HIKE / LIFE / COMMUNITY
TOUR 2017 REMINISCENCE
#01帯広 / 岳(日高黒部 etc.)

INTRODUCTION

2017年の6月から10月にかけて、山と道は現代美術のフィールドを中心に幅広い活動を行う豊嶋秀樹と共に、トークイベントとポップアップショップを組み合わせて日本中を駆け巡るツアー『HIKE / LIFE / COMMUNITY』を行いました。

北は北海道から南は鹿児島まで、毎回その土地に所縁のあるゲストスピーカーをお迎えしてお話しを伺い、地元のハイカーやお客様と交流した『HIKE / LIFE / COMMUNITY』とは、いったい何だったのか? 今回から始まるこの『HIKE / LIFE / COMMUNITY TOUR 2017 REMINISCENCE(=回想録)』で、各会場のゲストスピーカーの方々に豊嶋秀樹が収録していたインタビューを通じて振り返っていきます。

第1回目は、帯広のHOTEL NUPKAと札幌のSALTの2会場でゲストスピーカーを勤めていただいた岳(がく)さん。帯広をベースに渓流釣りをはじめとした幅広いアクティビティを楽しみつつDJとしても活動し、「山と道北海道支部」を自称する謎めいた人物の人生と哲学に迫ります。

はじめに:
HIKE / LIFE / COMMUNITY TOUR 2017 REMINISCENCEのための覚え書き

豊嶋秀樹(HIKE / LIFE / COMMNITY プロジェクトリーダー)

僕と夏目くんたち家族と山と道のチームは、2017 年の初夏から秋にかけて日本全国を巡る旅に出た。

「ハイク」「ライフ」「コミュニティー」という三つのキーワードを手がかりにした旅は、北海道から九州までの23ヶ所をまわることになった。

旅に出た理由は、少し回りくどく聞こえるかもしれないが、こういうことだった。

僕と夏目くんは、山を歩きながらいろんな話をするけれど、その中でふたりの間で繰り返し出てくる話題があった。それは、自分たちが好きな「ハイク」というものが単なる遊びを超えて、自分たちの「ライフ(暮らしや営み、生活そして人生)」や「コミュニティー」といったものと大きく影響しあっているのではないか、という話だった。

「ハイク」は日常からは切り離された非日常ではなく、僕たちの「ライフ」や「コミュニティー」と地続きの日常そのものだし、そうありたい。裏を返すと、「コミュニティー」の存在しないところに人々の「ライフ」は活きてこないと思うし、「ライフ」のないところに「ハイク」なんてそもそも存在できないということでもあった。

僕たちは、そんな切っても切れない「ハイク」と「ライフ」と「コミュニティー」の関係を、 バラバラなものとしてではなく循環的に捉え、より豊かなものとしていきたいと話した。そして、それは山と道のこれから向かう方向にも合致することだった。

旅の目的地では、イベントを開催した。それぞれの土地を拠点にしている方々にゲストとなっていただき、ハイクや生活、仕事、その他いろんな話を聞かせてもらった。僕たちも僕らのハイクや考えについての話をした。会場に集まってくれた参加者の方々にもたくさん知り合えた。山と道のポップアップショップも併設し、お客さんに道具を見てもらいながら山と道のことを伝えた。

そして、「ハイク」「ライフ」「コミュニティー」という三つのキーワードは、旅の終わりには 「ハイクライフコミュニティー」という新しいひとつの繋がった言葉になったような気がした。

すこし時間のたったいま、僕たちの旅を振り返ってみたいと思う。今度は、ローカルのゲストとして参加してくれた方々の言葉を頼りに新しい地図を広げてみたいと思う。そこには、僕たちが次に向かうべき目的地へのヒントがいくつも散りばめられているはずだ。

帯広へ

帯広を訪ねるのは初めてだった。

数年前、仕事があった知床斜里から札幌への帰り道に、鹿追に住む友人宅を訪ねたことはあったが、その時にも帯広へは立ち寄らずじまいだった。

苫小牧でフェリーを降りた僕は、そのまま帯広へと向かった。初夏の北海道の風景を楽しむように、すこしクルマをゆっくり走らせた。カーブを曲がるたびに、遠くに山並みが見え隠れするようになってきた。左手には夕張山地、右手に日高山脈と思われる山並みが見えた。遥か遠くには、大雪山系の山だろうか、ひときわ高い峰が確認できた。クルマが十勝川を渡ると帯広の街並みが始まった。

岳さんは、とにかく引き出しの多い人だ。それは彼の名前の横に並んだたくさんの肩書きからも見てとれる。そして、その肩書きはすこし怪しい匂いがする。「ああ、岳さんって人は少々こだわりのある人なんだな」 まだ岳さんに会う前に、僕は事前情報からそんな印象を持った。 実際の岳さんは、確かにこだわりのある人だった。でもそれは、ずいぶんと洗練されたものだった。

岳さんとは、まだ会う前に少しメールでやり取りしたことがあった。僕はテレマークスキーをやるために、冬は羊蹄山の麓の村に滞在しているのだが、「大雪山系もいいところがたくさんあるから、ぜひ滑りに来てください」と岳さんはメッセージをくれていた。「岳さんにもぜ ひ会ってください!」と、夏目くんが僕たちを繋いでくれたのだった。でも、結局、僕も北海道へ来てしまうと羊蹄山を滑るのに忙しくしてしまい、行きたいなとは思いながら実現できずにいた。

実際に会ったのは、今回のHIKE/LIFE/COMMUNITYのイベントの前日のことだった。僕たちは、イベントにローカルのゲストを迎えて、一緒に話してもらいたいと考えていて、岳さんにそのゲストスピーカーのひとりになってもらったのだ。その事前打ち合わせもあって、会場 となるホテルのバーコーナーで話したのが最初だった。スーツ姿でビシッと決めた岳さんが颯爽と現れたときにはすこしびっくりしたけれど、その容姿とは裏腹にとても人懐っこい気さくな人で、安心したことを覚えている。

十勝とヒップホップ

待ち合わせ場所の道の駅に時間ちょうどに到着すると、軍用車のように大きなイギリス製の黒い4輪駆動車の脇に、スリーピースのスーツを着て、黒いサングラスをかけた、すらっと背の高い男性が立っていた。岳さんだった。クルマや岳さんの佇まいは、イベントごとが開催されているせいで子供達で賑わっている平和な道の駅には少々威圧感があったけど、その明らか に不釣り合いな感じになぜか好感が持てた。

僕たちは、外の席に座った。初夏の北海道らしい爽やかで気持ちのよい日だった。

「音楽はいまでもやっていて、先日も函館でDJやったところです。レコードも変わらず掘っ てるし、それは生涯終わらないだろうと思います。一生かかってもこの世の中にある全部を音 楽を聞くことはできないので」

濃い色のサングラスをかけたまま岳さんはそう言った。

僕は、岳さんの肩書きにある音楽の部分の話から聞きたいと思っていた。なぜなら、最初に学さんと話したときに出てきた「音楽」や「アメリカ」、それにローカル な「十勝」という出身地と、「アウトドア」みたいなキーワードは、実は岳さんの中でそれぞれが離れず繋がっているような印象を受けていたからだ。

「DJをやり始めたのは、ちょうど第2次のDJブームが到来した頃です。ヒップホップ世代で、 ディスコからクラブになった時代ですね。まさにそれが高校生の時でした。よくわかんないけ ど、かっこいいからやってみたいっていうことで、帯広でやり始めたんです」

こう言っては失礼だけど、ヒップホップのDJが好むようなレコード店が帯広にあるように思えなかった。音源はどうやって手に入れていたんだろう。

「音源は、渋谷の宇田川町界隈のレコード屋から。ストアのアカウント持ってたんですよ、高校生で。ようするに仕入れとして卸値で買わせてもらってたんです。もちろん渋谷までは通えないので通販で、試聴は電話。電話口で聞かせてくれるんですよ。先輩たちのぶんも含めて毎週50枚から100枚くらい買ってました。帯広のクラブで高校生のその時すでにレギュラー持ってました」

そう言って、岳さんは笑った。 ずいぶんとませた高校生だったようだ。

「ヒップホップがただ単純におもしろかった。理論だけではどうしても言い表せない音楽ですね。最初はわからなかったですけど、やがてリリックの意味を理解し始めると、『こいつら こんなこと思ってやってるんだな』って衝撃を受けました。『俺らは十勝でのんびり豊かな暮 らしをしてるけど、ゲットーは大変だな』って。こことは真逆の世界ですよね。経済的にも、 文化的にも。自分たちにないもの、真逆だからこそ、そういったものに惹かれていった。それがおもしろいなって」

たしかに、こうやって話を聞きながら見渡すのどかな風景と、ニューヨークの下町の黒人たちのヒップホップの世界は、ずいぶんとかけ離れているように思えた。そして、ここにいながらにしてニューヨークの下町へと意識を飛ばせる想像力も実際の距離以上にすごいなと僕は思った。

それくらいに十勝とヒップホップは遠い存在に映った。

朝4時のエルメスのネクタイ

高校を卒業した岳さんは、のめり込んでいったヒップホップにもっと近いところに身を置きたくてアメリカを目指した。

「親のすねをかじって、留学という名目でアメリカに行きました。実際は、ほとんど勉強しないで、生活を切り詰めてひたすらレコードを買ってました。昼食は1ドルのホットドック、夜 食は50セントのウエハース、飲み物は水のみ」

何をやるにしても極端なタイプだということはだいたい分かった。親のすねはかじっていても、その食生活は十分にヒップホップ的な気がする。僕の偏見かもしれないけれど。

「やがてビートや音も作るようになってきたんですが、ものづくりって何でもそうですけど 時間かかりますよね。僕って、結構せっかちな方だと思うので、プロデュースの方が多くなっていったんですよね。そういうなかで、21歳の時にレーベル作って、それからいろんなニュー ヨークのアーティストを発掘して日本に売り込んだり、逆に日本のアーティストを東海岸でディストリビューションするっていう仕事をやリ始めたんです。そんなに知られてないんですけど、90年代までは、ヒップホップってCDも含めてレコードの売上の70%くらいが日本なんですよ。だから、日本人がのめり込まなかったら、あの文化はそこまで発達しなかったと思います」

やがて、岳さんはその存在と活動を現地でも知られるようになっていった。同時に日本のシーンでも、『GAK』っていう変なのがいるよっていう噂が広まりつつあった。そして、2001年のアメリカ同時多発テロを機に、岳さんは日本へ帰ってきた。

最初は東京へとも考えたそうだが、子供ができたことがわかって、子育ての環境を優先して十勝へ戻ってくることになった。戻ってからは、いまは亡きおじいさんについて家業の勉強をした。おじいさんと一緒に営業まわりをした話が面白かった。

「朝4時にエルメスのネクタイとかを持っていくんですよ。それが、うちのじいさんの営業スタイル。起き抜けの先方はまだステテコ履いてるのにエルメスのネクタイ持っていく。朝駆け、 夜駆け、あえてわかってて失礼な時間に行くんです。まぁ、インパクトが強すぎて、効果はあったみたい。勉強させてもらいました」

必殺技を投げ捨てる

十勝へ戻ってすぐに始めたことがもうひとつあった。釣りの再開だった。岳さんの釣りにまつわる話は、ぜひ、プレゼンテーションの動画を見ていただきたい。オリジナルスタイルでの釣りの話とともに信じられないような大きなヤマメの姿を見ることができる。

岳さんの話を聞いていると、「肩書にあるいろんなものがサンプリングされたり、リミックスされて岳さんのスタイルを作っているんだな」と、ふとそんな風に思った。つまり、ひとつひとつの肩書きについての話は聞けばなるほどと納得できる感じだが、本来はバラバラでか 離れているそれぞれの事柄を並列的に扱ったり、同時に行ったりすることで岳さんのオリジナルのスタイルができあがっている。または、もともとあるいくつかの方法をミックスして新しい作法を生み出しているとも言える。それが、単に新しいスタイルを作りたくてやっているということではなく、「源流でモンスタークラスのヤマメを釣るため」というような、はっきりとした目的に対するアプローチとして必然的なスタイルだというところが腑に落ちる。

すでにある道を極めていくというよりは、横に展開していくという感覚だろうか。広がっては凝縮され、新しい何かとして再び構築されていく。僕は、岳さんの音楽やDJは実際には聞いたことはないが、岳さんの並べ立てられた肩書きと同じように、きっとそういう方法論の上に成り立っているんじゃないかと思った。

「一番得意としているものを捨てるっていうのは、次のステージに行くためにはすごく大事だと思ってます。自分の十八番や必殺技のようなものを投げ捨てて、まったく違うことをやって、また戻っていく。概念としてはスクラップ・アンド・ビルドですね。そうやっていくと、 少しずつ独自のものができていく。山も音楽もそうですね」

必殺技は一度捨てると、ブラッシュアップされたものとして再び威力を発揮する。僕は、岳さんの話に頷いた。

「誰でも既に持っているものをすごく大事にする傾向にありますよね。美化しちゃうってい うか。そうじゃなくて、あえてそれをぶん投げちゃって何か別のことをやったとしても、結局 自分っぽさって出てきちゃいますからね。」

すべては天気の采配

まさにDJ的な考え方だなと思った。そんな感覚の人生の中で、仕事や生活のバランスを岳さんはどう捉えているんだろう。

「根本的に誰にとっても平等な条件がふたつあります。ひとつ目は、時間。ふたつ目は天気です。みんなそのなかで何をやるかだと思うんですよ。僕の場合は、昨晩は寝たの3時で、今朝 は6時に起きて仕事してます。そういう時間の使い方してます。それから、活動する場所がどこかではなくて、やっている内容だなっていつも思っていて、それは音楽でもそうですし、アウトドアでもそうです。都会のど真ん中でも、例えば目黒川で釣りをするような馬鹿げたようなことでも、それも釣りだし素晴らしい探求だと思う。釣りの聖地と呼ばれる日高ではなくても、 全て同じ釣りです。そういったところに、おもしろみをいかに見いだせるのかってことだと思うんです。」

僕は、自分の活動に、これは仕事、これは遊びというような区分けはあるのかきいてみた。

「ないです」 岳さんは、きっぱりと答えた。

「でも、『ライフ・ワーク・バランス』とかそういうんじゃなくて、天気に合わせてやってます。天気だけは、いかに文明が発達しても、権力を持とうが、金を持とうが変えられない。 それに自分の時間を合わせて従うのみって感じですね。逆は無理ですから」

すべては天気の采配。その潔さは心地良かった。もちろん、あらかじめ予定を立てて山に入ることもあるだろう。しかし、たとえ予定していたことだったとしても、この天気で今日何をするべきなのか、そこでどういう行動を取るのかを判断する力が最大のリスクヘッジとなることは誰でも知っている。しかし、岳さんの言っていることは、もう少し突っ込んだ姿勢を感じさせる。

いつやってくるかわからない「その日」のために常に動けるようにしておく。「あの魚 を釣るには、この季節のこの天気だ」という逃すことのできない日がきっとあるだろう。ついにその日がやってきた、でも他に予定があって釣りに行けない、それは魚の知ったことではない。それが良いとか悪いとかということではなく、事実として、「いやー、すみません。今日、 どうしても動かせない仕事が入ってましてー」という話は魚に聞いてはもらえない。僕はその試合に不戦敗するだけだ。

少し大げさに聞こえるかもしれないけれど、これは、ある気持ちの良い小春日和にお弁当を持ってピクニックに出かけるのも同じことだと思う。僕が、気持ちの良い小春日和にお弁当を持ってピクニックへ出かけられるライフスタイルを持っていなければ、それは実現しないのだ。

岳さんは、今から釣りをするという沢の入渓ポイントへ僕を案内してくれた。黒ずくめのウェアと装備に身を包んだ岳さんは、すばやくルアーを投げながら沢を釣り上がっていった。僕はしばらく眺めていた。緑が眩しい美しい沢だった。岳さんは遠くの方で僕に手をあげると、 ヒョイと岩を飛び越えて見えなくなった。釣竿を持った忍者みたいだった。

僕は、車を停めたところへと戻り、もと来た道を帯広へと向かった。帯広ではもうひとり、 『オトプケニット』の清瀬惠子さんに会うことになっていた。僕は、窓を開け放しにして車を走らせた。初夏の北海道のキラキラとした爽やかな風がクルマの中いっぱいに吹き込んできた。

【#2に続く】

2017年6月30日 帯広HOTEL NUPUKA

岳『山と道と黒と鱒』

山と道と出会うきっかけとなった、1つのカスタムバックパック。そして、全身黒装束で山を駆け巡る日高黒部。「なぜ黒いのか?」源流釣という古典的な鱒釣りの嗜みに新たなスタイルを持ち込んだ、その確信に迫ります。

2017年7月9日 札幌:FLHQ

岳『ウルトラライトとタクティカルの融合』

なぜウルトラライトという、快適性と相反する装備を選択するのか?かつては数々の生死をかけた山行/釣行を繰り返すことによって導き出した、北海道の大自然の中でいかなる状況においても生き残る為の戦術を、FLHQの誕生秘話も交えてお届けします。

岳(日高黒部 / 山と道北海道支部 / FLHQ / Anglo & Company / VECTOR GLIDE / Jazzy Sport Expeditions)

1979年音更町生まれ。青年期をアメリカのPhiladelpia と Brooklyn にて過ごす。前職は DJ・プロデューサー、現職は建設会社役員。故郷の十勝帯広に戻り、幼少期から続けていた渓流釣りを本格的に行い、主に北海道の深山幽谷をフィールドとして幻といわれる魚を追い求め続ける。季節を問わず全身黒装束で山に入る「黒部」としてそのスタイルを確立、山と道をはじめ様々なドメスティックメーカーのプロダクトテスターやアドバイザーを行う。

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  • 豊嶋秀樹

    豊嶋秀樹

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    作品制作、空間構成、キュレーション、イベント企画などジャンル横断的な表現活動を行いつつ、現在はgm projectsのメンバーとして活動中。 山と道とは共同プロジェクトである『ハイクローグ』を制作し、九州の仲間と活動する『ハッピーハイカーズ』の発起人でもある。 ハイクのほか、テレマークスキーやクライミングにも夢中になっている。 ベジタリアンゆえ南インド料理にハマり、ミールス皿になるバナナの葉の栽培を趣味にしている。 妻と二人で福岡在住(あまりいませんが)。 『HIKE / LIFE / COMMUNITY』プロジェクトリーダー。

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