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清田勝トレイルログ

東海自然歩道1,200km セクションハイクの旅 #1

日本最初の長距離自然歩道を、ロングディスタンスハイカー清田勝がセクションごとに歩く。
文:清田勝
写真:清田勝、田安仁
2026.11.03
清田勝トレイルログ

東海自然歩道1,200km セクションハイクの旅 #1

日本最初の長距離自然歩道を、ロングディスタンスハイカー清田勝がセクションごとに歩く。
文:清田勝
写真:清田勝、田安仁
2026.11.03

日本各地にある長距離自然歩道の中でも、その先駆け的存在である「東海自然歩道」。

東京の高尾から大阪の箕面まで11都府県を繋ぎながら、本線1,200kmを超えて伸びるトレイルを、アメリカの3大トレイルを踏破したロングディスタンスハイカーの清田勝さんが歩き進めました。

この山と道JOURNALにはこれまで国内のロングトレイルを一気呵成にスルーハイキングした記録を数多く寄稿してくれてきた清田さんですが、今回はその本丸とも言える東海自然歩道を、しかも区間ごとに区切って歩くセクションハイキングで歩くのだとか。

#1となる今回は、起点である高尾山を出発し、静岡の大井川本線家山駅を目指した9日間。初っ端から友人が住む「高尾沼」にハマったり、灼熱のなか涼を求めて川にダイブしたり、いつもとは勝手の違うセクションハイキングの旅に戸惑ったり。

RPGのセーブポイントを探しながら歩くような清田さんの旅の始まりです。

僕だけが知らない道

東海自然歩道。

その道の名前を聞いたことのあるハイカーは少なくないだろう。僕がその道を初めて知ったのはいつだろうか。関西の山に入った時に「東海自然歩道」と書かれた道標を見た時なのか、山をやる知人から聞いた時なのか、いつの間にか僕の中にその道の名前が入り込んできていた。

実際にこの道に関わり始めたのは、2024年2月に名古屋で開催された東海自然歩道の普及啓発のための「つなぐ東海自然歩道」というイベント。僕は「ロング・ディスタンス・トレイルとスルーハイキング」というテーマで登壇することになった。

日本人初のトリプルクラウナー舟田靖章さん(中央)と登壇

そこからご縁があって、翌年には東海自然歩道の調査にも参加し、三重県から滋賀県に通じるルートを歩くことになった。調査で歩いた区間は50kmほど。本線1,200kmと言われる距離からすれば、ほんの一部を歩いたに過ぎない。関わっているというよりは、味見をした程度の感覚でしかなかった。

滋賀ルートの調査風景

そして、今年2026年に3回目の開催となった「つなぐ東海自然歩道、これから in 静岡」。今回も僕はこのイベントに参加することになっていた。そんなイベントの前夜祭終わりでの出来事。

関係者での飲み会が終わり、みんなほろ酔いで宿に向かう。酒飲みたちはなんとなく飲み足りない様子で、僕もその中のひとりだった。大勢での飲み会ほど時間が足りないものはない。

「2軒目行く人は行って、行かない人はゆっくり休んでください。」

誰かがそんなことを言った。2軒目に行くほどでもないが、このままベッドに入るには物足りない。ホテルで部屋飲みくらいがちょうどいいか。そんなことを考えている時、僕の隣にはハイカーズデポの土屋智哉さんがいた。土屋さんを誘ってみよう。

「部屋飲みとかがちょうどいいですね」

「それぐらいがいいな」

そんな僕と土屋さんが話している近くに、それぞれ東海自然歩道を歩いた浜野太郎さんとあゆみちゃんがいた。

浜野さんは2011年からFacebookで「東海自然歩道を歩く会」というグループを作り、13年間にわたってその道を数珠繋ぎで歩き切った人だ。大阪出身の彼はとても正しい関西弁を話す。出身を聞かなくても大阪出身だということは、ほとんどの人がわかるだろう。そしてあゆみちゃんは昨年の2025年に東海自然歩道をスルーハイクしている。僕は彼女がその道を歩き始める日、大阪でお見送りをした。

そんなふたりを誘って土屋部屋で飲み直すことになり、コンビニでアルコールと簡単なつまみを買い込み部屋に入った。土屋さんとあゆみちゃんとは会って話すことは何度もある。この部屋飲みでの主役は浜野さんになるだろう。缶ビールのタブを開けて乾杯するなり、浜野さんに話を聞く流れになっていた。

「いつから歩き始めたんですか?」

「もう15年前ですね。あの時は俺も若かったですよ!」

そんな会話で部屋飲みが始まった。15年。彼が歩き始めた時、僕はまだ大学すら卒業していない。あの時の僕はこんなに歩く人生を送ることになるなんて、想像もしていなかった。僕は東海自然歩道の内容よりも、彼がどんな気持ちでこの15年を歩いてきたのかが気になってしまった。
 
「浜野さんが歩いた時、◯◯の区間ってどんなでしたか?」

「◯◯区間は大変でしたよ!」

「そうだったんだ。◯◯の◯◯にある居酒屋行きました?」

「◯◯の居酒屋最高だよね!」

あれ。みんなが何の話をしているのか全くわからない。それもそのはず。この中で東海自然歩道を歩いていないのは僕だけだ。目の前で飛び交う会話のラリーを右や左と眺めることしかできない。歩いた人と歩いていない人では、こんなにも壁があることを知った。

「せっかくだし東海自然歩道を歩いた奴、みんな呼ぼうか!」

土屋さんがそう言うなり、僕は2025年に東海自然歩道を歩いただけでなく、みちのく潮風トレイル、九州自然歩道、その他国内のトレイルを味わい尽くすように旅をしていた一路さんに連絡し、あゆみちゃんはゆきのちゃんに連絡を入れた。連絡を入れて数十分後、ゆきのちゃんが部屋に現れた。彼女も2025年に東海自然歩道をスルーハイクしたハイカーだ。しかも夏の時期に歩いたという。夏の低山という言葉を聞くだけで「暑くて歩きたくない」というイメージが連想される。そんな中、全線を歩き切った彼女は只者ではない。沖縄出身ということが影響しているのだろうか。

「夏に歩いたの⁉︎」

浜野さんは驚きを隠せない。彼からすればスルーハイキングですら想像できないのかもしれない。その上、わざわざ夏に歩いた彼女が不思議でならなかったのかもしれない。

「なんか歩けちゃいました」

ゆきのちゃんはにこやかにそう答えている。彼女の笑顔の奥に潜む底知れぬエネルギーは、どこから湧いてくるのだろう。

しばらくして、一路さんが2024年の秋に東海自然歩道を歩いた二郎さんを連れて部屋にやってきた。大阪箕面から出発する前に自分がやっているお店「cafe & bar peg.」にも顔を出してくれた。全員が集まったところで、もう一度乾杯。

その後も繰り広げられる東海自然歩道トーク。相変わらず僕は話に入れず、ひたすらビールを空け続けることしかできなかった。この感覚は、まだ見ていないドラマや映画の話をされているような感覚に近いものがある。そんな様子で周囲の会話を聞いている僕を見て土屋さんがひと言。

「マサル、話入れないんじゃん」

「全くわからないです」

「トリプルクラウナーが話入れないって、なんかすげーおもしれーな!」

僕が東海自然歩道を歩いてみたくなったのは、間違いなく土屋さんにこう言われた瞬間だった。

東海自然歩道について

東海自然歩道とは、東京の高尾から大阪の箕面までを結ぶ本線1,200km(総延長1,697.2km)の長距離自然歩道のことだ。11都府県を跨ぐこの道は、1970年(昭和45年)から整備が始められた。全線開通したのは1974年(昭和49年)。約50年前ということになる。僕の両親がまだ10代の頃の話だ。

高尾から箕面までの本線1,200km

この道が作られた背景には、当時の日本の全国各地でのインフラ整備や、急激に進行した都市の過密化があり、経済成長の影の面が浮き彫りになり始めていた頃だった。そんな中、憩いの場としての自然を見直そうという動きは、国民からも支持を受けていたようだ。

東海自然歩道が開通されると、全国各地で長距離自然歩道の整備が進められた。環境省の公式サイトによると、整備が完了すれば全国の自然歩道の総距離は28,000kmにも及ぶとされている。

全国に張り巡らされた長距離自然歩道(初出:環境省「長距離自然歩道を歩こう!」)

東海自然歩道の歩き方

今まで僕はトレイルを歩くとなると、起点から起点までの全線を一度に歩く「スルーハイキング」と言われる歩き方しかしたことがない。僕が初めてロングトレイルというものを歩いたのは、全長4,260kmのアメリカのパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)だ。国外のトレイルを歩くとなると、一度に全部歩く方が経済的にも時間的にも都合がいい。ロングトレイルを歩くのは、そういうものだと思っていた。だが、スルーハイキングの他に、「セクションハイキング」と呼ばれるロングトレイルのあるセクションのみを歩くスタイルもある。今回の東海自然歩道はセクションハイキングを繋いで、全線を歩くことにした。

理由はいくつかあるが、一番は「時間」だ。1,200kmのトレイルとなると、2ヶ月もあれば十分歩けてしまう。しかし、この道を歩いたハイカーはみんな「今度はもっとゆっくり歩きたい」と口を揃えて言っている。セクションごとに分けることで、一つひとつの区間をじっくり歩こうと思った。

それに合わせて東海自然歩道は、僕の住む大阪から東京までを繋いでいる。これが北海道や九州・四国だとセクションで歩くたびにかかる交通費がバカにならないが、この距離感ならまだ交通費も知れている。

実際問題、もし2ヶ月の時間を自由に使えるとなると、僕は海外のトレイルに目が向いてしまう。だったら200〜300kmのセクションで区切り、4〜5回の旅を繋げて歩くならスケジュールを調整すればなんとかなりそうだ。

今回の東海自然歩道はそんな経緯で、セクションスルーハイクという歩き方をすることにした。高尾から歩き始め、地元の大阪まで帰ってくるような感覚で旅を始めた。

初っ端から高尾沼にハマる

歩き始めは8月18日とした。今回のセクションは8泊9日で高尾山から静岡県の大井川本線家山駅まで263kmほど歩く予定だ。当日の深夜2:30、僕はまだ飲んでいた。出発の前日、高尾に住むフォトグラファーの田安君の自宅に泊めてもらい翌日から歩き出そうとしていたが、飲み始めると簡単に日を跨いでしまった。

左:一路さん 右:眠そうな田安君

「明日何時に出発するんですか?」

「何時にしようかな」

「別に何時でもいいんじゃない」

「そうね。起きたら考えるよ」

そんな会話をして就寝した記憶だけが残っている。

翌朝、9時過ぎに目を覚ました。そろそろ出発の準備をしようかと起き上がると、田安君はすでに起きていた。

「何時に出発します?」

「11時ぐらいかな」

「もうちょっとしたらあゆみちゃん帰ってくるので、朝ご飯食べていってくださいよ」

田安君の奥さんであるあゆみちゃんが、夜勤明けでそろそろ帰宅する頃だった。お言葉に甘えさせてもらおう。出発が数時間前後したところで何かが大きく変化するわけでもない。

程なくしてあゆみちゃんが帰宅した。「おはようございます! 昨日何時まで飲んでたんですか?」そう話す彼女からは夜勤明けの疲れは見えない。この人はいつも元気だ。その後、テキパキと食卓には朝食が準備されていく。食卓に座り眺めていたその光景は実家の朝食風景を思い出させた。

朝食をたらふくいただき、出発の準備をする。「高尾山の山頂あたりまで一緒に行きますよ!」田安君が付いてくることになった。あゆみちゃんの「今日も帰ってきてくれていいんですからね!」という言葉に後ろ髪を引かれる。家を出て京王高尾線の高尾山口駅に着いたのは11時過ぎだった。

高尾山口駅前

年々暑さを増す日本の夏。それでも高尾山はたくさんの登山客で賑わっていた。駅から高尾山ケーブル乗り場へ向かう。乗り場には青い文字でデカデカと「高尾山」の文字があり、その上には「高尾山ビアマウント」と垂れ幕がかけられている。ケーブル乗り場前の広場には、今が夏のど真ん中だという雰囲気が太陽の暑さと共に漂っていた。乗り場へ向かう人、登山前にひと休みする人、すでに下山した人。そんな大勢の人には見向きもされなそうな場所に「東海自然歩道」の起点がある。

東海自然歩道の起点

ここから高尾山頂までは、昨年の12月にとある人の旅の終わりを迎えにいった時に歩いたのだが、就職を機に東京で生活をしていた頃、初めてひとりで登山をした道でもある。なんだか懐かしい場所だ。就職した当時、親元を離れ東京でひとり生活することが心細かったことを思い出す。当時の僕は寂しさを紛らわすために、高尾山に歩きにきていたのだろう。

14年が経ち、同じ場所に立つ心境は、以前と似て非なるものがある。当時ひとりだった僕には、今は高尾に住む友人がいる。そして、遠いと思っていた大阪と東京という距離感も、この道を辿っていけば大阪まで繋がっているという感覚を持っている。この違いはとても大きい。

当時、孤独を感じていたであろう自分は小さな世界で生きていたのだろう。時が経ち、旅を深めていく中で、全てのものは繋がり関係し合っていることを知った。今は穏やかな気持ちでこの場所に立つことができている。そんなことに感謝をしたい。

登山者に紛れて歩き始める

「田安君、今日移動日やんな? 時間大丈夫なん?」

「山頂までは行く時間ないかもです」

「全然気にせんと戻ってくれていいよ」

「パッキングは終えてて家帰って荷物取るだけなんで、ギリギリまで行きますよ!」

もう出会って5〜6年になるだろうか。なんだかんだ彼とは長い付き合いになってきた。初めて彼と会ったのは、彼がPCTに旅立つ前の年だった。それからというもの定期的に大阪に会いにきてくれ、フォトグラファーとして旅に同行してくれることになった。昨年彼と歩いた北海道東トレイルが、ちょうど1年前だ。

「マサルさん。僕そろそろ下山します」

「オッケー! またね!」

そう言って、高尾山ビアマウントのあたりでお別れをした。

田安君とはここでお別れ

彼は最後の最後までシャッターを切り続けていた。

田安君と別れてからひとり歩きが始まった。ようやく旅が始まったとでも言おうか。誰かと歩く旅も楽しく賑やかだが、長い歩き旅はひとりの方が好きだ。自分のことなど誰も知らない場所へ足を運び、その風景の一部に溶け込む感覚が旅感を湧き立たせる。山頂に着いたのは正午を過ぎた頃だった。

高尾山山頂

山頂標識を撮る順番を待って写真を撮り、賑わう山頂を後にした。山頂から西に向かって相模湖を目指し始める。高尾山口からの道中とは打って変わって急に人が減った。あちらが表とするならこちらは裏側になるのだろう。綺麗に整備された登山道は歩きやすく、時折吹く夏の風が心地良かった。

するりするりと下る山道は気持ち良く、ついつい小走りで下山している自分がいた。「山は走るもんじゃない」と思っていたが、トレイルランニングをやるようになり、その楽しさや爽快感のようなものを感じるようになってきた。

あっという間の下山。高尾山を抜けると相模川が見えた。

夏の緑の間を相模川が流れる

この川が続いているのは、東海自然歩道を歩いた人から名前は聞いたことのある「相模湖」。その場所もすぐそこまできている。

聞いた時には場所も地名もピンと来なかったが、実際に歩くことで彼らが話していた物語の中に入れた気がした。大阪から歩き始めたハイカーは最終日どこで寝たのだろう。なんてことを想像しながら相模湖へ向かった。

相模川に架かる弁天橋

相模湖へ向かう道中、ふっと時間を確認した。スマホの画面には14:29と表示されている。そろそろ寝床の当てをつけ始めなければならない。食料は2日分ほどある。どこでも寝れる体質とはいえ、集落や民家のど真ん中で寝るわけにはいかない。
 
「今日も帰ってきてくれていいんですからね!」

あゆみちゃんが見送りの時にそう言ってくれた言葉が蘇ってくる。スマホには「一路さんにも家でご飯食べましょ!って伝えてます」と、あゆみちゃんからメッセージが入っている。暑い夏の夜、虫もまだまだいるだろう。そして都合よくJR中央本線相模湖駅がすぐそこにある。こんな時にそんな誘いを振り切って歩き続けられるほど、僕は崇高なハイカーではない。その誘惑にしっかりと誘われ、スマホを閉じて相模湖駅を目指した。

相模湖駅前

今日は10kmも歩いていない。行動時間4時間。日帰りのハイキングでもこんなにのんびりすることはない。衣食住を全て詰め込んだバックパックはほとんど活躍することもなく、1日目を終えることになった。

「東海自然歩道の先はまだまだ長い」

自分にそう言い訳をして電車に飛び乗った。トレイルの起点に友人が住んでいると、その場所はなかなか抜け出せない沼となってしまう。

今回は「高尾沼」とでも名前をつけておこう。

夏の笑顔はキレがいい

高尾沼からなんとか抜け出した僕は、3日目の朝を迎えていた。今いる場所は神奈川県の丹沢北部に位置する焼山の山頂。山頂付近は標高1,000mほどだ。

焼山山頂から関東平野の夜景

ここからは2日ほど歩けば丹沢を抜け、山梨県に入る。天気が良ければ富士山もどこかから顔を出すのだろう。静かな朝の時間もあっという間に終わり、蝉の鳴き声が響き渡る。

丹沢の北部に入ったのは今回が初めてだった。丹沢エリアは避難小屋が点在している。今回歩くトレイルのルートにもいくつかの避難小屋があることを確認していた。朝一に辿り着いた黍殻避難小屋。休憩がてら小屋の様子を見てみたが、綺麗な小屋だった。とはいえ、ここの小屋を利用する人は多くはないのだろう。このエリアはバスや電車でのアクセスが難しいため、登山者は少ないようだ。小屋のテーブルに置かれた登山者ノートに書かれた名前の数も、決して多いとはいえなかった。

左奥に黍殻避難小屋がある

ノートのページを遡ると、知っている名前を見つけた。記入されている日付は8月3日。3週間前に彼はここを通過したのだ。彼も東京から大阪まで東海自然歩道を歩いているハイカーだった。どう考えても追いつけない日数の差。しかも彼はスルーハイクで僕はセクションハイク。どう転んでも交わることのない旅かもしれないが、ノートに書かれた彼のコメントを読んで、同じ旅の中にいることが感じられた。

丹沢の整備された木道

太陽が空高く弧を描き始めると同時に、夏の暑さが押し寄せてきた。まだ午前中にも関わらずシャツは汗まみれになり、いよいよシャツから汗が滴り落ちていった。夏の低山の暑さは只者ではない。このまま1日中稜線歩きとなると水の確保も考えなければならないが、幸いにも一度県道76号線に下りるタイミングで川を横切る。その川に飛び込むしかない。

姫次まで緩やかに登る。標高1,433m。ここが東海自然歩道の最高到達地点となる。なだらかな山頂だったため、気がつけば下山路に差し掛かっていた。

これまでに歩いたロングトレイルでも、最高地点というものはその道を歩くハイカーもみな一応意識はするのだが、それが目的ではないことが多い。僕もあまり気にしていないハイカーのひとりだ。通り過ぎてしまった姫次の山頂に戻ることよりも、早く川に飛び込みたい一心で夏の風を切るように山を駆け下りた。

山頂から1時間も経たずに神ノ川という川に出た。川にかかる橋を通るルートだが、なんとかすれば川辺に出られそうな斜面だったので、迷わずに川辺に向かう。着くなりバックパックを置いて服を脱ぎ、川へダイブする。

神ノ川で水浴び

そこまで水量が多いわけではなかったが、一部川床が深くなっている部分を見つけ水中に潜る。全身の火照りが冷まされていくのがわかる。やっていることはサウナとほとんど同じようなことだ。水から上がり河原で体を休め、同じことを3度繰り返した。完全に整ってしまった。もう歩くのを終えても良いという気分だ。

なかなか離れられない水場

休ませてもらった川辺は名残惜しかったが、トレイルはまだまだ先がある。後ろ髪を引かれる思いではあったが、また川があれば飛び込めばいいさと自分をなだめ、その場所を後にした。

それからというもの、あの気持ち良さをもう一度味わいたい欲が、とめどなく溢れてきた。次の川はどこにあるのかついつい調べてしまう。県道76号から犬越路峠までは沢筋にルートが通っている。期待が膨らんでしまう。

予想通り、いいサイズの沢が流れている

沢に沿って続くトレイル。僕は水辺にしか目が行かなくなっている。飛び込むのにベストな場所を吟味し、もう一度バックパックをおろして服を脱ぎ飛び込む。つい1時間前に同じことをしたばかりなのに、何度飛び込んでも最高に気持ちがいい。

沢登りツアーをする人たち

みんな考えていることは同じなのだろう。沢登りツアーで来ている人たちも何度も飛び込み、弾けるような笑顔を水面に浮かべている。

そんな彼らの笑顔を見て、この表情は夏の笑顔だなと思った。汗臭く、肌はべたつき、川に飛び込み、冷たい飲み物を流し込む。そんな時に出る笑顔は、瞬発力と爆発力がある。一方、寒い日々の笑顔はどこか暖かく、じんわり心が温まるようなものだ。暖かい湯船に浸かった時の笑顔、湯気の立つスープを飲んだ時の笑顔、どれも穏やかな表情が思い浮かぶ。そう考えると、人の表情にも四季のようなものがあるように思えてきた。

夏の笑顔は特別キレがいい。

新しく懐かしいもの

東海自然歩道を歩く旅は僕にとって初めてのこと。ほとんどが訪れたことのない場所。毎日が新しい風景や出来事に出会える旅だ。そう思って旅をしていたが、丹沢を抜け山梨県に入り山中湖村を歩いている時に、なんだか懐かしい感情になった。

お盆休みも過ぎた8月の下旬。山中湖周辺には至る所に学生の姿があった。何かイベントでもあるのかと思いカレンダーを見るが、この日は8月21日の金曜日。何事かと思いながら歩いていると、街中にあるグラウンドから威勢のいい声が聞こえてくる。

ハンドボールの練習風景

なるほど。夏の合宿シーズンなのか。山中湖周辺は標高が1,000mを越えるため、比較的涼しく合宿地として夏は賑わっているのだ。近くの体育館からはバスケットボールの音、テニスコートからはボールを打つラケットの音、なんだか自分が学生の頃を思い出した。

僕はサッカー部に所属していた。高校も大学も強豪と言われる学校の部活だったためか、鍛えるために夏は大阪よりも暑いとされている九州に行った記憶しかない。夏の合宿は本当にきつかった。なぜか監督もいつも以上に迫力があり、檄の飛ばし方も磨きがかかっていたような気がする。

練習場に向かう学生たち

もう20年近く前の出来事なのに、あの頃の記憶が鮮明に蘇ってくる。合宿地のグラウンドの雰囲気、芝生の匂い、合宿ならではの空気感、当時のトレーニングメニュー、夜中まで洗濯をした日々。今となっては全てが懐かしい思い出だ。ついこの間の出来事のように思っていたことも、ずいぶん昔の話だったことに気づく。人はこうやって年を重ねていくんだろう。年を重ねてから人の一生の短さを知る。そんなことを考えていると、やはり「今」という瞬間を大切にしたいなと思う。

山中湖村から少し歩みを進めて辿り着いた大平山。この山頂からみた富士山には雲がかかっていた。あの雲の中にある富士山の山頂にも、過去に3度訪れたことがある。14年前と5年前と今年2026年の7月。

大平山から見える富士山と山中湖

今年の7月の富士山は、まだ懐かしいというほどの感覚はない。懐かしさや思い出になるにはある程度の時間がかかるのだろう。それがどれだけの時間なのかはわからないが、「いつまでも変わらない感覚」と「あの頃と少し違っている感覚」が入り混じる時に、懐かしさが姿を現すのだろう。今日という日もいつかの未来に懐かしいと思える日がやってくるのだ。

まだ始まったばかりの今回の旅だが、日本人が日本国内を歩くという行為は懐かしさと新しさが交差する旅になるような気がする。

ジュンキとの時間

8月24日。奥山温泉キャンプ場で目を覚ました。車中泊していたジュンキ(元山と道スタッフの中村純貴)はすでに1日を始めている。昨日の昼頃、山梨県南部町のJR身延線井出駅で彼と合流した。長い旅の中で友人がふらっと遊びにきてくれるのも、日本人が日本を歩く特権のひとつだ。

「まさるくん、コーヒー飲む?」

「いただくいただく!」

「はいよ」

そう言ってクルマのトランクを開けてコーヒーを淹れてくれた。

昨晩、キャンプ場まで辿り着いた僕たちは土砂降りの中、キャンプ場の炊事場で小さなBBQをした。同世代で同じような感覚で遊び過ごせる友人との時間は、何物にも変え難い。

ジュンキがクルマに積んできてくれた焚き火台でBBQ

夜遅くまでたくさんの話をした。東海自然歩道のことはもちろん、仕事のこと、生活のこと、今の自分のこと。ひとりで歩く毎日だったこともあり、僕の口はよく動いていた。朝のコーヒータイムもその延長戦のようなものになっていた。そんな有意義な時間は、時計の針を早めているのかと思うほど時を進めてしまう。

「さすがにそろそろ出るわ!」

「おけ! 今日はどれぐらい歩く予定?」

「あんまり決めてないけど30kmは歩くかな」

涼しげにそう答えたが、この時僕は少し焦っていた。なぜかというと、今回のセクションは8泊9日で200〜300km進めたらいいかと思っていて、歩く日数で割ると1日20〜30kmの移動距離となるのだが、スタート直後に高尾沼にハマった2日間で30kmしか進めていない。

出発前の撮影

奥山温泉からセクションの終わりとなる静岡県の家山駅まで約100km。26日に歩き終えて東京に移動する予定だったので、実際に1日中歩ける日は、この日と翌日だけだった。家山駅には午前中には到着しておきたいと思うと、今日明日で80kmは進めておきたい。

だが、歩くエリアは夏の低山。足元にはヒルが待ち構え、全身汗だくで山を越え、沢を見つけたら我慢できずに飛び込んでしまう。一定のペースで歩くことが極めて困難な環境なのだ。

ジュンキとお別れをして先を急いだ。

RPG東海自然歩道

奥山温泉から歩き出し、程なくすると静岡県の県境の標識が見えた。11都府県にまたがる東海自然歩道。東京から歩き始めて、神奈川、山梨を経て4つ目の都府県に入る。この道を歩いたハイカーたちは「静岡は結構きつかったよね」と言っていることを思い出した。そのハイカーのほとんどが、春か秋に歩いている。季節が夏となると、その厳しさはそれ以上のものになるだろう。

静岡といえばお茶

好きなところで下山し、街に下りれるなら家山駅でなくても構わないのだが、アクセスがよくない静岡のルートは離脱する場所が限られている。電車の駅でいうなら、ジュンキと合流した井出駅(154km地点)か、目指している家山駅(263km地点)のみ。バスでの離脱も考えてなかったわけではないが、おそらく本数は極めて少ないだろうと思い、あまり当てにしていなかった。

鮎釣りの季節

田代峠を越えると興津川沿いの舗装路をひたすら南下していく。暑い日に川沿いを歩くのはなかなか気が散ってしまう。涼むために川に飛び込みたい気持ちが沸々と湧き上がってくる。その感情を押し殺し、ひたすら歩を進めることしかできなかった。

ここからヒッチハイクで街まで行ってしまうこともできるだろう。だが、ここでその選択をしてしまうと、次回続きを歩きにくるときにアクセスが厄介になってしまう。セクションハイクはそれなりに計画性を持って行動するべきだということを、この時に思い知らされた。結局この日は30kmも移動できず文殊岳まで歩いた。家山駅までの距離は65km。

翌朝、早朝に動き出し、今回最後の食料補給地点である静岡市葵区の牛妻地区を目指した。下界が一望できる場所からは安倍川がゆったりと流れている。そして、今日も憎いほどの青空が広がり、大地に照りつけている。この場所が家山駅のある街ならよかったのにと、本気で思ってしまった。

安倍川とその先の山々が一望できた

安倍川に掛かる曙橋。そのすぐそばに朝6時から営業をしているおでん屋があるという情報が、先をいくハイカーのSNSに投稿されていた。朝食はそこで済ませようと、駆け足で下山した。

おでん屋の名前は「白鳥食堂」。時刻は8時前。さすがに客の姿は見えず、ひとり店内に入ると店主が顔を出してくれた。

「今の時間はおでんしかないよ」

どうやらランチタイムは定食もあるようだ。

「全然大丈夫です」

「じゃあ好きなの取って食べて」

店主が視線を向けた先には、出汁に浸かったクタクタのおでんがあった。どうやらバイキングスタイルで、あとで会計をするシステムらしい。

特製味噌だれをかける静岡おでん

これがまたうまい。正直おでんという食べ物にそこまでの興味はなかったのだが、白鳥食堂のおでんは絶品だ。今後、東海自然歩道を歩くハイカーが僕を訪ねてきたなら、このおでん屋の話は間違いなくするだろう。

「こんな暑い中、山登りかい?」

「そうなんですよ。さっき文殊岳から下りてきて、この後も歩くんです」

「わざわざこんな暑い日に歩かなくてもいいのに」

「そうですよね」

店内に置かれているテレビの天気予報にも、「熱中症警戒アラート」の文字が赤く表示されている。今日に限ったことではないのだろうが、その字面を見たことにより、今日はいつも以上に暑くなるような気分にさせられる。

「家山駅まで行かないと街に出られないんで、歩くしかないんですよね。この辺にバスでも通ってたらいいんですけどね」

「バスなら通ってるよ」

「えっ⁉︎ でも、1日に数本とかでしょ?」

「どうかな。1時間に2本はあるんじゃないかな。ほら今通っていったよ」

店の前を路線バスが通り過ぎていった。

「ここから静岡駅まで結構時間かかるでしょ?」

「バスだったら1時間もかからないんじゃないか」

だめだ。もう歩く気が起こらなくなってきた。どこを見渡してもやめていい理由しか見当たらない。歩くのをやめろということなのか。僕はおでんをおかわりして、もう少し考えることにした。

この先、家山まで約60km。明日の夕方には到着しないと、東京まで行くことが難しくなる。今日も暗くなるまで歩き、明日も早朝から歩き始めれば辿り着けるだろう。だが、果たしてそれは楽しいのだろうか?

このまま続きを歩くとなると、残りの60kmをクリアするだけのハイキングになってしまいそうだ。それならこの食堂をセーブポイントとして、また次回おでんを食べてから歩き始めた方がいいに決まっている。そうだ。間違いない。

白鳥食堂

僕はバスに乗り、静岡市内へ向かうことにした。店主のお父さんも「それがいい」と賛成してくれた。

「RPG東海自然歩道」というゲームがあるとするなら、僕の初めのセーブポイントは「白鳥食堂」となった。

【#2へ続く】

清田勝

清田勝

カフェ&バー『peg. 』店主。 2013年 自転車日本一周/2014年 オーストラリア・ワーキングホリデー/2015〜16年 世界一周/2017年 パシフィッククレストトレイル /2018年 アパラチアントレイル /2019年 コンチネンタルディバイドトレイル/2020年 みちのく潮風トレイル/2022年 太平洋〜日本海/2023年 アリゾナトレイル/2024年 アイスランド。旅や自然から学んだことをSNSやPodcastなど音声メディアを中心に発信。

連載「清田勝トレイルログ」