CDT放浪記

#2

文/イラスト/写真:河戸 “Sketch” 良佑
2018.04.12
CDT放浪記

#2

文/イラスト/写真:河戸 “Sketch” 良佑
2018.04.12

カナダ国境からメキシコ国境まで、アメリカ中部の分水嶺に沿って5,000kmにも渡って続くコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)。「トリプル・クラウン」と呼ばれるアメリカの三大ロング・ディスタンス・トレイルのなかでも、もっとも歩く人が少なく、難易度の高いトレイルです。

そんなCDTを、同じくトリプル・クラウンのひとつであるパシフィック・クレスト・トレイルを2015年に踏破したスルーハイカーであり、イラストレーターとしても活動する”Sketch”こと河戸良佑が、2017年に歩きました。その遠大なハイキングの記録を長期連載で綴っていきます。

#2となる今回では、いよいよCDTを歩き始めたSketchが、グレーシャー国立公園の残雪に悪戦苦闘しながら多くのCDTハイカーと出会っていきます。5ヶ月、5,000kmに及んだ彼の旅に、どうぞお付き合いください!

グレーシャー国立公園を歩く

チェーンスパイクを取り付けたトレイルランニングシューズを凍った雪に勢いよく蹴り込む。トレッキングポールで体を支え、一歩踏み出す前にもう一度強く踏み直す。

雪山を軽装で登る

この急勾配を登り始めて、もう1時間ほどだろうか、前日のストームの影響でトレースはすっかりと消失しているため、地図とGPSを見比べて、登りやすそうなルートを探りながら進んでいた。6月のグレーシャー国立公園の日差しは強く、僕の腕と首元をジリジリと焼き、シャツは汗でぐっしょりと濡れている。

斜面の雪から突き出ている木の枝を掴み、少し休憩をとることにした。標高2232mのピエガン・パスはまだ遥か先に薄っすらと見える。上空で雲が次から次へと流れていた。腰を下ろし、バックパックのウエストポケットから体温で柔らくなってしまったスニッカーズを取り出して食べる。包みについたキャラメルとチョコを舐めながら辺りを見渡した。

グレーシャー国立公園の山々は岩がむき出しで荒々しい印象を受ける。目を凝らして見ると岩はいくつもの細かい層が積み重なっていて、そのコントラストが美しい。谷底に小さく佇む湖は宝石のような深い青色をしていてキラキラと光っている。心配していた残雪もかなり溶けているようだが、それでもトレイル上にはまだかなりの雪が残っており、雪がない箇所を歩けたらどんなに楽だろうか、と幾度となく考えた。

黙々と登るストークトとマグパイ

カナディアン・ガールズ

休憩しながら雪上に谷間から続くトレースを眺めていると2人の女性ハイカーが登ってくるが見えた。彼女たちはストークトとマグパイというトレイルネームのカナダ人ハイカーだ。

「おーい! こっちだよ!」

こちらを見上げ、トレッキングポールを振って答えた彼女たちは、10分ほどで僕の休んでいる場所まで辿り着いた。

「やあ、スケッチ、調子はどう? 私たちずっと迷ってたら、あなたの足跡を見つけて追ってきたのよ。」

ストークトはニヤリと笑い、帽子を脱いでオレンジ色の髪の毛をポリポリとかいた。

「もう疲れて死にそうよ。」

息を切らして答えたもうひとり、マグパイの髪の毛は緑色に染め抜かれている。

この数日、一緒に歩いているわけではないが、キャンプ地が同じなので毎日顔を合わせていた。今回のハイキングで僕が一番最初に出会ったCDTハイカーが彼女たちで、23歳のふたりは底抜けに陽気だ。

彼女たちと同じキャンプ地に泊まる

少し話をした後、まだ休憩をとるというので、「また後で会おう」と言って僕は峠を目指して再びゆっくりと歩き始めた。

1時間ほど進むとやっと地表が露わになっているトレイルに出たので、スマートフォンの地図アプリを開きGPSで正確な現地点を確認する。本来スイッチバックしているトレイルを雪のためそのまま直登してきたので、ゆっくり歩いてきた割に時間を費やしていないようだ。

僕なりの戦略

登り切ると峠の両脇には積雪があったがトレイル上にはなかった。腰を下ろし、ぼうっと景色を眺める。目の前には何ひとつとして人工物はない。ただ山が延々と続いていだけだ。先週まで日本でのんびりとテレビを観ていたのに、と思うと不思議でならない。横を見ると、ストークトがすぐ近くまで歩いて来ていた。彼女は巨大なグレゴリーのバックパックを地面にドスンと投げ出すと、「完全に私は荷物を見直す必要があるわ。重すぎる!」と叫んだ。

「僕も重すぎるし、どこかの街で軽量化する必要があるな。」

「私たちはロング・ディスタンス・ハイキングが初めてだから、この有り様だけどスケッチは2回目なのになんでそんなに荷物多いのよ?」

そう、ストークトとマグパイはCDTが初めてのロング・ディスタンス・ハイキングなのだ。

「雪が多いと聞いてどんなものが必要か分からずに、色々なギアを適当に持ってきてしまったからね。」

そう言って雪山装備、予備の服などでずんぐりと太ったバックパックを改めて見て、ちょっとこれは多すぎるかもな、と思った。

後日、ストークトが軽量化しているときの写真

実は今回、あえて事前に軽量化はしなかった。理由は9月から歩き始めるコロラド州までに、体を作っておきたかったからだ。

コロラドには標高4000メートルを越えるポイントが多数あり、このセクションは10月が近くにつれて雪が降る可能性が高まる。前回歩いたPCTの場合は、メキシコ国境のカリフォルニアから北上して、徐々にトレイルの難易度が上がっていくので、5ヶ月間歩いて体ができている状態で最後に険しいワシントン州を駆け抜けることができた。しかし、今回のCDTの場合、今から3ヶ月後にはコロラド州に入ってしまうため、険しいトレイルに立ち往生して最終的に雪に降られてリタイヤする、という最悪のシナリオを僕は恐れていた。だから、今回はジュン・ミューア・トレイルのように険しいと言われているが、それよりも距離の短いグレーシャー国立公園を重いバックパックを担いでゆっくりと歩いて体を鍛え、その後のモンタナ州南部とワイオミング州で徐々に軽量化して、最後にコロラドを駆け抜けたいと計画していた。

ゆっくりと立ち上がり、ストレッチのために大きく体を伸ばす。先ほど登ってきた急斜面を見ると、どう見てもジョン・ミューア・トレイルより険しく思えた。

ツリーとの出会い

マグパイとストークトと滑落の危険がありそうな箇所を一緒に歩いた後、僕はまた先に歩き始めた。なぜなら彼女たちは歩くのが、びっくりするくらいゆっくりなのだ。それでも最終的に同じテント地に辿り着くが、ペースを合わせて歩くのが少し難しかった。

延々と続く雪原

峠を降りた先の谷にはまだ深い雪が積もっていた。ここにもトレースが全くなく、先に歩いているハイカーがいないのではないか、と疑ってしまうほどだった。雪の表面は固く凍っているが、足を踏み込むと膝まで沈む。最初はゆっくりと歩いていたが、シューズに雪が溜まり始め、その冷たさに耐えられなくなってきていた。早くこの場所を抜けだしたい気持ちと、少しでも体温が上がって欲しい一心で雪の中を走ることにした。体温が上がることはなかったが、誰もいない雪原を全力で走るのが楽しい。疲労など気にせず走り続けていると、足がもつれ頭から豪快に転倒した。

ウエストベルトをしていなかったバックバックは前方へ投げ出され、雪に頭から飛び込んだ。足が取られていたので、体がくの字に曲がった拍子に、ズボンがずれて真っ白な尻だけが雪から突き出た。雪に埋もれて身動きを取れない怖さと、尻から感じるグレーシャーの澄んだ冷気に混乱していると、急に誰かが僕をバックパックごと強く引っ張られた。

霜焼けでヒリヒリする顔をあげると、そこには身長が2メートルほどの巨大なハイカーが大笑いしながら立っていた。「ツリー」というトレイル・ネームの彼はちょうど昨日トレイル上で出会った50代のベテランハイカーだった。

ハンバーガーを食べるツリー

「ああスケッチ! いまの最高にアホっぽかったぞ!」

ツリーは長く伸びた髭をねじりながら笑っている。

「汚い尻だったぞ! はは! ちゃんとシャワー浴びてるのか?」

「もちろんシャワーは浴びてないさ。」

「だろうよ! だろうよ! 俺たちはハイカー・トラッシュだもんな!」

ハイカー・トラッシュとは、ロング・ディスタンス・ハイカーがゴミのように汚いことを揶揄する愛情が混じった呼び方で、主にハイカーやトレイルを援助してくれる人たちが使っている。

「ところで、スケッチ。次の町はツーメディスンだよな? 何日に着く予定だ?」

「2日後の昼ぐらいかな」

「グレイト! ちょうど妻と娘がキャンプしているから、一緒にディナーでもどうだい?」

「もちろん! 楽しみだな!」

突然の嬉しい申し出に、先ほどの失態を忘れて舞い上がった。

集まるハイカーたち

僕がツーメディスンに着いたのは、計画通りの正午過ぎだった。ここは町というよりも、国立公園のレジャー拠点のような場所で、小さな売店とレンジャーステーションがあるだけだ。

テントを張り、洗濯を終えてビールを飲みながらベンチに寝転んでいると、その前をバックパックを背負った汗まみれのツリーが通った。僕よりかなり遅い到着だ。

「やあ、ツリー! なんでこんなに到着が遅いんだ?」

「CDTマップの野郎さ! 俺が使ってる地図が間違ってたんだ! 5マイルも回り道だ!」

「それは最悪だな……」

「スケッチは何の地図使ってるんだ?」

「僕はスマートフォンのアプリだよ。」

「くそ! 紙の地図は全部燃やしてやる!」

CDTの地図には紙のものと、スマートフォンの地図アプリ『Guthook』などがある。紙の地図は細かい地形、そしてとサイドトレイルの情報が豊富で、自分でルートを組み立てて歩く上で自由度が高い。一方、ここ数年で充実し始めた地図アプリはGPSで現在地点が正確に分かること、また使用者同士で地図に情報を加えることができるので新鮮な情報が入手しやすいという利点がある。近年はどちらも使用しているハイカーがほとんどで、要はどちらを主に使うかだ。CDTは所々でトレイルが喪失し、細かい分岐も多くあるため、僕は歩き始めてすぐの段階で地図アプリをメインで使用するようになっていた。

ツリーは無事に家族と合流し、僕らはクーラーボックスにあったビールをあっという間に飲み干した。すでにかなり酔っていたが、久しぶりに人里に降りて来たのだから今日は倒れるまで飲みたかった。

「ハイキング後のビールは最高だけど、めちゃくちゃ酔うな。」

そう言ってすぐに、ツリーは家族が乗ってきたクルマに乗り込み「ビール買いに行くぞ!」と叫んでエンジンをかける。

売店に向かう途中でマグパイとストークトに会ったが、酔った僕らの顔を見て「あとで合流するわ」とだけ言って去って行った。

僕らは上機嫌でビールを3パック買い足して店を出ると、ドアのそばで知った顔が疲れ果てた様子でマウンテン・デューを啜っていた。まさにハイカートラッシュとなっていたのは、イスラエル人ハイカーのヨニーだ。

「ヘイ・ヨニー! 元気?」

「スケッチ、ツリー! 聞いてくれよ! クソ地図のせいで、今日は散々だったぜ!」

ヨニーはくしゃくしゃになった地図をこちらに投げてよこした。ツリーはニンマリと笑ってそれを拾い上げ、彼をディナーに誘った。

ヨニーはフリスビー友達

キャンプ地に戻ると、マグパイとストークトはすでにツリーの奥さんのメアリー手製ポークスープを食べて、楽しそうにしていた。たらふく食べて飲んだ後、僕らは焚き火を囲みながら深夜までハイキング談義で盛り上がった。ハイカー同士の心地よい空間に浸りながら、アメリカでのハイキングはこうでなくては、と思う。それと同時に、一体この中の何人がメキシコまで歩き切ることができるのだろうか、とも考えずにはいられなかった。

河戸 良佑

河戸 良佑

独学で絵を描いていたら、いつの間にかイラストレーターに。さらに2015年にPacific Crest Trail、2017年にContinental Divid Trail、2019年にアパラチアントレイルをスルーハイクして、いつのまにかトリプルクラウン・ハイカーに。アメリカで歩きながら絵を描いていたので、トレイルネームはスケッチ。 インスタグラムアカウント: Ryosuke Kawato(@ryosuke_iwashi)