HLC Ambassador’s Signature #2
峠ヶ孝高『僕のニセコ・オートルート』

2020.07.24

日本各地のローカルで活動されているアンバサダーのみなさんと共に、「ハイク」と「ライフ」と「コミュニティ」が循環的に繋がる環境づくりを目指した活動を行っている山と道HLC。この『HLC Ambasador’s Signature』は、個性豊かなアンバサダーのみなさんの「シグネチャー」とも呼べるアクティビティやフィールドを語ってもらうリレー連載です。

ふたり目のアンバサダーは、今年度よりHLC北海道を共にはじめていただいた峠ヶ孝高さん。北海道ニセコの倶知安(くっちゃん)町でコーヒーショップ『SPROUT』を営む傍、その隣に立つアウトドアやカルチャーが行き交う複合施設『Camp & Go』の代表も務める峠ヶさんのシグネチャーは、もちろんスキーです。しかも、近年は「細革ウロコ」という耳慣れないスタイルのスキーにとくに熱中しているのだとか。

今回は、そんな峠ヶさんが自身の「ウラヤマ」ともいえるニセコ連峰に「ニセコ・オートルート」と名付けられた1本の道を描き、仲間と共に「細革ウロコ」のスキーで縦走を試みたこの6年間の挑戦の記録です。

文/写真提供:峠ヶ孝高

はじめに

北海道の形を想像すると、日本海と太平洋に挟まれたいちばん細くくびれたところにニセコはある。

ニセコのシンボルである「蝦夷富士」ともいわれる羊蹄山と、そこから西に延びるニセコ連峰、その間には清流日本一にも輝いたこともある尻別川が流れる。また、洞爺湖も近く、その豊かな自然環境から、まさにニセコはアウトドアの聖地ともいえる場所なのだ。

なかでも冬のパウダースノーはスキーなどのウィンタースポーツをやっている人にとっては知らない人はいないほどで、特に12月から3月は世界中からスキーヤーやスノーボーダーが集まり、良質なパウダースノーを楽しんでいる。僕もそのニセコの魅力にとりつかれて移住をしたうちのひとりだ。もう20年近くが経とうとしているが、日々変わる季節の移ろいやフィールドでの豊富な遊びに飽きるどころか、ますます楽しくなっている。

数あるニセコの遊びの中でひとつを紹介するとしたら、悩んだ末に「ニセコ・オートルート」を取り上げたい。それはハイキングやトレイルランニング、スキー、カヤックと僕が取り組んでいたニセコでの遊びがひとつに繋がったのが「ニセコ・オートルート」だからだ。ニセコの風景がギュッと詰まっていて、夏も冬も季節を通して遊べる。そして出かけるたびにさまざまなことを学ばせてくれる。

僕がそこに出かけるようになったきっかけとこれまでの山行の思い出を振り返りながら「ニセコ・オートルート」を紹介したい。

2015-2016「知」

「トイレの壁にニセコ連峰の鳥瞰図のポスターが貼ってあって、そのポスターとにらめっこしていたら一本に繋がっているよね。4月の天気のいい日にスキーで縦走しようよ。」

僕と「ニセコ・オートルート」との出会いは、そんなお酒を飲みながらの会話から始まった。

「ニセコ・オートルート」は日本海から倶知安(くっちゃん)駅前にある僕のコーヒー屋『SPROUT』までを1本の線でつなぐ縦走路。雷電山、幌尻岳、岩内岳、目国内岳、前目国岳、白樺山、シャクナゲ岳、チセヌプリ、ニトヌプリ、イワオヌプリ、ニセコアンヌプリ、ワイスホルン、旭ヶ丘と12の山とひとつの丘を結び、全長は約50kmとなる。

NISEKO HAUTE ROUTE

「オートルート」とは、アルプスのモンブランの麓シャモニからマッターホルンの麓ツェルマットに至る縦走路。
ニセコでは古くから山岳スキーツアーコースとして「NISEKO HAUTE ROUTE」の名で地元のスキーヤーたちから親しまれている。

まずは下見として2015年の秋に半分の行程を1泊で歩いた。そして2016年の冬に雪の中で泊まる練習として雪中キャンプをし、テント泊の装備一式を背負ってスキーで歩き、滑る練習をした。

その時の荷物は60Lのバックパックに20kg近いウェイト。快適とは程遠い、登りは重く一歩一歩進むのに必死で息も上がり、スキーでの下りはバランスをとってターンをするのが精一杯。楽しい山行というよりも苦行に近かった。

「快適に縦走しながらもスキーを存分に楽しむにはどうしたらいいのか」というひとつの課題が生まれ、普段ニセコのフィールドで遊んでいたことがひとつにつながった。

テン泊をするハイキング、長時間動き続けるトレイルランニング、地形を読んで流れに乗って下るリバーカヤック、そして雪の上を自由に滑るスキー。それぞれは別々の遊びで、縦走もバックカントリースキーに登山や他の遊びの要素を足して行なっていた。

しかし、快適さとスキーの楽しさのどちらも楽しむには、別々ではなく全ての遊びをひとつにして、いいところをまとめていけばいいのではないかということに気がついた。

2017「挑」

「快適に縦走しながらもスキーを存分に楽しむ」ことで必要なことは、何よりも荷物の軽量化だった。バックパックをバックカントリースキー用からハイキング用の軽いものにし、テントをツェルトに変え、少しずつ持っているギアをシンプルにしたり、工夫して軽くしていった。

スキーは踵が上がるテレマークスキーに加え、軽快に歩ける細くて軽い「細板」、ソールに登坂用のシールを脱着する必要がないステップソールの「ウロコ」、ブーツは柔らかくストレスなく歩くことができる「革靴」に変更し、そこから「細革ウロコのニセコ・オートルート」ができあがった。

細板、革靴はトレイルランニングのように軽快で歩きやすいものの、滑走には技術が必要だ。しかも、気持ちよく山の斜面を滑るとなると、結構な技術と経験が必要になる。「朝活」と称して朝の出勤前に近所の丘を登っては滑ることを繰り返し、スキー場でも子供と滑るときやナイターのときなど、細革ウロコを履く機会をできるだけつくって感覚的に慣れさせた。

4月になってやってきたことを試す場として「ニセコ・オートルート」に挑んだ結果、出だしから1日目は上りも軽快で滑りも楽しく、とても順調だった。

しかし、2日目は山の稜線は立っていられないほどの強風と、風で叩かれたアイスバーン。これでは頂上をつなぐルートは無理と判断し、谷を通る迂回ルートを選択した。このルートは夏にトレイルランニングでよく走ったり、季節を問わず遊んでいるからこそ選択できたルートで、夏の遊びもここで活かすことができた。

しかし、ルートとしては最後のニセコアンヌプリ、ワイスホルン、旭ヶ丘には行けずイワオヌプリの麓の五色温泉にて終了した。「やはりスキーを履いているからには滑りたい」その時のメンバーのみんなが思ったことだった。

2018「達」

ニセコ連峰12座の山はどれもが異なる表情を持つ。雷電山や岩内岳、目国内岳、前目国内岳と前半は緩やかな斜面が多く広大な湿原が続き、冬は辺り一面真っ白に覆われ、山の上の雪原は宇宙のどこかの星に降り立ったような感覚になる。

新見峠周辺でキャンプをし、後半は最初の白樺山を越えたところからシャクナゲ岳、チセヌプリ、ニトヌプリの辺りは程よい高さの丘も多く、ニセコのバックカントリースキーのメッカともいわれるエリアで、冬はあらゆる斜面で滑る人の姿を見ることができる。ひとつひとつの山の高低差も大きく体力も使うので、ハイキングではここが踏ん張りどころ。スキー滑走ではドロップインにも勇気がいる。

そして、たくさん登り、たくさん滑った後にたどり着く五色温泉周辺で2回目のキャンプ。名湯が疲れと緊張でいっぱいだった身体を癒し、リセットしてくれる。

最終日となる3日目のイワオヌプリ、ニセコアンヌプリ、ワイスホルンは急峻だけれど登りやすく滑りやすく、景色も抜群で、「ニセコ・オートルート」のデザートのようだ。

2018年の4月に年間通して僕らは初めてこのルートを完遂した。しかし、完遂といってもギリギリの状態だった。気温が低く所々ではホワイトアウトになるところもあり、何よりも恐怖だったのは斜面が全て氷で覆われていたことだった。スキー板からアイゼンに履き替えるタイミングが遅れると、高いところに上がって降りられなくなった猫のように身動きが取れなくなってしまうのだ。

僕は行程のほとんどの場面で恐怖心を抱えていたが、そんな中でも仲間が常にその場を笑いにしてくれた。あらためて仲間の存在はとても大きいと感じた。

2019「決」

こうして僕の中で「ニセコ・オートルート」は近いものとなっていった。

夏シーズンと冬シーズンと年に2回のチャレンジの場だったのが、テン泊ハイキングやワンデイのトレイルランニング、セクションで楽しむバックカントリースキーと、いつの間にか身近な遊びの場所となった。僕の住む倶知安という街から山までの近さもその理由になると思う。

午前中は仕事をして、お昼前から山行がスタート。山で1泊して温泉に入って、翌日の昼には街に降り、午後から仕事もできてしまう。日本海から10以上の山を越え、家まで歩いて帰ってこれるのだ。

さらに季節によってさまざまな遊びができる。この日常生活と山との近さ、フィールドが生活の一部となっているところがニセコの魅力であるともいえる。

4月に行くのが恒例となった「細革ウロコのニセコ・オートルート」は年々盛り上がり、早朝の丘を登って滑る朝活も賑わってきた。この年の「細革ウロコ」には心強いメンバーも加わって5人となり、これから先もずっと忘れない、記憶に残る最高の時間になった。

天気は終始快晴で雪面は一面のフィルムクラスト(表面が薄い氷の膜で覆われた状態)。パウダースノーよりも珍しく滑って気持ちのいい奇跡的なコンディションで、3日間の行程を朝から日が暮れるまで滑り倒した。

もちろん、まだまだ技術的にも経験としてもできることはたくさんあるけれど、荷物の軽量化、「細革ウロコ」という滑走具、トレイルランニングでの補給やルートどりなど、それまでやってきたことが実を結ぶ結果となった。

また行きたいけれど、メンバー、天候、遊び、全てにおいて最高のカタチになったことで、「細革ウロコのニセコ・オートルート」は僕の中でひと段落がついたと感じた。

2020「知」

僕の仕事はコーヒー屋だ。毎日のように焙煎しているが、コーヒー豆は多種多様で同じ豆ということはない。大きい豆や小さい豆、硬い豆や柔らかい豆。それぞれに個性がある。

僕はその個性を自分なりに最大限に引き出すことが焙煎だと思っている。それには豆の特徴をよく感じて、豆に対してどのようにアプローチしたらいいかを考えなくてはいけない。

そう考えると、僕が日頃から取り組んでいるコーヒーと山は全く別のもののようで共通点が多く、どちらも目の前にあるものに対して最善を尽くすという思いがある。季節の変化がとくに大きい北海道で、季節ごとに違った表情を持つ自然をどうやって遊ぶことが楽しいのか。

前年がパーフェクトすぎて、もう「細革ウロコのニセコ・オートルート」でできることは出し尽くした、全てやったんじゃないかという感覚になった。卒業して別の場所へ遠征をしよう企画していた。

しかし、スケジュールやその他のさまざまな理由で別の場所への遠征計画がなくなった。結局、五色温泉から岩内岳を結ぶ短縮したルートを1泊で、日本海へ向かう例年とは逆方向の縦走をした。

登りのルート、滑り降りる斜面、反対方向からみる景色はいろいろなものが新鮮だった。そして、今までうまくいっていたものもかみ合わず、多くの課題が残って終わった。卒業なんてまだまだ。そもそも卒業なんていうことはないんだということを身をもって感じた。

また行きたい。「ニセコ・オートルート」から帰ってくるたびにそう思う。

6月中旬、山の雪が解けた頃に初めて「ニセコ・オートルート」を歩く友人と3人で訪れた。みんな出発前から何を持って行こう、バックパックはどうしよう、ご飯は何を食べようか、と思い思いにワクワクしていた。


ニセコの山の中をもう何十回、何百回歩いただろうか。仲間たちとワイワイ楽しむこともあれば、ひとり黙々と歩くこともある。同じ場所を何回歩こうが同じ風景はなく、行くたびに違った体験をさせてくれる。「ニセコ・オートルート」は決して大きな冒険ではなく、ただの山遊びのひとつに過ぎない。

しかし、僕はここでたくさんのことを教えてもらったし、たくさんの感動を味あわせてもらっている。そして何よりも、大好きなニセコのフィールドを満喫できる「ニセコ・オートルート」が楽しくて楽しくて仕方がないのだ。

峠ヶ 孝高
峠ヶ 孝高
北国の生活に憧れ北海道のニセコに移住し、2009年にコーヒーショップ『SPROUT』を開業。2019年にはコーヒーとアウトドアとライフが楽しめる場所『Camp&Go』をオープン。現在はコーヒーを勉強しながらハイキングやスキー、カヤックとニセコの自然をアクティブに過ごしている。
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