山と道スタッフ黒澤の
はじめての海外ハイキング in JMT 【#3】

2018.06.01

INTRODUCTION

いつか行きたいJMT。
でもなかなか行けないJMT。

カリフォルニア州シェラネヴァダ山脈に340km渡って伸びるジョン・ミューア・トレイル(JMT)は、ハイカーの聖地であり、トレイルのなかのトレイルです。そんなJMTを山と道スタッフであり、自身もRidge Mountain Gearとして活動する黒澤雄介が、2016年に夫婦で歩いた記録、その第3回目です。

砂埃にまみれ、空腹と戦い、幾多の峠を越え、今回、ふたりはついにゴールのマウント・ホイットニーに辿り着きます。そこで彼らが感じたこととは?

等身大のJMTハイキングルポにどうぞお付き合いください。

【#1はこちら】
【#2はこちら】

文/写真:黒澤雄介

【10】ステーキのことばかり考える

9月12日(JMT9日目)

本日最初の湖のエボリューション・レイクで休憩。いつもなら水浴びをするところなのだけれど、一昨日の雷雨以来、一気に気温が低くなった。

本日2番目の湖のワンダ・レイク。ここは今まで通ってきた湖の中で抜群に水が綺麗だった。暑ければ泳ぎたいくらいなのだけれど、日向でもフリースを着てちょうどいい位の気温だった。先ほど通過したエボリューション・レイクからすぐに雲行きが怪しくなり、瞬く間に空は真っ黒になり、強い風が吹いた。小雪も舞うほどだったので、ここへ到着する頃には少し青空が見えたので安心した。

ワンダ・レイク湖畔ではマーモットも見かけた。近付いても逃げる気配はなかった。警戒心はあまり強くなさそう。

JMTの象徴のひとつでもあるミューア・ハット。古くに建てられたものだけれど現在も避難小屋として使われている。JMTを歩いてきて避難小屋というものを初めて見た。風が強くとても寒かったので、中で暫く休憩した。

この日のキャンプサイトのスター・キャンプという場所。一昨日から一気に気温が低くなったので、できるだけ標高が低い場所でキャンプがしたくて今日は合計30km歩き、ヘトヘトでキャンプサイトに到着した。素早く食事を済ませてテントの中へ。

けれど、寝袋に入ってみてもどうにも寒い。耐えきれなくなり二人で寝てみてはどうかと思いつき、それぞれの寝袋を無理やり合体させてお互い体を密着させて温まった。一人で寝るよりは温まることができたのでこの日からゴールまではこの方法で寒さを凌いだ。

9月13日(JMT10日目)

昨夜はとても冷え込んだ。2人でくっついて眠ったけれど寒さで余り眠れず、シュラフの中で悶えていた。朝6時に起きテント内の温度計を見ると−4°Cだった。この日も朝から雲ひとつない快晴で、日向ではまたジリジリするような暑さが戻りホッとした。

毎日食べているドライフードにもそろそろ飽きてきて、ここの所ずっと街に降りたら何を食べようかと考えている。頭の中はビールとステーキのことばかりが浮かび、妻とは食べ物のことばかり会話をしている。転がっている岩が大きな焼き豆腐に見え、そこからすき焼きを連想し、香りまで感じてしまうくらいだった。とにかく毎日飢えていた。

ここでJMTでのハイキング中に何を食べてきたか、食事の話をしたい。

僕は普段の生活でも朝食をあまり食べないので、朝はスープだけを飲み体を温め、歩き出してから行動食を食べる。写真上が2人分の1日の行動食。バー3本と必要によりエナジージェル。これが2人分の昼食と行動食だった。

こちらは海外のアウトドアショップやアウトドアサイトなどで見かけるポピュラーなフリーズドライフード。このハイキングで初めて食べてみた。あまり美味しくなさそうなパッケージとは裏腹に僕はかなり気に入った。マッシュポテト&チキン、スパゲティミートソ ース、ラザニア、チキンフライドライス。まだまだ色々な味があるのだけれど、日本で売 られているドライフードよりはるかにおいしと思った。夜のメインはこのドライフードで、1袋(2人分入っている)を2人でシェアする。

いま見返してもとても少ないけれど、食料補給のために街に降りたくはなかったので何とか節制した。おかげでゴールに着く頃にはガリガリに痩せていた。

後から発覚したことだけれど、妻は自分のバックパックの中におよそ2日分の行動食のへそくりをしていたそうだ。僕に渡すとある分だけ全て食べてしまうからと。倹約家である。

この日のキャンプサイトはパリセード・レイク湖畔。

この晩はとてもいい月が出ていて、夜の湖を撮影しに行きたかったけれどテントの外で獣の足音が聞こえていたのでテントの中で静かにしていた。そして遂に毎晩の楽しみのラム酒が切れた日だった。

【11】全身汚くなる

9月14日(JMT11日目)

昨晩も冷えてあまり眠れなかった。この日も快晴で、朝イチからきつい登りでマザー・パスに到着。これから歩く道を眺めながら朝食を取る。

マザー・パスから下り先へ進む。360度山に囲まれ、一本伸びたトレイル。行き交うハイカー。好きな雰囲気だ。日本ではなかなか味わうことのできない雰囲気。

この日のキャンプサイトはマージョリー・レイク湖畔。14時半には歩くのをやめ、各々のんびり過ごすことにした。

衣類の洗濯とシュラフの天日干しをして、妻は昼寝。僕は水浴びをして、久しぶりにキャンプサイトでゆっくりとした時間が過ごせた。

誰も居ない大きな湖に一人浸かりアイシング。

9月15日(JMT12日目)

この日も朝イチで峠を超える。そのピンチョット・パスを登りきったところで朝食を食べていると、HMGのバックパックを背負ったハイカーが、僕らの山と道のONEに興味津々で話しかけてきた。

「あなたたちは日本人だね。僕のローカスギアのポールとシェルターを見てくれ!」と、 スマートフォンで写したクフの写真まで見せてくれた。「僕の友人が縫っているよ」と説明したら「wonderful!」と、とても感激した様子だった。

今日のキャンプサイトはダラー・レイクという小さな湖の湖畔。

ハイク生活も12日目になり、全身が相当汚くなっている。湖でいくらこすっても全く汚れが落ちない。体は勿論、衣類やバックパック、全ての道具が乾いた土や砂で直ぐに汚れるし臭い。でも、そんなことはもうどうでもよくなっていた。

指先が乾燥で2箇所ひび割れてしまった。これは生まれて初めての体験だった。ワセリンを塗りこみ絆創膏でケアした。僕はたまに左膝が痛むことがあるのだけれど、それも少しずつ出てきた。ゴールまでもってくれるか、少し心配になる。

【12】理想の生活

9月16日(JMT13日目)

13日も妻と一緒に歩いていると、時にはひとりで歩きたくなることがある。 この日はとくにそう感じた。ひとりイヤフォンで好きな音楽を聴きながら暫く歩いた。

途中で可愛らしい小動物に出会った。名前はピカというらしい。日本ではナキウサギという名前で北海道の十勝辺りにしか生息していないのだとか。

この日感じたことは今でも強く心に残っている。

朝、いつも通りに目覚め、スープを飲んで体が温めてから歩き出した。いつものように快晴だった。しばらく歩き広い場所に出た。遠くには馬を3頭引き連れた男性が木陰で休んでいて、手を大きく振ると振り返してくれた。時間にして正午頃だった。大きな枝の木を見つけたのでそこに登り、少し横になり休憩した。ここ数日妻と続けてきたこのハイキングのペースが、とても心地よかった。

朝起きて、焦ることなく1日が始まる。疲れたら休憩してまた歩き出す。お腹が減ったら食事をして、日が落ちたら眠って1日を終える。普段の生活では、こんな毎日を送るのは難しいかもしれない。けれど、このペースが僕の理想の生活なのだと確信が持てた。ハイキングを通して、理想の生活のペース見つけることができた日だったのだ。

この思いは今でも消えることなく強く残っている。

この日のキャンプサイトは沢沿いの広いキャンプサイトで、15時半には歩くのを辞め、まだ陽射しがジリジリと暑かったので洗濯をした。多分JMT最後の洗濯になるだろう。

夕飯を済ませてぼうっとしていると、ここでキャンプしていた他のハイカー数人が近くの 斜面を指差して「Big Bear!」と叫んでいる。慌てて彼らの指差した方を見たけれど、実際に熊を見ることはできなかった。

改めてテント内に戻り、食料は全てベアキャニスターしまって少し離れた場所へ置いた。この日は夜になってもずっと少し緊張していた。

【13】2回目の大喧嘩

9月17日(JMT14日目)

この日は朝から脚がとても重かった。いつも朝はバックパックが軽く感じるのだけれど、今朝はズッシリと重く感じた。そんな調子で朝からJMTで2番目に高い標高のフォレスター・パス(標高4023m)へ到達した。ヘトヘトだった。
この峠を登っている最中に、妻と2回目の大喧嘩になった。

理由はとてもくだらない。JMTも後半になってくると次第に同じハイカーと行き交うことが多くなる。同じハイカーを何度も抜かしたり抜かされたりするのだ。僕はそれがとても気まずく感じていた。

「今度あのハイカーを見かけたら、追い抜かないでずっと後を着いていこうよ」と妻に提案すると、それが気に食わなかったらしく、「そんなこと気にしているの!? 小さいわね」と言われた。

その台詞に腹を立てた僕がヒートアップして、大喧嘩が始まった。幸い、辺りには他のハイカーは見当たらなかったので、お互い言いたいことを言いたい放題で、岩場に囲まれていたので僕らの大声があたりにこだましていていた。

しばらくして後ろから来たハイカーに「朝から元気な2人だね」と言われ、顔が赤くなった。

峠を越えるとしばらく荒野が続く。この3日間、全く同じパターンだ。

今日もジリジリと暑日差し。本当に雨が降らない。歩き始めて今日で2週間だけれど、 合計2時間くらいしか雨は降っていない。

毎晩楽しみにしていたラム酒がなくなり、ずっとビールのことを考えながら歩いていた。ビール、ビール、ビール、ビール……。ふと見た足元の岩が、豚の角煮にそっくりだった。

歩いてきた道を振り返る。今日はあんな所からここまで来たのだ。JMTも、残り2日もあれば歩ききることができるだろう。

こんな道がとくに好きだった。ただ広い荒野に1人だけ。わざと妻と間隔を開けて歩いて気分に浸ることもあった。

今日のキャンプサイトは沢沿い。湖畔と沢沿い、どちらのキャンプサイトも良いけれど、
僕は沢沿いの方が落ち着けて好きだ。

食料も燃料も残り少ない。切り詰め切り詰めここまで来た。同じキャンプサイトのフランス人ハイカー親子が何やら美味しそうな料理をたくさん作って食べている。良い匂いがこちらまでやって来て、さっき夕飯を済ませたばかりなのに、またお腹が減ってきた。

【14】人生って不思議

9月18日(JMT15日目)

朝、この日は最終日と決めていたのでなんだかとても気分がふわふわとしていた。

早く降りて冷えたビールが飲みたい。でももうちょっとこのいいテンポを続けたい。まだ歩けそうだ。

9月5日にヨセミテ国立公園のモノ・パス・トレイルヘッドからスタートした僕たちのJMTハイキングは、9月19日の午後3時にゴールのマウント・ホイットニー山頂(標高4418m)に到着した。ゴールの一歩は、妻と肩を組んで踏んだ。

何年か前から「いつかJMTを歩きたいな」と漠然と考えてはいたけれど、色々なタイミングが重なり、現実に歩くことができた。14泊15日。マウント・ホイットニー山頂からからの下り道、頭の中で美空ひばりの「愛燦燦」がずっと流れていた。10年前は自分がアメリカのロングトレイルを歩くなんて思ってもいなかったけど、人生って、不思議なものですね。

JMTの旅は終わったけれど、僕たちの夏休みはもう少し続いた。

マウント・ホイットニーから下山して、まずは街に向かわなければならなかった。その日中に麓に到着することはできなかったので、山頂から3時間ほど降りた場所にある小さな湖の湖畔でキャンプした。小さなネズミがそこらじゅうでパタパタと走り回っていた。

2週間頑張ってくれた手と足。洗っても洗っても汚れが落ちない。

9月18日

午前中にはマウント・ホイットニーの麓のホイットニー・ポータルに到着した。ストアが開くまで2時間ほど待ち、腹ペコだったので欲張ってトーストとパンケーキをオーダーしたらとてつもない量が出てきた。いくら腹ペコといえど2人では食べきれなくて、余ったぶんは包んでもらって持ち帰った。

麓のホイットニー・ポータルからこの日の宿泊地のローン・パインまでは歩いて4時間ほどかかるので、できればヒッチハイクで行きたかった。クルマなら30分で到着できる。しかし、この日は平日で、時間も13時頃。町に向かうバスもなく、ローン・パインまで向かうクルマもほとんどいなかった。

「ピックアップ・トラックの荷台に乗って景色を見ながら帰れたら最高だね」なんて話しながら10分ほど歩いていると、本当にピックアップ・トラックがやってきた。思わず親指を立てて合図を送り、ローン・パインまで行きたいことを伝えると、「荷台でよければ乗って行きなよ」と快く乗せてくれた。

2人で荷台で揺られながら降りてきたばかりのマウント・ホイットニーを眺め、今まで歩いてきたハイキングのことを思い出していた。

【おわり】

夏目 彰
夏目 彰
世界最軽量クラスの山道具を作る小さなアウトドアメーカー「山と道」を夫婦で営む。30代半ばまでアートや出版の世界で活動する傍ら、00年代から山とウルトラライト・ハイキングの世界に深く傾倒、2011年に「山と道」を始める。自分が歩いて感じた最高と思える軽量の道具をつくり、ウルトラライト・ハイキングを伝えていくことを「山と道」の目的にしている。
JAPANESE/ENGLISH
MORE
JAPANESE/ENGLISH