HIKERS’ CLASSICS
【#9 廻谷朋行】

INTRODUCTION

誰にでもある、思い出の道具やどうしても捨てられない道具、ずっと使い続けている道具。

この『HIKERS’ CLASSICS』は、山と道がいつも刺激を受けているハイカーやランナー、アスリートの方々に、それぞれの「クラシック(古典・名作)」と呼べる山道具を語っていただくリレー連載ですが、数回に渡って『山と道HLC』のアンバサダーを勤めていただいている方々のCLASSICSを紹介していきます。

山と道HLCアンバサダー第2弾となる今回の寄稿者は、某カメラメーカーを退職後、『LUNETTES』のスタッフとして働きながら、今年から山と道HLCアンバサダーとしてもご尽力いただいている廻谷朋行さんです。

ハイキングの他にフライフィッシングとテレマークスキーにも没頭中という、廻谷さんのCLASSICSとは?

NOTE

文/写真提供:廻谷朋行

始まりは手縫いのザック

山登りをはじめたきっかけは、大学生だったかれこれ10年ほど前、ふと友人たちと那須岳に登ろうと思い立ったことだった。

小さい頃からいつも眺めていた那須岳には、家族でロープウェイで中腹まで行った記憶があり、はじめて見た雲海にワクワクしたことを覚えていたのだ。

ジャージにポロシャツとスニーカーというような格好で、はじめて自分の脚で登った那須岳。その時、山頂からから見えた南会津に連なる山々。その美しさに心を惹かれて、山登りに夢中になった。

ともあれ、ULとはほど遠かった私とこの世界との出会いは、山と道のスリーピングマットとサコッシュであったことは間違いない。現在、スタッフを務める那須の山道具店、LUNETTESではじめて見た山と道の道具たちは、それまで目にしたことのないシンプルさと軽量さだったが、道具として充分に役割を果たしていことに衝撃を受けた。

そこから始まり、例えばタイベックや「農ポリ」のように専用の道具でなくとも使えるものは使うというULの考え方に、それまでの固定観念を覆された。LUNETTESに通いながらいろいろと教えてもらい軽量化して、北八ヶ岳に1泊2日のハイキングに向かった。

装備は新しくツェルトを手に入れたくらいで、他は以前から持っていたものがほとんどだった。ザックにはモンベルのギアコンテナという、トートバッグにショルダーストラップが着いた形状のバッグを使った。これに紐を縫い付け、マットとトレッキングポールを取り付けられるようにしたのだ。

この経験から、軽量な道具を新たに導入しなくとも、持ち合わせの道具を選択し、工夫することで十分に軽量化を計れることに気づくことができた。

モンベルのギアコンテナ改造に始まる道具の自作、いわゆる”MYOG=Make Your Own Gear”は、私がULに傾倒した大きな要因だった気がする。

「道具はそのまま使うもの」と勝手に決め付けていた自分にとって、ギアコンテナの改造は、「道具は改造してもいいんだ」と気づけかせてくれる出来事だった。この時の感覚は今でも鮮明に覚えている。山道具に対するパースペクティブが変わった瞬間だった。

何の抵抗もなく山道具の自作を始められたのは、こどもの頃からの経験が大きかった。家を自分で建てたように大抵のものを作ってしまう父の影響で、小さい頃に遊び道具を一緒に作ったことにはじまり、私が大きくなるにつれ机や本棚などの家具から部屋に至るまで、いろいろなことを教えてもらいながら父と一緒に作るようになった。

家具を手間がかからないように極力シンプルな設計にしてみたり、持ち運びのことを考えて、分解、組み立てが可能な設計にするなど、こだわりを持つようになった。どんなものでも、まずは自分で作れないかと考えるようになり、他にあるものと組み合わせて代替できないかなど、生活の中でも創意工夫の視点を向けれるようになっていた。

それから道具の自作は今でも続けている。そう大きくなく、作りも簡素な自作のザックで山に行くためには必然的に道具を軽くしたり、工夫することも必要だった。道具自体を軽いものに変えることもあったが、やはり根底にあるのは持っている道具を工夫することだ。山に行くたびに、実験のように新しい道具や組み合わせを試した。

自分の意思と手が届く範囲で生きていく

道具の自作に限らず、重要なのは知恵を絞り、創造することだと私は思う。

背負える物だけを背負い、行ける場所に行く。自分の意思、手が届く範囲でハイクをする。さらに範囲を広げたいなら、もっと勉強したり、経験を積めばいい。これは普段の生活も同じだと思う。自分の意思、手が届く範囲で生きていく。

道具を自作することが自然なことであった自身のバックグラウンドを改めて思い返すと、ULと私との出会いは、「刺激的」というより、「収まるべき場所にフっと収まった」ようなものだったようにも思う。

最近は妻を誘ってハイキングに出掛けている。ふたりで道具をシェアすることでトータルの重さも軽くなり、体力のない妻もハイキングを楽しんでいるようだ。

はじめて那須岳に登ったときの感動、これまでのハイキングで私が感じたことや得られたもの。それを妻にも知ってもらいたいし、そういう時間をこれからもっと共有していきたい。ハイクがあることで日常が豊かになり、最小のコミュニティでもある夫婦や家族がさらに豊かになればと思っている。

最後に、今回『Hiker’s Classics』を書くにあたって、ULに出会った当時のメモを見返してみた。次のような文章が残っていたので、この寄稿の結びに披露させていただきたい。

* * * * * *

「歩く」という行為は「生きる」ということ。

かつてアフリカ大陸で誕生した人類は、その後世界各地に広がっていった。イギリス人考古学者 ブライアン・M・フェイガンは、この人類が生きるために歩いた人類最大の旅を「グレートジャーニー」と名付けた。

また、第266代ローマ法王のフランシシスコ1世も就任式で「歩きなさい。人生とは旅である」と語っている。

「Walk」という言葉を辞書で引くと「歩く」という意味の他に「暮らしぶり」という意味があった。暮らしぶりとは、日々の生活や、日常の様子のことである。

歩くという行為は、生活することに大きく影響しているのではないだろうか。

Tomoyuki Meguriya’s CLASSICS

SHARE

  • 廻谷朋行

    廻谷朋行

    記事一覧
    山と道HLCアンバサダー/『LUNNETES』スタッフ。 20歳の頃に友人と登った那須岳での言葉にできない感覚に魅了され山に登り始める。 那須のLUNETTESに通うなか、山と道のサコッシュを手にしたことでULカルチャーと出会う。 同時に山道具も自作できることに気づき、自作のザックで山に行くことに楽しみを覚える。 カメラメーカーを退職後『LUNETTES』のスタッフに。ハイクの他にフライフィッシングとテレマークスキーにも夢中。

ARCHIVES

寄稿者