山と道

【暑くて臭くて底抜けに笑うアパラチアン・トレイル】

暑くて臭くて
底抜けに笑う
アパラチアン・トレイル#8(最終回)

アメリカ東部のアパラチアン山脈沿いに3500kmに渡って伸びるアパラチアン・トレイル(AT)は、「トリプルクラウン」と呼ばれるアメリカ3大ロングトレイルのひとつにして最も長い歴史を持ち、また最も多くの人が歩く、まさに「ロングトレイルの中のロングトレイル」とも呼べる存在です。

2019年、イラストレーターにしてロングディスタンスハイカーのトレイルネーム「スケッチ」こと河戸良佑さんが、彼にとって「トリプルクラウン」最後の1本となるATに挑んだ5ヶ月の旅の模様を綴ったこの連載も、今回でついに終着点にたどり着きます。

総距離10000km以上、アメリカを歩いて3回も縦断するという途方もない旅路の果てに、彼が見つけたものとは……? ともあれ、ご安心ください。ここまで読んでくれた方ならご存知の通り、今回の旅も最後までスケッチはスケッチのままですから。

実はこの投稿が公開される現在(2022年4月)も、アメリカのどこかを歩いているスケッチ。彼の次の表現にも大いに期待したいところですが、まずは毎回素晴らしい記事をありがとう。本当にお疲れ様でした!

これまでの連載一覧

文/イラスト/写真:河戸良佑

逃避行の終わりを告げる夏祭り

2019年9月11日、僕はメイン州の小さな田舎町、モンスーンにあるショーズ・ハイカー・ホステルに宿泊していた。ホステルはスルーハイカーたちで溢れ、彼らの熱気で祭りのような空気を纏っていた。

アパラチアン・トレイルは残すところハンドレッドマイル・ウィルダネスとバックスター州立公園内のカタディン山のみで、ジョージア州のスプリンガーマウンテンから歩き始めて実に5ヶ月近く経っていた。

  • これから出発するハイカーたちの集合写真に紛れ込む。

  • 1部屋に6台のベッドが並ぶ相部屋ドミトリー。女性ハイカーのスペイシーは誰にでも陽気に話しかけてくれるが、話がとても長い。

  • 宿代を受かせるための雑用として食事を運ぶビリー・ザ・キッド。彼とはすでに2ヶ月前に出会っていた。

ショーズ・ハイカー・ホステルは広大な土地にハイカー宿泊用に3軒の宿泊棟とオーナー家族の住む一軒家が建っている。メインは2階建でその1階には多くのハイカーに食事を提供するための大きな厨房とダイニングがある。

宿泊して2日目の朝、ドミトリー(相部屋)のベッドでスマートフォンで映画を見るのをやめ、ダイニングに行くと、すでに5人のハイカーが席に座りパンケーキを食べながら談笑をしていた。朝食を受け取りに厨房へ行くと業務用の大きな鉄板でオーナーのショーがパンケーキを焼き、その横で妻のヒッピーチックが大量のポテトを炒めている。

「スケッチ! 卵の焼き具合はどうする?」

ショーが僕に大きな声で聞いた。

「オーバーイージー(両面焼きの半熟目玉焼き)でお願い!」

こちらも大きな声で返す。色々と大雑把な国のアメリカだが、ベーコンと卵の焼き方に関しては妙にこだわるのが不思議でならない。

「スケッチ! おはよう!」

声がした厨房の奥を覗くと、2017年にコンチネンタル・ディバイド・トレイルで出会った友人のシュウェップスが盛り付けをしていていた。実は彼はこの年に2度目のアパラチアン・トレイルをすでに踏破し終えていて、シーズンが終わるまでもともと付き合いが長いショーのホステルの手伝いをする予定らしい。

そして、実は僕もショーの家族とはここで初対面ではなかった。4ヶ月前にバージニア州ダマスカスで催されていたハイカーの祭典トレイル・デイズに参加した際にシュウェップスの紹介で彼らと出会っており、彼らの大規模な炊き出しを手伝っていたのだ。

  • トレイル・デイズでの大規模な炊き出し。ショー家族は毎年炊き出しを行なっている。

  • コンチネンタル・ディバイド・トレイルでのシュウェップス。彼とは長い時間を共に過ごした。

そういう理由で彼らは僕をディナーに招いたりと親しく接してくれていた。ダイニングを見渡すとポニーテールのプリモが眠たそうな顔で座っていた。僕は向かいに腰を下ろす。

「おはよう。眠そうな顔してるね。」

「昨日の夜に騒ぎすぎちゃってさ。」

「二日酔い?」

「まぁそんな感じ。」

彼女は依然と眠たそうにしていたので、僕がひとりでスマートフォンを見ながら時間を潰していると、ショーがやってきて、テーブルにプレートを置いた。そこに盛られたパンケーキを見て僕は驚いた。パンケーキが15枚ほど積まれてタワーになっていたからだ。

「これは一体?」

「うちのホステル名物パンケーキ・ケルンさ! さぁスケッチ! 全部君のものだ!」

ショーは笑いながら去り、それを眺めていたハイカーたちも一斉に笑う。僕は少し恥ずかしさを覚え、照れながらパンケーキのケルンを崩していった。

  • ショーズ・ハイカー・ホステル名物のパンケーキ・ケルン。味はうまいがひとりではとても食べきれない。

  • 庭でくつろぐハイカーたち。ここにいると到着するハイカーと出発するハイカーを眺めることができる。

結局、プリモに手伝ってもらってどうにか平らげ、僕はパンパンになった腹をさすりながら外へ出た。建物がコの字形に立ち並んだゲストハウスの中央の庭には椅子とテーブルが設置され、とくにやることがないハイカーたちがのんびりと過ごしていた。

テーブルの横に誰かが放置したアフリカの太鼓ジャンベがあったので、僕はそれを股に挟み無心で下手くそなリズムを刻み続けた。すると、スペイン人のウェットフェザーがどこからかギターを持ってきて、ジャカジャカと鳴らし始める。お世辞にも上手とは言えないが情熱の国の血が騒ぐのだろうか、咆哮しながら感情的な演奏をしている。

すると今度はニューヨーク州育ちのソーマが奇怪な楽器を持って現れた。150センチほどの棒の中央にタンバリンが取りつけられており、そこから棒の先端まで弦が張ってある。彼はタンバリンを叩きながら棒を地面に叩きつけてシンバルを鳴らし、その合間に弦を弾いてベース音を鳴らしていた。もはやこの珍妙な演奏を評価できるものは誰もいなかった。

演奏のせいなのか、手を休めるついでに飲み続けていたクラフトビールのせいなのか、いつしか僕は気分が良くなり、この不思議な空気に身を任せてビートを刻み続けた。

  • ウェットフェザーは帽子にたくさんの羽をつけている。

  • もはや何をしているのか分からない状態の我々。ソーマは謎の楽器を持っている。

それに当てられたのか、ハイカーのフラミンゴが急に部屋から飛び出してきて僕らの前に座った。持っていた箱をテーブルの上で開封し始めたので、ぼんやりとその光景を僕は見ていた。

箱から出てきたのは毛染めのブリーチだった。

「ピンクにしてくれ! 俺は本当のフラミンゴになるんだ!」

そう言うと彼は周りのハイカーたちを巻き込んで毛染めを始めた。不揃いで不気味な音楽と鼻腔を刺激する薬品の臭い。

ゲラゲラと笑いながら次々と髪を染め出すハイカーたちを見て、まさしくこれが今回のアパラチアン・トレイルだと感じた。トレイルにまつわるさまざまなものが渦となり、その中心で凝縮されている。

これはアパラチアン・トレイル・ハイカーの長かった逃避行が終わる前の、最後の夏祭りに違いない。僕はふと、旅の終わりを強く意識した。もうこれ以上引き延ばすことなどできないのだと。

そして、翌日からハンドレッドマイル・ウィルダネスを歩き始めることを決めた。

  • 次々と巻き込まれていくハイカーたち。

  • 子供まで犠牲になっていたが、酔っ払った僕は大笑いして眺めていた。

ATの最後の夜

9月12日、ショーの運転でトレイルヘッドに戻ったハイカーは僕を入れて5人だった。宿泊者の数の割には少なく感じるが、おそらくハイカーの多くが昨晩騒ぎすぎたために延泊しているのだろう。

  • 最後のセクションに向かう僕。髪もボサボサでホームレスのようだ。

  • ショーに見送られてトレイルヘッドに戻るハイカーたち。

  • テンカラにも慣れてきて、そこそこのサイズの魚が釣れるようになってきた。

  • 湖畔を歩くハンドレッドマイル・ウィルダネスは水が豊富だ。

ハンドレッドマイル・ウィルダネスの入り口は深い森で、これまで見てきたいつも通りのアパラチアントレイルだった。何度かロープを使う渡渉があり、僕はその度にテンカラ釣りをして最後のセクションを楽しんだ。

アメリカ東海岸の中でもメイン州のアパラチアン・トレイルは人里から離れた森の中を歩く。これまでハイカーの多い国立公園を歩いてきたが、ここにはデイハイカーはほとんどいない。そして、アパラチアン・トレイルのスルーハイカーもかなり減っていた。僕は静寂の森を黙々と歩きながら、深い自然に身を置いている感覚を心ゆくまで堪能することができた。

薄暗い森の中を歩く時間は多いが、時に丘を登ると見晴らしの良い場所に出る。そんな時はメイン州の森を眺めてコーヒーを飲み、スケッチをした。そしてまた森へ戻っていく。そんなシンプルな繰り返しを続けているうちに日はどんどん過ぎていった。

  • 静かな森をただ黙々と歩く。

  • シンプルなスケッチ。もう5ヶ月間ほぼ毎日描き続けている。

  • 無人のバックスター州立公園のエントランス。

  • バックスター州公園の許可証。

気がつけば5日が経ち、9月17日午前10時ごろ、僕はバックスター州立公園に達していた。公園入り口にある小さなレストランと雑貨屋で行動食にチョコレートバーを買い、カタディン山の登口付近のキャンプサイトを目指す。

10分ほど歩くと木製の大きな屋根付きの掲示板と木箱が現れた。ここは無人のバックスター州立公園のエントランスで、レジスターに自分のトレイルネームを記す。本日はすでに12人の先客がいるようだった。その横の木箱から紙とクレジットカード大のプラスチックプレートの許可書を取り出し、自ら必要項目を埋めて完成させた。

許可証の下には「789」と記されている。これは今シーズンの789番目にアパラチアン・トレイル・スルーハイカーとしてバックスター州公園に入ったということだ。5ヶ月前にスタートした時は2135番目だったので、かなりの人数を追い抜いたか、またはその多くがリタイアしてしまったか、おそらくその両方であろう。

そこから5時間ほどかけてカタディン山の登口付近のキャンプ場まで行くと、明日山頂に向かうたちが6人ほど焚き火に当たっていた。そのうち3人は仲の良いハイカーだ。親子ハイカーのコールドフィートとドラゴンスレイヤー、そして立派な白い髭を携えている60代のハイカーのグレートスコット。近づいて声をかけると、彼らは笑顔で返したが「調子はどうだい?」「いよいよ明日で終わりだな」などと短い話をしただけで、すぐにどこか遠くを見るように焚き火に視線を戻した。

  • アパラチアン・トレイル最後のテントサイト。

少し離れたところにテントを設置して、食糧袋を持って焚き火に戻り、いつも通りお湯でクノールのパスタを作って食べながら炎を眺める。誰も話をしていない。木々がパチパチと爆ぜる音だけが湿った森に溶けていた。

パスタを食べ終えるとココアを別の小さなチタンカップで作って啜る。最後のハイキングのために少し値の張るココアをいくつか持っていた。

みんな無言で炎を眺めていた。僕はとても奇妙な気持ちだった。アパラチアン・トレイルがついに終わりを迎える高揚感と、すでにハイライトを終えてしまったような寂しさが混在している。そして、あと何か気がかかりなことがあるように思えた。ぐっと目を瞑り考えてみたが、それが何なのか突き止めることはできなかったので、僕はココアを飲み干してテントに戻ることにした。

「もう寝るよ。みんなお休み。」

「スケッチお休み。またあした。」

「明日はカタディンの上で会うだろうね。」

「ははは、間違いないや。」

告白

9月18日午前4時に僕はアラームで目を覚ました。外はまだ暗いが、今日はナイトハイクをしようと決めていた。

カタディン山頂までは10キロほどしかないが、標高は一気に1300mほど上げる。そして午後3時ごろまでには下山してバスに乗って街へ移動しなければ、もう1泊することになってしまう。なので最後の1日くらいは時間をたっぷりと取って、のんびりとハイキングしたいと思ったのだ。

また同じ場所に戻ってくるので、テントは残置して日帰り登山に必要なものだけをバックパックに詰める。本日は何度も休憩するかもしれないので、防寒用に寝袋は持って行くことにする。準備が終わり歩き始める。数分でダートロードが通る登山口に到着した。今日の夕方にはここでホテルのクルマにピックアップしてもらうことになっている。

歩き始めるといきなり急登が始まった。トレイルはよく整備され歩きやすく、ヘッドライトを頼りにゆっくりと夜露で濡れた地面の上を歩いた。

  • ヘッドライトの明かりを頼りに歩く。

  • ついにゴールであるカタディン山のバクスターピークを示す道標があらわれた。

  • 日が昇り次第に明るくなっていく。

  • まだ気温が低く寒いので防寒着を全て着ている。

1時間ほど歩くと空が明るくなり、すぐにヘッドライトの必要がなくなった。トレイルが次第に岩場に変わり始め、密度が薄くなった木々の隙間から透き通るような青の空を見ることができた。近くの岩に登り見回してみると、短い間にだいぶん高度が上がっており、ハンドレッドマイル・ウィルダネスを一望できた。

僕はスケッチブックにささっと景色を描き、水彩絵の具で色を付ける。寒いので絵の具がなかなか乾かず、スケッチブックを膝に乗せたままのんびりと景色を眺めていると、テント場で一緒だったグレイトスコットが息を切らせて登ってきた。

「やあ、スケッチ。」

「やあ、グレイトスコット。調子はどうだい?」

「なかなかタフな登りだな。」

彼は大きく息を吐いて、額の汗を腕で拭った。しばらく僕と一緒に景色を眺めていたが、すぐに「じゃあ、またな」と言って岩場を登っていった。

  • 絵の具がなかなか乾かない。

  • 大きな岩に苦戦するグレイトスコット。

数分後に絵の具の状態を見たが、まだ完全には乾いていない。しかし、この場所でいつまでも時間をかけるわけにもいかないので、思い切ってスケッチブックを閉じてハイキングを再開した。

グレイトスコットはそれほど遠くには行っておらず、少し先で4メートルほどの岩に登るのに苦労していた。彼が登り終わると、今度は僕が苦戦する姿を上から楽しそうに眺めていた。彼は時間や距離にとらわれずに純粋に最後の1日を満喫しているようだ。

3時間ほど経った頃、急登を登り切るとなだらかなトレイルに変化し、その稜線の先についにこのアパラチアン・トレイルのゴールであるカタディン山頂が見えた。稜線は20センチほどの低い木々の覆われていて、ところどころ赤く紅葉している。朝日を浴びて鮮やかに浮かび上がった姿に僕は心が躍り、思わず歩くペースが速くなった。

  • 山頂へと続く美しいトレイル。

このエリアを抜けて、最後の登りを終えるとついにアパラチアン・トレイルの終着点だ。僕はゆっくりと歩きながら「僕はアメリカの3大トレイルを歩き終えてしまうのだ。歩き終えてしまうのだ。歩き終えてしまうのだ…」と頭の中で何度も繰り返した。

トレイルは勾配を増していく。その間も僕は「ついに終わる! ついに終わる!」と反芻し続けていた。だが、あまりに考え過ぎたせいで、もうトレイルが終わったような気持ちになってしまい、カタディン山頂のモニュメントが目視できるようになった頃には、ひと通り感情のピークを終えてしまって疲れていた。

  • カタディン山の頂上直下の眺め。

  • 山頂への最後の登りメイン州の森が遥か下に見える。

僕は足取り重くトボトボと歩く。頂上まであと20メートルほどのところで、グレートスコットが僕に手を振っていることに気がついた。彼は僕のゴールをスマートフォンで録画してくれているのだ。

僕はヘラヘラするわけにもいかず、格好をつけるために残りわずかな道のりを少し足早に真剣な面持ちで歩いて行くと、写真で何度も見ていたカタディン山頂の木製のモニュメントが次第に近づき、そこに刻まれた数々の傷が見えるまでになってきた。

最後は勢いよく一気に山頂まで登り切ってモニュメントを掴み、そして寄りかかった。顔を上げるとグレートスコットが僕を笑顔で祝福してくれていた。山頂にいたのは僕らふたりだけだ。

見渡すと天気は快晴で、山頂からはメイン州の山々が輝いていた。
 
「おめでとうスケッチ。」

「おめでとうグレートスコット。」

僕らはハグをしてお互いを讃える。僕は記念撮影をするためにグレートスコットのスマートフォンを預かり、さまざまな角度で彼の写真を30枚ほど撮る。そして次は僕の番になり、彼にスマートフォンを渡して、モニュメントに登るために足をかけた瞬間だった。

驚いたことに、僕の気持ちは急激に醒めてしまった。全く高揚感もなく、重たい気持ちを抱えながら、作業のようにモニュメントに登る。

僕は自分の変化に戸惑っていた。そして、無表情でただただこちらに向けられたスマートフォンを眺めた。

その時、僕は5ヶ月前にジョージア州のスプリンガーマウンテンからアパラチアン・トレイルを歩き始めた時のことを思い出した。

あの時、僕は「何か」に期待して歩き始めたのだった。アメリカでのロング・ディスタンス・ハイキングは僕にとって逃避である一方、変革を望んだものでもあった。そのことを、僕はこの長いトレイル生活で忘却していた。

日本で繰り返される退屈な生活、いつも気がかりな不安定な収入の問題、うまくいかない人間関係、それら全部をかなぐり捨ててアパラチアン・トレイルに逃げ込んだ。そして、ハイキングをすることで、それらが自然に改善されて、何か良いものになることを望んでいた。

そして実を言えば、僕は優しい人になりたかった。僕が持つ強い自分本位な考えがトレイル上でのシンプルな生活の中で変化し、他人の幸せを思いやることのできる人間になれるのではないかと期待していた。

159日かけてアメリカ14州を抜けて3500キロの道のりを歩いた。これで僕は西海岸のパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)、中央のコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)、今回の東海岸のアパラチアン・トレイル(AT)と、アメリカ大陸の3大ロング・ディスタンス・トレイルをすべて歩き終えた。

ロング・ディスタンス・ハイキングの初挑戦のPCTでは、十分な準備をせずにスタートしたので、初日に雨具を持たぬまま猛烈な嵐に襲われたりした。またジョン・ミューア・セクションで食料が尽きて野草を食べて凌いだりした。

2本目のCDTは人生最大の過酷な冒険だった。ルートがない山岳地帯を雷を避けながら雪の中を突き進み、砂漠では水不足と高温により幻覚を見た。

そしてこのATでは、過去の経験からの慢心により無謀なハイキングを繰り返し、その反動で精神的に不安定になったりもした。どの経験も強烈で僕の脳裏にしっかりと刻み込まれている。

その全ての終着点であるカタディン山頂で、僕はやっと気がついた。

「結局、僕は何も変わらなかったな……。」

  • アパラチアン・トレイルで6冊のスケッチブックに絵を描いた。

  • カタディンのモニュメントをスケッチする。これで本当に僕のアパラチアン・トレイルは終了した。

おわりに

アパラチアン・トレイルを執筆するにあたりどのように進めていくか悩んだ。前回はアメリカのトレイルでは高難易度とされているコンチネンタル・ディバイド・トレイルだったので、歩きやすい今回はいささかインパクトに欠けるように思えたからだ。

そこで、今回はひとつのことを中心に連載を進めることにした。それは僕がどのような場面で「面白い」と感じているかだ。

この「面白い」という気持ちは僕の行動の原動力の全てと言っても過言ではない。大学生の時の海外バックパック旅行から始まり、今日のロング・ディスタンス・ハイキングに至るまで、僕の旅はこの気持ちが基となっている。

最終回は肩透かしのような終わり方に感じられたかもしれないが、僕が自分の中で「面白い」と思ったことを極限まで追求して辿り着いた結論なので、これもまた僕の「面白い」だ。

連載をしておいて言うのも何だが、僕の「面白い」という感情を他人に共感して欲しいとは思わない。人それぞれの「面白い」があるし、それはその人だけの宝物でもある。自分の直感を信じ、本質を知れば、何にも惑わされず本当のHIKE YOUR OWN HIKE に辿り着けるのではなかろうかと思う。

山と道は何よりもその直感に優れている。何故ならこんな僕を「面白い」と感じ連載させてくれたのだから。今回も旅の経験を書き残すことで、自分のハイキングを見つめ直すことができた。貴重な経験をさせてくれた山と道の夏目さん、編集の三田さんには感謝の言葉しかない。

本当にありがとう。

【終わり】

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