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HIKE / LIFE / COMMUNITY TOUR 2017 REMINISCENCE #24 一般社団法人そっか(永井巧・小野寺愛)

2017年の6月から10月にかけて、山と道は現代美術のフィールドを中心に幅広い活動を行う豊嶋秀樹と共に、トークイベントとポップアップショップを組み合わせて日本中を駆け巡るツアー『HIKE / LIFE / COMMUNITY』を行いました。

北は北海道から南は鹿児島まで、毎回その土地に所縁のあるゲストスピーカーをお迎えしてお話しを伺い、地元のハイカーやお客様と交流した『HIKE / LIFE / COMMUNITY』とは、いったい何だったのか? この『HIKE / LIFE / COMMUNITY TOUR 2017 REMINISCENCE(=回想録)』で、各会場のゲストスピーカーの方々に豊嶋秀樹が収録していたインタビューを通じて振り返っていきます。

足掛け3年に渡って続けてきた(ツアーからは4年!)この連載も、今回でいよいよ最終回。前回に続き山と道のローカル鎌倉での開催となった今回のゲストは、鎌倉の隣町、逗子の海や山をフィールドに子どもたちに「食べる」「つくる」「遊ぶ」を軸にしたプログラムを幅広く実施する『一般社団法人そっか』の永井巧さんと小野寺愛さんです。

逗子の子どもたち、親たちのローカル・コミュニティに根ざした活動を続ける『そっか』ですが、おふたりの話はリラックスしながらも私たちのコミュニティやライフの未来を感じさせてくれる、この旅を締めくくるにふさわしいものとなりました。

文:豊嶋秀樹

ここが暮らしの実験場

昨日は鎌倉の大町会館で日本を縦断して行ってきたこの『HIKE LIFE COMMUNITY TOUR 2017』の最後のイベントだった。前回(#23)の土屋智哉さんに続く最後のゲストスピーカーを担当してもらったのは、鎌倉の隣町、逗子を拠点に活動を行う『一般社団法人そっか』の永井巧さんと小野寺愛さんのおふたりで、翌朝、僕はふたりにもうすこし話を聞かせてもらう約束をしていた。

寂しげな雨がしとしと降っていた昨夜とはうってかわって、気持ちの良い秋の青空が広がっていた。

「ずっと自分たちの場所がなかったんですね。この春から、カフェだったこの物件を借りることができるようになったんですよ。建物は、いろんな人の手を借りながらできるだけ自分たちでDIY的に改装しています。ずっと使われていなかった庭の井戸を復活させたり、夏には野菜を作ったり、ラックも作ってサーフボードも置けるようになりました。」

こう話しながら、永井巧さんは、『そっか』の活動拠点となる場所を見せてくれた。

『そっか』は、主に逗子の海岸や隣接する山をフィールドに、「自分たちの生きている場所のことを遊びやスポーツを通じて全身で知ってもらおう」と永井さんが代表となり2010年から活動している。放課後の小学生を対象とした『黒門とびうおクラブ』を中心に、中学生以上や時には大人たちにも向けて、「食べる」「つくる」「遊ぶ」ことを軸にしたプログラムを幅広く実施している。

「ここの改装工事自体もできるだけオープンにして、子どもたちも一緒になってやっているんです。」

永井さんは建物の方を見ながら説明してくれた。

「庭で自分たちが食べるものも作りはじめたんです。」

『そっか』の運営を永井さんと一緒に行う小野寺愛さんは嬉しそうにそう言った。

「この辺りの海と山で獲ってきたものを食べることに加えて、みんなで味噌を大豆から作ろうって話になって、神奈川の地大豆を植えました。半分は枝豆として食べて、残りは味噌づくりの大豆にしました。キッチンで菓子製造の認可を取って、子どもたちと一緒に焼いたお菓子を販売できるといいなとも思っています。そうやって、ここが『暮らしの実験場』みたいになると良いなと思っているんです。」

小野寺さんは続けた。

「ざっくりした計画はありつつも、『予定不調和的』に進んでますね。」

永井さんは、笑って言った。

活動のための場所があるのとないのとでは、「そっか」と地域の関わりに大きな差があるだろう。野菜を育てて食べていたり、子供達のサーフボードが並んでいたり、やっていることが具体的に見えることは圧倒的な説得力があると思う。

「高齢者施設の方からも、『日常的に子どもがいる場所におじいちゃんおばあちゃんを連れてきたいけど、何か一緒にできないかな』って声をかけていただいたり。それも場があってはじまったことですね。」

きっと『そっか』の普段の活動を眺めるだけでも楽しいだろう。ふらりと立ち寄った人との二言三言が何かにつながっていくこともありそうだ。

そんな『そっか』は、なぜ逗子で始まったのだろう。

「僕は、学生時代から藤沢と葉山に住んでいんですが、結婚を機に逗子に来たんです。」

永井さんは、僕の質問に答えてそう言った。『そっか』の拠点を作りたくて逗子に来たってわけじゃなく、自分の理由が先にあったのだ。

小野寺さんの方はどうだろう。

「私も、たまたま逗子にという感じでしたね。来てみると、海から川、森も広がってるし、町のサイズもすごくコンパクトですごくいいんですよ。都内に毎日通勤するのもギリギリ可能かなっていう距離も、日常と非日常の間を行き来するようで、試行錯誤するにはすごく良い場所だなと思います。」

小野寺さんは、大学時代はウインドサーフィンの選手として打ち込んでいて、1年中海に入る生活を送っていたそうだ。卒業し、虎ノ門にオフィスを構える外資系の金融会社に勤めたのち、ピースボートで平和環境教育の仕事をするようになり、船に乗って世界中を回ることになったという。

ふたりとも逗子に移住してちょうど10年くらいということだった。

「僕は子どもの頃からすごく引っ越しが多かったんです。そういう意味で、逗子は自分の人生の中で初めてのローカル的な土地ですね。自分はそうではなくても、自分の子どもにとってはここが故郷だっていう土地に出会えたのはすごく大きいなと思ってます。」

永井さんは、頷きながらそう言った。

スペシャリストよりジェネラリスト

『そっか』の拠点の庭には、青と白で塗りわけられたウッドデッキが、丸く張り出すようにあつらえられていた。ウッドデッキに開けられた穴から、元からそこにあっただろう柑橘系の木が大きく伸びていて、ぶら下がった果実の濃い緑色が眩しかった。

昨日、今日と続けて永井さんと小野寺さんの話を聞くうちに、「そっか」のプロジェクトのあり方は、別の地域であっても、やり方を手本にしつつその土地の人が立ち上げることができるユニバーサルな可能性を感じた。

「『黒門とびうおクラブ』は永井コーチがいないとできない部分があるかもしれませんが、『そっか』のプロジェクトは誰でもどこでもできることじゃないといけないと思ってはいますね。広がっていってほしいし、そのための仲間が欲しいですね。」

小野寺さんは、そう答えた。

逆に言えば、ぞれぞれの土地や人に見合ったやり方で、どこででも可能かもしれない。とは言え、それはあくまでも「可能である」というだけで、実現させることがそんなにたやすいことではないはずだ。

永井さんは、昨日の『HIKE LIFE COMMUNITY』で僕が自分のプレゼンテーションの締めくくりに「そこにあるもの、そこにいる人がすべて」と言ったことや、土屋さんが「誰もがやれることを、誰もがわかる言葉で伝えようとしている。それがハイキングなんだ」と語ったことを引き合いに出して、「そっか」もまったく同じ理念であり、共感を覚えると語ってくれた。

永井さんは昨日のプレゼンテーションの最後に、自分が大切にしている言葉だと言って民俗学者の宮本常一の次の言葉を引いた。

「人は子を育てることに熱中している。しかし、自分を中心とした周囲を育てることには大きな手抜かりが始まっている。我々は、これも自然破壊と言っているが、それは目の前に見える現象だけでなく、人間の心の中にも人間の自然破壊的な思考が拡大しつつあるのではないかと思う。」(『生育の思想』日本農業新聞 昭和55年9月16日)

永井さんの話は続いた。

「子どもたちの予期せぬ道具の使い方を見るのが楽しいですね。子供たちは、モノの使い方に支配されず、自分のアイデア先行で動きます。むしろ、そっちのほうが道具の使い方が広がったり、深く知ることにもなるので、正しい順番だなって思いますね。サーフボードにセイルをつけてみたらウインドサーフィンができて、パドルで漕いでみるとスタンドアップパドルになった。遊びの中で常軌を逸したことから新しいものは生まれる。サーフィンの起源は、きっと、ポリネシア人の誰かが、波のあるところでたまたま流されてきた木の板につかまったことじゃないかって想像します。そういう個人的な体験から始まることを大切にしたいなと思っています。」

永井さんは、「自分のエネルギーをたくさん使って、子どもたちと日々過ごしているだけですごくおもしろい」と付け加えた。

「自分を限界まで追い込んでウインドサーフィンのレースをやり続けるのも良かったかもしれません。でも、『海なんか砂がついてやだ』って言って、ウエットスーツをひとりで着れなかったような子どもたちが、2年、3年って『黒門とびうおクラブ』で過ごすうちに、さっさとボードを片手に海に入っていくようになる。そんな子供たち50人の姿の方が、ひとりで自分を追求するよりもずっと豊かで幸せだなと思っています。」

小野寺さんは、現在の自分の心境をそう説明した。

「スペシャリストはもちろんいたほうが良いと思うんですけど、昔のお百姓さんみたいに『なんでも自分でやるよ』っていうような、ジェネラリストな部分がなくなっちゃったらおもしろくない。だから、人間としてのできることの幅というか、失敗を恐れない力みたいなものを、子どもも大人もみんなでどんどん引き出しあっていきたいねっていう話をしています。」

永井さんは真剣な眼差しでそう言った。

現代のように社会での役割が細分化される以前は、いざというときに、その場にいる人たちで何とかするしかないことが多々あっただろう。今ではお金を出してプロに頼めば何でもうまくできるかもしれないが、その分、そのために持っていたいろんな能力を捨て去ってきたように思う。僕たちが洗練された社会と引き換えたものは意外と大きいのかもしれない。

「全部人にやってもらっちゃうと、うまくいかなかったときに『誰の責任なの』ってなっちゃいますよね。何かが起こったときに、自分たちのこととして一緒に考えられる仲間がいるといい。『何とかなるね』っていう、そういう漠然とした安心感があるのとないのとでは大きく違うと思います。」

小野寺さんは言った。

ご飯をつくって、洗濯、掃除などの家事しっかりとやっていたら1日はあっという間に過ぎてしまう。小さな子どもがいる人は、自分の1日のTo Doリストは書ききれないくらいになってしまうだろう。生活のことを真面目にやっていると、実は仕事をする時間はあまり残されてはいない。でも、やっぱり仕事をしてお金を得て、そのお金を払って自分の生活を買うというのが一般的だ。そういうことをたまに考える。

私たちの子どもたち

庭にはときおり気持ちの良い風が吹き抜けた。海からの風だろうか。

子供たちの話をずっとしていて、僕は、ふと、自分たちの未来どうなるのか、年老いた自分たちのイメージはあるのか聞いてみたくなった。

「つなげることとかがすごく大切だと思っています。『そっか』のような場も、あるタイミングで次の世代に引き継ぎたいですね。そういう感覚を軽やかに持つことが大事じゃないかなって。自分が老人になったときに、自分でいろんなことができたほうがきっと幸せで、どこにいたとしても楽しくいれるんじゃないかなって思っていますね。だから何かをずっと握っておこうというのはないですね。」

永井さんはそう言った。

「子どもたちの成長とともに、自分が成長させてもらっている感覚がすごくあるんです。だから、自然と自分たちはどうするって話がここでもされていくんじゃないかなって感じがします。そのための仕組みはそのときがきたらできていくのかなって思います。ここは、楽しくてちゃんと機能している町内会のようなものだと思っているので、この町内会があれば大丈夫だって気がします。」

小野寺さんはそう言って笑った。

それは、単なる楽観主義による笑顔ではなく、信頼関係に支えられた穏やかさのように僕には見えた。

「あなたは、そうやっていけば大丈夫だから」と、誰かが言ってくれるだけでほっとするときがある。自分では納得済みやっていることでも、たまに不安にかられることがある。そんなときに、大丈夫だよと言ってくれる仲間がいれば自分のやり方を信じてがんばれる気がする。

永井さんは、見せたいものがあると言ってラックからサーフボードを一枚取り出した。

「このサーフボードを剥がしてヤスリがけしてね。どうしたら自分たちにとってもっと良いサーフボードになるかって、子どもたちが実験しているんです。」

古くなって、あちこちが割れてしまったソフトボードをフォームとして再利用していた。サーフボードに限らず、新しいものを買うだけだと見えてこないが、自分で加工しだすと使われている素材や構造が理解できる。理屈さえわかれば、そこからアイデアは広がっていく。

「直して使うっていうのは、すごい達成感と幸せをもたらしてくれる感じがします。直して使っている人がかっこいいって思う人が増えていったらいいですよね。」

小野寺さんがそう続けた。

場違いだけど、僕は、子供の頃に全盛期だった関西の暴走族のことを思い浮かべた。当時の関西ではオートバイは「単車」と呼ばれ、安く手に入れたり、あるいは失敬してきたであろうパーツで原型をとどめないくらいにツギハギ的にチューンナップされていた。それは、ボロいほうがかっこいい、お金がないのがかっこいいという美意識によるものだったが、そういう美学はもう流行らなくなってしまった。

ふたりの穏やかで優しい雰囲気に反比例して、話の内容は僕ににはとても刺激的だった。昨日の小野寺さんのプレゼンテーションも「友産友消」や「86,400回」「この街で取れるものでバーベキュー」などのキーワードとともに、目からウロコの話で満ちていたので、永井さんのプレゼンテーション共々ぜひ記事末尾の動画を確認してほしい。

夢中になってふたりの話を聞いているうちにすっかり時間がたっていた。

「ハイク・ライフ・コミュニティーのプロジェクトでやっていって欲しいなって思うことがあるんです。」

最後に小野寺さんが僕の方を見て言った。

「山に行くときに、子どもがいる人は、自分の子どもとその周りの子どもたちを連れて行くんです。子どもがいない人も、『私たちの子どもたち』という感覚で参加してもらう。子どもが一緒だと新しい発見があるし、回を重ねるごとに、次につないでいるっていう感覚が幸せな実感として積もっていくと思うから。全国の海好き、山好きの大人がちょっとだけ『私たちの子どもたち』感覚を持つと、この国はあっという間に良い国になるんじゃないかなと思うんです。」

小野寺さんは、そう言って微笑んだ。

「なるほど!」いや、「そっか!」と僕は素直に納得した。

そして、ふたたび海からの風が優しく吹き抜けた。

さて、いささか唐突に「ハイク」「ライフ」「コミュニティー」という三つの言葉を手がかりにした僕たちの旅はこれで終わるわけだが、ここで感傷的に旅を振り返り、むやみにカタルシスを求めることはやめておこうと思う。

出会いはその時間の中に、ハイキングはその1歩ごとにその実存があり、ここで僕が文章にしてバイアスを与えるべきではない。旅でもらった多くの言葉と時間はそのままに、僕たちの血となり肉となって、これかもずっと歩き続けていくことを可能にしてくれるだろうから。

その代わりというわけではないですが、最後にこの場を借りてお礼だけ述べさせてください。

一緒に山を歩きながら話したHLCのすべてを可能にしてくれた山と道の夏目くん、3年近くもかかってしまったこの連載に最後まで丁寧に付き合ってくれたJOURNALS編集長の三田さん、一緒に旅しサポートしてくれた由美ちゃん、照と山と道のスタッフのみなさん、プロジェクトを受け入れ旅と連載に力を貸してくれた関係者のみなさん、各地で素晴らしい話を聞かせてくださったゲストスピーカーのみなさん、そして何より、一緒に歩いてくれたローカルハイカーのみなさんと最後まで読んでくれた読者のみなさんに心より感謝いたします。

それでは、また、どこかの山でお会いましょう。ありがとうございました。

【おわり】

『「黒門とびうおクラブ」「一般社団法人そっか」の活動について』永井巧

『ローカルで考える、子供たちの未来』小野寺愛

一般社団法人そっか(永井巧、小野寺愛)

永井巧(ながい・たくみ)
一般社団法人そっか共同代表。逗子の海山で活動する毎日で、この夏にかけては相模湾をカヌーで小田原へ渡り、箱根、丹沢とつなぎ富士山まで子ども達と共に行く予定だった。コロナ禍の今は、自宅とともにある1000坪弱の急斜面の山林にトレイルを作り、遊べる、食べられるようにする日々に恵まれて感謝。

小野寺愛(おのでら・あい)
一般社団法人そっか共同代表。Tokyo FM サステナ*デイズ案内人。日本スローフード協会三浦半島支部代表、エディブル・スクールヤード・ジャパンのアンバサダー。 NGOピースボートに16年間勤務し、世界中を旅する中で「グローバルな課題の答えはローカルにある」と気づき、神奈川県逗子市での地域活動に情熱を注ぐ。趣味はカヌー、畑、おせっかい。三児の母。