コンチネンタル ディバイド トレイル放浪記 【#12(最終回)】

INTRODUCTION

カナダ国境からメキシコ国境まで、アメリカ中部の分水嶺に沿って5,000kmにも渡って続くコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)。「トリプル・クラウン」と呼ばれるアメリカの三大ロング・ディスタンス・トレイルのなかでも、もっとも歩く人が少なく、難易度の高いトレイルです。

そんなCDTを、同じくトリプル・クラウンのひとつであるパシフィック・クレスト・トレイルを2015年に踏破したスルーハイカーであり、イラストレーターとしても活動する”Sketch”こと河戸良佑が、2017年に歩きました。その遠大なハイキングの記録も、今回ついに終局を迎えます。

ともあれ、Sketchはいつも通り、今回も彼らしく歩きます。5000kmの旅の終わりに、彼がたどり着いた境地とは?

文/イラスト/写真:河戸 “Sketch” 良佑

バックトラックとの再会

ニューメキシコ州の砂漠の真ん中にポツンと金属製ボックスが設置されている。横120cm、縦100cm、奥行80cmほどの茶色いボックスの上にCDTハイカーのバックトラックが静かに座っていた。

「やあ、バックトラック!」

声をかけると、彼は少し手をあげて返事をしたが、その様子はどこか落胆しているように見えた。

「どうしたんだ?」

心配になって思わず尋ねる。

「どうもこうもないぜ。なあ、スケッチ。ここには水はないぜ。」

「なんだって!」

背筋が冷たくなるのを感じた。僕は駆け寄り、ボックスの中に並べられたポリタンクのひとつを揺らす。水が1滴も入っていない軽いタンクは倒れるとポーンと虚しい音を鳴らした。

僕らがいま歩いているクレイジー・クック・ルートはメキシコ国境のゴールに続く最後のセクションだ。このセクションは砂漠の真中を歩くので、水場はほとんど存在しない。そのためハイカーたちはコンチネンタル・ディバイド・トレイル協会に10ドルを支払って、計5箇所あるボックスに水を運んでもらうのだが、その3箇所目のボックスに、なぜか水が補給されていないのだ。

「スケッチ、お前はあとどれくらい水が残っている?」

ボトルを取り出して確かめると、ちょうど1リットルほどしかなかった。

「あと、1リットルといったところかな。君は?」

「同じようなものだぜ。いま、地図を確かめてたら、ここから3時間歩いたところに牧場用のため池がある。そこでなんとかしないとな。」

そこに水がなかったら……。にわかに心配になったが、そんなことを言っても仕方がない。僕は少しでも日差しを避けるために、ボックスの中に入って休憩をすることにした。

バックトラックとの最初の出会いは3ヶ月前のワイオミング州だったが、それからは会うことはなく、2週間前にヒーラ・リバー・セクションで再会した。彼と僕は年齢が近く、マイペースにハイキングするスタイルが似ていたので、すぐに仲良くなった。

僕は密かに彼をとても尊敬していた。彼は僕が知る限り誰よりも長い距離を繋いでCDTを歩いていたからだ。

前半のモンタナ州でほとんどのハイカーが最短ルートを歩く中、彼は黙々と長い山岳地帯を歩き続け、そして最終的に僕が雪によって断念したコロラド州のサンファン・ルートを天候の良い日に歩き抜けて来た。ただ幸運なだけのように思えるかもしれないが、トレイルをしっかりと踏みしめ、楽しむ、その強い意志がなければ叶わない偉業であり、「僕もそうでありたかった」と心の奥底で嫉妬していた。

CDTの南下ルートにおいてメキシコ国境のゴール地点はふたつある。ひとつは都市を繋ぐハイウェイを歩いて国境のイミグレーションへ向かうコロンバス・ルート。もうひとつは砂漠を歩いて国境のCDTのモニュメントまで辿り着くクレイジー・クック・ルートである。後者の方が正規のルートと言えるが、CDTハイカーの中には水場やアクセスの困難さから避ける者も多い。

とくにアクセスの悪さが問題で、クレイジー・クック・ルートのゴールは砂漠の中にあり、周囲に主要な道路がないためヒッチハイクで戻ってくることが不可能なのだ。そのためハイカーは100ドルを払ってシャトルをチャーターして送迎してもらわなくてはならず、さらに携帯の電波がないので、数日前に街で事前に予約し、指定した時間までに到着しなくてはいけない点も面倒だった。

僕は補給するために寄ったローズバーグの町のマクドナルドで、横にいるバックトラックにどちらのルートを選択するか尋ねた。

「もちろんクレイジー・クックだよ。」

彼は「当然だろ」と言いたげだ。

「そうだよね。君はもうシャトルを予約したのかい? 実は僕はまだなんだ。」

「実は友人が迎えに来てくれるんだ。今、落ち合う場所を確認してた。」

彼はスマートフォンから目を離して、こちらを見る。

「もしよかったら、スケッチも……」

「ぜひ乗せてくれ!」

僕が言葉を被せるようにそう言うと、バックトラックは笑って友人に電話をする。

「お前も問題なく乗れるそうだ。そのあとカリフォルニアまで車で移動するけど、スケッチも来るかい?」

「もちろんさ。お願いするよ。」

最後の水場

午前2時、スマートフォンのアラームで目を覚ます。僕は砂の上にグラウンドシートとエアマットを敷いただけのカウボーイキャンプをしてた。目の前には溢れ落ちてしまいそうな程の星々が煌めいている。

この星空とも今日でお別れだと思うと、少し切なくなる。ひとつの星が短い線を描いて消えた。僕はサボテンに触れないように注意して寝袋を這い出て、パッキングをはじめた。

スマートフォンのGPSで現在位置を確認すると、メキシコ国境まであと歩いて6時間程の距離まで迫っていた。顔を上げた先にはヘッドライトの明かりに反射したCDTのサインがぼんやりと見える。

このセクションに入ってから、トレイルも足跡もほとんど見当たらない。方向さえ間違えなければCDTのサインが現れるので、それを追っていくだけで良いのだが、砂漠は意外にも複雑な地形だった。頻繁に2メートルほどの溝が現れ、さらに群生したサボテンを避けながら歩くとすぐに方向を失う。

迷わないようにCDTのサインを探しながらゆっくりと歩いていくと、暗闇の先に巨大なタンクが見えてきた。直径5メートルほどのプール型タンクは所々錆びていてる。高さが2.5メートルほどあるので中は見えない。これは放牧されている牛の飲み水用タンクだ。そして、ここがCDT最後の水場でもある。

最後は綺麗な水であってくれ、そう願いながら塀をよじ登って中を確認する。水はなみなみとあった。しかし、水面には大量の昆虫と、巨大な鳥の死骸が浮いて、油がライトで不気味な虹色に光る。一瞬躊躇したが、ここで水を補給しない訳にはいかない。虫を掻き分け、できるだけボトルを沈めて、中に不純物が入らないよう、冷たい水を汲み取る。

まだ外が暗いので、ボトルの中の水を見ても透明度は分からない。恐る恐る浄水器を通して飲んでみると、意外なことに普通の水の味だ。

「鶏ガラでも出てるかと思ったよ。」

ひとりで呟き、ひとりで笑う。このジョークを後でバックトラックにも言ってみよう。

水を十分に補給すると、バックパックはズシリと重くなった。しかし、この重さも今日で終わりだ。そう思うと、今まで嫌ってきた重いバックパックでさえ愛おしい。

さらに歩みを進めるが、先行しているはずのバックトラックの姿は見えない。今、どの辺にいるのだろうかと、再びGPSで現在位置を確認すると、なんと僕はメキシコ国境のすぐそこまで来ていた。

メキシコの方角を見る。しかし、目の前には闇が広がっているだけで何も見えない。メキシコ国境の壁はどこにあるのだろうかと不思議に思うと同時に、スマートフォンのGPSが正常に作動していないのではないかと不安に襲われた。

少し時間をおいて再度確認したが、位置情報は変わらない。立ち止まっていても仕方がないので、そのまま進む。

PCTはメキシコ国境から歩き始めた。その時は確かに巨大な国境の壁があった。それなのに、なぜここからは見えないのだろうか。やはり、僕はCDTトレイルから外れて、見当違いの方向に歩いているのではないか? 歩くごとに不安は膨れ上がった。

その時、ヘッドライトに照らされた目の前に高さ40cmほどの大きな石の台が現れた。いったいこれは何なのか? その横には高さ1mはある墓石のようなものも立っている。確認するためにライトで照らしてみると、そこにはこう刻まれていた。

”CONTINENTAL DIVIDE NATIONAL SCENIC TRAIL”

そして、154日間追い続けたCDTのサインが彫られている。そう、これがCDTの最南ポイントであり、旅の終着点である。

5,000kmの旅の終わり

これで本当にCDTは終わったのだろうか?

僕は呆気にとられて立ち尽くす。とりあえずバックパックを地面に下ろして、モニュメントに近づいた。低い石の台はよく見ると大理石でできていて横幅は50cmほどある。穴だらけになったウールのグローブを外して、そっと触れると何かが接着されていたザラつきを感じる。どうやら、CDTのモニュメントの上部が何かの理由で取れたのだろう。

僕は台に座ってみる。石はひんやりと冷たい。辺りはまだ暗く、風もなく、何の音もしない。ヘッドライトを消してみると僕は闇に放り出され、空間が歪み不安定になる。尻から伝わる石の冷たさを必死に感じ取り、自分がそこにいることを確認する。

突如、全てが終わった安堵感と喪失感が胸の中でピンボールのように弾けて、僕は苦しくなった。

大きく深呼吸をする。誰の視線もないのがありがたい。感動した演技や叫び声を発しなくて良いのだから。この瞬間を自分のモノにしよう。そう思って、そっと目をつむる。

ふと、ある人を忘れていることに気がついた。

バックトラックである。彼はどこにいるのだろう。僕はてっきり彼が先行していて、すでにゴールしているものと思っていた。どこかで追い抜かしたのだろうか? 

人のことを思い出した瞬間に、感傷的な気持ちはどこかに飛んで行き、急に平常な心持ちになってきた。僕はとりあえずモニュメントに座って記念撮影をして、時間を潰しながら彼の到着を待つ。

しばらく待ったがなかなか現れないので、アメリカとメキシコの国境まで歩いてみる。距離にして10メートルほどで、国境がすぐそこにあったことに驚くが、僕をもっと驚かせたのがそこにはボロボロの有刺鉄線の低い柵があるだけだったことだ。

日が昇り明るくなってきた頃に、やっとバックトラックがやってきた。彼もモニュメントを見つけるとキョトンとした表情をする。

「これでCDTは終わりだよ。おめでとう!」

僕が声をかけると、少し間をおいて微笑む。

「スケッチもおめでとう。俺たちやったな!」

「そうだよ! 長かったな!」

僕らは抱き合い、互いの背中をバンバンと叩き合う。

「しかし、終わりは呆気ないものだな。」

バックトラックはモニュメントを撫でると、僕と同じように台に座って目を瞑った。僕は少し距離を置いて彼を見守る。

バックトラックは思い出したようにパッと目を開くと、バックパックからビール缶を取り出した。それを見て僕もコロナビールを取り出す。ふたりで祝杯を上げようと最後の町で購入しておいたのだ。

僕らはビールの栓を開け乾杯し、勢いよく飲み干す。しかし、何故だかとても味気なく、好物のビールをおいしいとは思わなかった。バックトラックも同じなのか、黙々と飲み干すと、缶を足で潰してゴミ袋に入れる。

「じゃあ、そろそろ出発するか」

彼はバックパックを背負い、のろのろと歩き始めた。

僕らのCDTは終わったが、実はハイキング自体はまだ終わりではなかった。ここから10時間ほど歩いて、道路まで出なくてはならないのだ。その場所にバックトラックの友人が向かいに来てくれる手筈になっている。

僕らは送迎のシャトルが付けたであろうタイヤ痕に沿って歩き始める。最初の1時間程はCDTの余韻を背負いながら歩いていたが、それも次第に薄れてきて、そのうちには無感情になり、最終的には煩悩が溢れ出して、この後やりたいことについて考え続けていた。まずは何でも良いからうまいものを食べたい。

早朝から歩き続けたのに、道路に到着したときにはもう完全に日が暮れていた。道路も舗装されておらず、周りに何もない。ここでヒッチハイクするのは無謀だろう。

彼の友人はたっぷりと3時間ほど遅れてやって来た。僕らは内心、クルマが来なかったらどうしようかと心配でならなかったので、クルマの明かりが遠くから見え、そして砂埃を巻き上げて停車したときには、CDTをゴールした以上に喜んだ。

バックトラックの友人ふたりはクルマから飛び出して、彼とハグをする。そして僕の方にやって来て、同じようにハグをしてくれた。

さて、クルマに乗り込んで街に戻ろうか、そう思った矢先、突如、僕らを強烈な閃光が覆った。目の前が真っ白で何も見えない。手で明かりを遮り、その先を見るとふたりの大柄の男性がこちらにゆっくりと近寄って来ていた。

「おい、お前たち! 一体ここで何をしてる!」

僕らは怯えて身構える。

「そこのメキシコ人、パスポートを出しなさい!」

僕らは警官が何のことを言っているか理解できなかったが、バックトラックが僕の顔を見て、大きな笑い声をあげた。

「おいスケッチ、お前、日焼けしすぎて、確かにメキシコ人みたいだぞ!」

それを聞いて、彼の友人たちも腹を抱えて笑い始めた。国境警備隊も何か勘違いをしていることに気づいたようで、笑い始める。

ニューメキシコの闇に太い男達の笑い声が響いた。

「もうどうでもにでもなってくれよ!」

僕はなかば呆れながら、5ヶ月でボロボロになったバックパックからパスポートを抜き出した。

【おわり】

あとがき

コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)のことを連載で書いてほしい、と山と道の夏目さんから話をもらってから、実際に書き始めるまで僕は不安でいっぱいだった。

その理由は僕がロング・ディスタンス・トレイルに強い思い入れがないからだ。もちろん、無関心という訳ではないが、この行為自体に何も求めていないのだ。

海外トレイルに携わる人たち、憧れを持つ人たちを失望させてしまうのではなかろうか、そう思った。だからと言って、彼らに迎合する様な内容にはしたくなかった。

果たして、そんなふらふらと歩き続けたトレイルには一体何が残っているのだろうか、そもそも僕は覚えているのか?

おそるおそる振り返ると、驚くべきことに、自身が残した記憶の足跡は鮮やかに脳裏に焼き付いていた。一歩一歩、もう一度CDTを歩くように、その軌跡を辿ると次々に足跡が蘇ってきた。

そして連載中盤から、僕は自身の足跡を愛おしく感じ始めた。なぜなら僕と全く同じ足型で同じ歩幅、おなじルートを歩いた人間などこの世に誰ひとりとしていないことに気がついたからだ。

この連載はCDTのことを書いているが、その本質を記したものではない。これはスケッチというハイカーの物語だ。

多くのハイカーがトレイルを歩く意味を求める。それで悩むことがあるならば、いまいちど立ち止って、振り返ってみてほしい。自身が歩いてきた軌跡がはっきりと浮かび上がってくるはずだ。特別になる必要はない。なぜなら、トレイル上に唯一無二の足跡を残したという点で、すでに特別なのだから。

これからロング・ディスタンス・トレイルに赴くハイカーは、どうか誰かの足跡に自身の足跡を重ねるようなつまらないことはしないで欲しい。ただ左右の足を交互に踏み出すだけで、自分だけの物語は自然と紡ぎ出されていくのだから。その冒険譚はどんなベストセラー小説よりも刺激的に違いない。

最後に、この貴重な気づきの機会を与えてくれた山と道の夏目さん、連載をサポートしてくれた編集の三田さんと苑田さんには本当に感謝をしている。ありがとう。

スケッチ

Sketchこと河戸良佑さんは、現在「トリプル・クラウン」と呼ばれるアメリカの3本の超ロングトレイルの(彼にとって最後の)ひとつ、全長3,500kmのアパラチアン・トレイルをスルーハイク中です。

その模様は彼がSNSで発信中ですので、ぜひチェックと応援をお願いします!

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    独学で絵を描いていたら、いつの間にかイラストレーターに。2015年にPacific Crest Trail、2017年にContinental Divid Trailをスルーハイク。アメリカで歩きながら絵を描いていたので、トレイルネームはスケッチ。 インスタグラムアカウント: Ryosuke Kawato(@ryosuke_iwashi)

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