HIKERS’ CLASSICS #4
大越智哉 (Great Cossy Mountain)

2018.07.26

誰にでもある、思い出の道具やどうしても捨てられない道具、ずっと使い続けている道具。

この『HIKERS’ CLASSICS』は、山と道がいつも刺激を受けているハイカーやランナー、アスリートの方々に、それぞれの「クラシック(古典・名作)」と呼べる山道具を語っていただくリレー連載です。

第4回目となる今回の寄稿者は、現在、数多ある日本のコテージメーカーの中でも、一際異端な物作りを行なっているGreat Cossy Mountainの「コッシー」こと大越智哉さん。日本のUL/MYOG/コテージシーンの草分け的存在であり、高校山岳部の時代からハイキングを続けるベテランハイカーでもあります。

そんなコッシーさんの挙げる「CLASSIC」は、どんなものなのか? Gコ山スピリット爆発の回になっています!

NOTE

大越智哉 (Great Cossy Mountain)

僕が本格的にハイキングを始めたのは 1986年、15歳のときだ。 サッカーや野球は未経験だし、かといって帰宅部では時間を持て余してしまうという理由だけで、山岳部の扉を開いたのがきっかけだった。 当時の僕にとって、山岳部員であるということは、恥じることではなかったけれど、同時に誇るべきものでもなく、ただただ、「現場」であった。しかし、そこから卒業後も含めた1990年代にかけての数年間、実際に山へ行き、常に雑誌やカタログ、ショップでギアをチ ェックしていた経験は、確実に今に活きている。

1980年代後半の日本の山岳シーンと言えば、まだまだ大学山岳部と社会人山岳会がその中心だった。夏の北アルプスなどは、ニッカボッカにチロリアンハット、背にはキスリングや 背負子を背負った老若男女のパーティーや、今ではオールドスクールとも言えるようなミレーやカリマーのアルパインザックにラグビージャージとチノパンというスタイルのクライマー達で溢れていた。同時にヒマラヤブームや国内の難関ルートの初登争いも落ち着き、多くのクライマーは、 「次の何か」を模索していたころだったように思う。 当時、流行り始めていたフリークライミングもそのひとつだろう。

小川山や城ケ崎ではルート開拓が盛んにおこなわれ、平山ユージという天才クライマーが頭角を現した。 思えば、フリークライミングというスタイルの隆盛は、クライミングシューズの進化とカムデバイスの発明という「新しいギアの出現」がきっかけだった。ナチュラルプロテクション(岩場にボルトを打つことなく、割れ目にカムデバイスやナッツといった登攀器具を挟みこみ、それを回収しながら登ることで人工物を残さないクライミングスタイル)という、ある種の「思想」をテクノロジーの力が現実的なアクティビティへと昇華させた好例と言えるだろう。そのカムデバイスの生みの親であるレイ・ジャーディンが、同じように哲学的な思想をはらんだウルトラライトハイキングというスタイルの確立に大きく貢献したことは偶然ではないはずだ。

一方、僕はといえば、山岳部に所属し、定期的に山に行っていたとはいえ、そのような日本の山岳シーンとは全く無縁の清く正しい高校生生活を送っていた。僕の頭の中は、女の子とロックンロールが9割を占めていた。

そんな1980年代後半から1990年代前半にかけて、日本の山岳シーンは過渡期にあったといえるだろう。思い返してみれば、あの時期に、日本における登山スタイル、ひいてはアウトドアシーン全体に大きな変化が起こった。誤解を恐れずに言えば、アウトドアのファッション化だ。そして単なるスポーツやレジャーであった登山も、カルチャーとして語られる場面が増えてきた。守るべきものと変えていくべきもの、両者が入り乱れ、ちぐはぐなアウトドアスタイルがストリートファッション化し、「アウトドア」という、掴み所の無い、得体のしれないものを食い扶持にする大人たちが沢山現れた。 僕にとっても、趣味というよりも、あくまで「現場」であったアウトドアが、女の子やロックンロールと同じようにとても大事な、意味のあるものに変わっていった。

1989年、目白にパタゴニアの直営第1号店が開店したことはとても大きなトピックであったし、「渋カジ」や「アメカジ」といわれるファッションスタイルは、最初は鼻で笑っていたアウトドアマンにとっても無視のできないものになっていた。「新しいギア」は、その革新性や使い勝手以上に、その素材や思想的な背景が多く語れるようになる。このような流れに批判的な人々も多かったように思う。しかし、少なくとも僕にとっては、「ギアとは何か?」を真剣に考える大きな好機であったのは間違いない。ざっくりと1990年をひとつの転換点としたとき、それ以前とそれ以降で、大きな違いがあるのは事実であろう。素材やテクノロジーの進化はもちろん、ファッションという荒波に揉まれ洗練された姿が1990年以降のギアには見え隠れする。

しかし、一方で1990年以前から脈々と続く遺伝子のようなものを内包したギアが今なお作り続けられているのも事実である。そして、僕自身が魅力を感じるのも、その遺伝子の部分に他ならない。1990年以降に本格的にギアの魅力に気づいた僕が心惹かれるのは、実は1990年以前から続く遺伝子の部分であったというのはとても皮肉な話だ。

1991年、オルタナティヴロックのアイコン的存在であるニルヴァーナが大ヒットアルバム 「NEVERMIND」をリリースする。あれから四半世紀以上の時が流れた。今の若者にとってニルヴァーナはオルタナティヴであるのか? それともクラシックなのか? その問いに、僕はあえてこう答えたい。

「クラシックの無いところにオルタナティヴは生まれないし、オルタナティヴなものしかクラシックとして生き残らない」と。

Tomoya Okoshi’s CLASSICS

  • Sierra Cup (Sierra Club Original)

    カップと言えば、ハイキングに必ず持参するアイテムであると断言して差し支えないだろう。それだけ身近なギアであり、様々な素材、形状、デザイン、ギミックのものが各社 よりリリースされている。シンプルなアイテムゆえ、そこには数々の創意工夫や苦悩が見え隠れしており見ていて飽きない。テーブルに沢山のカップを並べ、それを眺めながら 酒を飲むのも楽しい(かもしれない)。しかし、それら無数のカップをテーブルごとひっくり返して、ドーンとひとつ真ん中にシエラカップを置く。その場に居合わせた全員を黙らせる存在感。もはや、このシエラカップには魔物が住み着いている。そうでなければ説明がつかない。 


  • Granite Gear / Virga

    1980年代末ごろからバックパックは大きな変革を遂げ始めた。肉厚の背面パッドに強固で頑丈なショルダーハーネス。何かの冗談?とも思えるような巨大なウェストベルト。全体の形状もより複雑な三次元化が進み、先鋭的な SF 映画に登場する小道具のようになっていった。ペラペラのゴミ袋と揶揄されることの多い ULパックであるが、このようなヘビーデューティーで SF的なデザインへのアンチテーゼ的な側面は否定できない。それでもやはり、「ペラペラのゴミ袋」であることは事実である。そこに登場したのがこのヴァーガだ。言ってみれば、「ヘビー デューティーの皮をかぶったゴミ袋」である。

  • Patagonia / Houdine Jacket

    もちろん僕が高校生の頃からウインドブレイカーやウインドジャケットと呼ばれるウェアは存在した。しかし、当時はとても重く嵩張り、その用途からレインジャケットとの2枚持ちはとても無駄に感じることが多く、そのような時代が長く続いた。そこへ彗星のごとく現れたのがパタゴニアのドラゴンフライで、僕たちはこれを 「ウインドシャツ」と愛着を込めて呼んだ。時を経て、名前を変え、より洗練されたフーディニジャケットが現れた。その後、各社から類似品がより軽量、高性能になりリリースされているが、このパタゴニアのフーディニジャケットを凌駕するものは、未だ現れていない。 


  • AXESQUIN / アメノヒ

    レインウェアにおける素材の進化は目を見張るものがある。ここ 30年間で最も進化したギアと言っても過言ではないだろう。それゆえに残念なのが、そのデザインとしての形状にほとんど変化が見られないところだ。フルジップかアノラック。それにフードの形状が数種類、その組み合わせくらいしか選択肢が無かった。一方、ウルトラライト・ハイキングのひとつのスタイルとしてポンチョやレインケープが見直されてきた。その意図は 十分理解できるのだけれど、いかんせん日本の山岳状況、天候にはマッチするとは言い難いものである。そこへ現れたのが、このアメノヒだ。レインパンツを必要としないギリギリの丈、無駄を一切省いたデザイン。そして防寒着としても俊逸な一枚だ。 


  • Snow Peak / Titunium Single Mug 450

    見た目のカッコ良さだけで購入したチタンマグ。しかし、その大きさからあまり出番は無かった。いかんせん、カップとしては大きすぎるのだ。 そんな折、ウルトラライト・ハイキングに傾倒し始めていた僕は、『徒然なるままに』というブログに出会う。その中でブログ主は、このカップを鍋として使用しており、僕は「鍋は鍋、カップはカップ」という凝り固まった固定観念に支配されていた自分を恥じた。結局、その後もあまり出番は少ない(鍋としてはバランスが悪すぎるのだ) が、僕にとってはウルトラライト・ハイキング・ギアのファーストアイテムといっても過言ではない象徴的なギアである。

  • 山と道 / UL Pad 15+

    ウルトラライトハイキングにおいて、クローズドセルマットを筒状に挿入しフレームレスザックの芯にするという方法は最もポピュラーで最初に採用するメソッドだ。 しかし、このメソッドは何も新しいものではない。1990年以前、キスリングやシンプ ルなアルパインパックがまだまだ主流だった頃、このメソッドは多くの人が取り入れて いた。ただし、そのパッドは特にこれといった特徴の無いウレタンのマットであった。時は流れザックの芯としても、スリーピングマットとしても最高のパフォーマンスを発揮するマットが登場した。 


  • Mont-Bell / Breeze Drytech U.L.Sleeping Bag Cover

    星空の元、ビビィサックひとつで寝ることは全アウトドアマンの夢である(と勝手に思っている)。しかし、3日山に入れば必ず一度は雨がふるといっても大げさではない日本において、ビビィ単体での幕営は不安が残る。結局、タープなど何らかの幕をバックアップ用として持っていくことになってしまう。 しかし、そうであるならば、ビビィはより簡素でシンプルなもので事足りるはずだ。必要にして十分。「足るを知る」がウルトラライトハイキングにおける重要なキーワードであるならば、それを最も具現化したギアのひとつと言えるのではないか。 


  • Great Cossy Mountain / Cossil Shelter

    手前味噌ながら、僕が主宰するGreat Cossy Mountainが製作、販売するギアのひとつ。シュラフカバーを併用、森林限界を超えない日本の 3 シーズン、ソロ。この3点をテーマに最もミニマムな大きさ、形状を具現化したシェルター。ビーク部分一か所のみを縫製することで立体的な空間を作り出している。今では、(あくまでテストを兼ねてだけれど)森林限界を超える場所や、低地でのキャンプ場まで、無雪期は全てこれで寝ている。 


  • 植村直己『青春を山に賭けて』

    題名の通り、山をテーマにした本ではあるが、それ以上に、僕にとっては人生のバイブルだ。「自由とは何か?」「情熱とは何か?」を僕に教えてくれた全てと言っていい。僕は何かを決めるとき、「それは、焚火を挟んで向こうに座る植村さんに胸を張って言えることなのか?」という自問自答をする。 そして、何気にこれが一番大事なところかもしれないけれど、彼はこれだけめちゃくちゃな男なのに、国民栄誉賞を受賞している。「パンク」とは植村直己の為にある言葉だ。

    • Sierra Cup (Sierra Club Original)

      カップと言えば、ハイキングに必ず持参するアイテムであると断言して差し支えないだろう。それだけ身近なギアであり、様々な素材、形状、デザイン、ギミックのものが各社 よりリリースされている。シンプルなアイテムゆえ、そこには数々の創意工夫や苦悩が見え隠れしており見ていて飽きない。テーブルに沢山のカップを並べ、それを眺めながら 酒を飲むのも楽しい(かもしれない)。しかし、それら無数のカップをテーブルごとひっくり返して、ドーンとひとつ真ん中にシエラカップを置く。その場に居合わせた全員を黙らせる存在感。もはや、このシエラカップには魔物が住み着いている。そうでなければ説明がつかない。 


    • Granite Gear / Virga

      1980年代末ごろからバックパックは大きな変革を遂げ始めた。肉厚の背面パッドに強固で頑丈なショルダーハーネス。何かの冗談?とも思えるような巨大なウェストベルト。全体の形状もより複雑な三次元化が進み、先鋭的な SF 映画に登場する小道具のようになっていった。ペラペラのゴミ袋と揶揄されることの多い ULパックであるが、このようなヘビーデューティーで SF的なデザインへのアンチテーゼ的な側面は否定できない。それでもやはり、「ペラペラのゴミ袋」であることは事実である。そこに登場したのがこのヴァーガだ。言ってみれば、「ヘビー デューティーの皮をかぶったゴミ袋」である。

    • Patagonia / Houdine Jacket

      もちろん僕が高校生の頃からウインドブレイカーやウインドジャケットと呼ばれるウェアは存在した。しかし、当時はとても重く嵩張り、その用途からレインジャケットとの2枚持ちはとても無駄に感じることが多く、そのような時代が長く続いた。そこへ彗星のごとく現れたのがパタゴニアのドラゴンフライで、僕たちはこれを 「ウインドシャツ」と愛着を込めて呼んだ。時を経て、名前を変え、より洗練されたフーディニジャケットが現れた。その後、各社から類似品がより軽量、高性能になりリリースされているが、このパタゴニアのフーディニジャケットを凌駕するものは、未だ現れていない。 


    • AXESQUIN / アメノヒ

      レインウェアにおける素材の進化は目を見張るものがある。ここ 30年間で最も進化したギアと言っても過言ではないだろう。それゆえに残念なのが、そのデザインとしての形状にほとんど変化が見られないところだ。フルジップかアノラック。それにフードの形状が数種類、その組み合わせくらいしか選択肢が無かった。一方、ウルトラライト・ハイキングのひとつのスタイルとしてポンチョやレインケープが見直されてきた。その意図は 十分理解できるのだけれど、いかんせん日本の山岳状況、天候にはマッチするとは言い難いものである。そこへ現れたのが、このアメノヒだ。レインパンツを必要としないギリギリの丈、無駄を一切省いたデザイン。そして防寒着としても俊逸な一枚だ。 


    • Snow Peak / Titunium Single Mug 450

      見た目のカッコ良さだけで購入したチタンマグ。しかし、その大きさからあまり出番は無かった。いかんせん、カップとしては大きすぎるのだ。 そんな折、ウルトラライト・ハイキングに傾倒し始めていた僕は、『徒然なるままに』というブログに出会う。その中でブログ主は、このカップを鍋として使用しており、僕は「鍋は鍋、カップはカップ」という凝り固まった固定観念に支配されていた自分を恥じた。結局、その後もあまり出番は少ない(鍋としてはバランスが悪すぎるのだ) が、僕にとってはウルトラライト・ハイキング・ギアのファーストアイテムといっても過言ではない象徴的なギアである。

    • 山と道 / UL Pad 15+

      ウルトラライトハイキングにおいて、クローズドセルマットを筒状に挿入しフレームレスザックの芯にするという方法は最もポピュラーで最初に採用するメソッドだ。 しかし、このメソッドは何も新しいものではない。1990年以前、キスリングやシンプ ルなアルパインパックがまだまだ主流だった頃、このメソッドは多くの人が取り入れて いた。ただし、そのパッドは特にこれといった特徴の無いウレタンのマットであった。時は流れザックの芯としても、スリーピングマットとしても最高のパフォーマンスを発揮するマットが登場した。 


    • Mont-Bell / Breeze Drytech U.L.Sleeping Bag Cover

      星空の元、ビビィサックひとつで寝ることは全アウトドアマンの夢である(と勝手に思っている)。しかし、3日山に入れば必ず一度は雨がふるといっても大げさではない日本において、ビビィ単体での幕営は不安が残る。結局、タープなど何らかの幕をバックアップ用として持っていくことになってしまう。 しかし、そうであるならば、ビビィはより簡素でシンプルなもので事足りるはずだ。必要にして十分。「足るを知る」がウルトラライトハイキングにおける重要なキーワードであるならば、それを最も具現化したギアのひとつと言えるのではないか。 


    • Great Cossy Mountain / Cossil Shelter

      手前味噌ながら、僕が主宰するGreat Cossy Mountainが製作、販売するギアのひとつ。シュラフカバーを併用、森林限界を超えない日本の 3 シーズン、ソロ。この3点をテーマに最もミニマムな大きさ、形状を具現化したシェルター。ビーク部分一か所のみを縫製することで立体的な空間を作り出している。今では、(あくまでテストを兼ねてだけれど)森林限界を超える場所や、低地でのキャンプ場まで、無雪期は全てこれで寝ている。 


    • 植村直己『青春を山に賭けて』

      題名の通り、山をテーマにした本ではあるが、それ以上に、僕にとっては人生のバイブルだ。「自由とは何か?」「情熱とは何か?」を僕に教えてくれた全てと言っていい。僕は何かを決めるとき、「それは、焚火を挟んで向こうに座る植村さんに胸を張って言えることなのか?」という自問自答をする。 そして、何気にこれが一番大事なところかもしれないけれど、彼はこれだけめちゃくちゃな男なのに、国民栄誉賞を受賞している。「パンク」とは植村直己の為にある言葉だ。

      大越智哉
      大越智哉
      1971 年生まれ。高校山岳部から登山を始める。10 年ほど前からウルトラライトハイキングに傾倒。Great Cossy Mountain を主宰し、SIMPLE・LIGHT・POP をテーマにア ウトドアギアの製作販売を行っている。
      JAPANESE/ENGLISH
      MORE
      JAPANESE/ENGLISH