コンチネンタル ディバイド トレイル放浪記 【#7】

INTRODUCTION

カナダ国境からメキシコ国境まで、アメリカ中部の分水嶺に沿って5,000kmにも渡って続くコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)。「トリプル・クラウン」と呼ばれるアメリカの三大ロング・ディスタンス・トレイルのなかでも、もっとも歩く人が少なく、難易度の高いトレイルです。

そんなCDTを、同じくトリプル・クラウンのひとつであるパシフィック・クレスト・トレイルを2015年に踏破したスルーハイカーであり、イラストレーターとしても活動する”Sketch”こと河戸良佑が、2017年に歩きました。その遠大なハイキングの記録を長期連載で綴っていきます。

#7となる今回で、Sketchはついにコロラド州に到達。長大なCDTの旅も、いよいよ後半戦突入です。

文/イラスト/写真:河戸 “Sketch” 良佑

ようこそコロラドへ

トレイル上に横たわる松の倒木に腰を下ろし、ビールの栓をポンっと抜く。乾燥した木の皮がチクチクと腿を刺し、色の濃い樹脂がショーツを汚したが、全く気にならない。

ぬるいビールを一口飲む。小さな食料品店で買った安物のクラフトビールの苦味が喉を痺れさた。普段はトレイル上でアルコールを飲んだりはしないが、今日は特別だ。

「完璧だ。」

僕は呟いて、傍の木をポンポンと瓶で叩くと、ビールは軽く揺れ、炭酸が子気味良い音を立て弾けた。

紅葉で葉が黄色く変わり始めている木の幹には『WYOMING STATE LINE』と書かれたプレートと、コロラド州のナンバープレートが打ち付けられている。そう、今まさに僕がいる地点が、ワイオミング州とコロラド州の境なのだ。腕時計の液晶に表示された時刻は16時40分。そして日付が9月1日であるのを確認して「完璧だ!」と今度は心の中で叫んだ。

僕は6月にコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)を歩き始めたときから、コロラド州の山脈で雪に降られないために、9月1日までにこの場所へたどり着くのを目標にしていた。そして実際にたどり着いたその9月1日のコロラドは、日中はまだ暖かく、冬の到来までは余裕があるように感じた。僕はビールをもう一口飲んで「いよいよCDT踏破が現実味を帯びてきた」と考えていた。

実のところ、コロラド州に入る今日まで、僕はCDTをスルーハイク(1シーズンで全行程を歩くこと)が本当にできるのだろうかと、心のどこかで思い続けていた。今年はカナダ国境付近の残雪が多く、カナダ国境からメキシコ国境までの南下ルートを歩くハイカーのスタートが、例年よりも遅くなっていたからだ。

これにより1日に歩く距離が増し、体力的にも精神的にも厳しいハイクをせざるを得なく、実際、オーバーワークによる怪我や悪天候により、すでに多くのハイカーがリタイアしていた。

そんななか、僕がこの場所まで順調に歩いてこられたのは、「運」と「性格」によるものだと思える。

前者は、僕が歩いたタイミングがたまたま天候的に恵まれていたこと。そして、後者は僕がどんな出来事に対しても「まぁ、何とかなるだろう」と考える楽観的な人間だということ。

この性格は、数年前まで勤めていた会社では全く良い方向に働かなかったが、海を越えたアメリカのトレイルとの相性は良いようで、常に体力的に無理はせず、心配事は寝たら忘れていたので、心身ともに健康を保つことができた。

カナダの国境から歩き始めて78日、距離にすると2384km。あれだけ険しいトレイルを、よく歩いてこれたものである。今の僕の体は引き締まり、脚はかなり太くなっていた。

その時、背後から何かが地面を蹴る音が聞こえた。振り向くと同じCDTハイカーのジョーカーとマグパイがゆっくりとこちらへ向かっている。

「おめでとう! ようこそ、コロラドへ!」

僕はビールを掲げて迎えると、彼らは拳を突き上げて歓声をあげた。2人は近くに来るとバックパックを地面に置いて、腰を下ろす。その顔を覗き込むと、喜びというよりも安堵した表情に見えるのは、僕と同じ心境だからに違いない。

「今日のハイキングはどうだった?」ハイカー同士お決まりの質問だ。

「はは、そうね。ハイキングというよりアドベンチャーだったわ」

彼女の言う通りだった。コロラド州境に近くにつれてトレイルは荒れ始め、最終的にはトレイルは無くなり、なかなか思うように進むことができなかった。

頼りのCDTのサインも気まぐれに地面に打ち付けられた杭があるだけで、見つけ易いようにと鉱石が上に置かれたお粗末なものだった。もはやそれは目印というよりも、問題を解いた後の答え合わせのようなものでしかない。

ジャックは持っていたウイスキーの栓を抜き、一口飲むとマグパイにボトルを渡す。

「ねぇ、スケッチ、この後どんなルートで進むつもりなの?」

「そうだね。あんまりちゃんと考えてないのだけど、僕はこの後グレース・ピークに向かおうと思ってる」

「そうなのね……私たちは、先を急ぎたいからシルバーホーン・ルートを進む予定よ」

グレース・ピーク・ルートは標高4345mのCDT上で最も標高の高い峠を通過するルートで、一方のシルバーホーン・ルートは、グレース・ピーク・ルートよりも距離が短く、かつトレイル上に街があるので補給が簡単だ。

彼らが急ぎたい理由は、コロラド終盤に控える4000メートル級の稜線が続くサンワン・ルートで積雪のリスクを避けるためだ。サンワン・ルートはとても美しいトレイルとされているので、ほぼ全てのハイカーがこのルートを歩くことを目標としている。もちろん僕も例外ではない。

9月1日にコロラド州に入るというのは、悪くないタイミングではあるが、いつ雪が振り始めるかは誰も分からない。今年が例年通りに雪が降り始める保証などどこにもないので、早く抜けるに越したことはない。それは理解できる。

それでも、燦々と降り注ぐ日差しを見ていると、この数週間後に雪が降るなんて思えない。このトレイルの最も高い場所を歩いてみたい思いも強くある。だから僕は、やはりグレース・ピークへ向かってみようと考えた。

ついにこの2人ともお別れか……。感傷的な気持ちでジャックのウイスキーをグビグビと飲んでいると、あっという間に酔っぱらってしまった。ヘラヘラしながら、ボトルをマグパイに渡すと彼女も顔を真っ赤にして「全くもう……」とぶつぶつ言いながら、さらに酒をあおる。隣のジャックもかなり酔っているようだ。

紅葉が始まった木々からはキラキラと日光が降り注ぎ気持ちが良い。喉が乾いたので、傍に置いたボトルを見ると、驚いたことに空になっている。ボトルの蓋が閉まっていなかったのだろうか。

「ジャック、ちょっと水くれない?」

「オッケー、スケッチ。ちょっと待ってくれよ」

ジャックはそう言って、バックパックのサイドポケットからボトルを抜き取った。しかし、そのボトルを見て僕と彼は愕然とした。完全に空だったからだ。

「ヘイヘイ! この近くに水場があるはずよ!」

マグパイが急に立ち上がって歩き始める。間違いない。水を飲み干した犯人は彼女だ。確かに、彼女の言う通り紙の地図には、この場所から20分ほどの歩いた森の中に水場が表記されている。しかし、スマートフォンの地図にはその表記がないため、GPSを使った正確な位置が分からない。

とりあえず歩き始めてみたが、倒木が多く、背の高い草も群生しているので、なかなか進むことができない。さらに問題は、僕らが泥酔していることだった。気がつけば3人ともバラバラに森の中を徘徊し始め、お互いの存在を大声を出しあって辛うじて確認していたが、この行為が水場の発見に何の役に立たないことを、誰も気がついていなかった。30分ほど森を彷徨ったが、一向に水場がある気配がなく、おまけに転倒して強く脇腹を打ち付けたので、水は諦めて退散することにした。

元の場所まで戻ると、彼らはすでに休憩していた。やはり、同様に水を手に入れることができていなかった。もう9マイル先の水まで我慢するしかない。今夜さえ乗り越えれば、明日の朝には水を飲むことができるだろう。彼らはもう少し休憩を取るとのことだったので、僕は一足先に歩き始めることにした。

順風満帆とは程遠いコロラド州の歩き始めだったが、新しい大地に足を踏み入れるときはいつも心が踊る。すぐに森を抜け、足場の悪い長い登りが続く。それを登りきると途端に綺麗に整備されたトレイルが現れた。空が近くて青い。標高を見ると3500mを超えていた。

トレイルは平坦で周囲に高い山が無いので、ずっと先まで見通すことができた。広い空間に急にひとりだけ放り出されたような感じがする。壮大で、どこか寂しい、しかし、冒険心がくすぐられ高揚してしまう。

少し歩くと、とても懐かしい顔にあった。2ヶ月ほど一緒に歩いていたビールというトレイルネームのハイカーだ。しかし、奇妙なことに彼は寝袋を地面に広げて、ただ立っていた。

「ヘイ! ビール! 久しぶり!」

「おいおい! スケッチかよ! 元気か?」

「元気だよ。本当に久しぶりだね。ところでさ、一体何しているの?」

「それがさ……」

彼の話によると、コロラド州到達の祝いにウイスキーを飲み、さらに甘党の彼はアメリカのスーパーでよく売られているスプレー缶に入ったホイップクリームを、その大きな口に豪快に噴出させたらしい。それまでは良かったが、酔っていた彼は缶に蓋をしないままバックパックに放り込んだため、歩く衝撃でホイップクリームが出つづけ、内部がホイップまみれになってしまっていた。だから、とりあえず天日干ししているとのことだった。

「お前、阿保だな。」

僕が笑うと、彼も豪快に笑った。

「ところでさ、スケッチ、水を持ってるかい? 実は水の補給に失敗してさ」

僕も含めて、このトレイルには阿保しかいないのだろうか。しかし、この楽観的な性格こそが、やはりこのトレイルには必要なのかもしれない。と思わずにはいられなかった。

【#8に続く】

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  • 河戸 良佑

    河戸 良佑

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    独学で絵を描いていたら、いつの間にかイラストレーターに。2015年にPacific Crest Trail、2017年にContinental Divid Trailをスルーハイク。アメリカで歩きながら絵を描いていたので、トレイルネームはスケッチ。 インスタグラムアカウント: Ryosuke Kawato(@ryosuke_iwashi)

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