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山と道トレイルログ

神尾正史のULハイキング研修

自分のスタイルを模索しながら歩いた、大峯奥駈道6日間の旅
文/写真:神尾正史
2025.12.02
山と道トレイルログ

神尾正史のULハイキング研修

自分のスタイルを模索しながら歩いた、大峯奥駈道6日間の旅
文/写真:神尾正史
2025.12.02

社是としてスタッフには「ハイキングに行くこと」が課される山と道。「願ったり叶ったり!」と、あちらの山こちらの山、足繁く通うスタッフたち。この『山と道トレイルログ』は、そんなスタッフの日々のハイキングの記録です。今回は、プロダクトグループ企画チームの神尾正史が、社内の「ULハイキング研修制度」を利用して、奈良から和歌山に跨る大峯奥駈道を歩いた6日間の記録をお届けします。

神尾にとって山行でのULハイキングの実践も6日におよぶ縦走も初めて。そんな彼が、自分にとっての“ULハイキングスタイル”を模索すべく、選んだトレイルは修験道の修行の道である大峯奥駈道でした。

装備も食糧も工夫して臨みますが、悪天候に晒されたり、険しい道に足を取られたり、道をロストしたりと、まさに修行をするかのごとく歩くことになった大峯奥駈道。はたして最後まで無事歩き切れたのか、初めて尽くしの神尾の旅をどうぞ見守ってください。

はじめに

山と道のプロダクトグループ企画チームでパターン・仕様開発・サンプル作成などを担当している神尾(かみお)と言います。大阪生まれ大阪育ち。大学卒業後、紳士服パタンナー、鞄など服飾雑貨縫製、スポーツアパレルパタンナーを経験。山と道の飽くなき探求心とものづくりへの真摯な姿勢に感銘を受け、2024年にジョイン。

入社以前はキャンプや1〜2泊程度の低山ハイキングで焚火と酒を楽しむのが好きだったが、入社後に少しずつULハイキングを学んでおり、今回のULハイキング研修では、ULハイキングという定義の中で山行をすること自体が初めてだったので、ハイカーとして自立するために自分の現在地を確認し、自分にとって“ULハイキングとは何か”を見つけるための最初の一歩と位置付けた。

そんな記念すべき第1回目のULハイキング研修は、自分にとって初めて尽くしの旅であった。軽量化を意識して選んだツェルトやビビィの装備も、ひとりで長期間山に入る経験も初めてだ。ギアリストを作成し、ギアの取捨選択を行うのも山と道HLCの『ULハイキング入門講座』への参加以来となり、かなり頭を悩ませた。

9月20日、前入りした奈良県の洞川温泉の旅館で、装備を一つひとつ並べて最終的なパッキング内容を確認する。

今回お供に選んだギアたち。改めて並べてみると、以前よりも随分軽量化、取捨選択が進んだなぁと思う。今の自分には吉と出るか凶と出るか。

初めて食糧の計画を行ったが難しく、荷物の重量と行動時間からAIに計算してもらった1日の摂取カロリー推奨量6,000kcalを満たすほど多く食べられる気もしないので、なんとかなると覚悟を決めることにした。にも関わらず、多少の重量増があっても嗜好品を持ち込み、チルタイムを楽しむという従来の自分のスタイルを捨てきれない。持っていきたかったが断念した文庫本や酒、ウォークマン、イヤホンなどに未練を残しつつ、準備を進めていった。

6日分の食糧。カロリーと栄養価を何度計算しても、推奨値に足りず不安だった。

パッキング完了。ベースウェイトが4.24kg。食糧約3kgと水4.5Lを入れると、総重量11〜12kgほどになった。THREEを快適に背負える重量である10kgを超えてしまったが、現状ではこれ以上削れる気がしなかった。

今回ルートとして選んだのは、大峯奥駈道セクションハイク。大峯奥駈道自体は、「吉野山(奈良県吉野町)」と「熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町)」を結ぶ約100kmの道のりだが、確保できた日程と自分の体力ですべてを歩き切れるか未知だったので、洞川温泉からスタートして釈迦ヶ岳あたりでU字を描く様に北上して、吉野山でゴールすることにした。

選んだ理由は、単純に自分の所縁の地である関西の山を歩きたかったことと、山岳修行道として8世紀初頭からある熊野古道というものに、ただなんとなぁくロマンを感じたこと、そこまで標高が高くないから安心だろうという3点だった。結果的に、調査不足や見込みの甘さで色々と痛い目に遭ったのだが…。

計画を立てたルート

洞川温泉からスタートして南に進み、深仙の宿で折り返して北上し、吉野山駅でゴールする予定を立てた。

DAY1 いざ修験道へ

食糧不足への不安から、旅館の朝食はお櫃のご飯もすべて平らげた。水汲み場で地元の名水“ごろごろ水”を4.5L(運動負荷を考慮して、水は調理も含めて1日3.5L+予備としたが、これでも不安だった)調達し、バックパックの重量がずしりと増した。自分自身は体力がある方なのか、これだけの荷物を背負って1日8〜10時間歩けるのか、まったく未知数だったが、さぁ出発だ。

1日目は体力をセーブして様子を見るために、行動時間は少なめに設定。洞川温泉をスタートして、小笹ノ宿避難小屋までの6時間程度の行動予定だ。

天気は曇り空。麓で見た情報によると気温は18℃、湿度は100%とのこと。寝ぼけ眼のせいで視界が霞んでいるのかと思っていたが、やはり昨晩それなりに雨が降っていたようだ。

雨の恵みを喜んだのか、山道にはヒキガエルたちがたくさんいたので挨拶しながら歩みを進める。道は紙地図とコンパスで確認し、ポイントごとに時間を書き込み記録していく。スマホのバッテリー消耗を抑えるために、GPSアプリは本当に道が分からなくなった時の最小減の使用と決めていたのと、単純に紙地図が好きなのだ。

思いのほか順調に歩みを進め、体力を温存しつつコースタイムよりも早く進むことができると途中で分かった。なので予定よりも足を伸ばして、その日のゴール予定の小笹ノ宿避難小屋から5〜6kmほど南にある、テント泊適地の“稚児泊り”という台地まで8時間ほど歩くことに決めた。

湿度が高いこともあり、今回の旅のお供に選んだ行動着のChemical B Sleevelessと試作品のシャツも汗でびしょ濡れだが、さすがの速乾性能で不快感はなかった。順調にチェックポイントを通り過ぎ、大峰山寺に到着。もう少しゆっくり見ていたい気もするが、道のりはまだまだ長いので足早に立ち去る。

大峰山寺。女人禁制エリアの中にある修験道の寺院。山中にこれだけの規模の仏堂があるとは驚きだ。軽くお参りして先を急ぐ。

寺の傍の開けた場所で、昨日洞川温泉行きのバスに乗り合わせた海外の方に再会し、思わず声をかける。キャップ後頭部に「SAMURAI」の刺繍があったので記憶に残っていたのだ。ドイツから来たというダニエル君は、日本のローカルな場所をメインにまわり、2ヶ月ほど日本に滞在するそうだ。

インスタのアカウントを教え合い、Say Goodbye。バスで見かけた際に、ものすごい重装備だったので、インスタで後日ULハイキングと山と道について紹介をしておいた。 自分もかつては1泊2日でも15kg程度の荷物を背負って歩いていたことを考えると、今回順調なペースで歩けているのはUL化の賜物であろうか。

ピザパンみたいな茸を発見。あぁピザが食べたいなど、修験道に似つかわしくない煩悩全開で歩いていた。

想定通り、七曜岳そばの“稚児泊り”まで進むことができたので、今日はここでテント泊としよう(編注:大峯奥駈道でのテント泊は、禁止エリア以外では原則禁止されていません。)先客の自立式テント2張を横目に、不慣れなツェルトにやや手間取りながらも寝床を作り終える。

ただでさえ自分は背がでかい上に、不慣れなのでツェルトの天頂部が下がってしまい、常に下向きで過ごしたツェルト泊だった。

座高に対して高さが全然足りず、首を傾げなければ座れないのがやや辛いが仕方がない。半土下座のような状態で調理をする。自作のDCFグランドシート(といっても4隅を3巻きにしてステッチをしただけだが)を初めて使用できるのが何だか嬉しい。夕食はインスタントラーメンを平らげたあと、残り汁にアルファ米と高野豆腐と乾燥野菜をぶちこみ掻き込む。贅沢な話だが、初めて食べるアルファ米も、高野豆腐も全然おいしくない…。山飯の研究を次回の山行の宿題としたい。

食後のホットココアでひと息ついたあとは、Alpha VestLight Alpha Tightsに着替えビビィに潜り込む。今回は天気予報や過去の気温データから、軽量化の為に寝袋を持ってこなかったが、実はビビィで眠るのも初めてだ。食事で腑が温まったおかげか、しばらくは全く寒くなかった。

地図を見ながら明日以降の計画を再確認していると、あっという間に時が過ぎ、気が付くと寒さを感じる。UL All-weather HoodyUL All-weather Pantsを着込み就寝することにした。

ところが今度はビビィの中に湿気が溜まり不快である。Light Alpha Tightsだけになるが、しばらくするとまた寒くなりUL All-weather Pantsを履くというようなことを繰り返す。バックパック内のフレームにした時に嵩張るのが嫌でカットしたUL Pad 15+は、肩から腰をぎりぎり賄える長さの110cmと、45cmの2分割にして持参していたが、エアピローも含めてそれぞれの位置が定まらず何とも寝づらい。

気温は12℃、体が震えるほどではないが手足がえらく冷たい。風でばたつくツェルトの音と冷えで眠れない。寝返りばかり打ってはパッドがずれて体勢を直すのを繰り返す。テント泊で眠れず、目を覚ましたらベッドの上でしたという夢でまた目が覚め、最終的にはビビィの中にTHREEの背面パッドもプラスして敷き詰め、腹部に着替えを巻きつけ、足はバックパックに突っ込み、ようやく1時間ほどだろうか、浅い眠りに就いた。

DAY2 嬉しい出会い

5時半頃起床。といってもほぼ眠れなかったのでずっと起きていたようなもの。今日の行動に悪影響がないと良いが…。せめて栄養は補給しようと朝ご飯をしっかりと摂り、入念にストレッチをして8時頃出発する。

初日に予定より2時間分ほど距離を稼いだので、2日目は8時間ほどの行動予定。弥山を超えて、今回の最高峰である八経ヶ岳を経て、楊子ヶ宿小屋まで南下する予定だ。

筋力や心配していた膝痛、古傷がある足首は特に問題がなさそうだ。気温は18℃程度、湿度は高いが日も出ており良い天気だ。出発早々に思い込みから逆方向へと進み、無駄に鎖場を登ってしまうタイムロスはあったが、予定どおり12時半頃、弥山小屋に到着した。

「聖宝理源大師」座像。錫杖は邪を払う以外に、生物に人間の存在を知らせる意味もあるそうだ。本当にこんな高下駄で歩くのか? 信じられない。

規模も大きく、かなり設備の整った小屋で、休憩中の登山客の方も何名もいらっしゃる。売店で買ったアクエリアスで菓子パンを一気に流し込む。無補給のつもりだったが、つい購入してしまった菓子パンの何とおいしいこと…。水も3L購入し、弥山神社でお参りをしたり、休憩がてら日報を書いたり(いちおう研修中なので)、家族への連絡をしたりして1時間ほど過ごした。これから後半開始だ。

弥山頂上の弥山神社。旅の無事をお参りしたあと、微弱な電波が入り、日報報告を済ませた。

八経ヶ岳頂上。今回の山行の最高峰にて記念撮影。まだタイマーをセットして写真を撮る余裕があった。

八経ヶ岳を過ぎた辺りで風が止み、全くの静寂であることにふと気が付く。標高が上がってきたせいか、明星ヶ岳辺りでは立ち枯れの木が増えて背の低い植物が中心となり、鳥のさえずりもなく、虫も減ったなぁと考えていると、わずか2mほど前に牡鹿が唐突に現れて息を吞む。

明星ヶ岳付近。植生が変わり、立ち枯れの木と背の低い木々が増えた。

こちらにおびえる様子もなく、悠々とおいしい草を探しながら歩いている。角に産毛が沢山生えているのできっと若いのだろうが、堂々としたものである。その美しさを永遠に見ていたい…というわけにもいかず、10分ほど観察したあと、名残惜しいが別れを告げ、また歩きだす。

悠々と草を食む牡鹿。完全な静寂の中、逃げる様子もなく、堂々とした美しい姿をずっと見ていたかった。

夕方に近づくにつれて、ガスが濃くなり視界は悪くなっていった。地図の“崩落”の文言通りに五鈷峰からの道中は荒れた斜面や、急峻な岩場の梯子などに苦戦し、イライラが募る。疲労困憊の状態だったが、概ね予定通りの時間に今夜の宿泊地である楊子ヶ宿小屋(無人の避難小屋)へなんとか到着。

五鈷峰から七日迷の辺り。地図の文言の通り崩壊している斜面。小石交じりの砂地でかなり歩きづらかった。

睡眠不足の影響もあったのか気力的にもクタクタで、ツェルトを張る前にとにかく体を休めようと小屋を覗くと、先客の老紳士。こちらの方もかなりお疲れのご様子で、聞けば先ほどの崩落したルートの辺りで数時間に渡り道を見失いなんとか小屋に着くも、小屋横の水場は枯れていて給水ができずとのこと。明日はあてにしている水場まで4時間ほど歩く予定なのに、今晩の調理分も含めて水が700mlくらいしか残っていないようだ。

1Lの水をお分けすることを申し出たが、半分の500mlだけ受け取られた。にも関わらず、お礼と言って、水場と小屋、エスケープルートについてかなり詳しく教えていただいた。この辺りは天気予報がほとんどあてにならないこと、水場も枯れることが多い上にエスケープしづらく、撤退する方が多いことなどを教えていただき、自分の調査不足を呪う。

その後も薄闇になるまで会話が弾み、気が付くと屋根を激しく叩く雨音と風の音。今夜は体調と安全面を考慮して、人生初の小屋泊をすることにした。就寝まで楽しい時間を過ごし、湿度が高く快適とは言えなかったものの、昨日よりは眠ることができた。

DAY3 迫られる撤退の決断

昨晩に激しく降った雨はやや落ち着き、降ったり止んだりを繰り返している。6時半過ぎ、老紳士に別れを告げ、行動を開始する。

3日目の行動予定は約9時間。釈迦ヶ岳を超えて深仙の宿まで南下したあとは、同じルートを北へ引き返し1日目に立ち寄った弥山小屋まで行くつもりだ。

ガスも濃く、風もそれなりに吹いているし、雨中のハイキング経験も一度くらいしかないが、昨夜の出会いのおかげか、あまり不安は感じない。

雨でぬかるんで歩きづらい道に苦戦し、濡れた鎖場でバランスを崩して滑落しかけ、臀部をしこたま打ち付けるなどのアクシデントを乗り越え、コースタイムの倍近い2時間ほどかけ、なんとか釈迦ヶ岳にたどり着き休憩。

橡(エン)の鼻 蔵王権現像。大峯奥駈道には全部で75ヵ所の「靡(なびき)」があり、修行者の方が祈りを込め、木札を捧げている。

先客の地元の方から、釈迦ヶ岳に至る鎖場や岩場の連続は修行と呼ぶに相応しく、難易度がそれなりに高いことで有名だということを聞く(その方はゴールデンルートと呼んでいた)。

釈迦ヶ岳頂上。地元の方のお言葉に甘えて、この旅で唯一の記念撮影をしてもらった。

ここまでの道中、地図にあるはずの水場を見つけられなかったので、近くにある水場 「かくし水」まで一旦下り、水を確保する。雨続きなのに水量は少なかったが、30分ほどかけてなんとか必要分の水が確保できたので、折り返して予定地の深仙の宿という無人の避難小屋へ向かう。

雨続きなのに水量は少ない。水は本当においしく、ありがたみを実感する。

アクシデントや天候不良もあるが、歩くことそのものが楽しく、その後は順調に12時半頃、深仙の宿に到着。予定ではここから弥山方面へ折り返し、大峯奥駈道最北端の吉野神社を目指していく。

行場の軒下を借りて、靴の中の水を抜き、ふやけた足を休めながら行程を改めて確認する。ここまで、想定外に時間がかかったこともあり、崩壊した斜面や鎖場を雨の中もう一度歩く気にはなれず、ルートを変更して大峯奥駈道最南端の熊野本宮大社を目指すことにした(実は昨晩、老紳士からもルート変更を進言されていた)。

実際に歩いたルート

もともと深仙の宿から折り返して北上する予定だったが、予定を変更してそのまま南下し、大峯奥駈道最南端の熊野本宮大社をゴールとする。

靴に溜まった水を出し、ふやけた足を休める。短くカットしたUL Padが役に立った。

20分ほど休憩して歩き出すと、先ほど行場のあたりで見かけたお兄さんが写真撮影のために止まっていたので、少し言葉を交わす。彼は吉野山をスタートして、熊野本宮まで約80kmを3日で歩き切るそうだ。何と化け物みたいな人がいるものだと、馬鹿みたいな声で「すごいですねぇ」と驚嘆して、先に進ませてもらう。

太古の辻。大峯奥駈道のちょうど真ん中あたりに位置する南奥駈道標識。何が何でも最南端でゴールすると誓う。

しばらく歩いていると、ものすごいスピードで追い上げてきているお兄さんのものと思しき熊鈴の音が後ろから聞こえてきた。道は大変分かりにくく、ふんぞり返ったシャクナゲの枝に何度も絡めとられては立ち往生するが、ひとりでないことが心強い。

「よし、道は合っているぞ」と思いながら進み続け、蘇漠岳のピークに到達。それから標識通りに進んだつもりが、岩場の小ピークに出たのにどこにも進路はないし、気付けばお兄さんの熊鈴は聞こえない…。

踏み跡がまるで分からないくらいに生い茂るクマザサのせいで道を見失って、誤った方向に進んでしまったようだ。方角を確認し、登山道らしきものが視界の隅に見えたので、リカバーしようと崖を滑り下りるが、行き場のない場所に下り切ってしまう。

ポールを一番短くして4つ脚で斜面に取り付くが、勾配がきつく雨でぬかるんだ地面に足をとられて、何度やっても上手くよじ登れない。とっさにトレッキングポールをしまい、トイレの穴堀り用スコップに持ち変え、なんとかよじ登りもとの場所に出た。気が付くと1時間以上経ってしまっていた。

このまま進んでも予定の宿場まで明るいうちには辿り着けないと判断し、一旦朝出発した深仙の宿まで戻り体制を整えることにする。へろへろで深仙の宿に辿り着くが、体力と気力を消耗し雨の中ツェルトを張る気にはなれず、今日も小屋泊。天気の様子を伺い、このまま天気が回復しなければ、翌朝、前鬼というバス停までエスケープすることも考えていた。それに、今晩この小屋にいれば、朝に別れたあの老紳士と再会ができるかもしれない。

濡れた服を囲炉裏で乾かそうと思ったが、残念ながら薪が湿っていて諦めた。

びしょ濡れになった服をすべて脱いで保温着に着替え、地図を見ながら明日の計画を考えていると、ガチャリと扉が開く音がした。あの人が来たかと思ったら別の方であった。 修験道を実践されている方で、荷物を置いておもむろに外へ出て行かれた。

しばらくすると法螺貝の音が聞こえてきた。初めて法螺貝の音を生で耳にしたが、2018年頃に妻の親族への結婚の挨拶に訪れたトルコの限界集落で、エザン(イスラム教の礼拝時間を知らせる詠唱)を初めて耳にした瞬間を思い出した。美しい言葉の響きに感動し、植物の綿毛が風に舞い、時間が止まったように感じたあの瞬間を思い出し、目に涙が滲む。

小屋に戻ってきた修験者の方にどういった意図で吹くのか聞いてみたが、仏の説法と同じように、迷いを覚ましたり魔除けの意味があるそうである。自分自身が特定の宗教に帰依しているわけではなくとも、祈りに込められた力には心を揺さぶる力があるのだと納得した。

この方は大峯奥駈道を歩くのは7度目で、修験道として法衣を纏い、法螺貝などの法具を携えて各地を礼拝して回るのは今回が初めて。登山を楽しんでいた時に修験者の方を目にして興味が湧き、実践することになったそうだ。まだ南奥駈の道は自分にとっては未知だが、これまでも確かに修行と言うにふさわしい急峻な道が多いように思う。標高が高くないから難易度も高くないだろうと考えていた自分の浅はかさを反省。

ここぞの時に食べようと持参した乾燥米の豚汁雑炊を味わい、体を休める。同じ米でも自分で調理したものとは雲泥の差である。エスケープルートや、残りのルートの確認し、日記をつけているとあっという間に時間が経ち、就寝。人の心配をしている場合ではないのだが、結局あの老紳士とは再会ができなかった。無事に引き返して下山されたことを願う。

DAY4 五感をひらいて歩きに没頭

相変わらず熟睡というわけにはいかず、5時前に起床。一昨日から続く雨は止まず、小屋内の湿度も高いため、脱いだ行動着は濡れたままだ。7時半頃、雨量が少しマシになったので、エスケープはせずに6日目の予備日もフルで使用して、奥駈道の最南端の熊野本宮大社を目指すことにした。

なので、4日目からは南奥駈道へと突入。昨夜、修験道の方に聞いた、缶ビールがあるという行仙宿山小屋を目指して9時間ほど行動するつもりだ。

昨日、道を間違えた蘇漠岳分岐では、慎重にコンパスを確認して5分ほど笹をかき分けて進むと登山道の踏み跡があり、ひと安心。

蘇漠岳標識。3日目に腰くらいまで生い茂る笹で道を見失った場所。再度来ても道がよく判らない。

雨と笹のせいであっという間に靴の中に水が溜まり、グチャグチャと音を立てている。何度も熊の糞らしきものを目撃するし、笹が生い茂り足元が見えづらい。突然濡れた岩があったり、地面が落ち窪んでいたりと苦戦しながらも、ペースとしては順調に進む。

笹の背が低い場所でも道幅が30〜40cmほどしかないため、足元が見えづらく歩きにくい。

まだ新しい何かの糞。鹿ではない…。狸や猪の糞であってほしい…。熊のものでないことを祈る。

雨も風もあるが、UL Mittensの具合がいい。開発に何年もかけて完成した道具に感謝だ。トレッキングポールという道具にも感謝だ。

人間は弱いから余計な荷物を背負い、道具を持たないといけない。でもポールのおかげで2本脚にも3本脚にも4本脚にもトランスフォームできる。まるでケンタウロスだ、などと妄想していると、そのまま感謝の波が押し寄せてきて、研修に来させていただいたことへの感謝、先輩方がこの取り組みを続けてきてくれたことへの感謝、お世話になった方々の顔や登山好きだった亡き父の顔などが五月雨式に思い浮かび、何だか涙が出てきた。終いには嗚咽をもらしながら11時に涅槃岳頂上に到着した。

涙に滲んだ目を擦ろうとした眼前の右手首にヒルがいたので、処理をしようとバックパックからお塩を取り出しお食事を終了いただく。

その後も状態の悪い道に苦戦しながらも、想定よりも早く13時半頃に持経の宿へ到着。これで今日の行程は半分だ。

立派な小屋をボランティアで清潔に管理をされていて、大変ありがたいことだと感じ入りながら、汚れた靴を脱ぎ捨て足を休ませていただき、コーラをいただいた。普段はジュースというものを飲まないが、何だかHPが回復したような気になる。濡れた靴下と靴を履くのは嫌だが、靴ひもをしめ直すだけで足に力が蘇る気がする。

その後は誰にも会うことはなく、再び歩くことそのものを楽しむ。この辺りは植生も豊かで、しめ縄のついた「持経千年桧」以外にも立派な木が多い。木の根の色彩や形状が格好良い。ガスの中に細く差し込む光線が空気中の水分を纏って、粒子がキラキラしている。鳥の羽ばたきがすぐ傍で鳴ったかのようなボリュームで聞こえる。雨で羽が重くなったのかケガをしたのか、自立できずにひっくり返ったウグイスのような小鳥を助ける。

持経千年桧。この辺りは植生が豊かで立派な木が多く、それを見て歩いているだけで楽しかった。

山を歩いていると、全身全霊をかけて五感すべてが目の前で展開される情景から情報をキャッチしているのだと実感する。その分、過ぎ去った時間は圧倒的な情報量を持っていて、数日前のことですら遠い昔のように感じる。そんな良い精神状態で歩き続けて、17時過ぎに本日のゴール地点である行仙宿山小屋(無人小屋)に辿り着く。

行仙宿山小屋は最大30人を収容できるとあって、途中で休憩をした持経の宿よりもさらに立派だ。

雨が収まる様子もないので今夜も小屋泊とさせてもらうことにして、薪ストーブに火を焚べ、びしょ濡れになった衣服をすべて脱ぎ乾かす。焚き火をしているだけで心が落ち着く。あと2日で終わりだと思うと少し寂しいような誇らしいような気もする。

話に聞いていた通り、小屋には缶ビールの無人販売もあったが不思議と欲しくならなかった。置いてあったラジオをおもむろにつけると、場違いなJ-POPが誰もいない小屋に鳴り響き、人間社会の気配が旅の終わりが近いことを実感させる。

食事を済ませ、ホットココアで体を暖め、火を眺めながらメモ帳に楽しかった山行を振り返り日報をつけていると、うとうとしてきて気が付くとそのまま寝てしまっていた。

DAY5 険しい道を越えて南へ

朝6時半、小屋を後にする。湿度は相変わらず高くガスっているものの、雨もようやく上がり、ところどころ日も差している。

5日目は笠捨山、槍ヶ岳を経て9時間ほど行動し、玉置神社でテント泊予定だ。

切り株の猫がお見送りしていたことに、写真を見て後から気が付く。

槍ヶ岳から地蔵岳にかけては、道中で出会った人からも聞いていた、ほぼ垂直に近いような鎖場や100m前後の標高差で急峻な岩場を、何度も登っては下りてを繰り返す。自分の体力的にはなかなかハードだが、それでも純粋に山中を歩くことを楽しめていると感じながら快調に歩く。

槍ヶ岳。「これが三点確保かぁ」などと思いながら、垂直に近い5mほどの鎖場を下りる。

地蔵岳から花折塚の辺りまで5時間ほど歩き、しばらく急坂の下りが続いたあと、慎重に歩いていたつもりが、濡れた岩場でスリップ。顔をしこたま岩に打ち付けてしまった。意外と冷静なもので、骨は折れていないか、他にケガがないか確認し、とりあえず痛み止めを飲む。疲れが溜まってきているとはいえ、転んでしまった理由を分析しながら再び歩き出す。

転倒した岩場。杉の根と大きく丸い岩が歩きづらかった。落ちる時は自分の「わぁー」という漫画のような声が聞こえた。

大峯奥駈道 石碑。林道との交差点が増え、ドライバー向けか、立派な石碑があった。

左手の親指の付け根も激しくぶつけたようで腫れがひどいので、明日に温存すべく“心臓を捧げよ”のポーズよろしくスターナムストラップを掴んで固定し、右手1本でしっかりとポールを握り込む。ポールと自分の体が一体化する感覚が楽しく、痛みを忘れてハイペースで歩く。アドレナリンが出ていたのか、ドーピング効果があったかもしれない。快調にとばし、15時頃、玉置神社に到着。

玉置神社。冷たく澄んだ水で汗と泥と血で汚れた顔を洗い、今日もゴールできたことに安心。

お参りを済ませて境内を少し散策したあと、神社の方に断って、湧水を貯めたタンクから冷たいお水をいただく。明日は水場がないので4.5Lまで水を補給する。5日間の疲労にずっしりと重量が堪えるが、ありがたみとしてしっかり受け止め、駐車場がハイカーたちのテント場として開放されているらしいので、そちらへ向かう。駐車場にある売店は、ド平日のためか残念ながら休業。売店で爆食いを楽しむ妄想をしてしまっていたので、逆に閉まっていて良かったと捉えることにした。

誰もいない駐車場にツェルトを張る準備をしていると、草刈りのボランティアに訪れた地元の方が話しかけてきた。どこからやって来てどこへ向かうかを伝えると、この辺りは熊がそれなりに生息しているそうで、麓の集落でもつい数日前に鉢合わせた人がいるし、自分が通って来た笠捨山の辺りでも目撃されるそうだ。10回ほど見かけた、まだ新しい糞はやはり熊のものだったと確信した。地元の方の言う通り、運が良かった。

駐車場には草地があるのかと思いきや、アスファルトの上で寝るしかないようで、フェンスや電柱を使いタープスタイルでどうにかこうにか寝床が確保できた。人里が近くなってきた安堵なのか食欲が湧き、時間をかけてしっかりと夕食を済ませ、少しうとうとしていた。

初めてのタープスタイルは意外と上手く張れ、それなりに快適に楽しく過ごした。

トイレに立った際、空一面の星空にハッとする。日中も雲が多かったし、満天の星空というわけにはいかないが、ありとあらゆる方角に普段目にすることのない幾多の星々が光り輝いている。トイレから帰ったあとは、テントやタープを使わずに眠る“カウボーイスタイル“とやらを決め込むことにした。UL Pad 15+を敷き直してフェンスにもたれてビビィを着込み、そのまま眠りに落ちるまで星空観察と洒落込もう。

これまで今回の旅で使ったツェルトか、バスタブ付きタープ、ダブルウォールテントでしか寝たことがなかったが、意外と眠れるもので、そのまま3〜4時間ほど眠りに落ちた。風が少し強くなってきたので売店の軒先へと寝床を移す。標高も1,000mくらいまで下がっていることもあり、寒くはないが朝まで熟睡というわけにはいかないだろう。何なら暗いうちから活動してしまうのもアリかと、いつぞや社内メンバー有志が行なっていた“ナイトハイク”なるものがうっすら頭にちらつく。

DAY6 星に導かれた初ナイトハイク

深夜2時頃に目が覚め、人生初のナイトハイクに挑む腹を決め、そそくさとパッキングを始める。

最終日は9~10時間ほど行動して、何が何でも熊野本宮大社でゴールを踏む。

体力の消耗を考え、慎重に時間をかけるつもりで到着時間を定める。闇夜の行動時間も2時間程度と決めて、3時半過ぎに玉置山駐車場を後にする。

暗い杉林へ。真っ暗でいつにも増して厳かに感じる神社の参道を抜け、杉林に入る。

初めての経験に何だかワクワクする。ヘッドライトの消耗を抑えるために低ルクスにして、道幅が30cmほどしかない荒れた道を1歩ずつ足元を確かめながら進む。足裏に痛みがあるが、気力は充分で、夜明けまでの時間を楽しめそうな感じがする。ところが、30分ほど進んだあたりで、ヘッドライトが点滅し、まさかのバッテリー切れ…。

林道との交差点の開けた場所で、「仕方ない。充電中は小休止だ」と思い、ふと前方に目をやると、真っ暗闇のなか満天の星空。雲が流れて消えたのか、テント場の駐車場よりもさらに多くの星が見える。遥か何億光年先にあって、距離の差など分かるはずのない星々にも遠近感があって、宇宙の黒さの中に波のようなグラデーションが浮かび、空間の奥行きが見えるように感じられる。

真っ暗な中、倒木に腰をかけ贅沢な時間を過ごす。満たされた心に足取りは軽く、また暗い中を歩き出す。初めてのナイトハイクはわずか1時間半ではあったけど、忘れられない時間となった。

朝というのは、もう少しじんわりと訪れるものだと思っていたが、星々が急ぎ足で姿を消していき、唐突に夜が明ける。3日ぶりの晴れた空の下、黙々と歩き続ける。

この旅で初めての日の出。どこかの山頂で見れたらと思っていたのだが、単調な道にペースも上がらず開けた場所もなく、気づけばRisen Sunとなり、Rising Sunは見逃してしまった。

セミが鳴くくらいに気温が上がり、単調な道にペースも上がらず、自然と立ち止まることが増え、半ばヤケクソになってきた。人里の気配と旅路の終わりをチラつかせる林道との交差点が増え、時には“近道”という悪魔のささやきのような看板なども織り交ぜながら、何度も奥駈道の標識で再び歩きづらい山道へと引き戻される。急坂を登っては下りてを繰り返し、誰かの悪意のようなモノすら感じる。

「もういい加減にしてくれ」と、ぼやきを口にしながら、体力的にも限界を迎え、もはや一刻も早く山から出たいとしか思わなくなっていた。二度と転ぶまいと慎重に1歩1歩ゾンビのように歩みを進める。

熊野川と町。人里がすぐそこに見えてきたのに、何度も下っては登りを繰り返し、道のりが長かった。

11時間ほどかけてようやく登山道の終わり、熊野川は大斎原に到着。大小さまざまな形の丸石たちが疲れ切った足裏に辛いが、足を引きづりながらようやく河岸に着く。

ゴールの熊野本宮大社へと向かうため、山と高原地図のルート上のポイントの「川を渡る」の文言に従って、川を渡ろうと慎重にトレッキングポールをつきながら1歩ずつ入水していく。しかし流れも速く、水の深さも身長187cmある自分の腰か胸くらいまでありそうだ。

危険だと判断して引き返す。水量も少なく流れも緩やかで渡りやすいものと思い込んでいた…。引き返して橋を渡ろうかと考えたが、膝下くらいの深さの場所を見つけて再トライ。慎重に流れに逆らいながら、カニ歩きで渡り切り、禊を済ませた。時間にしてわずか数分、距離にして10mほどだが、不思議なもので冷たい清流を渡っただけで、6時間にわたり、苛立ち、ささくれ立っていた心が洗い流される気がした。

禊の熊野川 大斎原。「大斎原」は、「斎(いむ)」=“清め”を意味し、神聖な儀式を執り行う浄地としての“原”が結び付いた地名。

大斎原大鳥居。2000年造のコンクリート製だが、高さ約33.9m、幅約42mで日本一の大きさを誇る。

車道に出て、ここから10分ほど歩けばゴールであるが、終バスの時間も迫っており、兎にも角にも風呂に入りたい。もはやそれしか考えられず、地域の福祉センター内の温泉施設に急ぎ、正式にゴールする前に天国を味わってしまった…。汗を流したあと、今回の終着点である熊野本宮大社を足早に訪れ、正式ゴールと相成った。

熊野本宮大社。入浴後、バスの時間を気にしながら正式ゴールを踏み直す。

自分の現在地を確認できた旅

今回の旅を通して、「ULハイキングにおいて自分のスタイルを見つける」という目的からすると、結果的に食糧も余ってしまったり、寝具や防寒着の組み合わせが適切でなく睡眠が上手く取れなかったり、失敗続きで「コレ」というものが見つかったわけではなかった。しかし、自分の現在地が分かったことが一番大きな学びとなった。

体力や技量に関しては、何ができて何ができないのか、不快な状況が何なのか、ということについて学ぶことができた。自分の単なる無知や調査不足のせいであるが、今回の総距離85kmに及んだ旅は、今の自分にとって体力的に限界に近いものだった。正直舐めていた、と思う。

だが、結果的にはそのおかげで痛い目に遭い、悪態をつきながらも、1歩ずつゴールへと進んでいく感覚が、まるでオープンワールドRPGの世界でゲームオーバーを繰り返しながらひとり歩いているようで、とても楽しいものであった。

道具に関しては、疲労が蓄積し体力の限界値に近づいてきた時に、パッキングの重要性を改めて体感したり、道具の細部に宿った意味に気が付く。山と道の製品に限らず、道具をある程度の長期間、山中で使用することで、機能に無駄がなくデザインされたものであることを体感した。

帰路、立ち寄ったラーメン屋で生ビール片手に爆食いをしながら、何故だかまた行きたいと早くも思っているのであった。自分のハイキングライフはまだ序章。これからが楽しみだ。

GEAR LIST

BASE WEIGHT* : 4.24kg

*水・食料・燃料以外の装備を詰めたバックパックの総重量

神尾正史

神尾正史

プロダクト企画 パタンナー

大阪府出身。大学卒業後、紳士服パタンナー、鞄など服飾雑貨縫製を経て、前職では10年ほどスポーツアパレルメーカーに勤務。パタンナーとしてオリンピック競技ウェアや街着などマルチに手がける。山と道の飽くなき探求心とものづくりへの真摯な姿勢に感銘を受け、2024年にジョイン。キャンプや1〜2泊程度の低山ハイキングで焚火と酒を楽しむのが好きだったが、入社後は少しづつULハイキングを学び、長く1人で歩くことの楽しさを感じ始めている。妻と犬、猫の4人家族。山と道では企画チームでパターンや仕様開発を担当。

連載「山と道トレイルログ」