離れることは、旅の始まりを意味すると同時に、小さな寂しさも運んでくる。その寂しさは旅を楽しむためには必要不可欠なものかもしれない。

こうして長野の街に別れを告げ、僕は旅の中に潜り込んでいった。

遠くに見える長野の街並み

笹ヶ峰乙見湖のトラップ

雨風や日焼けで色あせた椅子とテーブル、その横にはカラフルなパラソルが立っている。ホームセンターなどでよく見るあのレインボーパラソルだ。「休憩していきなよ!」と言わんばかりのロケーションに僕もすっかりその気になっていた。

実はこの時、趣味で配信しているポッドキャストの収録場所を探していたのだ。コーラを買って休憩がてらここで収録をしてしまおう。

ここは笹ヶ峰乙見湖休憩舎。長野市から歩き始めて3日目。戸隠〜黒姫を越え、妙高エリアに入ろうとしていた。夢見平のハイキングコースの入り口となるこの場所には、立派な休憩所もあり、雪がない時期はたくさんの人が訪れる。特に10月頭のこの時期はキノコ狩りに来る人が後を絶たない。

休憩舎前には仮設テントが建てられ、おじさまがひとり忙しそうに何かの準備をしている。イベントでもあるのだろうか?

笹ヶ峰乙見湖休憩舎前

それはさておき、キノコ狩りやらおじさまには目もくれず、レインボーパラソルの下に荷物を置きふたりは最短ルートでコーラを求めて休憩所内にある自販機の前にたどり着いた。

「コーラが……ない」

山歩きをする人はこの気持ちが少しはわかってもらえるとは思うのだが、ハイキング中はなぜかコーラがたまらなく欲しくなるのだ。普段の生活では微塵も湧いてこないコーラ欲。なのになぜハイキングの時はここまで膨れ上がってくるのだろう。僕はこの感情を「赤い悪魔の仕業」だと思い片付けている。

仕方なく缶コーヒーを買いパラソルの下に戻ってきた。

「あんたらどっから歩いてきたの?」

仮設テントで忙しそうにしていたおじさまが声をかけてくれた。まぁそうなる流れだろうとは思っていたが……ポッドキャストの収録もしたい僕の心境は複雑だった。

「あまとみトレイル? 聞いたことないな〜」

「最近できたばかりらしいですからね」

「氷沢避難小屋から来たってことは、夢見平歩いてきたんだね」

昨晩、氷沢避難小屋で一泊しここにたどり着いたのだ。

「夢見平……多分そうです」

「そうかそうかあそこは綺麗だっただろう! まぁこっち来てゆっくりしなさい」

おじさまの見事な誘導により、僕とレオくんは気がつけば仮設テントのパイプ椅子に座っていた。

仮設テント内

おじさまの名前は築田(つくだ)さん。彼は雪が溶ける春先から、雪で道が閉ざされる10月末まで毎日ここで夢見平の案内をしているらしい。

「氷沢小屋よかったでしょ〜」

「ほんとに快適すぎましたよ!」

氷沢避難小屋には薪ストーブにベンチ、ランタン、小上がりには布団まで用意されている天国のような小屋だった。

「あれはわしが作らせたのよ」

「???」

「夢見平の遊歩道も私が20年かけて整備したんだ」

「え! どういうことですか?」

「昔、ここで食堂をやってたんだけど、この綺麗な景色をたくさんの人に見てもらいたいな〜って思って遊歩道を作ってみたんだ」

築田さん只者ではない。1991年、道すらなかったこの地に遊歩道を作ったのは、彼を中心とする『夢見平遊歩道を守る会』だったわけだ。

「この遊歩道に避難小屋がなかったから、それも必要だろうってことで避難小屋を行政に作らせたんだ」

「まじですか!」

氷沢避難小屋。僕はこれ以上の避難小屋を見たことがない

僕は感激のあまりポッドキャストの収録など、どうでもよくなっていた。

何も知らずに歩きに来たわけだが、トレイルにはたくさんのドラマがちりばめられている。旅をする僕はそんな人の情熱や思いに触れることができる。旅とはなんとも贅沢なものだろう。

そして、長野駅から続くあまとみトレイルが夢見平を通り信越トレイルに接続されている。そんな場所とは知らず僕がふらっと歩きにやってきている。その繋がりがなんだか面白く、世界の広がりを感じた。

そんな話を聞いている間に、気がつけばお菓子やコーヒーがテーブルに並べられていく。

「これも好きなだけ食べて」

「いいんですか〜〜!」

こういう時、遠慮しがちな人も多いかもしれないが、腹を空かせたハイカーはそんな気持ちをどこかに置き忘れてきている。満面の笑みで喜び、出されたものを綺麗に食べ尽くすのがハイカーの礼儀だ。と勝手に思っている。

築田さん自作の「夢見平ガイドマップ」

極め付けは何と言ってもきのこ汁だ。「おいしいきのこ汁 300円」と書かれた看板が置いてあるのを僕は横目で確認していた。たくさんのものを与えてくれる築田さんのような人は、何を渡しても大概のものは受け取ってくれない。築田さんに何かを渡す方法はきのこ汁を飲み、美味しくいただき気持ち良く料金を支払うことぐらいだろう。

だが、「築田さん! きのこ汁くださ〜い!」と言ったのとほぼ同じタイミングに、ひとりの女性ハイカーが近くを通った。築田さんの目線は彼女に釘付けだ。恐らく1秒前に伝えたきのこ汁のオーダーは通っていないだろう。

「ちょっとそこのお嬢さん! ちょっと休んでいきなさい! こっちこっち」

こうして彼女も見事に築田さんに捕まった。僕と同じように彼女をもてなす築田さん。お菓子にコーヒーに……ん? きのこ汁をお椀に注いでいるではないか! なんだかんだ、僕のオーダーも通してくれていたみたいだ。

「はい。きのこ汁どうぞ。おいしいよ」

ん!? きのこ汁は僕の目の前を通過して彼女の前に着地した。彼女もオーダーしたのだろうか? 僕が聞きそびれていたのだろうか? 一瞬の出来事に、僕はレオくんの目を見て苦笑いすることしかできなかった。そういえば彼女が来てから築田さんと一度も目が合っていない。

僕の前を通り過ぎていったおいしいきのこ汁

「これ私のですか?」

彼女は戸惑いながらも築田さんに問いかける。

「そうだよ!  私が採ってきたきのこで味噌汁作ったんだ。おいしいよ!」

僕のきのこ汁はいったいどこへいってしまったのだろう。

「築田さん! 僕もきのこ汁もらっていいですか?」

今回が初めてのオーダーだったかのようにもう一度築田さんに伝えると

「君もかい。よしよし」

とようやく目を合わせてくれた。きのこ汁が注がれた器が目の前にきたのはいいものの割り箸がない。築田さんは女性と楽しく話しの続きをしようとしている。

「すいません。お箸もらえたりしますか?」

「ごめんごめん!」と割り箸を持ってきてくれた。無事に築田さん自慢のきのこ汁を美味しくいただき300円を支払い、築田さんの話し相手は女性に任せて、僕はポッドキャストの収録をすることにした。

仮設テントの隣のパラソル下に戻り収録を始めた。15〜20分の収録だったのだが、その間にも築田さんを訪ねてやってくる人が後を絶たない。彼は人に好かれるんだろうな。自然体で飾らずに自分らしくいるところが、なんだか人間味があって僕自身も好きになってしまっている。

収録を終えそろそろお暇しようと築田さんにお別れを言いに行くと、ちょうど他の人が去った後だったからか

「そんなに急ぎなさんな」

とまた僕たちをテントの中に招き入れようとする。いっそこのテントの横にある芝で一晩を過ごしてしまうのもありかと考えたが、今日はまだ1時間半しか歩いていない。時計を見るともう11時を回ろうとしている。

歩き始めの善光寺の参道といい、このトレイルにはハイカーを足止めさせるトラップが多すぎる。

手を振り見送ってくれる築田さん

気がつけば2時間も滞在していた笹ヶ峰乙見湖休憩舎。あまとみトレイルのハイライトといっても過言ではない。

築田さんにあまとみトレイルのことを話すときに、長年情熱を注いでいる夢見平遊歩道がロングトレイルの一部になるのはどんな気分なんだろうと気になって聞いてみると、築田さんは心から喜んでいた。今は『夢見平遊歩道を守る会』の会長をされているが、夢見平の美しさを守りたかったわけではなく、多くの人に見せたかったのだ。

だから、長野駅から続くトレイルの一部に夢見平遊歩道が入ることは喜ばしいことなのだろう。

「これから歩きに来る人が増えるかもしれませんよ!」

僕がそういうと、

「若い子頼むよ!」

と今までと変わらぬ笑顔で言葉を返してくれた。

あまとみトレイルが通ったからといって急にハイカーが増えるわけではない。それでも、これから歩きにくるハイカーは緩やかに増えていくだろう。築田さんはそんなハイカーたちが来るのを今か今かと待ち焦がれているに違いない。

トウヒの木が立ち並ぶセラピーロード

この日、目的地にしていた野尻湖までは、築田さんと話した時間と同じちょうど2時間足りなかった。

「旅っていいね」

心から言葉が溢れたようにレオくんは一言呟いた。

「そうだね」

トレイルを乗り換える

午前5時45分、斑尾山の少し南から太陽が顔を覗かせ、徐々に光は強くなり僕のまぶたに届いたが、体はまだ起きようとはしていない。このふわふわの温かい世界に1秒でも長く浸っていたい。

今日はあまとみトレイル最終日。あと20kmほど歩けば斑尾山に着く。その先に信越トレイルがあるとはいえ、ひとつのトレイルが終わることに変わりはない。そしてレオくんと一緒に歩く旅も終わりを迎える。

「早く起きろ」と言わんばかりに太陽の光はみるみる強くなり、仕方なく目を覚ました。そこには屋根があり、寝袋ではなくふかふかの布団に包まれ、窓から燦々と降り注ぐ太陽の光が差し込んでいた。

「そうか。昨日宿に泊まったんだった」

築田さんと話していた2時間が目的地の野尻湖までちょうど足りず、キャンプ場を探すも見つからなかったのだ。ナイトハイクをして野尻湖にいく気にもなれず、妙高高原ビジターセンター近くにある宿に泊まっていた。

宿泊したホテルエペレ

200kmの全行程の半分も終わっていないが、なんとなく今日で半分終わるような気分になっていた。たった3泊4日のあまとみトレイルだったが、なんだかんだと寄り道やトラップもありなかなか濃い日々を過ごせてきた。

今日からゴールの苗場山までは宿に泊まることはないだろう。関田山脈はブナの森が広がる里山歩き。その後、一度人里には降りる行程ではあるが、恐らく宿に泊まることはなさそうだ。そんな先の宿事情を考えると余計にチェックインギリギリまでいたくなってしまう。宿を出たのは8時半頃だっただろうか。後ろ髪を引かれる思いで宿を後にした。

宿を出てからは、妙高山を眺めながら別荘地や集落を通って野尻湖まで向かう。

妙高山が一望できた

野尻湖の湖畔に到着すると、湖の対岸に斑尾山らしき山が見えた。この山を見るのは約1年半ぶりだろうか。

JKと歩いた去年の旅の日々がとても遠い記憶のように感じる。彼とワチャワチャ歩いていた信越トレイルはとても賑やかだった。同じ道を歩こうとしているのに、ひとりとふたりというだけでこれほどにも違うものに思えてくるのが不思議でならなかった。

野尻湖の南側をなぞるようにトレイルは続く

野尻湖から離れ、数時間舗装路を歩いていると「斑尾山登山口」が見えてきた。到着予定の時間は昨年、築田さんと過ごした2時間がちょうど押していた。旅の予定を立てるのも旅の面白みかもしれないが、旅の予定を崩していくのもまた旅の醍醐味だ。

斑尾山登山口に足を踏み入れた途端、雲行きが怪しくなり始め、そういえば去年信越トレイルを歩いた時も大雨警報が出ていたことを思い出した。

山頂付近まで登ると展望が開け、タイミングよく雲も流れてくれた。そこから見える景色は絶景ではなかったが、野尻湖が眼下に広がり、その奥には数日前に歩いていた妙高〜戸隠の山々がちらりと雲から顔を覗かせている。

斑尾山頂付近で一瞬雲が晴れて野尻湖が一望できた

自分が歩いてきた道をこうして眺めている瞬間、僕は旅の中にいることを実感できる気がする。

後ろを歩いていたレオくんがこの場所にたどり着くと同時に、広がっていた景色は雲で覆われ斑尾山は雲の中に入ってしまった。その後ポツポツと時折降り落ちてくる雨粒を受け止めながら、僕たちは斑尾山山頂にたどり着いた。そこには去年と変わらず信越トレイルの道標がつけられ、誰もいない静かな場所だった。

去年訪れたこの場所は旅の終わりの場所だったのに、今回は終わりでもなければ始まりの場所でもなく、ただの通過点に姿を変えている。なにも変わらず同じ場所にあり続けるこの場所も、人の気持ち次第では変幻自在に姿を変える。

人間の心とはおもしろいなと思う。

レオくんとはここでお別れ

レオくんとはここでお別れだ。あっという間のあまとみトレイルだったが、思い出しきれないほどたくさんのことがあったように感じる。

「ロングトレイル歩いてみてどうだった?」

不意にそんな質問をしてみた。

「めちゃくちゃ面白いね。ちょっとハマっちゃうかも」

そう聞いて、ただの一ハイカーの僕だがなんだか嬉しくなった。自分が面白いと思っているものを嘘偽りなく「面白い!」と言ってくれる彼の表情はとても心地よかった。

信越トレイルに足を踏み入れる

「じゃあ残りも楽しんでね!」

彼にそう言われて、これからひとりで歩く信越トレイルがすぐそこにあることを実感した。

「そうね! じゃあまた会おうね!」

予定の時間よりも遅く到着してしまったこともあり、大した休憩もなしにレオくんと別れ、ひとり斑尾山のその先に続くブナの森に足を踏み入れた。

あまとみトレイルから信越トレイルに歩みを進める感覚は、今回の旅の始まりの駅の乗り換えのようにスムーズに、そして少ししっとりとしていた。

後編に続く

清田勝
清田勝
cafe & bar peg. 店主 2013年 自転車日本一周/2014年 オーストラリア・ワーキングホリデー/2015〜16年 世界一周/2017年 パシフィッククレストトレイル /2018年 アパラチアントレイル /2019年 コンチネンタルディバイドトレイル/2020年 みちのく潮風トレイル。旅や自然から学んだことをSNSやPodcastなど音声メディアを中心に発信。
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