HIKE / LIFE / COMMUNITY TOUR 2017 REMINISCENCE #14 志津野 雷

INTRODUCTION

2017年の6月から10月にかけて、山と道は現代美術のフィールドを中心に幅広い活動を行う豊嶋秀樹と共に、トークイベントとポップアップショップを組み合わせて日本中を駆け巡るツアー『HIKE / LIFE / COMMUNITY』を行いました。

北は北海道から南は鹿児島まで、毎回その土地に所縁のあるゲストスピーカーをお迎えしてお話しを伺い、地元のハイカーやお客様と交流した『HIKE / LIFE / COMMUNITY』とは、いったい何だったのか? この『HIKE / LIFE / COMMUNITY TOUR 2017 REMINISCENCE(=回想録)』で、各会場のゲストスピーカーの方々に豊嶋秀樹が収録していたインタビューを通じて振り返っていきます。

#14となる今回は、移動式野外映画館『CINEMA CARAVAN』の主宰者であり、写真家であり、旅人でもある志津野雷さんです。

春の湘南の風物詩となった『逗子映画祭』も運営する志津野さんの語る、旅に出て新しい自分を見つけることと、故郷で地に足を着けて生きていくこととは? 

東日本編のラストを飾るに相応しい内容になりました。

ホーム、鎌倉へ

HIKE / LIFE / COMMUNITYは、この旅の起点であり終点である鎌倉へとたどり着いた。

そして、鎌倉といえば、何より山と道の拠点である。会場である大町会館には50名以上の参加者が集まっていた。

会館の二階の畳の大広間にずらりと座布団が並べられた風景は、真夏の昼下がりの間延びしたけだるい空気によく似合っていた。天井に取り付けられているファンが室内の空気を撹拌しているせいか、暑さによる不快感はない。

先ほど、一人目のゲストである松島倫明さん(#13をご覧ください)のトークが終わり、次は志津野雷(しずのらい)さんの順番となる。今は休憩時間で、参加者はトイレや会場の他のスペースへ席を立っていたので、大広間は数人が足を伸ばしてリラックスしているだけだった。畳と散らばった座布団の組み合わせがそう連想させるのか、どことなく子供の頃の夏休みのような懐かしい雰囲気がした。

会場では、夏目くんのローカルの仲間たちがイベントを盛り上げることに手を貸してくれている。

逗子の「ヨロッコビール」のアキオくんは、会館の階段部分にビールサーバーを持ち込んで生ビールを販売していた。ビールのサーブは大町会館からは目と鼻の先にあるご飯とお酒の店「オイチイチ」のチュンさんだ。オイチイチは、イベント後の懇親会のケータリングも担当してくれた。

玄関横では江ノ島にアトリエのあるアーティストのナオミくんが、その場でTシャツなどにシルクスクリーンのライブプリンティングを行なっていて、順番待ちの長い列ができていた。ナオミくんは「山と道とBig O」の名義で山と道関連の各地のイベントでも活動している。

参加者の中には他にも、僕にも馴染みのある顔ぶれが駆けつけてくれていて、ここまでの旅先の会場とは明らかに異なる、リラックスしたホーム感があった。こうしたローカルの仲間の集まりは、ある意味、今の鎌倉の代表的な風景ともいえるだろう。

旅が一周して、逗子があった

「東京で生まれだけど、2歳から鎌倉ですね。だから、鎌倉で育った記憶しかなくて。今は葉山在住で、逗子の『シネマアミーゴ』っていう映画館を基地にしています。そこから旅がはじまって、そこに戻ってくる。その繰り返しですね。」

僕は、志津野雷さんと会うのは今回が始めてだった。夏目くんや鎌倉の友人たちの口からしばしば「雷くん」という名前が出てきたので、いつかは会ってみたいなとずっと思っていた。

志津野さんは写真家であり、移動式野外映画館『シネマキャラバン』の主宰者であり、旅人であった。こうして話を聞かせてもらっていると、僕たちはどこか異国の街中のゲストハウスにでもいるような気分にさせてくれる人だった。

「旅に出て帰ってくると、逗子のいろんなところが見えてきますね。旅を重ねれば重ねるほど、逗子のポテンシャルってすごいなって思うようになってきました。」

故郷を離れてある時間を過ごして戻ったときに、自分の生まれ育った街を違った角度で見れるようになったという人は多いだろう。それは外国まで行かずとも、就職や進学で地方から上京したり、隣町へ引っ越すだけでもそう感じることがあるはずだ。もしかしたら、それこそが旅の本質かもしれない。

旅に出る理由は人それぞれだが、志津野さんの場合は、写真家としての動機からだったという。

「最初は、刺激を求める旅でしたね。鎌倉から外に出る機会が欲しかったんですね。『世界ってこんなのなんだ、日本と全然違うじゃん。』って思って帰って来るという繰り返しでした。それが、最近は逗子のポテンシャルをより知るために行くようになってきました。だんだんと旅の質や方法が変わってきたという感じですね。」

志津野さんの写真家を目指そうと決めてからの最初の旅は、インドを横断することだった。高速道路に渋滞するクルマの列がどこまでも続く日本を離れ、インドに到着して見たものは、幹線道路を逆走し占拠する羊の群れだった。志津野さんは、そのギャップに打ちのめされたという。

旅の熱い気持ちが冷めないままに帰国した志津野さんは、葉山で友人が始めた『ソラヤ』というオルタナティブスペースの運営に合流した。「やりたいことをなんでもやっていくスペース」というコンセプトに共感したという。その後、野村訓市さん率いる『スプートニック』の伝説的なロンドンバスでの日本一周の旅にも刺激を受け、自身も旅をしながら活動する写真家となっていった。

「ソラヤは結局1年足らずで終わってしまったんですが、そのメンバーが8年前(取材当時)に再び集まりシネマアミーゴを立ち上げることになったんです。僕は、旅に出て得たものを写真とすることでゴールにするんじゃなくて、その写真をスタートに、どう友達に伝え、どう街に伝えていくかという活動をやっていきたいと思うようになっていたんです。」

地に足をつけて

こうしてシネマアミーゴは、逗子海岸近くに映画上映を通じて地元に根ざしたコミュニティーを作ることを目指したスペースとして運営を開始した。

「最初はパートナーの源(シネマアミーゴ館長の長島源さん)と、『しばらく地に足つけてやって、町に認められるようなったら違うこともやっていこうね』って話してたんですよ。でも、始めて半年くらいで、シネマアミーゴのコンセプトと旅を組み合わせたプロジェクトとしてシネマキャラバンを始めちゃったんです。一ケ所にいれない性分なんですよ。シネマアミーゴを2人で一生懸命やろうって言ってたんですけどね。」

志津野さんは、そう言っておかしそうに笑った。

旅の道中で自分には持ち合わせてない生きる技術を身につけたくて、大工、料理人、ミュージシャン、画家などの仲間を集め五感で体感する移動式映画館シネマキャラバンのスタートとして、まずは目の前の海岸で初めてみよう思った。それが逗子海岸映画祭となった。

それ以来、逗子海岸映画祭は、毎年ゴールデンウィークの連休前後に逗子の海岸で開催され、その雰囲気はサーカスのようで、現在では国内外からも広く人々が集まるものとなっている。

刺激を求めて旅を重ねたことが、自分たちの住む場所を良くしていきたいという気持ちと行動につながった。それは、志津野さん自身に対してはどういう変化をもたらしたのだろう。

「写真家として、自分で撮ってきた写真の意味を落とし込むところができたという感じですね。今までは買ってもらうとか、好きに料理されるものだった写真が、自分でダイレクトに伝えられるという楽しみがあります。それがモチベーションになり、そのためにどこに行けば良いのか考えるようになると、旅の行き先も変わってきた。」

そして、旅が日常化していく中で、次第に逗子に帰ってくるときの方が緊張感を持つようになっていたという。

「旅に出て新しい自分を見つけるというよりは、ここで地に足を着けて自分たちのことをやっていきたいという気持ちになってきたかな。」

志津野さんの旅は、大きな一周を経て逗子に帰ってきたようだった。

「どう生きたいか」を示す10日間

どんな熱い思いやモチベーションで始まったプロジェクトも、ずっと同じままでいることは不可能に等しい。

僕自身もこれまでにいくつかのプロジェクトの立ち上がりに関わってきたけれど、何かを始めるということと、それを持続させることというのは、その方法、関係性、仕組みなどにおいて、ある意味、別の行動と言ってもいいように思う。シネマキャラバンや逗子映画祭も時間とともに成長し、同じところに留まってはいられない。

「長くやってるとみんなも大人になっていくし、子どもも成長していきます。当然、お金の問題もあります。いろんなグレーだった部分をひとつづつ明確にしていっています。でも、逗子映画祭は、お金を稼ぐための場所じゃなくて、みんながどう生きたいかを示す10日間というところは変わらない。」

それが会社や仕事であろうと、非営利の事業であろうと、ただの遊びであろうと、長く続けていくというのはとても難しいことだ。

最初は、勢いでやり通せたことがいつまでも持続するわけではない。関わるメンバーも年をとるし、それぞれのライフステージも変化していく中で、モチベーションやエネルギーをアップデートしていかなければならない。

僕は、志津野さんや仲間たちがどういうことに気をつけてシネマキャラバンや逗子映画祭を運営しているのかに興味があった。

「やっぱり人間関係なんですよね。コンテンツやデザインはある意味ではどうにでもできるんですけど、それをどう育てていくかということの方がずっと重要に思えます。みんなにも言ってるんだけど、ひとまず10年は続けたい(次回の2019年の映画祭が10年目にあたる)。もっと言うなら、何10年先、いや、100年や500年っていう長期ビジョンに向けた、今できることを、毎日ちゃんとやっていきたい。せっかくいいチームができてきたんだから、みんなはこれからどうしていきたいのかということをしっかりまとめて次に進めたいと思う。」

僕は、意表を突く「500年」という言葉に高揚した。

「今のぐちゃぐちゃな社会に流されることなく、まず自分たちの幸せを、自分たちの周りから実現していきたい。それが形になれば、他の地域の人たちと情報交換していくなかで、『なんで逗子はそうなったの』っていう問いに対して、まず映画館を見てもらって、映画祭も体験してもらって、その上で、自分たちのノウハウも、やってきたことも出し惜しみすることなく伝えられたらと思うんです。」

僕は、志津野さんの、個人や仲間ということを超えた、自分たちがいなくなった後も継続可能な社会づくりの第一歩としてシネマキャラバンを捉えている目線に納得した。今日が500年後につながっていくわけだし、この一歩が未来に向かっている。

僕たちはそうやって日々、自分や未来に対して一票を投じ続けている。

いちばん近いところ

「自分たちの世代は、チェンマイでもバスクでも、インドネシアでもみんな同じことを言ってる。『さんざん聞いたぞ、もう聞き飽きたぞ』ってことをみんな口にしてる。だから、あとは行動だよね。ちゃんと人間関係をつくって、そう思ったときに動くっていうことですよね。みんなわかってるけど、まだまだできてる人は少ない。だから、『そうか、志津野雷、あんな髭で長髪なのに、そんなことができるんだ』っていわれるようになれればいいなって思ってます。『あいつでもできるんだ』って。」

志津野さんは、そう言ってゲラゲラと楽しそうに笑い、僕も一緒になって笑った。

志津野さんの言っていることは、世界に対して大きな勇気を与えることだと思う。それは、「こうじゃないとダメだ」じゃなくて、「これでもできる」っていう選択肢を世の中に与えることだからだ。

「8年間でそういう風に思うようになってきた。外から見える感じとか、ウェブとか見てもたいして変わりないんですけど、いちばん近いところである、自分たちの中身や心境が変わってきたということです。」

旅については、どうなんだろう。まだ旅に出たい気持ちは残っているのか、僕はふたたび尋ねてみた。志津野さんの目は、すっかり内側の世界を見ているような気がしたからだ。

「本当に行き過ぎたせいか、実は外の世界からあまり刺激を得ることがないんですよね。だから、地元の海で潜ったりすると、『ここ、こんなにきれいだったの!』って驚くというようなことの方が多い。でも、毎日ずっとここにいると、きっとそれにも不感症になってしまう気がして。だから、定期的に外に出ていって、帰ってきて驚くという逆転現象が起こってる。でも、それも自然なことだと思う。」

志津野さんの旅は、その役割は変えながらも、自分自身や逗子という「ここ」から、人間関係や行動という「どこか」の間を行ったり来たりしつつ、ずっと先へと続く未来へと向かっていくのだろう。

僕は、10回目を迎える逗子映画祭に必ず行こうと思った。そこで、志津野さんや仲間たちの未来を垣間見たいし、そして何より、僕もその箱舟に少しの間だけでも同乗させてもらいたいと思った。

すっかり話に夢中になっていたが、そろそろ2人目のゲストの志津野さんの出番だった。僕も、自分のいた場所に戻り、座布団の上にあぐらをかいて座った。

人気の街としての鎌倉というよりも、こういう仲間のいる場としての鎌倉はすごくいいところだなと思った。そして、僕も、いま僕がいる街で、いい人間関係をつくって、いい未来をつくっていきたいなと思った。

それぞれの土地で、それぞれの山や、生活や、人とコミュニティーに出会わせてくれたこの旅の半分が終わった。次は鹿児島から再び鎌倉を目指して戻ってくる。どこでどんなストーリーが待っているのだろう。

僕たちの旅はまだしばらく続く。

【#15に続く】

『旅と写真から僕が感じていること』 志津野 雷

豊かな高度成長期の日本で育った僕は、コンビニエンスな生活は当たり前だと思ってた。
しかし、一歩外に出てみると、常識が覆され、ただがむしゃらにお金を稼ぐことだけが全てではないことを知る。


唐突に180度生活を変えることは大変だった。
そこで考えついた。旅をしながら、仲間と生きていく術をシェアしていくことで、人間力を上げる試み。
芯を曲げず、どんな環境下でも対応できる。
そんな人間力を持った個人がチームになれば、いかなる社会になっても自分たちらしく、独立した意識で生活できるのではないか。
それが、CINEMA CARAVANプロジェクト。


活動は8年目を迎え、国内外の様々な地域や人とつながってきた。
これからは、世界を旅して培った経験値を、日常生活の中で、「逗子」という土地に還元しよう。現実を見据えながら、未来のために再構築していくという次のステップに挑戦しよう。
そんなことを思いつつ、今日も写真とともに旅をして、これからのヒントを模索している。
当日は、これまで旅やCINEMA CARAVANで見てきた風景を振り返りながら、プロジェクトの次の可能性を考えていきたい。

志津野 雷
 (しづのらい)

1975年生まれ鎌倉育ち。東京工芸大学芸術学部写真学科卒業。

幼い頃より自然に囲まれ、いつしかその尊く美しい様子にファインダーを向け始める。近年、活動の場を国内外に拡げ、訪れた場所の背景にある文化やそこで暮らす人々に着目し独自の視点で写真を撮り続けている。
ANA機内誌「翼の王国」等の雑誌、Ron Herman等広告撮影の他、現代美術作家栗林隆氏、騎馬劇団『ZINGARO』ドキュメンテーションの撮影など、ARTISTとのコラボレーション制作にも力を注ぐ。

2016年には初の写真集「ON THE WATER」を発表。
逗子海岸映画祭を立ち上げ移動式野外映画館『CINEMA CARAVAN』を主宰し、国内外で活動するなど、その活動は写真家の域を超えて多岐に渡る。

https://www.raishizuno.jp/
朝日新聞デジタル連載中『生きるレシピ』

https://www.asahi.com/and_travel/articles/SDI2018030242501.html

志津野さんの映像作品上映会が開催されます!

『Play with the Earth 逗子公園』

日時:2018年12月27日
場所:逗子文化センターなぎさホール

CINEMA CARAVAN代表の写真家・志津野雷が世界を旅して切り取った記録を紡いだ映像作品「Play with the Earth」。
2017年の逗子海岸映画祭で実験的に上映し好評を博したことがきっかけとなり、 国内外での公演をはじめました。
映像は旅を重ねるごとに変化し、 各地で縁あるミュージシャンとライブセッションをすることから、同じ映像体験は二度とない「エンディングなきロードムービー」。2019年2〜3月のヨーロッパツアーを前に、 いよいよ国内で定期公演をはじめます。2018年の旅で出会った風景と音を、是非見に来てください。

More info. http://playwiththeearth.com/

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  • 豊嶋秀樹

    豊嶋秀樹

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    作品制作、空間構成、キュレーション、イベント企画などジャンル横断的な表現活動を行いつつ、現在はgm projectsのメンバーとして活動中。 山と道とは共同プロジェクトである『ハイクローグ』を制作し、九州の仲間と活動する『ハッピーハイカーズ』の発起人でもある。 ハイクのほか、テレマークスキーやクライミングにも夢中になっている。 ベジタリアンゆえ南インド料理にハマり、ミールス皿になるバナナの葉の栽培を趣味にしている。 妻と二人で福岡在住(あまりいませんが)。 『HIKE / LIFE / COMMUNITY』プロジェクトリーダー。

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