HIKE / LIFE / COMMUNITY TOUR 2017 REMINISCENCE #09 菊地省三 (1988 CAFE SHOZO)

2018.09.03

INTRODUCTION

2017年の6月から10月にかけて、山と道は現代美術のフィールドを中心に幅広い活動を行う豊嶋秀樹と共に、トークイベントとポップアップショップを組み合わせて日本中を駆け巡るツアー『HIKE / LIFE / COMMUNITY』を行いました。

北は北海道から南は鹿児島まで、毎回その土地に所縁のあるゲストスピーカーをお迎えしてお話しを伺い、地元のハイカーやお客様と交流した『HIKE / LIFE / COMMUNITY』とは、いったい何だったのか? この『HIKE / LIFE / COMMUNITY TOUR 2017 REMINISCENCE(=回想録)』で、各会場のゲストスピーカーの方々に豊嶋秀樹が収録していたインタビューを通じて振り返っていきます。

第9回のゲストは、栃木県那須の黒磯で『1988 CAFE SHOZO』を営む菊地省三さん。『CAFE SHOZO』始めいくつもの店を作り、黒磯を旅人の目的地に変えてきた菊地さんが歩んできた旅と人生とは?

目的が見つからない

東北自動車道を南下して栃木県の那須へ向かっていた。 空は重々しくどんよりとした暑い雲に覆われていて、時折、強い雨が降っている。 僕にとって那須は馴染みのある場所だった。 これまでに那須で行われたいくつかのプロジェクトに関わってきたからだ。その中でも、黒磯にあるSHOZO CAFEは特別だった。

SHOZO CAFEは、今回のゲストスピーカーとなっていただく菊地省三さんのカフェだ。 30年前に故郷である黒磯に一軒のカフェを始めた省三さんは、その後、同じ通り沿いに次々と色々なお店を立ち上げ、今では素敵なお店の点在する旅の目的地となっている。

僕は、久しぶりに省三さんに会えることをとても嬉しく思っていたけど、同時に少し緊張もしていた。 省三さんには、過去に何度かトークイベントの話し手やワークショップの講師をお願いしたことがあったが、 その度に断られていた。それが今回は、僕のしつこさが面倒になったのか、省三さんはゲストスピーカーとして話すことを引き受けてくれたのだった。SHOZO CAFEに到着すると、また少し店やあたりの雰囲気が変わっているように思えた。

「結局、目的ってわからない。」 省三さんは、優しく、はっきりとそう言った。

「若い頃はそういうことを一生懸命考えていたんです。『目的は何なんだろう?』って。でも結局、わからない。目的を見つけたくて苦しんでるんですよ。そのうちに、目的が見つからないので、しょうがないから目標を作ろうと思ったんですよ。目標は実現可能なところに設定できるから、それに向かってやることで自分の時間も充実させることができるし、人も幸せにできるし、どこかに向かっていけるじゃないですか。そうすると、自分もがんばれるし、一緒にいるみんなもがんばれる。その目標をクリアしたら、また近場にある目標を設定する。そうすると、また楽しい時間につながっていく。僕の場合は、それの繰り返しをしてるんですよね。本当は、 目的を知りたいんですけど、それをやってても進まないし、進まないと辛くなってきますからね。」

省三さんの話はそのまま、このSHOZO CAFEのある通りの歴史にも当てはまるように思えた。 僕が知っているこの10年くらいの間だけでも、その通りは随分と色々と変化していて、来るたびに表情が変わっていった。それは、SHOZO CAFEの一部が改装されている場合もあれば、隣の店が向かいに移って、向かいの店がこっちにやってきてというふうに、パズルのピースが入れ替わっていくようでもあった。省三さんは、楽しそうに「あれがこうなって、するとこれがああなって」と、通りを指差しながらこれまでの経過を説明してくれた。それは、あらかじめ全ての計画を立ててからそれに従って実行していく開発事業のようなものとは 全く逆の方法に思える。省三さんと仲間たちがひとつひとつやってきたことの事実が積み重なり、結果的に現在はこういうことになっているという、終わりのない途中経過の連なりでできた風景に見えた。

写真提供:菊地省三

40歳くらいで死ぬと思ってた

「自分の力の範囲で積み重ねているだけから。まあ、めちゃくちゃなところもあるけれど、誰がやりたいと思っているのかわからない物語を最初に作って、そこにモノを乗っけていくようなやり方とは違いますよね。」

個人の気持ちがベースにあって、そこに人が集まってきて街を作っている。計画ではなく、気持ちが街を作っている。

「でもね、すごく焦って、急いでやってきたんですよ。」

まったくそういうふうには見えなかったので、僕は少し驚いた。

「たった1回の人生だからどうやったらワクワクしていられるのか、充実した時間を過ごせるのかって。若いときから人生は短いって思っていたから、何もしないで終わるのは嫌だったんですよ。40歳くらいで死ぬのではないかって思ってて、やれることはなるべく早くやろうって。そう思って旅したりしてね。」

僕は、昨日の省三さんのトークイベントが、高校3年生の17歳の時にバイクで旅に出たところから始まったことを思い出した。他の旅人が飛騨高山の喫茶店で、「昔、俺もこうしてもらった、その恩返しだ」と言って食事をご馳走してくれたというエピソードが印象的だった。

「やっぱり悩んだんですよ。『なんだろう、このモヤモヤするすっきりしない感じは。自分は、何を求めてるんだろう』って。でも、そのうちにモヤモヤしてる時間自体が嫌だと思い始めたんですよ。周りのみんなもモヤモヤして苦しんでた。一生懸命生きてるからみんな悩んでいたんでしょうね。」

意外に思えるが、その後、省三さんは海上自衛隊へ入隊した。船に乗り込んでいろんな世界を見れば、何かやりたいことが見つかるだろうと思ったが、結局は、団体行動は向いていないということがわかっただけだった。 そして、自分を満足させるためには、自分で何かしなければと薄々感じ始めたという。

「長い時間考えていれば、自分のやりたいことが訪れるんだろうと思ってた。でも訪れないんですよ。訪れないままに時間が流れていって、そのことに馴染んでいって、それで納得することも大事なことかもしれない。でも、自分はそういう方向に行きたくなかったから、スパっと何かを決めるしかないって思ったんです。そして、とにかく店をやるって決めた瞬間にモヤモヤから抜けれた。それでわかったんです、決めることが大事なんだって。」

決めることが大事だという言葉は、最初の話と繋がって、僕にはとても納得がいった。目標を決めて、ひとつひとつやっていくというやり方の始まりがここにあるのだと思った。

自分から始まるできごと

「自分で店をするって決めたけど、資金も能力もないし、ただ田舎から出てきただけだからどうしていいか想像がつかなかった。コーヒーが好きで喫茶店をやろうと思ったんじゃないんですよ。ある意味では何の店でも良かったんだと思う。アーティストでもないし、物書きでもないし、どうしたら自分を表現できるんだろうって思った。でも、とにかく、自分から始まるできごとじゃないと満足感は生まれないのかなって思えて。じゃあ、自分が旅の先々で訪ねるのが好きだった喫茶店をやろうってことになったんですよ。」

「自分から始まるできごと」という省三さんの言葉に、強い覚悟のようなものを感じて僕はハッとした。結果がどうなったとしても、自分で決めてやったことならば納得がいくだろう。でも、それは、自由であると同時に、責任も自分で引き受けるということを意味しているからだ。それを自分の故郷でやるとなると、 助けられることもたくさんあるだろうが、逃げも隠れもできない場所でもあったはずだった。

喫茶店をやろうと決めた省三さんは、あまりにも自分の経験が足りていないと感じ、もっといろんなものを見ようと、今度は北海道へバイクで向かった。無人駅で寝泊まりしていると、近くに住むおばさんたちが省三さんを自分たちの息子の姿と重ねて良くしてくれたという。そうした、旅先の人の恩が省三さんの喫茶店にひとつの方向を与えてくれたに違いない。

「田舎者の自分が都会に出て、ある喫茶店の狭い片隅に座ったとき、やけに安心する感じがしたんですよね。そういう旅人たちが行きたい店を作ってあげられたらいいなって思いました。そのためにはおいしいコーヒーが必要だな、コーヒーをおいしく飲んでもらうためには、おいしいケーキがなくちゃダメだなとか。すごい店をやりたいわけじゃなくて、ただ、自分の店を作ってみたかった。」

ここに来る人はみんな旅人


SHOZO CAFEに繰り返し訪れるお客さんは、コーヒーやケーキのおいしさもさることながら、お店の雰囲気にも惹きつけられているのだろう。お店の全体の内装から些細なディテールに至るまで、「SHOZOスタイル」と呼んでもいいと思える一貫した美意識がある。

「お金がなかったんですよ。人に迷惑かけないで自分の力でお店を作ろうとしたら、あるものを利用するって方法になる。ただ、うちは農家だったんで、親を見ていると、新しいものを買ってこないで、あるものを利用して自分で小屋を作ったり、壊れたものを利用して違うものを作ったりするんですよ。そういうのを一生懸命やってる姿を見てきてるから身についてるんですよね。与えられた環境で最善を尽くす。その中でいちばんいい状態になればいいっていつも思っています。人から見たらゴミだったりするけど、僕らから見ると宝物なんですよ。」

省三さんは、そんな感じで、30年間の間ずっと、「ここをこうしよう」「あそこはこうなったらいいな」とか思いながら、廃材のようなものを集めては大切に空間を育てているんだろう。その姿は、僕に、森の小動物が小枝や枯葉を集めてせっせと巣作りをしている様子を思い起こさせた。失礼かもしれないなと思って、僕はそのことは黙っておいた。

「本当は何百年もの歴史があるような町のほうがいいなって思ったりするけど、そういう町で店を始めたところで、本当に自分が満足するのかわからない。どこでやったとしても、10年やれば10年の歴史はできるし、 木はそんなにいっぺんに大きくならないし、やれることからかなって思います。そして、ここを旅人が来るような町にしたいなって思っています。旅人が来るっていうだけでうれしいですよね。そんな町、そんなお店にしたい。」

旅という言葉は不思議な力を持っている。旅と口にするだけで、僕たちの心はここではないどこかを歩いている。省三さんの話を聴きながら、僕はどこかに旅に出ているような気分になっていた。

「ただ、僕の言う旅人って、遠くから来る人ばっかりじゃないんですよ。この町の人でも、隣町の人でも、例えば休みの日に、『そうだ、喫茶店に行こう、SHOZO CAFEに行こう』って思っただけで、そこから少しだけ楽しい時間が始まるでしょう。その瞬間にその人にとっての旅が始まる。僕にとっての旅ってそういうものなんですよ。だから、ここに来る人はみんな旅人だと思っています。自分の時間をそこで過ごせる、小さな旅です。」

表に出ると、雲はすっかりどこかに行ってしまって、遠くまで夏空が広がっていた。 省三さんは、明日はお店の定休日で久しぶりにスタッフのみんなで尾瀬に行くんだと教えてくれた。 僕も、ちょうどこの後の行き先が群馬なので、燧ヶ岳に登って尾瀬を歩いてから行こうと思っていた。 「もしかすると尾瀬で会えるかもしれませんね」と話して、僕たちは別れた。

翌日、僕は計画どおり燧ヶ岳に登った。 山頂からは眼下に尾瀬沼が見下ろせた。省三さんたちはもう到着しているだろうか。 僕は、本当に合流できたら楽しいなと思いながら尾瀬沼の方へ駆け下りた。 そして、僕は本当に省三さんたちのグループと長蔵小屋のあたりで出会うことができた。 今から尾瀬沼のほとりでコーヒーを淹れてみんなで飲むところだという。 僕も、そこに混ぜてもらって、コーヒーをご馳走になった。
スタッフのみんなも楽しそうだった。 バスの時間があったので、僕は、省三さんたちにお礼を言って出発することにした。 省三さんが手を振って見送ってくれた。 湿原の中を折れ曲りながら続く木道の両側には、見頃のニッコウキスゲが黄色い花を咲かせて見事だった。こうして、出会いと別れを繰り返しながら次の目的地へ向かうというのもまさに旅だなと思いながら、僕は、 気持ちの良い尾瀬の風景の中を歩いていった。

『1988 CAFE SHOZOのできるまで』

菊地省三

1960 年栃木県生まれ。里山の農家の三男坊に生まれ、野山に囲まれて結構自由に育つ。 小学生の頃より、放浪、さすらい、自由という言葉に憧れながら大人になる。 どうすれば充実した時間を過ごせるのかと悩みつつ、一つの答えとして、1988 年、「1988 CAFE SHOZO」を開店、現在に至る。 美味しいコーヒーを飲むための風景を探しながら、野山に入ったり、バイクに乗るのが好き。

豊嶋秀樹
豊嶋秀樹
作品制作、空間構成、キュレーション、イベント企画などジャンル横断的な表現活動を行いつつ、現在はgm projectsのメンバーとして活動中。 山と道とは共同プロジェクトである『ハイクローグ』を制作し、九州の仲間と活動する『ハッピーハイカーズ』の発起人でもある。 ハイクのほか、テレマークスキーやクライミングにも夢中になっている。 ベジタリアンゆえ南インド料理にハマり、ミールス皿になるバナナの葉の栽培を趣味にしている。 妻と二人で福岡在住(あまりいませんが)。 『HIKE / LIFE / COMMUNITY』プロジェクトリーダー。
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