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ぼくの台湾歩き旅

#5 嘉明湖登山

旅人・佐々琢哉のUL的台湾徒歩旅行
文/イラスト/写真:佐々琢哉
2025.06.27
ぼくの台湾歩き旅

#5 嘉明湖登山

旅人・佐々琢哉のUL的台湾徒歩旅行
文/イラスト/写真:佐々琢哉
2025.06.27

世界60ヶ国以上を旅してきた旅人、馬頭琴やカリンバを奏でる音楽家、ローフードやベジタリアン料理の研究家、パステル画家など様々な顔を持ち、現在は高知県の四万十川のほとりで自給自足やセルフビルドの暮らしを送る佐々琢哉さん。そんな彼が、旅歴25年にしてUL化。軽くなった荷物で、2024年に台湾を2ヶ月かけて歩いて旅をしました。

歩き旅だからこそ出会えた台湾の様々な人々や暮らしをめぐる彼のエピソードは大変興味深く、またそんな彼がUL化したら、一体どんなことを感じて、どんなことが起こるんだろう? それが知りたくて、この山と道JOURNALへの寄稿をお願いしました。

今回は標高3,310mの高地にあり、「天使の涙」とも称される台湾の山岳の中でも有数の景勝地である嘉明湖へのハイキングに向かった佐々さん。森林限界を越え、剥き出しの大自然と触れることで、さまざまな気づきを得ます。そして「人生で最高だった」という秘境の温泉に辿り着き……。「台湾歩き旅」が、いよいよ本格的に始まります。

台東の街での準備

台東のリンさんのお宅で火鍋をご馳走になったあと、嘉明湖(ジャーミンフー)登山の前日の朝は、街をぶらぶらしたり、山での食材の買い出しをしたりしました。

お昼には、お気に入りの素食(ベジタリアン料理)のご飯屋さんへ。すっかり顔なじみになった店員のお姉さんと「おかえり。島はどうだった?」「明日から山に行くのね! また帰ってきたら、どうだったか教えてね」と、英語で言葉を交わします。こうして、地元の人たちと顔見知りになっていくのは、自分が土地に同化していくような心地よさがあって好きです。

はじめはちんぷんかんぷんだった中国語のメニューだって、同じお店に通って何度も睨めっこしたおかげで、食べたいものをちゃんと注文できるようになってきました。旅の日々でできることが増えていくことは、大きな満足感を与えてくれます。

台東の素食のお店のメニュー。

さて、嘉明湖の登山口までですが、リンさんによるとオフシーズンの今は公共交通機関では途中までしか行けないとのことで、今日のうちに行けるところまで行っておくことにしました。

台東駅を出発した電車は、1時間もしないで目的の駅に到着。そこからローカルバスに乗り、崖の切り立つ山道を走った先の山村の終着駅に16時に到着。バスから降りると、雨で、とにかく寒い。予定では、この先にある野外温泉まで歩いて、野営地を探してテントを張るつもりだったけれど、うーん、これではそんな気にはなれない。潔く諦め予定を変更して、この村で宿を探すことにしました。

雨降りの夕暮れ。やっと見つけた宿の人は、いきなり登場した日本人にびっくりした様子だったけど、なんと、お年を召した宿主の女性が日本語を流暢に話して対応してくれました。台湾の年配の方々には日本語を話せる人が多いと聞いていたけど、「こんな山奥にいるなんて」とびっくりしました。

その後の台湾旅でも、どんな田舎でも日本語を話せるご老人たちと出会いました。「日本統治時代(1895ー1945年)は国の隅々にまで日本語教育が浸透していたのだな」と、現地の歴史を知りたくなります。旅の時間軸が過去にも広がることで、自分の認識の範囲も拡張されるのでした。

部屋に落ち着いた後は、食堂からもらってきたお湯で持参のオートミールを戻し、バナナを刻んで入れて夕食としました。バナナは日本ではあまり食べなかったけど、台湾のバナナはおいしくて、この味を知ってからは好んで食べています。部屋の中でも寒く、「明日に備えてとっとと寝よう」と、熱いシャワーを浴びて寝袋に包まりました。「外でテントで寝ていたら大変なことだったろうに」目を瞑り、呟くのでした。

いよいよ嘉明湖登山へ

翌朝、朝靄の中、宿の方々にお礼を言って、出発。

何度かのヒッチハイクののちに登山口に到着し、事務局へ登山許可書を提出に行くと、受付のおじさんふたりが「おお、待っていたよ、リンさんから聞いていてね」と、心良く迎えてくれました。日に焼けた屈託のない笑顔が、いかにも山男といった印象です。

登山口の地図。目指すは青い丸で描かれた、嘉明湖だ。

小雨降るなか、さあ、出発。念願の台湾での登山に、心踊ります。日本の山との植生の違いなどを観察しながら、浮かれた気持ちで小刻みに歩いていたら、あっという間に今晩の宿泊の予約をしている向陽山避難小屋に着いてしまいました。ありゃ、まだ昼前だ。

とりあえず、バックパックを降ろしてベンチに座り、お茶で一服。しばらくすると、他の登山者たちも次々と到着して、みんなここで休憩やランチをしている。

「あ、これ、山と道ね!」と、突如と聞こえた声にびっくりして振り返ると、その一団の中に、ぼくのバックパックを指差した笑顔の女性がいました。彼女は、「私も山と道が大好きよ!」と言って、彼女のバックパックやほかの山と道のギアを見せてくれました。

彼女が使っていたのは、山と道のバックパックONE。日本へ山登りに行った際に、山と道鎌倉で買ったと言っていました。台湾のハイカーは日本の山もよく登っているようでしたよ。当時は気づかなかったけど、後から写真を見ると彼女はUL All-weather JacketAlpha Anorakも愛用していたみたい。

そのまま「一緒にお茶どうぞ」と誘ってくれて、仲間たちの輪に混ぜてもらい、遠慮なくお茶とお菓子をいただきました。山と道のギアを持っているだけで、お友達ができるなんて。山道具でこんな共同感覚が生まれるのは、やはりそのブランドが明確なアイデンティティを持っていて、ユーザーもその理念に魅かれているもの同士だからということでしょうか。マスブランドの道具を持っていても、なかなかこのような出会いのきっかけになったことはありません。

一時すると、お茶を一緒にいただいた一団は、さらに上を目指して出発。「あれ、みんな、今晩この山小屋に泊まるわけじゃないんだ」と思っているうちに、他のグループも去っていき、ぼくひとりだけがぽつんと取り残され、急に寂しい気持ちになりました。汗も引いて、じっとしていると寒くなってきて、「おい、まだ正午だぞ」と、ぽっかり空いた午後の余白の時間と寒さに、どうしたものかと持て余す気持ちになりました。

山小屋の管理人に、今夜の山小屋を変更できるか相談すると、予約表を見て「上の山小屋もベッドが空いてるから、今晩泊まっても大丈夫だよ。ぼくが連絡しておくから」と言ってくれました。ああ、よかった。これで、午後も山を歩く時間に使えることになりご機嫌です。

空も晴れてきて、調子良く登っていきます。休憩にノートとペンを取り出してスケッチも。自然の中を歩いているとスケッチをしたくなります。正確には「景色に意識を合わせ瞑想状態に入るための手段として、スケッチをしたくなる」という感じです。その瞑想状態の深淵に、何かを探している自分がいます。

森林限界を超えた先には、日常にない世界が広がり、今まで見たことのない姿に魅了されました。木々の枝ぶりや片面だけに霧氷がついている様子に、いつも同じ方角からだけ強い風が吹いてくるのかと想像し、植物がそこに強く耐えて生息している姿や、それを可能にしている生命力の神秘に想いを馳せました。

夕刻前に嘉明湖避難小屋(3,347m)に到着しました。管理人に会いに行くと、赤いジャケットを着た大きな体の青年が「あぁ、君だね。下の山小屋から連絡がきたよ。リンさんからもよろしくねと言われてる。ぼくの名前はアク、よろしくね」と、にっこりと笑って握手をしてくれました。山の男たちはみんな笑顔が素敵です。

台湾の山小屋(特に3,000m以上の高山の多く)での食事事情ですが、事前に予約注文を入れておくと、山小屋とは別の運営会社からバイキング形式の夕食と朝食が提供してもらえるそうです。ぼくは自炊するつもりでしたが、ありがたいことに、お昼のお姉さんたちが「キャンセルになった仲間の分を食べて」と言ってくれたので、またありがたくも一緒にバイキングを食べさせてもらいました。

バイキングの夕食をクッカーによそうお姉さんたち。

食事中もみんなと楽しく話をしました。話せる相手がいるのは嬉しいものです。夕食の片付けが終わったのはまだ19時過ぎでしたが、他の登山者たちが就寝する様子に、ぼくも寝袋に潜り込みました。

充たされていく感覚

山小屋の朝は、早いものだ。まだ、3時前だというのに、あちらこちらからの身支度の音に目が覚める。「朝食は4時に集合ね」と言われていたので、それまで寝床で日課の瞑想をする。

キッチンに入ると、火が焚かれていた
暖かいスープをいただく
一晩中寒さにこわばっていた体が、緩んでいく

さあ、出発だ
外はまだ暗く、ヘッドライトで道を照らす

頭上には、星が輝いている
昨日の雨空から、空は晴れたようだ
星に向かって歩き、山頂でのご来光を目指す

森林限界を超えているので遮るものがなく、先発組のヘッドライトの灯が前方に見え、その灯たちを結んだルートを目でなぞりました。こんな小さな光でも、闇の中では著しく輝くのです。

今朝は、体が良く動く。昨日の登山初日は、高度でハアハアと歩くのがしんどかったけど、今はそれを適度な負荷として気持ちよく感じています。一晩過ごし、高地順応したのかもしれません。酸素の薄い中を歩くことで、普段は刺激が届いていない血管や細胞の奥にまで負荷がかかり、活性化されているようです。その細胞の目覚めを自覚していく過程に、自己との出会いも起こっています。山は自分と出会える場所だ。

そして、嘉明湖の手前のピーク、三叉山山頂に到着し、日の出を待ちました。

空は、夜の闇から、藍色へ
そして、紅く
すると、雲海に一筋の光が走った

光は、まっすぐと
眼球を突き抜け
こころの奥を、照らしていく

この光に、自己が洗われていく

充たされていく感覚を味わいながら、この事象が、毎日、この地球上で起こっていることを思いました。ぼくが自宅でスヤスヤと夢を見て寝ているときだって、朝日は登っていて、こんな奇跡のような景色が広がっているのです。自然の雄大さに触れたとき、毎日のその奇跡を確認させられると同時に、日常生活での自分の意識のズレに気付かされました。

はあはあと息を切らせながら歩いたこと、山で一夜を過ごしたこと、朝日を見つめたこと、そして、その光に包まれ無心になったこと。清らかな感覚で充たされ、胸のうちに静かな謙虚さが広がっています。こうして、日々の営みで乱れた周波数を、山を登る行為で調整しているようです。

そして、この一連の身体的感覚を、しっかりと認識し、確かに心に刻み込みます。まるで、景色に意識を合わせてスケッチをし、そこに1枚の絵が立ち現れてくるように。自覚的に保存したこの記憶は、きっと日々に戻っても、また自分の立ち返れる確かな拠り所として存在してくれるでしょう。

陽もすっかり昇ったのを見届け、眼下の嘉明湖へ。下りると、山小屋で一緒だった面々が、湖に辿り着いた喜びと、目の前に広がる景色の美しさに顔を輝かせていました。

ぼくはそんな無垢な人間の姿を目にし、これまた、心が洗われる気持ちになりました。それは、ひとりひとりの人間の内にも純粋なる自然が広がっていることを感じたからでしょうか。山では、さまざまな美しい景色に出会えるものです。

ほとんどの人たちは1泊2日の行程のようで、朝日を拝んだら、すぐ引き返し下山を始めてしまいました。遠くに、あのお世話になった一団も。彼らも今日下山すると言っていたな。手を振って大きな声を出しました。しかし、届かず…。お別れとお礼を、今一度ちゃんと伝えたかった…。

湖に残ったのはぼくひとり。ぼくは今晩もまた同じ山小屋に泊まるので、時間はいくらでもあります。湖や山頂の周りを、感じるままに散策してみよう。

自然の中ではあるけれど無機質に感じる一面の景色の中、命の存在が自分ひとりだけとなると、自己という定義が揺らいできます。また、たまに出会う鳥や動物たち、いのちとの出会いを尊ぶ自分にも気づきます。

山頂での時間に満足し、山小屋へと戻りました。何も予定のない豊かな午後は、テラスで読書をして過ごしました。こんなにゆっくり読書をしたのはいつぶりだろう。

外の景色を見ながら内に潜る

山小屋での夕食後には、その日宿泊している台湾人の女子ふたり組と一緒に、管理人部屋でアクからレスキュー講習を受けました。山小屋の管理責任者であるリンさんの考えで、山をより理解してもらうための講習を宿泊者に無料で提供しているらしいのです。山に関する講習を山で受けたことで、より実感があったし、ほかの受講者とも仲良くなれ、とてもよい時間でした。リンさんのこうした登山活動への取り組みを素晴らしいと思いました。

講習の後は、ひまわりの種をぽりぽりかじりながら、アクとしばらく話をしました。「おやすみ」と別れ際に彼が「ぼくは登山者みたいに早く起きないから、明日の朝は会えないかもね。気をつけて山を下りてね」と言うので、ぼくが「大丈夫、部屋をノックして起こしにいくよ」と言うと、「いいよ、寝てたいから」と、苦笑いしていました。

今朝も、まだ真っ暗な闇に、出発
空に、いくつもの星
ぼくは、宇宙の下を歩いている

今朝は、下山途中の向陽山の山頂からのご来光を目指す。相変わらず、高山で調子が良く、体が動く。この酸素の薄い感覚が好きだ。大自然の中、よく歩いて、よく寝ているものね、それは健康的です。それに、山では食事が限られていて、腹八分目をキープしていることも大きく影響しているのでしょう。山登りでこんなにも体力を使っているのに、お腹いっぱい食べていなくても問題なく力が出るどころか、少食によって自分の体のポテンシャルがさらに引き出されている気さえします。そう思うと日常では食べすぎているのかもしれないし、その弊害もあるだろう。山に登って日常を離れることが、日々の行為を見つめ直すきっかけとなっています。

朝焼け前の闇の中、ヘッドライトの光で足元を照らしながら軽快に歩き、山頂でのご来光に間に合いました。というか、身体の調子の良さに速く歩きすぎたせいで、随分と早く山頂に着いてしまいました。そして、ご来光まで山頂で風に吹かれ、寒い思いをしました。

せっかく立ち止まっているので、岩陰に風を避けられるところを見つけ腰を下ろし、スケッチをします。スケッチをしているときの、外の景色を見ながらも、内に潜っていくようなこの感覚がたまらなく好きです。

しばらくしたら、昨日の講習で一緒だった女子ふたり組も到着。彼女たちもご来光に間に合ってよかった。ふたりとも、朝日に負けじとキラキラと良い顔をしています。前日の嘉明湖のときのように、人々が自然と対峙したときの無垢な姿に出会えること、これもぼくの心の滋養となっています。

彼女らは僕の真ん前に座ったものだから(やはり、そこが一番眺めがよいもの、座りたくなるよね)、そのまま彼女たちの背中も含めてスケッチしました。あとで彼女たちにスケッチを見せると、とても喜んでくれました。

下山途中にぼくがスケッチしているところを、後から下りてきたふたり組の女の子たちが写真に撮ってくれていました。写真に撮られていることに全然気づいていなかったおかげで、なんだか、素の自分自身の様子を感じられる貴重な写真です。

人生で最高の温泉

昼前には登山口まで戻ってきました。今日はこれから、行きの道で気になっていた河原の温泉へ行ってみよう。そしてそこでキャンプして、一晩中温泉に入って山登りの疲れを癒そうではないか。

温泉への分岐までは、あの女子ふたり組が車で送ってくれました。彼女たちは別れ際に「これ持っていってよ」と、お菓子ひと袋と、インスタント麺を手渡してくれた。ぼくの食料はもうあまり残っていなかったので、ありがたく受け取りました。

台湾の人たちは、本当にみんな優しい。台湾でたくさんの親切に出会ったことは、この旅でいちばんの感銘であり、今でもぼくの心に滋養を与えてくれています。この相手を思いやる国民性は、どこから来ているのだろう? 思いやるばかりか、その思いを自然な形で実行に移していることに、さらに驚くばかり。そのベースには、どんな家庭環境や教育があるんだろう?

車道を外れ、キャベツ畑の中の道を歩き、急な山道を下って温泉を目指します。温泉ははるか谷底の河原にありそう。道はかなり急な斜面で、下から登ってくる人たちとすれ違ったとき、彼らはぜえぜえと真っ青な顔をしていたほどでした。

正直、ハードな登山後の癒しの温泉とお気楽な気持ちだっただけに、予想外の険しい山行にげんなり。「3日前に村に着いたとき、夕方から、しかも雨の中、この温泉を歩いて目指さなくてよかった…」と切実に思いました。そして、諦める決断をしたことも成長だと思え、自分を称えたのでした。

そもそも、グーグルマップの経路の表示時間から行けると判断していたけど、実際はとんでもなく時間がかかっていました。やはり街中とは勝手が違うようで、山道を含む歩きの場合は、グーグルマップの予測はあまり参考にしない方がよさそうです。「これからはアクが教えてくれたMaps.meを使ってみよう」と決め、その後は実際にこのアプリを使って歩き旅をしましたが、時間もルートも詳細でとても調子が良かったです。

最後に、ロープに捕まりながら岩場をほぼ直角に下りながら、やっとの思いで河原に到着。疲れた…。もう、夕方近く。川底から遥か彼方に見える今朝までいた山頂を見上げ、感慨深く思います。朝4時からずっと気張ってここまで歩いてきたんだから、疲れるのも当然です。いやはやこれは、登山帰りの気軽な立ち寄り温泉とは、まったくの計算違いでした。

しかし、そこには極上の温泉が待っていたのです。

下りた場所から川の水際まで行っても、温泉らしき場所は見つかりません。 しかし、目の前に人為的にロープが渡してあるのを発見します。きっと、ここを渡れということだろう。靴を脱ぎ、ロープを伝って対岸へ渡ります。さらに奥へと歩いて進むと、向こうに緑の岩肌。そして、湯煙。Yes! 温泉はあそこだ!

どうやら、緑になった岩肌を滑り落ちる滝が温泉のようです。湯船のようになった滝壺のお湯を触ってみるととても熱く、川の冷たい水を引き込んで温度調整します。滝壺は浅く、水面の下に横たわってギリギリ全身が浸かるぐらい。しかし、ロケーションは圧巻で「うーん、これは人生で最高の温泉だ!」と、唸りました。滝壺で熱くなったら、横に流れる冷たい川に飛び込み、また戻ってきての温冷浴をひたすら繰り返して疲れを癒しました。

日も陰りだし、とうとうひとりになったので、素っ裸のまま時間を過ごしました。裸で、裸足で、真水に触れ、岩を四つん這いで這っていく感覚から「ああ、この感じだったなー」と、20代に中米を馬で旅していた頃の記憶が蘇ってきました。この大自然に飛び込んでいくような感覚。「今思うと、よく1年間も馬と一緒に毎晩毎晩、野営地を探しながら旅していたものだよなぁ」「本当に素晴らしい時間だったんだなぁ」と思いながら、自然の中に身を捧げた先に開いていく感覚に戻っていきます(逆説的に言うと、本来は開いているはずの感覚が日常では閉じてしまっているということかもしれませんが)。

この感覚は、正直、この3日間の登山中には到達できなかった部分でもあります。というのも、大自然の中でも他者はいるし、人が手入れしたトレイルの決められたルートを歩きます。山のルールもあるから、人間としての自制の意識もあります。しかし、かつての中米の馬旅やこの時の感覚は、自分の感覚に従ってテント場を探し、場を整えながらその場所と自分との親和性を生み出していくことに近かったのです。そんなふうに、自然に対して自発的に感覚を発揮して過ごすと、自分自身の意識と自然との関係性が、ルートや宿の決まった山行とはまた異なるのだなと気づきました。

温泉付きの今晩の宿! 温泉の滝は、写真の左奥の川を渡ったところです。他にも、台湾でこのような(と言っても、ここまでのロケーションはなかなかありませんでしたが)野天風呂をいくつか訪れましたよ。台湾には温泉も各地にあって、最高です!

その夜

薪集め、火を焚いて
水汲み、夕食こさえ、腹満たす

川音、星音、囲まれて
カリンバ奏で

川砂の床に着く

山登りを終え、もうホームタウンのように慣れ親しんだ台東の街に帰って来ました。台湾に到着してからのこの2週間、島にも行って、山にも行って、野宿もしたし、ヒッチハイクもした。道もたくさん歩いて、地元の親切な人たちにもたくさん出会った。自分の中に、この新しい土地の地図が出来上がってきている。

うん、これはどうやら歩き旅の準備が整ったようです。ルースから教えてもらった歩き旅の地図を見て、心配よりもワクワクしている自分が今ここにいることがその証拠です。

いよいよ、台湾縦断歩き旅への出発です。

佐々琢哉

佐々琢哉

1979年東京生まれ。世界60カ国以上の旅の暮らしから、料理、音楽、靴づくりなど、さまざまなことを学ぶ。2013年より、高知県四万十川のほとりへ移住し、土地に根ざした暮らしを志す。2016年にはローフードのレシピと旅のエッセイ本『ささたくや サラダの本』を刊行。2020年夏からパステル画を描き始め、2023年にはそれまでの旅を綴った『TABIのお話会』、四万十の日々の暮らしの風景画の作品集『暮らしの影』を自費出版する。